教室棟の三階にたどり着き、角を曲がると目の前に立ちふさがる人にぶつかりそうになりながらも足を止める。
「薫!」
「まどか! 生徒会のやつがまどかが拳銃でどうのこうのって。お前なにしてんだよ」
「……いやぁなんていうか」
どう説明すればいいのか。どこから説明すればいいのか。考えようとしたその時、薫の後ろ遥か向こう、教室から出てくる木原先輩の横顔が見えた。そのまま先輩は北側の渡り廊下へと身体を向ける。
「いた!」
「なにが!」
「どいて!」
振り返る薫を押しのけ、私は腰から拳銃を抜き出し、構える。
ここから狙えるか?
私と木原先輩の距離は教室五つ分。外してしまうかも。
そしたらすぐに後を追えばいい。そんなことを考えている間に木原先輩はどんどんと遠のいていく。
考えている余裕はない!
私はトリガーに引っ掛けた人差し指に力を込める。
パンッ!
瞬間、世界はスローモーション。脳内では勝手にハッペルベルの「カノン」が流れ出す。
拳銃から飛び散る火花の輝きが。
回転しながら直進する銃弾の軌跡が。
私が突き飛ばしたせいですっ転ぶ薫が。
全てがゆっくりに見えた。だからこそわかる。
このままいけば木原先輩に命中する! いけ! 届け!
曲の盛り上がりも最高潮!
しかし、木原先輩が出てきた教室の扉が音を立てて開く。
「きぃはぁらぁ、わぁすれぇもの~!」
木原先輩の同級生だろうか。突然現れた名も知らぬ先輩は木原先輩の後を追う。
それはつまり、銃弾の軌道上に入るということ。
「あぶぅなぁーい!」
「ぐへぇ……!」
私の叫びも虚しく、銃弾は名も知らぬ先輩の後頭部を綺麗に撃ち抜き、スローモーションの世界で先輩はゆっくりと、吹き飛んだ。
木原先輩は気づかずにそのまま渡り廊下へ。そして名も知らぬ先輩が渡り廊下を通り越し、階段前の地面に伏すと、脳内の曲も終わった。
「やば」
私は急いで駆け寄ると、階段の下に安藤くんが静止していた。目の前には倒れた先輩。私の手には拳銃が。安藤くんの頭の中で何かが結びつく前に誤解を解かなくては。
「あ、安藤くんこれは!」
「ついにやりやがった!」
すでに遅かった。
「先生ー!」
安藤くんはそのまま階段を飛ぶように駆け下りさっていった。
足元から小さなうめき声が聞こえた。先輩が頭を押さえながら起き上がり、私は拳銃を隠して手を差し伸べる。
「あの、大丈夫ですか?」
「井上!」
後ろから薫が駆け寄り井上先輩を抱きかかえようとするが井上先輩は薫を突き飛ばす。
「どいつもこいつも!」
薫の怒りの絶叫を無視して井上先輩は私の前へと跪く。
「おぉ、麗しい姫よ」
「姫?!」
「なんとお美しい。恥ずかしながらあなたに一目惚れをしてしまいました。あなたのためならば、たとえ火の中、水の中。何処へでも馳せ参じてみせましょう」
悦に浸りながら私への愛?を説く井上先輩にたじろいでいると薫に腕を引かれ、井上先輩が目をそらした隙にその場から逃げ出す。
「さぁ共に行かん、二人だけの世界へ!」
南側の階段から教室棟二階へ逃げ込むと上の階から井上先輩の告白が響いて聞こえた。
先ほどまで僕の話を信用していなかった藤野先生も生徒が倒れた、と聞くと慌ててついてきた。
今更どう責任を取るつもりだ。生徒が撃たれてしまったのに。
「こっちです先生!」
頭の中で、どう藤野先生を問い正そうかとシミュレーションをしながら職員室がある特別教室棟一階から渡り廊下を渡って教室棟三階へ。
息も絶え絶え。じんわりと汗をかきながら現場に向かうとさっき撃たれたはずの生徒が辺りを見回しながら佇んでいた。
