僕たちは「青春」を追いかける。


「だったらどうして他の場所行こうとするんだろう。それってやっぱり私と一緒にいたくないからだよね?」

「それは…」


言葉に詰まって口ごもっていると、


「あー、やっぱり私のこと嫌いなんだ!」


後ろからそんな声が聞こえて、僕の身体に突き刺さった。


瞬間、僕の心が叫びたがって──


「三日月さんのことそんなに嫌いじゃない!」


振り向いて、言ってしまった僕。


心の中の鍵が緩んでしまっているのかもしれない。


しまった、そう思っても時すでに遅くて。

誤魔化しても仕方ないし、全部言ってしまえ。


「だから、その、嫌いじゃない」

「私のこと?」

「……うん」


恥ずかしかった。

でも、なぜか誤解されたくないと思った。


今までの僕なら、誤解を解こうと思わなかったのに。

素直になることが、こんなに勇気がいるものなんだと思った。


だけど、まるで僕が告白したみたいになって、


「でも、好きでもないから」


途端に焦った僕は、言葉を付け足して顔を逸らした。


「嫌いじゃないけど好きでもない?」

「……うん」


僕は、一体何が言いたかったんだ。

そんなふうに思って、言わなければよかったなと後悔していると、そっか、と声が落ちてくる。

「嫌われてないって知れて嬉しいな」


そう告げられて、え、と困惑した声をもらしながら、おそるおそる顔をあげると、優しく微笑んでいる三日月さん。


「だって今までの向葵くんは私のこと嫌い苦手だってオーラが伝わってきてたし、青春するってのも無理やりだったから、向葵くんの本心が見えなかったの」


でもね、と続けると、


「今みたいに本心をぶつけてもらえて、向葵くんの心の中が少しだけど見えた気がしたの。だから私、すごく嬉しい」


柔らかい声色で、そう告げられた。


なんだ、この状況。全然よく分からない。

人に向かって嫌いじゃないって言っただけなのに、まるで“好き”だと言ってしまったようで羞恥心が僕を襲う。


「向葵くん、ありがとう」

「い、いやべつに…」


なんでこんなことになったんだ?

僕はここに何をしに来たんだ?

ただ、お昼を食べようここに来たはずなのに、本来の目的も果たせぬまま、代わりに告白まがいなことを告げて。


僕自身も、大概おかしいやつみたいだ。


「それより向葵くんもこっち座って食べれば」

「え? いやー…」


さすがにさっきの言ったことが恥ずかしすぎて、できることなら遠慮したい。

「ほら、早く食べなきゃお昼終わっちゃうよ?」

「でも、また誰かに見られたら…」

「それは問題ないんじゃない?」


矢継ぎ早に現れた言葉に、え、と困惑した声をもらしていると。


「だってここからは向葵くんたちの教室から死角になってて見えないもん」


そう言って、校舎の方を指さすから、後ろへ顔を向けた。

そしたら確かに僕たちの教室ではなさそうだった。
この学校に通って二年目になるのに、そんなことにも気づかなかったなんて。


「ね、大丈夫でしょ? だから早くお昼食べたら?」


そう言われて、ポケットからスマホを取り出すと、確かに残された時間はわずかだった。

今から別の場所を探しても、落ち着いて食べる時間なんて確保できない。

どちらが正しい選択か、なんて考えなくても分かる。


だから僕は、渋々、彼女の隣に座って、袋の中からパンを取り出した。


「向葵くんはいつもパンなの?」

「普段は弁当だけど……」


今朝は、母さんが寝坊したからとかでリビングのテーブルに五〇〇円が置いてあった。


「三日月さん、お昼それだけ?」

「え? うん、そうだよー」


今、食べている小さなクリームパン一つしか買ってないみたいだった。


「いつもそれだけなの?」

「うん。私、元々少食だから」

「へぇ、そうなんだ」


女の子が食べる基準なんて聞いたこともなければ見たこともないから、三日月さんのそれが基準より上なのか下なのか分からない。

けれど、やたらと小さなクリームパンが気になる……。


「そんなにじーっと私のこと見てどうしたの?」


突然、僕の方へ向いた視線とぶつかった。

僕の瞳を真っ直ぐ見据える彼女の視線にどきっと緊張して、


「え?! あー、いや…」


言葉に詰まってしまう。


「もしかして私のこと気になっちゃった?」

「ばっ、バカじゃないの…っ!」


テンパるあまり声が上擦ってしまう。


「もうー、バカってひどいなぁ。今のはほんの少しのジョークでしょ、ジョーク」


おもしろおかしく僕の肩をポンポンッと叩きながらケラケラ笑うから、


「ちょ、邪魔…っ!」


鬱陶しくて手を払いのける。


「向葵くん、照れてる〜」

「うるさい!」

「それに意外とツンデレ〜」

「それやめろって…!」


僕が何度もやめろと注意をしても、楽しそうに僕をからかうことはやめなかった。


「こういう照れてる姿の向葵くんをもっと見てもらったら暗いなんてイメージも払拭できるのにねぇ〜」

「……そんなのべつに今さらどうだっていい」


払拭しようなんて思ってもいない。

それにみんなに本当の僕を知ってもらおうとも思っていない。


だって僕は、何千万という人よりも、たった一人僕のことを知ってくれてる人がいれば。

それだけで、いい。

「──私は、向葵くんのことちゃんと知ってるからね!」


突然告げられた言葉に、え、と驚いて顔を向けると。


「向葵くんのことを誰かが暗いとか影が薄いとか言ったとしても、私は本当の向葵くんのこと知ってるから。だからなんと言われようと、私は向葵くんの一番の理解者だから」


陽だまりのような言葉が落ちてきた。


心の中が温かくなった。

けれど、なんだか照れくさくて。


「……なに、言ってんの」


顔を逸らして、気を紛らわせると、僕の顔を見て「あ〜」と声をあげると。


「また向葵くん照れてる!」

「て、照れてないし…」


わざとそれを言葉にするのは、三日月さんが僕をからかっているから。

内心恥ずかしすぎた僕は、大きな口を開けてパンを頬張った。


顔、あっつ……。

なんで僕ばかりこんな目に遭うんだ。


“向葵くんのことを誰かが暗いとか影が薄いとか言ったとしても、私は本当の向葵くんのこと知ってるから。だからなんと言われようと、私は向葵くんの一番の理解者だから”


