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隣のクラスに転校生がやって来たと噂になってから、早くも一週間。
可愛いとか、元気があって明るい、とか人懐っこい、とあらゆる噂が僕の耳まで入ってくる。
大体、二年の六月という中途半端な時期に転校生って違和感しかない。何か、前の学校でやらかしたとか……
「茅影(ちかげ)も三日月さん一度は見に行った方がいいぞ」
クラスメイトに声をかけられるけれど、とても乗り気にはなれなくて。
「いや、僕はべつに…」
開いたままになっていた文庫本へと視線を落とす。
「そんなこと言ってないで一緒に見に行こうよ。すっげー可愛いんだぞ」
「誘ってくれてありがたいとは思うけど、ごめん…」
僕は、心にも思っていない言葉を言ったから居心地が悪くて。
「そんなんだから周りのやつらに暗いとか影が薄いとか言われるんだぞ?」
「影が薄いのは事実だから、さ…」
クラスメイトで唯一声をかけてくれる小武圭太(こたけ けいた)。
べつに悪い人ではないけれど、だからといって僕にとっていい人なのかは別問題。
「おい、小武。茅影に声かけても無駄だぞー! なんて言ったって、そんな活字ばっかの本読んでるようなやつなんだから」
ドアの前から大きな声で、そう告げる。
活字ばっか読んでて何が悪いんだよ。おまえに何か迷惑でもかけたのかよ。
……心の中で、文句を吐き捨てる。
「そんなことより早く三日月さんとこ行こうぜ!」
おー、と軽く返事を返したあと、
「じゃあな、茅影」
俺の前からあっさりいなくなるクラスメイト。
足音だけが虚しく遠ざかる。
“そんなことより”って、どういうことだよ。
……どうせ僕のこと、つまらなくて暗いやつだとでも思ってるんだろうな。
つーか、文庫本読んで何が悪いんだよ。
転校生が可愛い女の子だからって鼻の下伸ばしてヘラヘラ笑ってる方がよっぽどダサいし。
僕は、これが好きで読んでいるんだ。
僕は、一人が好きだから一人でいるんだ。
それを“暗い”とか“そんなやつ”で片付けてほしくなんかない。
名前が茅影だからって影が薄いとか、見た目だけで判断するのはやめてほしい。
そんな僕は、ずっと昔から自分の名前が嫌いだ。
なんでよりにもよって、“茅影”なんだよ……。
「おーい、プリントまだか?」
数人しかいない教室に担任の先生がやって来る。
他の人は聞こえているはずなのに、友達との会話に夢中で気づかないフリをしているらしい。
「…どうしたんですか?」
文庫本にしおりを挟んで、教卓の前へ向かう。
「おお、茅影。いやな、実はまださっきのプリントが届いていないんだが、知らないか?」
「…プリントですか?」
そういえば、一限目の授業で三限目までに回収して職員室に持って来なさい、と日直が言われてたっけ。
その本人は完全に忘れていないし。
でも、回収だけはしてたよな。
「多分ここに……」
教卓の中を覗くと、放置されているプリントの束が置かれていた。
「これじゃないですか?」
「ん? おお、これだこれだ。ありがとう、茅影」
「い、いえ…」
ありがとう、なんて照れくさいな。
でも、少しは誰かの役に立ってるのかな。
「ったく、今日の日直には今度雑用でもさせるかなー」
プリントを全員分あるか確認しながら、独り言を呟いた先生。
今日の日直は、真っ先に転校生に会いに行った藍原(あいはら)だ。
さっき小武に声かけてたやつ。
心の中で、ざまあみろ、と思った僕。
「それにしても教室やけに静かだな。何かあったのか?」
「…多分、転校生のところかと…」
「ああ、なるほど」
苦笑いしたあと、そういえば、と何かを思い出したかのように呟くと、
「ここに来る途中、確かに廊下が騒がしかったもんなぁ」
「…そう、なんですか」
「茅影は行かなくていいのか?」
むしろ僕が転校生を見に行けば、きっと周りが騒ぎ立てる。
そして最後はこう言われるんだ。
“お前には明るい場所なんて似合わない”と。
「…僕は、大丈夫です」
目線を少し下げると、そうかそうか、と先生が笑って、
「茅影は真面目で勉強熱心だから先生も期待はしてるけど、あまり無理をしすぎるなよ?」
予想していなかった言葉が告げられて、え、と困惑して目線を戻す。
「なんだ。先生何か変なこと言ったか?」
「…あ、いえなにも…」
ハッとして、慌てて口をつぐんだ。
