僕たちは「青春」を追いかける。


何が原因かなんてそんなの僕にも分からないけれど、


「…気づいたらそうなってた」

「なんで?」

「そんなの僕に聞かれても分からない」


喧嘩をしていたとかじゃないし。

ただ単に暗い僕の存在が鬱陶しいんじゃないのかな。


「じゃあ、藍原くんはもしかしたら向葵くんと仲良くなりたいのかもね!」


なんて唐突に告げるから、「…は?」思わず声がもれる。


藍原が僕と友達になりたい……?

いやいや、ツッコミどころ満載だろ。


「なんで、そーなるんだよ」

「だってさ、嫌な人ほど目につくって言うでしょ? でもそれって少しでも向葵くんのことを気になってるからだと思うの。だから藍原くんは、きっと友達になりたいんだと思うよ!」


まくし立てられた言葉のほとんどに理解できなかった。

だって、藍原から放たれるオーラは僕と友達になりたい、なんてものじゃない。

三日月さんに話すな、関わるなっていう嫉妬がほとんどで。


「……そんなわけないでしょ」

「どうして?」

「どうしても」


これ以上、藍原に睨まれるのだけは勘弁だった僕は、


「頼むから人前で、特に藍原の前で話しかけるのはやめて」


彼女に懇願した。


「なんで藍原くんだけはダメなの?」

さすがに人の気持ちを僕が勝手に教えるわけにはいかなくて、


「…とにかく頼むよ」


顔を逸らして、そう告げると。


「もうっ、分かったわよ。廊下で見かけても無視すればいいんでしょ!」

と、投げやりに承諾する。


「……うん」


──ずきっ

……は? 今のなんだ?

何に傷ついたんだよ、僕。


めんどうなことに巻き込まれたくないから仕方ないだろ。

だから、これでいいんだよ。


ていうか、一緒に帰ってる時点でまずいけれど、今日はあいにくの雨で傘をさしている。

だから、顔が見えない分まだマシだ。

それに藍原はバスケ部に所属しているから、放課後見られることはない。


「──あっ、雨上がってる」


おもむろに傘を下げた彼女が声を弾ませる。


「……ほんとだ」

「全然気づかなかったね!」


さっきまで不満そうな顔色を浮かべていたのに、すぐに切り替わっている表情。

僕みたいに引きずったりしてない。


記憶が、どんどん上書きされていくみたいに、三秒もすれば、あっという間に時間を刻む。

そんなふうにいつか三日月さんは、僕のことを忘れていくのかもしれない。


「雨降ってないのに傘さしてた私たち、なんか恥ずかしいね」

「まあでも、見られてなかっただけマシだよ」

偶然ここを人が通りかからなかったから命拾いした、なんて思いながら僕も傘を閉じていると、チリンっ、とわずかに鈴の音が鳴った気がして。

後ろを振り向くと、自転車が僕たちの方へ向かっていた。


だから咄嗟に、


「危ないっ」


彼女の手を引いて、僕の方へ引き寄せた。

えっ、困惑した彼女は、声をもらして僕を見上げた。

その瞬間、シャーっと自転車が通り抜ける。


なんとか間一髪だった。


「……大丈夫?」


声をかけるけれど、無反応。


「おーい」


もう一度声をかけると、ハッとして、


「なっ、なに?」

「大丈夫って聞いたんだけど」

「え? あ、ああ、うん! だ、大丈夫」


突然ぎこちなくなる態度。いつもの三日月さんじゃない。

もしかして今、僕が手を掴んだのが嫌だったのかな……。


「……ごめん」

「え? な、なんで向葵くんが謝るの?」

「手掴んだの嫌だったかな…と思って」


咄嗟に掴んでしまったけれど、もし逆の立場だったら当然困惑してたと思うし。


「そっ、そんなことないよ! だって私、自転車気づいてなかったし向葵くんが引っ張ってくれなかったら私、ぶつかってたかもしれないから…」


口早に告げられた言葉には、僕を嫌がっているようには見えなくて、

「なら、よかった」

「う、うん。ありがとう…」


小さな声で呟いた三日月さんの頬は、少しだけ赤く染まっているようで、それを見た僕も、伝染したように顔が熱くなる。


おまけに、右手がやたらと熱い。

振り返ってみても僕は、女の子と手を繋いだことがない。
唯一あるとすれば、中学生のときのフォークダンスくらいで、そのときでさえも女の子の手に添えるので精一杯だった。


