うまくいかないときは多々あった。
悠の歯が月齢に達していても、なかなか生えてこなかったとき。私の頭痛がひどいのに悠がぐずっていて、そんなときに柊夜さんの帰りが遅いとき。くだらないことで柊夜さんが私を悪者にしてケンカになったとき。
そんなときはいつも、『柊夜さんのせいだ』と心の中で決めつけてしまう。
今だって、柊夜さんが雛の能力を否定したからこうなった。
私が妊娠した当初、上司である柊夜さんに騙されて孕まされたのだとしていた。形としてはそうなっていた。
卑怯にも私は問題が起こると、すべての原因を作った柊夜さんを密かに責めているのだ。
そして、“交際していなかったから”“結婚式をしていなかったから”というコンプレックスへ辿り着き、そこから抜けだせなくなる。
でもそれが、私の勝手な言い分だとわかってもいた。
私たちは想いを通じ合わせて、悠を無事に出産することができたのだ。それ以上の幸福なんてあるだろうか。
柊夜さんにはとても感謝している。おひとりさまだった私に彼が声をかけてくれなければ、きっと私は生涯孤独な人生を送っただろう。
そう思っているはずなのに、過程を投げ捨て、事の始まりを作った柊夜さんにすべての責任があるかのように恨んでしまう自分の卑しさが情けない。
寝室に立ち尽くした私は、あふれる涙を流し続けた。
雛に特別な能力がなく、ただのコマドリだと指摘されて、それを私の出自と重ね合わせてしまったのかもしれない。だから私のことを否定されたような気になった。そんなことは私の勝手な思い込みなのに。
気がつくと、悠の泣き声はやんでいた。柊夜さんがミルクを飲ませて寝かしつけたようだ。
ややあって、静かに扉が開かれる。
「休んでいなかったのか。悠はリビングに寝かせた。あとでこちらに連れてこよう」
「柊夜さん……私って、だめな母親ですね……」
「そんなことはない。きみはよくやってくれている。悠とふたりきりでいる時間も長いから、育児で疲れているだろう。明日は土曜で会社も保育園も休みだ。ゆっくり休暇を取るといい。俺と悠は、あの雛を親元に帰してくる」
ポケットからハンカチを取りだした柊夜さんは、泣いている悠にそうするように、私の顔を拭った。
なんの匂いもしない無地のハンカチは、初めて私たちが体を重ねた夜に借りたハンカチだった。
「雛を、巣に戻せますか……?」
「親らしきコマドリが顔を見せたんだろう? 子は親元に帰すべきだ。雛の体力も回復したようだし、明日には巣に戻れる」
「そうですね。悠は……あの子を救ったということですよね」
「ああ、そうだ。命を救うという、とても尊い行いを彼はしたんだ。明日は悠の手で、雛を帰してあげよう」
柊夜さんと交わす言葉のひとつひとつが、絆となっていく。
私は悠の将来を憂えたけれど、悪いことばかりではないのだ。彼が成長する過程で、丁寧に教えていけばいいのだと、柊夜さんと落ち着いて話すことにより認識できた。
「柊夜さん、ごめんなさい……」
謝罪すると、彼は眉をひそめた。
「なぜ謝るんだ? 謝るより、『愛している』と言ってくれ」
「……今は謝りたい気分だったんです」
また、愛していると言わせるための無限ループに陥ってしまいそうなので、身を寄せてくる柊夜さんの強靱な胸に手をつく。
そんなささやかな抵抗などものともせず、私の旦那様は精悍な顔を傾けると、唇を重ね合わせた。
翌日、私たちは雛を保護した林へ向かった。
柊夜さんは私を休ませるため、悠とふたりで行くと言っていたけれど、私も同行することにした。
一晩とはいえ面倒を見た雛が、無事に巣に戻るところを見届けたい。それになにより、家族と一緒にいたかったから。
河原沿いの遊歩道は晩秋にもかかわらず温かな陽射しが降り注ぎ、ぽかぽかして心地よい。寒くないようにと、悠に厚手のベストを着せたけれど、あとで暑がってしまうかも。
柊夜さんの押しているベビーカーを覗くと、悠は雛の入った巣箱をしっかりと抱えていた。
すっかり元気になった雛は朝から鳴いていたので、もしかすると早く巣に帰りたいのかもしれない。
「あそこです。あの木の上に巣があるのを見たんです」
私が林の一角を指し示すと、雛は同意するように「ピィ」と鳴いた。
すると、その鳴き声に呼ばれた一羽のコマドリが、木々の隙間から顔を見せる。
昨日と同じ鳥だ。あのコマドリが、この子の親だろう。
きっと落下した雛を私たちが触れたので、どうすることもできずに困っていたのではないだろうか。
「あのコマドリだわ。雛が心配になって、出てきてくれたんですよ」
はしゃいだ声をあげた私は樹木へ近づいた。
柊夜さんはベビーカーをとめると、悠とともに巣箱を取りだす。
仁王立ちになった悠は奮起するかのように木の上を見上げて、小さなてのひらに乗せた雛を捧げた。
