【9/10コミカライズ】ナナイロ雷術師の英雄譚―すべてを失った俺、雷魔術を極めて最強へと至るー

 依頼の仕分けに一時間を使い、一〇五件溜まっていた依頼を三十八件に減らすことが出来た。
 出来たというか、放置していて申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが。
 一先ず受けるものを決め、さっそく出発することに。

「今日は時間も押してるし、受けれて二件だな」
「それも近場じゃないと無理だよね」
「ああ。この中で近いのはー……」

 セイルキメラの討伐。
 グレータークロコダイルの討伐。

「この二件かな」
「どっちも強そうな名前だね」
「強いよ。あと個体数も少ないし、素材は貴重だから高く売れる」
「そうなんだ? じゃあ頑張らないとね!」
「おう」

 シトネにとっては修行相手にも良いだろう。
 来たるべき戦いに備えて、彼女にも強くなっていてもらわないと困る。
 もしも俺が間に合わない時、自分の身は自分で守れるように。

「よし。じゃあ行こうか」
「うん! リン君!」

 その呼び名は、やっぱり少し恥ずかしいな。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 依頼一件目。
 セイルキメラの討伐。
 指定されたエリアは、王都を出て西にある巨大な森の奥。
 様々な薬草の採取で重宝しているエリアに、危険なモンスターが生息しているという情報を得てギルドが調査。
 極めて凶暴なモンスターであるセイルキメラの成体が発見された。
 該当モンスターが討伐されるまで、指定されたエリアは立ち入り禁止とする。

「シトネはセイルキメラを知っているか?」
「本で読んだくらいだよ。そもそもキメラが初めて」
「そうか。そうだよな」
「リン君は初めてじゃなさそうだね」
「まぁな。五年も冒険者やってると、いろんな依頼を受けるんだよ」

 師匠に言われて始めた冒険者の仕事だけど、これが案外面白かった。
 いろんな場所にいけたり、見たことのない景色を見れたり、知らないモンスターと戦える経験も大きかっただろう。
 いつでもやめて言いと師匠に言われていながら、五年も続けられたのは、大変さの中に楽しさがあったからだと思う。
 そういう思い出を浮かべて、内心では一人ワクワクしている自分がいる。

「ふぅ~ん。でもキメラって個体数も少ないんだよね? そんなのがどうしてここにいるのかな?」
「あー、それはたぶん、王都の周囲が昔からモンスターの多いエリアだからだと思う」
「えっ、そうだったの!?」

 シトネは大げさな反応を見せた。
 知らなかったのかと、俺のほうが驚く。

「王都は元々、モンスターを討伐、研究するための施設だったんだよ。そこを増強、増築している内に街になっていったんだ」

 元々、王都は別の場所にあった。
 そこが人口の増加と経年劣化で脆くなり、他国との戦争の被害も受けていたことで、別の場所へ移動することになったんだ。
 当時、どこも危険がいっぱいだったわけだが、この地はモンスターこそ多いもの、徹底的に管理された街と設備のお陰で、逆に安全なエリアになりつつあった。
 協議の末、この地に王城を建て直し、王都の街とする計画が進められ現在に至る。

「へぇ~ そうだったんだね」
「割と有名な話なんだけどな」
「うぅ……だって私、ずっと村から出てなかったから……それに興味もなかったし」
「それ二つ目が本音だろ」

 シトネは誤魔化す様に笑いながら小さく頷く。
 魔術学校への入学を目指すなら、その辺りも知っておいた方が良かっただろうに。
 筆記試験で王都の歴史が出なくてよかったなと思うよ。

「さて、そろそろエリアに入る」
「そうだね! 気を引き締めるよ」

 森の雰囲気が変わっていく。
 葉の緑が濃くなり、木々や草の量が増えている。
 視界が悪く、何かが動く音が頻回に聞こえて、警戒を怠るような余裕もない。
 森の恐ろしさは、この閉ざされた視界と様々な生物がいるという点だ。
 キメラだけが危険なわけじゃない。
 その辺りにいる虫だって、中には猛毒を持つものもいる。

「リン君! あれって」
「爪痕だな」

 道中、大きな岩を抉るような爪痕が残されていた。
 間違いなくキメラのものだろう。
 キメラに限った話ではないが、モンスターは自分の縄張りを主張する際、こうした痕跡を残すことがある。

「要するにここはもう、キメラの縄張りだよってことだね」
「そうなるな」

 いつ襲われてもおかしくない。
 俺とシトネは最善の注意を払い、他に痕跡がないか探る。
 その後に足跡、尻尾をすった跡などを見つけ、慎重に辿っていく。
 そうしてたどり着いたのは、一つの大きな洞穴だった。

「ぅ……臭い」

 シトネが鼻を塞ぐ。
 洞穴から吹き抜ける獣臭が鼻にツーンとくる。
 キメラ特有の複数の悪臭が混ざり合った匂いだ。

「ここが巣穴で間違いなさそうだな」
「どうする? 出てくるまで待つ?」
「いいや。どうせ中にはキメラしかいないだろうし――」

 先制攻撃を仕掛けるのが一番手っ取り早い。
 俺は右腕を前にかざし、大きく手のひらを開く。

「色源雷術――赤雷!」

 赤い稲妻を放つ。
 稲妻はかけぬけ、洞穴の奥で何かに当たる。
 そして、ドゴーンという破壊音の直後、洞穴の上部分がひび割れる。

「下がれ!」

 俺とシトネが後退する。
 跳び出してきたセイルキメラが、ギロっとこちらを睨んでいた。
 セイルキメラ。
 顔は銀色の毛並みをもつ虎。
 胴体と前足はライオン、後ろ脚はラクダであり、尻尾は硬い鱗に覆われていて先には蛇の頭がある。
 背から生える大きな羽は、コウモリの羽を巨大化させたもの。
 統一性のない見た目から察する通り、自然発生したモンスターではない。
 少なくても当初は。
 
 キメラとは合成獣のことで、とある実験の副産物として生まれたのが始まりだ。
 元々は使役可能なモンスターを誕生させる予定だったが、その途中でとんでもない怪物が誕生し、研究は中断された。
 様々な動物やモンスターの特性を併せ持つキメラ。
 そのオリジナルは五体で、内二体はすぐに討伐されたが、三体は逃げ延びてしまう。
 逃げ延びたキメラは独自の方法で繁殖を続け、現在確認されている個体は、オリジナルから繁殖した子供たちである。
 セイルという種類は、中でも動物のみを合成して誕生したキメラだ。
 それが今、ちょうど目の前にいる。

