バリバリと雷が走る音が鳴り響く。
そして――
「行け」
黄雷で生み出した神竜が、黒き邪竜へ突っ込む。
弧を描くような軌道で、ドラゴンへと迫る。
ドラゴンは躱そうと翼を羽ばたかせるが、神竜のほうが速い。
一瞬で間合いを詰め、ぐるりとドラゴンに巻き付いた。
雷が走り、苦しそうにしているが、それでも致命傷には遠いだろう。
「さて、ここからだな」
俺は左腕を前に突き出す。
「藍雷――大弓」
藍雷によって弓を生成。
大きさはこれまでの比ではなく、ドラゴンと同規模のサイズで展開する。
藍雷の弓は、光魔術の弓とほぼ同じだ。
威力をあげたいなら、弓そのものを大きくすればいい。
光魔術の弓の場合は、大きくするほど精度が落ちてしまうが、藍雷はそのデメリットがない。
しいて言えば、莫大な魔力を消費するだけだ。
ふと、懐かしい記憶が脳裏によぎる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「リンテンスはさ。モンスターと戦うより、人と戦う方が弱くなるね」
「は?」
修行中のことだ。
何の脈絡もなく、師匠からそんな指摘を受けた。
突然だったからか、反応も荒っぽくなる。
「おいおい、そう怒らないでおくれよ」
「あ、いやすみません。どういう意味でしょう?」
「言ったまんまだよ。君は人を相手にする方が弱くなる」
二度同じことを言われたが、俺は意味がわからなくて首を傾げた。
モンスターのほうが戦いやすいかと言われると、別段そうでもない。
そんな俺を見て、師匠はやれやれとジェスチャーをする。
「なるほど、自覚なしか」
「……」
「仕方ない、教えてあげよう。リンテンス、君は人が相手だと無意識に手加減しているんだよ」
「手加減……本気でやってないってことですか?」
「うん」
即答する師匠。
そんな自覚はない。
誰が相手だろうと、全力で戦っているつもりだった。
でも、師匠の目にそう見えているのなら、正しいのだろうとも思う。
師匠は続けて理由についても話す。
「原因は君の優しさだ。君はとても優しい。裏切られても、蔑まれても、根っこの部分の優しさは消えない。人を相手にすると、その優しさが滲みでてしまう。冒険者の依頼で盗賊退治をやっただろう?あの時も君は、殺さないように力をセーブしていたよ」
「そう……だったんですね」
「落ち込む必要はないさ。別に悪いことじゃないからね。人は殺したら死んでしまう生き物だ。強くなると忘れてしまいがちなことを、君はちゃんと理解しているだけだよ」
師匠は微笑みながらそう言ってくれた。
だけど……
「ただ、それは甘さとも言い換えられる。聖域者になるなら、その甘さを制御できるようにならないとね」
「制御ですか?」
てっきり捨てろと言われるものだと思った。
師匠はこくりと頷いて言う。
「そう、制御だ。手を下すべきとき、情けをかけるとき。それらを感情ではなく、思考で選択できるようになりなさい」
「悪には容赦するな、という意味ですか?」
「まぁ大体そんな感じかな。匙加減は君次第だけど、ようするにちゃんと考えられるようになれってことだよ」
「考える……難しそうですね」
「うん。捨ててしまうほうが楽かもしれない。でも、その優しさは君らしさでもある。捨ててしまうのは勿体ないし、何よりそれをなくせば、ただの人でなしになる」
そうして、師匠は最後にこう言った。
「だからリンテンス、君は優しいまま強くなりなさい」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
師匠に言われたことを思い出して、ふいにため息がもれる。
そういえば、同じことを最近グレンにも言われたっけ。
すみません師匠。
俺はまだまだ、自分の感情を制御できていないみたいです。
だから今は、ほっとしている。
「人じゃなくて安心したよ」
ドラゴンは神竜に巻き付かれ身動きがとれない。
この隙に、あれを倒せる一撃を構えよう。
藍雷で生成された巨大弓の威力は、一撃で山を穿つほどに達している。
ただ、おそらくこれでも足りないだろう。
ブラックドラゴンの鱗は、赤雷の最大出力でも容易には貫けない硬さだ。
威力を底上げしても、ダメージ止まりになる。
もっと貫通力が必要だ。
ならば――
「赤雷」
藍雷の矢に赤雷を纏わせる。
色源雷術最大の貫通力を誇る赤雷。
単体で倒せないなら、こうして混ぜ合わせれば良い。
これこそ、術式の応用。
対する標的は、未だ神竜に阻まれ動けない。
狙いはまっすぐ。
矢の先端を、ドラゴンの心臓部に向ける。
色源雷術――混。
「梔子一射」
赤黄色の一撃が放たれる。
稲妻は流星のごとく軌道を残し、ドラゴンの心臓を貫いた。
悲鳴をあげ、黄雷が拡散する。
ぽっかりと開いた穴から全身へ、雷撃が走った。
「ふぅ」
ほっと息をはく。
力尽きたドラゴンは、ゆっくりと地面に落下していった。
地に落ちた黒きドラゴン。
空から地上を見下ろし、そのまま視線をあげる。
広がっているのは雲一つない青空だ。
ただ、一時的に暗闇が襲ったことを思い出し、眉間にしわを寄せる。
「さっきのあれは一体……」
おそらく転移系の魔術だろう。
しかし、あんな術式は見たことがない。
少なくとも、俺が知っている転移系術式には当てはまらない。
そもそも、ブラックドラゴンを送り込んできた時点で……
「あれを手懐けていたというのか?」
その後、言わずもがな研修は中断された。
ドラゴンが出現してしまったのだから仕方がない。
明らかに人為的な犯行だったが、敵の正体も目的も不明。
