【9/10コミカライズ】ナナイロ雷術師の英雄譚―すべてを失った俺、雷魔術を極めて最強へと至るー

 授業が始まる前、担任の先生が教壇に立った。

「来週の今日、親善試合が行われる。立候補者はいるか?」
「親善試合?」
「おい、まさかこれも聞いていなかったのかい?」
「え……ああ、うん」

 返す言葉もない。
 グレンは呆れながら、俺に説明してくれる。

「毎年入学してすぐ、一年生と三年生の代表が交流をかねて模擬戦をするんだよ」
「へぇ~」

 意味合い的には、交流というより世の中の厳しさを教える……みたいな感じらしい。
 自信満々の新入生が行き過ぎないよう、在校生が力を見せつける。
 
「外部の観客も入れるから、僕たちにとっては最初のアピールの場にもなるけどね」
「なるほど」
「ちなみに、三年の代表は大抵首席だ」

 主席と言う単語を聞いて、思わずびくっと反応した。
 
 兄さんが出てくるのか。
 
「立候補者はいないか? いないのであれば、首席のグレンにお願いするつもりだが」
「先生!」

 と手をあげたのはグレンだった。

「何だ? グレン」
「立候補ではなく、推薦してもよろしいでしょうか?」
「ん? まぁ、いいぞ」
「ありがとうございます。僕は彼を、リンテンスを代表に推薦します」

 グレンは俺を指示し、堂々と名前を強調してそう言った。
 ざわつく教室と、驚くシトネ。
 当のグレンはニヤっと笑い、俺は眉を顰める。

「グレン?」
「このクラスで一番強いのは君だ。代表と言うなら君こそふさわしい」
「いや、首席はお前だろ?」
「ああ、だが僕は君に負けたばかりだ。自分の実力不足を痛感させられている。それに……」

 グレンは表情を変える。
 ニヤついていた顔が一変して、真剣な眼差しを向ける。

「相手は君の兄だろう。ならば実力の話を抜いても、君が一番戦いたいと思っているんじゃないかい?」
「……」

 正直、図星だった。
 兄さんが相手と聞いて、戦うなら自分が良いと思ったよ。
 ただ、周囲の目もあるだろうから、今回は控えようかと思っていたのに。

「もちろん嫌と言うなら僕が出るよ。もしかすると、勝ってしまうかもしれないけどいいかな?」
「ふっ、わかりやすい煽りだな。わかったのってやる」
「決まりだね」

 俺は右手を挙げて先生に言う。

「先生、俺が出ます」
「うむ。皆もそれで構わないか?」

 反対なし。
 入学直後の俺だったら、きっと全員が反対していただろう。
 ここまで全てグレンの思惑通りだとしたら……相当な策士だ。
 
「ありがとな、グレン」
「僕は何もしていないさ。頑張ってよ、リンテンス」
「ああ」

 やるからには勝つ。
 兄さんが出るなら、両親も観戦に来るかもしれない。
 丁度良い機会だ。
 あの人たちに見せつけてやるとしよう。
 落ちこぼれと吐き捨てた男が、頂に届きうる存在になったことを。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「なるほどなるほど、親善試合で兄と戦うことになったか」
「はい。それで相談なんですが、師匠に模擬戦の相手をして頂きたくて」

 親善試合の話を聞いた日の夜。
 夕食を囲みながら、俺は師匠にお願いをした。

「ほう、そこまで必要かい?」
「必要だと思います」
「今の君なら負けることはないと思うけどな~」
「だとしても、完璧な状態に仕上げておきたいんです。今回は……相手が相手ですから」

 俺がそう言うと、師匠は小さく頷く。
 表情と言葉から、俺の気持ちを察してくれたようだ。

「わかった。が、残念ながら出来ないね」
「なぜです?」
「実は王国から僕に依頼があったんだよ。明日には王都を出ないといけないんだ」
「急ですね。内容は?」

 師匠は首を横に振る。
 どうやら極秘の任務のようだ。

「そうですか……」
「すまない。弟子の頼みを無下にはしたくなかったのだが、これもお仕事だからね」
「いえ、師匠は本来こんなところで遊んでいて良い人ではありませんから」
「はっはっはっ、別に遊んではいないのだが……」

