授業が始まる前、担任の先生が教壇に立った。
「来週の今日、親善試合が行われる。立候補者はいるか?」
「親善試合?」
「おい、まさかこれも聞いていなかったのかい?」
「え……ああ、うん」
返す言葉もない。
グレンは呆れながら、俺に説明してくれる。
「毎年入学してすぐ、一年生と三年生の代表が交流をかねて模擬戦をするんだよ」
「へぇ~」
意味合い的には、交流というより世の中の厳しさを教える……みたいな感じらしい。
自信満々の新入生が行き過ぎないよう、在校生が力を見せつける。
「外部の観客も入れるから、僕たちにとっては最初のアピールの場にもなるけどね」
「なるほど」
「ちなみに、三年の代表は大抵首席だ」
主席と言う単語を聞いて、思わずびくっと反応した。
兄さんが出てくるのか。
「立候補者はいないか? いないのであれば、首席のグレンにお願いするつもりだが」
「先生!」
と手をあげたのはグレンだった。
「何だ? グレン」
「立候補ではなく、推薦してもよろしいでしょうか?」
「ん? まぁ、いいぞ」
「ありがとうございます。僕は彼を、リンテンスを代表に推薦します」
グレンは俺を指示し、堂々と名前を強調してそう言った。
ざわつく教室と、驚くシトネ。
当のグレンはニヤっと笑い、俺は眉を顰める。
「グレン?」
「このクラスで一番強いのは君だ。代表と言うなら君こそふさわしい」
「いや、首席はお前だろ?」
「ああ、だが僕は君に負けたばかりだ。自分の実力不足を痛感させられている。それに……」
グレンは表情を変える。
ニヤついていた顔が一変して、真剣な眼差しを向ける。
「相手は君の兄だろう。ならば実力の話を抜いても、君が一番戦いたいと思っているんじゃないかい?」
「……」
正直、図星だった。
兄さんが相手と聞いて、戦うなら自分が良いと思ったよ。
ただ、周囲の目もあるだろうから、今回は控えようかと思っていたのに。
「もちろん嫌と言うなら僕が出るよ。もしかすると、勝ってしまうかもしれないけどいいかな?」
「ふっ、わかりやすい煽りだな。わかったのってやる」
「決まりだね」
俺は右手を挙げて先生に言う。
「先生、俺が出ます」
「うむ。皆もそれで構わないか?」
反対なし。
入学直後の俺だったら、きっと全員が反対していただろう。
ここまで全てグレンの思惑通りだとしたら……相当な策士だ。
「ありがとな、グレン」
「僕は何もしていないさ。頑張ってよ、リンテンス」
「ああ」
やるからには勝つ。
兄さんが出るなら、両親も観戦に来るかもしれない。
丁度良い機会だ。
あの人たちに見せつけてやるとしよう。
落ちこぼれと吐き捨てた男が、頂に届きうる存在になったことを。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「なるほどなるほど、親善試合で兄と戦うことになったか」
「はい。それで相談なんですが、師匠に模擬戦の相手をして頂きたくて」
親善試合の話を聞いた日の夜。
夕食を囲みながら、俺は師匠にお願いをした。
「ほう、そこまで必要かい?」
「必要だと思います」
「今の君なら負けることはないと思うけどな~」
「だとしても、完璧な状態に仕上げておきたいんです。今回は……相手が相手ですから」
俺がそう言うと、師匠は小さく頷く。
表情と言葉から、俺の気持ちを察してくれたようだ。
「わかった。が、残念ながら出来ないね」
「なぜです?」
「実は王国から僕に依頼があったんだよ。明日には王都を出ないといけないんだ」
「急ですね。内容は?」
師匠は首を横に振る。
どうやら極秘の任務のようだ。
「そうですか……」
「すまない。弟子の頼みを無下にはしたくなかったのだが、これもお仕事だからね」
「いえ、師匠は本来こんなところで遊んでいて良い人ではありませんから」
「はっはっはっ、別に遊んではいないのだが……」
さて、となると誰に相手を頼むか。
「リンテンス、ここは友人に頼ったらどうだい?」
「グレンたちですか?」
「うん、彼らの実力であれば、君の相手も務まるだろう」
「そうですね。頼んでみます」
師匠以外で誰に、と考えた時。
まっさきに浮かんだのはグレンだった。
翌日、俺はグレンにそのことを頼むと、二つ返事でオーケーを貰った。
「君との訓練なら望むところさ」
「ありがたい。じゃあ頼む」
親善試合まで約一週間。
出来る限り追い込んで、戦闘の感覚を研ぎ澄ます。
今の俺にも、期待してくれる人がいる。
期待してない奴らも、大勢見に来るだろう。
そいつら全員を沸かせられるような戦いを見せてやる。
そして何より、兄さんに認めてもらうため。
一週間はあっという間に過ぎて――
親善試合の会場は、入学試験でも使われた闘技場だ。
あの時は単なる集合場所として利用されたが、今回は本来の用途で使われる。
更地だった地面には障害物となる岩や木が植えられ、土を増やし高低差も作られている。
戦うためのフィールドは前日から準備されていたようだ。
そして、観客席にはズラッと多くの生徒たちが座っている。
一から三年の生徒はもちろん、卒業生や魔術師団の人たち、保護者から王国の重鎮まで勢ぞろいだ。
たかが親善試合で何という賑わい……と思うが、あながち馬鹿に出来ない。
サルマーニュ魔術学校の卒業生は、この国の未来を担う存在となり得る。
特に三年の主席ともなれば、聖域者に最も近い存在だ。
期待から値踏みするような目で見られても不思議ではないだろう。
「準備は万端だね?」
「ああ、お陰様で助かったよ。グレン」
「どういたしまして。僕も良い修行になった」
代表者の控室に、俺を含めて四人の姿がある。
修行に付き合ってくれたシトネ、グレン、セリカ。
特にグレンのお陰で、コンディションは十全に仕上がったと言っても過言ではない。
俺は力を入れた拳を見つめる。
すると、シトネがその手を握って言う。
「頑張ってね!」
「ああ」
試合前に勇気を注入された気分だな。
これでより一層、調子は良くなったに違いない。
「じゃあ僕たちも観客席に向うよ」
「武運を祈ります」
「ああ、見ていてくれ」
三人が部屋を出て行き、俺は一人残される。
試合開始まであと十五分。
静かな部屋で一人になると、余計に色々と考えが浮かぶ。
「兄さん……」
緊張ではない。
武者震いとも違う。
何とも形容しがたい震えが、僅かに俺を動かしている。
ここで待っていても落ち着かない。
そう思った俺は、少し早いが控室を出ることにした。
フィールドに入るトンネルで、戦いのゴングが鳴るのを待つ。
そのつもりだったのだが……
「兄さん!」
「リンテンスか」
偶然にも、道中で兄さんと出くわしてしまった。
互いに向かい合い、無言のまましばらく経つ。
これから戦う相手と戦う前に会ってしまうなんて、何とも間が悪い。
俺も兄さんも、その場を立ち去ろうとする。
「ここにいたのか? アクト」
が、またしても偶然が重なる。
その声に反応したのは、兄さんだけではなかった。
俺も……声の主をよく知っている。
なぜならその人は――
「来てくださったのですね、父上」
「もちろんだとも、お前の活躍を見れる機会だからな」
兄の父であり、俺の父でもある。
直接顔を見るのは、家を追い出された日以来だ。
「お久しぶりです。父上」
「ん? ああ、何だいたのかリンテンス」
気付いていた癖に、わざとらしく父上は言う。
ならばこちらも、知っているであろうことをあえて口にしよう。
「はい。親善試合の代表ですから」
「ほう、そうだったな。何かの手違いかと思ったが……そうか。お前のような落ちこぼれを選出するなど……今年の一年生は期待できそうにないな」
やれやれ、と言いたげにジェスチャーをする父上。
これが、久しぶりに会った父と子の会話だ。
もし何もしらない他人が横で聞いていたら、一体どう思うだろう?
