僕たちは「青春」を追いかける。


「な、なんだよ……」


尻込みしながら尋ねると、んーん、と首を振って、


「ただ、噂とは全然違うなぁと思って!」

「……噂?」

「うん。なんかね、茅影くんは“影が薄くて目立たない”って聞いたの。だからどんな人なのか気になっちゃって、つい…」


つい、の先に続く言葉は容易に理解できた。

結局は、僕が影が薄くて目立たない、そんな噂を確かめたかったのだろう。

だから、“つい話しかけた”んだろうな。


つまり、さっき言った運命ってやつは真っ赤な嘘なんだ。

ていうか、本人にそれ言っちゃうってどういうつもりだよ。


「でもね、噂なんて嘘っぱちだね!」

「……なんで。全部、ほんとじゃん」


現に影薄いし暗くて目立たないし、そう心の中で自虐めいていると、


「実際の向葵くんは、全然暗くなんてないし、話せば話し返してくれる。それに意外と口が悪い!」

「…は? いや、べつに口悪くないし」

「だったら自分で気づいてないだけとか」


僕が口悪いって? ……そんなはずはない。

ていうか、


「名前で呼ぶのやめてって言ってるじゃん」

「だからもう観念してよー」


観念なんてしてたまるかっ。

僕のことを三日月さんが“向葵”って呼んでるのを聞かれてしまったら、変な噂がたつに決まってるだろ。

そしたら目立つやつらが僕をからかいに来るのは容易に想像できる。

僕は、僕の世界を守りたいだけだ。
ただ、それだけでいい。

そこからはみ出そうなんて微塵も思っていない。

暗い谷底で、ひっそりと暮らしていけたらそれでいい。

それ以上は望まない。


「向葵くんが何を言っても私、もう呼び方変えるつもりないからね」


それなのに三日月さんは、意外と頑固らしくて、言い合いは平行線を辿る。


「それとさ、やっぱり私、向葵くんと仲良くなりたい!」


今まで名前を呼ぶとか呼ぶなと口論していたのに、突然切り替わる話題についていけず、


「いや、なに言って…」

「なにって友達になろう!ってお誘い!」

「……やだよ、そんなの」


僕は、みんなみたいに軽くない。

あいさつを交わすようなトーンで友達になろう、だなんて僕が頷くわけないだろ。


「……きみみたいな明るい人には僕の気持ちなんて分かりっこないよ」


僕ときみの住んでる世界は違う。

僕が影なら、きみは光だ。

そんな二人が友達になるなんてそんなの不可能だ。


「明るい人ってなに? 僕の気持ちってなに?」


濁りのない純粋な瞳で、僕を見据える。

だから、先に逸らしたのは当然僕で。


「……きみは、知らなくてもいい」


これ以上、仲良くするつもりはない。

僕は今も、そしてこれからもずっと一人でいい。

「知りたいって言ったら?」


それなのに彼女から紡がれた言葉に驚いて、「──は?」と声がもれる。


今、なんて言った?

