鬼の花嫁4~桜の木の下に眠るもの~


 優生には玲夜が付けた監視が常時ついていたので、すぐに居場所は分かった。
 優生は大学へ行っているようだ。
 柚子は玲夜と共に車を走らせ優生の大学の門前で出てくるのを待った。
 しばらくすると、優性が出てきた。
 柚子は急いで車から飛び出し、優生の前へ歩み出た。
「優生……」
「あれ、柚子どうしたの?」
 ニコリと笑う優生は、とても普通の様子で、透子に対してあのようなことをしでかしたような人間には見えなかった。
 けれど、間違いないのだ。
 柚子には分かる。あのもやの元凶がだれかを。
「話があるの」
「場所を移そうか」
 なにも聞かずそう提案する。
 優生は分かっているのだ。柚子が自分の元に来た理由を。
 さっさと歩き出した優生の後を柚子もついていく。
 もちろん、玲夜も龍も子鬼も一緒だ。
 優生についてやって来たのは、人気のない公園だ。
 そこで柚子は優生と向かい合う。
「それで、話ってなに?」
「そんなの聞かなくても分かってるんでしょう? 透子のことよ。透子からあのもやを取り除いて」
 素直に言うことを聞くとはだれも思っていない。案の定。
「いいよ。柚子が俺のものになるなら」
 などとのたまった。
 玲夜の眉間に皺が深く刻まれる。
 柚子も、ここにきてそんなくだらないことを言う優生には苛立ちが隠せない。
「馬鹿なこと言わないで!」
「馬鹿なことなんかじゃないよ。俺は本気だよ」
 その通り、その目に冗談は一切なく、柚子は思わず怯む。
「……そんなこと無理よ。私には玲夜がいるもの」
「ふーん。じゃあ、柚子は親友の命より男を取るんだ?」
「命って……」
「このままじゃ透子死ぬよ?」
 はっきりと言われて柚子は心臓が締めつけられるようだった。
 顔を強張らせる柚子と違い、優生はとても人の命がかかっているとは思えない無邪気な表情をしている。
 透子の命をまるで軽いもののように感じている優生への憤りが噴き出す。
「分かってるなら、透子を解放して」
「だ、か、ら、柚子が俺のものになるなら助けてあげるって。祓えなかったんだろう? それでここに来た。祓う以外で透子を助けることができるのは、あれを操る俺が取り除くことだけだからね」
 図星を指されて柚子は反論の言葉も出てこなかった。
「あー、でも、もうひとつあるよ。透子を助ける方法」
「なに?」
「俺を殺せばいいのさ」
 それを聞いた柚子は顔を強張らせた。
「どうする? 俺を殺してみる? そうしたら、親友も男も柚子は手に入り一石二鳥だ。どうだい?」
「そんなの、できるはずないじゃない……」
「だよね。甘い柚子にはそんな選択できないよね。ならさ、選ぶしかないんじゃないかな、どちらかを。当然優しい柚子は親友を見捨てたりしないよね?」
 優生の吐く毒が柚子を浸食していく。
「早くしないと、透子が死んじゃうよ?」
「……っつ」
 柚子は唇を噛む。
 悔しい。
 優生の思い通りになってしまう現状が。
 自分の力のなさが憎くて悔しい。
 他に方法はないのか?
 人を殺すなんて選択はできない。
 けれど、玲夜から離れるなんて死んでも嫌だ。
 けれど、今死にそうになっているのは透子で……。
 グルグルと、同じことが回り回り、結局答えを出すことができないでいる。
 その時、優生が青い炎に包まれて燃え上がった。
 はっと我に返った柚子が、隣にいた玲夜を見る。
「悩む必要などないな。お前が死ねばすべて解決できるなら、死ね」
「玲夜っ!」
 柚子は止めるように玲夜の腕を掴む。
「駄目!」
「止めるな。わざわざ一番簡単な方法を教えてくれているのだから、そうしてやればいい」
『我もその意見には賛成だ』
 などと、龍までもが本来の姿に戻って威嚇をする。
「あーい」
「あいあーい」
 追い打ちとばかりに、子鬼も青い炎を優生に投げつけていく。
 顔を青ざめさせる柚子に反し、燃え上がった青い炎は次の瞬間には黒いもやに浸食されるようにして消え去った。
 これには玲夜もわずかに目を見開いた後、眉間の皺をさらに濃くした。
「下等なあやかし風情が」
 先程の笑みも浮かんだ表情とは違い、怒りを宿した優生は、玲夜の攻撃を受けたにもかかわらずどこも傷付いてはいなかった。
「せっかく柚子自身で選ばせてあげようと思ったのにね。やっぱり邪魔な鬼は先に始末しておくべきだったようだ」
 ぶわりとこれまで以上に黒いもやが優生から発生する。
 辺りを覆い尽くしそうなほどのもやは圧迫感を与え、息苦しさすら感じる。
 玲夜と子鬼は見えてはいないようだが、なにかの異変は感じているようだ。
「霊力……とは少し違うか? なるほど、変質した力か……」
 なにやら納得した様子の玲夜を睨め付ける優生。
「本当に邪魔だな。俺と彼女の世界にお前はいらないというのに」
 そうしゃべる優生に感じる違和感。
 以前にも感じたそれは、より一層強く感じた。
「あなたは……だれ?」
 思わず口をついて出た言葉は優生にも届き、優生は一瞬驚いたような顔をした後、ニヤっと口角を上げた。
「なにを言ってるんだ? 俺は優生だ。君のはとこだろう」
 確かにその通り、目の前にいるのは柚子の見知った優生だ。
 だが、先程ほんの一瞬だけ優生が別人のように見えたのだ。
 そんなはずないというのに。
 だから、そう感じてしまう自分自身に柚子は戸惑った。
 拭えぬ違和感。
 それは優生と話をする度に膨れ上がる。
 けれど、そんなことに思考を囚われている場合ではなかった。
 優生は玲夜を標的と狙いを定める。
 空を覆いそうなほどの黒いもやが玲夜に向かい襲いかかったのだ。
「玲夜、逃げて!」
 あれは駄目だ。
 あれに触れてはいけない。
