読みそのままの“せんり”にならなかったのは、ご両親が産まれた彼の顔を見た瞬間に、“ちさと”の方がいいと思ったからだそうだ。
たしかに彼の雰囲気には、訓読みの柔らかい感じの方が合っている。
「あっ、そうだ。実は私の本名も訓読みなの。聖って書いて、本当は“ひじり”」
「そっか、ひじりちゃんかぁ。……うん、ぴったりな名前だね」
自分の名前が自分に合ってると思ったことはないけれど、千里くんから見たら“聖”っぽく見えるのだろうか。
私を真似るようにして、千里くんも私の名前を何度も呟く。
やはりどこかデートっぽくはないけれど、彼が楽しそうなら何よりだ。
お昼にはまだ少し早いが、とりあえず腹ごしらえをしようと、私たちはまず調べておいた洋食屋さんに向かった。
創業70年の老舗だというその洋食屋さんは、レンガ調の外観が素敵な昔懐かしいお店だ。
私はそこでオムライスを、千里くんはステーキハンバーグをそれぞれ注文した。
出てきたオムライスは、デミグラスソースのかかったふわふわとしたタイプのものだ。
なかなか家では再現できない味に感動しつつ昼食を終えると、お次は満を持して美術館へと向かった。
ガラス工芸品を扱うその美術館は、平日のせいか、目論見どおり来場客がまばらだった。
まずは常設展示をゆっくりと見て回りながら、ときどき二人で感想を言い合う。
以前取材で訪れたときはあまり時間がなく、展示品も鑑賞しきれなかったから、私にとってもその時間は魅力的なものだった。
計算されているであろう照明器具に照らされて作品たちが繊細に輝いているのを、千里くんが興味深く眺めている。
その様子を、私は時おり盗み見るようにして観察した。
作品の放つ光が彼の真剣な瞳にも映り込んで、吸い込まれそうなほど綺麗だと思う。
その澄んだ眼球すらも、共に並べて展示してしまいたいくらいだ。
「ガラス工芸は好きなの?」
「うん。ガラスは化学だからね」
そう言うと、千里くんは途中にあった解説よりもずっと詳しく、ガラスの化学成分や製造方法についての説明をしてくれた。
この美しい工芸品を見て、頭の中が理数的な思考になるなんて、私にはとても考えられない。
二人の真逆な脳内が面白く、私は密かに笑みをこぼしていた。
それから油彩画の特別展示やミュージアムショップも見終えると、私たちは隣の庭園をおさんぽしてから、美術館に併設されたカフェへと入った。
かなり歩いてしまったせいか体温が上がっていたため、二人ともアイスコーヒーを頼み、風の気持ちいいテラス席へと座る。
そしてしばらくはそこで、展示されていた作品と『レプリカ』の話に興じた。
クライマックスのシーンは階段の踊り場をモデルにしたとか、作中に出てきた作品はあのひときわ大きな紫色の花器だったとか、そういった裏話を思い出せる限り語ると、千里くんはやはり目を輝かせながら聞いていた。
「なんだか俺ばっかり楽しませてもらっているみたいで悪いな」
「そう?」
取り留めのない話が一段落するころ、千里くんはふいにそう言って苦笑した。
今日のこのデートは彼の恋愛の足掛かりになればと企画したのだから、そんなことを気にする必要はないのだけれど。
ともあれ、彼はそんな私の意図など知る由もないのだから、上げ膳据え膳のこの状況を不思議がられてもおかしくはない。
ならば少しの“対価”でも求めれば、彼の気も楽になるだろうか。
「じゃあ、いつもどおりインタビューに答えてもらってもいい?」
「いいけど、まだほかに聖ちゃんに話せるようなことなんてあったかな」
「うん。千里くん、前に好きな人がいたこともあるって言ってたでしょ? どんな人だったのか聞きたいなと思って」
たしかに彼の雰囲気には、訓読みの柔らかい感じの方が合っている。
「あっ、そうだ。実は私の本名も訓読みなの。聖って書いて、本当は“ひじり”」
「そっか、ひじりちゃんかぁ。……うん、ぴったりな名前だね」
自分の名前が自分に合ってると思ったことはないけれど、千里くんから見たら“聖”っぽく見えるのだろうか。
私を真似るようにして、千里くんも私の名前を何度も呟く。
やはりどこかデートっぽくはないけれど、彼が楽しそうなら何よりだ。
お昼にはまだ少し早いが、とりあえず腹ごしらえをしようと、私たちはまず調べておいた洋食屋さんに向かった。
創業70年の老舗だというその洋食屋さんは、レンガ調の外観が素敵な昔懐かしいお店だ。
私はそこでオムライスを、千里くんはステーキハンバーグをそれぞれ注文した。
出てきたオムライスは、デミグラスソースのかかったふわふわとしたタイプのものだ。
なかなか家では再現できない味に感動しつつ昼食を終えると、お次は満を持して美術館へと向かった。
ガラス工芸品を扱うその美術館は、平日のせいか、目論見どおり来場客がまばらだった。
まずは常設展示をゆっくりと見て回りながら、ときどき二人で感想を言い合う。
以前取材で訪れたときはあまり時間がなく、展示品も鑑賞しきれなかったから、私にとってもその時間は魅力的なものだった。
計算されているであろう照明器具に照らされて作品たちが繊細に輝いているのを、千里くんが興味深く眺めている。
その様子を、私は時おり盗み見るようにして観察した。
作品の放つ光が彼の真剣な瞳にも映り込んで、吸い込まれそうなほど綺麗だと思う。
その澄んだ眼球すらも、共に並べて展示してしまいたいくらいだ。
「ガラス工芸は好きなの?」
「うん。ガラスは化学だからね」
そう言うと、千里くんは途中にあった解説よりもずっと詳しく、ガラスの化学成分や製造方法についての説明をしてくれた。
この美しい工芸品を見て、頭の中が理数的な思考になるなんて、私にはとても考えられない。
二人の真逆な脳内が面白く、私は密かに笑みをこぼしていた。
それから油彩画の特別展示やミュージアムショップも見終えると、私たちは隣の庭園をおさんぽしてから、美術館に併設されたカフェへと入った。
かなり歩いてしまったせいか体温が上がっていたため、二人ともアイスコーヒーを頼み、風の気持ちいいテラス席へと座る。
そしてしばらくはそこで、展示されていた作品と『レプリカ』の話に興じた。
クライマックスのシーンは階段の踊り場をモデルにしたとか、作中に出てきた作品はあのひときわ大きな紫色の花器だったとか、そういった裏話を思い出せる限り語ると、千里くんはやはり目を輝かせながら聞いていた。
「なんだか俺ばっかり楽しませてもらっているみたいで悪いな」
「そう?」
取り留めのない話が一段落するころ、千里くんはふいにそう言って苦笑した。
今日のこのデートは彼の恋愛の足掛かりになればと企画したのだから、そんなことを気にする必要はないのだけれど。
ともあれ、彼はそんな私の意図など知る由もないのだから、上げ膳据え膳のこの状況を不思議がられてもおかしくはない。
ならば少しの“対価”でも求めれば、彼の気も楽になるだろうか。
「じゃあ、いつもどおりインタビューに答えてもらってもいい?」
「いいけど、まだほかに聖ちゃんに話せるようなことなんてあったかな」
「うん。千里くん、前に好きな人がいたこともあるって言ってたでしょ? どんな人だったのか聞きたいなと思って」