王国の魔術師団が調査に当たることとなった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
初めて耳にしたのは噂だった。
単なる噂でしかないと、その時は深く聞かなかった。
だけど、噂は知らせとなって、俺の耳にも入ってくる。
聖域者の一人が死亡した。
もう一人は重傷を負い、現在意識不明の状態。
俺はその情報を、魔術学校の教室で聞いた。
「聖域者が?」
「嘘だろ……一体何があったんだ?」
ざわつくクラスメイトたち。
シトネも不安そうな表情で、俺に目を向けてくる。
ことの発端は十日ほど前。
大陸の東西両端にて、モンスターの大侵攻が起こった。
魔術師団が現場に急行したが、その後に連絡が途絶えてしまう。
緊急事態と考えた王国は、それぞれに聖域者を派遣、この対処にあたった。
聖域者は王国の最大戦力であり、最高の魔術師の称号。
彼らを派遣した時点で、この問題は解決したと思われていた。
しかし、最悪の事態となる。
モンスターの侵攻こそ止まったが、二人の聖域者が犠牲となってしまった。
噂と真実が混ざり合って、すでに王都中に広まっている。
聖域者が敗れたのだ。
それはつまり、聖域者をも凌駕する存在の証明。
人々の不安は高まっている。
王国を揺るがす緊急事態。
昨日のドラゴン襲来と重なって、先生たちも大忙しの様子。
その日の授業は午前中で終わり、午後は帰宅し待機するよう言い渡された。
俺とシトネは屋敷へ帰ることにした。
グレンとセリカも、今日は一緒に来てくれるという。
二人とも、俺を心配してくれたのだろう。
「屋敷に戻らなくて良いのか?」
「ああ」
「そうか」
屋敷に戻っても、暗い雰囲気が続く。
帰り道でも噂を耳にして、どんよりとした気分だ。
それを拭い去るように、俺は口にする。
「大丈夫だ。師匠は絶対に負けない」
「そ、そうだよね? アルフォース様が負けるなんてぜーったいないよ!」
「ああ。あの方は聖域者でも別格の強さをもっている。正式に誰がという発表がないだけで、アルフォース様ではないよ」
「私もそう思います。おそらく他の聖域者でしょう」
俺の意見に合わせるように、三人が口に出して言った。
そう、師匠は別格だ。
あの人が負けるなんてありえない。
俺の師匠だぞ?
世界で一番強い人なんだ。
絶対に大丈夫だと、俺は信じている。
だけど、そう言い聞かせながら、俺の心には雲がかかっている。
信じていながら、漠然とした不安は消えない。
何より王国の対応も不可解だ。
聖域者の訃報……それが事実なのはもはや間違いないとして、誰がという部分を発表していない。
それが更なる不安をあおっている。
そういえば、師匠は王国からの依頼で旅立ったのだった。
時期は今回の話と一致している。
もしかして……
駄目だ。
悪いことばかり想像してしまう。
師匠を信じているのに、どうしても考えてしまう。
未だ帰らない師匠の身に、何かが起こったのではないかと。
俺が感じている不安はきっと、国民たちが抱いているものとは違うのだろう。
どうか、どうか無事であってほしい。
「師匠……」
「おやおや、深刻そうな顔をしているね?」
不意に、後ろから声をかけられる。
一人ぼっちで訃報に暮れていたあの日のように、彼はふらっと現れた。
変わらぬ笑顔を見て、思わず俺は――
「師匠!」
そう叫んだ。
瞳からは、涙があふれる寸前だったよ。
「アルフォース様!」
「ただいま、みんな揃っているようだね」
何事もなかったかのように、師匠は自分の席に腰をおろした。
よいしょとおじさんくさい一言をそえて。
さっきまでの暗い雰囲気が、一瞬でいつも通りに引き戻されるようだ。
「師匠……無事だったんですね」
「うん。その様子だと、事情は一部分だけ伝わっているようだね」
師匠はため息交じりに言う。
「まぁことが重大だし、仕方がないのだろうけどね。それにしても、まさか負けたのが僕だと思われていようとは……」
「ち、違いますよ! 師匠が負けるはずないじゃないですか!」
「う~ん? だってさっき落ち込んでたでしょ?」
「そ、それはそうですけど……」
「はっはっはっ! 冗談だよじょーだん。心配してくれていたのだろう? ありがとう、リンテンス」
まったくこの人は、とあきれる。
不安だった心は、もう忘れてしまっていた。
師匠の声を聞いて、心にかかった雲が晴れたみたいだ。
「さてさて、色々と疑問はあるだろう。それについては安心したまえ。今から私がする話を聞けば、大方の疑問は解消されるはずだからね」
「その口ぶり……やはり師匠もこの件に関わっているんですね」
「もちろんだとも! と言いたいところだが、半分正解で半分違う」
半分?
と心の中で呟き、次の言葉に耳を傾ける。
「君も知っての通り、僕は王国からの依頼で留守にしていた。それを今回の件だと思っているなら間違いだよ」
「そうなんですか?」
てっきりそうなのだと思い込んでいた。
師匠は頷き、続きを説明する。
「うん。僕が受けていたのは別の依頼でね。この件とは全くの無関係だった。ことの顛末を知ったのもついこの間のことだよ。たぶん、君たちより数時間早い程度の差でしかない。もちろん、君たちよりは細かく事情を知っているけどね」
師匠は話しながら、テーブルの上のカップを手にかけ、紅茶を一口含む。
落ち着いたため息をこぼして、カチャリとカップを置く。
そして、唐突にこんな質問を投げかけてきた。
「リンテンス、以前に悪魔の話をしたことを覚えているかい?」
「えっ? あ、はい。覚えていますよ」
確か、悪魔がいるのかどうかの話だっけ?