 そう直感的に思ったが、見えない玲夜は避けようがなかった。
 柚子は玲夜を庇おうと玲夜にしがみ付いた。
 もやが柚子と玲夜を飲み込もうとした時、柚子の視界の端にピンク色のなにかが見えた。
 ひらりひらりと落ちてくる薄ピンク色の花びら。
 どうして花びらがここにあるのかと不思議に思う間もなく、その花びらを中心に爆発するようにたくさんの花びらが飛び散った。
 すると舞い散る花びらは黒いもやを掻き消しながら花びらもすっと姿を消していく。
 残されたものはなにもない。
「なに今の……?」 
 そこへ、ひらりひらりと花びらが一片落ちてくる。
 それを柚子は手のひらで受け止めた。
「これ、桜の花びら?」
 そこに風が吹き、薄ピンク色の花びらは風に乗って消えていく。
 柚子はその花びらが見えなくなるまで呆然と立ち尽くすしかなかった。
 それは玲夜や龍も同じで、なにが起きたか理解できない様子。
 ただ、暗いもやは見えなかった玲夜も、桜の花びらだけはその目で見ることができたようだった。
 なので、なおさらなにがどうなったか分からないようで、ひどく困惑していた。
 我に返った優生のことを思い出したが、優生の姿は見当たらなかった。




 そんな不思議な体験をしたその日の夜、柚子は夢を見る。
 以前にも見た桜の木が出てくる夢だ。
 けれど、これまでとは少し違っていた。
 ひらひら舞う桜の花びらの中、桜の木のそばに女の人が立っていたのだ。
 白い小袖に緋色の袴、その上に千早を羽織った、柚子とそう年も変わらぬ若い女性は、柚子をじっと見ていた。
「あなたはだれ?」
 女性は悲しそうに微笑むだけで答えてはくれない。
 女性は手を上げると、桜の木の下を指差した。
「ここに……」
 よく聞き取れなかったが、女性が発した声はずっと桜の木の下から聞こえていたあの声だった。
「そこになにかあるの?」
「…………」
 そして、女性はなにも言わずすっと消えていった。
 そこで柚子も目が覚める。
 あまりにも鮮明に覚えている夢はまるで現実のように感じる。
 勢いよくベッドから起き上がった柚子に、龍や猫たちも顔を上げた。
 龍は眠そうな顔でのそのそとやって来た。
『どうしたのだ?』
「夢。またあの夢を見たの。桜の木の夢」
『またか。同じ夢だったか?』
「うん。でも今回は女の人が出てきた。巫女装束みたいなのを着た若い女の人」
『巫女?』
「鬼龍院の本家に行きたい。あの桜の木に行かないといけない気がする」
『それは勘か?』
「勘なのかな? 分からないけどそうした方がいいと思うの。……ううん、たぶん呼ばれてる。行かないと」
 確証があるわけではない。
 ただ、そんな気がするだけだ。
 けれど、確信を持って言える。
 行かなければならない。あの桜の木に。
 ベッドから立ち上がった柚子は、急いで着替え始める。
『待つのだ、柚子。今はまだ夜中だぞ』
「分かってるけど、朝まで待ってられない! 早く行かないと」
『うーむ。これも神子の力が強くなってきているということなのか?』
「アオーン」
「にゃーん?」
 龍と共にまろとみるくもよく分からないように首を傾げる。
 バタバタと慌ただしく着替えと準備をした柚子は、そのまま部屋を飛び出していくので、龍は慌てて追いかけて柚子の腕に巻き付く。
 今は真夜中で、廊下も小さな灯りがあるだけで薄暗い。
 人気もなく、しんと静まりかえった中で、慌ただしく廊下を走る足音に、屋敷の者が気付かぬはずがない。
 柚子が玄関で靴を履いていると、使用人頭と数人の使用人が困惑した顔でやって来た。
「柚子様、どうなさったのです? こんな真夜中に」
「あっ、起こしちゃってごめんなさい。私これから本家に行って来ます」
「今からでございますか!?」
「そうです」
「ちょっ、ちょっとお待ちください! 玲夜様にご報告を……」
 使用人頭がわたわたしていると、横から声がかかった。
「俺ならここにいる」
 はっと全員の視線がそちらへ向く。
「玲夜……」
 使用人たちが気付いたのだから、この屋敷に結界を張り、中のことを把握できる玲夜が気付かぬはずがなかった。
「柚子、こんな時間になにをしているんだ?」
「本家に行きたいの」
「こんな時間にか?」
「うん。行かないといけない」
 柚子もただの思いつきでそんなことを言っているわけではない。
 必要なことなはずなのだ。
 そして、とても重要なことだと感じている。
 ここで玲夜に反対されても柚子は無理やりにでも行くつもりだった。
 けれど、柚子が折れないことを悟ったのか、玲夜は使用人頭へ指示を出す。
「道空、至急車を用意してくれ。本家へ行く」
「か、かしこまりました」
 使用人頭はまさか玲夜が許可するとは思わなかったのか目を丸くしたが、無駄口は叩かずにすぐに命令に従うべく動いた。
 その辺りはさすが使用人頭と呼ばれるだけある優秀さだ。
「俺もすぐに準備してくる。それまで待てるな?」
 有無を言わせぬ玲夜の空気に、柚子は少し冷静になり頷いた。
 とは言っても、気は急いてしまう。
 ほんのわずかな時間が途方もなく長く感じる。
 数分して玲夜が着替えてやって来た。
「玲夜、早く早く!」
「分かった、分かった」
 玲夜は子鬼も連れて来ており、玲夜にしがみ付いていた子鬼はぴょんと柚子の肩に落ち着いた。
「あーい?」
「あい」
 子鬼もなぜこんな時間に出かけようとしているのか分からないようだ。
「ごめんね、子鬼ちゃん。屋敷で待っててもいいよ?」
 そう言うと子鬼はイヤイヤとするように首を横に振る。
 そうしている間に車の用意できたようだ。
「お車の準備ができました」
 道空の言葉に頷き、玲夜は柚子に手を差し出す。
