時を戻して、少し前。


 なんだこの音は。

 藤野先生に怒られながらも納得いかない僕、安藤亮平は引き続き田中まどかの捜索を続けていた。
 学生棟と特別教室棟の間にある中庭に出て捜索していると爆発音のようなものが校舎を揺らす。なんだこの揺れと騒音は。

 出どころを探していると突然、頭頂部に鈍痛が。

 振動の影響で空から何かが落ちてきたのか。全く今日はなんなんだ。

 頭をさすりながら涙目で地面を見ると、そこには田中まどかが持っていた拳銃が転がっていた。

「あった!!!」

 拳銃を拾い、顔を上げると遠くに周囲を見回す藤野先生の姿があった。

「全くなんだこのnoiseは」

 僕の話を全く信じなかった藤野先生。
 しかし、僕の手には藤野先生が信じなかった本物の拳銃がある。
 瞬間、井上先輩の姿が頭をよぎる。

「撃っても死なないんだよなぁ」

 僕は銃口を藤野先生に向け、トリガーに指をかける。

「僕を信じなかった罰だ」

 指先に力を込めると、拳銃は火を吹き、銃弾は藤野先生に命中。藤野先生はその場に倒れた。

「よし! どうだ! ざまぁみろ!」

 喜びに震えている間、拳銃は突如光だし、粒子状になって風に運ばれ消えていった。突然軽くなった手に驚き、拳銃がないことにも驚いている間に、藤野先生はゆらりと立ち上がる。

 一応、心配をしているフリをしておこう。

「大丈夫ですか、先生。突然倒れて驚きましたよ」
「……」
「あの、先生?」
「You’re amazing. I fell in love with you at first sight.I feel something for you(君は素晴らしい。君に一目惚れをしたよ。僕は君に何かを感じるよ)」

「は?」

「I love you!(愛してる!)」

 藤野先生は突然、僕めがけて腕を目一杯広げて近づいてくる。
 僕は慌ててそれを避けるが、藤野先生はずっと迫ってくる。

「ウワァア!」

 特別教室棟の二階へ降りると廊下の向こうに木原先輩がいた。

 拳銃を持っている間もずっと探していたのに、拳銃をなくした今になってすぐに会えてしまうなんてなんだか皮肉めいている。

「木原先輩!」

 私は木原先輩の元へと歩み寄る。一歩。また一歩。足を進めるたびに鼓動が力強く、早くなるのを感じる。

「田中さん」

 木原先輩の前に立つ頃にはすっかり緊張していた。溢れそうな思いが言葉になる前に口からどんどんとこぼれてしまう。

「あのっ……えっと、だから、私……」

 口の中に溜まったよだれをごくん、と飲み込み深呼吸。

 言うんだ! 

 今の私は可愛いし、綺麗だし、最強だ! 

 だから木原先輩に想いを伝えるんだ! 

「……私!」

「ギャアアアア!」

 突然窓の外から叫び声が轟いた。

「何?!」

 木原先輩と中庭を見下ろすと藤野先生が何か叫びながら安藤くんは必死に逃げている。

「助けて~!!」

 その様子は、安藤くんには申し訳ないが、なんと言うかなんだかトムとジェリーみたいで滑稽だった。
 私はこらえきれず笑ってしまう。

「なにしてんだろ、あれ」

 そう言って木原先輩も笑った。
 木原先輩が笑っている。私も笑っている。
 するといつのまにか、緊張もほぐれていた。
 今なら言える。

「木原先輩」

 私が本当に言いたいことが。

「一緒に帰りませんか?」

「よかったんですか? 元・神様、広村薫様」

 そう言いながら、天使は俺の隣に来て柵に頬杖をつく。

「何が?」
「その拳銃を使わなくて」

 俺は内ポケットに入った拳銃の気配を感じながら呟く。

「いいんだよ」

 俺の拳銃はPSS拳銃。小型で、音もそれほどでない、暗殺や偵察用に使われる拳銃だ。それは誰にも知られたくないと言う俺の意志の表れのように思える。

 そうですか、と他人行儀な天使と俺が初めて出会ったのはひと月前のこと。

 ちょうどまどかと寛也を合わせた頃だった。部屋で一人眠りにつく頃、突然窓から光の玉が侵入してきて、みるみるうちに人型に変化。
 それは自分のことを天使といい、俺のことを恋のキューピットだと言った。