俺はおとぎ話の生き物だと思っていたけど、師匠はいると断言していた。
それから……
悪魔と出会う時までに、戦えるようになっていてほしい。
師匠は俺にそう言ったんだ。
その記憶が脳裏をよぎり、師匠の言葉と繋がる。
「東西で確認された未確認生物……その正体こそ悪魔だった」
「なっ……本当なんですか?」
「うん、間違いないよ。戦った本人からの情報だからね」
「本人?」
聖域者の二人のことか。
でも一人は死亡して、もう一人も意識不明だと聞いている。
「生き残った一人、アベルがさっき目覚めたんだよ。両脚と左腕を失っていたが、命は何とか繋ぎとめていた。残念ながらシュレトンさんは、遺体も発見できなかったよ」
アベル・レイズマン。
師匠より後に聖域者となった男性で、家は騎士の家系。
太陽神ミトラの加護をもち、太陽の下では無限に等しい魔力量と、魔術センスを得られる。
類まれなる剣術の才能があり、太陽の騎士と呼ばれていた。
シュレトン・マーシャル。
現存していた聖域者では最年長のご老公。
御年六十二歳を迎えたが、まだまだ魔力も肉体も衰えることなく現役だった。
その源は、地母神レアの加護を受けていたからだろう。
大地を自在に操り、植物から生命力を分け与えられていたから、肉体の老化も緩やかだったに違いない。
師匠の師であるナベリウス校長の同期でもある。
「師匠、校長の所へは」
「うん、わかっているよ。さすがに後で顔を出すさ」
「そうですね。それが良いと思います」
きっと落ち込んでいるはずだ。
なんてわかった風に言うのは失礼かもしれないけど。
師匠も心配していることが伝わる。
そのまま師匠は詳しい説明を続けた。
東西を侵攻していたモンスターの群れ。
その群れを率いていた将こそ、悪魔だったという。
悪魔たちはモンスターを使い、近くにあった街や村を襲っていた。
モンスターたちに下されていた命令は『鏖殺』。
アベル様が到着した時には、女子供も無関係に、一人残らず殺されていたそうだ。
そして、モンスターの群れを一掃した後、悪魔と交戦した。
激しい戦いの末、アベル様は重傷を負ってしまう。
しかし、相手も傷を負い、止めを刺される前にどこかへ消えた。
シュレトン様のほうは詳細はわからない。
ただ、戦いの激しさを物語る痕跡が残されており、アベル様と同様の結果だったと予想されている。
「その後は大きな被害が出ていない。二人はちゃんと、人々を守るという役目を果たしたんだ。さすがだよ」
「……はい」
俺に合わせて、シトネたちも頷く。
師匠と俺の会話を邪魔しないよう、みんなは空気を読んで黙ってくれているようだ。
「師匠、聞いてもいいですか?」
「何だい?」
「悪魔ってそもそも何なんですか? 前に話した時も、具体的なことは話さなかったですよね? でも……」
師匠はたぶん、知っている。
悪魔という存在のことを、本に書いてある内容以上に。
そんな予感がして、俺は質問していた。
師匠は答える。
「そうだね。あの時はまだ……いや、今は話すべきだね。君の言う通り、僕は悪魔を知っている。というより、僕の中には悪魔の血が混ざっているんだ」
「えっ……」
「良い反応だね。普段なら喜ぶところだけど、今は調子に乗らず話を続けよう。混ざっているといってもほんの僅かだ。僕の祖先はね? 悪魔と人間の混血だったんだよ。その関係なのか、大昔の記憶が断片的に残っている」
そうか。
師匠の話を聞きながら察した。
以前、悪魔に会ったことがあるのか尋ねた時、師匠は半分正解だと言った。
半分と言うのは、そういう意味だったのか。
「当時、世界はとても平和だった。本の歴史だと種族同士で争っていたって書いてあるけど、あれは間違いなんだ。本当の歴史は別にある」
時を遡る。
今からざっと数千年以上前の話だ。
世界は今よりずっと平和で、今よりもっと栄えていた。
人口も現在の倍以上いて、国や街の数も多かった。
多数の種族が共に生き、助け合いながら生活していたという。
しかし、そんな平和を脅かす存在が地獄より現れてしまった。
「それが悪魔……地獄っていうのは?」
「おっと、そこも説明していなかったね」
うっかりしていたという感じに話す師匠。
そのまま続ける。
「実はこの世界ってね? 四つの世界が重なって出来ているんだよ」
四つの世界?