 その手を取って柚子は屋敷を出た。
 車の中で、玲夜からなにがあったのかと質問される。
「夢を見てね。本家の桜の木に行きたいの。なにがあるかは分からないんだけど……」
 こんなにも大騒ぎして周りを巻き込んだ理由が夢というのは少し言いづらかった。
 しかし、玲夜は咎めるでもなく真剣に耳を傾けている。
 もしかしたら怒られることも覚悟していたのだが、その様子はなく柚子は安堵した。
「女の人がいて、桜の下を指差したの」
「なにかあるのか?」
「分からない。だから確認したいの。そこになにがあるのか」
 そこからは静かな時間が続いた。
 そして、本家へと着く。


 車が停まるや、柚子は自分で扉を開けて飛び出した。
 少しでも早く辿り着きたいと気がはやって仕方がない。
 玲夜も後からついてくるが、先を急ぐ柚子を止めたりはしなかった。
 この本家は千夜が結界を張るテリトリーの中。
 よほどのことがない限り安全であることを玲夜は知っているので、柚子の好きにさせるのだ。
 息を切らせて走る裏の森の中は暗く、スマホの灯りを頼りにその先にある場所へ向かう。
 森を抜けると広がった空間が広がり、そこに柚子の目的である桜の木が鎮座していた。
 今日も満開に咲いた花が柚子を迎える。
 柚子は激しく鼓動する心臓を落ち着かせるようにゆっくりと近付いていく。
 そして、桜の木に触れるところまでやって来た。
 夢で女性が立っていた場所まで。
『柚子、本当にここなのか?』
「うん。間違いない。この下を指してたの」
 柚子はしゃがみ込んで、夢の女性が指差した木の幹のすぐそばの地面に手を乗せる。
 けれど、なにも起こらない。
「う~。どういう意味? 掘るの?」
 柚子は素手で地面を掘り始めた。
 がりがりと爪の間に土が入るのも気にせず掘り続けているのを、見ていた子鬼たちも手伝い一緒になって掘る。
 龍はスマホを持ってライトで手元を照らしてくれている。
 しかし、なにも出てこない。
「なんでぇ? ただの夢だったの?」
 呼ばれた気がしたのだ。
 光明を見出せたかと思った。
 なにかこの現状を打開する策があるのではないかと。
「早くしないと透子が……」
 泣きそうになりながらさらに掘っていく。
 すると、そんな柚子の後ろから声が聞こえる。
「おやおやぁ。こんな時間に皆してどうしたのかな?」
「父さん」
「玲夜君も柚子ちゃんもこんばんは~」
 千夜がにこやかな顔で登場した。
「玲夜君たちの気配がしたから見に来たんだよ~。なにしてるんだい?」
「柚子が急にここへ来たいと言うので」
 玲夜が代わりに答え、夢の話を千夜に教える。
 と言っても、玲夜も柚子から聞いたにすぎないので、よく分かっていない。
 分かるのは柚子だけだ。
 けれど、その柚子も途方に暮れている。
 すると、雲間から月の光が降り注ぎ、まん丸に近い月に照らされた桜がよく見えた。
「もうすぐで満月か……」
 そう言えば、夢の中の桜の木もこんなふうに淡く光を受けていたなと思い出した。
 月の光に照らされた桜の木はより一層幻想的な魅力を発している。
 その時。
『ここに……て』
 はっと柚子は地面に視線を落とす。
「そこにいるの!?」
『柚子?』
 龍には聞こえていないのか、柚子を怪訝な顔で見る。
 一心不乱に土を掻く柚子に桜の花びらがひらりひらりと降り続ける。
 そして、柚子は静電気のようにビリッとしたものを手に感じた。
 なにかとなにかが繋がったような感覚。
 次の瞬間、柚子は急激な眠気を感じて体が倒れる。
 遠くなる意識の中、玲夜が柚子を呼ぶ声が聞こえた。
 そこで意識は暗転する。

 柚子は夢を見ていた。
 長い長い夢を。
 自分のものではない女性の生涯を。
 愛しい者を残していかなければならない悲しみ、苦しみ。
 そして女性に最後に残ったのは、激しい怒り。
 自分をこんな目に合わせた男への血を噴き出しそうな憎しみ。
 いつか、いつの日か、この想いを晴らすその日まで。
 女性は待った。待ち続けた。
 そして、ようやく見つけたのだ。
 あの男を。
 この想いを晴らす時がきたことへの歓喜が湧き上がる。
『ここに連れて来て、あの男を』
 


六章

「柚子! 柚子!」
 どれだけ意識を失っていたのだろうか。
 玲夜の焦りを感じる声が聞こえてくる。
 柚子はゆっくりと目を開けた。
「柚子」
 ほっとしたような玲夜の顔が近くにあり、柚子はそっと手を伸ばし頬に触れた。
「ごめんなさい、心配させて」
「いや、大丈夫なのか?」
「うん。平気」
 玲夜に抱えられていた柚子は、ゆっくりと身を起こして立ち上がった。
「なにがあったんだ? どうして急に倒れたりして。具合が悪いんじゃないのか?」
 矢継ぎ早に質問をしてくる玲夜は未だ心配そうにしている。
 そんな玲夜を安心させるようににこりと微笑む。
「本当に大丈夫。少し夢を見てたの。見せられたって方が正しいのかもだけど」
 柚子はちょっと困ったように眉を下げた。
「どういうことだ?」
「うーん、私もどこから説明したものか……。でも、上手くいけば透子を助けられるかも」
 よく分かっていない様子の玲夜を見上げて柚子は問いかけた。
「玲夜、協力してくれる?」
「柚子がそれを望むなら。けれど、その前にちゃんと説明してくれ」
「僕にもねぇ」
 と、横から千夜も入ってくる。
「うん。少し長くなるかもだけど」

 場所を本家の家に移した柚子たちは、柚子の話に耳を傾けた。
 信じられないと驚きの狭間にいる面々を見る。
 けれど、そう感じるのは当然のことだった。
 柚子もまだ少し信じられない思いでいるのだから。
 中でも、龍の落ち込みようは際立っていた。
