「部活、始まるから行こう」
「わ、わかったから。手。手を……離して」
私が言うと、蓮は手をつないでいたことに気づいたらしく、それをチラリと見た上でニコリと笑う。そしてその持っていた手を上にあげると、その手の甲に、軽く、ちゅ、と口づけた。
「ひっ! ななななななななにすんだ!」
私が顔を真っ赤にして叫ぶと、蓮は飄々とした様子で、
「ごめん、つい」
と笑った。
―――つい、の意味がわからない!
ただ、やけに私の手汗と背中の汗は激しく流れ落ちた。
え、ちょっと待って。
ホント待って。
蓮ってこんな人でしたーーーー⁉
私がどぎまぎしていると、ふと、視線の斜め前、
なぜか校長先生まで驚いて顔を真っ赤にしていた。
蓮は私を連れて、部室に向かう。
私はなんだか顔があげられないまま、蓮の後ろをついていっていた。
「ひより。校長先生と何か話した?」
「え? ううん、何も話してないよ」
「そう」
「どうしたの?」
「イヤ……」
蓮は少し考えたと思ったら、「今日も一緒に帰ろうね」と言う。
「なんで? 蓮って家、反対方向だよね」
「ひよりの家は近いし問題ない。ただでさえも練習で遅くなってるし、先生は別に帰ってるんでしょ。危ないから」
有無を言わさないような口調でそう言われて、私は断ることもできず、ありがとう、とつぶやいた。
その日も暗い夜道を二人で帰る。
蓮が私の歩調に合わせてくれていることがやけに心地いいと思うのはなんでだろう。
つい蓮を見つめていると、蓮もこちらを向いて目が合い、私は驚いて目をそらす。
胸の音がやけに速くなってきて、そんな音も感じないふりをするのに精いっぱいだった。
「どんどん、みんなうまくなってきてるね」
私は話題を探して、そんな話をする。
なにより必死なのは蓮のような気がする。
そんな蓮、今まで見たことなくて、部員も、私も戸惑っていた。
蓮はさらりと、
「ま、県大会で優勝しないといけないし」
と言う。
その言葉に私の心臓はまた跳ねる。泣きそうになるのはなんでだろう。
私はぎゅっと唇を噛むと、
「ねぇ」
「ん?」
「『好きにする』って、一体何したいの」
と言っていた。
その言葉を聞いて、蓮は一瞬驚いた顔をした後、にこりと笑い、
「知りたい?」
と楽しそうに言う。
「……やっ! やっぱいい!」
そう言ったのに、蓮の手は私の頬を撫でた。
そのしぐさに、体温に、胸がドキリとする。
ちょっと待て。
えっと、これは、その……。
アレですか! ドラマとか、少女漫画で見る例のアレ……!
唇と唇が合わさる例の……アレ!
「先に知っといた方がいいかもね」
「いいってば! あ、モウイエニツイタ! デハコレデ! マタアシタ!」
聞きたくないキキタクナイ、やっぱり聞かないままでイイ!
結局優勝はできないんだし、イイ!
私は叫ぶと、走って帰って、家に飛び込んだ。
いや、まじか。嘘だろう。嘘だと思いたい。でも……。
―――私のファーストキスが狙われてますかーーーーーー⁉
それから日にちは驚くほど速く過ぎた。
蓮は毎日私を送ってくれたし、隙を見せたら、なんだかやけにドキドキさせられた。
―――何にしても早く終わってくれないと、私の心臓はもう持ちそうにない。
そんなことを真剣に考え始めた時、県大会が始まった。
そして日比谷学園バスケ部は順調に勝ち進み、何と準決勝まで勝ったのだった。
「すごい! これで県ベスト3入り! はじめてだぁ……!」
森本敦先輩はじめ、部員みんな大喜びだった。正直、私もすごく嬉しい。
だってこれまで、今までにないほどきつい練習をしてきた。
みんなが頑張ってる姿も間近でずっと見てきた。
こんなうれしい事、もう訪れないと思っていたけど、こんな嬉しいことがあるんだ。
嬉しさに涙ぐむ私を見て、みんなも嬉しそうに笑う。そして口々に言うのだ。
「マネージャー。まだ泣くのは早いよ! 僕ら優勝するから!」
……と。
―――ん? いいけど。いいんだけど。みんな優勝するつもり満々なんだね⁉
「なんか必死になってる日比谷見てたら、なんとかしたくなったんだよ」
私の中には多少の不安が残ったが、何より、みんなの熱気に何も言えなくなる。
そして、その時ちょうど目が合った蓮の楽しそうな顔に、急に寒気がした。
―――これ、もしかして、本当に勝っちゃうフラグですかーーー……?
