【9/10コミカライズ】ナナイロ雷術師の英雄譚―すべてを失った俺、雷魔術を極めて最強へと至るー

 夢幻結界。
 師匠がもつ権能をベースに、特殊な術式を組み込んで生成した空間。
 その中に入った者は、己の起源を基にした自分自身と戦うことになる。
 一度始めると、決着がつくまで出られない。
 外と中との時間にはずれがあり、空間内での一日は、現実世界での三時間に相当する。
 また、中に入っている間は睡眠や食事を必要としない。

「説明は以上だ。そろそろ始めるよ」
「はい」

 師匠は杖を両手で握り、地面をコンコンと二回たたく。
 すると、水面に広がる波紋のように、白い光が周囲へ広がっていく。
 闘技場の範囲の手前で止まり、綺麗な正円を描いている。

「準備はこれでよし。あとは僕が領域内から出れば、その瞬間から修行スタートだ」
「わかりました」

 俺がそう言うと、師匠は頷いて円の外へと歩いていく。

「悪魔の侵攻まで時間がない。なるべく早めに終わらせて戻ってくることを期待するよ」
「はい。頑張ります」
「うん。じゃあ――」

 三、二、一歩。
 師匠の足が円から離れた。
 その瞬間、円を囲っていた白い線が光を放ち、ドーム状にぐるっと覆う。
 最後に見えた師匠の口が、頑張れと言っていた。

 真っ白な空間。
 自分以外には何もない。
 ただ白くて、果てしなくて、どこが前か後ろなのかもわからなくなりそうだ。
 以前から修行で使っている空間は、大空の上にいくつもの島が浮かんでいた。
 あそこも異質だったけど、今回はもっとだ。
 確かに違う。

「ん?」

 胸がざわつき、視線を下げる。
 すると、起源があるという右胸が淡く光を放っていた。
 その光は胸から溢れて、まっすぐ前を照らす。
 光は壁のような何かにぶつかって広がり、黒く染まっていく。
 人……いや、俺だ。
 黒く染まったそれは、まるで俺の影のように形を成していく。
 そうして出来上がった黒い人が、未来の自分であると――

「っ!?」

 気付くのに時間はかからなかった。
 
 刹那、黒人影が視界から消えた。
 次に見つけた時、黒い影は自分の目の前にいて、左手が俺の身体に触れていた。
 放たれる赤い稲妻。
 俺は既の所で蒼雷を発動させ、辛うじて回避する。

「ぐっ……」

 すでに触れられていたし、完全には躱せなかった。
 左脇腹からタラタラと血が流れる。
 致命傷ではないが、肌と肉を一部抉られてしまったようだ。
 このまま放置すると出血死する危険性がある。
 俺は傷口を押さえるように触れる。

橙雷(とうらい)

 オレンジ色の雷が、傷口にびりっと走る。
 色源雷術橙雷は、俺がもつ唯一の回復手段だ。
 細胞を強制的に活性化させ、自己治癒能力を向上させる。
 外傷であればすぐに治るが、その代償として負った傷の倍以上の痛みを感じる。

「っ……今のは……」

 あれが使ったのは赤雷だった。
 威力も攻撃範囲も桁違いだぞ。
 ほんの僅かでも対応が遅れていたら、今の一撃だけで死んでいた。
 これからはもっと集中して……

「何だ?」

 黒い影が右腕を上にあげている。
 視線の誘導、ではない。
 術式の発動を告げるモーションだと気づき、素早く上を向く。

「藍雷か!」

 天井に生成された無数の剣にぞっとする。
 その数はもはや数えることすら馬鹿だと思えるほど。
 黒い影が挙げた右腕をおろす。
 空中に留まっていた無数の剣が、雨のように降り注ぐ。

「赤雷!」

 俺は赤雷で迎撃を試みた。
 通常であれば、貫通力で勝る赤雷で弾き飛ばせる。
 しかし、相手の藍雷は真に迫った未来の攻撃。
 今の俺が繰り出す赤雷を、いともたやすく凌駕して、剣の雨は無慈悲に襲い掛かる。

「くっそ……」

 降り注ぐ雨は留まらない。
 俺は後方へ跳び避けようと試みる。
 それは油断ではなく、意識の隙間だ。
 逃げるようと重心が後ろへ傾いた瞬間をついて、黒影が懐に迫る。
 その右手には藍雷の一刀が握られていた。

「しまっ――」

 藍色の刃が俺の胸を斬り裂く。

「ぐふっ」

 蒼雷――反!

 青い稲妻を身体から放ち、黒い影を懐の外へ追いやる。
 二撃目を構えていたが、何とか一撃ですんだ。
 いや、これをすんだと捉えていいものか。
 
「はぁ……はぁ……強いなチクショウ」

 思わず笑えてくる。
 たった数十秒戦っただけでこの疲労感。
 正直に言えば、勝てるイメージが……全くわかなかった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 夢幻結界の発動後、誰も中へは立ち入れない。
 発動者であるアルフォースですら、出入りはもちろん、結界を解除することは出来ない。
 そういう契機をかすことで、奇跡に等しい現象を発生させているからだ。

「後は君次第だよ。リンテンス」

 故にアルフォースは見守ることしかできない。
 リンテンスが試練を乗り越えられるかどうかは、彼がもつ才能と努力にかかっている。
 
「さて、次の準備を始めようかな」

 リンテンスに関してはこれ以上何もできない。
 そこでアルフォースは、悪魔襲撃に備えた準備を始める。
 闘技場を出て向かったのは、グレンたちが待っているリンテンスの屋敷だった。

 ガチャリと扉を開け、リビングへ入る。
 三人の顔が一斉に向く。

「ただいまみんな。待たせてすまないね」
「アルフォース様! リンテンス君は?」
「心配いらないよシトネちゃん。彼ならちゃんと試練を乗り越える。僕たちはそれを信じていれば良い」
「そう……ですよね。信じます」

 言いたいことをぐっとこらえ、シトネは力強く返事をした。
 それを見てアルフォースはニコリと微笑み、うんうんと頷く。

 グレンが尋ねる。

「アルフォース様、僕たちに出来ることはないのですか?」

 リンテンスが大変な修行をしている。
 そんな中で、何もせずにただ待っているだけなんて嫌だ。
 と、グレンは考えていた。

 アルフォースが答える。
「もちろんあるとも。それを伝えるためにここへ戻ってきたのさ」
「本当ですか!」
「うん。悪魔襲撃まで最長一週間、最短で三日といったところだと僕は予想している。君たちにはその間に、学校を守る結界を新たに作る」
「結界ならもうあるのでは?」