そしたら先生は何事もなかったかのように、
「これ、助かったよ。ありがとな」
と、ポンッと僕の肩を軽く叩いて教室を出て行った。
誰も僕なんかに期待してないと思っていた。
だから、全部に諦めて、自分は影の薄い存在でいようと心に誓った。
そうすれば面倒ごとにも巻き込まれずに済むからと、自分を守った。
だけど、先生は僕を見ていてくれた。
ちゃんと、僕のことを。
“助かったよ。ありがとう”
その言葉が、どれだけ嬉しかったことか。
どれだけ、心強かったことか。
きっとみんな知らない。
この世界に必要とされている人間には、僕の孤独なんて気づかない。
心に芽生えた小さな疑問。
それは、孤独が寂しいということ。
僕は、誰よりももしかしたら人との繋がりを望んでいるのかもしれない。
*
お昼休み、自販機で飲み物を買った帰り、
「──好きです。俺と、付き合ってください」
なんの脈絡もなく、そんな言葉が目の前に落ちて来て、ピタリと足が止まる。
声は、すぐ近くにある中庭から聞こえてきた様子で。
このときの僕は、何を思ったのか、缶ジュースを落とさないようにギュッと握りしめて、木の影に身体を隠した。
「えっ、と……私まだこっちに来て何も知らないし、きみのことも……」
「俺、櫛谷慎(くしたにまこと)です。三日月さんの隣の三組なんだ」
櫛谷……? そういえば、サッカー部にそんな名前の人がいたような……。
「それで、転校して初日に三日月さんに一目惚れしちゃって……」
木の影から様子を伺うと、櫛谷って人は、すっごいイケメンだった。
うわ、僕と全然違う。
こんな人が告白したら誰だってOKしちゃうんじゃないのかな。
「まだ日は浅いけど、ほんとに好きなんだ! 三日月さんが嫌なら友達からでも構わない!」
なんか僕、バカみたい。なんでこんなことしてるんだろう。
どうせ丸く収まるんだろう。
やめやめ、戻ろう……。
「気持ちはすごく嬉しいんだけど……ごめんなさい!」
予想していた答えとは違った言葉が聞こえてきて、気が抜けた僕の手から缶ジュースが抜け落ちた。
それは、コロコロと転がって。
──しまった…!!
「俺のこと嫌い?」
けれど、二人は僕が落とした缶ジュースには気づいている様子はなかった。
「ううん、そうじゃないの! でも、私まだ今は誰かと付き合うとか考えられなくて……」
だから、と続けると、
「ごめんなさい」
深く頭を下げた女の子。
顔は見えなかったけれど、頭を下げた後ろ姿がすごく綺麗だと思った。
なんで僕が、そんなことを思うんだ……?
「…そっか、わかった」
考えている間も会話は進む。
「でも、これからも友達として仲良くしてくれる?」
「う、うん、もちろん!」
「よかった!」
視線を戻せば、少し気まずそうな雰囲気が流れる中、笑顔を浮かべる櫛谷。
じゃあまた、そう言うと手をあげて、歩いて行った。
一部始終とならず、結局最後まで見てしまった僕は、少しだけ申し訳なく思った。
「…そんなことより、早く缶ジュース拾って戻ろう」
転校生に気づかれないように、そーっと木の影から出てそれに手を伸ばそうとする──…
「そこで、何してるの?」
突然聞こえた声に、え、と肩が上がりながら、おそるおそる顔をあげると、さっきまで告白を受けていたはずの女の子が僕の方へ歩いて来ていた。
……最悪の状況だ。
なんせ僕は、木の影で告白現場を盗み見てしまっていたのだから。
「べ、べつに、なにも…」
フイッと視線を逸らしていると、なんて嘘、と呟いた彼女は、僕より先に缶ジュースに手を伸ばし掴み上げた。
「あっ、ちょっと…!」
「ほんとのことを教えてくれたら返してあげるよ」
楽しそうに頬を緩ませながら、くるくると回る。
そのせいでスカートがひらひらと揺れて、僕の目線からはかなり際どかった。
このままいたら僕は、人として何かが終わるような気がして慌てて立ち上がる。
「か、返せよ!」
「だったらちゃんと説明してよ」
なんなんだ、この子。
さっきまで櫛谷の前では塩らしく女の子らしいを演じていたくせに、僕の前では自分が優位だとでも言いたげな表情を浮かべている。
……ああ、もうっ、面倒くさいな。とっとと素直に答えて返してもらおう。
「ジュース買って帰ろうとしたらこんな場所で告白なんかしてるし、そんなときに見つかったらそれこそ盗み見てるって騒がれるのが嫌で安易に動けなかっただけだよ!」
感情の矛先を目の前の転校生にぶつける。