一瞬、言葉が頭から抜け落ちる。


そんな僕に言葉をたたみ掛けるように、嘘じゃないよ、そう告げたあと、


「向葵くんのこと知りたいって思ったの」


まるで男が女を落とすための台詞のようなものを恥ずかしげもなく僕に向かって言った。


そんなことを言ってくれる人は初めてだった。

と、同時に、苛立ちが立ち込める。

だから僕は、


「さっきの櫛谷と友達ごっこでもすればいいじゃん」


わざと嫌味っぽく告げると、そういうことじゃないの、と眉尻を下げて笑ったあと、


「盗み見聞きしてたなら分かると思うけど、私、今は誰とも付き合うつもりないの」

「……へぇ」

「でもね、青春はしてみたいの。高校生の今だからこそできる青春」


俺の瞳を見据えたまま、どこか遠くを眺めているように、


「帰り道どこかに寄り道したりアイスを半分こしたり、屋上で大の字になって寝転んだりしてみたいの」

「そんなこと……」


きみなら簡単だろ、と口に出かかった。

けれど、無理やりのどの奥に押し込んだ。

なぜならば、彼女の表情が少しだけ傾いているような気がしたから。


ふいに、ふわりと微笑んだあと、だからね、と続けると、


「私はそれを向葵くんと一緒にしてみたいなと思ったの」

「なんで僕、なんだよ」


こんな地味で目立たなくて暗いやつと、そんな青春できるはずないだろ。

そんな僕に、あれは一週間前のことだったかな、と顔を緩めたあと、


「向葵くんのこと、そこのベンチで見かけたことあるの。本をお腹に広げたまま、心地よい陽だまりのなか寝てる向葵くんがいたんだ」


と、近くのベンチに指をさした。

その言葉を聞いて、記憶を手繰り寄せると、確かにそんなことがあったなと昔のことのように懐かしく思う。

でも、だからって、


「そのことが、青春したいって理由にならないじゃん」


何話をすり替えようとしてるんだよ。

そんなのに僕は騙されないぞ。


「向葵くんがキラキラ光って見えたの」


突然告げられた言葉に、え、と困惑した声をもらすと、


「他のみんな、私に集まって来る」

「…なに、自慢?」


冷たく突き放すと、そうじゃない、と声をあげた三日月さん。


「みんな私が転校生だから集まるの。物珍しそうに、そのときのいっときの感情で、みんな寄って来るの」


それなのに、と続けると、


「向葵くんだけは違った。私のこと全然色恋的に見ないし、転校生だからって騒ぎ立てないし。ほんとの私と向き合ってくれるんじゃないかなって思ったの」

「……なにそれ」

僕だけは違う?

それって、僕が周りより暗くて目立たないからって言いたいのか?