そんな話は聞いたことがない。
いろんな文献を読んでいるけど、チラリとも見かけなかった。
師匠は続けて説明する。
「四つの世界。昔は行き来も簡単だったらしいけど、今は事情が変わってしまったようだね。天使や神々が住まうという天界。僕たちが生きる現世。死した魂が還る冥界。そして、悪魔たちがいる地獄だ。彼らは地獄から現世に侵攻を開始した」
「目的は何だったんですか?」
「単純だよ。現世を支配することだ」
「何のために?」
「そこはいろんな事情が絡んでいるよ。まぁ当時の支配者が、支配欲に溺れていたことも原因だろうね」
地獄には三人の支配者がいる。
皇帝ルシファー、君主ベルゼビュート、大公爵アスタロト。
彼らは絶大な力を有し、荒れ狂っていた地獄をまとめ上げた。
地獄の統一を成し遂げた彼らが次の標的に定めたのが、現世だったという。
「侵攻は突然始まった。平和だった世界は一瞬でひっくり返ってしまったよ」
三大支配者を筆頭に、部下の悪魔たちによる大侵攻。
服従するなら慈悲を与え、抵抗するなら容赦なく殺す。
利用価値が低い老人は、服従の意思を示しても、モンスターの餌にされた。
「酷い……」
シトネから声が漏れていた。
非情、残忍、冷酷……その言葉がピッタリくる存在なのだろうと、俺は頭の中で想像する。
想像するだけで、吐き気がしそうな悪だ。
人々は抵抗した。
種族同士で手を取り合い、悪魔たちと戦った。
しかし、悪魔たちの力は常軌を逸していた。
特に三大支配者と、その直轄の部下である【六柱】と呼ばれた悪魔たちは、たった一人で大国を滅ぼせる力をもっていた。
そんな彼らに対抗できたのは、神々の加護を受けた者たちだけだった。
「今でいう聖域者。僕たちのような存在が、当時にもいたんだよ。彼らを主軸として戦い、何とか退けていた。たくさんの犠牲を払いながら……ね」
挑めば死ぬ。
それが当たり前のように、プチプチと踏みつぶされる命。
こんなにも命は軽かったのかと思い知らされるような光景だった。
そう、師匠は受け継いだ記憶を覗きながら話す。
「劣勢が続く中、神々の助力が得られることになった。ようやく重い腰をあげたんだ。もっと早くしろって、僕なら直談判に行っていたよ」
呆れながらそういう師匠。
師匠なら本当にそうしそうだ。
神が相手だからって、いつもの通りに振舞いそうな予感すらある。
「ともかく助力を得て、形勢は持ち直した。一瞬で逆転とはいかなかったようだけど、徐々に押し戻して、最終的に地獄と現世の境界で、最後の戦いが起こったんだ」
当時の聖域者たち七人と、三大支配者による激闘。
激しい戦いは三日三晩続いたという。
そうして勝利を納めたのが、聖域者たちだった。
三人の支配者を倒したことで悪魔たちは地獄へ撤退していった。
そして――
「全ての悪魔が戻ったあとで、聖域者たちは神々の協力の元、地獄に大きな蓋をしたんだ」
「蓋? 魔術的な結界とかですか?」
「大体そんな感じかな。僕もその辺りの記憶はあいまいでね。とはいえ、その蓋によって悪魔たちは現世に来れなくなった」
「なるほど……でもじゃあ、今いる悪魔はどこから来たんです?」
「無論地獄からだよ。何千年と経っているからね。蓋は緩んできている。一人や二人が出てくるくらいは出来る程にね。まぁそれと、三人の支配者が復活したことも関係しているかな?」
「えっ、復活……したんですか?」
「うん。間違いないね」
師匠はキッパリと言い切った。
師匠曰く、悪魔には完全な死は存在しないらしい。
一度滅んでも、長い年月をかければ復活できる。
そもそも蓋は、彼らが復活することを見越して作られたものだろうと師匠は付け加えた。
「とはいっても、今の状況では現世に来れない。緩んだ蓋の隙間も、絶大な力をもつ彼らでは小さすぎて通れないのさ。ただ、蓋を維持しているものを破壊すれば、その限りではない」
「じゃあ彼らの目的は、蓋の核を破壊することですね?」
「その通り。だからこそ、彼らは無作為に人々を襲い、二人を呼び寄せたんだ」
その時、頭に電流が走ったような感覚がした。
師匠の言葉と、過去の歴史。
それらをまとめると、彼らの狙いは――
「もうわかるよね? 聖域者こそ、蓋を維持する核なんだ。彼らの目的は聖域者の全滅と、聖域者を生み出す装置の破壊。つまり……」
「ここ?」
魔術学校に、悪魔が攻め込んでくる。
「聖域者を倒した悪魔が、この学校に攻め込んでくるんですね?」
「うん。彼ら自身がそう言っていたらしいよ」
悪魔と戦ったアベル様が、会話の中でその情報を引き出した。
いずれお前たちの城を落としに行く。
残りの楔共も集めておけ。
そして精々足掻いてみせろ。
去り際、悪魔はそう言い残したそうだ。
城と言えば王城だが、師匠の話を聞いた後では受け取り方も変わる。
残りの楔というのも、聖域者のことだろう。
彼らの目的は、師匠が教えてくれたことで間違いなさそうだ。
問題は……
「いつですか?」
「僕の予想だと、一週間以内かな。どれだけの傷を負ったのかにもよるし、最悪もっと早い」
現在、王城では急いで戦力を集めているそうだ。
とは言え、聖域者で叶わなかった相手に、魔術師や騎士を何人集めたところで意味がない。
死体の山を築くだけになってしまうだろう。
「じゃあ……師匠が戦うんですね」
「もちろんさ。そもそも僕以外では止められない相手だ。国王や重鎮たちもそれをわかっているから、もの凄く丁寧にお願いされたよ」
師匠は笑いながら語る。
笑い事ではないのだが、師匠らしくて安心する。
「師匠なら負けませんもんね」
「おうとも! と、言いたいところなのだがねぇ~」
笑顔からの落差。
急に深刻そうな表情を見せ、自分の頭をポンポンと叩きながら言う。
「正直に言うと、ちょっと厳しいかな」
「厳しいって」
「君も知っての通り、僕はこう見えて強い」
知っている。
この世界で最高の魔術師なのだから。
「悪魔が相手でも戦える。ただ相手は聖域者を倒したほどの手練れ……それも二人で攻めてくる可能性が高い。加えて学校を守りながらの戦いだ。一人なら何とかなるけど、二人はちょっとしんどい」
「師匠でも……ですか?」
「うん。だから――」
師匠が俺の眼を真っすぐ見つめる。
俺に何かを伝えようとしている眼だ。
この時点で俺は、師匠がこれから何を言うのか、何となく察した。