 グレンの質問通り、魔術学校には外敵から生徒たちを守るための結界が張られている。
 結界は二段階。
 一つは、敵意をもった対象を識別し、侵入を拒むもの。
 もう一つは、攻撃に対してのみ効果を発揮するもの。
 二つの結界によって守られた校舎は、未だかつて傷ついたことは一度もないという。

「あれでは足りない。所詮は魔道具による簡易的な結界だからね。悪魔の攻撃を受けたら簡単に壊れてしまよ」
「それほどですか……」
「ああ。悪魔の力に関しては、君たちが想像している倍は強いと思ってね?」

 三人はごくりと息を飲む。
 経緯を聞いていた彼らも、ことの重大さを再確認させられる。
 アルフォースは懐から四つの指輪を取り出し、テーブルの上に置いて説明する。

「この指輪には、僕が考案した結界術式が刻まれている。みんなには、僕やリンテンスが戦っている間、これで学校を守ってほしい」

 アルフォースは付け加える。
 本来なら、こんな役割を学生に任せたりはしない。
 ただ、今回は状況が特殊であり、相手も近年比較対象がいないほどの強敵だった。
 故に手段は選んでいられない。
 目的が魔術学校だとしても、王都には多くの人たちが暮らしている。
 魔術師団の役割は王国の守護であり、国民を守る責務がある。
 悪魔襲来時には、彼らは王都を守ることに兵力を割かれることになるだろう。

「これなら学校を守れるのですか?」
「そうだね。君たちが結界の起点となってくれたら、悪魔の攻撃を防ぐには申し分ない強度になる。ただ、当然だけど君たちが狙われる。戦況次第では、君たちも悪魔と戦うことになるかもしれないね」

 説明の後、アルフォースは三人に問いかける。

「強制はしない。やりたくなければ、別の人たちに任せる。どうするかは君たちが選んでくれたまえ」
「もちろんやります」
「グレン様がそうおっしゃるなら、私もご助力いたします」
「私もやります! リンテンス君が頑張っているんだし、私だって何かしたい」

 三人の意見が出揃う。
 そう言うと思っていたと、アルフォースは嬉しそうにほほ笑んだ。
 
「よし、これで四人だ」
「四人? 僕たち以外にもう一人いるんですか?」
「そうだよ。結界の起点は四つだからね」
「誰にお願いしたのでしょう?」
「アクト・エメロード。リンテンスのお兄さんさ」

 三人、特にグレンとシトネが大きく反応する。
 アクトは、親善試合でリンテンスと死闘を演じた相手。
 まだ最近のことで記憶に新しい。

「彼の奥義クロノスタシスは、いざという時に君たちを守る力となりえる。すでに了承は得たから問題ないよ」

 アクトの実力は親善試合で見ている。
 一緒に結界を守る者として、彼以上に心強い相手はいないだろう。
 
 ここでグレンは、あることを思い出す。

「アルフォース様、一つよろしいでしょうか?」
「何だい? グレン君」
「先日の学外研修のときなのですが――」

 グレンが伝えたのは、学外研修での一件。
 ブラックドラゴンの襲来と、それを起こした黒い影についてだった。

「なるほど。それはおそらくゲートだ」
「ゲート?」
「上位の悪魔がもつ転移手段だよ。ただ、僕らの知る二体の悪魔ではないね。時系列的に、その頃はまだ戦闘中だったはずだから」
「つまり、三人目がいるということですか?」
「かもしれない。これは尚更、リンテンスに頑張ってもらわないとね」

 死闘の予感が過る。
 全ての期待は、リンテンスに向けられていた。
 そして二日後の正午。
 再び、青空を黒い影が覆い隠す。

 その日の空も雲一つなく、青く澄んでいた。
 心地良い日差しが、人や植物を豊かに育たせる。
 前触れなどない。
 突然、青い空は黒く染まり、王都の街は影に包まれてしまう。

「遂に来たようだね……悪魔が」

 黒い影の中心に、二つの人影がある。
 彼らが見つめる先には、同じく見返す五人の姿があった。

「頼むよ、みんな」
「「「「はい!」」」」

 戦闘開始。
 の、三十分ほど前――
 アルフォースに連れられ、シトネたちの三人が闘技場に集まった。
 闘技場にはすでに、四人目であるアクトの姿もある。

「待たせたね」
「いえ、お気になさらないでください」

 淡々と会話をするアルフォースとアクト。
 二人は幼少期の頃から面識があり、少なからず交流もあった。
 名門エメロード家の長男であるアクトは、当代の聖域者のほぼ全員と会ったことがある。
 短い期間だが、手ほどきを受けたこともあるという。

「さて、まだ二日目だがそろそろ警戒を強めたい。君たちには日中、すぐに動けるよう準備しておいてほしい」

 四人が頷く。
 闘技場には、臨時で転移用の魔道具が設置されていた。
 一人分の台座が四つ。
 転移の術式が組み込まれ、結界の起点である各地に一瞬で移動が出来る。
 ちなみに、学校は現在臨時休校中で、彼らと一部教員以外誰もいない。

 アルフォースが席を外す。
 ナベリスの所で話があるといい、闘技場を去っていった。
 残った四人は、絶妙な空気のまま襲撃に備える。
 静寂が続く。
 楽し気に話せる状況はないが、会話一つないというのも居心地が悪い。
 そんな静寂を破ったのは、意外にもアクトだった。

「君たちはリンテンスの友人だね?」
「え、はい!」

 一番近くにいたシトネが反応した。
 アクトはシトネに尋ねる。

「アルフォース様から聞いたが、リンテンスは修行中なのだろう?」
「はい。二日前から」
「そうか……」

 切なげな表情を見せるアクト。
 何となく、心配している様子がシトネに伝わる。

「あ、あの!」
「何かな?」
「リンテンス君が言ってました。いつか、お兄さんとちゃんと話がしたいって。だからその……」
「……そうか」

 アクトは小さく笑う。
 そんな彼を、意外そうに見つめるグレンとセリカ。
 リンテンスからアクトのことを聞いていたシトネは、その笑顔にどこかホッとする。

「俺も話したいことがある。また後で、全てが片付いたら話に行くよ」
「はい。待ってます!」

 ニコニコ微笑むシトネ。
 会話の節々から、リンテンスに近いものを感じていた。

(何だかリンテンス君と話してるみたいで落ち着くなぁ)

 二人の会話をきっかけに、少しだけ場が賑やかになった。
 穏やかな時間が過ぎ、迫る脅威に対する警戒が、少しだけ緩まる。
 そんなとき、圧倒的な魔力を感じ、全身が震えあがった。