僕たちに気づいた彼、三年生の井上渉先輩はどちらかというと静かなタイプの人だったと記憶しているが目の前にいる井上先輩からは妙に力強い圧を感じる。
「すまないが姫を知らないか? 照れて何処かへ隠れてしまったようなんだが」
姫? と思ったがそんなことよりも重大な疑問がある。
「さっき、撃たれて死んだはずじゃあ……」
「あぁ、確かに死んだよ。姫に出会う前のつまらない私はもう死んだ! これからは姫にこの身を捧げる勇者として、剣士として、そしていずれは姫にふさわしい男、王として生きる、新たな人生が今始まったのだ!」
ふははははははは。
廊下を走るな、と注意する隙もないまま、井上先輩は走り去ってしまった。いや、そもそも今の僕にそんな余裕もなかった。目の前で起きまくる不可思議な現象に頭も心もキャパオーバーだ。
「安藤、少々mischiefが過ぎるんじゃないか」
おでこのあたりの血管が浮き上がっている藤野先生。
「ち、違うんです……。これは誤解です先生!」
「こんなに迷惑な誤解をするようじゃあ、君にstudent presidentを任せることはできないな!」
そう言い捨てると藤野先生は大きな足音と鼻息を校舎に響かせながらその場を去った。
さっきから走ってばかりで横腹が痛くなってきた。
膝に手を置き、肩で息をしていると腰に隠した拳銃が抜き取られる感触が走る。振り向くと薫が拳銃を掴んでいた。
「返してよ」
薫はじっとこちらを見ている。
それは怒っているようでもあり、悲しんでいるようでもあり、心配しているようでもあり、哀れんでいるようにも見える。
どれが正しいのか、私にはわからない。
それはきっと私に心当たりがあるから。薫に怒られ、哀れに思われ、薫を悲しませ、心配させてしまっているという自覚が私にはある。
「こんなもので相手を振り向かせるなんて、卑怯だろ!」
「でも……」
薫がなぜこの拳銃の効果を知っているのか、私は考えなかった。それよりも薫の言葉が私の胸の奥深くに突き刺さる。それは私がずっとこの拳銃に、私自身に抱いていたものだったから。
私は今、とんでもなく卑怯だ。
「いたぞー!」
「田中まどかを捕まえろー!」
階段の下から、そして二階の廊下から植村さんに撃たれた生徒会メンバーをはじめとする連合軍が迫ってくる。
「なんだよあれ」
あっけにとられている薫から拳銃を奪い取り、私は残された通路である特別教室棟へと通じる渡り廊下へ突き進む。
「おいまどか!」
私はもう引き下がれないんだ。
残りの弾はあと三発。
階段を登り、特別教室棟の三階へ来たが木原先輩の姿はなかった。
一番端の音楽室からは吹奏楽部のチューニングが響いている。
私は扉についた小窓を覗きながら歩みを進める。
美術室。いない。
美術準備室。いない。
コンピュータ室。いない。
残すは理科室。だけどいない。
もう下の階に降りてしまったのか。そもそも木原先輩がなんの目的でどこに向かっているのか見当がつかない。私がいうのもなんだがウロウロしすぎだ。
理不尽な腹立ちを覚えながら私は足が急ブレーキ。
理科室の隣、普通の教室の半分しかない理科準備室の奥に窓の外を眺めている男子生徒の人影が見えたから。
扉に手をかけると普段施錠されているはずの扉がすんなり開く。壁に建てつけられた棚には試験器具や薬品がびっしりと並んでおり、埃っぽいような鼻が痛いような、とにかく化学っぽい匂いがした。
木原先輩はまだ私に気づいていない。
今なら!
「木原先輩っ! ごめんなさい!」
私は拳銃を構え、トリガーを引く。
パンッ!