想像しなくてもわかる。
「ではな、アクト。お前には期待しているぞ」
「はい、父上」
そう言って、父上は観客席のほうへと歩いていく。
お前には……か。
要するに、俺には期待していないという意味なのだろう。
わかりやすくて助かるよ。
お陰でごちゃごちゃ考えずに戦える。
そして、外からブーという音が聞こえてくる。
「時間だぞ」
「はい」
俺と兄さんは別々の方向へと進む。
背を向けぐるっと回り、対角の出入り口からフィールドへ入った。
会場が湧き上がる。
アナウンスが何かをしゃべっているが、フィールドにいる俺には聞こえてこない。
観客席の声でかき消されているからだ。
いや、そうでなくても聞こえなかっただろう。
今の俺にとって、目の前の情報が全て。
余計な情報は省き、戦いが始まった後の流れをシミュレートする。
「父上ではないが、俺も驚いている」
唐突に、兄さんが口を開いた。
研ぎ澄まされつつあった緊張が、僅かに緩む。
「俺が相手ってことにですか?」
「ああ……だが、小さな予感はあった。俺とお前が入れ替わった日からずっと、こうして戦う瞬間が訪れる予感が……。それが今日だとは、微塵も思っていなかったがな」
「……俺も、こんなに早く兄さんと戦うことになるなんて思いませんでしたよ」
「ふっ、見ろ」
兄さんは観客席へ視線を向ける。
俺もその視線に合わせて、ぐるりと観客席を見渡した。
「大勢の人が見ている。勝てば賞賛、負ければ恥だ」
「そうでしょうね」
「わかっているのか? 今のお前がここで負ければ、二度と再起の時は訪れない。永遠に負け犬のまま、一生を終えることになる」
「そうはなりませんよ? 勝つのは俺ですからね」
「……そうか」
試合開始のベルが鳴り響く。
微かに聞こえたアナウンスがなくなり、観客席も一瞬静まり返る。
「ならば、兄である俺が引導を渡してやろう」
兄さんの背後に展開される無数の方陣術式。
紫色の光が集まり、魔力エネルギー弾が撃ち出される。
それは雨のように俺へと降り注ぎ、爆発の土煙で視界が塞がれる。
終わったのではないか?
そう思わせる光景を、彼らは見ていた。
が、当然これで終わるなど――
「ありえない」
赤い稲妻が走り、土煙を吹き飛ばす。
「赤い雷……それがお前の術式か?」
「そうですよ! 撃ち合いでも負けません」
「ほう、ならば試してみよう」
兄さんは背後の術式を再展開させる。
しかもさっきより多い。
言葉通りの撃ち合いをするつもりみたいだ。
「望むところだ」
俺は腰をおとし、両手を地面につける。
魔力エネルギー弾の雨に対抗するなら、これが一番だ。
色源雷術藍雷――砲術!
藍色の雷が地面に走り、横一列に大砲を生成する。
生成された大砲は全部で十二。
撃ち出されるのは、同じく藍雷で生成した雷の砲弾。
いくぞ。
一斉発射だ!
「雷雨!」
砲弾が一斉に発射される。
対する兄さんも、術式から紫のエネルギー弾を発射。
互いの弾がぶつかり合い爆発し、中央でせめぎ合う。
「本当に止めるか」
「だから言ったでしょう?」
「ふっ、ではこれはどうかな?」
一瞬で俺の頭上で何かが生まれる。
見上げた空は青くとも、日の光は遮られ、空中には炎の球体が浮かぶ。
炎魔術のメテオ!?
いつの間に術を発動したんだ?
「落ちろ」
「チッ、赤雷!」
俺は右手を上にかざし、赤雷で炎の球体を迎撃する。
雷が走り破壊された球体は、バラバラになって地面に降り注ぐ。
「よく破壊した。だがいいのか? こちらに気を向けなくても」
「しまっ――」
一瞬。
ほんの僅かな隙をついて、兄さんは背後の術式を増やしていた。
予想より多く放たれた分のエネルギー弾が、俺の砲弾をすり抜けて降り注ぐ。
「くっ……」
エネルギー弾は弾けて地面を抉る。
直撃こそしなかったが、一発頬を掠めていった。
ダラーっと流れる血が口に入って、嫌な風味が広がる。
「運が良かったな」
兄さんの言葉に、返す言葉もない。
本当に運が良かった。
あと少しずれていれば、顔面にエネルギー弾が直撃していただろう。
やられはしないにしろ、相当なダメージは負っていたに違いない。
「今度は気を抜くな」
「言われなくても」
そのつもりだ。
今度はこっちから攻める。
「蒼雷!」
蒼い稲妻を纏い、砲撃の雨の中を駆け抜ける。
蒼雷で強化した肉体の速度は、光の速さにも匹敵する。
速さ自慢の暗殺者ですら反応できなかった速度だ。
いくら兄さんでも、完全に虚を突いただろう。
俺はエネルギー弾を躱しつつ、兄さんの懐へもぐりこむ。
捉えた!
