屋敷の一室で、一人の女の子が眠っている。
 苦しそうに顔をしかめながら、悪い夢で見ているみたいにうなされている。

「エル……」
「エルちゃん……」
「ギリギリだったね」

 嫌な予感はあった。
 そして、その予感はすぐに的中してしまった。
 急いで屋敷に戻った俺たちが目の当たりにしたのは、血だらけで倒れるエルの姿だったんだ。

「あと数分遅ければ、彼女は助からなかった。エルマが治癒魔術を使えて助かったよ」
「はい……本当に」

 エルは腹部を貫かれていた。
 幸いなことに内蔵は避けていたけど、出血が酷く命に関わるレベルの傷だ。
 さらに手足には打撲と裂傷が多数。
 いくかは屋敷に戻ってくる道中でつけた傷だろうけど、見た目通り全身ボロボロだ。
 エルマさんのお陰で命は繋いだけど、今も高熱を出して寝込んでいる。
 彼女はまだ、目を覚ましてくれない。

「リン君……大丈夫だよね? エルちゃん、目を覚ますよね?」
「ああ、大丈夫」

 エルマさんの治療は完璧だ。
 それでも不安は拭えない。
 思えば二人は出会って間もないというのに、シトネの優しさが垣間見える。
 もちろん落ち着いてられるような状況ではない。
 だけど、そうでも思わないと……

 怒りで我を忘れてしまいそうだ。

「ぅう……っ」
「エル?」
「エルちゃん?」
「……お兄……さん?」

 不意にエルが目を覚ました。
 俺もシトネも、涙が出そうなくらい嬉しくなる。
 そんな俺たちにエルは、痛みに耐えながら言葉を振り絞る。

「お兄さんに……伝言があるっす」
「伝言?」

 頭に過ったのは一人の名前だ。
 内容を知りたい。
 知りたいけど、今は彼女の身体のほうが心配だ。

「それは後で聞く。今は無理にしゃべらないほうが――」

 エルの手が布団から出て、俺の左手を掴む。
 弱々しくも確実に、彼女は俺の手を握りしめていた。

「今……聞いて……ほしいっす」
「エル……」
「リンテンス」

 師匠の声に振り向く。

「聞いてあげなさい」
「……はい」

 本当なら安静にしているべきだ。
 でもここは、彼女の意思を尊重しようと師匠は言っている。
 傷を負ってまで持ち帰ってきた情報を、俺は心して聞く。

「聞かせてくれ」
「はい……アリスト……ロバーンデックからの伝言っす」

 やはりか、と俺たちは感じた。
 エルは続けて語る。

「俺のことを、探っているのはー―」

 俺のことを探っているのはアルフォース・ギフトレン、あんただろう?
 理由も大方見当がつく。
 悪魔との戦いに備えて、俺とも共同戦線を張りたい……といったところだろう。
 もうわかっていると思うが、その答えはノーだ。
 理由を語るつもりはない。
 あんたとは昔から意見が合わなかった。
 だからあんたに伝えるつもりはない……あんたにはな。
 弟子がいるだろう?
 俺はそいつに興味がある。

「俺を?」
「そうっす……その後あいつは……」

 王都を北に進んだ場所に巨大な渓谷がある。
 そこの最深部で待つ。
 色々知りたいなら来ると良い。
 もちろん、弟子も連れて。

「リチル大渓谷か。なるほど、そこに潜んでいたわけだね」

 リチル大渓谷は、王都の北にある巨大な渓谷の名前だ。
 まるで天から振り下ろされた刃に切り裂かれたように、大地がかっぽりと空いている。
 そこには多数のモンスターが生息しており、一級危険区域に指定されている。
 基本的には誰も近づかないから、隠れ場所としては最適だ。
 もちろん、モンスターをもろともしない強さが必須になる時点で、誰でも選べる選択ではないけど。

「その後……あいつは去っていったっす」
「そうか」

 エルは伝言役として生かされた。
 瀕死の重傷を負いながら、何とかここへ戻ってきたエル。
 こういうのを不幸中の幸いというのだろう。
 
「ありがとう、エル」
「申し訳ない……っす。余計な心配……かけちゃって」
「余計なわけあるか。生きててくれて本当に嬉しいよ」
「私もだよ。エルちゃん」
「えっへへ……そう言ってもらえて……エルも嬉し……」
「エルちゃん!?」

 エルは再び意識を失った。
 心配そうに見つめるシトネに俺は言う。

「大丈夫、気を失っただけだよ」
「そ、そっか……良かった」

 ホッとするシトネを見て、俺も同じようにホッとする。
 でもすぐに気を引き締めて、師匠と目を合わせる。

「師匠」
「ああ、男の誘いというのは気に入らないが、ここは乗るべきだね」
「はい。すぐに出発の準備をしましょう」
「良いのかい?」

 呼び止めたのはエルマさんだった。
 今回は彼女も一緒に屋敷へ戻ってきている。
 俺たちに工房がバレた時点で、別の場所に移るつもりだったようだが、一先ず屋敷へ同行していた。
 ちなみにまだシトネの魔剣は完成していない。

「誘われてるってことは、確実に罠が盛りだくさんだよ?」
「間違いなくそうだろうね」
「それでも行きますよ」

 ここまでされて黙っているわけにはいかない。
 そう感じているのは俺だけではなく、シトネもだった。

「私も行くよ」
「気持ちは嬉しいけど、今回はダメだ」
「うん、さすがに危ない。それに彼女を看病する役目を必要だろう?」
「で、でも……」

 そんなシトネを見て、エルマさんが口を開く。

「しゃーないね。あたしも同行してやるよ」
「え?」
「珍しいね」
「別に? 単なる気まぐれだよ。工房もなしじゃ仕事も進められないしね。後はそう――」

 エルマさんは徐にエルへ近づく。
 エルの瞳には涙がついていて、エルマさんはそれを優しく拭う。

「こんなに可愛い子に怪我させたんだ。そんな奴、許しておけないだろ?」
「――はい!」