すると木原先輩は体を硬直させ、そのまま床へと倒れこむ。しかし変だと直感した。それは人形のような動きだった。
床に倒れた男子生徒に近づき、覗き込むとそれは男子生徒の制服を着た、カツラをかぶせた人体模型だった。
「なにこれ?」
「見つけたぞ!」
振り向くと昇降口で声をかけてきた生徒会の生徒が扉に立ちふさがる。しまった、逃げ場がない。
「罠か!」
「罠? なんの話だ?」
飛びかかる生徒会の生徒に驚き、しゃがむと凍った地面を踏むような音とともに、生徒会の生徒はその場に倒れこむ。
「なにが起こったの?」
瞬間、涼しい風が頭を撫でる。後ろを見上げると窓には小さな穴が空いていた。
生徒会の生徒からスマートフォンの着信音が鳴り、起き上がった生徒は電話に出ると「わかりました」と告げ、私にスマートフォンを差し出す。それを受け取ると生徒は魂が抜けたように理科準備室から出ていった。
私は恐る恐るスマートフォンに耳を当てる。
「……もしもし」
「もしもし、高梨マーガレットです」
高梨マーガレット先輩。うちの学校の生徒なら誰もが知っている完璧才女の生徒会長だ。通話越しの声にも品がある。
「どうも。私は」
「あなたも天使から受け取ったのでしょう。拳銃を」
「え」
「二年二組。出席番号十三番。五月七日生まれ。牡牛座。O型。田中まどかさん。一人っ子で父親は会社員。母親は駅近くの本屋でパート勤め。成績はクラスで十七位。学年全体で言うと八十二位。最近はとある先輩に片思い中で占いやスピリチュアルにハマりつつある」
「なんで知って」
「ターゲットは木原寛也? それとも広村薫?」
「薫は普通に幼馴染で」
「やっぱり木原寛也だ」
高梨会長が言った私のプロフィールに間違いはなかった。
出席番号や血液型はともかく、家族構成や個人の趣向まで把握されている。そして私の交友関係まで。
植村さんの時のように自分の狙っている相手を言うのは危険だが、下手な嘘はつけない。
「……そうですけど」
「じゃあ諦めてちょうだい」
先ほどとは明らかに違う冷徹な声だ。
「木原寛也は私のターゲットです」
そんな……。
私は絶望した。
今までの人生にだって、それなりに落ち込んだり、ショックだったり、辛かったことはあったけど、これほどに絶望という感覚を味わったのは初めてだ。
高梨会長はあまりにも完璧だ。誰かが考えた理想の美しい女性の姿、そのものである。物語ならヒロイン。いや、主役を張ってしまうほどの人だ。現に私と高梨会長を見比べると私はどう考えてもモブであり、彼女を引き立たせる存在でしかない。
ため息とともに心の中のモヤモヤが全部出た。空っぽになった心の中で未だ根を貼るあの言葉が私の口をつく。
「高梨会長、そんなの卑怯じゃないですか」
さっき私が薫に言われた言葉だ。
卑怯。
でも、スタイルも、頭も、顔も、何もかも恵まれない私がこの拳銃を使って何が悪いのか。どこが卑怯なのか。私よりも、高梨会長の方が。よっぽど。
「高梨会長なら拳銃に頼らなくても、普通に告白すれば付き合えるじゃないですか。頭も良くて、綺麗だし、人望もあって、私なんかよりもずっとずっと、木原先輩とお似合いかもしれませんけど」
私はスマートフォンを床にそっと置き、覚悟を決める。
私に残された弾は、あと二発。最後の一発は木原先輩に。だから、この一発で高梨会長を撃ち、木原先輩を諦めてもらう!
だって……。
「私だって木原先輩のことが好きなんです!」
立ち上がり、窓の外に向けて拳銃を向けるがそこには誰もいなかった。
隣の教室に繋がるベランダの下は来客用の駐車場があり、その向こうには全ての運動部の部室が揃う部活棟があるのみ。
「どこ……」
ベランダのどこかに隠れているのか。ベランダへ出ようと窓へ近づくと、傾き始めた太陽の陽が何かに反射するのが見えた。
キランと光るそれは、部活棟の屋上。そこには何か影が。目を凝らし、その影が人だと認識した瞬間、目の前の窓ガラスが弾けた。
高梨会長の銃弾は窓の桟に命中し、わずかに私の袖をかすめて後方の壁へと着弾。
ガラスが床に散らばる激しい音と袖を狙撃された衝撃で私は身動きが取れなくなるが、辛うじて後ずさりした足が床に転がった人体模型に躓いて転び、私はすぐに窓の下の死角へと隠れた。
「そんな遠くから、やっぱり卑怯じゃないですか!」
「あなたたちこそ卑怯じゃない」