「甘いな」
「っ――」
消えた!?
直後、視界の右端に兄さんの姿をとらえる。
すでに蹴りを繰り出す体勢だ。
回避を試みる俺よりも一瞬早く、兄さんの蹴りが届く。
俺は両腕をクロスしてガードしたが、強化された蹴りに吹き飛ばされてしまう。
「これも防御したか」
「……」
見えなかった。
俺のほうが速度は上だったはず。
いや、今のが兄さんの――
「時間魔術」
「その通りだ。十年も会っていなかったのによく覚えているな」
「忘れるわけありませんよ」
兄さんは俺より前に神童と呼ばれていた。
その最大の理由が時間魔術に適性を持っていたこと。
文字通り時間を操る魔術で、極めれば世界の時間を停止させられる。
適応者はほとんとおらず、適応があっても扱えない者のほうが多いと言われる高等魔術。
エメロード家でも数百年生まれてこなかった逸材。
「今のは、自分の時間を加速させたのか」
「正解だ」
確か、時点術式という。
自分自身の時間を加速させることで、高速での行動を可能にする。
感覚的には自分だけが正常で、見ているもの全てがスローに見えるとか。
あるのは知っていたが、まさか蒼雷を上回ってくるとはな。
「藍雷――弓!」
藍色の弓矢を生成。
四連射で兄さんを攻撃する。
藍雷でも速度は十分光の速さに達するのだが、これも兄さんの術式が躱す。
「その程度の攻撃が当たると思っているのか?」
「思ってませんよ」
と言いつつ攻撃を続ける。
変わらず当たらないが、時間魔術を行使している間は、さっきみたいに複数の術式を展開できない。
攻撃し続けていれば、エネルギー弾の雨は止む。
とは言え、このまま撃ち続けても当たらない。
どうにか兄さんの虚をつくしかなさそう。
「なら――」
色源雷術――緑雷!
地面を力強く踏みしめ、緑の稲妻がわずかに走る。
グレンとの戦いでは使えなかったが、この地形と兄さんが相手なら有効だ。
「貫け、砂刃!」
兄さんの足元から黒い刃が突き上げる。
咄嗟に避けた兄さんだったが、僅かに頬を掠めていた。
「くそっ、これも躱すのか」
「緑の雷は、砂鉄を操れるのか」
早々に能力もバレたか。
兄さんが口にした通り、緑雷の能力は砂鉄を操る強力な磁力。
これで隙を突けたが、もう通じないだろうな。
「今度はこちらの番だ」
パチンと指を鳴らす。
次の瞬間、方陣術式が俺の四方を取り囲む。
「何――」
「穿て」
四方から降り注ぐエネルギー弾。
そうか。
エネルギー弾の術式に時間魔術を組み合わせて、発動のタイミングをずらしたのか。
すでに攻撃は放たれており回避は困難。
最大出力――
「赤雷!」
赤い稲妻を四方へ放つ。
エネルギー弾を貫き、到達前に爆発させていく。
ギリギリではあったが、エネルギー弾の相殺には成功したようだ。
「よく耐えたな」
余裕の表情を見せる兄さん。
俺は思わず笑ってしまう。
強いな。
予想以上に?
違う、俺は知っていたはずだ。
兄さんが強いことを……十年以上前から――
十五年前、リンテンス誕生。
の、さらに二年前、最初の神童が生を受けた。
「凄いぞ。この子は時間魔術に適性があるようだ」
「ええ、奇跡だわ。きっと世界に選ばれた人間なのよ」
両親は生まれてきた赤子に、アクトという名前をつけた。
魔術師の名門に生まれた彼は、その名に恥じない才能を持っていた。
数百年間生まれてこなかった時間魔術の適性持ちにして、それを操るセンスを併せ持つ逸材。
神童だと言われるまで、時間はかからなかった。
しかし、彼には欠点があった。
それは魔力量だ。
貴族の多くは、平民の倍以上の潜在魔力を有している。
対して彼の場合は、一般人と同レベルの魔力量しか保有していなかった。
ただ、両親や周囲もそこまで大きく問題にはしていなかったのだ。
魔力量は修練によって増加する。
無論限度はあるが、その欠点を差し引いても、時間魔術の適性だけでおつりがくると。
が、そう簡単な話でもなかった。
二年経っても、彼の魔力量はほとんど増えなかった。
単に彼の魔力上昇が遅いのだ。
これでは時間魔術の奥義に至るまで、十年以上の月日が必要になる。
それ以前に他の強力な魔術すら、扱えても使いこなせない可能性が浮上する。
両親の頭には漠然とした不安が過っていた。
そこへ、新たな命が誕生する。
リンテンスという更なる神童が、この世に生を受けたのだ。
彼らは歓喜した。
十一種と言う規格外の属性適性を持ち、貴族に相応しい潜在魔力を秘めた子供だ。
期待は膨れ上がり、注目されるのも必然。
そして同時に、もう一人の神童への期待は、徐々に薄れていく。
そんなこととは知らず、二人の兄弟は成長していく。
「リンテンス、こっちだ!」
「おにーちゃんまってよー」
アクト五歳、リンテンス三歳。
二人は仲の良い兄弟だった。
リンテンスは優しくて強い兄を慕っていたし、アクトも自分を慕ってくれる弟が大好きだった。
もしも、普通の家に生まれていたのなら、ずっと仲の良い兄弟でいられたかもしれない。
だが、二人が背負ってしまった宿命は、絆を簡単に踏みにじる。
「アクト、今日からお前には別荘で暮らしてもらう」
「え、なぜですか? 父上」
彼らの父であるグイゴ・エメロードは、アクトが七歳にった頃にそう告げた。
「これから数年、リンテンスの教育に専念する。悪いがお前は一人で頑張ってくれ」
それは冷たい言葉だった。
視線も……親が子に向けるような目ではない。
幼いながらアクトは悟った。
父や母の期待は、すでに弟のリンテンスに全て移ってしまったのだと。
自分はもう、用済みなのだということを。
そうしてアクトは、一人で遠く離れた別荘へと居を移した。
「父上!」
「ん? 何だ?」
「兄さんはどこにいるのでしょうか?」
「ああ、今は修行のために外へ出ているんだ」
「修行ですか!」
「そうだとも!」
父の言葉が嘘だとリンテンスが気付いたのは、彼自身が別荘に追いやられて後のことだった。
それまでずっと、彼はこう思っていた。
