「見てるぞ」
「うん!」
シトネは刀を強く握りなおす。
その瞳に迷いはなく、眼前の敵に集中していた。
落ち着きを取り戻したことで、彼女は冷静に現状を分析し始まる。
ロックエレメンタルの強度、環境デバフ、折れてしまった刀。
これらを統合し、一つの結論にたどり着く。
「それなら!」
刀が光りを纏う。
「そうだ。それで良い」
魔力濃度の濃いこの環境で、術式は正常に発動しない。
ただそれは単純に制御が乱れやすいというだけだ。
特に放出系の術式は、手元から離れた後に制御が乱れてしまいやすい。
ならばどうするか?
放出せず纏わせてしまえば、自身で制御し続けることが出来る。
シトネは旋光と同じ術式を発動し、その力を刃に留め圧縮した。
折れた部分の刃も、光の刃で補填している。
シトネが飛び出し、ロックエレメンタルの懐へもぐりこむ。
疲労で俊敏性に欠けるとも、見慣れた動きならば躱し、もぐりこむ程度は容易だ。
そして――
「そこだ!」
シトネの刃がロックエレメンタルの左胸を切り裂いた。
硬い岩に阻まれた奥には、赤い宝石のような結晶が埋まっている。
彼女の斬撃は結晶ごと真っ二つに斬り、エレメンタルは肉体が崩壊していく。
ロックエレメンタルには核が存在する。
構造上はゴーレムに近く、核を破壊すれば簡単に倒せる。
核の位置は左胸、人間の心臓と同じ位置だ。
あとは硬い岩の皮を斬り裂く力さえあれば、決して恐ろしいモンスターではない。
「っ……」
シトネの手が震えている。
恐怖とは違う。
単純に限界が近づいているようだ。
「行け!」
あと少しだ。
シトネは叫び、力を振り絞って刀を振るった。
私は戦える!
モンスターでも、悪魔でも!
この先もずっと、リン君の隣に立つんだ!
彼女の刀に込められた想いに心当たりがある。
今はただ、その瞬間を見届けよう。
最後の一体を、彼女の刃が斬り裂いた。
「勝……った」
ヤタハガネを前に、立っているのは彼女一人。
戦いに勝利した彼女は、安堵して力が抜けていく。
フラッと倒れる彼女を、俺が優しく受け止めた。
「スゥー……」
「お疲れさま、よく頑張ったなシトネ」
シトネは勝利した。
モンスターにではなく、先へ進む恐怖に勝ったんだ。
師匠の狙いはここにあったのだろう。
シトネは疲れて眠ってしまったが、命に別状はなさそうだ。
一先ず安心……と思ったところで、周囲からゴゴゴという音が聞こえる。
「ロックエレメンタル……新手か」
どうやらまだ残っていたらしい。
地中深くに埋まっていたのだろうか。
複数体のロックエレメンタルが俺とシトネを取り囲む。
シトネは戦えない。
俺は戦ってはいけない。
しかしまぁ――
「せっかく良い感じで終わったんだ。邪魔をしないでくれるか?」
ロックエレメンタルの群れが止まる。
奴らが感じたのは魔力の圧。
ヤタハガネよりも濃くて重い魔力を放っただけだ。
それに恐怖し、奴らは動けなくなる。
これくらいは良いだろう。
別に戦ってないし、威嚇しただけだからな。
そうしてロックエレメンタルたちは地中へ戻っていった。
戦っても勝てないと本能的に悟ったのかもしれない。
あの岩の塊に、本能なんてものがあるのかは微妙なところだが。
「さてと」
手のひらに一杯で良いんだっけ?
これを採取するくらいは、俺がやっても良いよね。
さすがにこの場所でずっといるのはシトネの身体に悪い。
早々に下山して、温かいスープでも飲みたいところだ。
俺はヤタハガネを砕き、一塊を採取した。
「よし」
シトネはまだ眠っている。
俺は彼女をおんぶして、そのまま下山を始めた。
ニ十分後――
「ぅ……」
「おっ、目が覚めたか?」
「リン……君?」
「ああ」
寝ぼけているのか、ウトウトしていて言葉にも覇気がない。
彼女はぼーっとしながら俺の頬をツンツンしてきた。
「え、何?」
「ううん、リン君だなーって」
「何だよそれ」
「えへへへ。リン君の背中……あったかいね」
「寝ぼけてるのか?」
「そうかも」
嘘だな。
ちゃんと答えてるし。
「私ね……怖かったんだ。ずっとずっと怖かった」
「ああ」
「でも気付いたの。戦うのも怖いし、先に進むのも怖いけど、私が一番怖いのは……また一人になること。リン君と、みんなと離れ離れになることなんだって」
「そうか」
彼女は恐怖知っている。
そして彼女は、孤独も知っている。
境遇は違えど、彼女もまた孤独と戦ってきた。
ずっと前から戦い続けてきた。
だからこそ彼女は、孤独へ戻ることを恐れ抗う。
彼女にとって、死への恐怖よりも孤独に戻る恐怖のほうが強かったらしい。
「その気持ち……俺にもわかるよ」
「うん」
「一人は寂しいよな?」
「うん」
「一人は悲しいよな」
「……うん」
「みんなと一緒にいるほうが、ずっと楽しいんだよな」
「うん!」
俺とシトネには帰る場所がある。
暖かくて、優しくて、愛おしい人たちが待つ場所が。
それを知ってしまったら、もう孤独に戻るなんて出来ないよ。
「強くなろう」
「うん。もっと先へ行くんだ」
離れてしまわないように。
このぬくもりを、離さなくて済むように。
「ただいま戻りました」
「おや? 二人とも無事に戻ってきたね」
返ってきた俺とシトネを、師匠が笑顔で出迎えてくれた。
「エルマさんは?」
「もう奥で作業を始めているよ。採ってきた素材は直接渡してあげなさい」
「わかりました。シトネ」
「うん!」
俺はシトネにヤタハガネを手渡し、エルマさんの所へ向かわせる。
後を続こうとした俺に、師匠は小さな声で囁く。
「また随分とイチャイチャしてたじゃないか」
「ぅ……やっぱり見てたんですね」
師匠は遠くを見通せる眼を持っているから、どうせ見られているのだろうと思っていたけど……
