書きかけの物語の残り半分をこれまた一週間で書き上げた私は、こうしてあっという間に10周年記念作を完成させた。
執筆と並行して装丁のデザインも始められていたため、すぐに入稿され、校正・校閲作業へと進められる。
タイトルは東雲さんに考えてもらった『神様は目を閉じた』だ。
顔に似合わずロマンチックなタイトルを付けるものだと思いながら、そこはさすが編集者というのか、ストーリーによく合っていて、私は結構気に入っていた。
そしてすべての作業を終えて校了するころ、ついに書籍の宣伝も始められた。
予定していたとおり、“日下部聖初の恋愛小説”というあおりと顔出しでの宣伝だ。
発売日の一ヶ月前から新聞や雑誌、テレビ、果ては駅の構内など、いたるところに広告が載せられ、これまでの比ではないレベルの宣伝料がかかっていることが窺えた。
これで売れなかったら、私は一体どんな贖罪をすればいいのだろう。
強気な初版の部数を思い出すと、嫌でも戦慄が走る。

そんな中、私が新作の編集作業に追われていたのと時を同じくして、千里くんも仕事に忙殺されているようだった。
彼曰く、研修期間も終え、家に帰るのもままならないほど研究に追われているらしい。
新人としてはいい経験を積めるようで嬉しいが、いかんせんあまりの忙しさに疲労困憊しているそうだ。
そのため私はしばらくのあいだ、彼に会うことはおろか、連絡を取ることすら躊躇してしまっていた。
しかし新作の発売情報が解禁されたその日、久しぶりに連絡をしてみると、すぐに“予約をした”との返事がきた。
“仕事は大変だけど、聖ちゃんの新作をご褒美だと思って頑張るよ”。
送られてきた文面を何度も読み返し、一人でひっそりと微笑む。
私の書く物語が千里くんの活力になるのなら嬉しい。
けれど私は別に、彼に心を返してもらいたいとは思わなかった。
だからきっと、これは恋ではない。
やはり私は彼に昔の自分を重ねて、その傷を舐めているにすぎないのだろう。
彼が今日も健やかで楽しく平穏に過ごしてくれていれば、それ以上のことはなかった。
仕事が一段落ついたら、また感想を聞かせてくれるだろうか。
私がそれだけを楽しみに仕事をする中、宣伝の甲斐があってか、新作の初週売上は予想を遥かに上回るものとなっていった。

「聖ちゃん、久しぶりだね」

「うん。千里くんは元気だった?」

千里くんに会うことができたのは、新作の発売から2週間が過ぎた日のことだった。
最後に会ったあのデートの日から実に3ヶ月もの時間が経ち、季節は夏真っ盛りとなっている。
今回は“新作発売のお祝いをさせてもらえないかな”と、彼の方から食事に誘ってくれたのだ。
久しぶりに(まみ)えた彼は、少し痩せたような気がしたが、きらきらとした笑顔は変わっていなかった。
待ち合わせをしたのは個室のあるダイニングバーで、私たちは揃って白ワインを頼んで乾杯をした。

「10周年おめでとう」

「ありがとう。千里くんも読んでくれたんだよね? どうだった?」

「すっごく面白かったよ。聖ちゃんってこういう話まで書けるんだって驚いた」

「記念作だから3冊も買ったんだ」とか「途中で出てきた洋食屋さんのモデルって俺と行ったところだよね」と言いながら、千里くんはいつものように生き生きと感想を話してくれた。

特に「中学生のころの俺にも読ませてやりたい」と言ってもらえたとき、私は嬉しくて舞い上がってしまった。
その言葉を聞きたいがために、『神様は目を閉じた』を書いたと言っても過言ではないくらいだ。
さすがに重たすぎると分かっているから、彼にその事実を伝えるつもりはないけれど。

「巷のブックランキングもずっと一位をキープしてたよね」

「うん。予想以上の売れ行きみたいで、発売前に重版もかかったんだ。今もう5刷だったかな」