『なら、サクはずっと……』
 責めているのだろうか。
 自分のことを。
 あの時力になれなかった自分のことを。
 柚子は慰めるように龍をその手で抱きしめた。
「あなたのことを責めてなんていなかった。私が感じたのはあの男への怒りだけ」
『だが……』
「悪いと感じているなら力になってあげたらいいわ。今度こそ彼女の願いが叶うように。安心して眠れるように」
『うむ……。そうだな……』
 ぽんぽんと背を叩いてから龍を解放した。
 そして千夜に向き直る。
「千夜様、お願いがあります」
「分かってるよ~。ここに入れる許可がほしいんだね」
「はい。桜を移動させることはできないから、ここに連れてくるしかないんです」
「正直胸くそ悪くて仕方ないけど、他に方法がないからね。了解だよ~」
「ありがとうございます」
 柚子は正座して丁寧にお辞儀をした。
「頭を上げてよ、柚子ちゃん。あれを放っておいて困るのは鬼龍院も同じだからね。協力は惜しまないよ。なにせ未来の娘のためでもあるんだから」
 茶目っ気たっぷりにウィンクする千夜は、こんな時でもいつも態度は通り変わらない。
 そのことが余計に柚子を安心させた。
 そして玲夜も、変わらぬ強い眼差しに力をもらえる。
 大丈夫だ。すべて上手くいくと。
 そうこう話をしているうちに外は明るくなり朝になっていた。
 玲夜の屋敷に帰る前に本家で朝食を食べていったらいいと言う千夜の言葉に甘えて朝食の席に向かうと、柚子たちが現れたことに素直にびっくりしている沙良がいた。
「おはようございます、沙良様」
「えっ、えっ、柚子ちゃん? 玲夜君も。どうして、どうして?」
「夜中にちょっと用があって来たんだよ~」
「だったら私にも教えてくれればいいのに、千夜君たら」
「ごめんねぇ。まっ、皆揃ったことだし朝ご飯にしようか」
 それを合図とするように朝食が運ばれてくる。
「残念だわ。ふたりが来るならもっと豪華な朝食を用意してもらっておいたのに」
「いえ、じゅうぶんです!」
 遠慮しているわけでなく、運ばれてきた朝食はじゅうぶんに豪華という言葉が当てはまるものだった。
 毎日これなのかと疑問に思ったが、玲夜や千夜の様子を見ている限りでは全然驚いておらず、これが通常仕様なのだと察した。
 さすが鬼龍院本家の食事。
 毎日が特別待遇だ。
 玲夜の屋敷でも食事は料亭かのような朝食が出てくるのだが、ここまでではない。
 それはあまり玲夜が食への興味が薄いからというのもあるようだ。
 なんでも、柚子が来るまでは仕事中心で食事もそこそこにすませていたと使用人頭から聞いていた。
 柚子が住むようになったことで、一緒に食事を取るため、生活改善ができたと大喜びだとか。
 特に料理人がやりがいを持って仕事に精が出ると一番喜んでいるらしい。
 と、まあ、そんなこんなで沙良が主導権を握った会話は楽しく時間が過ぎ、食事を終えた柚子たちは帰宅の途に着くことにした。


 そして、柚子は透子の病室を訪れていた。
 相変わらず透子の目は覚めておらず、首と体には黒いもやが絡みついていた。
 東吉はあれから眠れていないのか、目の下にクマを作っており、元気もない。
「にゃん吉君、ちゃんと食べてる?」
「そんな気が起きない」
「ちゃんと食べておかないと透子が起きた時に怒られるよ。一度家に帰って身嗜みを整えてきたら?」
「いつどうなるか分からないのにそんなことしていられない」
「それなら大丈夫」
 透子にのみ向いていた視線が柚子に移る。
「どういう意味だ?」
「今夜、決着付けてくる。透子は絶対に大丈夫」
 確信めいた柚子の言葉に、東吉は目を見開く。
「透子は助かるのか?」
 柚子はこくりと頷く。
「だからにゃん吉君は、透子が起きた時に心配させないためにもちゃんと食べて寝ておかなきゃ。でないと透子が安心して起きられないよ」
 東吉はなにを思っただろう。
 確証のない言葉を信じられたのかは分からない。
 けれど、東吉は立ち上がった。
「……一度家に帰ってちゃんとしてくる」
 その声には先程にはない力強さがあった。
「うん」
 病室を出て行った東吉の背を優しい眼差しで見送ってから、透子に視線を向ける。
「透子、もうちょっとだから、あと少し我慢しててね」
 透子を見つめる目には強い意志が宿っていた。

 病院を後にした柚子の視線の先には黒塗りの車があり、そこで玲夜が待っていた。
「玲夜、お待たせ」
「もうよかったのか?」
「うん。私がいてもなにもできないし」
「そうか」
 玲夜は不意に柚子の頭に手を回し、引き寄せる。
 軽く触れた唇と唇に、柚子の顔はあっという間に紅くなった。
「なななにするの!? こんな外でっ」
「いや、最近色々とあって柚子との触れ合いが少なかったなと思ってな」
「別に今じゃなくても! だれかに見られたら……」
「見せつけておけ」
 傲岸不遜な玲夜の言葉に、柚子はパクパクと口を開けたり閉じたりさせる。
 けれど、確かにこんなやり取りは久しぶりのような気がする。
 実際はそんなことはないのだが、優生のこと、透子のことで頭がいっぱいで、随分と前のことに思える。
 そう思ったらとたんに玲夜が恋しく感じた。
 柚子は自分から玲夜の背に腕を回す。
「だれかに見られたくなかったんじゃないのか?」
 顔を見なくても玲夜が意地悪く口角を上げているだろうことが分かった。
 それでも、離れるにはならなかった。
「うん……。少しだけ」
 そう言うと、玲夜も腕を回し柚子をよりしっかりと抱きしめる。
 お互いの体温を感じるこの距離がとても愛おしい。
 彼女はこの温もりを手放さざるを得なかった。
