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 人が寝静まる深夜。
 まん丸の月が空で輝き、月の光に照らされて狂い咲きの桜は今日も美しく咲き誇っている。
 そんな桜の木の下で、白銀の龍は本来の姿に戻り、沈んだ表情で佇んでいた。
『サク……』
 ぽつりと名を呼ぶ。
 もういない彼女の名を。
「アオーン」
「にゃん」
 ゆっくりと振り返った龍に、二匹の猫が姿を見せる。
『お前たちも来たのか』
 なぜ来たのか。どうやって来たのか。
 それをあえて問うようなことはしない。
 それは彼ら霊獣にとったらまったく意味のないことだからだ。
「アオーン」
 二匹の猫は龍の隣にちょこんと座り、まろはなにかを訴えるように鳴き声を上げる。
 その意味を龍は理解していた。
『そうだ。あの者が現れた。サクを死に追いやったあの男が」
 龍は今にも吹き出しそうな怒りを抑えて答えた。そして、問う。
「お前たちは知っていたのか?』
「にゃーん」
 みるくはこてんと首を傾げる。
『そうか、知らなかったか。まあ、当然か。知っていたらお前たちも放置はしていなかっただろう』
「アオーン?」
『どうするかだと? 我にも分からぬ。だが、柚子に近付けさせるわけにはいかない。あの子には今度こそ幸せになってもらいたいのだ』
「アオーン」
「にゃーん」
 まろとみるくは、龍の言葉に同調するように鳴いた。
 その時、三匹が一斉に振り返る。
「やあやあ、随分と珍しい面子だね。いや、それがあるべき姿なのかな?」
 にこやかな笑みを浮かべてその場に立ち入って来たのは、鬼龍院の当主、千夜。
『よく我らがいるのに気が付いたな』
「そりゃあね。これでもあやかしの当主ですから」
 得意げにドヤ顔をする千夜は、次の瞬間には真面目な表情に変わった。
「君たちは、“なに”を知っているんだい?」
『“なに”とは、随分と漠然とした問いかけだな』
「確かにそうだね。けれど僕にもなにが起こっているのか分からないんだ。それは仕方がないよ」
 千夜はゆっくりと歩みを進め、桜の木の下まで来ると、そっと木に触れた。
 そして、静かに問いかける。
「あの男とはだれだい?」
『…………』
 龍は言葉を詰まらせた。
 けれど、無言で居続けることを許す千夜ではなかった。
「君の言うあの男というのが、柚子ちゃんに害を与えるというなら、鬼の当主としても、玲夜君の父親としても見過ごすことはできないんだよ」
 今日の千夜はいつもと違う。
 おちゃらけた空気など一切なく、恐いほどにその目は真剣だった。
「アオーン」
 まるで促すようにまろは鳴いた。
 どこまでも見通すかのような黒い目で龍を見る。
 龍はその眼差しを受けて、深く溜息を吐いた。
 そして、ここではないどこかを見るように桜を見上げる。
『因果は巡る。いい縁も悪い縁も簡単には絶ち切れるものではないのだ』
「どういう意味かな?」
 千夜にはそれだけでは意味は分からなかった。
『そなたはおかしいと思ったことはないか? なぜ霊獣である猫が柚子の前に現れたのか。なぜ我が柚子を加護するのか』
「ああ、そうだね。とても興味はあるよ。たまたま拾った猫が霊獣だなんて偶然を偶然と信じるほど僕は純粋ではないからね。普通の女の子のはずの柚子ちゃんに龍が加護を与えていることにも違和感がある。加護とはそんな簡単に与えられるものではない。それなのに、まるで当然のように君たちは柚子ちゃんのそばにいる。霊獣が三体もだ。あり得ないことだよ」
『そうであろうな』
 くくっと龍は喉を震わせて笑った。
「その昔、最初の花嫁のそばには猫が二匹いたと伝えられている。これは果たして偶然なのか、ずっと考えていたよ」
『偶然でないと言ったらどうする?』
 にぃっと口角を上げて龍は千夜を見据える。
 千夜はその眉間に皺を寄せた。
「僕は言葉遊びをするのは好きだけど、されるのは好きではないんだよねぇ」
 龍はくくくっと笑い、まろとみるくに視線を落とす。
『そなたの言う通りだ。サクには我以外に二匹の猫がそばにいた。我と同じ霊獣であったこの者たちがな』
「同じだと言うのかい? この猫たちが、最初の花嫁のそばにいた猫たちだと」
『その通りだ』
 肯定するように、まろとみるくはそれぞれ鳴き声を上げた。
「アオン」
「ミャーン」
「……なぜ、と聞いてもいいのかな?」
『言わねば納得しないのであろう?』
「そうだね」
『ただし、他言無用だ』
 千夜はこくりと頷いた。
『……先程も言ったな。いい縁も悪い縁も簡単には断ち切れぬと』
「言っていたね。因果は巡るとも」
『そうだ。柚子は……最初の花嫁、サクの生まれ変わりだ』
 千夜は目を見張った。
 驚きはしたが、それを素直に受け止めはしなかった。
「それが真実だという証拠は? そんなこと、分かるものなのかい?」
『我らには分かる。霊獣はあやかしよりも神に近い存在。その魂を見るのだ。決して間違えたりはせぬ』