どうやら予想通りだったらしい。
腹が立つにやけ方をしている。
「一応言っておきますけど、手は出してませんよ」
「それはどっちの意味かな?」
「戦いのほうです!」
まったくこの人は……
師匠は笑いながら続けて言う。
「はっはっはっ! そう大きな声を出すものではないよ。せっかくヒソヒソ話をしたのに意味がないじゃないか」
「師匠の所為でしょ。それにシトネならもう行きましたよ」
「そうか。シトネちゃん……頑張ったようだね」
「はい。頑張ってましたね」
戦っていたシトネの姿を思い浮かべる。
「師匠」
「何だい?」
「シトネは強くなりますよ」
「うん。というかそれ、僕が最初に言ったんだからね?」
「わ、わかってますよ」
俺と師匠が話している頃、シトネはエルマさんに声をかけていた。
「エルマ様」
「ん? その声はシトネちゃん!」
作業に集中していたエルマさんも、シトネの声を聞いた途端に手を止めて振り返る。
「戻ってきんだね」
「はい! あの、これをどうぞ」
シトネがヤタハガネを差し出す。
すると、エルマさんはニコッと優しく微笑み、彼女から受け取る。
「アルフォースは正しかったようだね」
「エルマ様?」
「何でもないよ。ありがとうねシトネちゃん、これで魔剣がうてる」
「よろしくお願いします! あ、あとこれを見て頂きたくて」
「ん?」
シトネは腰に携えた刀を抜き、エルマさんに見せた。
ロックエレメンタルに折られ、半分くらいの長さになってしまった刀だ。
一緒に折れた刃も見せる。
「モンスターとの戦いで折れてしまって……治すことはできませんか? 今まで一緒に戦ってきた大切な刀なので」
「なるほどね。じゃあそれも魔剣作りに使ってもいいかい?」
「え?」
「ダメなら打ち直すだけにするけど?」
「い、いえぜひお願いします!」
「そうこなくっちゃな」
シトネとエルマさんが嬉しそうに笑っている。
そこへ遅れて俺と師匠が近づく。
「話は済んだようだね」
「はい!」
「師匠、そろそろ俺たちも」
「そうだね。引き続き君たちには、アリスト探してもらおうか」
「ん? 何だお前らアリストの奴を探してんのか?」
作業に戻ろうとしていたエルマさんが、その名前を聞いて振り返る。
「はい。そうですけど」
「あいつならこの間会ったぞ」
思わぬところで衝撃の発言が飛び出す。
俺と師匠は同じような表情になって、互いの顔を見合いエルマさんに尋ねる。
「本当かい? エルマ」
「ああ。二、三週間くらい前だったかな? ここじゃない所に工房を構えてた時に、アポもなしに尋ねてきたんだよ」
「師匠」
「ああ、思わぬ収穫だね」
一向に足取りがつかめなかったもう一人の聖域者。
エルの情報待ちしかないと思っていたけど、エルマさんの情報があれば探せるかもしれない。
「しかし珍しいね。彼が君を訪ねてくるなんて」
「そうなんだよね~ あと何か変なこと聞いてきてさ」
「変なこと?」
「ああ。この世界は正しいと思うか?って」
俺と師匠はその言葉に思い当たる存在がいた。
途端に表情は険しくなり、師匠がエルマさんに改めて尋ねる。
「すまないエルマ、彼が何と言っていたのかもっと詳しく教えてくれるかな?」
「ん? 別に構わないよ。えーっと確か~」
この世界は正しいと思うかい?
俺は全く思わない。
この世界は不平等の産物だ。
何の価値もないゴミのような奴らが、力があるなら戦えと、魔術師に頼りきっている。
陰でどれだけ苦しみ命を落としているとも知らずに、安全な場所で欠伸をしている。
だが、これは当たり前のことで、俺一人が騒いだところで変えられない現実だ。
それをもし、変えられる力があるとすれば?
そんな世界を変えたいとは思わないか?
「あたしはそんな話興味なかったかな。作業の邪魔だからどっか行けって言ったんだよ。そしたらあいつ、残念だとか呟いて急に襲い掛かってきてよぉ~」
「なっ……」
「ほう。無事だということは、その場は何とかなったんだね?」
「まぁな。暴れやがるからあたしもムカついて、つい本気になっちまったよ」
その後、エルマさんは工房の場所をここへ移したそうだ。
それ以来は特に危険もなく、今日まで過ごしていた。
この話を聞いた俺は、最悪の予感が脳裏によぎる。
おそらく、師匠も同じことを考えていたに違いない。
「これは急いだほうが良さそうだね」
「はい」
戦いの歯車がまた一つ、動き出した音が聞こえる。
「アリスト・ロバーンデックについて?」
「そうっす。何か知ってることがあれば教えてほしいっす」
ここは情報屋組合の総本部。
場所は王都の郊外にあると言われているが、それを知る者は組合に所属する者のみである。
リンテンスにアリストの調査を依頼されたエルは、情報を求めこの場所へやってきた。
情報を得る最短ルートは、情報を持っていそうな人に聞くこと。
同じ情報屋なら、自分が知らない情報も持っているかもしれない。
対価は必要だが、同じ情報屋同士なら、情報こそが対価となり得る。
彼女は優秀な情報屋だ。
交換材料となる情報もたくさん持っている。
だが……
「悪いが教えられないな」
「なぜっすか? ほしそうな情報ならこっちにもあるっすよ?」
「いくら積まれても駄目だ。悪いことは言わねぇからよ。この件に深く関わるな」
「それはどういう――」
「忠告はしたぜ。無視すんのも勝手だが、そのときはどうなっても文句は言うなよ」
「あ、ちょっ――行っちゃったっす」
情報を聞こうとした男は、エルに忠告だけ言い残し去っていった。
エルは悩み考える。
何か面倒なことになってそうっすね~
普段なら潔く手を引くところっすけど、今の依頼主はお兄さんっすから。
エルも良い所を見せないとっすよね!