 そう考えると、悲しく胸が痛くなり、今なお桜が狂い咲くその理由が分かる気がする。
 自分も同じようになったのならきっと彼女のように残すだろう。
 形を作るほどの強い想いを。
 時を越えてもなお現世に残り、あり続けるほどの強く痛いほどの憎しみを。
 それを知ったからこそ大切でしかたない。
 玲夜がそばにいること。
 玲夜の温もりを感じることのありがたさを。
 これからのことを考えると、不安がないと言ったら嘘になってしまう。
 本当に上手くいくか保証などなにもないのだ。
 けれど、玲夜も龍も千夜も柚子のことを信じてくれた。
 だから柚子も信じよう。
 どんな姿になってもなお待ち続けた彼女のことを。
 今夜すべてが終わる。
 月が満ちる満月の夜に。



 月には不思議な力があるという。
 いつだったか、そう言ったのは龍だっただろうか。
 その時は特に興味もなく聞き流していたが、今は無視などできない。
 その力をだれより今実感しているのだから。
 柚子はとある公園で空に昇る月を見ていた。
 そんな柚子に近付く人影。
「こんな時間に呼び出すなんて、どうしたの? まさかやっと俺のものになる気になったのかな?」
 柚子は自分から呼び出した優生に向き合った。
「透子を治して」
「言ったはずだ。それにはこちらの条件を受け入れることだよ」
「どうしてそこまで私に執着するの?」
「運命だからだよ。俺たちは出逢うべくして出逢ったんだ」
 自分の言葉こそがすべて正しいと疑っていない眼差し。
「それをあの鬼が後から出てきて邪魔をしたんだ。ずっと目を付けていたのは俺だ。俺の方が柚子に出逢ったのは早いのに」
 優生は苛立たしそうに爪を噛む。
「それが優生の考えなの?」
「そうだよ」
「本当に?」
「なに?」
「それは本当に優生の心の声? 本当にあなたは優生なの?」
「なにを言ってるんだ? おかしなことを言うんだね」
 柚子はじっと優生を見た。
 まるで真実を見通すかのような眼差しで。
「そんなことより、どうするかは決まったのか?」
 柚子は優生に背を向け、振り返った。
「ついてきて。別の所に移動して話したい」
 不思議そうにしながらも言われるままに柚子の後に付いてくる優生を伴い、公園の外に止めていた車に乗り込む。
「乗って」
「どこに行くんだ?」
「行ってみたら分かるわ」
 少しの逡巡の後、優生は車に乗り込んだ。
 車の中で優生が何度か話しかけてきたが、それらすべてを柚子は無視し無言を通した。
 優生も話さないことを悟り話しかけることを止めたため、車内は無言に包まれる。
 そして、着いたのは鬼龍院本家。
 もちろん優生はここがどこだか分かっていない。
「ここは?」
「こっちに来て」
 さすがに不審そうにしながらも優生は言われるままについてくる。
 柚子は緊張する心と体を悟らせないように必死で平静を装っていた。
 今そばには玲夜も龍も子鬼もいない。
 警戒されるのを避けるためだが、いつも一緒にいる面々がいないととたんに心細くなる。
 それでも、彼女の願いと自分の願いを叶えるために己を奮い立たせる。
 森を抜けると目に飛び込んでくる桜の木。
 満月の光が桜の木を照らし、ひらりひらりと舞う花びらが幻想的な空間を引き出していた。
 これには優生も素直に感嘆する。
「凄いな、ここ」
 そんな優生を置いて、柚子は小走りで桜の木へ向かった。
 そこには、柚子の最愛が待っている。
「玲夜」
 玲夜のそばには龍と子鬼、そして少し離れた所に千夜がいた。
 柚子は玲夜に一度ぎゅっと抱き付いてから振り返り、こちらへ歩いてくる優生を強く睨み付けた。
 優生もまた険しい顔をしている。
「柚子、これはどういうこと?」
「私はあなたのものにはならない。そうはっきり伝えるためよ。そして、透子を治してもらう」
「くっ、はははっ。どうやって? 俺の善意を期待しているなら無駄だよ。俺は柚子が手に入らないなら治さない。ならどうする? 殺すか?」
 その瞬間、ぶわっと優生から黒いもやが噴き出すように辺りに広がった。
 嫌な感じのするそれは、これまで以上の広がりを見せ、鳥肌が立つ。
「俺を止めることはできない。鬼でも、そこにいる霊獣だとしても」
「……そんなの分かってる。あなたのその力は祓う力でしか対抗できないって。それもとても強い祓う力を持っていないと」
「その通りだ。現代にはそれほどに強い祓う力を持つ者などいやしないさ」
「だから、ここに連れて来たの。あなたに会いたがっている人がいるここに」
 優生は意味が分からないという顔をしている。
「この桜の木の下にはね、初代の花嫁が眠っているの」
「サクが……」
 なぜ優生が初代花嫁の名を知っているのか、それを問う者はいなかった。
「サクさんは愛した人と引き離されて、龍の加護も引き剥がされ、ボロボロになってようやく帰ることができたけど、その命は長く保たなかった。それをしたのは、一龍斎の幼馴染みの男だった。サクさんは死の間際、のこしていく旦那さんのこと子供のことを心配して逝った。けれど、最後の最後に残ったのは、自分をそんな目に合わした男への深い怒りと憎しみ。そんな深い執着と執念は念となって想いだけがこの世へ留まった」
 柚子は桜を見上げる。
「この桜が年中咲くのは、サクさんの残した想いが昇華されていない証拠」
「いるのか、サクがそこに……」
 優生は手を震わせる。
「あなたもそうなのでしょう? サクさんの幼馴染みで、彼女を深く苦しめた元凶の男」
 優生の姿をした男は目を見開いた。
「生まれ変わりとかって言われても私は半信半疑だけど、彼女が教えてくれた。優生として生まれ変わったあなたは優生の中に眠っていたけれど、深い執着と怨念が表面に出て優生を押しのけて出てきてしまった」
