【9/10コミカライズ】ナナイロ雷術師の英雄譚―すべてを失った俺、雷魔術を極めて最強へと至るー

 召喚された幻獣が役目を終えて消えていく。
 それは物語の一頁のようにあっという間の出来事だった。
 
「ぅ……ぐ……」
「おや? 驚いたね。その状態でも死なないなんて」

 厳重に四肢をもぎ取られ、ダルマのようになったグレゴア。
 全身から血を流し、地面へ落下する。
 それでも命を繋いでいるのは、彼が悪魔の中でもタフな身体を持っていたからだろう。

「化け物が……」
「はっはっはっ! 君にそう言われたくはないな~」

 グレゴアはギロっとアルフォースを睨む。
 しかし、もはや戦う力は残されていなかった。
 生きていると言っても時間の問題で、放っておけばいずれ終わりが来る。

「まぁ良い。君もそこで見ていると良いよ」

 アルフォースはそう言って、空を見上げる。
 視線の先に見える稲妻を、恋人を見つめるような視線で眺めながら言う。

「僕の弟子がどこまで成長したのかをね」

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「ありえない」

 無数の砲撃が雨のように降り注ぐ。
 隙間なく、逃げ場なく、止むことのない嵐のように。
 そんな攻撃を一筋の雷撃がかき消し、多重の結界障壁を突き破る。

「こんなことが……」

 エクトールの額から汗が流れている。
 彼の心情を考察するなら、おそらくこう思っているのだろう。

 ありえない。
 ただの人間で、聖域者でもない魔術師に、自分がここまで追い込まれているなんて。
 そんなことがあっていいはずがない。

「――赤」
「ぐっ……」
 
 赤雷がエクトールの左腕を掠める。
 結界障壁では防御しきれないから、エクトールも回避するしかない。
 対する俺は、戦闘開始直後からほとんど動いていない。
 ほぼ同じ位置から攻撃を繰り返し、放たれた攻撃は赤雷でかき消していた。

「どうした? 悪魔っていうのはこの程度なのか?」
「……いいでしょう。その減らず口を叩けなくしてあげます」

 エクトールが術式を大量に展開させる。
 すべて砲撃の術式だが、何かを企んでいるのがわかる。
 放たれる砲撃の雨を、赤雷で相殺。
 砲撃と赤雷の衝突で爆発が起こり、視界が一時的に遮断される。

 気配が――
 
 その一瞬をついてエクトールは転移の術式を発動。
 俺の背後に回り込み、ゼロ距離から砲撃を撃ち出そうと手を伸ばす。

「もらった!」
「――青」

 青い稲妻がわずかに走り、エクトールの眼前から俺が消える。

「なっ――」
「遅いぞ」

 不意をついたエクトールの頭上に回り込み、背中を蹴り落とす。
 吹き飛んだエクトールは地面に叩きつけられた。
 土煙が舞う地面を、俺は上空から眺めている。
 
「いくら転移で一瞬に移動しても、その直後の行動が遅ければ意味ないさ」
「……そうですか。参考になりましたよ」

 土煙が消え、エクトールが膝をついている。
 むっくりと起き上がり、飛翔魔術で上空に戻ってきた。
 そして、彼は俺に問いかける。

「貴方は誰ですか?」
「俺のことを知っているんじゃなかったのか?」
「ええ、知っていますよ。ですが、私が知っている貴方と、今の貴方は明らかに別人だ。一体何があったのかと、疑問で頭が一杯ですよ」
「ああ、まぁそれはそうだろうな」

 憑依装着。
 師匠の修行で獲得したスキル。
 未来の自分を投影、自身の身体に憑依させることで、一時的にその力を引き出す。
 今の俺は、未来の自分自身を体現している。
 その影響か、瞳の色が七色に変化していて、魔力量も跳ね上がっている。
 さらに完成された色源雷術は、悪魔の力すら凌駕しているようだ。
 ちなみに飛翔魔術なしで空を飛んでいるのも、色源雷術の応用で、飛んでいるというより立っているというほうが正しい。

「ふっ」
「何を笑っているのです?」
「いや、何だか楽しくなってきてさ」
「楽しい……ですか。なるほど、どうやら認識を改める必要があるようですね」

 そう言ってエクトールは小さくため息を漏らす。
 先ほどまでの感情的な態度が落ち着き、冷静さを取り戻している様子だ。

「貴方は強い。ですがやはり、悪魔である我々には届かない」
「へぇ、今の戦いを経てそう言い切れるのか?」
「はい。我々悪魔は、こちらの世界では力を制限されていますからね」

 エクトールは左腕の腕輪に手をかける。

「この腕輪は、我々の制限を一時的に外すことが出来ます。本当は使うつもりはなかったのですが、貴方を倒すには、全力でなくては足りないらしい」

 その腕輪を握りつぶした。

「見せてあげましょう。私の真の力を! そして恐怖するが良い!」

 腕輪を破壊した途端、膨れ上がる魔力。
 彼の周りを突風が吹き荒れ、漏れ出した魔力場がバリバリと稲妻のように走る。
 なるほど確かに、本気ではなかったのだと理解した。

「いいね。第二ラウンドといこうか」
 限定突破によって解放された力が、周囲をピリつかせる。
 さっきまでとは比べ物にならない魔力量と圧だ。
 俺も自然と力が入る。

「いきますよ」

 エクトールが右手を前にかざし、砲撃の術式を展開させる。
 俺も同様に右手をかざし、赤雷を放つ準備をする。
 そして、最初と同じ撃ち合いが始まる。

「赤」
「マテリアルバレット」

 赤い稲妻と砲撃がぶつかり合う。
 一度目は赤雷の勝利だった。
 しかし、今回はせめぎ合い、拮抗している。
 威力が向上した赤雷と張り合っている。

「やはり凄まじい威力ですね。今の私と張り合えるとは」
「こっちのセリフだ」

 完成された赤雷は、コントロールも向上している。
 ばらけ易かった欠点がなくなったことで、一つに束ねたり、分けたりを自由自在に操れるようになった。
 一つに束ねれば貫通力も跳ね上がる。
 だから結界障壁も簡単に貫くことが出来たわけだが……

「これが本気か」
「ええ、ですがまだ序の口です!」

 エクトールが消える。
 転移の術式を使ったようだ。
 気配は俺の背後に回っている。
 だが、振り向いた時にはもういない。
 残っていたのは、爆発を起こす術式だけ。