エルは危険な香りを感じつつ、私情を優先することにした。
この行動はプロとしては失格だ。
エル自身もそれを理解しながら、続行することを選んだ。
それほど彼女にとって、リンテンスへの気持ちを強く大きかったということだ。
助けられた恩義より、心の内に宿った恋の炎が猛々しく燃えている。
しかし……
この判断は間違いだったと、後に後悔することになる。
その後も他の情報屋に聞いてみたエルだったが、帰ってくる答えはほとんど同じ。
皆、深入りするなと警告するばかりだった。
いよいよきな臭くなってきたと感じ、エルも慎重に行動を開始する。
最新の目撃情報屋、類似した情報をなどを集め、彼が今どこにいるのか、何をしているのかを探っていく。
もちろん簡単に見つかることはない。
エルは優れた情報屋だが、こればっかりは運も絡んでくる。
今回の場合、彼女には運も味方した。
「見つけたっすよ」
調査開始から間もなくして、有力な情報を掴むことに成功したエル。
これは彼女にとっても予想外の収穫だった。
長期戦の構えだったっすけどまさかこうも早く掴めるとはラッキーっすね。
今のエルは運も味方につけてるって感じっす。
などと喜び調査を続行。
次々に繋がっていく情報を頼りに、彼女はアリストの居場所を探り当てる。
そして、とある日の夜――
(あれが……)
王都から二つ離れた小さな町で、エルは遂にアリストを発見した。
深夜で人通りはなく、明かりも少ない暗い路地を、マントの男が一人で歩いている。
怪しい雰囲気を醸し出しながら、どこへ行くともわからない。
エルの頭の中は二つの感情に分かれていた。
一つは、この状況と危険から、すぐに立ち去ったほうが良いという本能的な警告。
そしてもう一つは、アリストがどこへ向かっているのか、どこで潜んでいるのかが知りたいという好奇心。
この好奇心の根元には、リンテンスの役に立ちたいという思いがある。
彼女は後者の気持ちを選択した。
そのままアリストを尾行する。
(曲がった!)
小さなわき道の逸れたアリスト。
気付かれないよう急いで尾行するが、彼が曲がった先は行き止まりだった。
(あれ? どこに――っ!)
彼女の足元に何かが這い寄る。
下を向いても何もない。
あるのは黒く染まった影だけだった。
そう、影だ。
「わっ! うっ……」
影が盛り上がり、触手のように形を変え彼女を襲う。
手足を拘束された口も塞がれてしまった彼女は、叫ぶことも逃げることもできなくなった。
そこへトントンと、足音が一つ聞こえる。
「俺の周りを嗅ぎまわっているネズミがいる聞いたが、思ったよりも小さいネズミだったな」
アリスト・ロバーンデック。
影を操り彼女を拘束したのは彼の魔術だった。
し、しまった……
尾行してるのもバレてたっすか?
いや違うっすね。
たぶん最初から誘い込まれて……何やってるっすか。
こんなの最初から気付けたことなのに。
彼女は激しく後悔している。
だが、そんなことは無意味だとも知っている。
捕らわれてしまった時点で、彼女の運命は決した。
「さて、誰の差し金か? まぁ大体予想はつくが……」
「――んぅ!」
エルを睨むアリスト。
次の瞬間、影の刃の一本がエルの腹に穴を開けた。
強烈な痛みがエルを襲う。
それでも逃げることはかなわず、口も塞がれてわめくことすらできない。
「丁度良い。お前は餌になる」
そう言って、アリストはエルに何かを伝えた。
耳元で囁くように。
それから彼は影を解除する。
解放されたエルは地面に転がり、ゴホゴホと血反吐を吐く。
「しっかり伝えろよ。まぁせめて、そこまでは生きててもらわないと困る」
アリストは立ち去っていった。
残されたエルは、重傷を負いながらも生きている。
「生きてる……エルは……お兄さん」
屋敷の一室で、一人の女の子が眠っている。
苦しそうに顔をしかめながら、悪い夢で見ているみたいにうなされている。
「エル……」
「エルちゃん……」
「ギリギリだったね」
嫌な予感はあった。
そして、その予感はすぐに的中してしまった。
急いで屋敷に戻った俺たちが目の当たりにしたのは、血だらけで倒れるエルの姿だったんだ。
「あと数分遅ければ、彼女は助からなかった。エルマが治癒魔術を使えて助かったよ」
「はい……本当に」
エルは腹部を貫かれていた。
幸いなことに内蔵は避けていたけど、出血が酷く命に関わるレベルの傷だ。
さらに手足には打撲と裂傷が多数。
いくかは屋敷に戻ってくる道中でつけた傷だろうけど、見た目通り全身ボロボロだ。
エルマさんのお陰で命は繋いだけど、今も高熱を出して寝込んでいる。
彼女はまだ、目を覚ましてくれない。
「リン君……大丈夫だよね? エルちゃん、目を覚ますよね?」
「ああ、大丈夫」
エルマさんの治療は完璧だ。
それでも不安は拭えない。
思えば二人は出会って間もないというのに、シトネの優しさが垣間見える。
もちろん落ち着いてられるような状況ではない。
だけど、そうでも思わないと……
怒りで我を忘れてしまいそうだ。
「ぅう……っ」
「エル?」
「エルちゃん?」
「……お兄……さん?」
不意にエルが目を覚ました。
俺もシトネも、涙が出そうなくらい嬉しくなる。
そんな俺たちにエルは、痛みに耐えながら言葉を振り絞る。
「お兄さんに……伝言があるっす」
「伝言?」
頭に過ったのは一人の名前だ。
内容を知りたい。
知りたいけど、今は彼女の身体のほうが心配だ。
「それは後で聞く。今は無理にしゃべらないほうが――」
エルの手が布団から出て、俺の左手を掴む。
弱々しくも確実に、彼女は俺の手を握りしめていた。
「今……聞いて……ほしいっす」
「エル……」
「リンテンス」
師匠の声に振り向く。
「聞いてあげなさい」
「……はい」
本当なら安静にしているべきだ。
でもここは、彼女の意思を尊重しようと師匠は言っている。
傷を負ってまで持ち帰ってきた情報を、俺は心して聞く。
「聞かせてくれ」
「はい……アリスト……ロバーンデックからの伝言っす」
やはりか、と俺たちは感じた。
エルは続けて語る。
「俺のことを、探っているのはー―」
俺のことを探っているのはアルフォース・ギフトレン、あんただろう?
