「10周年……恋愛小説……」
気が重くなる案件を思い出し、頭を抱える。
東雲さんには無理だと言ったが、私も一応プロの作家だ。
自分の趣味だけで仕事をするつもりはなく、求められるものには応えたいと思う。
たとえそれが苦手な恋愛小説の執筆だとしてもだ。
そんな自分を鼓舞するために、私はミルクレープを追加注文して、時間が経って薄まったであろうアイスティーにガムシロップを投入した。
困ったときには甘いものにかぎるというのは私の持論なのだ。
糖分を摂ると、にぶい頭がよく働くような錯覚がして、ついでに気分も高揚する。
ガムシロップがどろりとした曲線を描いて沈んでいくのをうっとりと見つめてから、私は出てきたミルクレープに満を持してフォークを入れた。
ミルクレープのいいところは一枚一枚層を破っていく感触が楽しく、まるですべてを肯定するかのように舌に優しいところだろう。
脳が冴えわたる優しい甘さを噛み締めながら、しみじみと糖分の偉大さを感じていると、ふいにファンレターのかたまりの中に一際シンプルな水色の封筒を見つけた。
なんの柄も印刷されていない、まっさらな水色。
あれはきっと“カナタさん”からのファンレターに違いない。
手を伸ばして差出人を確認すれば、そこには予想したとおり“彼方千里”の名前が記してあった。
彼方さんはデビュー作を発表したころから絶え間なくファンレターをくださる読者の方だった。
私は心の中でこの方をカナタさんと呼び、新作を出すたびに届く手紙を心待ちにしているのだ。
折ってしまわないように細心の注意を払いながら、封筒と同じ色をした、これまたシンプルな便箋を取り出す。
そこには読みやすい整った文字で、先ほど出版したばかりである新作についての感想が書かれていた。
新作とは、今まで3冊発行してきたミステリーシリーズ『夢想探偵』の続編だ。
アイスティーの底にたまったガムシロップをストローでかき混ぜながら、私はカナタさんがしたためてくれた一文字一文字をゆっくりと目で追った。
――今回のワトソン役は女子高生でしたね。主人公とのやりとりが微笑ましくて、海辺でのシーンは思わず声を上げて笑ってしまいました。
――スマートフォンを使ったトリックはどのように思いついたのでしょうか。序盤の伏線には気づくことができたものの、最後まで真実がわからず、核心に迫るラストは圧巻でした。
カナタさんはいつも作品のよかったところだけを淡々と綴ってくれる。
そのため自身に関することはほとんど語られないが、しかしながら文面から、私はこの方を同世代の女性だろうと推察していた。
きっとミステリアスで上品な、美しい人だ。
そんな方に著作を愛してもらえて嬉しいやら畏れ多いやら、思わず破顔していくのを自覚しつつ、甘ったるいアイスティーを飲み込む。
そうだ、カナタさんみたいな女性なら、一体どんな恋愛をするだろうか。
彼女を主人公として話を練ってみれば、少しはロマンチックな物語が生まれるかもしれない。
そんなことを思いついた私は、持参していたネタ帳代わりの手帳とボールペンを取り出し、イメージを書き留めることにした。
うーんと唸り声を上げながら、薄い色の罫線に沿ってさらさらと文字を羅列していく。
求められているのは25歳女性作家の等身大の恋愛小説だ。
ならば女性目線の、リアルかつ切ない話が理想的だろう。
一昔前には純愛小説が流行ったけれど、昨今だとむしろ不倫ものなどのインモラルな話の方がウケがいいのかもしれない。
たとえばカナタさんのような影のある美しい女性が、既婚者と恋に落ちてしまう話とか。
いやしかし、それでは自分の作風とのギャップがありすぎて、せっかくのモチーフを持て余してしまうような気がする。
ならば自分の作風から外れない程度で流行を取り入れつつ、メディアミックスも視野に新鮮でキャッチーなネタを……――。
「……ダメだ」
書いたばかりの文字をぐちゃぐちゃと線で塗りつぶし、放り投げるようにしてボールペンを置く。
ありふれたモチーフと邪な思考ばかりが先行してイメージがまとまらない。
だいたい等身大の恋愛ってなんだ。
世の20代は、一体どんな恋愛をしているというのだ。