「青」
「今度こそ逃がしませんよ」
「これは――」

 蒼雷の加速で逃げた先に、無数の爆発術式が展開されていた。
 逃げるポイントを予測され、罠を張られていたようだ。

「弾けなさい」

 連鎖的に爆発していく。
 俺は蒼雷の出力を上げて防御に徹する。

「効いたな」
「そうでしょう? しかしさすが、この程度では倒せませんね」

 思った以上に強くなったな。
 今の俺の全力にもついてこられる。
 口ぶりからして時間制限付きだろうけど、おそらく俺よりは長くもつ。
 このまま戦っても、最終的に限界を迎えるのは俺のほうだ。

「仕方ない。お前は強いからな」
「何か言いましたか?」
「ああ。俺も本気を見せると言ったんだよ」
「本気? 今までも手を抜いていたと? わかりやすいハッタリですね」
「ハッタリじゃないさ。この術式だけは、使うつもりもなかったんだよ」

 未来の自分と対峙して、得られた経験と技術。
 色源雷術の完成形にして、たどり着いた究極の術式。

「色源雷術裏――」

 漆黒の稲妻が、俺の身体を覆う。

黒雷(こくらい)
「ほう。それが貴方の本気……いいえ、奥の手といったところですか?」
「ああ」

 バチバチと纏った黒雷が弾ける。
 この技を発動中、他の雷撃は使えない。

「漆黒の雷など初めて見ましたが……良いでしょう。試してあげます」

 エクトールが砲撃を放つ。
 威力も速度も桁違いにあがっている。
 熟練された術師でも、防御できるかわからない攻撃。
 俺はただ、右手を前にかざすだけで良い。
 それだけで砲撃は消える。

「――!? 今……」
「どうした?」
「いえ、どうやらこれでは足りなかったらしい!」

 さらに術式を無数に展開。
 数は数えるだけ無駄なほど、エクトールの背後を覆う。
 そこから放たれる砲撃が降り注ぎ俺を襲う。

 が、これも無意味だ。
 黒雷を纏っている今の俺には、どんな攻撃も通じない。
 砲撃は全て掻き消える。
 バリっと黒い稲妻が走り、綺麗になくなる。
 
 その様子を見て、エクトールは疑問を浮かべる。
 防御しているのではない。
 攻撃が届く前に制御を失って霧散した?
 あの黒い雷は、攻撃を退ける絶対的な何かをもっているのか?
 だとしたらその効果は一体……

「これで終わりか?」
「――っ、まだですよ! 私の全てをぶつけましょう!」

 エクトールが両腕を大きく広げる。
 展開された巨大な方陣術式に、小さな無数の方陣術式が集まっていく。

「丁度良い! この一撃で下の建物ごと破壊してさしあげましょう! いくら貴方でも、これを防ぎきることは不可能です!」

 術式が光り、特大の砲撃が放たれる。
 エクトールの全力。
 魔力の大半を消費して放たれた一撃は、確かに結界なんて簡単に破壊できそうな威力だ。
 下手をすれば、王都の街を消し飛ばせるかもしれない。
 ただし、どんな攻撃であろうと、今の俺には関係ないのだが――

「無駄だ」

 右手で触れる。
 たったそれだけのことで、彼の全力は消える。
 走った黒い稲妻が虚しく、ひと時の静寂を生み出す。

「ば、馬鹿な……ありえない。ありえないぞ! 一体何をしたのだ! どうやって防いだ!」

 激昂するエクトールに俺は答える。

「別に防いだんじゃない。ただ、お前の攻撃を変換しただけだ」
「変換……だと?」
「そうだ。黒雷の能力は触れたもの全てを黒い雷に変えることだからな」
「なっ……」

 色源雷術の裏。
 黒雷は、全ての術式を強引に合わせて完成した術式。
 七つの雷全ての力を有し、それら全てを否定する力の象徴だ。
 黒雷に触れたものは、自然だろうと魔術だろうと、無条件に雷へ変えてしまえる。
 故にどんな攻撃も俺には届かない。
 一度発動すると、しばらくの間は色源雷術を使えなくなるから、文字通りの奥の手だ。

「ありえない! そんな魔術があるものか! それではまるで神ではないか!」
「俺もそう思うよ。でも、現にここにある」
「ふざけ――」
「それから」

 大きな一歩を踏み出す。
 俺は瞬時に移動して、エクトールの懐にもぐりこんだ。
 そして、俺の右手は彼の腹に触れている。

「悪魔も、雷に変えられるんだよ」
「貴様――」
「さようなら」

 触れた箇所に黒い稲妻が走り、肉体の全てが黒く染まった直後。
 バチンと大きな音をたて、エクトールの身体は雷となって消え去った。
 
 悪魔エクトールが黒い雷となって消滅した。
 その瞬間を、アルフォースとグレゴアが眺めている。

「おぉ~ 凄いねあれ」
「なっ……なんだよありゃ……ありえねぇだろ」
「うんうん。その気持ちはすごーくわかるよ~」

 嘘をつくな、と言いたげにグレゴアが睨む。
 すでに勝敗は決し、肉体は半分ほど消滅しかかっていた。

「そろそろ限界のようだね?」
「……くっ、ククク、クハハハハハハハ――ああ終わりだよ! ()()()()()なぁ」

 突然、グレゴアは開き直ったように大きく笑った。
 先ほどまでの驚愕が演技だったようにも思える程、活き活きとした表情に戻っている。
 
「この状況で笑えるなんてすごいね、君」
「かっ! 正直驚かされっぱなしだったし、負けちまったから返す言葉もねぇんだけどな。だが、安心しろよ人間。お前たちはどうせ滅ぶんだ」
「へぇ? 本当によく言えるね、そんな也で」

 アルフォースは笑顔のまま、瀕死のグレゴリを杖で突きさす。

「ぐっ……」
「君たちは負けたんだ。これで戦いは終わりだよ」
「いいや、終わらねぇよ。こっちの世界に来てるのがオレたちだけだと思ってるのか?」
「ん? あー、そういえば上司が来てるんだったね」

