僕たちは「青春」を追いかける。


「私はね、自慢じゃないけど長寿命だって言われたの!」


僕にズイッと手のひらを向けるから、


「は、何の話?」

「だからー、これ。これ見てよ」


手のひらに指をさした。多分、生命線について見ろってことなんだろうけれど。

僕は手相について全く分からないから、はあ、とだけしか返事ができずにいると「ね、これで分かった?」とまくし立てられる。


「私、まだまだ生きるつもりだから勝手に殺さないでよね!」

「……いや、べつにそういうつもりじゃないし」


そもそも僕が悪いんじゃなくて、三日月さんがややこしい言い方なんてするから勘違いするんだろっ。


ジャングルジムのてっぺんで、そんな子どもじみた言い合いをする僕たちは。

一体ここに何をしに来たのか。


忘れてしまいそうに、なったんだ──。


一緒に流星群を見に行ってから一週間が過ぎた。
七月五日。天気は晴れ。
あと少しもすれば、夏休みがやって来る。


頭の後ろで手を組みながら不貞腐れたような表情を浮かべて。


「今日も三日月さん休みだってよ」


と、藍原が教室に帰って来た。
おそらく三日月さんの教室に行ったんだろう。

確かに、僕も気になる。

だって金曜の夜に会ったのが僕だから、もしかしたら風邪をひいて寝込んでいるのかもしれないと思ったから、だ。

だから僕は昨日も一昨日も彼女にメッセージを送った。

けれど、全くの無反応で。


よっぽど体調が悪いからスマホさえ見れていない状態にある、と推測する。


「なぁ、おまえ何か聞いてねえ?」


突然、僕の前へやって来た藍原。


「……誰に聞いてるの?」

「茅影、おまえだっつーの!」


だったら最初から名前で呼べばいいのに。わざわざ“おまえ”だなんて意地悪なやつだ。


「さあ、僕には分からないけど……」

「ほんとか? なにも?」


ていうか、三日月さんのことを何で僕に聞くのかさっぱりだ。


「なにも知らない」


むしろ知りたいのは、僕の方だ。


「ふーん、あっそ」


不満そうに不貞腐れながら、壁に背を預ける。

だから僕は、文庫本を開いて周りをシャットアウトする。

「おーい、藍原」


けれど、すぐに聞き覚えのある声が聞こえて、僕は文庫本から意識をスライドさせると、小武がやって来た。


「なんか三日月さん体調崩して休んでるんだってよー」

「はっ? まじで?」

「うん、隣の担任がそんなこと言ってるの聞こえてきてさぁ」


体調崩して……

やっぱり、流星群なんか見に行ったから。

……僕の、せいだ。


文庫本をパタンと閉じて、机の中からスマホを取り出す。


「おい、何してんの?」


いきなり声をかけられるから戸惑って「へっ?」声が上擦ってしまう。


「スマホで誰かにメッセージでも送んのか?」

「あ、いやー、べつに……」

「ふーん」


三日月さんの連絡先知ってるなんて知られたら絶対教えろって言われそうだよな、と。渋々、スマホを閉まった。

僕を怪しむように見るから、なるべく動揺しないように、また文庫本へと手を伸ばす。

けれど、僕の頭は三日月さんのことでいっぱいだった。

不安と心配と罪悪感で、支配される。


「あーあ」

頭を抱えて項垂れる藍原は、


「三日月さんに会えねえのはつらいなぁ……」

「少しくらい我慢しろよ」

「いや、だってよー、あの天使を見れないってなるとすっげぇパワーがなくなんの」


よっぽど三日月さんのことが好きなんだな。


「あー、会いたい」


恥ずかしげもなく呟くから、逆にこっちが恥ずかしくなる。

でも──

その気持ちは、分からなくもない。


………“分からなくもない”?


「僕が……?」


三日月さんに会いたいってことか?

それって、ただの友人として?
それとも人として?

あるいは──…


「おい、茅影」

「どうかしたか?」


小武と藍原が僕を不思議そうに見る。

今の声、言葉に出ていたのか?


「あ、いや……」


なんでもない、と首を振る。


藍原が会いたいって呟いた言葉を僕が分からなくもないって。

それって、つまりそういうこと……?


いやいやいや、まさか、な。

だって僕は、好きな人もいなくて好きって感情さえも分からなくて、色恋的なものなんて必要ないやつで。

そんな僕が、誰かを好きになるはずない。

これは何かの間違いだ。


ないない、と頭に浮かぶ「それ」をかき消して、文庫本を開いた。

一行、二行と読んでいくけれど、全く頭に入ってこない。

その原因は分かっていて。

けれど、どうすることもできなかった僕は悩んだ。

悩んだが、答えに辿り着くことはなかった。

* * *

学校が終わって校舎を出たタイミングで、ピコンッとかばんの中のスマホが鳴る。

もしかして三日月さん?!

慌てた僕は、かばんを開けてスマホを確認する。

けれど、相手は三日月さんではなく。


【帰りにお醤油買って来てね】


母親からの頼まれ事だった。


「………なんだよ、もう」


紛らわしいなぁ。

【了解】とそれだけを送ると、三日月さんのメッセージを確認するけれど、既読さえもついていなかった。

やっぱり、かなり体調良くないんだ……。


お見舞いに行きたいけど、行ったら迷惑かもしれないし、そもそも家がどこなのかも分からないし。


「はーあ」


なんだこれ。まるで、好きな人からの連絡を待つ人の気分だ。


「……いやいや違うって!」


一人路上でノリツッコミをしてるから、周りにいた生徒は僕を見て、ひそひそと話す。

うわっ、最悪。絶対僕のこと変なやつだと思われた。


「くそっ……」


かばんの中にスマホを投げ込むと、近くのスーパーに向かった。

スーパーにつくと、醤油だけを手に取ってレジへと向かおうと思ったけれど。

三日月さん、体調悪いんだったよな。思い出して、飲み物売り場へと向かうけれど、飲料水とスポーツ飲料で迷う。


「どっちがいいとかあるのかな……」


悩んだ末、結局決められず仕方なく一本ずつ手に取った。

そしてレジへ向かって会計を済ませると、僕は足早にスーパーを出る。


──ピコンッ

また、かばんの中のスマホが鳴る。

買い物追加の連絡?