高梨会長からの予想外の言葉に返す言葉が見つからない。あなたたちこそって? それよりも先輩の声だ。
いつも私たちの前で生徒会長として話す品のある凛とした声でもなく、先ほどの冷たいものでもない。
失礼な言い方だが私とよく似た、普通の女の子のような声だった。
「私は容姿が人より整っている。ママのおかげよ。ママもとても綺麗だから。だけど運動が全くできなかった。だから頑張った。そしたらみんなパパのおかげだねっていうの。パパは運動神経がいいからね」
「それは、辛いですね……」
自分の頑張りを誰かのおかげと言われるのは腹立たしいし、やるせないだろう。完璧だと思っていた高梨会長がまさかそんな思いをしていたなんて。
「別にいいの。パパが私を誇りに思ってくれるなら私も嬉しいから」
いいのかよ。
「じゃあ……」
「私は勝手に期待される。この見た目にあった中身を求められる。だからそれに答えるように努力した。勉強もしたし、誰に対しても優しく接したし、みんなが求める高梨マーガレットを完璧に演じてきた」
そうか。私もさっきから高梨会長を勝手に完璧な人として捉えていた。植村さんと同じように演じていたなんて、それはやっぱり。
「辛かったんですね」
「それも別にいいの。私も今の私に満足してるから」
いいのかよ。
「何が言いたいんですか?」
スマートフォンの向こうから少しだけ息を吐く音が聞き漏れた。
「私は、私が大好きだ。なのに……嫌いになりそうだ」
高梨会長はこう告げる。いつもの凛とした声で。
「私は好きという気持ちがわからない」
「……どういう意味ですか?」
「私はみんなのことを大切に思っている。男女共にかけがえのない友達もいる。私はみんなのことを大好きだと思っている。だけど、私の好きは、みんなの好きとは違うらしい」
「それはつまり、まだ好きになった人がいないってことですか?」
「まだ、か。未来のことは誰にもわからないし、私にだってわからない。だけど、今の私のことならわかる。まだ、じゃない。私は人を好きにならないんだ」
天使は言っていた。恋愛に悩んでいる人に銃を授けると。
「恋愛をすることが当たり前で、人が誰かを好きになることが素晴らしいとされる世界が、私はとても、……とても苦しい。こんな腕時計までして、バカみたい」
私のように恋が実らないという悩みではなく、
高梨会長は恋がわからないという悩みだ。
しかし、そんな考えがなかった。私はどうして木原先輩が好きだと胸を張って言えるのだろう。木原先輩のなにが好きで、自分のこの気持ちが好きだと確信していたのだろう。
「だけど、私は高梨マーガレット。みんなが憧れ、パパとママが誇る娘であるために、私はこんなくそったれた世界でも完璧に生きてみせる! そのために木原寛也と付き合うの! たとえ偽りのカップルでも私に釣り合う男性でないと意味がないからね」
高梨会長は笑う。すごくさみしい、乾いた笑い声だった。
「はぁーあ、初めて言ったよ。こんなこと。ねぇ、どうしてかわかる?」
ガチャコン、とレバーが引かれるような音が聞こえる。
「あなたも私のこのスナイパーライフル、L96AWSの餌食となり、誰にも言わせないようにするからよ!」
発砲音とともに窓が一枚ずつ割られ、室内で銃弾が跳ね、棚の試験器具も破壊する。
「やめてください! 高梨会長!」
強烈な騒音だ。耳も目も塞ぎ、うずくまることしかできない。このままでは騒ぎを聞きつけた先生や生徒が私を捕まえる。この部屋から脱出しようにも立ち上がれば狙撃される。
どうすればいいのか!
「見つけましたよ! 私の好きな人!」
目を開けると、床に散らばる無数のガラスの反射を受け、派手に照らされたロケットランチャーがこちらを向いていた。
弾が切れ、マガジンを外して充填。
スコープで現場を確認するも標的は未だ動かず。
しかし時間の問題だ。
田中さんが姿を見せるのが先か、他の生徒に見つかるのが先か。
銃弾は残り、マガジン一つ分。
私は息を吐き、スコープで理科準備室を覗く。
ん? 誰だ、あれ。
女子生徒? 生徒会のメンバーではない。まさか他の腕時計の持ち主か?
でもこの距離ならたとえ銃弾が届いても正確に狙うことは不可能のはず。
もし私と同じスナイパーライフルタイプの銃でも既に構えている私の方が早く撃てる。
ん? なんだ? なにをしている? 制服の中から何か取り出して。いや、大きいな、質量おかしいだろ。なんだあれ。筒?