さっき三日月さんに言われた言葉を思い出す。

それは、僕の心の深いところに、じんわりと溶け込んだ。

その事実だけは、もう隠しようがなかった。



今日の体育は、男子はサッカーだった。

けれど、僕は団体スポーツが大の苦手だ。そもそも、運動が好きじゃない僕が、サッカーなんてできるはずがないんだ。

だから、わざわざボールを追いかけたりしない。

ただ、それらしく見えるように軽く走るだけ。

それ以上のことは何もしない。

名前のとおり影が薄い存在でいれば、僕にパスを回してくる人なんていない。


……はず、だったのに。


「おいっ、茅影行ったぞ!」


同じチームの藍原が、なぜか僕にパスを回した。


「えっ、ちょ……っ」


突然のことで戸惑った僕は、受け取ったボールをどうすればいいのか分からずに立ち止まっていると、


「おーい、こっちこっち!」


声が聞こえる方へ視線を向ければ、小武が僕に手をあげていた。

とにかく早くこのボールを誰かへ渡したかった僕は、無我夢中でボールを蹴る。

けれど、勢いが足りなかったそれは、小武の待つ場所まで届かなくて、割り込んで来た敵チームに奪われる。


「よし! 攻めろ攻めろ!」


踵を返して、猛スピードを上げる敵チーム。

……さいっあくだ。

僕は、呆然と立ち尽くす。


「茅影、止まってないで走れ!」


そんな僕の背中をポンッと叩いて、僕を追い抜いて行く小武に、なかば促されるように追いかけた。

「おーい、向こう行ったぞー!」


グラウンドには、声が響いた。

僕は、それをいつも聞いているだけだった。

それなのに、その輪の中に僕もいる。それが、とても不思議で違和感さえ感じている。


どうして藍原は、僕にパスを回したんだろう。

どうして小武は、僕の背中を叩いたんだろう。


団体戦であるサッカーは、嫌いだった。

みんなで一致団結して勝利を目指すなんて、僕には向いてなかった。

だから、身体を動かすスポーツだってできればサボりたかった。

今までは、影が薄いから存在に気づかれることなくて僕が、ピッチで立ち止まっていても手を抜いていても気づかれることはなかった。


けれど、今日は藍原が僕に気づいてパスを回した。

どうせ藍原の気まぐれだろう。そう思った。

僕をからかうための材料にでもしようとしているのかもしれない。

そんな卑屈なことばかり考えてしまう。


「よーし。向こう走れ走れ!」


僕のチームがまだボールを奪うと、ゴール向かって指をさす。
その瞬間、みんなが走り出しパスが回る。

僕も、それにつられるように見よう見まねで走った。

近くに誰もいないような場所で。僕に気づくな、と念じながら。

だって、僕はもう失敗したくなかった。失敗して、みんなに責められたくなかった。僕が何もしなければ、きっとうまくいくはずだから。

──ピピーッ

途中、笛が鳴った。


「前半後半交代なー」


ようやく休憩できる、とホッとして息を整えながら僕は急いでピッチを出た。

いつもより走った僕は、汗が滲む。

額を無造作に拭いながら、日陰に逃げ込んだ。


「茅影、おつかれ」


僕のそばにやって来る小武に、おつかれ、と小さく返事をすると、あっちー、と言って笑いながら、腕でおでこの汗を拭った小武。


あたりをキョロキョロ見渡すけれど、いつもそばにいるやつがいない。


「…あれ、藍原は?」

「あー、なんか次も出るんだって。バレないように」


ピッチへ指をさすと、藍原の姿が視界に映り込んだ。

なんでまた、そう思っていると、


「なんでも三日月さんにかっこいいところ見せたいんだと」


小武の言葉になるほどと納得をした僕は、へえ、と相槌を打った。

瞬間、さっきのピッチでの出来事を思い出す。


「……だからあんなに張り切ってたんだ」


思わず、ボソッと呟いた。

藍原が、僕にパスを回すなんておかしいなって思ってた。

だから小武の答えを聞いたとき、やっと疑問が解決した。


つまりそれは、“好きな子の前ではかっこつけたいもの”らしい。

僕には、全然理解できなかったけれど──。

* * *

休み時間に自販機に飲み物を買いに来たとき、どこからともなく聞こえてきた。


『三日月さんが倒れたらしい』


その声に、身体の動きがピタリと止まった。


えっ……三日月さんが、倒れた?

何かあったのかな……。


自販機の前で立ち止まって聞き耳を立てても、それ以上の情報は得られそうになくて。

そもそも僕が行ったところで何もしてあげられないし。第一、そんな仲でもない。


だから、僕が気にすることじゃない……

その、はずなのに。


変な動悸がするのは、なぜだろう。

僕は、気になって仕方なかった。


せっかくここまでジュースを買いに来たというのに、何も買わずじまいで踵を返すと、自販機の前から離れて行った僕。

そして、僕は走った。

彼女がいるはずの、保健室へ。