 さて、となると誰に相手を頼むか。

「リンテンス、ここは友人に頼ったらどうだい?」
「グレンたちですか?」
「うん、彼らの実力であれば、君の相手も務まるだろう」
「そうですね。頼んでみます」

 師匠以外で誰に、と考えた時。
 まっさきに浮かんだのはグレンだった。
 
 翌日、俺はグレンにそのことを頼むと、二つ返事でオーケーを貰った。

「君との訓練なら望むところさ」
「ありがたい。じゃあ頼む」

 親善試合まで約一週間。
 出来る限り追い込んで、戦闘の感覚を研ぎ澄ます。
 今の俺にも、期待してくれる人がいる。
 期待してない奴らも、大勢見に来るだろう。
 そいつら全員を沸かせられるような戦いを見せてやる。

 そして何より、兄さんに認めてもらうため。

 一週間はあっという間に過ぎて――
 親善試合の会場は、入学試験でも使われた闘技場だ。
 あの時は単なる集合場所として利用されたが、今回は本来の用途で使われる。
 更地だった地面には障害物となる岩や木が植えられ、土を増やし高低差も作られている。
 戦うためのフィールドは前日から準備されていたようだ。
 そして、観客席にはズラッと多くの生徒たちが座っている。
 一から三年の生徒はもちろん、卒業生や魔術師団の人たち、保護者から王国の重鎮まで勢ぞろいだ。
 たかが親善試合で何という賑わい……と思うが、あながち馬鹿に出来ない。
 サルマーニュ魔術学校の卒業生は、この国の未来を担う存在となり得る。
 特に三年の主席ともなれば、聖域者に最も近い存在だ。
 期待から値踏みするような目で見られても不思議ではないだろう。

「準備は万端だね?」
「ああ、お陰様で助かったよ。グレン」
「どういたしまして。僕も良い修行になった」

 代表者の控室に、俺を含めて四人の姿がある。
 修行に付き合ってくれたシトネ、グレン、セリカ。
 特にグレンのお陰で、コンディションは十全に仕上がったと言っても過言ではない。
 俺は力を入れた拳を見つめる。
 すると、シトネがその手を握って言う。

「頑張ってね!」
「ああ」

 試合前に勇気を注入された気分だな。
 これでより一層、調子は良くなったに違いない。

「じゃあ僕たちも観客席に向うよ」
「武運を祈ります」
「ああ、見ていてくれ」

 三人が部屋を出て行き、俺は一人残される。
 試合開始まであと十五分。
 静かな部屋で一人になると、余計に色々と考えが浮かぶ。

「兄さん……」

 緊張ではない。
 武者震いとも違う。
 何とも形容しがたい震えが、僅かに俺を動かしている。
 
 ここで待っていても落ち着かない。
 そう思った俺は、少し早いが控室を出ることにした。
 フィールドに入るトンネルで、戦いのゴングが鳴るのを待つ。
 そのつもりだったのだが……

「兄さん!」
「リンテンスか」

 偶然にも、道中で兄さんと出くわしてしまった。
 互いに向かい合い、無言のまましばらく経つ。
 これから戦う相手と戦う前に会ってしまうなんて、何とも間が悪い。
 俺も兄さんも、その場を立ち去ろうとする。

「ここにいたのか? アクト」

 が、またしても偶然が重なる。
 その声に反応したのは、兄さんだけではなかった。
 俺も……声の主をよく知っている。
 なぜならその人は――

「来てくださったのですね、父上」
「もちろんだとも、お前の活躍を見れる機会だからな」

 兄の父であり、俺の父でもある。
 直接顔を見るのは、家を追い出された日以来だ。

「お久しぶりです。父上」
「ん? ああ、何だいたのかリンテンス」

 気付いていた癖に、わざとらしく父上は言う。
 ならばこちらも、知っているであろうことをあえて口にしよう。

「はい。親善試合の代表ですから」
「ほう、そうだったな。何かの手違いかと思ったが……そうか。お前のような落ちこぼれを選出するなど……今年の一年生は期待できそうにないな」

 やれやれ、と言いたげにジェスチャーをする父上。
 これが、久しぶりに会った父と子の会話だ。
 もし何もしらない他人が横で聞いていたら、一体どう思うだろう?
 想像しなくてもわかる。