「来るぞ!」
「うん!」

 洞穴の上を突き破って現れたセイルキメラが、俺たちに向って跳びかかって来る。
 俺たちは後方へ跳んで回避する。
 ライオンの強靭な前足で獲物を狩るように、地面を豪快に抉っていく。

「凄い迫力だね」
「ああ」

 見た目の不気味さに加えて、森の木々を突き抜ける程の大きさだ。
 他のモンスターとは違った恐ろしさがる。
 にも関わらず、シトネは落ち着いているみたいだ。

「いけるか? シトネ」
「もっちろん! このくらい悪魔に比べたらどうってことないもん!」
「はははっ、確かにそうだな」

 あの恐怖を、戦いを誰よりも近くで体験した彼女にとって、キメラの威嚇など犬が吠えている程度にしか感じない。
 悪魔と関わったことは、彼女にとって悪いことだけじゃなかったようだ。

「よし! じゃあ――!」

 虎の頭が大きく口をあけている。
 収束する魔力は熱を放ち、業火となって襲い掛かる。

「ブレスか!」
「私に任せて!」

 俺よりもはやくシトネが術式を展開している。
 生成されたのは光の壁。
 攻撃を反射する『リフレクション』という結界の応用で、一枚の壁に力を凝縮して強度を高めている。
 シトネはそれを、斜め上に向けるよう展開した。

 放たれる炎のブレス。
 光の壁にぶつかり、そのまま上へと反射される。

「これなら下の森は燃えないでしょ?」
「なるほど」

 それで自分がやると言い出したのか。
 俺は赤雷をぶつけて相殺しようと考えていたけど、それだと炎が森に燃えうつる。
 咄嗟の思考で俺より速いなんて、少し悔しいな。

 シトネはそのまま光の壁と同質の足場を形成。
 そこに乗ることで空中からキメラを見下ろす。
 俺も黄雷と蒼雷の合わせ技を使い、空中を浮遊する。
 この技術は、憑依装着で未来の力を体験したお陰で出来るようになったことの一つだ。

「セイルキメラは地上を駆ける方が速い。羽はあるけど、長時間の飛行は出来ないし、何より遅い」
「じゃあこっちは空中から攻めたほうがいいよね」
「ああ、ただ気を付けてくれ。飛べないわけじゃないし、ジャンプ力と瞬発力は高いから」
「了解!」

 シトネは足場をキメラ上空に複数生成し、自身は腰の刀を抜く。
 キメラ相手に接近戦を挑むつもりらしい。
 
 なら俺は援護に回ろう。
 色源雷術藍雷――弓。

 生成した藍色の弓で矢を連射する。
 キメラはそれを尻尾のうねりで弾き飛ばす。
 シトネはその隙に接近し、死角となる首元を後ろから狙う。

「後ろだシトネ!」

 キメラの背部は死角ではない。
 後ろの尻尾にある蛇の頭にも目がついていて、視覚情報は共有されている。
 斬りかかろうとしたシトネに、キメラの尾が迫る。

「っと危ない!」

 間一髪回避し離れるシトネ。

「大丈夫か?」
「うん平気だよ。ちょっと近づきすぎたかな」
「いや、悪くないと思う。尾は俺が抑えるから、今後は同時行こうか」
「うん!」

 藍雷を弓から二刀へ変化。
 シトネの足場もかりつつ、今度は俺が尾を、シトネが首を狙う。
 蛇がシトネを見えないよう、俺が間に入って死角となる。
 そのまま尾へ斬りかかるが、蛇の鱗は硬く、一撃ではダメージを与えられなかった。
 
「今だ!」

 だがそれでいい。
 狙いは俺ではなく、シトネだ。
 彼女は背後ではなく、ぐるっと回ってキメラの腹部から首を狙っていた。

「旋光!」

 光る斬撃が飛ぶ。
 シトネの術式旋光は、光の斬撃を飛ばす技だ。
 その威力は、日々の鍛錬によって強くなっている。

「――浅い」

 それでもキメラの肉は硬く、斬撃を受けても落とすまでには至らなかった。
 キメラは暴れ出し、俺とシトネは離れる。
 その直後、キメラが後ろ脚に力を溜めていることに気付く。

「リン君!」
「ああ! 逃がす前に斬るぞ!」

 狙うは後ろ脚。
 ラクダの脚は強靭な脚力をもっているが、尻尾や首よりは脆い。

「藍雷一刀――」

 二刀を合わせ大きな一刀へ。
 そのまま豪快に振り抜き、キメラの両後ろ足を切断した。
 逃げようとして失敗したキメラは倒れ込み、隙が生まれる。
 その隙をシトネがつく。
 切っ先を喉元へ向け、突きの構えから繰り出されるそれは、旋光よりも速く鋭い一刺し。

「極光!」

 一筋の光がキメラの喉を突き抜ける。
 シトネの一撃に貫かれたキメラが、よだれを垂らしながら倒れる。
 さすがのキメラも、頭を貫かれれば終わりだ。

「倒した……よね?」
「ああ、見ての通り。お見事だったな」

 俺がそう言うと、シトネは嬉しそうに身を震わせ、左手で握りこぶしをつくる。
 今のシトネなら当たり前の結果だと思うし、彼女自身も勝つことに疑いはなかっただろう。
 それでも自分が止めを刺したこと、強敵を倒したことは素直に嬉しい。
 俺も初めて一人でモンスターを倒した時は、密かに興奮していたことを思い出した。

「さぁ、次にいくぞ」
「うん!」

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 グレータークロコダイル。
 世界各地の沼で目撃情報の寄せられているモンスターであり、世界で一番巨大なワニ。
 その体長は三十メートルを超え、観測された個体で最も大きかったものは、五十メートルに届く大きさだったという。
 単純な大きさだけでも、キメラを上回る迫力なのは間違いないだろう。
 そして、グレータークロコダイルの最大の特徴は、その大きさではなく硬度にある。
 全身を覆う黒い鱗は、あらゆる攻撃に耐性を持つとさえ言われ、並みの攻撃では傷一つ付かないほど頑丈だ。

「こんな森の中に沼なんてあるの?」
「あるんだよ。ここを真っすぐ行くとでかい沼がな」
「へぇ~ そこにおっきなワニがすくっちゃったんだね」
「そういうこと。前に倒したのが二年前だし、子供が残ってたのかな」
「えっ、この依頼も初めてじゃないんだ?」

 二年前の同じ場所で、でかいワニが生態系を荒らしているという情報から、依頼を受けたことがある。
 その時に倒した個体は、確か四十メートル近い大物だったな。
 早々増えるモンスターでもないし、もう二度と戦うことはないだろうと思っていたけど。

「取り逃してたなら俺の責任だしさ」
「リン君ってそういうところ真面目だよね」
「俺は常に真面目なつもりだけど」
「そうだったね!」

 シトネがニコッと笑う。
 何だか意味深な反応だけど、引っかかることでもあったかな?
 