 それが桜の木を通して残されたサクの思念が柚子に教えてきたことだ。
 まるで二重人格のように柚子のことで豹変していたのは、そもそも別の人格だったのである。
 なぜサクではなく柚子に執着していたのかまでは教えられなかったけれど。
「だったらどうだと言うんだ?」
「優生を元に戻して、あなたは再び眠りについて。そうするのなら許してあげる」
 そう言うと、優生は声を上げて笑った。


「随分と上からものを言うのだな。優生は俺であり、俺が優生なのだぞ」
 突然優生の話し方が変わった。
「そもそも俺がだれかなどどうでもいいことだ。俺を止められる者など存在しないのだから」
「いるわ」
「なんだと?」
「言ったでしょう? ここにはサクさんの心が眠っているのよ」
「まさか……」
 優生は目を大きく見開く。
「玲夜、千夜様、お願いします」
「ああ」
「オッケー」
 玲夜と千夜は頷いて桜の木の幹に手を触れた。
「なにをする気だ?」
「玲夜と千夜様は鬼龍院の当主直系。つまりふたりの中には初代花嫁の血が受け継がれているの。その霊力はサクさんの力になることができる。そして満月の光が力を与えてくれる」
 たぶん……。と、心の中で付け加えた。
 柚子も正直やってみないと分からないのだ。
 柚子もサクの思念が伝えてきたことを実行しようとしているにすぎないから。
 けれど、そんな弱味を見せるわけにはいかないので、柚子は強気に見せようと必死だった。
 満月が照らす中、玲夜と千夜が同時に桜の木に霊力をありったけ流し始めた。
 すると、桜の木そのものが青い光を発して燃え上がる。
 なにか危険を感じたのだろう。
 優生は慌てたように黒いもやで桜の木を覆い尽くそうとした。
 しかし、桜の花びらが舞い散りもやを掻き消していく。
 そして、霊力を注ぎ尽くした玲夜と千夜がつらそうにその場に膝をつくと、桜はさらに光輝いた。
 静寂が辺りを包む中、シャンシャン、とどこからともなく鈴の音が聞こえてきた。
 それと共に千早を羽織った女性が現れ、桜の花びらが散る中で舞を舞っている。
『ああ……サク……』
 龍が懐かしそうに目を細めた。
 そして優生……いや、優生の姿をしただれかも、初代花嫁のサクの姿に打ち震える。
「サク、サク……。俺のサク……」
 一歩、また一歩踏み出す優生を取り巻いていた黒いもやが集まり形作る。
 それは男性の姿をしており、柚子がサクの思念に見せられた幼馴染みの男だった。
『やはりあの男っ』
 龍が憎しみの籠もった目で睨みながらギリリと歯噛みする。
 男を中心に膨れ上がる黒いもやはまるで男の執着心そのものを表しているかのように広く濃くなる。
 それに対して、サクは手に持った鈴をならしながら舞を続け、それと共鳴するかのように多くの花びらが舞い散った。
 目も開けていられないようなたくさんの花びらに、思わず腕を前に出して防ぐ。
 不意に背中に温もりを感じて振り返れば、玲夜が護るようにして柚子を支えていた。
「玲夜っ」
「黒いもやというのはあれのことか」
「玲夜も見えるの?」
「ああ、今さっき見えるようになった」
『サクと霊力で繋がったからかもしれぬな』
 龍が見えるようになった理由の予想を口にする。
「あの男が元凶か?」
「多分そう。あれを祓わないと透子も助からない」
 優生の中に眠る記憶であり、強い思念。
 これまでは優生の中に眠っていたが、なにかの切っ掛けで目覚め、優生を動かしていた。
 柚子が優生を苦手としていたのはきっとあの思念のせいだろうと思っている。
 今も鳥肌が立ちような嫌悪感が柚子を襲っていた。
「祓えるのか?」
「分からない。でも、サクさんがあの男をここに連れて来いって言ってたの。サクさんならあれを祓えるって。それが復讐になるからって」
 柚子はただ見ていることしかできない。
 桜が舞う。たくさんの桜が。
 まるでこの日を待っていたかのように。
 歓喜に震えるように桜が散る。
 玲夜と千夜の霊力をもらい受けてこの世に姿を表したサクはただひたすらに舞い踊っていた。
 桜の下でずっと待っていた復讐の時を決して逃がさぬと言うように。
 そして、桜吹雪が黒いもやを消していき、優生の姿をした男を襲う。
「うあぁぁぁ!」
 優生が頭を抱えて苦しみ歪んだ叫び声を上げた。
 それと同時に、もやが形づくる男もまた苦しみ呻いた。
「やめろぉ! サクゥゥ!」
『やめろぉぉぉ!』
 シャンシャンと鈴が綺麗な音を奏でる。
 その度に重なる叫び声。
『サク、お前は俺のものだぁぁ!』
 サクに襲いかからんとする男を桜の花びらが包み込んだ。
『やめろ、やめろぉぉ!』
 巻き上げるように、黒いもやの男と優生が引き剥がされた。
 それと共に優生の体が力を失いそのまま倒れる。
 その頭上には思念だけの男が桜の花びらに囚われていた。
 シャンシャンと音を立ててサクが、最初の花嫁が鈴を鳴らす。
 満月に照らされた桜の木がより光を発し、その力を増すのが分かる。
 そして、それがサクの力に変わのだ。
『ぐわぁぁ! サクゥゥ。許さんぞ、俺から離れるなど許さんからなぁ!』
『あなたは終わるのよここで。過去は今の世に必要ないわ』
 初めてサクが言葉を口にした。
『この時を待っていた。あなたに復讐するこの時を』
『ぐぁぁぁ!』
 男は苦しみ悶える。
 しかしその声はもやが薄れていくと従い小さくなっていく。
『サク、サクゥゥ……』
 そして、花びらに巻かれながら男は消えていった。
 そして静寂が残される。
 もやと共に男が消えた後、舞を止めたサクはその場で静かに涙を流した。
 なにを考えているのだろうか。
 復讐を終えた達成感?安堵?喜び?
