時間を遡ったのかもしれない、という仮定は、生活を重ねるにつれて確信になっていった。僕の記憶にある出来事が、それこそデジャヴのように立て続けに起こったからだ。

「小テストを返すぞ。今回は石倉が、なんということか百点を取った。どんな勉強法使ったのか、俺が教えてほしいくらいだ」
「僕には予知能力があって、先生がどの問題を出すかわかってたんで」
「はいはい。エスパー石倉の誕生だな」

 担任と僕のやりとりに、教室内がドッと沸く。
予知能力があるというのは嘘だけど、後半は本当だ。だって僕にとっては二度目の同じテストだったのだから。

「先生、今日の体育は絶対に体育館にした方がいいと思う」
「なんだ石倉、この快晴に日を浴びたくないとでもいうのか?」
「このあと、すっごいスコールが来るんですよ。雨の匂いがするんで」
「ははは。いつから鼻効きの気象予報士になったんだ? 残念ながら今日の天気は快晴。降水確率はゼロパーセントだぞ」

 体育教師は僕の言葉を笑い飛ばして、予定通り校庭でサッカーが行われることとなった。
 もちろんミニゲームの途中で雨雲が襲来。僕らはびしょ濡れとなった。
その後しばらく、石倉葉には犬並みの嗅覚が備わっていると噂になった。

 だけど、一度目の記憶と異なることもあった。
 例えば、戸塚ちゃんが僕らのバイト先を男と訪れた日、胡桃が姿を現すことはなかった。
 進路ガイダンスのあともそうだ。胡桃が読んでいたのは石の本ではなく莉桜から借りた恋愛小説で、僕はおばあちゃんの話を聞くことなく、そして自分の話を打ち明けることもなくただ帰路についたのである。

 確かに僕は、一度過ごした日々をもう一度なぞっている。しかし、その全てが同じというわけではないのだろう。言動一つ違うだけで、結果も変わる。僕だって自分の行動をひとつひとつ覚えているわけではないから、自然と前回とは異なる流れもできて当然。
 その中で、必ず防がなければならないことを抑えていれば、問題はないだろう。



「あ、戸塚ちゃんだ」
「ふうん」

 昼休み、誰もいない図書室はクーラーが効いていてとても快適だ。どうしてこんな場所に僕と拓実のふたりがいるかというと、高野さんから力仕事を頼まれたから。

 僕が一度ここを訪れて以来、僕ら四人はなにかと図書室に立ち寄ったり、高野さんからこうして雑用を頼まれたりすることが増えた。高野さんは学校の職員ではあったものの、この人の作り出す空気感に僕らは居心地の良さを感じていたのだと思う。

「葉って、戸塚と知り合いだったっけ」

 だいぶ年季の入った時点を発行年数ごとに並べる拓実の言葉に、僕はびくりと肩を揺らす。

「ああ、えっとほら、そう! コンビニに来たじゃん。あのあと学校で顔を合わせて、それから話すようになって」

 時間を遡った僕は、のちに拓実の恋人となる戸塚ちゃんの素性を調べることにした。とは言っても探偵でもなんでもないので、本人に接触したり周りの評判を聞いたりするくらいのものだけれど。
 しかしその結果、僕は大きな真実を掴むことに成功した。それは──。

「今日もまた、違うやつと昼飯食べてるね」

 清純そうな見た目とは反対に、戸塚ちゃんが男関係が派手だという確固たる証拠だ。

「あのときコンビニに来た相手も、結局恋人じゃなかったんだよな」

 莉桜の言う通りだった。これは戸塚ちゃん本人にも確認したから、間違いない。そして実際、彼女は見かけるたびに違う男を連れていたのである。

 あるときには好青年風のイケメン、あるときには金髪のホスト風、またあるときには筋肉隆々の角刈りスポーツマン……と守備範囲も広い。さらには僕にまで「葉せんぱぁい」と語尾にハートマークをつけてくれる丁寧さ。

「葉は、戸塚のことどう思う?」

 不意に飛んできた質問に、僕は面食らってしまう。しかし、拓実の視線は窓の向こうへと向けられたままだ。

「……かわいいと思うし、もてるだろうなぁと思う。だけど、恋人にしたら心配事が絶えないだろうとも思う」

 戸塚ちゃんは、悪い子ではないのかもしれない。だけど、今の状況を見ている限り、やっぱり拓実がそこに巻き込まれるのを放っておける気はしなかった。

「だよなぁ。俺もそう思う」

 しかしそこで拓実が眉を下げて笑ったので、僕はほっと心の緊張を解いた。

 案の定と言うべきか、女子からの戸塚ちゃんの評判はそれはひどいものだった。彼氏をたぶらかされただとか、そういった修羅場もたびたび起こっていたらしい。
 あのまま付き合っていたら、いつか拓実も傷つくことになっていただろう。そして戸塚ちゃんも、どこかで莉桜の存在を意識してつらくなっていたかもしれない。

「戸塚ちゃんに告白されたら、どうする?」

 二度目のこの夏、そんなことはきっと起こらない。意外なことに、戸塚ちゃんは拓実のことを恋愛対象として見ていないということを、先日彼女の口から聞いたばかりだからだ。
 てっきり戸塚ちゃんが拓実に言い寄ったのだと思っていたが、僕の言動により過去の事実は変わったのだろう。それでも念のため、拓実の気持ちを確認しておきたかった。

「ないだろ。俺のこと、そういう風に見てないし」
「万が一、そういうことが起きたら!ってことだよ」

 拓実は訝し気に眉を潜めて、呆れたようにため息をついた。手元の古い書物を、紐でぐるりと巻いて、きゅっと結ぶ。こういう細かい作業も、拓実は難なくやってのける。手先まで器用なのだ。

「起こりもしないこと考えたって、仕方ないじゃん。そんなことより、今年はどうすんの?」

 同じように力を入れて巻いてみるも、僕の手元のひもはゆるりとたゆんでしまう。
 どうやら拓実はこれ以上、戸塚ちゃんの話をするつもりはないみたいだ。

「どうすんの、ってなに? あー、僕本当これ苦手なんだよな。ちょうちょ結びなんてできない」

 もう一度最初からやり直してみる。数冊束ねた本の角を合わせて、そこをぎゅっと押さえて紐をかけて。

「だから、夏祭りだよ」

 拓実の声に、僕の手はぴたりと止まった。

 脳裏に浮かぶのは、前回の夏に「俺、パス」と即答した拓実の顔。ゆっくりと拓実を見れば、彼は当然のことを話しているかのような表情で僕を見返す。

「夏祭り、行くだろ? 四人で」

 力が抜けたせいだろう。ぴんと張っていた紐が、しゅるりと指の間を滑り落ちていった。