「一緒に戦ってくれる仲間がほしくて、ここへ立ち寄ったのさ」
言葉より先に、視線が雄弁に語る。
それは……お前だと。
「リンテンス、僕と一緒に悪魔と戦ってほしい」
「――!」
全身に稲妻が走ったような感覚に襲われる。
身が震えた。
恐怖ではなく、武者震いというやつだ。
「わか――」
「待ってください! アルフォート様!」
返事をしようとした俺の声を、グレンの声が遮る。
大きな声で怒鳴るように口を挟んだ彼に、全員の視線が向けられる。
「なぜ彼なんですか? 相手は聖域者すら倒すほどの強さなのでしょう? いくら何でも危険すぎます」
「グレン……」
グレンは俺のことを心配して言ってくれている。
口にした内容も正しい。
彼はさらに続けて進言する。
「協力を仰ぐのであれば、残る二名の聖域者に求めるべきではありませんか?」
「残念ながらそれは無理だよ」
「なぜです?」
「う~ん、ほとんど説明しなくてもわかると思うけどな~ ボルフステン家の人間なら、聖域者の事情にも詳しいはずだろう?」
師匠がそう言うと、グレンは黙り込んでしまう。
図星だったのだろう。
それでも、わかった上で聞くしかなかったのだと思う。
納得できないという表情は変わらない。
そんなグレンに、師匠はあえて説明する。
「僕以外の聖域者は二人。うち一人は数年前から行方不明。さすがに生きているとは思うけど、どこで何をしているかわからない。もう一人、彼女に協力を求めた所で、確実に拒否されるよ」
「どうしてですか?」
と聞いたのはシトネだった。
師匠は優しく答える。
「彼女は聖域者だけど、あまり戦闘が得意じゃないんだ。得ている加護も戦いに向いていない。彼女自身がそれを一番理解している」
「そう……なんですね」
「うん。もちろん聖域者だから、その辺の魔術師とは比較にならない強さだよ? それでも悪魔には及ばない。だから勝てない戦いには出てこない。そもそも彼女は隠れるのが得意でね。探すのがまず一苦労なんだよ」
聖域者にもそれぞれ事情があるようだ。
要するに、現状で戦える聖域者は、師匠ただ一人。
「聖域者に協力は頼めない。残された魔術師の中で、僕が知る限り一番可能性を持っているのはリンテンスなんだよ」
グレンたちの視線が俺に向く。
心配そうに見つめる彼らを見てから、俺は師匠に視線を戻して尋ねる。
「俺なら……悪魔に勝てるんですか?」
「僕はそう思っているよ」
師匠の答えを聞いて、心の中で決心がつく。
いや、決心なら最初からついていた。
師匠に頼られた時点で、回答なんて一つしか思いつかない。
「わかりました」
俺はまっすぐに師匠の眼を見つめながらそう答えた。
すると、師匠は嬉しそう微笑む。
「ありがとう。君ならそう言ってくれると思ったよ」
「師匠の頼みですからね。弟子として、断るわけにはいきませんよ」
「はっはっはっ、さすが僕の弟子だ」
師匠は笑っている。
俺の隣では、対照的に不安そうな顔をするグレンとシトネ。
「ありがとう、グレン」
「……本当にいいんだな?」
「ああ」
「そうか……」
グレンは言葉を呑み込んで、拳を俺の胸に当てる。
「死んだら絶交だ」
「おう」
男の約束を交わす。
せっかくできた友達と絶交なんて嫌だな。
これは意地でも勝つしかない。
それに……
「シトネもごめん。心配しなくて良い……って言っても無理だよな?」
「うん。心配するよ」
「……ごめん」
「ううん。信じてるよ」
「ああ」
心配してくれる人がいる。
一人ぼっちじゃないと教えてくれた人たちがいる。
だから俺は、負けるわけにはいかない。
決意を胸に、俺は立ち上がる。
いや、身体はもう立っているけど、心がという意味で。
「よーし! それじゃさっそく始めようか」
「始めるって、何をです?」
「もちろん修行だよ。それも初めての……ね。特別なことをする」
師匠が特別なんて言い方をすると、なぜだか無性に不安が過る。
続けて師匠は俺に言う。
「君には一番可能性があると言ったね? でも、今の君じゃ確実に負ける」
「えっ……負けるって」
さっきと話が違うような?
「当然だろう? 相手は聖域者ですら勝てなかった悪魔だよ? 神の加護も権能も持たない魔術師では戦えない。だから修行して強くなってもらう。これから、最短時間で」
悪魔の襲撃まで最大でも一週間。
これもただの予想でしかなく、もしかすると明日や明後日という可能性もゼロではない。
それほど短い時間で、俺に聖域者以上に強くなれと言っている。
「そんなことが出来るんですか?」
「出来るさ。僕にはそのための秘策がある」
師匠は胸にトンと手を当ててそう言った。
これまで師匠から色々と教わっているけど、その秘策とやらに心当たりはない。
考えらるとすれば、師匠の持つ権能だが……
「リンテンスは僕についてきて。他のみんなはすまないけど、ここに残ってもらえるかな?」
「わかりました」
「うん。なら行こうか」
師匠につれられ屋敷を出る。
向かった先は、魔術学校の闘技場だった。
すでに鍵を借りていたらしく、中へ入って明かりをつける。
当然のことながら、他には誰もいない。
二人きりの貸し切り状態なんて、中々味わえないことだが、今は素直に喜べなくて残念だ。
「さてさて、説明を先にしておこうか」
師匠はクルリとこちらを向き、改まって話し出す。
「さっきも言った通り、今の君では悪魔には勝てない。単純な戦闘能力だけなら、君より強い人は何人か知っているしね。それでも君を選んだのは、君の中に可能性が眠っているからだ」
「可能性……何度もそう言いますけど、可能性って何なんですか?」
「うーん、言い換えるなら潜在能力? いや、魔術師としての到達点か。改めて説明しようと思うと難しいね。結論だけ言ってしまうと、未来の君なら悪魔にも勝てる力をもっているんだよ」
「未来?」
唐突に、思いもよらない単語が跳び出して、思わず声に出てしまった。
「未来、あるいは将来、君は魔術師としての極致にたどり着く。僕の眼は特別製でね? 色々なものが見える。君の中にある本当の力は、君が思っている以上に凄いんだよ」
そう言って、師匠は俺の起源を指さす。
師匠の眼には、人の起源が見える。
本来見えないものが見える眼。
神の権能の一つとして与えられたものだと聞いた。
師匠の眼は、未来すら見えているのだろうか?