 地獄の三大支配者の直轄。
 悪魔たちを束ねる六柱の一人。
 【中将】フルレティ。
 彼らを従えて、こちらの世界に来ている大悪魔だ。

「オレたちが失敗したと知れば、今度はフルレティ様が直々に手を下される。あの方の力は、オレたちの比にならねぇ。いくらお前でも、勝ち目なんてねぇんだよ」
「やれやれ、何を言うかと思えば他人頼りなことだ。死に際とはいえ情けないね」

 呆れた顔をするアルフォースに、グレゴアが舌打ちをする。

「その余裕もなくなるぜ」
「それはどうかな? まぁでも確かに、あの悪魔はとても勤勉だからね。君たちがもっている情報はもちろん、他にも色々と知っていた。僕の権能に対して物量で挑んできたときには、正直ちょっと驚いたけどさ」
「そうだ! フルレティ様は――おい?」
「ん? 何かな?」

 グレゴリが違和感に気付く。
 アルフォースの言葉には、明らかにおかしな点があった。
 まるで、フルレティを直接知っているような話しぶりではないか。

「なんでてめぇがそれを知ってる? 物量だと? 何の話だ!」
「え? 何だわからないのかい? そんなの直接会っているからに決まっているだろう」
「なっ……」

 会っている。
 そう、アルフォースはフルレティを知っている。
 グレゴアは両目を驚きで見開き、口をパカっと開けている。

「良い表情だね~ よーし、そんな君に特大のニュースを教えてあげようか」
「な、なんだ――」
「君たちの上司ならもういないよ? 僕が倒してきたからね」
「なっ……」

 驚愕で顎が外れるくらい口を開くグレゴア。
 そんな彼を見て、楽しそうな笑みを浮かべるアルフォース。

「うんうん! さっき以上に良い表情だよ。やっぱりドッキリはこうでなくっちゃねぇ~」
「ふ、ふざけるな!」
「おっと、ふざけてなんていないさ。ちゃんと事実を伝えたまでだよ」
「ありえねぇ! フルレティ様が倒されるはずねぇだろ!」
「あーそう思うのは仕方がないか。確かに強かったけど、彼って六柱でも戦闘が得意じゃないでしょ? 僕の相手は務まらなかったよ」

 アルフォースは笑いながら、友人と接するように話す。
 グレゴアには彼の笑顔が、どうしようもなく恐ろしく感じられた。

「信じたくないのなら確認してみたらどうだい? 君たちは彼から、何かしらの連絡手段を貰っているはずだよ」
「そ、それは……」

 グレゴアが言い淀む。

「ほーらやっぱり。数日前から連絡がないんでしょう? 僕が彼を倒したのは五日ほど前だからね。ちょうどその辺りからじゃないかな?」
「ぅ……」
「図星だね」

 勤勉なフルレティは、部下の彼らに定期的な連絡を強いていた。
 毎日の決まった時間に連絡することとなっていたが、それが五日前から途絶えている。
 ただ、彼らは大して問題に感じていなかった。
 忙しいのだろう、くらいにしか思っていなかったのだ。
 それはフルレティが死ぬはずないという絶対の自信と、次なるターゲットに対する期待が高まっていて、冷静な判断が出来ていなかったから。

「さすがに彼が来てしまうと、リンテンスの修行にならなかったからね。先に処分させてもらった。本当なら二人も助けたかったけど、間に合わなかったようだね」

 アルフォースは申し訳なさそうに語る。
 二人というのは、彼らと戦った聖域者のことで、アルフォースは彼らを助けるつもりだった。
 しかし、予想よりも敵の動きが早く、間に合わなかったのだ。

「ふ、ふざけるな……何なんだ……何なんだよてめぇは!」
「僕はアルフォース・ギフトレンだよ。この世界で最も強い魔術師だ。君たちは僕を、甘く見過ぎていたんだよ」

 その言葉を最後に、グレゴアが消滅する。
 虚しく、絶望の表情を残して、何一つ残らず消えてなくなった。

「残念だったね。僕と出会ってしまったことが、君たちの不運だよ」
 グレゴアが逝き、二人の悪魔が消滅した。
 俺は上空から見下ろして、師匠の無事を確認する。
 地上で手を振っている様子は、いつも通りの師匠で安心した。

「お疲れ様、リンテンス」
「師匠こそお疲れさまでした」
「はっはっはっ、僕はそんなに疲れていないよ。むしろ結界を維持してくれていた彼らのほうがお疲れなんじゃないかな?」
「そうですね」

 学校を守っていた結界が消える。
 戦いが終わったことを悟り、四人がこちらへ集まってきた。

「リンテンス君!」
「シトネ。みんなも」

 シトネ、グレン、セリカ。
 そして兄さんの姿がそこにはあった。
 
「勝ったんだな、リンテンス」
「ああ」
「お見事でした。リンテンス様」
「ありがとうセリカさん。みんなも学校を守ってくれてありがとう。お陰で間に合ったよ」
「ぅ……リンテンス君」
「シトネ?」

 瞳を潤ませたシトネが、俺の胸に飛び込んでくる。
 頬が俺の胸に触れた途端、彼女の瞳に溜まっていた涙が、滝のように流れだす。

「良かった……良かったよぉ」
「シトネも無事で良かった」

 一番怖い思いをしたのは彼女だろう。
 目の前に悪魔が迫って、ギリギリまで俺のことを信じてくれていた。
 あの時、シトネが俺のことを呼んでくれた気がして、俺の身体は応えてくれたよ。
 
 泣き崩れるシトネを抱き寄せながら、互いの無事を確かめ合う。
 壮絶な戦いが終わり、心からホッとしている。
 ふと、兄さんと目が合った。

「リンテンス」
「兄さん」

 そうだ。
 兄さんと話したいことがたくさんあったんだ。

「あのさ――ぅ!」
「リンテンス?」
「リンテンス君!?」

 胸を締め付けられるような強い痛みが襲う。
 苦しさに胸を押さえ、両ひざをついてうずくまる。
 今までに感じたことのない強い痛みに、俺の頭はパニック状態に陥っていた。

「どうしたの? リンテンス君!」
「ぐっう……」
「憑依装着の反動が来たようだね」
「アルフォース様?」
「大丈夫だから。リンテンスを屋敷に運ぶよ」

 最後に聞こえてたのは、師匠の声だった。
 そうして意識を失っていく。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 ピタッ――
 額の冷たさを感じて、俺は目覚める。