「今の日本に神を信じるものは多くありません。神は人々の信仰があって初めて存在し得る存在。故に現在、私たちは仕える身がないフリーランスのようなもの。そこで、神と同じ振る舞いをする気高き人間を神の化身と定め、我々天使が神のサポートをする、と言うわけです」
 要するにまどかと寛也を引っ付けようとした俺はいわゆる恋のキューピットだそうで、天使は俺の願いを叶えてくれるサポートをすると言う。

「だったら手っ取り早く、まどかと寛也を付き合わせてやってくれよ」
「そういう個人的な願いはちょっと」

「は?」

「あなたは神の化身なのですから等しく平等でなければなりません。特定の人間を贔屓するような真似はご法度です」
「じゃあ、どうすれば」
「例えば、身長、体重、年齢、星座、干支。そういった条件を持つ人間への施しなどは許されます。おみくじとかをそうでしょう?」

 そうでしょうって言われても。

 じゃあまどかを想定して、女性で、年齢は十七歳で、恋に悩んでいる、とか。でもそんな人間、たくさんいるよな。
 そこで俺は閃いた。
 まどかが雑貨屋で買った、希少で貴重だと言うあの古めかしい腕時計のことを。

「なら、ある物を持っている人間を施しの対象とする、と言うのは?」

 天使はニヤリと微笑む。

「可能です」

 そうして俺は天使に恋に悩んでいる、そして腕時計の持ち主である人間の願いを叶えるように伝えた。


「てかなんだよ拳銃って。天使が人に渡すアイテムにしては無骨すぎるだろ。もっとこうファンシーでマジカルなものにしろよ」
「いやいや、今は科学の時代ですから」
「お前、自分で自分の存在全否定してるのわかってる?」

 俺は自身の胸ポケットから腕時計を取り出す。俺がこの腕時計を持っている理由、それは俺が神の化身なんかではなく、ただの人間だからだ。

 俺は天使の存在を知り、諦めていたはずの自分の恋心を再燃させ、まどかと同じ店で腕時計を買った。
 だけど、拳銃を手にして俺は思い直した。

 想いを伝えない。

 そういう「好き」の表現の仕方もあるはずだ。

「俺はまどかの幼馴染で、寛也の親友。それ以上は望まないよ。でも」

 すぅっと息を吐く。
 今一度、自分の心の中を覗くがやはり後悔はないようだ。

「あいつが拳銃を使わなくてよかった」

 下を覗くとグラウンドや廊下のあちこちにさまよう生徒たちの姿が見える。

「それよりどうすんだよ。この状況」
「もうすぐ日没です。それで全て元どおりだからいいでしょう」
「あのゾンビみたいな奴らは?」
「銃で撃たれた人も、日が没すれば元に戻ります」
「ならいいけど」