今もどこかで、兄は魔術を極める修行をしているのだと。
日頃から努力する姿を見ていたリンテンスは、今までとは異なる意味で兄を尊敬していた。
そして、自分も置いて行かれないように頑張らねばと張り切った。
月日は流れ、運命の日に至る。
激しい雷雨の中、一筋の雷が神童を貫いた。
この日、全てはひっくり返る。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「父上?」
「久しぶりだな、アクト」
何の前触れもなく、アクトの元へ父が訪れた。
別荘へ追いやって五年間、一度も顔を見せることがなかった父が、今さら何の用だと彼は思っただろう。
「今まですまなかったな。屋敷に戻ってきなさい」
「え……ど、どうしてでしょう?」
「お前の力が必要なのだ。私たちの……いや、エメロード家のために」
アクトは後に、リンテンスの身に起こった悲劇を知る。
まさに手のひら返し。
一度は見捨てた子を、父は拾い上げようとしていた。
嘘のように優しく微笑みかけ、温かい言葉を贈られる。
「さぁ、戻ろう」
アクトはその手をとった。
嬉しかったから――ではない。
気持ち悪い。
彼が最初に感じたのは、喜びとは程遠い感情だった。
それは恐怖に近い。
今日までの日々が真実で、目の前にあるものが嘘だと思える。
彼の頭はグチャグチャになっていた。
冷静に、落ち着いて考えて、一つだけ理解する。
貴族の世界は……歪んでいる。
彼は今まで以上に努力を重ねた。
また、同じように見捨てられるかもしれないという恐怖にかられ、来る日も来る日も修行に明け暮れた。
いなくなった弟のことすら考えられなくなるほど自分を追い込み、そうして彼は、再び名門貴族の名に恥じない魔術師へと成長した。
今では誰もが彼を誉め称える。
さすがはエメロード家の長男だ!
聖域者にもっとも近いのは君だぞ。
お前は私たちの誇りだ、アクト。
だが、多くの人々が知らない。
彼の心の奥底には、耐えがたい苦痛が刻まれていること。
それに耐えて、耐えて、耐え続けて、今の彼がいるということを。
彼がもつ心の強さを知っているのは、同じ苦しみを味わった者だけ。
そう、リンテンスだけだ。
激闘が続く。
色とりどりの雷が走り、光となって戦場をかける。
片や時を操り、変幻自在の魔術で攻め立てる。
くそっ、やっぱり攻撃が当たらない。
不意打ちも通じないし、赤雷と緑雷もパターンを見切られてきている。
魔術の手数ではあちらが上。
普段なら接近戦に持ち込みたいところだが、不用意に近づけば時の加速で追い打ちをかけられる。
思うように攻めきれない。
だけど、それは向こうも同じはずだ。
「よく避ける」
兄さんは呆れたようにぼそりと呟く。
絶え間なく降り注ぐ雷の嵐を躱しながらでは、初手のように大きく攻められない。
つかず離れず、長期戦に持ち込めば、勝算は俺にあるだろう。
兄さんは潜在魔力が少ないから、持久戦には弱い。
長年の修行で魔力量も上がっているようだが、確実に俺のほうが多い。
このまま戦えば勝つのは俺だ。
しかし、兄さんが黙っているわけもない。
「ここまで追いすがるとは……良いだろう」
兄さんは立ち止まり、結界障壁を展開する。
この場面で守りに入る?
いや、違う!
「リンテンス、お前の強さに敬意を表し、俺も見せるとしよう」
見慣れぬ術式が展開される。
だが、俺にはそれが何の術式であるかすぐにわかった。
あれが来る。
かつての兄さんが至れなかった時間魔術の極致。
最強にして全能の奥義が――
「時間魔術奥義――時計の針は動かない」
【時計の針は動かない】。
時間魔術の奥義であり、世界そのものに干渉出来る魔術。
その効果は、自分以外の時間を完全停止させる。
人も、自然も、何もかもが静止した世界。
ただ一人動くことを許されたのは、術者のみである。
「使うつもりはなかったのだがな」
アクトにとって、クロノスタシスは最終手段と言える。
彼は十数年にわたる修行の末、幼少期の三倍近い魔力を得ている。
だが、元々が少なかった分、それでも足りない。
奥義に至った今ですら、一日一度きりが限度だった。
「俺が止めていられる時間は、最大で十秒だけだ。ここまで伸ばすのに、十年以上かかったぞ」
アクトは動かない相手へと近づく。
十秒という限られた時間とは言え、この間の絶対的支配者は彼だ。
何者も、時の止まった世界では、彼に抗うことは出来ない。
認識すら出来ぬまま、彼はその身体に触れる。
「悪いな、リンテンス」
そして、時は動き出す――
「っ――!?」
兄さんが触れた身体から、蒼い稲妻が走る。
電撃は触れた手から伝わり、兄さんへダメージを与えた。
「くっ……」
兄さんは咄嗟に後方へ跳び避ける。
顔を上げ、見据える先の俺は、息を切らしながら笑っていた。
「はぁ……ギリギリだったな」
「何をした?」
「カウンターだよ。兄さんが触れたのは俺の身体じゃない。その表面を覆っていた蒼雷だ」
兄さんが奥義を使うと悟った瞬間、俺は全神経を蒼雷に注いだ。
時を止められては何も出来ない。
ただし、時が止まった世界では、兄さんも止まっている相手を攻撃することは出来ない。
それを知っていたから、攻撃の際は術式を解くとわかっていた。
だから図った。
兄さんが俺の身体に触れ、回避不可能な距離で攻撃を仕掛けてくると。
「蒼雷は強化術式だけど、これも立派な雷だ。触れられた瞬間、最大出力で全方位に放出すれば、確実に当たるしダメージも入るだろ?」
これこそ色源雷術蒼雷――反。
兄さんのクロノスタシスに対抗するために考案した技だ。
そして……
「時を止める術式は膨大な魔力を消費する。もう兄さんは、時を止めることは出来ないよね?」
「っ……それがどうした? 完全に魔力が尽きたわけではない。もう戦えないと思っているなら、お前の目は節穴だ」
「戦えないなんて思ってないよ。でも、今の兄さんに、この技は防げない」
空を見上げれば曇天。