あのときの、どきどきした感情に似てる。

たまらなく恥ずかしくなって、彼女から視線を逸らして少し上を仰ぐと。


「………あ」


目の前の光景を見て、思わず声がもれた。


「向葵くん? どうしたの」


困惑した彼女は、声をかける。

僕は、あれ、と目の前に指をさす。


「……うわー、すごい」


僕たちの目の前には、大きな虹が空に浮かんでいた。

空はまだ灰色がかっていたけれど、その隙間から夕陽の光が差し込んで、目の前に浮かぶ虹は、はっきりとくっきりと見えた。


「……すご」


思わず、口をついて出た。


「綺麗だね。なんか、心に刺さるなぁ」

「…うん」


しみじみと呟いた彼女に、同感した。


今までは、景色を見たりしても綺麗以上の言葉は思いつかなかったけれど、今は違う。

なにか、心打たれるものがあった。

「こんなこと滅多にないし写真撮っておこうかな」


おもむろにかばんの中からスマホを取り出すと、空へとかざした。


灰色の雲の隙間から覗く夕陽の光に照らされて、はっきりと浮かぶ雨上がりの虹。

綺麗な七色の光りを放っていた。


カシャっ、シャッター音が鳴ったあと、


「うん、いい感じ」


スマホを覗き込んで口元を緩めた彼女。


「あの、さ…」

「ん?」

「……あとで、僕にもそれ送って」


そのときの僕は何を思ったのか、気がついたらそう言っていた。


心が動くってこういうことか。
心が満たされるってこういうことか。

たった今、僕は、目の前の景色に心を奪われた。


「うん、分かった」


雨上がりの空は、七色の虹が光った。

それを僕はきっと、ずっと、覚えているだろう。


「おい」


休み時間に僕のところにやって来た藍原。

なんか最近こんなことばかり起こってる気がするけれど。

多分三日月さん絡みだろうな、と予想する。


「なに」

「あの本もう読み終わった?」

「……あの本?」


ピンとこなくて考えていると、ほらあれだよ、と机に片手をつくと、


「この間、三日月さんと話してただろ。あの文庫本だよ!」


そう告げられて、急速に記憶が手繰り寄せられて、ああ、と思い出した。

やっぱり、藍原が僕に話しかけてくるときは、決まって三日月さん絡み、だ。


「一応読み終わったけど…」


それを不満に思いながら返事をすると、


「じゃあ今貸して」

「え、今? でも…」

「だってそれ読み終わったんだろ? だったらべつに一日くらい借りてもいーだろ」


いやそれ、全部自分の都合じゃん。

僕の意見は完全無視。聞こえないフリ。

ていうか、あのときあの場所に藍原もいたなら分かると思うけど、


「その前に、三日月さんに貸す予定なんだけど…」


おそるおそる確認すると、知ってるっつーの、と軽く笑ったあと、


「だから先に俺に貸してくれって言ってるんだよ!」


知ってるのに先に借りる。

それに何のメリットがあるんだ?