 何がいいのかわからないまま、俺はぼんやりと沈む直前の紅の太陽を見つめる。日が没すれば元に。

「……え」
「え?」
 建物が元に戻ったり、拳銃が消えたりは聞いていたが銃の効力も消えてしまうなんて聞いていなかった。

「じゃああんまり意味なくね? 一瞬だけ好きになられても」
「人間の恋だって一瞬で冷めるでしょ」
「急に辛辣じゃん」

「それに、意味はあるでしょう。あるものは多数の人間に迫られる喜びを知り、あるものは自身の想いを伝える勇気を知り、あるものは誇りに隠れた本当の痛みを知った」

 こちらへ振り向く天使は淡く光り、透けていく。

「人間はやはり、神にはなり得ない。だから面白い」

 天使は微笑み、消えていく。

「意味わかんね」

 俺はシュシュの輪っかから空を覗く。地平線の向こうへと、日が沈む。
 昇降口近辺。

「紗枝様のお通りだー!」
「道を開けろー!」

 柔道部をはじめとする屈強な男子生徒たちが椅子に座った私を神輿のように担いで練り歩く。
 すれ違うものはみんなこのサブマシンガンで撃っていく。すると私の信者となり、この行列に後に続く。
 これぞ私が望んだ世界。
 みんなが私を求め、私が必要とされている。

 なんて気持ちがいいのだろう。

「あれ? あれれ?」

 手に持ったサブマシンガンがじんわりと光だし、突然重量をなくし泡のように消えた。
 瞬間、私を求めていた声が止み椅子を担いでいた生徒たちも手を離す。
 地面に転げ、肘を打った。
 折れてはいないが相当痛い。なのに誰も私のことを見ていない。

「いたた、痛いなぁ」

 しかし、生徒たちはなぜ自分たちがここにいるのか、今まで何をしていたのかを不思議がり、散り散りに。するとここには私一人しか残らなかった。

 まただ、またこの感覚。
 私はただ、さみしいだけなのに。

「うわぁぁああああ!」

 そこへ大声をあげながら一人の男子生徒が迫ってくる。あれは確か生徒会副会長の安藤亮平だ。

「ど、どうしたの?」
「藤野先生がおかしくなってしまった! 僕のせいだ!」

 ひどく怯えた様子の安藤くん。
 彼が走ってきた中庭を覗くと藤野先生が首を傾げながら辺りを見回していた。
 きっと藤野先生も誰かの拳銃で撃たれおかしくなっていたのだろう。
 なんだか今日は疲れた。

「藤野先生ならここには来ないよ」
「なぜそう言い切れる?」
「別になんでもいいでしょ。そんなに怯えてみっともないな」

 あ、しまった。疲れからか気が抜けてしまい、キャラを忘れていた。
 だけど、久しぶりに素で話した気がする。
 自分の口で呼吸ができる感覚とでもいうのか、とても楽だ。

「なんだと! 僕は、いずれ生徒会長になってこの学校を変える男だぞ!」
「あっそう。それは楽しみ」
「だけど、それは一人ではなし得ないことを今回の件で痛感した。だから、君が必要だ」

 え、必要? この私が? 私が欲してやまなかった言葉に雷に打たれたような感動。
 その後の「君たち、一人一人の生徒の協力が必要なんだ」と言う安藤くんの言葉も聞こえなかったくらいに。

「まぁ、こんなたわごと、信じてくれるわけないか」

 意気込んだり、落ち込んだり。正直な安藤くんに惹かれつつも、そんな簡単になびく女だと思われたくもない。
 だからちょっと強気な感じで。
「信じてあげてもいいけど」
「信じてくれるのか?!」

 私の策略なんて全く気がつかない様子で安藤くんはとても喜んでいた。なんだよこいつ。


 意外と可愛いじゃん。


 理科準備室、および部室棟屋上。

「時間切れか」
「そのようですね」

 ガラス片が散らばる理科準備室と瓦礫の山と化した部活棟の屋上が光を帯びて徐々に元に戻っていく。

 光の中で、智恵子は大きく深呼吸。

「高梨会長。私、あなたのことが好きです」

 その想いは確かに高梨に届いている。だけど高梨はその気持ちに答えることができない。

「気持ちは嬉しい。ありがとう。でも、あなたとは付き合えないの」

 それがなぜなのか、高梨は自分でも自分のことがわからず、このやるせ無い気持ちを、苦しい気持ちを全て自分のせいにしてしまう。

「ごめんなさ……」
「謝らないでください」

 智恵子は強く、優しく高梨の謝罪をさえぎった。

「一年前の文化祭、覚えていますか?」

 唐突な質問に、高梨は素直に答える。

「覚えているけど」
「三年生の男子にナンパ目的で声をかけられて困っているところを高梨会長が助けてくれたんです」

 高梨の脳内になんだかぼんやりとその時の情景が浮かんでくる。
 校内を巡回中、半端者の先輩が中学生に声をかけている場面に遭遇した記憶がある。あの中学生が彼女、吉田智恵子さんだったのか。