開始時点では晴れていた空に、ゴロゴロと雷雲が満ちている。
「これは……天雷か? いくら雷魔術の奥義とはいえ、俺に躱せないとでも思ったか?」
「ああ、確かに普通の天雷なら、躱せるかもしれないね」
「何?」
今から発動するのは、通常の天雷ではない。
色源雷術と天雷の応用だ。
通常、術式を発動させる際には様々な工程がある。
例えば赤雷の場合、雷を発生させる第一段階から、そこに術式効果の付与、発動までの最低三工程が必要だ。
仮にこれを二工程に縮めることが出来れば、残された工程に集中することができ、術式の精度は向上するだろう。
天雷は、自然の雷雲を利用し、雷を落とす。
雷を生成するという工程がない時点で、まず一工程は省かれる。
さらにこの技は、色源雷術の雷を受けている対象に引き寄せられる。
故に狙うという必要がなく、発動後はただ落とせばいい。
どれだけ速くとも、確実に当たる。
残る工程は一つ、術式効果の付与に全神経を注ぎ込み、この技は完成する。
「いくぞ兄さん、色源雷術――奥義!」
「くっ!」
兄さんは咄嗟に結界障壁を展開した。
躱せないと本能が悟ったのか、防御に集中するつもりだ。
それも一や二重ではない。
十の結界障壁を折り重ね、強度を増している。
天雷とはいえ、あの障壁を貫くことは難しい。
が、この技は魔術によって防御は出来ない。
天然の雷に付与された術式……その効果は魔力のみを霧散させること。
人や物は破壊できない。
代わりに魔力だけを貫き穿つ。
その雷の名は――
「白雷」
純白の雷が多重結界を貫き、兄さんへ降り注ぐ。
色源雷術奥義――白雷。
その効果は、魔力のみを貫き霧散させる。
白雷を受けた魔術師は、内に宿る魔力を全て貫かれ消費してしまう。
故に、完全な魔力欠乏を起こし、行動不能となる。
「ぐっ……」
兄さんは片膝をつき、同じ側の手を地面につける。
白雷によって魔力が消失し、もはや立っていることすら出来ない。
いや、意識を保っているだけでも凄い。
肉体へのダメージはなくとも、雷を受けた衝撃はあるから、気絶してしまうかと思ったが……
「はぁ、はぁ……さすが兄さん」
こっちもすでに限界が近い。
魔術師にとっての天敵といえる白雷は、保有魔力の半分を消費する。
満タンな状態であっても、一日二発が限度の大技だ。
仮に二発使えば、こちらも魔力切れを起こし、魔術師としての戦闘は困難となる。
激戦の後の一発で、残された魔力は一割以下と言ったところか。
だが、これで――
「俺の勝ちだよ、兄さん」
俺は動けない兄さんに近づき、勝利を宣言した。
魔力がある者とない者、その差が埋まらないことは誰もが知っている。
会場の全員が、勝敗は決したと思っているだろう。
「まだ……俺は動けるぞ」
「兄さん……」
「勝敗は決していない。戦う意思を残している時点で……終わらせたいなら、あと一撃だ」
「何を言ってるんだ。もう、兄さんは戦えないだろ」
魔力も尽き、体力も限界だ。
そんな自分に止めを刺せと、兄さんは言っている。
もしかすると、会場の観客たちも、早く終わらせろと思っているかもしれないな。
兄さんは弱々しい声で続ける。
「戦いに甘さは命取りだ。聖域者になりたいのなら、その甘さは捨てておけ。敗者に情けは不要だ」
「……違う。違うよ兄さん」
「リンテンス?」
無意識だった。
感情の高ぶりで、勝手にあふれ出たんだ。
ポタポタと瞳から、頬をつたって落ちる。
戦いの最中、涙を流すことがどれほど情けないのか、わかっていたつもりだった。
でも、止まらなかったんだ。
兄さんと戦えて、奥にある心に触れた気がする。
冷たくて、寂しくて、消えてしまいそうな弱々しい光。
師匠と出会う前の俺と同じみたいに。
「無理だよ。兄さんを傷つけるなんて、俺には出来ない」
「お前……」
それが、俺の本心だった。
両親のことは許せない。
貴族の家も、背負った宿命も呪ったことすらある。
だけど、兄さんのことを嫌いだと思ったことは、今まで一度もないんだ。
ずっと見てきたから。
期待に応えようと必死に努力して、辛くても俺の前では優しく笑ってくれる。
そんな兄さんこそ、俺の憧れで目標だったんだよ。
「ふっ、相変わらず……」
兄さんは小さくため息をこぼし、笑いながら俺に言う。
「優しいな、お前は」
その笑顔は、幼き日に見せてくれたものと同じ。
優しくて、温かい笑顔だった。
直後、兄さんは限界を迎え、意識が沈み倒れ込む。
地に身体がぶつかるより早く、俺は兄さんの身体を受け止めていた。
親善試合勝者――新入生代表リンテンス・エメロード!
勝利のアナウンスが響き、会場中が歓声で沸き上がる。
そんな中、俺は兄さんを背負ってフィールドを出る。
救護班がスタンバイしていて、こちらへ駆け寄ってきたのが見えた。
俺はそれを無視して、兄さんを運ぶ。
歓声は聞こえない。
賞賛だろうと罵声だろうと、今はどうでもいい。
この人は……俺が背負うべきだ。
今はただ、それしか考えられなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
試合が終わり、控室に戻った。
兄さんは魔力を消費した疲労で眠ったまま、医療室で横になっている。
しばらくすれば目覚めるだろう。
「リンテンス君!」
「シトネ」
唐突に扉が勢いよく開いて、シトネが飛び入ってきた。
そのまま胸に飛び込んできて、キラキラと目を輝かせながら言う。
「凄かった! 凄くてすごかったよ!」
「ははっ、何だそれ」
興奮し過ぎて語彙が乏しくなっているな。
これはこれで可愛らしいし、何より感動しているのが伝わって、心の底から嬉しかった。
後からグレンとセリカも顔を出す。
「お疲れさまでした」
「見事な試合だったな、二人とも」
「ああ」
俺だけじゃない。
兄さんも賞賛される戦いをしたと、一体どれだけの人に伝わっただろうか。
一番伝わってほしい人たちは、どう思っているのだろうか?