面倒くさいなと思いながらスマホを取り出すと。


【心配かけてごめんね。体調は、大丈夫だよ】


三日月さんからメッセージが一通届いていた。


「よかった……」


ホッと安堵したのもつかの間。

じゃあ結局、飲料水必要ないな。

ていうか、そもそも家も分からないのにどうやって渡すつもりだったんだろう?


「僕はバカか……」


後先考えずに行動するなんて今まで一度もなかったはずなのにな。

まあ、でも三日月さんが無事ならいいや。


【そっか、よかった】


打ったあと、送信ボタンを押してスマホを閉まった。

外はうだるような暑さで、歩くたびに僕の体力を奪っていく。

「あつ……」


さっき買った飲料水でも飲もう。

袋の中から一つとって、パキッとキャップを回すと、一口、二口とのどに流し込む。
冷たい水がのどを潤していき、乾いた身体に染み渡る。


「はあー、生き返る」


普段は、暑いのを避けて体力を奪われないよう最低限の移動しかしなかった僕は、想像通り体力がない。

けれど、今日は余計な重たさがプラスされていた。おまけにスーパーにも寄って、かなり疲労した僕にとっては飲料水が最高においしく感じた。


さっきまでは、少し憂鬱な気持ちだったのに。

三日月さんの連絡があったからホッとして、肩の荷が下りたのかな?

行きよりも足取りが軽かった。


それは僕の感情が、三日月さんに左右されているみたいで。

……なんでだろう?

やっぱり特別な感情があるから?

でもこの僕だぞ? 色恋的なものとは一切無縁だった、この僕。
そんなやつがいきなり恋なんてするのか?

まさかな……。

自分に問いかけても、答えは見つからなくて。


「まあ、いーや」


首を振って、考えるのを中断した。


折り返し地点の病院までやって来た僕は、歩道の信号が青に変わるのを待った。


総合病院は、かなり大きい。だから、ありとあらゆる患者がここを求めてやって来る。

僕も、小さい頃は喘息持ちでよくここにお世話になったらしい。

僕自身は全然覚えてないけれど。

今じゃ、すっかり丈夫になって風邪もあまりひかなくなった。

かといって体力があるわけじゃない。どちらかといえば、僕は非力な方だ。それには自信をもって言える。


信号がまだかとチラッと確認するけれど、まだみたいだ。

僕は、またのどが乾いて袋の中から飲みかけの飲料水を手に取った。

ふいに、視界の端にチラッと見えた黒髪の女の子。


「……三日月さん?」


いや。そんなわけ、ないよな。

だって、


「……だって、何だ?」


この場にいてもおかしくないよな。

なんていったって病人だったんだし。風邪の。


いやでも。


「見間違いかもしれないし……」


“──だからね、限りある命の中で私は一生懸命自分が生きた証を残したいの。こんなに楽しい人生だったんだよって、みんなに残したいの”


僕の頭の中に、一週間前の記憶が手繰り寄せられる。


その瞬間、嫌な動悸が、僕を襲う。

何をそんなに怖がっているんだ?

僕は、何が怖い?


「……三日月さんが何かの病気?」


今までの記憶を辿っても、思い当たるフシはいくつかある。

何で、青春の写真を残したいのか。拒む僕を必死に説得させたのか、四つ葉のクローバーを探すことに必死になったのか。
もしもそれが、終わりある命だからこそ、だとすれば全部辻褄が合う。


だったら──…

信号が青に変わっていたことなど気にせずに、僕は、病院の方へと走った。

「三日月さんっ……!」


緩やかな上り坂を全良疾走して、目の前の女の子に声をかける。

僕の声にピタリと立ち止まるのを確認して、ホッと安堵した僕は、はあはあ、と膝に手をついて息を整えた。


「……向葵…くん?」


おそるおそる僕の名前を呼ぶ声に、聞き覚えがあった。

やっぱり、見間違いじゃなかった。


「三日月さん」


肩で息をしながら顔を上げると「なんで」僕の顔を見て困惑する。


「どうしてここに?」

「あ、えと、それは……」


焦点が定まらない瞳と、歯切れの悪い声。

いつもならそんなことありえないのに、今日の三日月さんは何かを隠しているようでならない。

ただの風邪で休んでいるなら、素直にそう言えばいいのに。どうして言葉を詰まらせるんだろう。
やましいことがあるから、そうとしか考えられなかった。


「もしかしてそれ、薬?」


左手に下げている小さな袋を、僕が尋ねると「う、うん」とぎこちなく答えたあと、ササッと後ろへ隠す。

僕に見られたらまずいものなのだろうか。

僕は、何も聞かない方がいいのだろうか。


今までの僕なら、それ以上相手に踏み込んだりしなかっただろう。

けれど、三日月さんは堂々と土足で僕の心に踏み込んできた。おかまいなしに。

だったら、


「ねぇ、三日月さん。僕に何か隠してることない?」


僕も、踏み込ませてもらうよ。

きみが、僕にしてみせたように。