……あっ、もしかして。

「三日月さんと本の内容について語り合うために……?」


思いついた答えを口に出してみると、ばっか!と机に両手をついて顔を真っ赤にさせたあと、


「いやっ、べつにそういうことじゃねぇし! 俺はたまには本読んでみてもいいかなーと思っただけであって……べつに下心ありきとかじゃねぇからな?!」


まくし立てられるように告げられた言葉の半分も頭に入らなかったけれど、最後の一文だけはしっかりインプットされた。

つまりあれだ。

三日月さんとお近づきになりたいがために、僕が借りていた文庫本を利用しようってわけだ。


「……ふーん」


あれだけ廊下で本ばっかり読んでる僕のことをバカにしてたくせに。


「なっ、なんだよ!」

「いやー、べつに」


目線を下げてフッと笑うと、おまえなぁ、とカァッと顔を赤く染めて恥ずかしそうにしながらも、僕の肩を掴んでくるから、


「……僕にそんなことしていいの? 藍原が今言ったこと全部僕言っちゃうかもしれないけど」

「お、脅しても無駄だぞ」


ふーん、そうなんだ。そっちがその気なら僕にだって手段はある。


「じゃあ、口が軽くて言っちゃうかもしれないけど、そのときは仕方ないよね?」


頬に手をついて口元に笑みを浮かべながら、そう言うと、くっそ、とボソッと呟いた藍原。


いつもとは立場が好転する。

だから、藍原の歪んだ表情がよく見える。


「……絶対、三日月さんには言うなよな」


と、小さな声で悔しそうに声を振り絞る。


けれど、今までの仕返しをしてやりたくなった。

僕だって、やられっぱなしじゃ悔しいから。


「ごめん、聞こえなかった」

「なっ、おまえ…!」


顔を赤面させたまま怒りをあらわにするけれど、そんなの僕は無視をした。


見下されたままなんて、もうごめんだ。

一方的に言われたままなんて、ごめんだ。

人から指をさされるような生き方はしていないつもりだ。

だから僕は、堂々としたい。


「その手のけてほしいんだけど」

「は? おまえ、何言って…」


何って今まで藍原が僕にしてきたことだろ。

僕は、ただ自分の世界でひっそりと過ごしていただけなのに、無駄にちょっかいを出してきたのは藍原の方だ。


「あとさ、それ人にものを頼む態度じゃないよね」


今までの溜め込んでいた苛立ちを、全部ぶつけてやる。


「おまえ、自分が何言ってんのか分かってんのか?」

「自分こそ、都合のいいときだけ僕のところに来て悪くなれば逆ギレってどういうこと?」


べつに本気で怒っているわけじゃない。

ただ、少しだけ遊んでやろうと思っていただけなのに、楽しくなった僕がいた。

いつも藍原が見ていた景色は、こんなものなのかと。


「なんだよ。おまえ、前まではそんなこと言うやつじゃなかったじゃん」

「確かに」

僕は暗くて影の薄い、やつだった。

それで自分の小さな世界が守れるならそれでもいいと思った。


「じゃあ、なんで…」

「言われっぱなしじゃ悔しいから。ただ、それだけ」


それだけの、僕。

だけど、僕は変わったんだ。

──多分、三日月さんに出会ってから。


自分の殻に閉じこもったままだけじゃ、嫌だと思ったんだ。

もっといろんな景色を見てみたいと思った。

自分に素直になりたいと思った。

だから僕は、自分の殻を破ることに決めたんだ。


「ふーん」興味なさげに返事をする藍原だけど、さっきより感情が落ち着いているように見えた。


僕も、さすがにこれ以上は面倒くさくなって、さっきのことだけど、そう前置きをしてから、


「三日月さんに言わなければいいんでしょ」

「え? …ああ、うん」

「それと、返却予定日は二十五日だからそれまでに僕に返してね」

「…おお」


文庫本を机の中から取り出すと、藍原に向けると、静かに受け取った。

呆気なく会話が終わったから消化不良の藍原は、困惑したまま、じゃあな、と気まずそうに去って行く。


けれど僕は、なぜか清々しかった。

今まで溜め込んでいた感情を表に吐き出すことができたからかもしれない。

そんな僕を励ますように、窓の外に広がっていた景色は、晴天で、キラリと光る太陽が僕を照らしてくれているようだった。