「焼肉屋……? 下々はよくこんな煙臭いところでお食事ができるものねえ」



「一番手は上タン。網に置いてから、上面に汁が浮かんできた所で皿に取り」

 燃える炭。陽炎が踊る網の上で、牛タンが焼かれる。高熱に炙られ、表面に浮かぶ肉汁。
 マリーはそのタイミングを逃さず、トングで取ってレモン汁の 入った小皿の上へ。
 みじん切りのネギを肉に乗せる。

「そして食べる」

 肉を食らう。同時に伸びる手がジョッキを掴んだ。

「すかさず生ビール!」

 流し込む、その衝撃。

「これ、これですわ!」

 貴族令嬢マリーは焼肉屋の中心で愛を咆哮した。

「食べてから三枚乗せる、焼けたら食べてまた三枚乗せる……」

 感動に震えながら、機械のような精密運動を行う。焼肉を遂行するには、感情は不要だ。衝動ではなく、徹底した焼肉哲学に基づいた動きが成功を左右する。

「このペースが炭火焼き肉の鉄則、網に乗せまくるものは死罪にすべきですわ」

 焼肉は、遊びではないのだ。

「あー、一人焼き肉のビールめっちゃ旨い」  

 グビグビとジョッキを明かす。
 今日のマリーの姿は、いつもと違っていた。靴は革靴。長い髪はひとまとめに縛っている。そして、服装はいつものドレスでなない。
 グレーのリクルートスーツだった。

「タン塩後の第二手は……店員さん、マルチョウとミノをお願いしますわあと生ビールおかわり」

「はいただいまー」

 マルチョウ、牛の小腸である。ミノは牛の第一胃だ。

「間を繋ぐオイキムチ……焼き肉屋のレベルはキムチでわかりますわね。ん、美味しい」

 ボリボリとキュウリを噛み砕く。甘さと辛さのグラデーション。いいキムチだ。

「まずは脂少なめのミノを焼く、内臓なのでしっかりめに火を通してから」

 焼いたミノをタレにつけ、頬ばる。コリコリとした食感、そして肉の旨味。

「そして飲む……!」

 そこにぶち込む生ビール。

「当然、当然の如く美味!」

 焼いた肉、ビール、それは約束された勝利である。

「次のマルチョウ、牛の小腸ですわ。ここは茹でではなく生のホルモンを扱う店ですわ。レベルも期待できるというもの」

 貴族令嬢はホルモンを生で扱う店にしか足を運ばないのだ。かさねていうなら水曜日曜の肉市場が定休日とその次の日も来店は避ける。新鮮な内臓肉を狙うためだ。

「皮部分を七部、脂部を三分。ゆっくり脂を落とすように焼いて……」

 腸のホルモンは脂が多い。この脂をどう残しどう落とすかで焼く人間の技量が問われるのだ。
 貴族令嬢マリーは脂をじっくりと落としてカリッとした食感を目指す派である、

「焼けたらコチュジャンを多めに解いたタレで……」

 かみしめる、モツの旨味。
 そして迎え撃つビール。

「……美味い!」

 当たり前である。

「店員さん、網の交換を。それとハラミ、上カルビ、あとライスをお願いしますわ」

「はいはい今お持ちしますねー」

「それから3杯目は……マッコリをお願いしますわ。焼き肉屋でぐらいでしか飲めないものですからね」

 △ △ △

「新しい網にハラミを並べる喜び……脂もほどほどで赤みの旨さを楽しめるハラミ。焼き肉界随一のエレガントですわ」

 牛の横隔膜、ハラミ。肺を支え動かすための筋肉、ハラミは少ない脂肪分と濃い肉の旨味が楽しめるホルモン界の四番だ。

「ほどよくレア目の焼けた頃を見計らいサンチュの上にオン!!」

 肉と野菜がいまここに究極合身。

「コチュジャン! キムチ! 巻く! そして食べる!」

 流れるような動き。リクルートスーツといえどマリーの動きに淀みはない。焼肉屋とは貴族にとって常在戦場の場。油断はない。

「追ってマッコリ!」

 口の中にはじける甘酸っぱさが肉の後味を洗い流す。

「昼から呑めるので当然のごとく旨さ杯付けですわ!」

 時刻は昼12時である。

「……就職活動なんてやってられませんわ!」

 マリーは、就職面接をフけていた。

「慣れないリクルートスーツまで着て!」

 数年ぶりに袖を通したリクルートスーツは、少し腹と胸がきつくなっていた。

「わざわざ移動費かけて!」

 往復520円は自腹である。

「人事部のクソハゲゴミヘドロ顔面スピロヘータの千葉県民に未来のビジョンがないとか社会でやってけないよとかウダウダウダウダウダウダイヤミ言われるなんてのをなんで何回も何回もやらないといけませんの!!!!!」

 現在就職活動8連敗である。

「いけませんの!!!!!」

 大事なことなので二度いった。

「……取り乱すなんて、わたくしとしたことが貴族らしくありませんでしたわね。だめですわ。今を楽しまないと」

 貴族とは、反省ができる生き物である。

「ハラミを焼き肉界のエレガントと称しましたが、やはり焼き肉界の頭領と言えば上カルビ。それに白飯を添えればその姿は王と王妃の威容……」

 王家である。マリーの目の前に、華麗なる一族があった。

「まずは焼くべし……」

 炭の熱に、カルビの脂が沸騰する。人は火を見ると本能的に安心する習性がある。太古の昔に外敵に怯えながら火を囲んだ本能だろう。
 そして、太古の昔から人は火で肉を焼き食らってきた。
 肉を焼くことは、原始的な、人間という生き物の根幹に根ざした喜びなのである。

「そしてタレべっとり漬けからのオンザライス……!」

 肉と米。逆らえる日本人などいるのか。

「で、食べる」

 肉と米を、胃袋にぶち込む。ぶち込み尽くす。

「マッコリで流す……」

 グビグビと、ただグビグビと酒を飲み干した。

「これがエピキュリズムの極地!!!!」

 快楽の果てがここにある。

 △ △ △ 

「ありがとうございましたー」

「就職活動のストレスで思わず焼き肉屋に飛び込んでしまいましたわ……後でファブリーズしないと……」

 衝動で行ってしまった焼肉。だが時には貴族とて衝動に身を任せたくなる時もある。仕方ないことだ。

「明後日も面接……焼き肉で活を入れたのだからここで頑張らないと」

 肉。肉と酒がマリーを支えてくれるのだ。

「……あ、あっちの焼鳥屋開いてるちょっとよってこうかな」