「厳密に未来を見ているわけじゃないさ。ただわかるんだ。そうなるってことがハッキリわかる」
師匠は話しながら、左腕に魔力を集める。
すると、白い花びら生成され、一本の杖を生み出した。
師匠が普段、武器として使っている魔術の杖だ。
見た目は派手な装飾の施されたタダの杖だけど、なぜか剣より斬れたり、硬い岩を粉砕できたりする。
師匠曰く、師匠のイメージによって強化されているらしい。
その杖を持ち出し、コンと地面をたたく。
「今から君には【夢幻結界】という場所に入ってもらう。そこは僕の権能で生み出した全く別の空間だ」
「何度か修行で使っている空間とは違うんですか?」
「違うよ。系統は同じだけど、こっちは色々とアレンジしてあるから」
「そうなんですね。それで俺は、その空間で何をすればいいんですか?」
「戦うんだよ。未来の自分とね」
「えっ……」
師匠の言葉に驚き口を開ける。
まったく今日は驚かされてばかりだな。
「正確には、君の起源から読み取った情報を基に作られた幻影だ。君が将来たどり着く姿を具現化し、投影する」
「それと戦って、勝てばいいんですか?」
「そうだとも。勝利すれば、君は未来の自分の力を手に入れられる。その力をもって、僕と一緒に戦ってほしい」
「わかりました」
即答した俺に、師匠は呆れたように微笑む。
そうして続けてこう尋ねる。
「最後に一つ確認するよ。この修行は一度始めれば止められない。幻影か君、どちらも残っている限り、空間からの脱出もできない。次にこっちへ戻ってくるときは、勝ったときだけだ。負ければ当然死ぬ」
俺はごくりと頷く。
「相手は未来の君だ。確実に強い……負ける可能性のほうが高い。それでもやるかい?」
「今さらですね。師匠はそれでもやれって言うんでしょう?」
「よくわかってるじゃないか。どの道、悪魔に負ければ終わりだ。命をかけるのが今か、この後かの違いだよ。それに僕は信じている。僕の弟子なら、この程度の試練は簡単に超えてみせると」
「そうですか……なら、弟子として師匠の期待に応えてみせます!」
師匠が出来ると言ったんだ。
それなら間違いなんてない。
今までも、そうして強くなってきたのだから。
夢幻結界。
師匠がもつ権能をベースに、特殊な術式を組み込んで生成した空間。
その中に入った者は、己の起源を基にした自分自身と戦うことになる。
一度始めると、決着がつくまで出られない。
外と中との時間にはずれがあり、空間内での一日は、現実世界での三時間に相当する。
また、中に入っている間は睡眠や食事を必要としない。
「説明は以上だ。そろそろ始めるよ」
「はい」
師匠は杖を両手で握り、地面をコンコンと二回たたく。
すると、水面に広がる波紋のように、白い光が周囲へ広がっていく。
闘技場の範囲の手前で止まり、綺麗な正円を描いている。
「準備はこれでよし。あとは僕が領域内から出れば、その瞬間から修行スタートだ」
「わかりました」
俺がそう言うと、師匠は頷いて円の外へと歩いていく。
「悪魔の侵攻まで時間がない。なるべく早めに終わらせて戻ってくることを期待するよ」
「はい。頑張ります」
「うん。じゃあ――」
三、二、一歩。
師匠の足が円から離れた。
その瞬間、円を囲っていた白い線が光を放ち、ドーム状にぐるっと覆う。
最後に見えた師匠の口が、頑張れと言っていた。
真っ白な空間。
自分以外には何もない。
ただ白くて、果てしなくて、どこが前か後ろなのかもわからなくなりそうだ。
以前から修行で使っている空間は、大空の上にいくつもの島が浮かんでいた。
あそこも異質だったけど、今回はもっとだ。
確かに違う。
「ん?」
胸がざわつき、視線を下げる。
すると、起源があるという右胸が淡く光を放っていた。
その光は胸から溢れて、まっすぐ前を照らす。
光は壁のような何かにぶつかって広がり、黒く染まっていく。
人……いや、俺だ。
黒く染まったそれは、まるで俺の影のように形を成していく。
そうして出来上がった黒い人が、未来の自分であると――
「っ!?」
気付くのに時間はかからなかった。
刹那、黒人影が視界から消えた。
次に見つけた時、黒い影は自分の目の前にいて、左手が俺の身体に触れていた。
放たれる赤い稲妻。
俺は既の所で蒼雷を発動させ、辛うじて回避する。
「ぐっ……」
すでに触れられていたし、完全には躱せなかった。
左脇腹からタラタラと血が流れる。
致命傷ではないが、肌と肉を一部抉られてしまったようだ。
このまま放置すると出血死する危険性がある。
俺は傷口を押さえるように触れる。
「橙雷」
オレンジ色の雷が、傷口にびりっと走る。
色源雷術橙雷は、俺がもつ唯一の回復手段だ。
細胞を強制的に活性化させ、自己治癒能力を向上させる。
外傷であればすぐに治るが、その代償として負った傷の倍以上の痛みを感じる。
「っ……今のは……」
あれが使ったのは赤雷だった。
威力も攻撃範囲も桁違いだぞ。
ほんの僅かでも対応が遅れていたら、今の一撃だけで死んでいた。
これからはもっと集中して……
「何だ?」
黒い影が右腕を上にあげている。
視線の誘導、ではない。
術式の発動を告げるモーションだと気づき、素早く上を向く。
「藍雷か!」
天井に生成された無数の剣にぞっとする。
その数はもはや数えることすら馬鹿だと思えるほど。
黒い影が挙げた右腕をおろす。
空中に留まっていた無数の剣が、雨のように降り注ぐ。
「赤雷!」
俺は赤雷で迎撃を試みた。
通常であれば、貫通力で勝る赤雷で弾き飛ばせる。
しかし、相手の藍雷は真に迫った未来の攻撃。
今の俺が繰り出す赤雷を、いともたやすく凌駕して、剣の雨は無慈悲に襲い掛かる。
「くっそ……」
降り注ぐ雨は留まらない。
俺は後方へ跳び避けようと試みる。
それは油断ではなく、意識の隙間だ。
逃げるようと重心が後ろへ傾いた瞬間をついて、黒影が懐に迫る。
その右手には藍雷の一刀が握られていた。
「しまっ――」
藍色の刃が俺の胸を斬り裂く。
「ぐふっ」
蒼雷――反!