 森の中を進み、しばらく経つ。
 すると、湿り気が多くなり、生えている木の種類も変わってきた。
 根が長く地表から飛び出ていて、木の根だけで視界が忙しい。
 地面は湿っているし、薄く水が張っている。
 この辺りは湿地帯に近い環境だ。
 沼はさらに先へ進むと広がっている。

「本当にあった!」
「信じてなかったのか?」
「信じてたけど、やっぱりびっくりだね」
「そうか。ならもっと驚くものがあそこにあるだろ?」

 と、俺はまっすぐ前を指さす。

「え、何?」

 シトネが視線を向ける。
 茶色く濁った水が広がる沼。
 その中心に、黒い陸地が出来ている。
 いや、それは陸地などではなく、俺たちのターゲットの背だ。

「もしかして……」
「あれがグレータークロコダイル、の背中だな」
「背中だけでもう大きいんだね……」

 全体の半分も見えていないだろう。
 おそらく鼻であろう部分が出ているから、こちら側に頭が向いているとわかる。
 ぱっと見は、ただの黒い地面にしか見えない。
 近づけば鱗の光沢もわかるだろう。

「こっちに気付いてない?」
「いいや、たぶんわかって放置してる」
「そうなの? じゃあこっちから仕掛けちゃおうよ」
「いいけど効かないと思うぞ」

 グレータークロコダイルの鱗は、魔術の奥義すら弾いたという伝説がある。
 防御力という面で語るなら、必ず名前があがるモンスターの一種。
 
「前は俺の赤雷も通らなかった」
「そんなに!? ワニのモンスターって雷が弱点だった気がするけど」
「こいつは違う。というか一番効果のある雷属性でも耐性が高いってことだ」
「そ、そんなの無敵じゃ……前はどうやって倒したの?」

 シトネが思い出したように尋ねてきた。

「頑丈なのは鱗の部分だ。腹と口は大して堅くないから、そこを狙った」

 蒼雷で近づき、首元を殴打して口を開かせ、そこに最大出力で赤雷をぶち込む。
 一撃じゃ足りなかったから、これを何回か繰り返した。
 腹を見せてくれると一番楽だったのだけど、この重量を持ち上げるのは至難のわざで、結局口がやりやすかったな。

「じゃあ今回もそうする?」
「いいや。前の俺じゃそれが限界だった。でも今は――」

 憑依装着!

「力でねじ伏せられる!」

 未来の力を宿し、瞳の色は虹色に光る。
 身体への負担が大きいが、数秒程度ならほぼノーリスクで使える。
 
「下がっていてくれ」
「う、うん!」

 シトネが離れたことを確認してから、俺は両手を前で合わせる。
 指先をクロコダイルに向け構え、赤雷を発動。
 分散した雷を、指先に集中させる。
 微細なコントロールが可能となった今なら、貫通力を極限まで高められる。
 後はただ、矢のように放てばいい。

 ここで放たれる殺気に気付き、クロコダイルが全身を現す。
 大きさは以前に戦った個体と同じかそれ以上。

「気づかれたよ!」

 迫るクロコダイル。
 そこへ――

「赤」

 赤い閃光が放たれる。
 一筋の雷は、一瞬にしてクロコダイルを串刺し、バシャンと水しぶきが舞う。

「ふぅ」
「す、凄い! 凄いよリン君!」

 興奮して飛び跳ねるシトネを見て、俺は安堵する。
 セイルキメラ、グレータークロコダイル。
 二体の強力なモンスターを討伐し、俺とシトネは帰路につく。
 倒したモンスターの死体は、ギルドから提供される保管用魔道具に収納し、そのまま持ち帰る。

「便利だね、このボール」
「でも収納できるのは一体だけだし、半日しかもたないけどね」
「そうなの? じゃあもっとたくさん倒した時はどうするの?」
「貴重な素材だけ取るか、ギルドに後から依頼して回収してもらったりかな」

 ウルフとかゴブリンみたいに数の多いモンスターは、倒しても適当な部位だけ持ち帰ることがほとんどだ。
 大した金額にならないし、倒した証明にさえなれば良い。
 そもそもこの魔道具、ギルドから貰うために結構な金額がいるからな。

「今回の二体はどっちも貴重だし、部位によっては高値が付く。あと放置しておくとよくないことに繋がる可能性もある」
「よくないことって?」
「他のモンスターが死体を食べたり、取り込んで凶暴化したり」
「そんなこともあるんだ!」
「モンスターの中には、他の種族を食らって力をつけた種類もいるってことだよ」

 そしてそういう種類のモンスターほど、狡猾で恐ろしい。
 冒険者の仕事をしていると、モンスターの罠にはまって無残な最期を迎える者も少なくないと聞く。
 実際に俺も、似たような現場に出くわしたことがあるから、おとぎ話みたいな話でもない。
 今でも思う。
 あの時もっと力があれば、助けられた命もあるのに……

「リン君?」
「何でもない。あとは戻るだけだな」
「うん! 今夜はアルフォース様も帰って来るんだよね?」
「一応はそうなってるな」

 師匠のことだから、やっぱり帰れなかったとか普通にあり得る。
 今は本当に忙しそうにしているし、文句も言えないのが複雑な気分だよ。

 それから俺とシトネはまっすぐギルド会館へ戻った。
 建物に着くころにはすっかり夕日も沈み、帰還した冒険者でにぎわっている。

「わぁ~ すっごい人だね!」
「朝はもっと多いぞ」
「そうなの!? これより多いと困っちゃいそうだよぉ」

 ギルド会館の中には飲食店が併設されている。
 情報交換の場として用意されたテーブルと椅子には、この時間になると酒を飲み楽しんでいる者たちでごった返す。
 こういう風景こそ、冒険者らしいと思えなくもない。
 依頼から無事に帰還して、生き残ったことを喜びながら、仲間と一緒に飲み食いする。
 一人で活動していた俺には縁遠い話だ。

「帰ろっか!」
「そうだな」

 ただ、今の俺はそれを虚しいとは思わない。
 一緒に帰る人がいて、共に競い合う仲間もいる。
 充実していないなんて、思うはずないだろ?