気が重くなる案件を思い出し、頭を抱える。
東雲さんには無理だと言ったが、私も一応プロの作家だ。
自分の趣味だけで仕事をするつもりはなく、求められるものには応えたいと思う。
たとえそれが苦手な恋愛小説の執筆だとしてもだ。
そんな自分を鼓舞するために、私はミルクレープを追加注文して、時間が経って薄まったであろうアイスティーにガムシロップを投入した。
困ったときには甘いものにかぎるというのは私の持論なのだ。
糖分を摂ると、にぶい頭がよく働くような錯覚がして、ついでに気分も高揚する。
ガムシロップがどろりとした曲線を描いて沈んでいくのをうっとりと見つめてから、私は出てきたミルクレープに満を持してフォークを入れた。
ミルクレープのいいところは一枚一枚層を破っていく感触が楽しく、まるですべてを肯定するかのように舌に優しいところだろう。
脳が冴えわたる優しい甘さを噛み締めながら、しみじみと糖分の偉大さを感じていると、ふいにファンレターのかたまりの中に一際シンプルな水色の封筒を見つけた。
なんの柄も印刷されていない、まっさらな水色。
あれはきっと“カナタさん”からのファンレターに違いない。
手を伸ばして差出人を確認すれば、そこには予想したとおり“彼方千里”の名前が記してあった。
彼方さんはデビュー作を発表したころから絶え間なくファンレターをくださる読者の方だった。
私は心の中でこの方をカナタさんと呼び、新作を出すたびに届く手紙を心待ちにしているのだ。
折ってしまわないように細心の注意を払いながら、封筒と同じ色をした、これまたシンプルな便箋を取り出す。
そこには読みやすい整った文字で、先ほど出版したばかりである新作についての感想が書かれていた。
新作とは、今まで3冊発行してきたミステリーシリーズ『夢想探偵』の続編だ。
アイスティーの底にたまったガムシロップをストローでかき混ぜながら、私はカナタさんがしたためてくれた一文字一文字をゆっくりと目で追った。
――今回のワトソン役は女子高生でしたね。主人公とのやりとりが微笑ましくて、海辺でのシーンは思わず声を上げて笑ってしまいました。
――スマートフォンを使ったトリックはどのように思いついたのでしょうか。序盤の伏線には気づくことができたものの、最後まで真実がわからず、核心に迫るラストは圧巻でした。
カナタさんはいつも作品のよかったところだけを淡々と綴ってくれる。
そのため自身に関することはほとんど語られないが、しかしながら文面から、私はこの方を同世代の女性だろうと推察していた。
きっとミステリアスで上品な、美しい人だ。
そんな方に著作を愛してもらえて嬉しいやら畏れ多いやら、思わず破顔していくのを自覚しつつ、甘ったるいアイスティーを飲み込む。
そうだ、カナタさんみたいな女性なら、一体どんな恋愛をするだろうか。
彼女を主人公として話を練ってみれば、少しはロマンチックな物語が生まれるかもしれない。
そんなことを思いついた私は、持参していたネタ帳代わりの手帳とボールペンを取り出し、イメージを書き留めることにした。
うーんと唸り声を上げながら、薄い色の罫線に沿ってさらさらと文字を羅列していく。
求められているのは25歳女性作家の等身大の恋愛小説だ。
ならば女性目線の、リアルかつ切ない話が理想的だろう。
一昔前には純愛小説が流行ったけれど、昨今だとむしろ不倫ものなどのインモラルな話の方がウケがいいのかもしれない。
たとえばカナタさんのような影のある美しい女性が、既婚者と恋に落ちてしまう話とか。
いやしかし、それでは自分の作風とのギャップがありすぎて、せっかくのモチーフを持て余してしまうような気がする。
ならば自分の作風から外れない程度で流行を取り入れつつ、メディアミックスも視野に新鮮でキャッチーなネタを……――。
「……ダメだ」
書いたばかりの文字をぐちゃぐちゃと線で塗りつぶし、放り投げるようにしてボールペンを置く。
ありふれたモチーフと邪な思考ばかりが先行してイメージがまとまらない。
だいたい等身大の恋愛ってなんだ。
世の20代は、一体どんな恋愛をしているというのだ。