「ではな、アクト。()()()()期待しているぞ」
「はい、父上」

 そう言って、父上は観客席のほうへと歩いていく。
 
 お前には……か。
 要するに、俺には期待していないという意味なのだろう。
 わかりやすくて助かるよ。
 お陰でごちゃごちゃ考えずに戦える。
 
 そして、外からブーという音が聞こえてくる。

「時間だぞ」
「はい」

 俺と兄さんは別々の方向へと進む。
 背を向けぐるっと回り、対角の出入り口からフィールドへ入った。
 会場が湧き上がる。
 アナウンスが何かをしゃべっているが、フィールドにいる俺には聞こえてこない。
 観客席の声でかき消されているからだ。
 いや、そうでなくても聞こえなかっただろう。
 今の俺にとって、目の前の情報が全て。
 余計な情報は省き、戦いが始まった後の流れをシミュレートする。

「父上ではないが、俺も驚いている」

 唐突に、兄さんが口を開いた。
 研ぎ澄まされつつあった緊張が、僅かに緩む。

「俺が相手ってことにですか?」
「ああ……だが、小さな予感はあった。俺とお前が()()()()()()日からずっと、こうして戦う瞬間が訪れる予感が……。それが今日だとは、微塵も思っていなかったがな」
「……俺も、こんなに早く兄さんと戦うことになるなんて思いませんでしたよ」
「ふっ、見ろ」

 兄さんは観客席へ視線を向ける。
 俺もその視線に合わせて、ぐるりと観客席を見渡した。

「大勢の人が見ている。勝てば賞賛、負ければ恥だ」
「そうでしょうね」
「わかっているのか? 今のお前がここで負ければ、二度と再起の時は訪れない。永遠に負け犬のまま、一生を終えることになる」
「そうはなりませんよ? 勝つのは俺ですからね」
「……そうか」

 試合開始のベルが鳴り響く。
 微かに聞こえたアナウンスがなくなり、観客席も一瞬静まり返る。

「ならば、兄である俺が引導を渡してやろう」

 兄さんの背後に展開される無数の方陣術式。
 紫色の光が集まり、魔力エネルギー弾が撃ち出される。
 それは雨のように俺へと降り注ぎ、爆発の土煙で視界が塞がれる。
 
 終わったのではないか?
 そう思わせる光景を、彼らは見ていた。
 が、当然これで終わるなど――

「ありえない」

 赤い稲妻が走り、土煙を吹き飛ばす。
「赤い雷……それがお前の術式か?」
「そうですよ! 撃ち合いでも負けません」
「ほう、ならば試してみよう」

 兄さんは背後の術式を再展開させる。
 しかもさっきより多い。
 言葉通りの撃ち合いをするつもりみたいだ。

「望むところだ」

 俺は腰をおとし、両手を地面につける。
 魔力エネルギー弾の雨に対抗するなら、これが一番だ。
 
 色源雷術藍雷――砲術!

 藍色の雷が地面に走り、横一列に大砲を生成する。
 生成された大砲は全部で十二。
 撃ち出されるのは、同じく藍雷で生成した雷の砲弾。

 いくぞ。
 一斉発射だ!

「雷雨!」

 砲弾が一斉に発射される。
 対する兄さんも、術式から紫のエネルギー弾を発射。
 互いの弾がぶつかり合い爆発し、中央でせめぎ合う。

「本当に止めるか」
「だから言ったでしょう?」
「ふっ、ではこれはどうかな?」

 一瞬で俺の頭上で何かが生まれる。
 見上げた空は青くとも、日の光は遮られ、空中には炎の球体が浮かぶ。
 
 炎魔術のメテオ!?
 いつの間に術を発動したんだ?

「落ちろ」
「チッ、赤雷!」

 俺は右手を上にかざし、赤雷で炎の球体を迎撃する。
 雷が走り破壊された球体は、バラバラになって地面に降り注ぐ。

「よく破壊した。だがいいのか? こちらに気を向けなくても」
「しまっ――」

 一瞬。
 ほんの僅かな隙をついて、兄さんは背後の術式を増やしていた。
 予想より多く放たれた分のエネルギー弾が、俺の砲弾をすり抜けて降り注ぐ。

「くっ……」

 エネルギー弾は弾けて地面を抉る。
 直撃こそしなかったが、一発頬を掠めていった。
 ダラーっと流れる血が口に入って、嫌な風味が広がる。
 
「運が良かったな」

 兄さんの言葉に、返す言葉もない。
 本当に運が良かった。
 あと少しずれていれば、顔面にエネルギー弾が直撃していただろう。
 やられはしないにしろ、相当なダメージは負っていたに違いない。

「今度は気を抜くな」
「言われなくても」

 そのつもりだ。
 今度はこっちから攻める。
 
「蒼雷!」

 蒼い稲妻を纏い、砲撃の雨の中を駆け抜ける。
 蒼雷で強化した肉体の速度は、光の速さにも匹敵する。
 速さ自慢の暗殺者ですら反応できなかった速度だ。
 いくら兄さんでも、完全に虚を突いただろう。
 俺はエネルギー弾を躱しつつ、兄さんの懐へもぐりこむ。

 捉えた!