私はその日、家に帰ってから、震えながら兄に、
「……ど、どうしよう。あれ本気で勝つ気だよ」
と言う。
「あ、あぁ……」
「どうするのお兄ちゃん!」
私は兄の両腕をもってガクガクとゆする。
兄はキリっとした顔になると、
「いざとなったら逃げろ」
ときっぱりと言う。
「はぁ⁉」
「地の果てまで逃げるんだ。どっちみち約束は一日。優勝した日の一日だ。だったら、その日、逃げ切ればいい」
兄はまじめに言う。
「……ズル過ぎる」
「大人と言うのは、そういうものだ。覚えておけ」
これだけ狡いことを堂々と言える大人って……。
今日はやけに凛々しい兄の顔を、私はなんだか残念なものを見るような目で眺めていた。
兄と一緒に他の生徒より少し早めに決勝戦会場に入ると、校長先生がそこにいた。
校長先生は私たちの前までやってくると、
「大和先生、少しいいですか」
と言う。
「アイス……いや、会津校長……」
兄の顔が緊張に染まる。
なのに、校長先生の名前を堂々とアイスマンと間違いそうになってるし……。
そこはかとなく不安だ。
そうも思うが、私がいても邪魔なだけだろうと、私は、では私はここで失礼します、とその場を出ようとする。すると、校長先生は、
「あなたもお願いします。大和ひよりさん」
と私の下の名前を呼んだのだった。
私たちは、小さな休憩室に移動する。
椅子に校長先生が腰かけ、その前に私と兄が並んで座った。
すると、校長先生は私たちをまっすぐ見せ据えて、
「私はもともと日比谷会長の第三秘書をしておりました」
と言い出した。
「それって、日比谷のお祖父さんの……?」
兄が聞く。
「えぇ。それで、この学校に蓮さんが入ることになってからは、お目付け役としてここに」
会長秘書がお目付け役って……なにそれ。すごい世界だ。
やはり蓮とは住む世界が違うらしい。そんなことをぼんやり思っていた。
「実は昨年、蓮さんは、会長の意向で様々な社交界の場や勉強の場に駆り出されていまして部活も時々休まざるを得なくなりました」
私はてっきり蓮はさぼっているものとばかり思っていたので驚いた。
「蓮さんは昔から何でも器用にこなすタイプで、これまでも、必死になるようなことは何もなかったんです。しかし、そういう人間に、周りは『力を貸したい』とは思いません。そういう意味で、トップに立つ素質が十分でない、と会長は考えられていたようで、必死に色々と模索されていました」
校長は続ける。「でも、最近、蓮さんらしくもなく部活に必死になっていて……周りが心動かされてきたというか。部活も、この県大会に優勝するまでは参加したいと必死に会長に頼み込まれていました」
それはあの約束のせいではないだろうか。
私がチラリと兄を見ると、兄は渋い顔で頷いた。
―――っていうか、あんな約束一つでみんなが驚くほど必死になってる蓮って……。
私はなんだか恥ずかしいやら、嬉しいやら、どういう感情の名前かわからない感情に包まれていた。