 いや、それらすべてかもしれない。
 ただ、彼女の流す涙はとても悲しく、そして美しいと柚子は思った。

『サク……』
 龍がサクの元にゆっくりと近付いていく。
 ホロホロと涙を零しながら。
 そして、どこからともなくまろとみるくも現れた。
 いったいいつの間にやって来たのかと柚子は驚いたが、その輪の中に入るのははばかれた。
「アオーン」
「ニャーン」
 サクに甘えるように擦り寄るまろとみるく。
 けれど、その体は透けており、二匹が彼女に触れることはなかった。
 それは龍も同じで。
 けれど、そんなことは構わないとばかりに首を下げてサクに顔を寄せた。
 そんな三匹に、サクは涙を浮かべた顔で優しく微笑み、触れられない手でまろとみるくの頭を撫で、龍の頬に触れた。
『ごめんね、ごめんね……。そばにいてあげられなくてごめんね……』
『なにを謝るのだ。我らこそそなたを護れずにすまぬ』
「アオーン」
「ニャオーン」
 次第にサクの体が段々と薄く透けてくる。
『もう時間ね』
 悲しげに微笑むサクに、龍は問いかけた。
『サク、そなたは幸せだったか。こんなにも思念を残すほどに恨み復讐心を燃やしておったそなたは』
『ええ。幸せだったわ。あの人がいてあなたたちもいて、とても幸せだった』
 その顔は心からの笑顔だった。 
 その表情を龍たちの心に刻みつけ、サクもまた風の中に消えていった。
 そして、終わりを告げるのは彼女だけではなかった。
 違和感に気付いたのは柚子だった。
「玲夜、見て。桜が……」
 大昔よりここで咲き続けた桜の木が、静かにその花を散らせてゆく。
『きっとサクが消えたからだろう。ずっと桜と共にあり続けていたのだ。サクの強い心残りが桜を咲かせ続けていた。けれど、もう必要はない。サクはようやく安心して眠れるのだな……』
「そっか」
 それならばよかった。
 これで眠りにつける。
 もう彼女の眠りを邪魔する者はもういない。
 けれど、柚子には不思議なことがひとつ残された。
「結局、サクさんの幼馴染みの男はどうしてあんなにも私に執着していたのかな?」
「そこは伝えられなかったのか?」
「うん。全然」
「きっと柚子が一龍斎の血を引いていて、神子の素質を持っていたからじゃないのか?」
「うーん、そうなのかな?」
 なんだか納得がいかない。
 そんな会話をしている横で、龍と千夜が視線を合わせて会話をしていたことに柚子も玲夜も気付かなかった。

「さぁて、帰ろっか」
 すっかりと枯れてしまった桜の木のそばで、千夜が明るい声でそう言った。
「そうだな。俺も疲れた」
「僕もだよぉ。僕と玲夜君は霊力たっくさん桜の木に注ぎ込んじゃったからね。もうカラッカラだよ~」
「敷地内の結界は大丈夫なんですか?」
「うん。そこはしっかり対策してるから大丈夫だよ~。さっさと帰って夜食でも食べようねぇ」
「そうですね。柚子、行くぞ」 
「はーい」
 呼ばれた柚子は、龍と猫たちを探した。
 先程までいたところにおらず、どこへ行ったのかときょろきょろさせると見つけた。
 なんと、まろとみるくと、そして小さくなった龍は、倒れている優生を足で踏んづけたり蹴っ飛ばしたり砂を掛けたりしていた。
 しかもそこに子鬼たちまでもが参戦しようと、手に青い火の玉を持ってじりじり近付いていっているではないか。
「玲夜、玲夜! 優生忘れてる!」
 玲夜の腕を叩いて、優生の身が危険なことを知らせる。
 が、玲夜は優生を一瞥しただけでふいっと視線を外し見なかったことにしたのだ。
「俺にはなにも見えていない」
「そんなわけないでしょう!? あの子たちを止めないとだし、あのままにしておけないよ!」
 玲夜はものすっごく嫌そうな顔をしてから、呼びかけた。
「お前たち、今はそれぐらいにしておけ。とりあえず連れて来い」
 今はという言葉が気になる。
 龍たちは不服そうな顔をしながらも、今は手を出すのを止めて、仰向けに倒れている優生の腕を子鬼がそれぞれ持って引きずって移動を始めた。
「えっ、あのまま運ぶの? 玲夜が運んでくれたり……」
「しない」
 ドきっぱりと否定された。
 柚子では優生を運ぶ力は持っていないので、ちゃんと運ぶなら男性の力を必要とするが、玲夜は優生に優しさをちょびっとでも見せる気はなさそうだ。
 ズルズルと音を立てて引きずられていく優生を、柚子は見ていることしかできなかった。
 時々、ゴンとかガコッとか、よくない音が頭からしているが、大丈夫だろうかとハラハラしながら見ている。
 優生を運ぶ子鬼も作り主と同様、優しさを見せる気はなさそうで、運んでやるだけありがたく思えと言わんばかりの雑な扱いである。
 そうして、なんとか本家の家まで帰ってくることができたのだが、優生の後遺症が心配であった。

 本家の屋敷に帰ってくると、沙良の笑顔で出迎えられた。
「お疲れ様」
「本当に疲れたよぉ~」
 千夜は甘えるように沙良に抱き付いた。
 沙良は笑みを浮かべたまま千夜を受け入れ、よしよしと頭を撫でている。
 仲のいいふたりを見て、柚子もようやく気が抜けた気がした。
「あらあら、大変だったみたいね~。でも、その様子だと上手くいったみたいでよかったわ」
「予定通りいったよ。おかげでお腹ペコペコだよ」
「軽食の準備はしておいたから皆で食べましょう。あっ、そうそう、柚子ちゃん」