青い稲妻を身体から放ち、黒い影を懐の外へ追いやる。
二撃目を構えていたが、何とか一撃ですんだ。
いや、これをすんだと捉えていいものか。
「はぁ……はぁ……強いなチクショウ」
思わず笑えてくる。
たった数十秒戦っただけでこの疲労感。
正直に言えば、勝てるイメージが……全くわかなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夢幻結界の発動後、誰も中へは立ち入れない。
発動者であるアルフォースですら、出入りはもちろん、結界を解除することは出来ない。
そういう契機をかすことで、奇跡に等しい現象を発生させているからだ。
「後は君次第だよ。リンテンス」
故にアルフォースは見守ることしかできない。
リンテンスが試練を乗り越えられるかどうかは、彼がもつ才能と努力にかかっている。
「さて、次の準備を始めようかな」
リンテンスに関してはこれ以上何もできない。
そこでアルフォースは、悪魔襲撃に備えた準備を始める。
闘技場を出て向かったのは、グレンたちが待っているリンテンスの屋敷だった。
ガチャリと扉を開け、リビングへ入る。
三人の顔が一斉に向く。
「ただいまみんな。待たせてすまないね」
「アルフォース様! リンテンス君は?」
「心配いらないよシトネちゃん。彼ならちゃんと試練を乗り越える。僕たちはそれを信じていれば良い」
「そう……ですよね。信じます」
言いたいことをぐっとこらえ、シトネは力強く返事をした。
それを見てアルフォースはニコリと微笑み、うんうんと頷く。
グレンが尋ねる。
「アルフォース様、僕たちに出来ることはないのですか?」
リンテンスが大変な修行をしている。
そんな中で、何もせずにただ待っているだけなんて嫌だ。
と、グレンは考えていた。
アルフォースが答える。
「もちろんあるとも。それを伝えるためにここへ戻ってきたのさ」
「本当ですか!」
「うん。悪魔襲撃まで最長一週間、最短で三日といったところだと僕は予想している。君たちにはその間に、学校を守る結界を新たに作る」
「結界ならもうあるのでは?」
グレンの質問通り、魔術学校には外敵から生徒たちを守るための結界が張られている。
結界は二段階。
一つは、敵意をもった対象を識別し、侵入を拒むもの。
もう一つは、攻撃に対してのみ効果を発揮するもの。
二つの結界によって守られた校舎は、未だかつて傷ついたことは一度もないという。
「あれでは足りない。所詮は魔道具による簡易的な結界だからね。悪魔の攻撃を受けたら簡単に壊れてしまよ」
「それほどですか……」
「ああ。悪魔の力に関しては、君たちが想像している倍は強いと思ってね?」
三人はごくりと息を飲む。
経緯を聞いていた彼らも、ことの重大さを再確認させられる。
アルフォースは懐から四つの指輪を取り出し、テーブルの上に置いて説明する。
「この指輪には、僕が考案した結界術式が刻まれている。みんなには、僕やリンテンスが戦っている間、これで学校を守ってほしい」
アルフォースは付け加える。
本来なら、こんな役割を学生に任せたりはしない。
ただ、今回は状況が特殊であり、相手も近年比較対象がいないほどの強敵だった。
故に手段は選んでいられない。
目的が魔術学校だとしても、王都には多くの人たちが暮らしている。
魔術師団の役割は王国の守護であり、国民を守る責務がある。
悪魔襲来時には、彼らは王都を守ることに兵力を割かれることになるだろう。
「これなら学校を守れるのですか?」
「そうだね。君たちが結界の起点となってくれたら、悪魔の攻撃を防ぐには申し分ない強度になる。ただ、当然だけど君たちが狙われる。戦況次第では、君たちも悪魔と戦うことになるかもしれないね」
説明の後、アルフォースは三人に問いかける。
「強制はしない。やりたくなければ、別の人たちに任せる。どうするかは君たちが選んでくれたまえ」
「もちろんやります」
「グレン様がそうおっしゃるなら、私もご助力いたします」
「私もやります! リンテンス君が頑張っているんだし、私だって何かしたい」
三人の意見が出揃う。
そう言うと思っていたと、アルフォースは嬉しそうにほほ笑んだ。
「よし、これで四人だ」
「四人? 僕たち以外にもう一人いるんですか?」
「そうだよ。結界の起点は四つだからね」
「誰にお願いしたのでしょう?」
「アクト・エメロード。リンテンスのお兄さんさ」
三人、特にグレンとシトネが大きく反応する。
アクトは、親善試合でリンテンスと死闘を演じた相手。
まだ最近のことで記憶に新しい。
「彼の奥義クロノスタシスは、いざという時に君たちを守る力となりえる。すでに了承は得たから問題ないよ」
アクトの実力は親善試合で見ている。
一緒に結界を守る者として、彼以上に心強い相手はいないだろう。
ここでグレンは、あることを思い出す。
「アルフォース様、一つよろしいでしょうか?」
「何だい? グレン君」
「先日の学外研修のときなのですが――」
グレンが伝えたのは、学外研修での一件。
ブラックドラゴンの襲来と、それを起こした黒い影についてだった。
「なるほど。それはおそらくゲートだ」
「ゲート?」
「上位の悪魔がもつ転移手段だよ。ただ、僕らの知る二体の悪魔ではないね。時系列的に、その頃はまだ戦闘中だったはずだから」
「つまり、三人目がいるということですか?」