「ぅ……シトネ?」
「やっと起きたんだね。リンテンス君」

 ニコリと微笑むシトネの顔が、とても近くにあった。
 額には冷たいタオルが当てられている。
 シトネが取り替えてくれている最中だったようだ。

「おはよう」
「うん! もう夜だけどね」

 窓の外は真っ暗だ。
 戦いが終わってからの記憶が曖昧で、彼女にぼんやりと尋ねる。

「どのくらい寝てたんだ?」
「五時間くらいだよ。あの後倒れちゃって、アルフォース様とここまで運んだんだ」
「そうか……」

 おぼろげな記憶を辿って思い出す。
 そういえば、憑依装着の反動とか師匠が言っていたな。

「ふっ。未来の力を今の自分が使ったんだから、当然だよな」
「アルフォース様もそう言っていたよ。修行の直後だったことも理由だって」
「そっか。そういえば師匠は?」
「アルフォース様は学校に残ってる。色々やることがあって大変なんだぁって言ってた」
「はっはは、嫌々やってそうだな」

 師匠はこの件に大きく関わっていたようだし、校長に問い詰められてるのかもしれないな。
 というか、明らかに手を抜いて戦ってたし、何か企んでたのかも。
 後で師匠に直接聞いてみるか。

「みんなはさっきまでいたんだけど、もう遅いからって帰ったよ」
「そうかのか」

 じゃあ兄さんも帰ってしまったのか。
 色々と話したいことがたくさんあったのに、残念だな。

「大丈夫」
「え?」

 と思っていたら、シトネが笑顔でそう言った。
 すると、トントンと扉をたたく音が聞こえる。
 シトネがはいと答えると、扉を開けて入ってきたのは――

「兄さん?」
「目が覚めたのか」
「どうして兄さんが?」
「なに、お前とは一度話したいと思っていたからな」
「えへへ~ リンテンス君も同じこと言ってたから、待っててもらったの」

 そう言ってシトネが椅子を用意する。
 ベッドで座る俺の前に、兄さんが座った。

「身体の調子はどうだ?」
「大丈夫。ただの反動だから、怪我はしてないよ」
「そうか。悪魔を倒したのだな」
「うん、何とかね」

 俺と兄さんの会話を、シトネは横で聞いている。
 ずっと話したいと思っていた。
 兄さんが今までどうしていたのか、何を思っていたのか知りたくて。
 でも、いざ目の前にすると、何だか緊張して言葉が上手く出ない。

「あのさ、兄さん……家のほうは大丈夫なの?」
「ん? ああ、父上なら荒れているよ。お前の予想通りにな」
「そ、そうですよね……ごめんなさい」
「なぜ謝る? お前は何も悪くないだろう?」
「でも兄さんに迷惑がかかってるんじゃ」
「俺の置かれている状況は何も変わっていないよ。元々あの人たちは、俺に期待していたわけじゃないからな」

 お前もわかっているだろう?
 と兄さんは言った。
 俺も兄さんも、あの人たちがどういう考えで言葉や態度を取り繕っているのか知っている。
 それでも俺には、兄さんに申し訳ないという気持ちはあって……

「リンテンス。強くなったな」

 そんな思いは、兄さんの言葉で吹き飛んでしまった。
 優しい兄さんの表情が、幼かったあの頃を思い出させる。
 ただの兄弟だった頃が、自分たちにもあったのだと、教えてくれるように。

「兄さん……俺、兄さんとまた……昔みたいに話したかった」
「ああ、俺もだ。お互い随分と、辛い思いをしてきたな」

 あふれ出る涙と言葉は全て本物で、隠しきれない感情の表れだった。
 戦いが終わり、一つの関係が終わる。
 もう、後ろめたさは感じない。
 魔術学校での戦闘が終わり、静かな夜を過ごす。
 アルフォースは一人学校の闘技場で佇み、空を見上げていた。

「さて、ようやくここまで来たね」

 この五日前――

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 
 大陸の北部には砂漠がある。
 元々は大国があったそうだが、半世紀ほど前にモンスターとの戦闘で半壊。
 今では何も残っていない。
 いいや、古くからある遺跡だけが、ぽつりと残っていた。

 その遺跡は砂漠のど真ん中にある。
 とても目立つが、普通は誰も訪れない。
 周囲には強力なモンスターがいて危険だし、そもそも訪れる理由がない。
 そんな場所にいるとすれば、よほどの命知らずか、どこかの世界からきた悪魔だけだろう。

「やぁやぁこんばんは。君が六柱の一人、中将フルレティだね?」
「そういう貴方は、当代最高の魔術師アルフォース・ギフトレンですね?」
「そうだとも! さすがは悪魔一勤勉な男。僕のことは調査済みってところかな」
「ええ。ですが、まさかそちらから来るとは思っていませんでしたよ」

 遺跡の中で話す二人。
 中将フルレティは、魔界の三大支配者に使える幹部の一人。
 悪魔随一の頭脳を持ち、計算高く思慮深い。
 その見た目は、人間の成人男性と変わらない。
 ある意味、人間にもっとも近い悪魔と呼べなくはないだろう。
 もちろん、人間とは比べ物にならない魔力を有しているのだが――

「一応確認しておきますが、どうしてここへ?」
「なに、僕の眼は特別製だからね。君の隠れている場所くらい簡単に見つけられるのさ」
「それは知っています。私が聞いたのは、何の目的でここへ訪れたのかということですよ」
「そんなの決まっているじゃないか」

 アルフォースは不敵に笑い、杖を構える。

「君を殺すためだよ」
「そうですか」

 フルレティがパチンと指をならす。
 その瞬間、地面がひび割れ、遺跡がバラバラにはじけ飛ぶ。

「おーっと、危ないことするな~ それに何だい? この数のモンスターは」

 遺跡から出たアルフォースが目にしたのは、砂漠を覆いつくすほどのモンスターの群れだった。
 大小さまざまなモンスターがひしめき合い、アルフォースを見ている。

「貴方と戦うことは想定済みです。貴方の持つ権能を相手にするなら、これくらいの戦力は必要でしょう?」
「なるほど。さすが仕事熱心な悪魔だ。リンテンスが知ったら見習えと言われそうだ」
「リンテンス? ああ、貴方の弟子でしたね」
「へぇ~ そこまで知っているのか」
「当然です。彼もまた、排除対象ですので」