「アオーン」
 まろは、まるで、そうだと言っているようだった。
『猫たちは探して探して、そしてようやく見つけたのだ。サクと魂を同じくする者を。サクの生まれ変わりを。そしてそれを我にも伝えてきた。だから我は、我らは柚子のそばにいる。遠い昔より続く悪縁から柚子を助けたい。そのために……』
「悪縁?」
『サクが夫となる鬼から離され、死の原因となった男がいる。その男はひどくサクに執着していた。我の加護を無理やりにサクから引き剥がしたのもその男だ。強い霊力を持っておってな、それが唯一可能な男だった。我らにとって憎い憎い敵だ』
 我らとは龍と、そして猫たちにとってということだろう。
『そもそも無理やり加護を引き剥がすなどなんの代償もなくできることではない。その代償はサクがその身で支払うこととなったのだ。サクは寿命のほとんどをその時に失った』
「その男はなぜそんなことを? 執着していたのに?」
『だからだ。サクは鬼を深く愛していた。人とあやかしの垣根を越えて、なによりも愛していた。そのことが、あの男は許せなかったのだ。愛する鬼から引き離し、サクの尊厳を奪い、自分のものとしようとしたが、それでもサクは鬼を愛した。それが我慢ならなかった男は、再びサクが鬼の元へ行くのを恐れ、加護を引き剥がしたのだ。サクが受けるだろう代償を知りながら』
「君の加護を奪ったのは、一龍斎の繁栄のためではなかったのかい?」
『もちろん、それもあった。ただ、一龍斎の一族とその男の利害が一致したというだけだ。一族の繁栄のことがなくても、男は同じことをしたであろうな。鬼にサクを渡さぬために』
 龍はなにかを耐えるように一度目を瞑ってから、再び目を開ける。
『サクが捕らわれた後、我と猫たちと鬼の力でなんとか逃がすことはできた。我はサクの最後にいることはできなかったが、祈っておったよ。サクがあの男に邪魔されることなく愛する者の近くで安らかに眠ることを』
 そう言って、悲しそうに桜の木の下を見つめた。
 最初の花嫁が眠るというその場所を。
『柚子に出会えた時は嬉しかった。ようやく鬼のそばで安寧を得られたのだと。……それなのに、やはり因縁は断ち切られてはいなかった。あの男がまさかいるとはな』
「あの男というのは、最初の花嫁に執着していた男かい? だが、それは遠い昔の話だろう?」
『生まれ変わっておったのだ、あの男も!』
 激しい感情を荒ぶらせるような声。
 龍は自分を落ち着かせるように、息を吐いた。
『あの男も柚子のように生まれ変わり、柚子の前に現れた。最悪なことに、きっとあやつは前世を覚えている。一時の邂逅でも分かった。あの男から感じる柚子への執着心は』
「それは柚子ちゃんのはとこだっていう子のことを言ってるのかな?」
 柚子が優生と諍いがあったことは、当主である千夜の耳にも入っている。
 龍からこれだけのヒントがあれば、当然のように結びつけることができた。
『そうだ。あやつは必ず柚子を狙ってくるだろう。我らはあれとの悪縁を断ち切りたいのだ。だが、記憶と共に霊力も保持しているようだ。しかも、最悪なことに力が変質しておる。とても邪悪で負の塊のような力に。奴の心を具現化したような醜悪さを感じた。昔の時のようなへまはせぬが、慎重に動かねばならぬ』
「アオーン」
「にゃうん」
 三体の霊獣は決意を固めるようにその眼差しを強くする。
 そして、千夜は少し考え込む素振りをした後に問いかけた。
「柚子ちゃんが最初の花嫁の生まれ変わりってことはさ、玲夜君もそうなのかな?」
 最初の花嫁、サクの生まれ変わりということは、その夫であった鬼も生まれ変わっているのだろうか。
 それとも、その時の鬼とはまったく違う別人が柚子を花嫁として選んだのか。
 玲夜の親である千夜には少し気になった。
『それは知る必要があることか? 柚子は今幸せにしている。お前の息子のそばで笑い怒り泣いて、あの者を心から愛している』
 一瞬目を見張った千夜は、次に優しい笑みを浮かべた。
「確かにそうだね。前世なんて関係ない。柚子ちゃんは柚子ちゃんで、玲夜君は玲夜君だ」
『そういうことだ。だからこのことも決して柚子に言うでないぞ。お前の息子にもだ。なにも知らないのなら知らずにいた方がいいこともある』
「分かったよ」
 そして、千夜は急に両手をパチンと音を立てて合わせた。
「じゃあ、まあ、とりあえずはそのはとこ君をどうにかすることを考えないとね~」
 それまでの真剣な表情はどこへやら。
 千夜はいつと通りののほほんとした空気でへらりと笑っている。
『あちらの動きが分からぬことにはどうしようもできぬ』
「それなら、はとこ君の監視を増やしたおこうか。なにかあったらすぐに動けるように」
『そうだな。それは助かる。我は常に柚子のそばにいるようにしよう』
「ふふふっ。柚子ちゃんを守り隊の結成だね」
 桜が舞い散る中、柚子と玲夜の知らぬ間に静かにことは動き始めていた。