理由も大方見当がつく。
悪魔との戦いに備えて、俺とも共同戦線を張りたい……といったところだろう。
もうわかっていると思うが、その答えはノーだ。
理由を語るつもりはない。
あんたとは昔から意見が合わなかった。
だからあんたに伝えるつもりはない……あんたにはな。
弟子がいるだろう?
俺はそいつに興味がある。
「俺を?」
「そうっす……その後あいつは……」
王都を北に進んだ場所に巨大な渓谷がある。
そこの最深部で待つ。
色々知りたいなら来ると良い。
もちろん、弟子も連れて。
「リチル大渓谷か。なるほど、そこに潜んでいたわけだね」
リチル大渓谷は、王都の北にある巨大な渓谷の名前だ。
まるで天から振り下ろされた刃に切り裂かれたように、大地がかっぽりと空いている。
そこには多数のモンスターが生息しており、一級危険区域に指定されている。
基本的には誰も近づかないから、隠れ場所としては最適だ。
もちろん、モンスターをもろともしない強さが必須になる時点で、誰でも選べる選択ではないけど。
「その後……あいつは去っていったっす」
「そうか」
エルは伝言役として生かされた。
瀕死の重傷を負いながら、何とかここへ戻ってきたエル。
こういうのを不幸中の幸いというのだろう。
「ありがとう、エル」
「申し訳ない……っす。余計な心配……かけちゃって」
「余計なわけあるか。生きててくれて本当に嬉しいよ」
「私もだよ。エルちゃん」
「えっへへ……そう言ってもらえて……エルも嬉し……」
「エルちゃん!?」
エルは再び意識を失った。
心配そうに見つめるシトネに俺は言う。
「大丈夫、気を失っただけだよ」
「そ、そっか……良かった」
ホッとするシトネを見て、俺も同じようにホッとする。
でもすぐに気を引き締めて、師匠と目を合わせる。
「師匠」
「ああ、男の誘いというのは気に入らないが、ここは乗るべきだね」
「はい。すぐに出発の準備をしましょう」
「良いのかい?」
呼び止めたのはエルマさんだった。
今回は彼女も一緒に屋敷へ戻ってきている。
俺たちに工房がバレた時点で、別の場所に移るつもりだったようだが、一先ず屋敷へ同行していた。
ちなみにまだシトネの魔剣は完成していない。
「誘われてるってことは、確実に罠が盛りだくさんだよ?」
「間違いなくそうだろうね」
「それでも行きますよ」
ここまでされて黙っているわけにはいかない。
そう感じているのは俺だけではなく、シトネもだった。
「私も行くよ」
「気持ちは嬉しいけど、今回はダメだ」
「うん、さすがに危ない。それに彼女を看病する役目を必要だろう?」
「で、でも……」
そんなシトネを見て、エルマさんが口を開く。
「しゃーないね。あたしも同行してやるよ」
「え?」
「珍しいね」
「別に? 単なる気まぐれだよ。工房もなしじゃ仕事も進められないしね。後はそう――」
エルマさんは徐にエルへ近づく。
エルの瞳には涙がついていて、エルマさんはそれを優しく拭う。
「こんなに可愛い子に怪我させたんだ。そんな奴、許しておけないだろ?」
「――はい!」
「リン君、気を付けてね」
「ああ、行ってくるよ。それからエルを頼む」
「うん! 任せて」
屋敷の玄関で、俺はシトネに背を向ける。
扉を開けて待っていたのは、二人の聖域者。
「遅いぞ、弟子」
魔剣の鍛冶師エルマ・ヘルメイス。
「準備は良いかい?」
現代最高最強の魔術師アルフォース・ギフトレン。
そして俺は、彼の弟子だ。
「はい」
向かうは第一級危険区域リチル大渓谷。
強力なモンスターが跋扈する魔境であり、もう一人の聖域者アリスト・ロバーンデック。
誘い込まれている以上、罠が仕掛けられている可能性が高い。
それでも、この三人で向かえば、何にだって勝てる気がするよ。
「いきましょう」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
大渓谷への移動は、師匠の転移魔術を使った。
渓谷付近は以前に訪れたことがあるらしく、手前までは一瞬で移動できた。
そこからは徒歩だ。
大渓谷は広く、長く続いている。
一度最下部まで降りたら、あとはまっすぐ進むだけ。
「おかしいわね」
「ああ、不自然だね」
二人が話している通りだ。
「モンスターが一匹もいない」
ここは危険区域に指定されているほどの場所だ。
その理由の一番は、強力なモンスターが複数生息しているから。
だというのに、渓谷最下部まで来ても、一匹もモンスターが現れない。
「あたしらを恐れてるってタマでもないわね」
「うん。そもそも一匹もいないなんて状況がありえない。となれば……」
「すでに相手の術中ってことですね」
「その通りさ。どうする? 今なら引き返せるけど」
「ふざけてるんですか?」
「はっはっはっ、悪かったよ冗談さ。もちろん引き返すつもりはない。虎穴にいらずんばなんとやらさ」
「何だその変な言葉」
「僕も忘れたけど、むかーしの偉い人が残した言葉らしいよ」
「へぇ~」
術中だと言いながら、この緊張感のなさはどうだろう?