「かもしれない。これは尚更、リンテンスに頑張ってもらわないとね」
死闘の予感が過る。
全ての期待は、リンテンスに向けられていた。
そして二日後の正午。
再び、青空を黒い影が覆い隠す。
その日の空も雲一つなく、青く澄んでいた。
心地良い日差しが、人や植物を豊かに育たせる。
前触れなどない。
突然、青い空は黒く染まり、王都の街は影に包まれてしまう。
「遂に来たようだね……悪魔が」
黒い影の中心に、二つの人影がある。
彼らが見つめる先には、同じく見返す五人の姿があった。
「頼むよ、みんな」
「「「「はい!」」」」
戦闘開始。
の、三十分ほど前――
アルフォースに連れられ、シトネたちの三人が闘技場に集まった。
闘技場にはすでに、四人目であるアクトの姿もある。
「待たせたね」
「いえ、お気になさらないでください」
淡々と会話をするアルフォースとアクト。
二人は幼少期の頃から面識があり、少なからず交流もあった。
名門エメロード家の長男であるアクトは、当代の聖域者のほぼ全員と会ったことがある。
短い期間だが、手ほどきを受けたこともあるという。
「さて、まだ二日目だがそろそろ警戒を強めたい。君たちには日中、すぐに動けるよう準備しておいてほしい」
四人が頷く。
闘技場には、臨時で転移用の魔道具が設置されていた。
一人分の台座が四つ。
転移の術式が組み込まれ、結界の起点である各地に一瞬で移動が出来る。
ちなみに、学校は現在臨時休校中で、彼らと一部教員以外誰もいない。
アルフォースが席を外す。
ナベリスの所で話があるといい、闘技場を去っていった。
残った四人は、絶妙な空気のまま襲撃に備える。
静寂が続く。
楽し気に話せる状況はないが、会話一つないというのも居心地が悪い。
そんな静寂を破ったのは、意外にもアクトだった。
「君たちはリンテンスの友人だね?」
「え、はい!」
一番近くにいたシトネが反応した。
アクトはシトネに尋ねる。
「アルフォース様から聞いたが、リンテンスは修行中なのだろう?」
「はい。二日前から」
「そうか……」
切なげな表情を見せるアクト。
何となく、心配している様子がシトネに伝わる。
「あ、あの!」
「何かな?」
「リンテンス君が言ってました。いつか、お兄さんとちゃんと話がしたいって。だからその……」
「……そうか」
アクトは小さく笑う。
そんな彼を、意外そうに見つめるグレンとセリカ。
リンテンスからアクトのことを聞いていたシトネは、その笑顔にどこかホッとする。
「俺も話したいことがある。また後で、全てが片付いたら話に行くよ」
「はい。待ってます!」
ニコニコ微笑むシトネ。
会話の節々から、リンテンスに近いものを感じていた。
(何だかリンテンス君と話してるみたいで落ち着くなぁ)
二人の会話をきっかけに、少しだけ場が賑やかになった。
穏やかな時間が過ぎ、迫る脅威に対する警戒が、少しだけ緩まる。
そんなとき、圧倒的な魔力を感じ、全身が震えあがった。
「こ、これは!」
「上だ!」
グレンが叫んだ。
四人が天井を見上げると、そこには青空ではなく、黒い影がかかっている。
「ゲートだ!」
「研修のときと同じだな」
そこへアルフォースが駆けつけ、四人に指示を出す。
「みんな配置につきたまえ! 転移後三秒が術式発動の合図だよ!」
「アルフォース様! リンテンス君は?」
「残念ながらまだ修行中だ。こうなれば仕方がない。彼の修行が終わるまで、僕が何とか時間を稼ごう。君たちも頼むよ?」
「はい!」
転移装置を作動させる。
全員が配置につき、指輪の術式を発動させると、薄緑色の結界が学校を覆い隠した。
その直後、ゲートから大量のモンスターが投下される。
「やはりそう来たか。魔術師団を王都中に配置したのは正解だったようだね」
グレンからの報告を聞き、魔術師団は国中に散っている。
こうなることを予想し、備えてきた。
国民には安全のため、家から出ないように伝えてある。
王都全域には特殊な魔道具が張り巡らされており、非常時に発動させることで、建物を攻撃から守ることが出来る。
モンスターの殲滅は、魔術師団がしてくれるだろう。
「さてと」
ゲートが消失し、二人の悪魔が空中に浮かんでいる。
見つめる先にはアルフォースがいて、昇って来いと訴えているようだった。
やれやれと口にするアルフォース。
飛翔魔術を発動させ、悪魔たちの前に立ち塞がる。
「ようやく来たかよ」
「貴方がこの国で最強の魔術師アルフォース・ギフトレンですね?」
「おやおや、僕のことを知っているのかい?」
「ええ、もちろんです。脅威となり得る存在の情報は、すでに頭に入っていますよ」
「なるほど。悪魔に脅威と思われるなんて光栄だね」
悪魔は二人。
丁寧な口調で話す一人は、人間とほとんど変わらない見た目をしている。
肌の色は白く、眼の色は淀んだ青で、髪色も濃い青色。
悪魔の特徴である二本の角と、腰からは尻尾が生えている。
もう一人の乱暴な口調な悪魔は、もっと悪魔らしい見た目だ。
ドラゴンのようにごつごつとした肌は、黒に近い鼠色をしていて、手足の爪は強靭かつ鋭利。
それも剛腕が四つ。
身体の大きさも、隣の悪魔より一回り大きい。
見るからに肉弾戦が得意そうだ。
そして、どちらの魔力量も、人間のそれを大きく上回っていた。
間違いなく、悪魔の中でも上位の存在だろう。