「あ、そうだ。うーん……いないか」
「どうしたの?」
「いや、エルがいたら挨拶だけしておこうかと思ったんだけど」
「……」

 発言してから気付く。
 さっきまで機嫌がよかったシトネが、あからさまに不機嫌になっている。
 エルのことは迂闊に話すべきじゃなかった。
 シトネが徐に俺へ手を伸ばしている。
 またつねられるのかと思って身構えた俺だったが、彼女はちょこっとだけ服をつまんで引っ張るだけだった。
 
「ねぇ、リン君」
「な、何だ?」
「私にはくれないの? あの腕輪」
「えっ、腕輪?」

 ああ、エルに渡した緊急事態用の魔道具か。
 
「エルちゃんにはあげたのに、私は貰ってない」
「それはまぁ、シトネは強いし。エルは情報屋で戦えるわけじゃないから、何かあったら困るだろ?」
「……そうだけどさぁ」

 むくっと膨れるシトネは続けて言う。

「私だって、また悪魔に襲われるかもしれないよ?」
「それは大丈夫だろ? 俺が傍にいて守れば良い」
「……へっ?」

 キョトンとするシトネに、俺は言い切る。

「どうせこの先もずっと一緒にいるんだし、あんなのなくてもシトネが呼べばすぐに駆け付けるよ」
「……リン君」

 あれ?
 今なんか俺……凄いこと言った気がするけど……

「そっかぁ~ じゃあ仕方がないねぇ~」

 急に表情がとろけだすシトネを見て、余計なことは気にしないことに決めた。

「ま、まぁほしいなら後で渡すけど?」
「ううん! リン君が一緒にいるからいらないよ!」
「そ、そうか」
 
 上機嫌になったシトネにホッとしながら、俺は夜空を見上げてため息を漏らす。
「やぁリンテンス! シトネちゃんもおかえりなさい」
「遅かったすねぇ~ 待ちくたびれたっすよ!」
「「……」」

 依頼を終えて屋敷に帰ると、師匠が帰ってきていた。
 ちゃんと帰ってきていることにも驚いたが、エルが一緒にいるのは予想外過ぎて、一瞬俺たちはポケ―ッと呆けた。

「ねぇ、リンテンス君?」
「はい」

 さっきまで上機嫌だったシトネから、バチバチと電流みたいなものが流れている……気がする。

「アルフォース様はともかく……何でこの子もいるのかなぁ?」
「し、知りません……」
「本当かなぁ~」

 シトネにグリグリと背中を抓られている。
 痛いし怖いし、反応に困る。
 全くもう、今日は初めて見るシトネで胸がいっぱいだよ。

「で、師匠はともかく、エルはどうしてここに?」
「いや~ エルも来る予定はなかったんすけどね~」
「僕が誘ったのだよ。さっき街で偶然会ってね? 久しぶりだし、せっかくなら夕食でもと」
「そうなんすよ~ アルフォース様にナンパされたらエルも断れないっすからね~」
「アルフォース様が……」

 それを聞いてシトネは、ギロっと師匠を睨むように見つめた。
 ビクリと反応した師匠は、誤魔化す様に笑いながら俺に近づき、ひそひそ声で尋ねる。

「はっはっはっ……シトネちゃんの目が怖いのだけど」
「後で謝っておいてください」
「よくわからないが了解だ」

 今のシトネは師匠にも噛みつくのか。
 あと夕食誘うのは良いけど、作るのは結局俺なんですよね。

「みんな少し待っててくれるかな? 今から準備するよ」
「じゃあ私が手伝うよ」
「お、おう。よろしくシトネ」

 シトネと二人きりになることに若干の抵抗感を覚えたのは、このときが初めてだった。
 その後は四人分の夕食を用意して、お腹いっぱいになるまで食べた。
 賑やかに、ワイワイ話しながらの食事は良い。
 行儀は良くないけど、食べる楽しさが倍増する感じだ。

「いや~ お腹いっぱいっすよ! 相変わらずお兄さんの料理は絶品っすね」
「お粗末さまでした」

 三人とも綺麗に食べてくれている。
 空になった皿を見て嬉しいと思えるのは、作った側の特権だろう。
 俺は小さく微笑み皿を重ねていく。

「片付け手伝うよ」
「いいよこれくらい。シトネは料理手伝ってくれたし休んでてくれ」
「そうだとも。シトネちゃんも上手く甘えることを覚えたまえ」
「師匠も偶には手伝ってください」

 うっと小さな声で言う師匠。
 重い腰をあげながら、俺に視線を送る。

「やれやれ、弟子の頼みは断れないね。よーし! 偶には僕も手伝ってあげようじゃないか! 女性陣はしばし歓談を楽しみたまえ」
「じゃあこれ運んでください」

 重ねた食器をどさっと師匠に渡す。

「うん。最初から容赦ないね」
「師匠の弟子ですから」

 他愛もない話をしながら、俺と師匠はキッチンへ向かう。
 洗い場へ皿を置き、おほんと咳ばらいをする師匠。
 そして――

「ようやく二人きりになれたね」

 師匠は決め顔でそう言った。
 それに対する俺の反応は、当然何言ってるのこの人、という顔だ。

「その顔で言わないでくださいよ」

 普通にぞっとする。

「はっはっはっ、ノリが悪くなってしまったね~ 会ったばかりの君なら、もっと大げさに反応してくれたというのに」
「成長したと言ってください。それで話って何です?」

 俺が尋ねると、師匠の表情は一変して真剣さを増す。
 さっきの目配せは、俺にだけ伝えたいことがあるという合図だ。
 それに気づいたから、俺は師匠を連れて二人から離れた。
 多少強引だったし、勘の良い二人は気付いているかもしれないけどね。

「良い話……ではないですよね」
「そう身構えなくて良いよ。ただの情報交換だから」
「嘘つかないでくださいよ。それなら二人を避ける必要はないでしょ」
「シトネちゃん一人だったらそうだね」
「エルの方ですか?」