この人たちなら平気だと思うけど、さすがに警戒はしたほうが――
と、俺が感じた瞬間だった。
わずか一瞬、俺だけが動けなくなる。
「っ――」
足元に注意が行く。
黒い影がより濃くなり、俺の足首に絡んでいた。
動けなくなった理由を悟った直後、影は膨れ上がり俺を覆い隠す。
なるほど。
そう来たか。
「リンテンス!?」
「大丈夫です。行ってきます」
視界が黒く染まり、師匠たちの気配が消える。
「おいおい! 連れられちまったじゃんかよ!」
「リンテンス……」
「何笑ってんだ?」
「いや、成長したなと思ってね」
敵の狙いに気付いて、わざと抵抗しなかったな。
「彼なら大丈夫だよ。僕たちはまず――」
四方の影から、彼らを取り囲むように無数のモンスターが出現する。
「こいつら倒さないとね」
「ちっ、面倒な」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
黒い影に覆われている。
取り囲むだけで、攻撃してくる感じはない。
念のために蒼雷を発動させたが、必要なかったようだ。
そのまま影は消え、視界が開ける。
「ここは……」
影がなくなっても、周囲は暗かった。
見上げれば星が見える。
まだ昼間だというのに夜空が広がっていて違和感しかない。
「どこだ? ここ……」
「大陸の西の果て」
「――!?」
声は後ろから聞こえて、俺は瞬時に振り向く。
そこには一人の男が立っていた。
腰に剣を携え、闇より黒く感じられる雰囲気は、静かな恐怖に等しい。
彼は続けて言う。
「世界で唯一、太陽の光が届かない場所がある。そこは一日を通して夜で、こうして星空が見えるんだ」
「あんたが……アリスト・ロバーンデックか?」
「ああ。初めまして、君はリンテンス・エメロードだな」
真っ黒。
最初に抱いたイメージがそれだった。
外見的特徴だけじゃない。
感じ取れる魔力が、黒く染まっているようだ。
「ここへ来たということは、メッセージは受け取ってくれたということか。良かった。彼女はちゃんとたどり着けたのか」
「エルのことか」
「エル? ああ、あの情報屋の名前か。そうだ。でなければ生かす理由もない。もっとも瀕死だったが」
「お陰様で生きてるよ」
「……そうか、良かった」
何だこいつ……感情が図れない。
いや違う。
どうしてこいつは……
「リンテンス、話の続きをしようか」
「続きだと?」
「ああ、この世界が正しいのかどうかの話だ。俺は間違っていると思う。だから変える」
「そのために悪魔と手を組んでいるのか?」
「ほう、やはり気付いていたか。だが間違いだ。俺は手を組んでいるわけではなく、利用しているだけだ。あれはただの手段でしかない。俺たち魔術師に守られるだけの人間を淘汰するための」
淘汰する……だと。
「あんたは何を考えてる? 何がしたい」
「わからないか? 俺は魔術師だけの世界を作りたいんだ。真に強く、清い者たちだけの世界を!」
「そのために魔術師以外を殺すって? ふざけるなよ!」
「なぜ怒る? 君だって被害者のはずだ。何もしていない癖に偉そうに利益だけを欲し、魔術師を利用するクズ共の」
心当たりは……正直ある。
たぶん、あの人たちのことを言っている。
そうか。
こいつも俺の過去を知っているんだな。
「君も変えたいとは思わないか? この世界を正しくしたいとは思わないか」
「なら、そのための犠牲は?」
「厭わないさ。無論、俺自身の命もだ」
「そうか。だったら尚更、お断りだ!」
俺はハッキリと答えた。
彼は少しだけ驚いたように目を見開く。
「あんたの理想はわからくもない。でもな? 俺はその先にある未来が、正しいなんて思えない」
「……」
「それに……あんたはエルを傷つけた。その時点で、答えは決まってたんだよ」
「……そうか、それは残念だ」
分かり合えるかもしれない。
彼の過去を知り、そんな予感がしていた。
だけど……
「残念だよ。リンテンス・エメロード」
「それはこっちのセリフだ。聖域者のあんたが、悪魔なんかと手を組むなんてな」
まさかこんな形で聖域者と戦うことになるとは思わなかった。
心から残念だ。
色源雷術――
「赤雷」
俺は右腕を前に突き出し、赤雷を放った。
アリストは足元の黒い影を操り、影の壁を作って防御する。
自身から伸びる影を魔力で強化し自在に操る。
あれが影属性の魔術か。
「できればもっと別の形で見たかった」
これも残念だ。
俺は蒼雷で強化し、藍雷の二刀を生成して前に出る。
対するアリストも腰の剣を抜き、突っ込む俺に刃を向けた。
「来い」
漆黒の刃。
剣にも影を纏わせているらしい。
威力強化が目的か。
いや――
鍔迫り合いになり、互いの刃が近づく。
受け止めていた彼の剣を覆う影が形を変え、棘のように伸び俺を襲う。
俺は首を横に傾け回避する。
そのまま剣を弾き、距離をとるため後退する。
「いいのか? 足元を見ないで」
アリストの言葉に誘導されるように、俺は視線を下げる。
俺の足元の影が濃くなっている。
のではなく、アリストの足元から彼の影が伸びて、ここまで届いていた。
影の刃が迫る。
「影縫い」
「っ――」
影の刃が当たる直前に、蒼雷の光が走る。
俺は不意打ちに備え、蒼雷の反を発動した状態で戦っていた。
おかげで影の刃を相殺できたけど、かなりギリギリだったな。
黒影操術。
彼を中心に濃く広がる影は自然に出来たものではなく、彼の魔力で生成された漆黒の影だ。
影の範囲や形も自由自在。
さっきみたいに伸ばして、相手の足元から攻撃することも出来る。
自身の周囲を守る影の結界としても使えるし、かなり汎用性の高い術式だ。
加えてここは――
俺は空を見上げる。
星々が輝く夜空。
ここは一年を通して夜だと彼は言っていた。
彼が持つ加護は、夜と月の女神ヘカテーの加護。
夜空の下にいるとき、彼は無限に等しい魔力と術式強度を得る。
持久戦に持ち込まれると勝機は薄い。
今の彼がその気になれば、この一帯を影で覆うことだって出来るはずだ。
そうなる前に手を打つ。
「緑雷――砂場」
「足元を砂鉄で覆ったか」
「これでさっきみたいな不意打ちは出来ないだろ?」
「確かにそうだが、その程度で強がられても困るな」
アリストは周囲の影から無数の刃を生成。
影縫い。
糸のついた針で縫うように、太く鋭い影の刃で攻撃する。
「砂刃」