「こ、これは!」
「上だ!」

 グレンが叫んだ。
 四人が天井を見上げると、そこには青空ではなく、黒い影がかかっている。

「ゲートだ!」
「研修のときと同じだな」

 そこへアルフォースが駆けつけ、四人に指示を出す。

「みんな配置につきたまえ! 転移後三秒が術式発動の合図だよ!」
「アルフォース様! リンテンス君は?」
「残念ながらまだ修行中だ。こうなれば仕方がない。彼の修行が終わるまで、僕が何とか時間を稼ごう。君たちも頼むよ?」
「はい!」

 転移装置を作動させる。
 全員が配置につき、指輪の術式を発動させると、薄緑色の結界が学校を覆い隠した。
 その直後、ゲートから大量のモンスターが投下される。

「やはりそう来たか。魔術師団を王都中に配置したのは正解だったようだね」

 グレンからの報告を聞き、魔術師団は国中に散っている。
 こうなることを予想し、備えてきた。
 国民には安全のため、家から出ないように伝えてある。
 王都全域には特殊な魔道具が張り巡らされており、非常時に発動させることで、建物を攻撃から守ることが出来る。
 モンスターの殲滅は、魔術師団がしてくれるだろう。

「さてと」

 ゲートが消失し、二人の悪魔が空中に浮かんでいる。
 見つめる先にはアルフォースがいて、昇って来いと訴えているようだった。
 やれやれと口にするアルフォース。
 飛翔魔術を発動させ、悪魔たちの前に立ち塞がる。

「ようやく来たかよ」
「貴方がこの国で最強の魔術師アルフォース・ギフトレンですね?」
「おやおや、僕のことを知っているのかい?」
「ええ、もちろんです。脅威となり得る存在の情報は、すでに頭に入っていますよ」
「なるほど。悪魔に脅威と思われるなんて光栄だね」

 悪魔は二人。
 丁寧な口調で話す一人は、人間とほとんど変わらない見た目をしている。
 肌の色は白く、眼の色は淀んだ青で、髪色も濃い青色。
 悪魔の特徴である二本の角と、腰からは尻尾が生えている。
 もう一人の乱暴な口調な悪魔は、もっと悪魔らしい見た目だ。
 ドラゴンのようにごつごつとした肌は、黒に近い鼠色をしていて、手足の爪は強靭かつ鋭利。
 それも剛腕が四つ。
 身体の大きさも、隣の悪魔より一回り大きい。
 見るからに肉弾戦が得意そうだ。

 そして、どちらの魔力量も、人間のそれを大きく上回っていた。
 間違いなく、悪魔の中でも上位の存在だろう。
 王都の街にはモンスターが放たれ、魔術師団はその対処に当たっている。
 魔術学校の校舎は、シトネたち四人の結界に守られていた。
 その頭上で、アルフォースは悪魔二人と対峙する。

「私はエクトールと言います」
「オレはグレゴアだぁ」
「これはこれはご丁寧にどうも」

 丁寧な話し方の悪魔がエクトール、四本腕の悪魔がグレゴアという。

「それにしても早かったね~ 僕の予想だと、もう少し遅いと思っていたのだけど」
「なーに言ってやがる。これでも遅れたほうだぜ」
「ええ。当初の予定では、戦闘後すぐここへ攻め込むつもりでしたから」
「へぇ~ そうなんだ」

 アルフォースはじっと彼らを観察する。
 聖域者二人と戦い、傷を負ったのは確かなのだろうが、今の彼らは傷一つない。
 回復は完璧に終わっていると考えるべきだろう。

「現代の魔術師なんて大したことねーと思ってたんだがな~ さすが神の庇護を受けた人間だ」
「傷を癒すのに今日までかかってしまいました。あなた方の認識を改めるには良いテストケースでしたよ」
「そうかそうか。二人はちゃんと君たちを追い詰めたんだね」
「不覚にもな。が、勝ったのは俺たちだ」
「そうです。そして貴方は現代最強の魔術師。こちらは二人で、貴方を殺します」

 エクトールが背後に方陣術式を展開。
 グレゴアも、四本の腕それぞれにまがまがしい大剣を持つ。
 戦闘態勢に入った二人に対して、アルフォースも杖を構える。

「やれやれ。僕としては、少しばかり手を抜いてくれると助かるのだけどねぇ」
「そいつは無理な相談だぜ!」

 グレゴアが迫る。
 四つの大剣を同時かつ、不規則に振るう。
 アルフォースは杖で受け流しながら後方へ下がり、流れるように炎の渦を発生させグレゴアを攻撃した。

「おらぁ!」

 炎の渦をグレゴアは大剣を一薙ぎすることで消し去る。

「それは魔剣だね?」
「当たりだぜ! ついでにいやー」

 アルフォースの頭上。
 無数の大剣が待機していることに気付く。

「全部俺の魔術で作ったもんなんだがな!」

 降り注ぐ魔剣の雨。
 一本一本が強力な魔力を帯びており、アルフォースの結界障壁を貫く。
 当たる直前で回避したが、そこへ今度は魔力エネルギーの砲撃が襲い掛かる。

「おっと、今度は君かい?」
「ええ。我々は二人で戦うと言いましたよ」
「そうだったね」

 エクトールの背後の方陣術式は、魔力エネルギーをビームのように発射できるようだ。
 さらに足元で別の術式を展開。
 黒い鞭がアルフォースに襲い掛かる。

「術式の並行処理は当たり前か。どれもレベルが高くてビックリだよ」
「お褒めに預かり光栄です。ですが、それならもっと驚いた表情をして頂きたいですね」

 続けて巨大な氷柱がアルフォースに放たれる。
 これを突風で弾き飛ばし、炎の玉を生成。
 炎の玉をエクトール目掛けて放つ。

「させっかよ!」

 隙ありと言わんばかりに切りかかるグレゴア。
 魔剣で切り裂かれたアルフォースの身体は、白い花びらとなって散る。

「幻術か!?」
「その通りさ!」

 放たれていた炎の玉が、アルフォースの姿へ変身する。
 全てがアルフォースとなり、エクトールを惑わせる。

「ふっ、この程度――」

 エクトールは頭上に術式を展開させ、鋭い針のような光の雨を降らせる。
 接近していたアルフォースの分身は光の雨に貫かれ消滅していく。

「全て消してしまえば済むこと」
「だと思ったよ」
「何っ!」

 エクトールの足元にアルフォースが迫っている。
 先ほどの分身は全て囮で、本体は幻術で姿をくらませ、エクトールの足元に近づいていた。
 光の雨も、術者自身にはかからないよう調整する。
 ならば術者の足元と頭上だけは、安全なエリアになるということ。

「もらったよ!」

 アルフォースが手を伸ばす。
 確実に虚を突いた。
 しかし――

「おっと?」
「危ないですね」

 エクトールが一瞬で消えてしまった。
 次に彼を見つけたのは、数十メートル離れたグレゴアの隣。

「なるほど。転移の魔術が使えたんだね」
「ええ。まさかこれほど早く使わされるとは思いませんでしたよ」
「はっはっはっ! 何だか今日は褒められてばかりだな~ 普段なら嬉しいけど、今は素直に喜べない」