 師匠はこくりと頷く。
 何となく理由はわかるけど、俺はあえて否定的に言う。

「彼女は信用できると思いますけど」
「うん、僕もそう思うよ」
「じゃあ何で?」
「彼女が情報屋だからだよ」

 師匠は水を流し、皿を洗いながら言う。

「まぁ彼女が情報を漏らすとは思っていない。ただ問題なのは、彼女が所属している組織のほうだ」
「……情報会」
「そう。全情報屋が所属する大組織。元締めは、四世代前の聖域者の血族だね。情報を得るためなら手段は選ばない。買ってくれるなら相手が誰でも構わない。基本的にはそういう思考の集まりだ」

 師匠が何を言いたいのかわかった。
 つまり、情報屋が悪魔と通じている可能性も、ゼロではないということ。
 不用意に情報を伝えることにリスクがあると言っている。
 師匠は皿を洗い終え、水を止めて布を取り出す。

「それに彼女は素直過ぎる。情報屋とは思えない程……ね。そこに付け込まれると弱い」
「確かに……そうかもしれませんね」
「まぁでも、彼女に協力を依頼するという判断は間違っていないさ。やはり情報収集のプロであることに違いはない。僕らが調べるより何倍も早いし正確だ」
「知ってたんですか?」
「彼女が教えてくれたよ。僕のことを信用しているからこそだけど、その素直さが仇とならなければいいいね」

 この師匠の発言は、後に予言となる。
「そろそろ始めませんか?」
「ん? 皿洗いなら今終わったところだよ?」
「そうじゃなくて情報交換ですよ。師匠が言いだしたんじゃないですか」
「あぁーそっちか」

 まさか今の一瞬で忘れていたわけじゃないよな。
 師匠ならあり得そうだから困る。
 俺はふぅーと小さくため息をこぼし、師匠にあらかじめ伝える。

「先に言っておきますけど、俺のほうはまだ何もわかってませんよ? エルに協力を依頼したのも、ついさっきの話ですから」
「そのようだね。まぁ彼女に依頼したのなら間違いない。いずれ何かしらの情報は持ってきてくれると思うよ」
「俺も期待してます」

 人探しは俺も苦手だ。
 エルの情報網にかける以外、今のところ出来ることがない。

「師匠のほうは?」
「うん。僕のほうはかなり候補を絞れたよ」

 師匠が捜しているのは、現存する聖域者で唯一の女性エルマ・ヘルメイス。
 鍛冶の神たるヘファイストスの加護を受け、錬成魔術に長けた彼女は、あらゆる武具を生み出し鍛え上げる。
 剣を生み出せば魔剣や聖剣に。
 鎧を生み出せば、ドラゴンの一撃すら通さない強靭さを得るという。
 日常的に使うような道具ですら、彼女が手掛けた物はこの世に二つとない名品となるだろう。
 故に多くの権力者たちが、彼女の力を欲して金を積む。
 それを嫌ったのか、彼女は一所に留まらず、世界中を巡る旅人となった。
 何者にもとらわれず自由に浮かび漂う雲のような人。
 そんな彼女を人々は、風来の女鍛冶師と呼んだ。

「相変わらず転々としていてね~ もうほんと探すのが面倒だったよ。優柔不断というか、もっとビシッとしてほしいよね」
「会ったことないですけど、たぶん師匠にだけは言われたくないと思いますよ」
「うんうん。君も最近大概だね」

 誰の所為なんでしょうね?
 という目で師匠を見る。
 師匠はわざとらしく咳ばらいをして話を続ける。

「おほん。まっ、とにかく候補はしぼれた。後はもう直接行って確かめたいところなのだが……」
「師匠?」

 師匠は言葉を詰まらせる。
 珍しく苦い表情をしながら、続けて言う。

「実は少々問題が出てしまってね」
「問題ですか?」
「うん。どうやら僕が彼女の居場所を探っていることが、向こうにもバレてしまったようなんだ」
「えっ、じゃあ一から探しなおしに?」

 師匠は首を横に振る。

「ううん。さすがの彼女も、数日で仕事場を変えられない。まだいることは確かだ」
「なら大丈夫じゃないですか」
「いやーそれがねぇ~ これを見てほしいのだけど」

 そう言って、師匠は懐から一通の手紙を取り出す。
 師匠の名前が書かれている封筒だ。
 裏面には探している聖域者エルマ・ヘルメイスの名前もある。
 彼女から師匠に宛てて送られてきた手紙のようだ。
 中には一枚の紙が入っている。
 真っ白な紙にはたった一言だけ書かれていた。

 来たら斬るぞ。

 シンプルに脅迫文!

「ちょっ、師匠何したんですか!?」
「失礼だな! 僕だってまだ何もしていないさ!」
「今じゃなくて昔ですよ! この文どう考えても師匠に恨みもってるじゃないですか! 絶対過去に何かしたんでしょ!」
「決めつけは良くないと思うな~ いくら僕だからって……とにかく決めつけは良くないと思うよ!」
「言い訳出来てないじゃないですか……」

 どう考えても師匠が過去に何かやらかした案件だな。
 それもかなり大きな失礼を働いたに違いない。
 そうでもなければこんな一文……普通は送ってこないだろう。

「はぁ……俺が捜してる一人といい、同僚に嫌われ過ぎですよ師匠」
「はっはっはっ、僕もそう思うよ」
「笑い事じゃないって」

 たぶん師匠は昔からこういう人なのだろう。
 周囲を振り回し、自分勝手に振舞っては去っていく。
 その内に秘めた優しさも、長く付き合った者しかわからない。
 いや、人によっては最後まで相いれないか漏れいないという個性の持ち主だ。
 改めてそう思う。
 俺は特大のため息を漏らして尋ねる。

「どうするんですか?」
「困ったよね~ これ僕一人で行っても確実に話を聞いてくれないと思うんだよ」
「でしょうね」

 問答無用に斬りかかってくる未来が見えるようだ。

「そこでだ! 君に頼みがある!」
「一緒にこいと?」
「うん!」
 
 やっぱりそうか……

「あーでも、ほしいの君じゃなくてシトネちゃんの方なんだ」
「えっ、シトネ?」
「そう。実は彼女、可愛いものに目がないんだよ~」
「可愛いものですか」
「そうそう! シトネちゃんは可愛いし、一緒に来てくれたら話も聞いてくれると思うんだよね~ 君だって可愛いと思うだろ?」
「それはまぁ……可愛いと思います」