「高梨会長は年上の男子生徒に臆することなく注意し、そのまま私にも注意してきました」
「あなたに?」

 高梨はそこまでは思い出せなかった。私はなんて言ったのだろう。

「高梨会長は私に言いました。ヘラヘラするな。嫌なら嫌だとはっきり言えって」

 私、知らない中学生にキツすぎないか? 

 でも思い出してきた。その頃の私は文化祭という特殊な状況下で浮き足立つ学校内の雰囲気が居心地悪くて殺気立っていたのだ。
 要するに恋愛ムード全開の野郎にムカついただけだ。

「ごめんなさい、私……」

「だから謝らないでください。私、嬉しかったんです。私、女だから、年下だから、知らない先輩にも失礼がないようにしないといけない、それが社会のルールだからと思ってました。だけどそんな常識を高梨会長がぶっ壊してくれたんです」

 高梨は胸が締めつけられる。

 今の私よりも、その頃の私の方がよっぽど生き生きとしている。
 社会に抗うことをやめ、順応するようにもがいている今の私を知れば彼女も幻滅するだろう。
 そう言えばいい。

 あなたの憧れている先輩は変わってしまったと。
 だけどなにも言えなかった。通話口の向こうから鼻をすする音が聞こえてきたら。

「付き合えなくてもいいです。まずは友達から始めましょう。その先、恋人になれなくても、私たちの関係に名前がなくても。それでも私は会長の何もかもひっくるめて好きです」

 なぜか涙が溢れた。
 それを高梨会長に気取られないように電話口から離れて鼻をすすり、元気な後輩、吉田智恵子として高梨会長へ自分の願いをぶつける。

「だから今度、デートしてください!」

 智恵子が涙を拭う姿が光の中でもわかった。高梨は智恵子を一人の後輩として、友達として、人間として、尊敬できると心から思った。

「いいよ」

 高梨は彼女のそばに駆け寄って涙を拭ってあげたいと思った。
 こんな想いは初めてで、高梨は智恵子の元へ走った。


 建物の隙間から夕日の輝きがまだ少しだけ見える頃、僕は少し前のことを思い出していた。
 隣を歩く彼女、田中まどかさんと初めて会った日のことだ。

 田中さんを初めて見た時のことはよく覚えている。
 あれは薫と田中さんが一緒に帰っているところを見かけた時だ。薫の幼馴染だという彼女は年上で異性である薫に対しなんら遠慮せず、臆することなく漫才のようなやり取りをしていた。
 そんな彼女を面白い子だなと思った。
 だから薫に言って二人で会う機会を作ってもらった時、田中さんの静かな様子に自然と胸が高鳴った。
 自分でもちょろいと思うがギャップにやられたのだと思う。

「ちょっと目を瞑って」
「え!?」

 慌てる田中さんは梅干しを食べたかのようにぎゅっと目と口を瞑る。
 心なしか唇が少し尖っているようにも見える。
 そんなところも可愛らしい。

 だから僕は、心置きなく、カバンの中から拳銃を空へと掲げる。
 薫から親友の証だと、突然渡された腕時計。
 そこから現れた天使にもらったデザートイーグルは夕日が完全に沈むと光に包まれ消えていった。

「よし、行こうか」

 目を開けた田中さんは驚いた様子で先を歩く僕を追いかける。

「え、なんですかさっきの間は? ちょっと先輩!?」

 夕方の空に夜が混ざる。


 空には一番星が輝いていた。
 

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