 互角の戦い。
 どちらも一歩も引かない攻防を、結界を維持しながらシトネたちが見ている。

「凄い……さすがアルフォース様」

 でも……
 攻め切れていない。
 悪魔二人には、まだまだ全然余裕が感じられる。

「このまま戦えば、体力が底をついてしまうぞ」

 人間と悪魔では肉体の作りが異なる。
 強度はもちろん、魔力量や体力も、悪魔のほうが圧倒的に上だ。
 いくらアルフォースでも、持久戦になればいずれ体力が底をついてしまう。
 長引けば長引くほど不利になる。
 そうだとわかっていても、下手に踏み込み過ぎると命とり。
 加えて下には守るべき校舎がある。
 今の彼に出来ることは、リンテンスの修行が終わるまでの時間を稼ぐこと。

「こんなにも他人を恋焦がれたのは初めてだな」

 激闘が続く。
 怒涛のような魔術の応酬は、見る者を圧巻とさせるだろう。
 
「ちっ、やっぱこいつは別格だな」
「ええ。情報通りですね」

 悪魔二人の攻撃にも、アルフォースは的確な対応を続けていた。
 両者一歩も譲らない攻防が続き、僅かに呼吸を休める時間が生まれる。

「しかし妙ですね。思ったよりも消極的過ぎる」
「だな。なーんか企んでる感じしねーか?」

 二人が疑いの目をアルフォースに向ける。
 アルフォースは普段通りの表情で、冷静に返す。

「いやいや。対処するので精一杯なだけさ。君たちの攻撃があまりにも強いから、こっちは大変なんだよん」
「かっ! 白々しい演技だぜ。やっぱなんか企んでるじゃねーか」
「そのようですね。ですが、まだ時間がかかるようですよ」
「……」

 おっと、もうその段階まで来たのか。
 さすがに頭も回っているね。
 となれば、ここからが本番というわけか。

 アルフォースが杖を構えなおす。

「なぁエクトール、あれ使っていいか?」
「そうですね。このまま戦い続けても無駄な時間を使うだけですし」
「よし来た! んじゃいっちょ暴れるぜ~」

 グレゴリが左腕の一本を前に出す。

「何だ?」

 その腕には、黒くいびつな形をした腕輪が装備されていた。
 アルフォースが目を細める。
 グレゴリはニヤリと笑い、腕輪を強引に引きちぎる。

「――限定突破!」

 破壊された腕輪が飛び散った瞬間、爆発的なまでに魔力が高まっていく。
 結界を維持していた四人が、同時に身の毛もよだつ寒気を感じた。
「な、何?」
「これは――」

 グレゴアの周囲を風が舞う。
 膨大な魔力が溢れ出て、視覚化できるほどに膨れ上がっている。
 
「物凄いパワーアップだね。一体何をしたのかな?」
「かっ! 別に強くなったわけじゃーねーんだよ。オレたち悪魔は、こっちの世界じゃ力の一部を制限されちまうんでなぁ~ さっきの腕輪は、その制限を一時的に引っぺがすもんなんだよ」

 人間が住まう現世と、悪魔たちが住まう地獄。
 両界には出入りを拒む蓋が設けられており、容易に世界を跨ぐことは出来ない。
 力が弱まった現在では、数人が通る程度は可能となっている者の、ノーリスクではなかった。
 世界を跨ぐ際、大幅に能力を制限されてしまう。
 上位の悪魔でなければ、その制限によって人間以下になってしまうほど。
 かといって膨大な力をもつ支配者クラスでは、そもそも両界を渡ることすらできないが。

「つっても、一度使ったら一日で効果が切れちまうがな」
「なるほど。君たちの奥の手というわけかい?」
「ああ、お前は強いからなぁ~ こっちもガチでやらせてもらうぜぇ!」

 刹那。
 グレゴアの姿が眼前より消える。
 魔力感知を掻い潜り、アルフォースの背後へと。

「くっ……」
「よく反応したな! だがこっからだぜ本番はよぉ!」

 怒涛の嵐。
 先ほどまでが制限されていたと、誰もが納得する実力を発揮する。
 豪快に大剣を振るう姿は、まさに嵐そのものであるかのよう。

「おらおらどうしたぁ!」
「っ……」

 まずいな。
 術式を発動させる隙がない。

 速すぎる攻撃に押され、アルフォースは防戦を強いられることになる。
 フリーになったエクトールが見据えるのは、校舎を守る結界だった。

「さて、この隙に私はこちらを破壊しましょう」

 展開される無数の方陣術式。
 放たれた魔力エネルギーが、校舎を守る結界を襲う。

「ほう。中々強力な結界のようですね」
「させないよ!」

 グレゴアの攻撃を受けながら、アルフォースがエクトールを攻撃する。
 ひらりと躱したエクトールに追撃を放とうとするアルフォースだが、グレゴアが黙っていない。

「よそ見してんじゃねーよ!」
「失礼だな! ちゃんと君も見ているよ!」

 言い合いをする程度の余裕はあるようだが、明らかにギリギリの戦いを強いられていた。
 とてもじゃないが、二人同時に相手をする余裕はなさそうである。

「グレゴア、任せますよ」
「おう! てめぇーはさっさとうざったい結界を破壊しやがれ」
「ええ」

 エクトールを止めたいアルフォース。
 それを阻むように、グレゴアの攻撃が加速していく。
 
「さて、この手の結界には起点があるはずですが――」

 エクトールの視線が、シトネに向けられる。

「なるほど。貴方たちが起点となっているのですね」

 ぞわっとした寒気がシトネを襲う。
 ただ目が合っただけで、死を予感するほどの殺気に、シトネの脚は震えていた。

「リンテンス君……」

 早く来てくれ。
 そう誰もが願う男は――

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 白い世界に七色の雷が交錯する。
 互いに同じ術式を扱い、同じ色の雷撃をぶつけ合う。
 否、同じでは決してない。
 起源から生み出されたそれは、俺が目指すべき頂にたどり着いた自分自身。
 一撃一撃が重く、速く、鋭く迫る。

「ぐっ……」

 視界を覆うほどの赤雷を、間一髪のところで躱し、藍雷の槍を投擲する。
 槍は届く前に赤雷で弾かれ、続く攻撃を受ける。

 修行開始から相当な時間が経過しただろう。
 時計なんてないから、正確な時間はわからない。
 一秒でも早く終わらせて、師匠のところへ行きたいという気持ちはあれど、そんなことを考える余裕は当の昔になくなっていた。

 強い……強すぎる。
 わかっていたことか?
 いや、ここまでとは予想できなかった。
 全てにおいて完璧で、隙の一つもない術式の発動。
 まるで雷そのものと対峙しているような感覚にさえ襲われる。

 これが未来の俺?