 何の話をしてるんだ?
 恥ずかしさを隠すように俺は目を逸らす。

「だから貸してほしんだ。ついでに君も来ていいよ」
「ついで……」
「嫌ならシトネちゃんだけ貸してほしいな。というか君が行くと言えば、彼女も一緒に来ると思うんだよ」
「シトネを付録みたいに言わないでくださいよ。まぁでもそうですね。俺も師匠以外の聖域者には、一度会ってみたいと思います」

 そしてちゃんと謝っておこう。
 師匠の代わりに。

「よーし! じゃあシトネちゃんには君から説明しておいてね」
「わかりましたよ。あと師匠」
「ん?」
「皿、汚れてるので洗いなおしてください」
「……了解」
 俺の監視のもと、師匠に皿洗いをさせシトネたちの元へ戻る。
 後から心配になって、少し大股で彼女たちの様子を見に行くことに。

「そんなに焦らなくても大丈夫だと思うよ」
「師匠の大丈夫は当てになりませんから」
「酷いな~ 僕は君の師匠なのに」
「だからでしょうね」

 皮肉交じりに言いつつも、内心では師匠と同意見だった。
 席を外したのはたった数分。
 その僅かな時間で起こる事件などないだろうと。
 だから、正直かなり驚かされた。
 
 お待たせと、言いながら食堂に入ろうとした直前だ。
 ただならぬ雰囲気を感じ、脳裏に嫌な予感が過る。
 俺は咄嗟に立ち止まり、師匠もそれに合わせて立ち止まった。
 恐る恐るこっそり中を覗くと……

「……」
「……」

 無言で向かい合う二人。
 静まり返った部屋。
 明らかに何か起こった後の光景が飛び込んできた。

「えぇ……」
「何だか嫌な雰囲気だね~」

 小声で師匠と話しながら、彼女たちを見守る。
 この空気の女子二人に割って入れる精神力はさすがの俺にもない。
 師匠は行けちゃいそうだから、そっと前に立ち出れないようガードする。

「シトネさん」

 すると、静寂を破ったのはエルだった。
 彼女は続けて、シトネに問いかける。

「もう一度聞くっすよ? シトネさんはお兄さんのこと……好きなんすか?」
「ん?」
「おやおや」

 どういう状況なのでしょうか?

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 リンテンスとアルフォースが去った後、残された二人は互いに顔を合わせる。

「行っちゃったっすね」
「そうだね」
「ついて行きたいっすけど、あれはダメな感じっすね~」
「うん。二人だけで話したいことがあるみたいだね」

 二人とも、アルフォースの真意を読み取っていた。
 本当は手伝いたいと思いながら、空気を読んで残ってくれていたのだ。
 そして、今日が初対面の二人で残されれば、会話に困る。

「シトネさんはお兄さんとどこで会ったんすか?」
「え、私?」
「そうっすよ。エルは教えたのに自分だけ知らないのは不公平っす」
「そ、そうかな? えーっとねぇ」

 というわけでもなく、意外にも会話は弾んでいた。
 元々コミュ力の高い二人だったこともあり、リンテンスという共通の友人がいたことも大きいだろう。
 性格的にも両者は近いものがあり、決して相性は悪くない。
 むしろ良いほうだと言える。
 ただ一点、似ているからこそ相容れないものを除けば……

「それからずっと一緒に暮らしてるんだよ」
「へぇ~ でもエルはそれよりもーっと前からお兄さんと知り合ってたっすからね~」
「べ、別に時間が長いほうが良いってわけじゃないよ! 重要なのは中身だからね!」
「エルはお兄さんの仕事をサポートしたりしてたっすよ? お兄さんにとってもエルは大事なパートナーだったに違いないっすからね~」

 そこからの攻防は激しかった。
 互いにマウントを取りきれず、次から次へと攻撃ならぬ口撃を続ける。
 しかし不毛な戦いであることに気付き、一時的に攻防の波が止まる。

「大体何なんすか! シトネさんはお兄さんのこと好きなんすか?」
「へっ……」

 そこへエルの確信をつく一撃。
 思わずシトネも赤面して、言葉を詰まらせる。
 
「エルは大好きっすよ! お兄さんと恋人になりたいし、結婚してゆくゆくは子供もほしいっす!」
「こ、子供!?」

 畳みかけるような連続口撃。
 たまらずシトネもたじろぎ慌てる。

「どうなんすか? シトネさんは!」
「……」

 この時、シトネの頭の中はリンテンスとの思い出で溢れていた。
 無意識に、それでも間違いなく彼への好意を持っている。
 だが真っ向からその好意に彼女は気付いていなかった。
 家族や周囲から見放された彼女にとって、好意は遠く理解しがたい感情の一つだったからだ。
 それを彼女は思い出しつつあった。
 リンテンスと出会い、彼と触れ合い助けられて、彼に惹かれる自分に気付く。
 
 そして渦中の男は――

「何この状況……」

 すぐ近くにいた。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 戻ってきたら予想以上の修羅場を迎えていた。
 俺と師匠は出入り口に隠れて様子をうかがっている。

「いや~ 面白いことになってるねぇ~」
「ワクワクしないでくださいよ!」

 小声でのやり取りにも限界はあるが、幸いなことに二人とも互いに集中していて気付いていない。
 ことの経緯を知らない俺には、なぜこうなったのか理解できない。
 何となく察する程度はできるけど、気恥ずかしくて考えたくないというのが正しい。
 そんな俺にも届く確かな声で、シトネが言う。

「好きだよ」

 その言葉が、俺の胸にドクンと衝撃を与える。

「私もリン君が好き。大好き! エルちゃんに負けないくらい、私だってリンテンス君が大好きだよ」

 シトネ……

 彼女の頬が赤くなっている。
 たぶん、俺の頬も同じくらい赤くなっているのだろう。
 彼女の好意を感じながら、ハッキリと言われたのは初めてだった。

 誰かに好意を抱かれるって、こんなにもドキドキするものなのか。

 胸の高鳴りが治まらない。
 シトネの顔を見るのが恥ずかしいのに、彼女から目が離せない。

「君はどうしたい?」
 
 そんな俺に師匠が問いかける。
 俺は……俺はどうしたい?
 彼女の……いや、彼女たちの好意になんて答える?
 浮かび上がる思い出と、自分自身の思い。
 
「……まだわからないです」
「そうか。じゃあわかったら、ちゃんと伝えなさい」
「はい」

 今はまだ、自分の気持ちがわからない。
 わかっているのかもしれないけど、上手く掴めない。
 もう少し、あと少しで届きそうなのに。
 彼女たちと一緒にいれば、この気持ちに届くのかもしれないな。
 王都北部には山脈がある。
 最も高い山は雲を軽々超え、空気の薄さで意識が遠のくほど。
 常に凍てつくほど寒く、雪化粧に覆われている。
 北を目指す際の目印として重宝しているが、過酷な環境故にほとんど誰も近づかない。
 ただ豊富な資源が眠っているらしく、時間をかけて採掘と調査が進められているらしい。
 なぜ急にそんな雪山の話をしているのかって?