俺は緑雷で操った砂鉄を同様の形状に変化させ、影縫いを相殺する。
不用意に近づけば足元の影を踏む。
ならば一定の距離を保ちながら戦えばいいだけ。
もしくは――
「黄雷――鳳」
空中戦なら足元を気にする必要もない。
「なめるな」
影が空まで伸びる。
鳳が素早く旋回し、影の刃を躱していく。
その隙に藍雷の弓を生成。
空から矢の雨を降り注ぐも、影の壁に阻まれてしまった。
「でもいいのか?」
空中に飛んだことで、意識は上へ向いている。
「足元見なくて」
彼は気づいていない。
俺がまだ、緑雷を解いていないということに。
「これはっ」
「砂刃」
砂鉄の刃がアリストを斬り裂く。
咄嗟に身をよじり躱したことで、肩を掠めた程度に終わった。
「誤算だったな。地に触れていなくても砂鉄を操れるのか」
「ああ」
緑雷で一度流した雷はしばらく持続する。
仮に俺が地上を離れても、緑雷の力が残っている内なら操れる。
もっとも持続できるのは数十秒が限界だが、不意を突くには十分な時間だったようだ。
そして今の攻撃で、彼の影は一時的に途切れている。
今なら防御も間に合わないだろ。
「黄雷――竜」
「ちっ!」
「もう遅い!」
巨大な雷の竜がアリストを襲う。
激しい轟音が張り響き、地形が大きくえぐれる。
土煙が舞う中へ、俺は鳳を解除し降り立つ。
「……今のは効いたな」
「だったら倒れていてほしかったよ」
土煙が晴れ、アリストの姿が目に入る。
ダメージは負ったはずだが、どうやら足りなかったらしい。
ギリギリ影の防御したのか。
竜に耐えるとは、さすが聖域者だ。
「強いな……聞いていた通り、悪魔を倒しただけのことはある」
「……」
アリストが不敵に笑う。
「仕方ない。ならば、万事の一手といこう」
剣を逆手に持ち、地面に突き刺す。
その瞬間、彼の魔力が地面に走り、反ドーム状の壁が生成される。
「無間の女王」
漆黒の結界に覆われ、夜空すら見えなくなる。
明かりすらない暗闇の中で、互いの存在だけがハッキリと見える奇妙さと、背筋が凍る寒気を感じる。
嫌な予感がする。
この結界がどういうものか知らないが、効果を発揮される前に先手を打つべきだ。
そう判断した俺は術式を発動する。
色源雷術蒼雷――
「――!?」
蒼雷が発動しない。
術式に魔力を流しても反応がない。
蒼雷だけではなく、他の術式も……
「気づいたようだな」
「……」
「お前はもう……術式を発動できない」
リンテンスとアリストが激闘を繰り広げている一方、リチル大渓谷に残された二人も奮戦していた。
「あーもう! キリがねぇーっての」
「文句を言わないでくれ。ほら、そっちから増援だよ」
「みりゃーわかるわ!」
迫りくるモンスターの大群。
大小様々な怪物が二人の人間に襲い掛かる。
並みの魔術師が相手なら、一本も耐えられない猛攻も、この二人には緩やかな漣と変わらない。
「まだ増えてんのかよ」
「妙だね。元からここにいたモンスターを呼び戻したのかと思ったけど、明らかに数が多い」
「どっかの馬鹿が送り込んでるんじゃないのか?」
「そのお馬鹿さんはたぶん、うちにリンテンスと戦っているよ」
つまり、この場へ魔物を送り込んでいるのは別の人間。
否、人間ではないだろうとアルフォースは予想する。
「悪魔が近くに来ているって言いたいのか?」
「だと思って警戒していたんだけどね~ どうやらそれも違うかもしれない」
聖域者二人を狙うにしては方法が回りくどい。
ずっと大したことのないモンスターを送り続けているだけだ。
「もし僕なら、戦ってる二人が弱ったところを狙うと思うんだよ」
「あたしでもそうする」
「おや? 気が合うじゃないか」
「うるさい。ってことは悪魔はあっちか?」
「僕はそう予想しているよ。こちらはただの時間稼ぎで、悪魔の狙いはリンテンスとアリストだ」
悪魔とアリスト・ロバーンデックが協力関係であることは間違いない。
ただ、悪魔にとって聖域者は最優先で倒すべき対象だ。
対等な立場で協力しているとは考えにくい。
上手く利用して、隙あらば消す……くらいのことは考えていて当然だろう。
「……」
「弟子が心配か?」
「ほんの少しね」
「さっきは心配ないとか言ってた癖に」
「そこを突かれると痛いな~ でもね? 信じることと、心配しないことはイコールじゃない」
「……」
「って前にリンテンスが言ってたんだ」
「だろうな。お前の言葉じゃない」
アルフォースはまったくだと言って笑う。
「アルフォース、お前何だか変わったな」
「そうかい? 僕はいつでも僕のままだよ」
「あっそ。まぁどっちでもいいわ」
エルマは呆れたように小さくため息をもらす。
「仕方ねぇな」
「エルマ?」
「お前は弟子の所に行け。お前らなら場所の検討くらいついてるだろ?」
「……いいのかい?」
「なめてるのか? この程度のモンスターあたし一人で十分だ。もし悪魔が出てきたら勝手に逃げるから安心しろ」
アルフォースは意外だと言いたげな表情で彼女を見つめる。
「何だよ、文句あるのか?」
「いいや、実にありがたい提案だよ。ただ君らしくないと思ってね」
「勘違いすんな。別にお前のためでも、あのガキのためでもない」
「じゃあ何のために?」
「はっ! 決まってるだろ? あのガキに何かあったら、可愛いシトネちゃんが悲しむからだよ」
エルマはそう言ってアルフォースに背を向ける。
「はっはっはっ、そうか。それは実に、君らしいね」
「だから言ったろ?」
「ああ。ありがとう」
アルフォースの姿が消える。
一人残されたエルマを、大量のモンスターが囲む。
餓えた獣が肉をほっするように、よだれを垂らしながら近づく。
「さーて、お前らは運が良いな」
パチンッ!
彼女が指を鳴らすと、彼女を囲うように剣の雨が降り、地面に突き刺さる。
「あたしの実験台になれるんだからなぁ!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
漆黒の結界に覆われた中は、寒くもなく、熱くもない。
それなのに寒気を感じる。
完全な暗闇というものは、そこにいるだけで不安を煽るのだと理解した。
いや、この場合は不安ではなく事実だ。
「術式が使えない?」
「そうだ。この『無間の女王』は、閉じ込めた相手の術式発動を無効化する。ヘカテーから授かった加護を媒介に開発した俺だけの固有魔術だ」
術式発動を無効化?