「はははっ」

 そう思うと、思わず笑ってしまう。
 呆れた笑いだ。
 同時に喜ばしくもある。
 遠い未来とはいえ、いずれ自分がこんな風に強くなっていたのだと思うと、無性に誇らしい。
 そして、何もかも足りない今の自分に腹が立つ。

 力の差は歴然。
 それでも戦えているのは、俺が人間で、相手が作り物だからだ。
 思考、駆け引き、直感といったものは、人間である俺にしかない。
 ギリギリの攻防にも慣れ始め、多少の余裕が出来たことで、勘頼りだった戦いにも思考が入り込む余地が生まれる。
 そうして俺は思考を回らせる。

「どうする?」

 どうすればあいつに勝てるんだ。
 圧倒的な実力差を前に、俺はどう戦えばいい?
 多少の余裕が生まれても、実力差がひっくり返るわけじゃない。
 一瞬でも気を抜けば殺されるという感覚は、始まった時から消えていないんだ。
 そもそもだ。
 勝てるビジョンが全く浮かばない。
 始まってからずっと、これに勝てるイメージをしたくても、敗北の予感が過るだけだ。

「黄雷――竜!」
 
 生成された竜が黒い影に迫る。
 ドラゴンすら抑え込んだ攻撃だが、黒い影に触れた途端、はじけて消えてしまう。

「ちっ、この程度じゃ陽動にもならないな」

 大技を繰り出しても、大した隙は生まれない。
 当然ながら魔力の消耗は感じられず、こちらの体力が一方的に削られている。
 このまま戦っても、殺されるのは時間の問題だ。

 勝つ方法を探れ。
 突破口はどこにある?
 師匠は、俺なら勝てると言ってくれたんだ。
 それなら不可能なはずもない。
 絶対に勝てない試練を、師匠が与えるはずないんだ。

 と、己を鼓舞しながら戦い続ける。
 攻撃は届かず、重い一撃を受け続け、ボロボロになっていく手足。
 
 勝てるのか――

 脳裏に浮かぶ弱気な言葉を、何度振り払って戦ったかわからない。
 師匠のこと、シトネやグレンたちのことを思い出して、勝たなければならないと奮い立たせる。
 それでも……肉体の限界が先に来る。

「しまっ――」

 ギリギリの攻防に出来た綻び。
 着地地点を見誤り、ツルっとドン臭く足を滑らせる。
 普段なら絶対にしないミスを、極限まで追い込まれしてしまった。
 一瞬の隙をついて、最大威力の赤雷が迫る。

 回避不可能。
 防御も間に合わない。
 俺は心の中で敗北を……赤雷を受け入れてしまう。

「ぐはっ……?」

 赤雷をまともに受けた俺は、全身が丸焦げになったと思った。
 しかし、生きていることに驚く。
 明らかに即死レベルの攻撃をモロに食らったはずだった。
 痛みはあるし、ダメージは入っている。
 だけど……

「生きてる?」

 疑問が浮かび、脳がサラッとクリアになる。
 思い出したのは師匠とのやりとり。
 そういえば、師匠は俺に勝てと言った。
 戦って勝て……でも、倒せとは一言も言っていない。
 戦うということを、倒すという風に曲解していたのは俺自身だ。

 ここで一つの仮説が思い浮かぶ。
 もしも成功すれば、俺は生き残ることが出来るだろう。
 しかし、万が一間違っていた場合、その時点で勝敗が決してしまう。
 危険で分の悪い賭けだ。
 それでも、この方法以外に、勝利を掴む手は思いつかない。
 何より相手は――

「俺自身だろう?」

 俺は両腕を広げた。
 何もしない。
 ただ、相手の雷撃を受け入れる準備をする。
 放たれる赤雷は、俺を貫通して抜けていく。
 一歩、一歩とゆっくり近づき、黒い影に歩み寄る。
 
 そして――

 俺は黒い影をギュッと抱き寄せた。

「良かった。思った通りだ」

 痛みはない。
 攻撃もしてこない。
 どうやら、俺の予想は当たっていたらしい。
 
 相手は俺の起源から生まれた存在。
 言い換えれば、俺自身の分身体でもある。
 俺自身の攻撃なら、受け入れてしまえば傷つかない。
 自分の力なのだから、俺が自分の一部だと思えば、なんてことはなかった。
 赤雷を受けた時も、諦めから心は受け入れていた。
 今度は全身で、未来の自分自身を受け入れる。

 流れ込んでくる。
 黒い影から、俺の力の全てが濁流のように。

「ありがとう」

 そんな俺から出た言葉は、意外にも感謝の一言だった。
 アルフォースとグレゴア戦闘は、目で追えない速さへ達していた。
 一瞬も気は抜けない攻防。
 もう一人に気を向けることが、命取りになってしまう。

「そこですか」

 結界の起点を破壊しようと考えるエクトール。
 起点となっている四人が身構える。
 エクトールは結界の前に降り立ち、左手で結界に触れる。
 バチっと弾かれ、理解したように言う。

「ほう。やはり相当な強度だ。それにしても面白い術式を使っていますね」

 四人が展開している結界は、アルフォースの権能を主軸に構成された術式が付与されている。
 従来の結界が、魔力量と密度に比例して強度を増すのに対して、この結界は意志の強さによって強度が増す。
 繊細な魔力コントロールが要求される結界で、恐怖や焦りでコントロールが乱れると、著しく強度が低下してしまう。
 しかし意思を強く保ち、コントロールさえ乱れなければ、世界で最も硬い結界となる。

 アルフォースが彼らを選んだ理由の一つ。
 それは、彼らなら悪魔の発する魔力にも怯えず、立ち向かえると考えたから。

「簡単には破壊激走にありませんね。まぁ時間の問題ですが」

 エクトールが方陣術式を頭上に展開。
 雨のように砲撃を降らせる。

「ぐっ……」
「グレン様」
「ああ、わかってる。これを続けられたらいずれ……」

 破壊だけに集中されては、いかに強力な結界と言えど持たない。
 空で戦っているアルフォースも、グレゴアから手が離せない様子だった。

「やむを得ん、迎撃するぞ」

 そう言ったのはアクトだった。
 彼は続けて言う。

「アルフォース様もそのつもりで、我々を選んだんだ。倒すことは考えなくて良い。奴の注意を逸らすんだ」
「わ、わかりました!」

 シトネが刀を、グレンが剣を、セリカが精霊を召喚する。

「おや、戦うつもりですか?」
「ああ」

 答えた直後、アクトが視界から消える。
 一瞬でエクトールの背後に周り、至近距離で方陣術式を発動。
 避けられない距離での攻撃。
 しかし、エクトールは結界障壁で身を守っていた。