 フルレティが夜空に手をかざす。
 彼の持つ能力によって、雲一つない空から大量の雹が降り注ぐ。
 高速で降り注ぐ雹には、魔術的防御を貫通する効果が付与されていた。

「やれやれ」

 アルフォースは権能でオレンジ色の蛇を生み出し、頭上で蜷局を巻き雹の雨を防ぐ。

「それは困るな~ 尚更ここで殺さないといけないようだ」
「私としても、一番の障害である貴方はここで死んで頂きたい」
「そうかそうか! じゃあ一つ、命の奪い合いをしよう」

 さらにアルフォースは権能を発動。
 無数に、無形質に、空想を具現化した幻獣たちを呼び出す。
 伝説に登場しそうな巨人から、可愛らしくも恐ろしいウサギの怪物まで。
 形容しがたい見た目をした化け物もいて、どちらが悪魔かわからない。

 モンスターの群れと幻獣の群れ。
 二つの異形がぶつかり合う。

「ねぇねぇ、一つ聞いて良いかな?」
「何ですか?」
「君がこっちへ来たってことは、三人の支配者の復活が近いってことでいいのかい?」
「さぁどうでしょうね」
「嘘が下手だな~ 君がいる時点でそうとしか考えられないだろう」
「だと思うなら無駄な質問をしないてください」

 異形たちがぶつかり合う最中、二人も交戦する。
 雹の雨と魔術の嵐。
 互いに一歩も引かず、異形たちも押し合って拮抗している。

「おやおや、これじゃ決着がつかないかな?」
「いいえ、いずれ決着はつきます。貴方は所詮人間だ。先に体力の底が見えるのは貴方でしょう?」
「う~ん……確かに! じゃあこういうのはどうかな?」

 アルフォースは杖をぐるっと回し、紫色の光の玉を生み出す。
 光の玉は彼の前で形を変え、人型に近づく。

「僕の権能はね? 空想を現実にするんだよ。空想であれば何だって生み出せる。君たちの崇める支配者ってさぁ、僕のイメージだと」

 人型から更なる変化。
 歪に折れ、ごつごつととがり、腕は二つにから四つに増え、背中からはまがまがしい翼が生える。

「こんな感じじゃないかな?」

 幻獣召喚――魔王。

「これは――」

 フルレティは一瞬で察する。
 形はどうあれ、アルフォースが生み出したそれの力を。
 瞬時に防御態勢を整えようとした。
 しかし――

「っ!?」

 その時にはもう、幻の魔王が彼の肉体を抉っていた。

「しまったな。質問の答えを聞く前だったのに」

 フルレティの肉体が消滅していく。
 たった一撃で身体の七割以上を抉られれば、悪魔といえど耐えられない。
 モンスターたちも幻獣に噛み殺され、徐々に数を減らしていった。
 声の出せないフルレティは、最後までアルフォースを睨んでいる。

「そうだ! 最後に一つだけ訂正させておくれ」

 何をだ?
 と、フルレティの視線が語る。

「僕は最高の魔術師じゃない。最高最強の魔術師だ。次に巡り合うことがあれば、その一文も付け加えておいておくれ」

 これは戦いの終わりであり、一つの戦いの始まり。
 世界はここから、激動のように変化していく。
 とある荒野で向かい合う二人。
 吹き抜ける乾いた風が虚しさを演出する。

「準備はいいかい?」
「はい」

 微笑みから真剣な表情へと変える師匠。
 緊張感の高まりを感じて、俺は自然と身体に力が入る。
 そして――

「じゃあ始めようか」
「はい。いきますよ師匠」

 己の胸の奥にある力をイメージして、七色に煌めく雷撃に手を伸ばす。

 憑依装着――

 魔力が高まり、瞳の色が虹色に変化する。
 夢幻結界で得た限界へたどり着く術。
 悪魔エクトールとの戦いで使用した状態に、満を持して再びなる。
 そんな俺を見て、師匠はニコリと笑う。

「うん、いいね。その状態で動けるかい?」
「いけます」
「そうか。ならば軽く動こう」

 そう言って師匠は杖を取り出し、コンと地面をたたく。
 師匠はここで権能を発動。
 自らの背後に、異形の生物を大量生成する。

「さぁ、来なさい」
「はい」

 三分後――

 平らだった荒野に複数の穴が出来ている。
 爆発と衝撃を繰り返して、もはや最初とは別の場所になり果てていた。
 立ち昇る土煙の中から、師匠と俺が顔を出す。
 未だ臨戦態勢の師匠だが、俺のほうが先に限界を迎えた。
 瞳の色が戻り、憑依装着をとく。

「おや?」
「ここが……っ、限界ですね。これ以上続けると、しばらくまともに動けなくなります」
「そうか」

 師匠の背後の異形たちが消えていく。
 煙を巻くようにふわっと、影も形もなくなった。

「大体三分くらいかな?」
「はい。無理をすれば、十五分くらいはいけるんですけどね」
「いやいや、その後で倒れちゃ意味がないさ。それに三分もあれば、この間の悪魔程度なら十分だよ」

 今さらだが何をしているのかというと、憑依装着での戦闘可能の検証だ。
 師匠の夢幻結界のお陰で俺は、未来の自分の力を一時的に宿し、戦う術を手に入れた。
 その力、憑依装着を使って悪魔を圧倒したわけだが……

「あんなのがまだゴロゴロいるんですね」
「ああ。君が戦ったのは上位悪魔の一人だけど、地獄の支配者や幹部の手下に過ぎないからね」

 エクトール、グレゴア。
 どちらも聖域者を上回る強さを持っていたけど、それより上の悪魔がいる。
 聞いただけでぞっとする話だ。
 まぁ、でも……

「そのうちの一人を、ちゃっかり陰で倒しているとか。師匠も大概恐ろしい人ですけどね」
「はーっはっは! お褒めに預かり恐悦至極だね~」
「いや、半分は嫌味なんですけどね」

 違和感通り……いいや、思った通りというべきか。
 師匠と悪魔が戦っている様子を見た時、明らかに手を抜いているとわかった。
 シトネが危ない場面だって、俺が来ていると知ってあえて助けに入らなかったし。
 幹部の一人を倒したと知ったときはさすがに一瞬驚いたけど、師匠なら当然かとすぐに納得させられた。