「はい」
「さっき連絡があって、お友達の透子ちゃん、さっき目が覚めたみたいよ」
「本当ですか!?」
「ええ。明日にでもお見舞いに行ってくるといいわ」
「そうします」
 透子の目が覚めた。
 その報告は柚子をなにより喜ばせた。
 優生の中にあった男の思念が祓われたことで、透子にあった黒いもやも共に消えていったのだろう。
 本当によかったと安堵すると共に、サクへの感謝の思いが浮かんでくる。
 本当は今すぐにでも様子を見に行きたいところだが、今はもう夜中で、お見舞いに行くような時間ではない。
 はやる気持ちを押し殺し、今は喜びだけを噛みしめることにした。
「さあさあ、柚子ちゃんも上がってちょうだい」
「はい」
「あーい!」
「あいあい!」
 子鬼の声に振り返ると、子鬼がここまで運んできた……引きずってきた優生の上で飛び跳ねていた。
「あっ」
 優生の存在を思い出した柚子は、ここまでして起きない優生に本当に大丈夫かと心配になってくる。
 そんな優生をわざわざ踏みつけて、まろとみるくも部屋の中に入っていく。
 別に踏みつけずとも入っていけるだろうに。
 なんとも皆の優生への扱いがひどい。
 いや、確かにあれだけ迷惑を被ったのだから全員の苛立ちは柚子もよく分かるのだが、あれはあくまで優生の中で眠っていた前世の残りカス……ストーカー男の粘着質な記憶がそうさせただけであって、優生自身の意思で動いたわけではないのだが、問題の男はサクによって祓われた。
 その恨み辛みが優生に向かっているのかもしれない。
 簡単に言うと、八つ当たりである。
 玲夜も助ける様子はなく、千夜も屋敷の使用人に「どっか空いてる物置部屋にでも捨てといて~」などと言っていて、なにげに千夜が一番ひどい。ゴミ扱いである。
 しかし、柚子もそれを庇おうとしないのだから、柚子も同類かもしれない。
 ここまでの道のりで薄汚れた優生が、使用人たちによって再び引きずられていくのをなんとも言えない気持ちで見送った。
「柚子、行くぞ」
「はーい」
 優生のことは頭の隅に追いやり、柚子は玲夜の後に付いていく。
 そこからはお祝いだと言わんばかりのどんちゃん騒ぎが起こり、柚子も千夜と沙良にお酒を勧められしこたま飲まされることとなった。
 そして気が付いたら、朝になっていた。
 しかもなぜか玲夜に抱き込まれている。
「なぜに?」
 起き上がろうにも、身動きをする度にぎゅうぎゅうと抱きしめる玲夜の腕に力が入り、柚子はがっしりと捕獲される。
 気分はコアラに抱き付かれている木の気分だ。
「玲夜?」
 呼びかけるも玲夜は起きず、その寝顔をまじまじと見つめた。
 なんとまあ、綺麗な寝顔である。
 さすがあやかしの中で最も美しいと言われる鬼。
 美人は三日で飽きると言うが、玲夜の場合は三日経とうが三年経とうが飽きるどころか毎日見ていても見蕩れてしまう。
 と言うか、玲夜の寝顔を見たのは初めてかもしれないと柚子は気付いた。
 なにせ、結婚の約束をして、なおかつひとつ屋根の下に住んでいるというのに、寝る部屋は未だに別々なのである。
 結婚したら寝室は一緒になるのだろうか。
 そうしたら毎日玲夜と一緒に寝ることになる。
 耐えられるか……?
 いや、色んな意味で耐えられないかもしれない。
「透子はどうしてるんだろ?」
 一応別々に個人の部屋はあるようだが、一緒に寝ているのかまでは柚子も知らない。
「なにがだ?」
「寝室はどうしてるのかなって……」
 答えてからようやく返事があったことに気付いて玲夜を見ると、ぱっちりと目を開けて間近で柚子を見ていた。
 とたんに顔に熱が集まる。
「お、起きてたの?」
「今起きた。それで、寝室がどうした?」
「いえ、なんでもないです……」
 視線をそらした柚子に玲夜は目を細めて、柚子の顔を自分の方へ向かせる。
「言ってみろ」
 藪から蛇が出てきそうな気がして言いづらいのだが……。
「なんでも話し合うんじゃなかったのか?」
 そう言われては柚子も弱い。
 なにせ自分が言いだしっぺなのだから。
「うぅ……。別にたいしたことじゃないけど、なんで玲夜と一緒に寝てるのかなって」
「昨日酒に酔っぱらって、寝たまま俺に抱き付いて離れなかったからそのまま一緒に寝たんだ」
「そ、それはご迷惑おかけしました……」
 まさか自分のせいとは思うまい。
「で? その続きはなんだ?」
「いや、玲夜と一緒に寝たのは初めてだなぁと思って。結婚したら寝室とかどうするのかなぁと」
「当然一緒にするに決まってるだろ。俺は今すぐにでも問題ない」
「えっと、それは……」
「俺と一緒は嫌なのか?」
「えっ? いや、別に嫌なわけじゃないけど……」
 どことなく寂しそうな顔をした玲夜を見たら嫌だとは言えなかった。
 まあ、本当に嫌なわけではない。
 心臓が持つかの心配なだけだ。
「そうか。なら、帰ったらすぐに柚子の部屋のベッドは撤去して寝室を一緒にするぞ」
「えっ、すぐ!?」
「嫌ではないのだろう?」
 ニヤリと意地悪く笑う玲夜に、なにか罠にはめられた気がした。
 なんとなく悔しい。
「寝相悪くても文句言わないでね」
「そうしたら、こんなふうに抱きしめていれば問題ない」
 そう言って、ぎゅっと柚子を腕の中に包み込んだ。