「やはり防がれたか」
「これは驚いた。貴方は時間魔術の使い手ですね」

 アクトは自身の時間を加速させ距離をとる。
 それよりも速く、エクトールの拳が腹に入る。

「ぐっ」
「――ん? これは……」

 吹き飛んだアクトはすぐに体勢を立て直す。
 殴った拳の感覚を確かめるエクトール。

「本当に面白い術式だ。この結界術式は、起点となっている貴方たちにも付与されているのですね」
「その通りだ」

 起点となっている四人の身体は、展開している結界と同強度の防御膜を纏っている。
 生半可な攻撃では、彼らに傷をつけることは出来ない。
 アクトが迎撃を提案できたのも、この結界が身体を守っているからこそ。

「……恐ろしいな」

 ただ魔力で強化した拳。
 その一撃を受けただけで、纏っている防御膜が綻んだ。
 もしも守っていなければ、今頃風穴があいていると悟る。

「真紅!」

 アクトに注意が向いている隙をつき、グレンが炎を放つ。
 真紅は炎すら燃やす最強の炎魔術だ。

「良い炎だ。障壁を通して熱を感じる」
「なっ……」

 それすらエクトールの魔力障壁を突破できない。
 畳みかけるようにセリカが仕掛ける。

「アクト様! お下がりください!」

 セリカはエクトールの頭上にいた。

「風の精霊術師ですか」
「堕ちなさい!」

 セリカは下降気流を発生させる。
 岩すら押しつぶす風の圧力に、エクトールの周囲の地面がへこむ。

「これも中々悪くない」
「今です!」 

 風圧で動けないエクトールの背後にシトネが回り込む。
 居合の構えから、光の斬撃を放つ。

「旋光」

 斬れ味はダントツ。
 鋭い斬撃でエクトールの障壁を斬る。

「剣術と光魔術の合わせ技ですね。工夫していて大変よろしい。ですが――」

 パチンと指を鳴らす。
 音が増幅し、周囲を蹴散らす衝撃波によって、四人とも吹き飛ばされる。

「所詮は人間だ」

 続けて紫色の雷撃を放つ。

「真紅!」

 雷撃を紅蓮の炎でかき消す。
 これにはエクトールも驚いた表情を見せる。

「悪いな! 雷魔術なら――」
「リンテンス君のほうがずっとすごいよ!」

 シトネが刀構え、エクトールに斬りかかる。
 光魔術を付与して、刀を切れ味を上げている。

「それは少々……心外ですね」
「ぐっ」
「うっ」

 エクトールの雷撃が広範囲に放たれる。
 グレンは真紅を前方に展開し防御。
 シトネは至近距離だったこともあり回避が遅れる。
 直撃しそうになった時、彼女は自分の身体がふわっと浮く感覚に襲われる。

「大丈夫か?」
「お兄さん」
「さすがに速いですね。時間魔術師」

 アクトが時間の加速でシトネを抱きかかえ、雷撃の速度を遅くしながら回避していた。

「迂闊に近づきすぎるな」
「す、すみません」
「シトネさん!」
「怪我はありませんか?」

 グレンとセリカも集まる。
 シトネは頷き答える。

「うん。大丈夫だよ」

 そうして四人は悪魔と向かい合う。
 時間にして一分弱の攻防。
 たったそれだけで、全員の額から汗が流れ落ちる。
 悪魔の強さを痛感する。
 戦えているのは、結界の付与効果あってこそ。
 アクトのフォローもあって何とか凌いでいるが、長く続かないことは明白だった。

「よく頑張りますね。無駄な足掻きだというのに」
「無駄なものか」
「リンテンス君が戻ってくるまで、私たちが守るんだ!」
「そうですか。希望を持つなど弱々しい限りだ。上をごらんなさい」

 彼らの頭上では、アルフォースとグレゴアが激闘を繰り広げていた。
 二人の戦いは互角……いや、僅かにアルフォースが押されている。

「いずれあちらも決着がつきます。遅かれ早かれ、君たちは死ぬ」
「っ……」
「頑張らなくてもいいのですよ? そんなことをしても余計に恐怖を感じるだけだ。私にゆだねて頂けば、苦痛なく最後を迎えるられますよ?」
「必要ないよ。アルフォース様は負けないし、リンテンス君も来てくれる。それに……私たちだって、まだ負けてないよ」

 シトネがカチャリと刀を構えなおす。
 グレンたちも同様、戦う姿勢を崩さない。
 それがエクトールは気に入らなかった。

「わかりました。私も少々飽きてきましたので――」

 エクトールは右腕を挙げる。
 頭上には空を埋め尽くすほどの方陣術式が無数に展開される。
 四人とも感じ取る。
 先ほどまでとは比べ物にならない魔力の流れを。

「終わりにしましょう」

 方陣術式から放たれるエネルギーは、一斉に辺り一面を抉る。
 雨ではなく、滝のように降り注ぐ攻撃。
 躱す場所などなく、防御に徹するしかなかった。
 
「貴方たちの魔力では防げない威力だ。いかに結界の効果があろうとも……ほう」
「はぁ……はぁ……」
「お兄さん!」
「今のを防いだか」

 攻撃が放たれる直前、アクトは回避困難だと悟った。
 三人とも結界障壁を展開したが、攻撃を防げる強度ではない。
 そこで彼が発動したのは、時間魔術の奥義――クロノスタシス。
 止まった十秒という時間の中で、アクトは三人の結界障壁を、自身の魔力を流し込むことで強化した。
 その後、残った時間で学校を覆っている結界内に避難、自身の身も護った。

 エクトールがアクトに再び興味を示す。
 グレンは彼が奥義を発動したことに瞬時に気付き、もう戦えないと悟る。
 
 今しかない。

「セリカ!」
「畏まりました」

 セリカがグレンの意図を悟る。
 グレンが真紅を放ち、セリカが竜巻を発生させる。
 炎を纏った竜巻がエクトールを襲う。

「風の力で炎を強化しているのですね。しかしこの炎はもう見飽きましたよ」
「どうかな?」
 
 グレンが不敵に笑う。
 
「これは……削っているのか? 私の障壁を」

 真紅と竜巻の合わせ技は、エクトールの結界障壁を削っていた。
 強度な結界も万能ではない。
 試行錯誤することで、打ち破ることも出来る。
 リンテンスという男を知っている彼らにとって、不可能だと思うことのほうが難しい。