「くしゅんっ!」

 ちょうど今、そこを登っているからだよ。
 俺とシトネ、それから師匠でね。
 ちなみに可愛らしいくしゃみをしたのはシトネだ。
 
「大丈夫か?」
「う~ん……大丈夫じゃないかも」
「シトネは寒いの苦手なんだな。狐って寒さに強いイメージがあるけど」
「先祖返りなだけで一緒じゃないんだよ~」

 ブルブル震えながら弱々しく言うシトネ。
 まだ登山開始から一時間も経過していない。
 それでも辺りは雪景色の白一色で、若干吹雪いてきている。
 吹き抜ける風と雪の冷たさが、こんなにもキツイとは思わなかった。
 
「だらしないな~ 僕のようにもっと堂々としていないと!」
「……そんなモフモフの格好で言われても説得力ありませんからね」

 師匠は権能で生み出した防寒機能付きモフモフの生物を全身に纏っている。
 見た目は太ったクマみたいだが、間違いなく温かそうだ。
 俺より寒さに弱い師匠が、平気な顔して歩いているのが何よりの証拠。
 何よりムカつくのは、それを自分だけ身に纏っていることだが……

「師匠、俺たちにもそれかしてくださいよ」
「ダメダメ! これは僕の命令しか聞かないから」

 絶対嘘だろ……
 見た目は毛玉みたいなのに、一応モンスターと戦えるらしい。
 信じられないというか、信じるのが馬鹿らしいというか。

「もういいですよ」

 これ以上言っても無駄だとあきらめる。
 さて、どうして俺たちがこの山をせっせと登っているのか。
 理由は師匠からのお願いだ。
 師匠が捜している聖域者エルマ・ヘルメイスは、各地を転々とする旅人。
 その先々で自らの工房を築き、武具や道具を作っているそうだ。
 この数日で師匠が調べ上げ、四つの候補まで絞った滞在場所の内一つが、このグレートバレー山脈だ。

「懐かしいかい?」
「……そうですね。あれから四年ですか」

 師匠の弟子になって一年後、俺はこの地でドラゴンと戦った。
 あの時は今登っている山とは別で、こんなに寒くもなかったけど。

「時の経つのは早いものだよ。気が付けばあっという間さ」
「何だか師匠が言うと説得力ありますね」
「そうだろう? 若く見られがちだがこれでも年長者だからね!」
「たぶんそういう態度の所為で若く見られるんですよ」

 キョトンとする師匠。
 どうやら無自覚らしい。
 
「しかし、本当にこんな場所にいるんですか?」
「いると思うんだよね~」
「根拠は師匠の勘ですよね」
「そうだよ?」

 何を今さら、と言わんばかりの表情を見せる師匠。
 確かに、それを知った上で着いてきたのは俺とシトネだ。
 探している聖域者について知ってるのは師匠だけだからな。
 勘でも何でも、師匠の感覚に従うしかない。
 とは言え……

「この寒さは厄介だな」

 徐々に増してきている。
 吹雪も強まってきて、視界も悪くなっているようだ。
 まだ中腹にも達してないというのに、この悪天候は負担が大きい。
 
「ぅう~ 指先の感覚なくなってきたよぉ」
「俺もだ」
「そんなに寒いなら二人でくっついて歩いたらどうだい?」
「「えっ」」
「ほらほら~ 人の体温って結構あったかいんだぞぉ?」

 わざとらしくニヤつく師匠に、若干の苛立ちを感じる。
 あきらかに面白がっている。
 この間の一件以来、時々からかってくるんだよな。
 
「ど、どうする?」
「え……と、どっちでも」
「わ、私もどっちでも良いよ」
「……じゃあ」

 じゃあって何だ?
 俺は無意識にシトネに手を伸ばしていた。
 寒さで判断能力も落ちているのだろうか。
 そういうことにしてほしい。
 シトネも照れながら、俺の手を握ろうと――

 ドゴンッ!

 というタイミングで、近くの大岩が砕けた。

「おっと、敵襲だね」

 なんというタイミングで!
 しかも現れたのは、雪山では御なじみと言われている大男のモンスターイエティ。
 見た目は大猿で、白い毛並みが特徴的な雪が降る寒い地域に生息する凶暴で賢いモンスターだ。

「かなり大物だね~」

 冷静な師匠とは裏腹に、俺とシトネは若干焦っていた。
 良い雰囲気を中断されたというのもあるが、寒さで身体の動きが鈍っている。
 急に動いて上手く戦えるかという不安。
 その不安を師匠は感じ取り、俺たちの前へ出る。

「いいよ。ここは僕に任せて」

 そう言って、何も持っていない腕を前にかざす。
 師匠が着ていたモフモフの一部がツルのように伸び、八本に枝分かれしてイエティに絡みつく。
 そのまま縛り上げて持ち上げ、破壊された大岩に叩きつけた。