「あまり怒らないでくれ。少々強引な方法だったと自覚はしているが、どうしても君を鍛えなくてはならなかったんだ」
「わかってますよ」

 師匠は意味のないことをしない。
 勝算がわからない無謀な賭けもしない人だ。
 すべては未来で起こる戦いのため、自分と共に戦える人材を育成していた。
 弟子である俺も、そのうちの一人だ。

「前にも説明した通り、いずれ彼らはこっちへ攻め込んでくる。今でこそ数人だけど、支配者の一人でも来たら、被害はこの程度では済まないよ」
「地獄の三大支配者……師匠より強いかもしれないって話は本当ですか?」
「うん。彼らに関して言えば、僕でも戦ってみないと勝敗は予想できない。本音はあまり戦いたくない相手だよ」

 師匠がそこまで言うなら本当なのだろう。
 いずれというのも、そこまで遠く離れた未来ではない。
 大昔にかけた地獄と現世を塞ぐ蓋も、長い時間で緩み続けている。
 さらに今回の件で聖域者の一人が欠けたことで、さらに蓋は緩んでいる。
 師匠の予想では、次に来るとすれば幹部が最低でも二人以上含まれるだろうとのこと。
 そして、悪魔は現世で死んでも魔界で復活する、という恐ろしい事実も知ってしまった。
 時間はかかるらしいが、師匠が倒した幹部も、俺が倒した悪魔たちもいずれ復活してしまう。
 こっちは一度死ねば終わりだというのに……

「最善の準備は、聖域者を増やすということだけど、神おろしを発動できるまで半年以上ある。そんな悠長に待っていると、あっという間に現世は乗っ取られてしまうからね」
「……厳しいですね」
「うん。それでもやらなくてはならない。僕はしばらく忙しくなるから、屋敷へもあまり戻れない」
「俺はどうするればいいですか?」
「う~ん、一先ずは普段通り学生として生活しておくれ。緊急事態は続いているものの、今すぐどうこうなる話ではない。僕らが慌ただしくしていることで、不安になる人たちもいるからね」
「そうですね。わかりました」

 俺が頷くと、師匠は優しい表情を見せる。
 少しばかりの申し訳なさを感じているみたいだ。
「さて、そろそろ帰ろうか」
「そうですね」

 ここで確認することは終わった。
 俺は師匠の転移魔術で屋敷へと戻る。
 殺風景な荒野から一変して、目の前に現れる自分の屋敷。
 安心感を覚えて、俺は大きく背伸びをした。

「ぅ、う~」
「お疲れだね。リンテンス」
「師匠こそですよ。明日からもっと忙しくなるのは」
「はっはっはっー……本当にね」

 げんなりする師匠。
 誰よりも強いのに、相変わらず働くのは憂鬱らしい。
 こんな状況でも普段通りなのはさすがだなとか、密かに感心してるけど。

「俺も明日から学校ですし、気持ちを切り替えないと」
「ああ、そうか。ちょうど明日から休校が明けるのだったね」
「はい」

 あの戦いから約一週間。
 もろもろの処理や難しい事情を含めて、魔術学校は臨時休校していた。
 ようやくそれが終わり、明日から通常通りの授業が再開される。
 ほっとする反面、何とも言えない面倒臭さがある。
 
 そんなことを考えてため息をこぼす俺の横で、師匠がぼそりと呟く。

「しかしそうか、学校か」
「師匠?」
「たぶんだけど、君は僕とは別の意味で忙しくなるかもしれないね」
「え、どういう意味ですか?」
「いけばわかるさ。まぁ精々戸惑ってきなさい」

 俺は師匠の言っている意味がわからなくて、キョトンと頭に疑問符を浮かべる。
 いけばわかる。
 その言葉の意味は、まさしく学校に登校してすぐわかった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 集まる視線。
 その先にいるのは、登校中の俺とシトネだった。

「な、なぁシトネ」
「ん? どうしたの?」
「何か前より見られてる気がするんだが……」
「そうだね。すっごく注目されてるね!」

 シトネはなぜかニコニコしていた。
 自分だってジロジロみられているのに平気な顔をして。
 シトネって見られるのは好きじゃないとか言ってなかったか?
 いや、あれは俺が言ったんだっけ。

「というか、何でこんなに注目されてるんだ?」
「それはね~」
「君と悪魔の戦いを見ていたからだよ」

 シトネが言おうとしたことを、後ろからの声がかっさらっていく。
 振り向いた後ろには、グレンとセリカがいた。
 グレンが左腕をあげていう。

「おはよう、リンテンス。シトネさんも」
「ああ、おはよう」
「むぅ~ おはよう」

 自分のセリフを取られてか、シトネはちょっぴりむくれていた。
 申し訳なさそうにグレンが微笑む。
 セリカはいつもと変わらず静かにお辞儀をした。
 二人と会うのは戦いの直後以来だ。
 休校になってからは、グレンも家のことで忙しかったらしい。

「グレン、さっきの見てたっていうのは?」
「言葉通りだよ。あの壮絶な戦いを、学校のみんなは見ていたのさ」

 首を傾げる俺を見て、グレンはニヤリと笑う。

「この学校には至る所に監視用の魔道具が配置されていることは知っているよな?」
「ああ。トラブル防止のために映像を撮ってるんだろ」
「そうだ。その映像は、学校内の管理室でまとめられている」
「まさか……」
「そのまさかさ。あの戦いの映像もしっかり撮られていた。そしてその映像は、王都中に公開されているよ」
「お、王都中!?」

 おいおい冗談だろ?
 そんな話は一言も聞いていないぞ。
 
 俺はここではっと気づく。
 師匠が言っていた別の意味で忙しくなる、というのはそういう意味か。
 つまりこの件にも師匠がかかわっていると……

「何考えてるんだ? 師匠は……」
「誤解しているようだが、これを提案したのはアルフォース様ではないよ」
「え、違うのか?」

 グレンは頷き、意外な人物をあげる。

「ナベリウス校長だよ」
「校長先生が?」
「ああ。事情を知っているのは一部の貴族だけだ。学校を、王都を守ろうと戦う者がいることを、ここで暮らす者たちにも知ってほしい。校長先生がそうおっしゃっていたそうだよ」
「そう……だったのか」