その答えは、すぐに向こうからやってきた。
「失礼するよ」
「父上……」
控室にやってきたのは父上と母上だった。
二人とも、あからさまにニコニコしていて気持ち悪い。
この時点で俺は、全てを察した。
「素晴らしい戦いだったな! リンテンス」
「ええ、まさか貴方がここまで強くなっているなんて、本当に驚いたわ」
二人は悠々と語り出す。
俺もみんなも、その言葉に耳を傾ける。
「よくここまで頑張ったな。お前ならもしかすると、本当に聖域者になれるかもしれない」
「ええ、今まで一人にしてごめんなさい」
よく頑張った……だって?
まるで見てきたような言い方じゃないか。
一人にしてごめんなさい?
本当にそう思っているなら、なぜ突き放すようなことをしたんだよ。
「本当に今日まで頑張ったね。これからまた一緒に暮らそうじゃないか。どうかな? 友人たちも一緒に食事でも」
「そうね。せっかくだし――」
「ふざけるなよ」
言葉は感情の高ぶりで勝手に出ていた。
場がシーンと静まり返り、二人とも困ったような顔をする。
対して俺は、怒りを隠しきれないでいた。
「あんたらの言葉はうわっつらだけだ。俺のことを見てるんじゃなくて、家柄とか地位のことしか考えてない。今も昔も、何一つ変わってない」
「リ、リンテンス?」
「兄さんのところには行ったのか?」
「あ、いや……」
「どうして行かない? 兄さんの所へ先に顔を出すのが普通じゃないのか? 兄さんが一体、誰の期待に応えるため戦ったと思ってるんだ?」
ああ、駄目だ。
これ以上は言ってはいけないと、理性がささやいている。
ただ、残念ながらそんな囁きは聞けない。
「戻って来い? そう言って、今度はまた兄さんをのけ者にするのか?」
「……」
「図星か」
虫唾が走るよ。
「ハッキリ言おう! 俺も兄さんも、あんたらが見栄を張るための道具じゃない! そっちの都合を、俺たちに押し付けるな!」
「なっ……リンテンス、親に向ってなんてことを」
「親だというのなら、なぜ一緒に暮らさなかったのですか?」
そう言ってくれたのはグレンだった。
他の二人も、厳しい表情で俺の両親を見ている。
何か言いたげだが、相手がグレンだからか、言い淀んでいる。
「……くっ、行こうか」
父上は唇を噛みしめ、悔しそうに背を向ける。
別れの挨拶はしない。
もう二度と、直接会うことはないだろう。
「ふぅ」
言いたいことを全部言えて、スッキリした気分だ。
本当の意味で、ようやく俺は解放されたのかもしれない。
「ありがとう、みんな」
こうして、激闘は終結した。
この十日後。
東西の大陸の果てにて未知の敵が出現。
現聖域者二名が対処にあたった。
うち一人は重傷を負い、もう一人の聖域者は……死亡した。
とある日の昼下がり。
俺は師匠と一緒に、山奥へピクニックへ来ていた。
わけではなく、迷惑のかからない場所で修行をしていた。
初めは軽く済ませようという話だったが、当然そんな簡単に終わることはなく、みっちり扱かれてヘトヘトになりながら、地面に寝そべっている。
「だらしないね~ まだ準備運動のつもりだったんだけどな~」
「嘘つかないでくださいよ。明らかに全力ダッシュしてたじゃないですか」
「いやいや、僕の全力はもっとすごいからね」
「そういう意味じゃなくて……もう良いです」
師匠の基準は常人とずれている。
普通なら根を上げるギリギリをゴールに設定するところを、師匠の場合はそこが準備段階だからな。
慣れてきたとはいえ、キツイことには変わりない。
さらには苦しんでいる俺をみて、楽しそうに笑ってくれるから。
質が悪いよ。
「師匠の前世って悪魔なんじゃないですか?」
と、冗談のつもりで口にした。
いつもみたいにおちゃらけたような返答が来ると思ったら、師匠はしばらく黙って考えている様子。
そして、俺の横に腰をおろし、改まって質問してくる。
「リンテンスは、悪魔を知っているかい?」
「え、まぁ本で読んだことがあるくらいですね」
かつて多くの種族が存在し、互いの領地をかけて争いが起こっていた時代があったという。
今から何千年も昔の話で、現代では予測を混ぜ合わせた歴史として伝わっている。
その時代に生きていた種族の中で、最も邪悪で、最も魔力に愛されていた種族の名を悪魔という……らしい。
本にそう書いてあったことを思いだす。
「見た目は人に近い。でも思考や力はまったくの別物……いいや、別次元と言っていい。上位の悪魔は、聖域者を上回る力をもっていたそうだ」
「って書いてましたね。でもあれって空想じゃないんですか?」
悪魔に関する書物はいくつかある。
ただ、どれも理屈だった説明がなく、根拠が示されていない。
勉強の一環として記憶しているが、誰かの作り話じゃないかと思っているくらいだ。
でも、師匠は首を横に振って言う。
「空想じゃない。あれは事実だよ」
「え、そうなんですか?」
「ああ」
「師匠は……悪魔に会ったことがあるってことですか?」
「半分正解かな」
「半分?」
どう意味なのか尋ねても、師匠はニッコリと微笑んで躱す。
そのまま空を見上げて、思い出にふけるようにため息をつき、俺に向けて呟く。
「君もいずれわかるさ。その時までにせめて、悪魔と戦えるくらいにはなっててほしいね」
「師匠?」
「と、いうわけで! 休憩は終わりだよ」
その後、前半が準備運動だったと思えるくらい扱かれて、帰り道は半分寝たまま帰った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
懐かしい夢を見た。
扱かれて、疲れたまま帰って、夢の中にベッドに倒れ込んだ。
次に目が覚めると、現実のベッドで横になっていたことに気付く。
外は真っ暗で日の出には早い。
いや、そもそも時計を見ると、針は午後七時半を指示している。
「ああ……そうか」
おぼろげな記憶を辿り、徐々に思い出す。