……なんだよそれ。


「……全部、自分の勝手な妄想だろ」

「違うの。ほんとに私は向葵くんと」


「──僕は!」


大きな声で、彼女の言葉を遮った。

その瞬間、缶ジュースがパキッと音を立てた、気がする。


落ち着け。僕が、感情に流されて声を上げるなんてらしくない。


小さく、ふう、と息を吐いて、キッ、と彼女を睨みつけるように見つめたあと、


「……僕は、きみみたいな人とは友達にならないし青春なんかしない」


吐き捨てるように言ったあと、彼女の前から必死に走った。


返事なんか待たなかった。

だって、これ以上あの場所にいてしまったらいつまで経っても会話は平行線を辿ったままのような気がしたから。


走って走って。どこまでも走った。

肺が潰れそうになるくらい、走った。


そして、ようやくたどり着いた体育館裏の壁に、手をついた。


「……自分、なにやって……」


思わず、口をついて出た。


さっきの僕は、感情まかせに言葉を投げた。それは、自分の失態だ。

けれど、後悔はしてない。

だって、


「……僕は、一人でいい」


今も、そしてこれからもずっと。


どうやら僕には、一人が似合っているらしい。

だから僕が、陽の光を浴びるなんて似合わないんだ──…。



クラスメイトは会話に花を咲かせたり、トランプをしたりと学校生活を謳歌しているようで。

その教室の傍らで、いつものように自分の席で文庫本を読む僕。

周りの会話が嫌でも耳に入ってくる。


「なぁ聞いたか? 櫛谷、この前三日月さんに告ったらしいぞ」

「マジで? で、結果は?」

「あー、なんか今は誰とも付き合う気はないって言われたんだって」


あのとき僕もその場にいたから、とうの昔に知っている。

櫛谷の前ではおとなしそうな態度をとっていたのに、僕の前では強気な態度。

まるで僕を下にでも見ているようで、無性に腹が立ったのを覚えている。


「マジかぁ……俺、本気で好きだったのになー」

「お前、入れ込みすぎだろ」

「だってよー、あんな可愛い子が転校生として来たら誰だって好きになるだろ?!」


“転校生”と“可愛い”。この二つのワードだけが一人歩きしているみたいだけれど、実際の彼女は猫をかぶっているのかもしれない。

それとも、おとなしいフリをしていた方がモテると理解しているのかもしれない。


「だけどさぁ、あの子はお前には無理だろ。なんていったって可愛いし!」

「うっせぇなー」


一箇所に集まって男子だけで色恋的な会話を繰り広げる。

そんな光景を横目に見て、なんて滑稽なんだと心で笑う。

なにが、可愛いだ。
なにが、好きだ。

そんなちっぽけな言葉なんて、胸を貫くどころか皮膚すらも通り抜けない。上っ面だけの軽い言葉だ。


バカバカしい……そう思って、文庫本へ集中しようと文字を目で追っていくが、


「でもよー、あんだけ可愛ければ一度は付き合ったことあるはずだろ。どういうやつがタイプなんだろうなぁ」

「お前聞いてみろよ」

「はぁ? やだっつーの!」


嫌でも耳に流れ込む会話に、苛立ちが募る。


文庫本に集中しろよ、そう心の中で自分にツッコミをするが、男子の会話を耳が拾う。

小さな音でも拾ってしまうらしい。そんな僕の耳は、性能が良いマイクか何かだろうか。


そもそもどうしてこんなに苛立つんだ?
周りのやつが羨ましいからなのか?
だからこんなに苛立つのか?

──いや、違う。


『嫌いな人ほど視界に入ってしまう。意識してしまう』


前に、文庫本か何かで読んだことがある。

言葉の通り、嫌いな人ほど人は意識してしまう生き物らしい。

だから僕は、“転校生である三日月”さんに苛立っているのだと知った。


でも、なぜ彼女に苛立つのか。

それも簡単な問題で。

僕に友達がいないと知っていたからなのか、暗いと噂されていたからなのかは分からなかったが、どちらにせよ、彼女のただの気まぐれで声をかけられたのに腹が立っている。

けれど、愚痴を吐く相手もいなければ親しくしている友達だっていない。

だから我慢するしかないんだ。


それを自分に言い聞かせるように、おもむろにかばんの中から飴玉を一つ取り出すと、それを口に放り込んだ。

しゅわしゅわっと弾ける小さな刺激のあと、ソーダの味が口いっぱいに広がった。


「あれっ、どうしてここに?」


ふいに、聞こえた声。それは、驚いたような男子の声で。

廊下がやたらと騒がしくなる。


また、僕の読書の時間を邪魔するのか。

……ガリッと飴玉を噛んだ。それは、砕けて、溶けて小さくなる。


「ちょっと用があったの」


受話器越しに電話で話しているようにノイズがかかっているようだったけれど、聞き覚えのある声。

それは、少しずつ近づいて大きくなる。


……もしかして? いや、まさか。

そんな感情が錯綜する。


「えっ! 三日月さん?!」


その瞬間、クラスメイトの男子が一斉に立ち上がりドアの方へ視線を向ける。

つられるように僕も視線を向ければ、バチッと視線がぶつかった。

わずかに微笑んだ、気がした。


「どうしたの!?」

「うん。あのね、ちょっと用があって」


まるで僕を見て告げたように聞こえて、嫌な汗が流れる。

焦った僕は、慌ててフイッと視線を逸らす。


「用って誰に? もしかして俺とか?」


なーんて、と自虐ツッコミをしながら尋ねる藍原の声に、「えーっと……」返答に困った声色を落とす三日月さん。


僕は、べつに関係ない。

だって友達でも何でもないのだから。


「誰に用? 俺、呼ぼうか?」


話を切り替えると、じゃあ、と声を落としたあと、


「茅影くんを」


間違いなく、そう告げた。

僕は、その声を聞き逃さなかった。


「えっ? ち、茅影……?」


困惑したような驚いたような声を落とした藍原と、それ以外にも聞こえた声は、ありえない、とでも言いたげな声色で。

けれど、一番驚いているのは、この僕だ。


クラスメイトでもなければ友達でもない。ただ、一度だけ話したことがある顔見知り程度の僕に。何の用があって来たのか、頭を巡らせてもさっぱり分からない。


「うん、呼んでもらってもいい?」

「え…っと、ほんとに茅影? 誰かの名前と間違ってない?」


困惑したようにまくし立てる藍原に、ほんとだよ、と肯定したあと、


「だから、茅影くん呼んでもらえるかな?」


再度、僕の名前を口にしたのだ。


瞬間、ざわつき始める教室と、僕に鋭く突き刺さる視線。


「……マジかよー。なんであいつが?」


どこからともなくコソッと聞こえた僕を見下すような声。