そんなの反則的な効果の結界魔術があるのか。
にわかに信じ難いが、実際色源雷術は発動しない。
術式にどれだけ魔力を流しても、うんともすんとも言わない。
「代わりに夜の加護は消え、術者である俺自身にも制限はかかるが、術式が使えないのは君だけだ。魔術師が術式を封じられる……それがどれほどの意味を持つか、君ならわかるだろう?」
このとき俺は、彼のもう一つの呼び名を思い出した。
夜の騎士アリスト・アロバーンデック。
またの名を、魔術師殺し。
物騒な異名は、この力から付いたものだったのか。
「本当はこんな卑怯な手を使いたくはなかった。だが君は強い。嘗めてかかれば負けるのは俺のほうだ」
アリストは切っ先を俺に向ける。
刃には影を纏わせて。
「すまないな。君になら聖域者になれたと思うよ」
切っ先のから影の刃が伸びる。
無数に枝分かれして、上下左右から迫る。
「っ……」
俺は後方に跳び避ける。
どうやら魔力による強化は可能らしい。
無効化しているのはあくまで術式だけのようだ。
「良かった。これならまだ戦える」
「どういう意味だ?」
「まだ終わりじゃないって意味だよ」
憑依装着――
憑依装着の発動。
俺の瞳が七色に変化し、爆発的に魔力が上昇する。
その急激な変化をアリストも感じ取っていた。
「この魔力……」
そうか、あれが情報にあった憑依装着という業だな。
未来の自分の降霊し、現在の自分に憑依させることで、あらゆる能力を向上させる。
悪魔を倒した彼の奥の手。
確かにすさまじい魔力だが……
「それがどうした? いくら魔力量が上がったところで、術式が使えない状況は変わらない。術式を持つ者と持たない者。その差が埋まる簡単に埋まらないぞ」
「それはどうかな?」
「何だと?」
憑依装着を発動したのは、もしかすると術式が使えるようになるかも。
なんて希望的観測に頼りたかったからじゃない。
懐から四角い箱を取り出す。
手のひらサイズで、両開きの蓋が閉まっている。
「これはまだ、師匠以外の誰にも見せたことはない」
悪魔にも、彼にも、俺が持っているという情報はない。
この箱は特殊な収納用の魔道具だ。
「解」
箱が俺の頭位の大きさに変化する。
そして蓋が開き、中から飛び出したのは剣の柄。
俺は柄を掴み、引き抜く。
対を成す二本の魔剣を――
「――双月」
「双月だと? 六魔剣の一振りか」
六魔剣。
この世に存在する魔剣の頂点であり、現代の技術では到達不可能とさえ言われる。
エルマが目指していた魔剣の一振り。
見た目はカトラスという武器の形状に似ていて、二本で一つの魔剣。
鍔の部分を赤いフサフサの毛が覆っているのも特徴的だ。
元々は師匠が手に入れたものを俺が譲り受けて使っている。
「そんな物まで所持していたとは……いや、あの男の弟子ならあり得なくもない」
「ああ、師匠と仲が良くないんだっけ」
「そういうわけではないさ。ただ彼とは思想が合わないだけだ」
確かに気は合わなそうだ。
「いくぞ」
双月を左右に構え、俺はアリストへ向かって駆ける。
アリストは剣から影の刃を放ち、俺の接近を阻もうとする。
無数に枝分かれして迫る影の刃。
俺は舞うように剣を振り、その悉くを打ち落とす。
「その程度で止められると思うなよ」
「ちっ」
アリストは自身の足元からも影の刃を生成。
先ほどまでの三倍の刃が俺を襲う。
しかし三倍だろうと十倍だろうと、今の俺には届かない。
憑依装着で増した魔力量。
鍛え上げられ肉体を、さらに強化魔術で強度を増していく。
瞬く間にアリストの眼前まで迫り、剣術での戦いに持ち込む。
「くっ、術式なしでここまで」
「当たり前だろ。俺には雷魔術しかないんだ。一つしか使えない俺が、それを封じされた時の手を考えていないとでも思ったか?」
十一種から一種。
多くのものを失い、手元に残ったのは一つだけ。
それを磨き上げここまで這い上がってきた。
一度全てを失ったから、俺は知っている。
今ある力が、栄光が、未来でも続いているとは限らないということを。
だから俺は今日まで、身体づくりも、魔力コントロールの鍛錬も、剣術も……かかしたことは一度もない。
それが今、かの騎士を追い込んでいる。
「っ……」
「重いだろ? これが双月の能力だ」
連撃による斬撃威力の上昇。
双月は攻撃を繋げるほど威力が上がる。
インターバルは一秒。
双月は六魔剣のうち唯一、属性効果が付与されていない魔剣だ。
その代わり、斬撃の威力に特化している。
故に、双月の性能は、使い手の力量に大きく左右される。
上がっていく斬撃の威力。
終わることない連撃に耐えかねて、アリストは大きく後退しようとした。
「逃がさない」
俺はそれを許さない。
攻撃をつなげ、さらに威力を上げていく。
これだけ隙なく攻撃を続ければ、斬撃の対処に意識をさかれる。
現に影からの攻撃は減っている。
おそらく結界を発動したことで、影のコントロールも難しくなっているのだろう。
連撃が遂に、百を超える――
「くっ……」
アリストの剣が砕け散る。
剣を失った彼は、咄嗟に影の操作へ全神経を注ぐ。
足元から伸びる黒い影が、俺の喉元に迫る。
それよりも一瞬速く、双月を振り抜く。
「がっ……」
影の刃は俺の喉に届くことなく消滅した。
十字に斬り裂かれ、血が噴き出る。
彼が倒れると同時に、漆黒の結界は崩れ去った。
「すぅー……ふぅ」
俺は大きく息を吸い、呼吸を整える。
「……どうした? とどめはささないのか?」
「当たり前だろ。聖域者のあんたを殺したら、悪魔の思うつぼだ」
「ふっ、さすがに馬鹿ではないな。完敗だよ」
仰向けに倒れ、彼は満足げに笑う。
「どうして満足げな顔をしているんだよ」
「そんな顔をしているか?」
俺が頷くと、彼は小さくため息をこぼす。
「……そうか」
「なぁ、何であんたは……そこまでして魔術師だけの世界を作ろうとしたんだ?」
「ふっ、それを聞いても納得しないだろう?」
「うん。たぶんしない。どんな理由があっても、エルを傷つけたことは許せないから」
「……ならばなぜ聞く?」
「……寂しそうだったから」