 そして――

 弱まった障壁ならば、彼女の刀でも貫ける。

「追閃」

 光魔術で強化された突き。
 光の線が引かれるように、一直線にエクトールの喉元へ伸びる。

「――惜しかったですよ」

 万事を尽くした一撃すら、彼は容易に躱していた。
 紙一重で、喉元から血を流しながら、頭上に巨大な術式を展開する。

 眩しい光が周囲を覆う。
 次の瞬間、激しい罰発音と共に、結界ごと周囲が崩れる。

「一瞬遅ければ、私も危なかった」
「っ……」
「やはり油断ならない結界だ。今のを受けて生きているとは」

 結界の効果に守られ、四人とも意識を保っている。
 しかし戦える状態ではない。
 シトネは何とか立ち上がろうとしている。
 そんな彼女の元へ、エクトールが歩み寄る。

「まだあきらめませんか?」
「……絶対……負けない。リンテンス君が来るまで……」
「ふっ、その諦めの悪さだけは認めてあげましょう」

 シトネに、エクトールの攻撃が迫る。

「さようなら。勇敢で無謀なお嬢さん」

 雷が走る。
 爆発音と共に地面が弾け飛び、土煙が舞う。
 
「さて、では建物を――!?」

 エクトールは土煙の中を凝視する。
 攻撃は確実に当たったはずだ。
 威力も十分で、耐えられるものではなかった。
 それなのになぜ、人の影が見える?

「しかも二つ? 何者ですか?」

 土煙が晴れていく。
 そこに立っていたのは、シトネを抱きかかえたリンテンスだった。

「リンテンス……君?」
「ああ。待たせてごめんな? シトネ」
「ううん! 来てくれるって信じてたよ」

 間一髪、攻撃が当たるギリギリで彼女を守っていた。
 破壊されたのは地面のみで、シトネに怪我はない。
 リンテンスは頭上を見上げる。

「師匠!」
「その声! ようやく来たんだね」
「はい! お待たせしてすみません」
「いいとも! そんなことより任せていいかな?」
「もちろんです」

 リンテンスは視線をエクトールに戻す。
 すると、エクトールが呟く。

「貴方がリンテンス・エメロードですか」
「俺のことを知っているのか?」
「ええ。脅威となり得る魔術師の一人として、情報は得ていますよ。この場で見かけなかったのは不自然でしたが、何かしていたようですね」

 エクトールは経過している。
 故に攻撃を仕掛けてこない。

「シトネ。結界をもう一度発動できる?」
「う、うん! 出来るよ」
「じゃあ頼むよ。俺はあいつを倒してくるから」
「うん。頑張ってね、リンテンス君」
「ああ」

 リンテンスはシトネを下ろし、エメロードの前に出る。
 その隙に、シトネが結界を再発動。
 他の三人もそれに合わせて、魔力を注ぎなおした。

「ここからは俺が相手だ」
「よろしいのですか? 一人で」
「何が言いたい?」
「いえ、他の方々と一緒にかかってくれば、多少はまともな戦いになるのでは? と思っているだけです」
「心配しなくても俺一人で大丈夫だよ」
「ほう、なめられたものですね」

 悪魔が俺を睨みつけている。
 さっきの言葉が癇に障ったのだろう。

「私はエクトール。リンテンス・エメロード、貴方は雷魔術が得意と伺っていますが?」
「ああ」

 得意というより、それしか使えないだけだが。
 どうやらこちらの情報はある程度漏れていると考えた方が良さそうだ。
 となると、色源雷術についても、多少は知られているのか。

「実は私も雷魔術は得意でして」

 そう言いながら、パチンと指を慣らす。
 展開された術式から赤黒い稲妻が走り、虎のような形を作る。

「どうです? 一つ力比べに興じてみませんか? そうすれば貴方も、力の差を理解して一人で挑むなど愚策だと気づくでしょう」

 相当な魔力量だ。
 あの魔術一つでも、悪魔の力が常軌を逸していると伝わる。
 だからあいつも、勝ち誇ったように余裕なんだ。
 エクトールは小さく笑う。

「そうは言っても、この一撃で死んでしまうかもしれませんがね!」

 放たれる雷撃の虎。
 迫りくる攻撃を前に、俺は右手を無造作にあげる。
 確かに強力な一撃だろう。
 今までの俺なら、もっと焦ったりしたかもしれない。
 だけど――

「――(あか)

 赤い稲妻が雷撃の虎を穿ち、エクトールの耳元を掠めていく。
 
 今の俺には、そんな雷撃も可愛く見えるよ。

「馬鹿な……」
「力の差を理解して、だったか? どうやら知るべきは、そっちだったらしい」
「……人間風情が」

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「おいおい、マジかよあいつ……」
「うん、ちゃんと強くなったようだね? リンテンス」

 アルフォースとグレゴアは一時的に攻撃の手を休めていた。
 突如として現れたリンテンスを警戒してか、一定の距離まで離れて様子を窺っている。

「あんな奴がいたのかよ。お前以外に」
「ああ、何だい? リンテンスのことは情報になかったのかな?」
「馬鹿にすんじゃねーよ。()()()()()様の情報に取りこぼしなんてあるか。オレの記憶力の問題だな。どうでも良さそうなのは一々覚えてねーんだよ」
「そうかそうか。ならば認識を改めるべきだね」
「かっ! そうみてーだな。まぁお前を倒した後、あっちも味見してやるよ!」

 グレゴアが迫る。
 アルフォースはリンテンスたちの方向を見たまま油断している。
 その隙をついて、一気に片を付ける。

 つもりだった。
 少なくともグレゴアは、これで終わりだと確信していただろう。

「悪いけど、君はもう良いよ」
「はっ?」

 アルフォースの眼前で、グレゴリの突進が止まる。
 彼の身体を太く黒い触手が貫き、繋ぎとめていたのだ。

「ぐっ……何だこりゃ?」

 触手はアルフォースの杖の下部分から伸びでいて、鞭のようにしなりグレゴアを吹き飛ばす。

「僕はリンテンスの戦いを見物したいんだよ。君との戦いは終わりだ。もう飽きたしね」
「飽きた……だと?」
「うん。何か出してくれるかなーって期待したんだけどね。これ以上戦っても、君から得られるものは何もなさそうだ」
「何を言って――」
「おや? まだわからないのかな?」

 ここでようやくグレゴリは気付く。
 あれだけの攻防を後にして、アルフォースは汗一つかいていない。
 劣勢も劣勢で、次の攻撃を受けるので精一杯だったはずだ。
 呼吸も乱れていないし、表情も余裕そのもの。
 何より彼は聖域者。
 神より権能を与えられた者であるにもかかわらず、その力を一度も使っていない。

「てめぇ……手を抜いてやがったのか!」
「うん! 正解」

 ニコッと笑みを浮かべて答えるアルフォース。
 それに苛立ったグレゴアは響くほどの舌打ちをして立ち上がる。
 迫る触手を大剣で斬りつけ、掻い潜ってアルフォースに近づこうとする。 