兄さんとの戦いが終わった後、長い長い学校長の話があって、眠そうに聞いていたら後で説教されて、その後も観戦していた貴族たちに声をかけられて……
戦った後で疲れているのに、勘弁してほしかったな。
それで全部が終わってから、トボトボと屋敷に戻って、仮眠をとるつもりで横になったんだ。
「しまったな。六時には起きるつもりだったのに」
夕食の準備が終わっていないことを思い出し、ベッドから起き上がる。
寝たとはいっても短時間だ。
そんなに疲れがとれたわけじゃない。
白雷を使った影響で、未だに魔力が半分以下なのも不安だな。
ガチャ、と部屋の扉を開ける。
「ん?」
ほのかに良い匂いが感じられる。
その匂いにつられれて一階の台所まで行くと……
「シトネ?」
「あ、リンテンス君! 起きたんだね!」
エプロン姿のシトネが台所に立ち、料理をしていた。
ぐつぐつと煮込んだ鍋と、すでに何品かはテーブルに並んでいる。
「これ、シトネが作ってくれたのか?」
「そうだよ! リンテンス君疲れてるだろうなーって思ったから、偶には私が料理も頑張っちゃおうと思ったの」
「そうか。ありがとう、シトネ」
「いいのいいの! いつもリンテンス君には助けられてるからね。もうすぐ出来るから、座って待ってて」
「ああ、そうするよ」
いつもの席に座って、彼女が料理を運んでくるのを待つ。
全部の料理がずらっと並んで、シトネも自分の席に着いたら、手を合わせて言う。
「「いただきます」」
どれも美味しそうだ。
まずは手前にあるスープを一口。
「どうかな?」
「うん、美味しいよ」
「本当? よかった~ リンテンス君ほど上手じゃないから、あんまり自信なかったんだよ」
「いやいや、これだけ一人で作れたら十分だよ」
「そうかな? じゃあ今度から代わりばんこに料理しようよ! そうすればリンテンス君の負担も減るでしょ?」
「ああ。そうしてくれるとありがたい」
二人で話しながら、食卓を囲む。
ここに師匠がいないことが、少し寂しいな。
今頃ちゃんと仕事しているのだろうか。
それにしても、誰かの手料理を食べるなんて、本当に久しぶりだ。
「温かいな」
「作りたてだからね!」
「はっはは、そうだな」
そういう意味じゃないけど、とかツッコミをいれるのは無粋だな。
親善試合の翌日も、通常通り授業が行われる。
一夜明けて魔力も回復した俺は、シトネと一緒に登校していた。
「次の日くらい休みにしてくれればいいのにな」
「あはははっ、そう思ってるのリンテンス君だけだと思うよ?」
「えっ」
「だって頑張ったのも疲れたのも、リンテンス君だけだもん」
「ああ……そういえばそうか」
いや、兄さんも当てはまると思うけど。
そういえばあれから、兄さんはどうなったのかな?
父上は相変わらずだったし、屋敷で責められたりしたのだろうか。
だとしたら申し訳ないし、父上には腹が立つ。
「また……ちゃんと話したいな」
「誰とだ?」
後ろからポンと肩を叩かれ、振り向く。
「グレン」
「おはよう二人とも」
「おはよう! セリカちゃんも一緒だね」
「はい。おはようございます」
グレンとセリカが合流して、一緒に学校へ向かうことに。
道中、普段より視線を感じて、周囲が気になる。
前のように嫌な視線ではないようだが……
「注目されているな」
「みたいだね。でも前からだし」
「いいや、今は良い意味で注目されているだろ?」
「良い意味って?」
俺が聞き返すと、グレンは呆れ顔をする。
気付いていないのかと言わんばかりにため息をついて、やれやれとジェスチャーした。
「何だよ」
「君はあれだけの戦いを見せたんだ。もう君のことを、落ちこぼれだと思う者は誰もいない。こうして注目を浴びているのも、君の強さを知ったからさ」
「俺の……強さ」
なるほど、そういう良い意味か。
ハッキリ言うと、本当に察していなかったよ。
というより、どうでも良いと思っていた。
変な話だな。
最初は周りを見返したくて努力していたのに、いざ認められたと思うと、何だか素直に喜べない。
「あまり嬉しそうじゃない顔だね」
「ははっ、そうみたいだ」
自分自身に呆れて笑う俺を、キョトンとした顔で見ている。
グレンを見て、彼との戦いを思い出しながら、シトネとの出会いも振り返る。
それよりもっと前の、師匠と過ごした厳しい日々。
全部を通して、今の俺がいる。
そうか……
「昔の俺だったら、素直に喜んだと思うよ。周りを見返したくて、修行も頑張ったからな~ でも今は、他にも理由があるから」
師匠の期待に応えたい。
師匠と同じ場所にたどり着いて、一緒に肩を並べて戦いたい。
俺を鍛えてくれた恩を返したい。
俺の中にある強さの理由は、あの時よりも増えている。
「俺はまだ何も成し遂げてない。全部これからだ」
「なるほど。さすが、先を見据えている」
「すぐ近くに目標がずっといたからね。まだまだ足りないってことも実感しているよ」
修行して、鍛えられて、強くなっても届かない。
師匠は俺なんかより遥か高みにいる。
いつかそこへ行くために、今で満足していられない。
そう思えるのも、心が成長してくれたお陰なのだろうか。
「それに、途中から態度を変えられたって、やっぱりスッキリしないな。これから何人理解者が増えようと、お前たちみたいに、最初から普通に接してくれた人のほうが大事だよ」
「リンテンス……」
「なんてなっ」
言った後で恥ずかしくなって、誤魔化す様にわらってみた。
我ながらキザなセリフを口にしたものだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「えぇ~ 明日から学外研修後半が始まる。前回同様、おのおのしっかり準備するように」
先生が教壇の上で話した内容が耳に入ってきて、俺は思わずぼそりと呟く。
「え? 後半?」
「……リンテンス」