 優しい理由だ。
 師匠とは大違いだな。
 そう言われたら納得してしまう。

「良いこと、なのかな」
「良いことに決まってるよ!」
「シトネ」
「リンテンス君のこと、みーんなが認めてくれたんだから」

 満面の笑みを見せるシトネ。
 彼女にそう言ってもらえると嬉しくて、俺も自然に表情が綻ぶ。
 
「それに注目されているのは君だけじゃない。僕らはシトネさん、あの日結界を張っていた四人のことも広まっている。強大な敵を前にして、最後まで諦めず学校を守ろうとしていたことを」
「あのねあのね! この間買い物にいったら、通りかかったおばさんに『ありがとう』って言ってもらえたんだよ!」

 シトネは嬉しそうに話す。
 自分は大したことをしていないと言っても、道行く人が彼女に何度も感謝を伝えたそうだ。
 身が竦む恐怖に耐えた彼女の雄志を、王都の人たちは認めていた。
 それが嬉しくて、彼女は上機嫌だったらしい。

「ちょっぴりだけど、私のことを認めてくれたってことだもん。これからも頑張ろうって思えるよ」
「そうか」

 嬉しそうな彼女を見て、恥ずかしがる自分が馬鹿らしく思えてきた。
 やれやれ、せっかくだ。
 しばらく続く熱気に当てられながら、英雄扱いを堪能しよう。

 それから二か月が過ぎ――
「明日から一か月の長期休暇に入る。慣れない学校生活で疲れも溜まっているだろう。皆、存分に休暇を楽しんでくれ」

 教室に集まった俺たちに向けて、担任の先生が清々しい笑顔でそう告げた。
 魔術学校では毎年、新学期から約三か月後に長期休暇を設けている。
 期間は一か月で、その間は簡単な課題が出されるのみで、他は何をしていても良い。
 遠く離れた地から来ている者にとっては、久々に故郷でゆっくりできるありがたい期間だ。

「休みって言われてもな~」
「僕は忙しいよ。この時期は特にね」
「そうなのか?」
「ああ。一応は貴族だから、食事会とか色々出席しないといけなくてね」
「なるほど」

 俺には必要なくなった行事だな。
 
「じゃあ休み中はあんまり自由もないのか?」
「ああ。残念ながらね」
「そうか。暇なら訓練相手を頼もうと思っていたんだけど」
「すまない。僕もぜひお願いしたいところだが、こればっかりはうるさくてね。次にちゃんと会えるのは、もしかすると休み明けになるかもしれないよ。セリカも含めて」
「そっか。無理するなよ」
「君のほうこそ」

 学校の校舎前でグレンとセリカと別れ、俺とシトネは屋敷への帰路へつく。

「シトネはどうするんだ? 休み中」
「どうって?」
「みんなみたいに故郷へ戻ったりとかだよ」
「あぁ~ 私はするつもりないかな。ほら、前にも話した通りだし」

 シトネは先祖返りだ。
 その影響で、村の大人たちからは偏見の目で見られていた。
 彼女の両親も含めて……
 後になって、良くないことを聞いてしまったと反省する。

「だからさ。もしリンテンス君が嫌じゃなかったら、休みの間も屋敷にいさせてほしいなって」
「嫌なわけないよ。俺もシトネがいないと寂しいから」
「本当?」
「ああ」
「えっへへ~ ありがとう、リンテンス君」

 シトネが嬉しそうに笑って、俺も笑い返す。
 しかし、とはいっても休みの間、俺には大してやることがない。
 あれだけの戦いがあった後で、やることがないなんて贅沢だとは思う。
 それでも仕方がない。
 師匠はずっと忙しくしていて、ほとんど屋敷へは戻っていない。
 何か手伝えることがないか聞いても――

「まだ大丈夫だよ。君はもうしばらく、学生らしく日々の生活を楽しみたまえ。青春は過ぎてしまうと取り戻せないぞ」

 とか意味深な発言だけ残して、関わらせてはくれなかった。
 師匠のことだから、何か企んでいるのだろうけど、お陰様で俺はずっと暇だ。
 悪魔の侵攻は止まっている。
 続いていた英雄扱いも、一月前くらいから落ち着いて、普段通りの日常がゆったりと過ぎていた。
 平和なことに文句を言う。
 やはり贅沢だと思いつつ、何かないかと探している。

 そんなことを考えていると、目の前は自分の屋敷だった。
 結局何も思いつかなくて、はぁと大きなため息を漏らして玄関を開ける。
 すると――

「ん?」
「何か落ちたね」
「ああ」

 玄関のポストから、一通の封筒がヒラリと床に落ちた。
 ゆっくり拾い上げて送り主を確認する。
 封筒の表面には、ギルド会館王都支部と書かれていた。

「ギルドからか」
「ギルドって冒険者の?」
「ああ」
「そっか。リンテンス君って冒険者としても活動してたんだよね」

 その通りだが、最近は全く顔を出していない。
 自分でも忘れかけていたことを、一通の封筒で思い出せられた。
 気になった俺は、さっそく中身を見てみることに。

「えーっと。リンリン様、この度は突然のご連絡失礼します……リンリン様?」
「え、あぁ……」

 シトネが目を丸くして俺を見つめる。
 そっちも忘れていたな。
 というか、忘れたままでいたかったよ。

「リンリンってリンテンス君のこと?」
「ああ。正体がバレないようにって、師匠が勝手に登録した偽名」
「そういうこと! ビックリした~ リンテンス君らしくない名前だから」
「俺もそう思うよ」

 ため息をつく。
 師匠のネーミングセンスには困ったものだ。
 加えてあの衣装……また思い出したくないことを思い出した。

「続きはなんて書いてあるの?」
「ん? ああ、えっと……」

 手紙の内容を簡単にまとめる。
 長々と丁寧な文章が並んでいたが、端的に言えば、俺宛の依頼が大量に溜まっている。
 そろそろ受注するか破棄するか決めてほしい。
 という感じのことが書かれていた。

「現状で百を超えました……そんなに溜まってるのか」
「凄いね! リンテンス君はギルドでも大人気なんだ!」

 それにしても溜まり過ぎでは?
 確かに半年以上放置してるけどさ。
 というかギルド側で断ってくれても良いと思うんだけど。

「やれやれだな」
「どうするの?」
「どうせ暇だし、久しぶりにギルドへ顔を出すよ。エメロード家からの援助もなくなったし、そろそろ資金調達も必要だからな」
「私も一緒に行ってもいいかな?」
「え、手伝ってくれるのか?」
「うん! 迷惑じゃなければだけど」
「もちろん良いよ。むしろありがたい」