「ほらね? ちゃんと戦えるだろ?」

 この時の師匠は、とても清々しいドヤ顔をしていた。
 
 師匠のモフモフでイエティを難なく倒した。
 正直納得はいかないが、戦えるという点は本当らしい。
 
「不服そうな顔だね~」
「別にそんなんじゃ……」
「文句はこの雪男に言っておくれよ。君たちのイチャつきを邪魔したのは僕じゃないんだからさ」
「イチャ――師匠!」

 怒った俺に対して、師匠は大笑いしていた。
 こんな場所まで来てからかうとか、師匠は変わらず性格が悪い。

「付いてこなければ良かったですよ」
「今さらもう遅いね」

 本当にその通りだ。
 ここでふと、シトネの姿がないことに気付く。
 心配が過るが、すぐにシトネの声が聞こえてくる。

「リン君!」

 彼女は倒れたイエティの横で手を振っていた。
 何ともなかったようで安堵する。
 俺と師匠が歩み寄ると、シトネは下を指さして言う。

「これ見て! 大きな穴があるよ」
「穴?」

 覗き込むと、イエティが壊した岩の下に、大きな空洞が広がっていた。
 
「本当だ」
「おやおや~ しかもこれは人が手を加えた後があるね」
「そうなんですか?」
「うん。ちょこっとだけど道が整備されているよ」

 師匠の言う通り、洞窟に見えるそれは、天然ものにしては道が綺麗すぎる。
 ほんの些細な差だけど、見る人が見ればわかるだろう。
 俺は師匠に尋ねる。

「探鉱用ですか?」
「いいや、この辺りはエリア外だよ」
「ならもしかして……」
「うん。この先に彼女の工房があるかもしれない」

 不意の発見に期待が高まる。
 俺たちはさっそく中へ降りていく。
 風が届かない分、外よりも温かく感じる。
 暗さはシトネの明かりで何とかなるし、吹雪の中を歩くより数倍マシだ。
 そして、道なりにまっすぐ進むこと十五分。
 目の前に鉄の扉と、人工的に作られた壁が現れた。

「何かあるよ!」
「どうやら大当たりのようだね」

 扉の上には赤い炎のような文様が描かれている。
 
「あれは彼女の家紋だよ」
「ってことはここが?」
「うん。シトネちゃんの大手柄だね」
「えへへ~」

 嬉しそうなシトネにほっこりしつつ、俺は扉に目を向ける。
 鋼鉄の扉に壁は赤く塗られている。

「熱気が……」
「工房だからね。たぶん中で作業しているんじゃないかな?」

 そう言って無造作に、師匠は扉へ近づく。

「ちょ師匠! 大丈夫なんですか?」
「大丈夫さ。こうして話していても反応がないということは、留守か仕事中ってことだからね。どうせ呼びかけても答えないよ」
「そうじゃなくて……」

 あの脅迫文のこと、忘れているんじゃないだろうな。
 師匠はそのまま何の躊躇もなく扉を開けた。
 ギィギィと音をたてながら、普通に開いたことも驚きだ。
 これだけ硬そうなのに鍵もかかってないのかと。

 中は広々としていて、鍛冶場で見かける道具や設備が整っている。
 入り口近くには製作途中の武器が並んでいるし、変わった形の鉱石が床に転がっていたり。
 そして奥には、カンカンと鉄を打ち付けている赤髪の女性がいた。
 雪山とは思えない半袖半ズボン、ゴーグルもかけている。
 
「あの人が……」
「聖域者エルマ・ヘルメイス」

 後姿だけで伝わる職人として凄さに、俺とシトネは息をのむ。
 俺たちが立ち尽くしている中、師匠はいつも通りの軽いあいさつを口にする。
 
「やぁエルマ! 久しぶりだねー」

 ピタリと止まった手。
 しばらく無言のまま、彼女から口を開く。

「その声……アルフォースか?」
「そうだよ~ 遠路遥々君に会いに来たのさ」
「……そうか」

 彼女はハンマーを置き、徐に横へ歩いていく。
 その先に並んでいたのは、一目で強力な魔剣だとわかる一振りだった。
 魔剣を手に取り、見事な刃を抜いて見せる。

「エルマ?」
「言ったはずだよなぁ?」
「はい?」

 刹那。
 彼女は魔剣を振り抜き、師匠へ斬りかかる。

「来たら斬るって!」
「うおっと! 忘れていたよ!」
「待てゴラアアアアアァァァァ!」

 突然始まる聖域者同士の戦い?
 いや、彼女が一方的に斬りかかり、師匠は逃げ回っている。
 辺りの物を破壊しながら……

「ちょっと待ってくれエルマ! 僕は君に話をしに来たんだよ!」
「うるさいクソ男! お前と話すことなんてないんだよ!」

 問答無用というか容赦なし。
 師匠に対して明らかな殺意を向けている。

「師匠ー、とりあえず謝りましょう」
「どうして? 僕は何も悪いことはしてないよ? だから謝らない!」

 それは堂々と言うセリフじゃないです。
 仕方ないな。
 
「エルマさん! 俺はアルフォース師匠の弟子のリンテンスです!」
「は? こいつの弟子だと?」
「はい。そのロクデナシは一先ず放っておいて、俺の話を聞いてもらえませんか?」
「ロクデナシとは心外だな! 僕は何もしてないよ!」
「この期に及んで嘘つかないでくださいよ! こんなに怒ってる時点で絶対何かしでかしたでしょ!」

 それも相当怒らせるような何かを。
 彼女の怒り様は、そうでなければ説明がつかない域だ。

「いや、そいつは何もしてない……」
「えっ?」
「ほらね!」

 ドヤ顔の師匠は無視しつつ、エルマさんに目を向ける。
 立ち止まり、落ち着きを取り戻したように見えるが……

「そうよ。何もしなかった……何もしなかったのよ!」
「何で!?」

 突如激高して、今後は俺に斬りかかってきた。
 それも割と本気の太刀筋で。
 俺は蒼雷を発動して何とか躱す。

「あれだけのことをしておいて! 何で何もしないのよ!」
「どっちなんですか!」

 情緒が不安定すぎるだろこの人!

「リン君!」
「よし今しかない! シトネちゃん君の出番だよ!」
「え、私?」
「そうだとも! 彼女を鎮められるのは君だけだ! さぁ早く!」

 師匠とシトネのやり取りは微かに聞こえる。
 ただそっちに集中できる状況ではなかった。

「くっそっ!」

 この人普通に強い。
 怒りで太刀筋はめちゃくちゃだけど、それでも強い。
 さすが聖域者だ。
 このままだと俺も本気にならないと――

「ま、待ってください!」

 そこへ響くシトネの声。
 ピタリと動きを止めた乱心エルマさんは、シトネに目を向ける。
 
「り、リン君は大事な人なので……イジメないで……ください」

 シトネは精一杯、モジモジしながらそう言った。
 控えめに言って可愛い。
 こんな状況だけど、俺も思わずきゅんとなる。

「か、かか……」

 その影響を一番受けていた人物が隣に一人。

「可愛い!」

 ブシャーっと鼻血の噴水が飛び出る。
 そのまま彼女はバタリと地面に倒れ込んだ。