「これじゃ凌がれるか~ だったらこの子ならどうだい?」

 触手が形をかえる。
 八本の触手が竜の頭に変化して、独立した一つの生命体となる。
 巨大な翼をもち、胴体は一つ、首は八つで尻尾は三つ。
 色合いも独特で、青白い尻尾と、他は全て濃い紫色をしていた。

「な、なんだそりゃ……そんなモンスター見たことねーぞ」
「うん。だってこの子は、僕の空想から生まれた幻獣だからね」
「空想……だと?」
「うん。僕の持つ【幻神アーレス】の権能は、空想を具現化してそこに命を与えることが出来るのさ。だからこうして、僕の空想は現実にとび出す」

 アルフォースの権能『幻獣召喚』。
 自分自身の空想や、物語に登場する存在しない怪物に命を吹き込み、現実へ召喚させることが出来る。
 誕生した幻獣の強さは。アルフォースの想像によって強化される。
 故に、空想が確かなものであればあるほど、幻獣の強さは跳ね上がる。

「さぁ、食い散らかせ」

 八つ頭の幻獣がグレゴリを襲う。
 大剣で対抗しようとするが、圧倒的なスケールと力に対応できず、四肢を食いつぶされていく。

「ぐおっ、あが!」
「痛そうだね~ それでも死なないなんて可哀想だよ」
「何故だ何故だ何故だ! これだけの力があってどうして手を抜いた!?」
「そんなの決まっているじゃないか? 僕が二人とも倒したら、リンテンスが戦う相手がいなくなるだろう?」
「は?」
「僕は師だからね。弟子を育てるためなら何でもするのさ」

 そう。
 全てはリンテンスを鍛えるため。
 彼は最初から、そのことだけを考えていた。
 召喚された幻獣が役目を終えて消えていく。
 それは物語の一頁のようにあっという間の出来事だった。
 
「ぅ……ぐ……」
「おや? 驚いたね。その状態でも死なないなんて」

 厳重に四肢をもぎ取られ、ダルマのようになったグレゴア。
 全身から血を流し、地面へ落下する。
 それでも命を繋いでいるのは、彼が悪魔の中でもタフな身体を持っていたからだろう。

「化け物が……」
「はっはっはっ! 君にそう言われたくはないな~」

 グレゴアはギロっとアルフォースを睨む。
 しかし、もはや戦う力は残されていなかった。
 生きていると言っても時間の問題で、放っておけばいずれ終わりが来る。

「まぁ良い。君もそこで見ていると良いよ」

 アルフォースはそう言って、空を見上げる。
 視線の先に見える稲妻を、恋人を見つめるような視線で眺めながら言う。

「僕の弟子がどこまで成長したのかをね」

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「ありえない」

 無数の砲撃が雨のように降り注ぐ。
 隙間なく、逃げ場なく、止むことのない嵐のように。
 そんな攻撃を一筋の雷撃がかき消し、多重の結界障壁を突き破る。

「こんなことが……」

 エクトールの額から汗が流れている。
 彼の心情を考察するなら、おそらくこう思っているのだろう。

 ありえない。
 ただの人間で、聖域者でもない魔術師に、自分がここまで追い込まれているなんて。
 そんなことがあっていいはずがない。

「――赤」
「ぐっ……」
 
 赤雷がエクトールの左腕を掠める。
 結界障壁では防御しきれないから、エクトールも回避するしかない。
 対する俺は、戦闘開始直後からほとんど動いていない。
 ほぼ同じ位置から攻撃を繰り返し、放たれた攻撃は赤雷でかき消していた。

「どうした? 悪魔っていうのはこの程度なのか?」
「……いいでしょう。その減らず口を叩けなくしてあげます」

 エクトールが術式を大量に展開させる。
 すべて砲撃の術式だが、何かを企んでいるのがわかる。
 放たれる砲撃の雨を、赤雷で相殺。
 砲撃と赤雷の衝突で爆発が起こり、視界が一時的に遮断される。

 気配が――
 
 その一瞬をついてエクトールは転移の術式を発動。
 俺の背後に回り込み、ゼロ距離から砲撃を撃ち出そうと手を伸ばす。

「もらった!」
「――青」

 青い稲妻がわずかに走り、エクトールの眼前から俺が消える。

「なっ――」
「遅いぞ」

 不意をついたエクトールの頭上に回り込み、背中を蹴り落とす。
 吹き飛んだエクトールは地面に叩きつけられた。
 土煙が舞う地面を、俺は上空から眺めている。
 
「いくら転移で一瞬に移動しても、その直後の行動が遅ければ意味ないさ」
「……そうですか。参考になりましたよ」

 土煙が消え、エクトールが膝をついている。
 むっくりと起き上がり、飛翔魔術で上空に戻ってきた。
 そして、彼は俺に問いかける。

「貴方は誰ですか?」
「俺のことを知っているんじゃなかったのか?」
「ええ、知っていますよ。ですが、私が知っている貴方と、今の貴方は明らかに別人だ。一体何があったのかと、疑問で頭が一杯ですよ」
「ああ、まぁそれはそうだろうな」

 憑依装着。
 師匠の修行で獲得したスキル。
 未来の自分を投影、自身の身体に憑依させることで、一時的にその力を引き出す。
 今の俺は、未来の自分自身を体現している。
 その影響か、瞳の色が七色に変化していて、魔力量も跳ね上がっている。
 さらに完成された色源雷術は、悪魔の力すら凌駕しているようだ。
 ちなみに飛翔魔術なしで空を飛んでいるのも、色源雷術の応用で、飛んでいるというより立っているというほうが正しい。

「ふっ」
「何を笑っているのです?」
「いや、何だか楽しくなってきてさ」
「楽しい……ですか。なるほど、どうやら認識を改める必要があるようですね」

 そう言ってエクトールは小さくため息を漏らす。
 先ほどまでの感情的な態度が落ち着き、冷静さを取り戻している様子だ。

「貴方は強い。ですがやはり、悪魔である我々には届かない」
「へぇ、今の戦いを経てそう言い切れるのか?」
「はい。我々悪魔は、こちらの世界では力を制限されていますからね」

 エクトールは左腕の腕輪に手をかける。

「この腕輪は、我々の制限を一時的に外すことが出来ます。本当は使うつもりはなかったのですが、貴方を倒すには、全力でなくては足りないらしい」

 その腕輪を握りつぶした。

「見せてあげましょう。私の真の力を! そして恐怖するが良い!」

 腕輪を破壊した途端、膨れ上がる魔力。
 彼の周りを突風が吹き荒れ、漏れ出した魔力場がバリバリと稲妻のように走る。
 なるほど確かに、本気ではなかったのだと理解した。

「いいね。第二ラウンドといこうか」