すると、隣でグレンがとても怖い顔をしていた。
言わなくてもわかる。
また聞いていなかったのか、と言いたいのだろう。
「違う違う! 今回は聞いてなかったとかじゃない!」
慌てて否定して続ける。
「た、確か後半ってもっと後じゃなかったっけ?」
「今年は天候が調子良く保っているらしいんだ。前回が終わってから一時的に荒れたそうだが、すぐに回復したそうだよ」
「えぇ~ 荒れたら長いって話だったのに」
「そう。だから予想外に早く回復したから、後半も早めたのだろうね」
「そういうことか」
前回も思ったけど、学校生活って意外と大変なんだな。
もう少し落ち着いた感じを想像していた俺としては、異様な慌ただしさに驚いていた。
「あっ、そういえば……」
ふと思い出した。
研修の前半、渓谷で見つけたドラゴンの痕跡のことを。
あれから騒ぎにもなっていないし、ドラゴンはいなかったということなのだろうか。
「どうしたんだ?」
「……いや、何でもない」
もしもいるなら、練習相手になってほしいと思った。
学外研修後半初日。
準備運動でぐるっと森を一周させられた後、俺たちは建物の中に集められていた。
全員が注目しているのは一点。
説明している先生、ではなく、その横に侍るモンスターだ。
「これは魔道具によって生成された疑似モンスターだ。能力は元となったモンスターを模しているが、攻撃力はほとんどない。あくまで訓練用に開発されたものだ」
「へぇ~ 便利な魔道具もあるんだな」
「ああ、僕も初めて見るよ」
話に聞く限り、最近になって新しく開発されたものらしい。
最先端の魔道技術を用いられるのも、魔術学校の生徒に与えられた特権だ。
先生が続けて内容を説明する。
「今からチームに分かれ、森に入ってもらう! 森には百の疑似モンスターが放たれているから、それを全て討伐してほしい」
一年生では全部で四十二チームある。
今回はチームごと、さらに六つのグループに分かれて行う。
モンスターにはそれぞれポイントが割り振られており、模したモンスターの強さでポイントも異なる。
百体全てが討伐されるまで続け、最終的にチームごとに撃破数、ポイント数を競いあう。
大体のルールはこんな感じか。
ちなみに、各人には専用の腕輪が配布される。
ポイントの換算の役割とは別に、モンスターから一定以上攻撃を受けると光り、リタイアとなる仕組みだ。
「最初の七チームは前へ!」
「俺たちだな」
「ああ。今回は競争……というわけにはいかないな。残念だが」
ガッカリそうにするグレン。
相変わらず負けず嫌いな奴だと笑ってしまう。
「待機者はここで戦闘の様子が中継される! 見ることも大切な訓練の一つだ。自分たちの番に活かせるよう、しっかり観察するように」
待機室には巨大な四角い版がある。
森には使い魔が飛んでいて、視界をここに映し出せる。
それを聞くと、シトネが不服そうな顔を見せてぼそりと呟く。
「み、見られるのかぁ」
「今さらだろ? 特に俺たちにとってはさ」
「あー確かにそうかも。じゃあいっぱい倒して目立っちゃおうよ」
「ははっ、そうだな」
俺もシトネも、悪い意味で注目を浴びてきた。
この間の親善試合で、俺に対する周囲の視線は緩和されたが、シトネに対してはまだまだ微妙だ。
特にシトネにとっては良い機会だろう。
俺だけじゃなくて、彼女も魔術師として優秀などだと、周囲に教えるために。
今回の訓練ではもちろん魔術が使える。
ただし、他チームを傷つけたり、妨害してはならない。
それさえ守れば、あとは好きなように戦って良い。
「リンテンス、目標はどうする?」
「う~ん、とりあえず半分は狩りたいかな」
「半分か。ならば休んでいる暇はなさそうだな」
そうして訓練が開始される。
バラバラのスタート地点から森へ入り、出会ったモンスターを狩る。
モンスターは種類豊富だ。
ゴブリン、ウルフ、ワーウルフ、ジャイアントマンティス、グレートスネーク。
森に生息しているモンスターを模していて、基本的に大きい個体のほうが強いから、ポイントもそれに合わせて決められている。
「皆様、前方よりウルフとゴブリンの群れが接近しております」
「後ろからマンティスが来てるよ!」
セリカとシトネが接敵を知らせてくれた。
前後を挟まれた形になっている。
「僕とセリカで前を」
「じゃあ後ろは俺とシトネで任せてくれ」
「ああ、任せた」
簡単に割り振りをして、各々の敵に目を向ける。
ジャイアントマンティスは、その名の通り巨大なカマキリだ。
見た目も能力も、カマキリを大きくしただけだが、強靭な鎌は岩をも斬り裂く。
とても強力なモンスターだ。
「藍雷――二刀」
「二匹きてる。私が左と戦うね」
「了解、右は俺だな」
俺は藍雷で剣を作り、シトネは腰の剣を抜く。
「いくぞ!」
「うん!」
俺とシトネは同時に突っ込む。
接近により振り下ろされる鎌を回避し、懐にもぐりこんで鎌の付け根を狙い斬りする。
鎌は強力だが、これを無力化できれば勝ったも同然。
あとは逃げられる前に、腹と頭を斬り裂き倒す。
対してシトネは剣を使っていた。
入学試験では使わなかった変わった形の剣。
名前は刀というらしい。
シトネは刀でマンティスの鎌を受け、流れるように付け根へ刃を届かせる。
うっすらとだが、刀の刃が光を纏っていた。
光属性の魔術によって切れ味を高めている。
さらに――
「旋光!」
斬撃が光をそのまま纏い、マンティスの胴体を斬り裂いた。
あれこそシトネが独自に編み出した術式。
光を斬撃として飛ばしたり、鞭のようにしならせて攻撃したりできる。
彼女自身の剣技と合わせれば、どんな敵にも対応可能という汎用性の高い術式だ。
「倒したよ!」
「こっちも終わった。さすがだな、シトネ」
「えっへへ~」
俺が褒めると、シトネは嬉しそうに尻尾を振る。
パチンとハイタッチした様子も、クラスメイトは見ているのだろうか。