剣には感情の宿るという。
彼の剣から感じられたのは、怖いくらいの孤独だった。
思えば彼は最初から、後ろ向きに剣を振るっていたように思える。
本気で俺を倒すつもりで……だけど、本当はやりたくないと、心の中で葛藤している。
そんな気がしてならなかった。
「寂しそう……か」
アリストは小さく笑う。
「そんなことを言われたのは生まれて初めてだな。いいだろう、敗者は勝者に従うの通りだ。お望み通り、つまらない話をしよう」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
俺が生まれたのは、代々優秀な騎士を輩出している家だった。
物心ついた頃から剣術の修行が始まり、十歳を超える頃には、大人と並ぶだけの力を手に入れていた。
魔術学校への入学も、聖域者になれたことも、たゆまぬ努力の結果だと自負している。
それも全ては、父のような立派な騎士になるためだ。
俺が生まれる前に片腕を失い現役を退いたが、騎士として多くの人々を、街を救った偉大な人だった。
そんな父に憧れ、努力し、念願の騎士になった。
だけど……
「ふざけるな! 屋敷の壁が壊れてしまったではないか!」
「申し訳ありません」
「謝罪などいらん! まったく何が騎士団だ。つかえない連中め」
命を助けたのに、なぜ罵倒されているのだろう。
戦いで傷つき、命を落とした仲間もいる。
命をとして戦った彼らに対して賞賛の一言すらないのか。
貴族のほとんどがプライド高く、俺たちのような騎士や魔術師を体のいい道具としてしか見ていない。
そう気づかされるのに時間はかからなかった。
それでも俺は、助けを求める弱い人たちのために戦うと決めた。
彼らだって弱い人間だ。
そう言い聞かせた。
ある日、貴族の屋敷を狙う盗賊団と交戦した。
彼らは当時有名な義賊で、奪った宝を貧しい集落にくばっていたそうだ。
弱き者を救うために戦う。
方法は間違っているが、俺たち騎士と同じ思想を持っている。
語り合えば、剣を交えれば分かり合えるかもしれない。
しかし彼らに俺の言葉は通らず、結局屋敷に入り込んだ全員を捕らえる結果となった。
その中の一人に、スピカという少女がいた。
「どうして止めない。こんなやり方では不用意に敵を作るだけだぞ?」
「だったらどうするんだ! お前は知らないだろ? この屋敷の主が、小さな村から若い娘を買って奴隷にしてることを!」
「なっ……」
それは事実だった。
彼女たちを捕らえた後に調べて知った時、俺は言葉でなかった。
国を支える貴族の一人が、守るべき人に手を出している。
自分の欲を満たすためだけに……
スピカが捕らえられた牢の前で、その話をした。
「わかっただろ? この国の貴族がどんな奴らなのか」
「……だとしても、君たちのやり方は間違っている」
ただ、彼女たちが悪ではないことは明白だ。
俺は知り得た情報を告訴し、貴族の罪を問うた。
そして聖域者としての立場を使い、彼女たちを自分の直下の部隊として雇うことにした。
「正気かよ。あたしらは王国の敵だぞ」
「いいや、君たちは民の味方だった。それでも罪は変わらない。俺はただ、罪を償う機会を与えただけだ」
「……変な奴」
彼女たちだって、望んで悪になりたかったわけじゃない。
立場が足りない。
力が足りない。
それさえあれば、きっと別の方法が選べたはずなんだ。
そしてそれは、今からでも遅くない。
俺は彼女たちと共に戦場をかけた。
村を脅かしているモンスターを倒し、力で人を支配しようとする者たちと戦った。
彼女たちも、多くの人たちの生活を守ったんだ。
そんな彼女たちがどうして殺されなければならなかった?
かつて彼女たちが標的にした貴族の仕業だった。
俺のいない所で罠にかかり、一網打尽にされて……
亡きがらすらモンスターに食い殺され、何一つ残るものはなかった。
その貴族は、罪から逃げ、飄々と明日を生きている。
安全な場所で茶を飲みながら、戦って死にゆく者たちを馬鹿な奴らだと笑っている。
「こんな世界……」
糞くらえだ。
その出来事をきっかけに、俺は騎士団を去った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「どうだ? つまらない話だっただろう」
「……そうですね。でも、笑い話でもない」
ただ、悲しい話だ。
「騎士団を去ってから、裏で悪行を働く貴族を粛正していった。俺が手を汚せば、それだけ世界が綺麗になると信じて……悪魔と会ったのもその最中だったよ」
「……それで、悪魔を利用するために手を組んだ?」
「そうだ。俺一人では限界がある。どうせこの手は汚れている。今さら失い物はなにもない。どんな方法であろうと、俺は理想を掴む覚悟でいた……だがきっと、これは間違っているのだろう」
そう言いながら彼はため息を漏らす。
彼もわかっている。
かつて自分が誰かに言ったように、こんな方法は間違っているのだと。
「だから……最初から迷っていたんですね」
「迷い……か。そうだな、俺は迷っていたんだろう。その時点で負けていた。理想に……届くはずもなかった」
「それはまだわからないでしょう? あなたの理想は間違っていない。方法が間違っていただけで、人々が平等に幸せを掴める世界が、間違った望みであるはずがない」
「……」
この人は最初、俺を問いかけた。
世界を変えたいとは思わないか?
俺もこの人も、世界の理不尽さを知っている。
俺自身……そして、シトネのことも。
その犠牲となった者を、今も尚苦しむ人がいることを知っている。
「俺は……俺が好きな人たちを守りたい。みんなが幸福に生きられる場所を、未来を……そのために悪魔と戦います。そのためにはあなたの力が必要です」
「俺の……力? 本気で言っているのか?」
「はい。だからもう一度探しませんか? みんなにとって幸せな世界を作る方法を。今度は俺も一緒に探しますから」
そう言って、俺は彼に手を差し伸べる。
彼の理想は間違っていない。
きっと……やり直すのにまだ、遅くないと思うから。