「え」
スコープの中で女子生徒は膝立ちになり筒状の何かを肩に担ぐ。
「ファイヤー!」
田中さんと繋がっていたスマートフォンからそう聞こえ、白い煙とともにこちらに向かってくるミサイルがだんだんと大きくなっていく。
耳をつんざく爆発音とともに部活棟の屋上が煙で満ちている。
「智恵子ちゃん!」
ロケットランチャーを肩から下ろす彼女は一年生の吉田智恵子ちゃん。智恵子ちゃんはまたも制服の中からミサイルを取り出し、ロケットランチャーに装填。何もかもが私とは規格外だ。
「田中先輩も会長目当てだったとは気が付きませんでした。でも、私が会長をいただきます!」
「違う違う! 私は木原先輩狙いだから!」
「木原? 誰ですかその人」
「えぇ……」
「いきなり爆破なんてひどいじゃない」
スマートフォンから高梨会長の声が聞こえる。
「さすが会長、避けましたか」
「あなた一年一組の吉田智恵子さんね。私を狙うなんて、なにが目的?」
「決まってるじゃないですか。会長に私を好きになってもらうためですよ。ていうか、この腕時計を持ってて、天使から武器を貰ったのなら、みんな目的は同じでしょ?」
みんなと同じではないことに苦しみながらもがいている高梨会長にとってその言葉は地雷だ。
「あなたたちと一緒にしないで」
凛とした声の中に怒りの気配を感じる。
「さすがですね。でも」
智恵子ちゃんは再びロケットランチャーを構える。
「私は会長が大好きです。もちろん、性的な意味で!」
音楽室からは吹奏楽部の演奏が漏れ聞こえる。
題名はリヒャルト・ワーグナーの『ワルキューレの騎行』だ。
ロケットランチャーが火を吹き、智恵子ちゃんはそのまま連続でミサイルを装填し撃ち続ける。爆煙をあげる部活棟の屋上の中で高梨会長はそれを交わし、時折飛んでくるミサイルを狙撃し、空中でミサイルが爆発する。
「誰かを特別に慕うにはそれなりの理由があるはずでしょ。私、あなたと話したことあったかしら」
「覚えていなくても仕方ありません。あれは私がまだ中学生の頃の話ですから」
特別な思い出があるのだろう。過去を思い出している智恵子ちゃんの顔は明らかに照れていた。それは恋する乙女の表情だ。
「今では大大大好きです!」
「それは勘違いよ。同性の先輩への憧れを、好意だと錯覚しているだけ。思春期によくある勘違いよ」
高梨会長は冷徹な声で突き放す。しかし、拒絶というニュアンスではなく、むしろ優しさを感じた。恋愛がわからないという孤独を感じている高梨会長だからできる優しさの表現だと思う。智恵子ちゃんがどう感じているかわからないが、同性に恋をするというのも、今の社会ではそれなりに孤独を感じるものだろう。
「確かに最初は憧れでした。会長の言う通り、勘違いかもしれないって、過去には自分の思いがわからないこともありました。でも、今の私のことならわかります。私は会長のことが好きです!」
それは奇しくも、恋愛についてわからないと言っていた高梨会長と同じセリフだった。
「智恵子ちゃんはどうして憧れじゃなくて好きだって言い切れるの?」
私の木原先輩に対する思いも憧れが強いから。
「どうして。どうしてかぁ」
智恵子ちゃんがロケットランチャーを撃つ手を止め、考え始めると高梨会長の銃弾が智恵子ちゃんの心臓を貫く。智恵子ちゃんは着弾の衝撃で後方によろめくが倒れることなく、首をだらんと下げその場に力なく立ち尽くす。
「智恵子ちゃん!」
スマートフォンの向こうから笑い声が聞こえてくる。
「さぁ、そのミサイルで田中さんを撃ちなさい」
智恵子ちゃんはロケットランチャーにミサイルを装填し、肩に担ぐ。その銃口は私ではなく、高梨会長のいる外に向かっていた。
「ほら。やっぱり私、会長のこと好きみたいです」
顔を上げた智恵子ちゃんの顔は変わらずキラキラとしていた。
そうだ。撃たれた相手は撃った相手のことを好きになるのが銃の効果。ならばもともと高梨会長を好きな智恵子ちゃんが撃たれても変化がなくて当然だ。