 ということで、休み期間中にやることは決まった。
 シトネも一緒なら、昔より楽しくなりそうだ。
 
 そして後になってから気付く。
 ギルドに行くということは、あの格好を披露しなければいけないという事実に……
 長期休暇に入って一日目。
 俺とシトネはギルド会館に向っていた。
 冒険者たちの寄り合い処であり、雇い主である冒険者ギルド。
 その場所は、王都郊外の民家が立ち並ぶ先にある。
 一見して王都とは思えないような光景に挟まれながら、俺とシトネは道を歩く。

「ねぇリンテンス君、私の格好……変じゃないかな?」
「大丈夫だ」
「本当かな?」
「ああ。俺のほうがよっぽど変だからな」

 風景に似合わない格好の二人。
 一人はウサギの仮面に赤いフードつきの服を着ていて、もう一人はすっぽりと顔を覆うように被った白いフードから、可愛らしい耳がとび出ている。
 ぱっと見は、どこかの仮装パーティーにでも向かっているようだが、残念ながら目的地はギルド会館だ。

「はぁ……憂鬱だ」
「そんな顏しないで! ほら、私だって同じ格好だよ」
 
 シトネが両腕を開いて俺に見せつける。
 確かに俺と色違いの服を着ていて、仮面こそしていないが元々の尻尾と耳が重なって違和感はある。
 でも……

「いや、シトネは普通に可愛いで片付くからいいだろ」
「か、可愛い?」
「ああ」

 それに比べて俺は……男でリンリンという名前だけでも変なのに、この余計な装飾を施した仮面の所為で怪しさ倍増だよ。
 かといって今さら変えられないし。

「可愛いか~ えへへ~」
「シトネ?」
「あっ、ううん! 何でもないよ。それより結構遠いんだね? ギルド会館って」
「そうだな。王国とは依頼を取り合ってる関係上、あまり中心部に近づけられない背景があるんだよ」
「へぇ~ 私、ギルド会館は初めてなんだ」
「普通の建物だから。変に期待しないほうがいいぞ」

 そうこうしている内に、ギルド会館が見えてきた。
 半年ぶりになると、多少の懐かしさを感じる。
 平たい木造建築に、荒っぽい男たちが出入りしていた。
 扉を開けるとカランカランというベルの音が鳴り、近くの人たちの視線が向く。

「ここがギルド会館かぁ」
「な? 普通だろ」
「そうだね。でも思ったより広いかな」

 シトネがぐるりとその場で回り、会館の中を見回した。
 正面の受付にはお姉さんが座っていて、俺たちに気付く。

「リンリン様! お久しぶりです」
「え? リンリン?」
「ホントだ久しぶりに見たな」
 
 受付嬢が俺の偽名を口にした途端、会館にいた冒険者たちの視線が一斉に集まっていた。

「おいおい、何か女つれてねぇか?」
「だよな。見かけねぇと思ったら、女と遊んでたってだけかよ」
「桃色が加わって七色の雷術師が八色の雷術師になっちまったってか?」

 下品な笑い声が聞こえて出して、ざわざわと様々な発言が飛び交う。
 言いたい放題のオンパレードだが、ギルド会館ではこれが普通だ。
 むしろ懐かしさにホッとするくらいだよ。

「七色の?」
「ん? ああ、冒険者としての俺の二つ名だよ」
「二つ名なんてあるの? 凄いねリンテ――リンリン!」
「ぅ……シトネにそう呼ばれると歯がゆいな」

 その後は、受付嬢に話をして、溜まっている依頼を見せてもらうことにした。
 数が多いから、全部を持ってくるまで時間がかかるらしい。
 しばらく待っていてほしいとお願いされた俺たちは、情報交換などに使われるスペースへ行き、空いている席を探した。

「すっごく見られてるね」
「……なんか前より注目されてる気がする」

 悪魔との戦い効果はリンリンには関係ないはずだが……
 すると――

「そりゃーそうっすよ! 半年間音信不通だったら誰でも驚くに決まってるじゃないっすか?」
「その声は――」

 懐かしい声に振り向く。
 後ろに立っていたのは、褐色肌と茶色い短髪の少女だった。

「やっぱりエルか!」
「久しぶりっすね! お兄さん」
 
 エルはニコリと笑いながら、右手で敬礼をポーズをした。
 相変わらず露出の多い服に地味なマントというアンバランスな格好をしている。
 
「久しぶりだなエル。元気にしてたか?」
「見ての通りピンピンしてるっすよ。そっちこそ全く連絡も寄こさないから……どれだけエルが心配したと思ってるっすか?」
「悪かったよ。いろいろ忙しくてさ」
「ねぇリンテ、じゃなくてリンリン。この人は?」

 俺とエルの会話に、シトネがひょこっと入り込む。
 
「ああ、紹介するよ。彼女は情報屋のエルだ」
「どうもっす!」
「情報屋?」

 情報屋は、文字通り情報を集め売り買いする人。
 モンスターの出現ポイントや、ギルド会館が提示する前の依頼についての情報など。
 冒険者に限らず様々な情報を持っている。
 エルもそのうちの一人で、冒険者として活動していた頃の俺をサポートしてくれていた。

「そうだったんだ! 初めましてエルちゃん! 私はシトネです」
「シトネさんっすね! ちなみにお兄さんとはどういう関係なんすか?」
「えっ、関係?」

 唐突な質問に戸惑うシトネ。
 正体を隠しているのに、馬鹿正直に学校の話は出来ないとか考えているのだろう。

「そ、それは内緒かな~」
「ふぅ~ん、そっすか。というかお兄さんは何してたんですか? エルのことほったらかしにして」

 シトネのごまかしに何かを感じ取ったのか。
 エルは話題を変え、俺に話しかけてきた。

「いや、だから色々あったんだって」
「ひどいっすよ~ エルの唇まで奪っておいて放置するなんてっ」
「えっ?」
「ちょっ……」

 動揺する俺と固まるシトネ。
 ニタっと笑うエルに、俺は慌てて言う。

「何言ってんだよ! あれは不可抗力だろ?」
「でも事実じゃないっすか~」
「そ、そうだけど――うっ!」

 背中に走る痛み。
 シトネが俺の背中の皮膚をつねっていることに気付く。
 表情は言うまでもなく……とても怖い。

「あとで詳しく聞かせてほしいな~」
「わ、わかった」