当日。
 果たして、彼女は来ることができるだろうか?
 俺はそんな心配をしていた。

 この日のために、上着は新品のシャツとベスト。
 ボトムスだって自分でアイロンをかけた。
 髪型は……ネットを見て自分なりに真似してみた。いけているのでは……?

 だけどそんな努力も、彼女が来なかったら意味がない。
 来い、来い来い。
 どうか、芹沢さんの努力よ実ってくれ!

 予定時間が迫ってきているところで、FINEからの通知がやって来た。

しゅんぎく『ゲットした! そっちに放流する! 見つかんなよ!』

 ええーっ!?
 見つかるなよとは一体……!
 その答えはすぐにやってくる。

 向こうから、俺が見ても分かるくらい高級そうな、白のシャツにブルーの上着とロングスカート姿の少女が走ってくる。
 顔は真剣そのものだ。
 いつもよりも髪の毛はつやつやしてる。

 舞香だ。

 彼女は俺を見つけると、急ブレーキを掛けるみたいにして立ち止まった。

「ま、待った!?」

「今来たところ!」

 いつものやり取り。ただし、立場は逆。
 デートか。
 いや、デートだ。

「よし、行こう米倉さん! 芹沢さんの犠牲を無駄にしちゃいけない」

「あ、別に芹沢さんがどうにかなったわけじゃないけど」

 気分だよ、気分。
 肩で息をする舞香。
 ポケットからハンカチを取り出して、汗を拭った。

 歩き出したその足が、地面にできた亀裂に引っかかったのか。

「あっ」

 舞香がよろける。

「おっ!」

 俺は咄嗟に、彼女を抱きとめた。
 舞香の体重が掛かる。
 よし、これで転ばずに済んだ……いいにおい。

「あ、ありがとう……! 慣れない靴で走ったから、足元フラフラ」

「ああ、うん。そうなんだ」

 ……おや?
 今、俺は舞香を抱きしめているのでは?

「あっ」

 舞香も気付いた!

「ご、ごめんね。重かったでしょ?」
 
 慌てて彼女が離れる。

「軽い! 軽いよ!」

 人間一人の体重が軽いわけないんだけど、ここはこう言うもんだ。

「そ、そぉ? あの、えっと、汗臭くない? まだ始まったばかりなのにその、汗かいちゃって」

「全然!! むしろいいにお」

 おっと!
 これ以上は変態さんだぞ。
 俺は口を噤んだ。

 そんなやり取りをしてたら、舞香がやって来た方からバタバタ走ってくる者がいる。
 スーツ姿の人たちだ。
 おや、もしかしてやばい?

「米倉さん! とっておきのデートコースがあるんだ! 行こう!」

 俺は彼女の手を取る。
 暖かくて柔らかくて、しっとりしていた。

「あっ」

 舞香の声がする。
 でも、今の俺はそれどころじゃない。
 まだ始まってもないデートを終わらせるわけには行かないからだ。

 彼女を引っ張って走る。
 舞香が転ばないように小走りで。
 向かうのは……東遊デパート……前の電気屋。

 背後で自動ドアが閉じる。
 その前を、スーツ姿の人たちが走っていった。

 みんな、お洒落な喫茶店やレストランを覗いているな。
 まさか舞香が、電気量販店に入るとは思うまい……。

「セーフ」

「あ、ありがとう。気付かれないかな……?」

「喫茶店とか入ってたら見つかってたと思う。だけど、こっちは人の数が多いから紛れ込めるよ」

 結果的に、芹沢さんの判断は正しかった!

「じゃあ行こう。まず一休みしようよ」

「うん! ……あ、あの、稲垣くん」

「はい?」

「えっと、ええとね?」

「はい」

 振り返ったら、舞香の顔が赤い。

「手……」

「手?」

 見下ろせば、彼女の手をしっかりと握りしめているではないか。

「お、おおおっ、おわあ、ごめん!」

 慌てて手を離した。
 やばい。
 俺、凄い手汗。

 舞香も手を握ったり開いたりしてる。

「うわわわ、私すごい手汗。しまったー」

 呟きが聞こえた。
 あれ、俺と同じ?

 少し二人で静かになって見つめ合う。
 どちらともなく、笑顔を浮かべた。

「行こうか、米倉さん。屋上にフードコートがあるから」

「フードコート?」

「ジュースでも飲んで一休みしようよ。始まりから疲れてたら、ヒーローショーを見る体力無くなっちゃうから」

「あ、そうだね! うん、うんうん。ヒーローショーのために体力は取っておかないとだもんね!」

 おお、いきなり舞香の目がキラキラと輝き出した!
 入口近くに留まっているのも危ないし、通行人の邪魔になる。
 俺たちはすぐさまエレベーターに乗り込み、最上階へ。

 フードコートはGW最終日ということもあり、大盛況だった。

「すごい人……!」

「休日は割といつもこんな感じじゃない?」

「そうなの? いつも、こういうお店来る時は表から入らないから分からないなあ」

「表から入らない?」

 適当な席を取る。
 そして、とりあえずは並びの少ないフレッシュジュースショップで二人分のジュースを。

「オレンジでいい?」

「うん!」

 すぐ近くの席にいる舞香に確認を取って、オレンジジュースを二人分買った。
 席に戻ったら、舞香がいそいそとお財布を取り出す。

「ここは奢らせてください……!!」

「ええ……。でも、悪いよ。むしろ私がヒーローショーにエスコートしてもらうんだもの。私が払うほうが自然」

 彼女はきっぱりと言うと、明らかに高そうなお財布から千円札を取り出して俺に押し付けた。
 ううっ、デートは男が奢るものでは……?
 そりゃあ、財政的に豊かではないけど。

「その分の働きはしてもらいます」

 むふーっと鼻息も荒く、舞香が宣言した。
 これは……期待されている!

「分かった。でも、割り勘で行こう! ここは譲れない!」

 半額をコインで返すと、舞香は不思議そうな顔をした。

「そういうものなの? ふむふむ……新鮮……。自分から商品を取りに行くのもだし、支配人が挨拶に来るとかでもないし」

 すごい世界に生きてるね、君……。

 二人で一息ついて、ジュースを飲む。
 フレッシュジュースのオレンジは濃厚で、ちょっと疲れた体に酸味が染み渡る。

「うめー」

「うん、美味しいね」

 舞香が微笑む。
 そういうさりげない仕草で、いちいち俺はドキドキしてしまうのだ。

「稲垣くん、顔赤い?」

「走ったから、体が熱いの。米倉さんだって」

「わ、私だってそうだもん」

 そうか、俺たち、お互い顔を赤くして、向かい合ってオレンジジュースを飲んでいるのだ。
 凄くデートっぽいんじゃないか。