悠の歯が月齢に達していても、なかなか生えてこなかったとき。私の頭痛がひどいのに悠がぐずっていて、そんなときに柊夜さんの帰りが遅いとき。くだらないことで柊夜さんが私を悪者にしてケンカになったとき。
そんなときはいつも、『柊夜さんのせいだ』と心の中で決めつけてしまう。
今だって、柊夜さんが雛の能力を否定したからこうなった。
私が妊娠した当初、上司である柊夜さんに騙されて孕まされたのだとしていた。形としてはそうなっていた。
卑怯にも私は問題が起こると、すべての原因を作った柊夜さんを密かに責めているのだ。
そして、“交際していなかったから”“結婚式をしていなかったから”というコンプレックスへ辿り着き、そこから抜けだせなくなる。
でもそれが、私の勝手な言い分だとわかってもいた。
私たちは想いを通じ合わせて、悠を無事に出産することができたのだ。それ以上の幸福なんてあるだろうか。
柊夜さんにはとても感謝している。おひとりさまだった私に彼が声をかけてくれなければ、きっと私は生涯孤独な人生を送っただろう。
そう思っているはずなのに、過程を投げ捨て、事の始まりを作った柊夜さんにすべての責任があるかのように恨んでしまう自分の卑しさが情けない。
寝室に立ち尽くした私は、あふれる涙を流し続けた。
雛に特別な能力がなく、ただのコマドリだと指摘されて、それを私の出自と重ね合わせてしまったのかもしれない。だから私のことを否定されたような気になった。そんなことは私の勝手な思い込みなのに。
気がつくと、悠の泣き声はやんでいた。柊夜さんがミルクを飲ませて寝かしつけたようだ。
ややあって、静かに扉が開かれる。
「休んでいなかったのか。悠はリビングに寝かせた。あとでこちらに連れてこよう」
「柊夜さん……私って、だめな母親ですね……」
「そんなことはない。きみはよくやってくれている。悠とふたりきりでいる時間も長いから、育児で疲れているだろう。明日は土曜で会社も保育園も休みだ。ゆっくり休暇を取るといい。俺と悠は、あの雛を親元に帰してくる」
ポケットからハンカチを取りだした柊夜さんは、泣いている悠にそうするように、私の顔を拭った。
なんの匂いもしない無地のハンカチは、初めて私たちが体を重ねた夜に借りたハンカチだった。
「雛を、巣に戻せますか……?」
「親らしきコマドリが顔を見せたんだろう? 子は親元に帰すべきだ。雛の体力も回復したようだし、明日には巣に戻れる」
「そうですね。悠は……あの子を救ったということですよね」
「ああ、そうだ。命を救うという、とても尊い行いを彼はしたんだ。明日は悠の手で、雛を帰してあげよう」
柊夜さんと交わす言葉のひとつひとつが、絆となっていく。
私は悠の将来を憂えたけれど、悪いことばかりではないのだ。彼が成長する過程で、丁寧に教えていけばいいのだと、柊夜さんと落ち着いて話すことにより認識できた。
「柊夜さん、ごめんなさい……」
謝罪すると、彼は眉をひそめた。
「なぜ謝るんだ? 謝るより、『愛している』と言ってくれ」
「……今は謝りたい気分だったんです」
また、愛していると言わせるための無限ループに陥ってしまいそうなので、身を寄せてくる柊夜さんの強靱な胸に手をつく。
そんなささやかな抵抗などものともせず、私の旦那様は精悍な顔を傾けると、唇を重ね合わせた。
翌日、私たちは雛を保護した林へ向かった。
柊夜さんは私を休ませるため、悠とふたりで行くと言っていたけれど、私も同行することにした。
一晩とはいえ面倒を見た雛が、無事に巣に戻るところを見届けたい。それになにより、家族と一緒にいたかったから。
河原沿いの遊歩道は晩秋にもかかわらず温かな陽射しが降り注ぎ、ぽかぽかして心地よい。寒くないようにと、悠に厚手のベストを着せたけれど、あとで暑がってしまうかも。
柊夜さんの押しているベビーカーを覗くと、悠は雛の入った巣箱をしっかりと抱えていた。
すっかり元気になった雛は朝から鳴いていたので、もしかすると早く巣に帰りたいのかもしれない。
「あそこです。あの木の上に巣があるのを見たんです」
私が林の一角を指し示すと、雛は同意するように「ピィ」と鳴いた。
すると、その鳴き声に呼ばれた一羽のコマドリが、木々の隙間から顔を見せる。
昨日と同じ鳥だ。あのコマドリが、この子の親だろう。
きっと落下した雛を私たちが触れたので、どうすることもできずに困っていたのではないだろうか。
「あのコマドリだわ。雛が心配になって、出てきてくれたんですよ」
はしゃいだ声をあげた私は樹木へ近づいた。
柊夜さんはベビーカーをとめると、悠とともに巣箱を取りだす。
仁王立ちになった悠は奮起するかのように木の上を見上げて、小さなてのひらに乗せた雛を捧げた。