「甘いな」
「っ――」
 
 消えた!?
 直後、視界の右端に兄さんの姿をとらえる。 
 すでに蹴りを繰り出す体勢だ。
 回避を試みる俺よりも一瞬早く、兄さんの蹴りが届く。
 俺は両腕をクロスしてガードしたが、強化された蹴りに吹き飛ばされてしまう。

「これも防御したか」
「……」

 見えなかった。
 俺のほうが速度は上だったはず。
 いや、今のが兄さんの――

「時間魔術」
「その通りだ。十年も会っていなかったのによく覚えているな」
「忘れるわけありませんよ」

 兄さんは俺より前に神童と呼ばれていた。
 その最大の理由が時間魔術に適性を持っていたこと。
 文字通り時間を操る魔術で、極めれば世界の時間を停止させられる。
 適応者はほとんとおらず、適応があっても扱えない者のほうが多いと言われる高等魔術。
 エメロード家でも数百年生まれてこなかった逸材。

「今のは、自分の時間を加速させたのか」
「正解だ」

 確か、時点術式という。
 自分自身の時間を加速させることで、高速での行動を可能にする。
 感覚的には自分だけが正常で、見ているもの全てがスローに見えるとか。
 あるのは知っていたが、まさか蒼雷を上回ってくるとはな。

「藍雷――弓!」

 藍色の弓矢を生成。
 四連射で兄さんを攻撃する。
 藍雷でも速度は十分光の速さに達するのだが、これも兄さんの術式が躱す。

「その程度の攻撃が当たると思っているのか?」
「思ってませんよ」

 と言いつつ攻撃を続ける。
 変わらず当たらないが、時間魔術を行使している間は、さっきみたいに複数の術式を展開できない。 
 攻撃し続けていれば、エネルギー弾の雨は止む。
 とは言え、このまま撃ち続けても当たらない。
 どうにか兄さんの虚をつくしかなさそう。

「なら――」

 色源雷術――緑雷!

 地面を力強く踏みしめ、緑の稲妻がわずかに走る。
 グレンとの戦いでは使えなかったが、この地形と兄さんが相手なら有効だ。

「貫け、砂刃!」

 兄さんの足元から黒い刃が突き上げる。
 咄嗟に避けた兄さんだったが、僅かに頬を掠めていた。

「くそっ、これも躱すのか」
「緑の雷は、砂鉄を操れるのか」

 早々に能力もバレたか。
 兄さんが口にした通り、緑雷の能力は砂鉄を操る強力な磁力。
 これで隙を突けたが、もう通じないだろうな。

「今度はこちらの番だ」

 パチンと指を鳴らす。
 次の瞬間、方陣術式が俺の四方を取り囲む。

「何――」
「穿て」

 四方から降り注ぐエネルギー弾。
 そうか。
 エネルギー弾の術式に時間魔術を組み合わせて、発動のタイミングをずらしたのか。
 すでに攻撃は放たれており回避は困難。
 
 最大出力――

「赤雷!」

 赤い稲妻を四方へ放つ。
 エネルギー弾を貫き、到達前に爆発させていく。
 ギリギリではあったが、エネルギー弾の相殺には成功したようだ。

「よく耐えたな」

 余裕の表情を見せる兄さん。
 俺は思わず笑ってしまう。 

 強いな。
 予想以上に?
 違う、俺は知っていたはずだ。
 兄さんが強いことを……十年以上前から――
 十五年前、リンテンス誕生。
 の、さらに二年前、最初の神童が生を受けた。

「凄いぞ。この子は時間魔術に適性があるようだ」
「ええ、奇跡だわ。きっと世界に選ばれた人間なのよ」

 両親は生まれてきた赤子に、アクトという名前をつけた。
 魔術師の名門に生まれた彼は、その名に恥じない才能を持っていた。
 数百年間生まれてこなかった時間魔術の適性持ちにして、それを操るセンスを併せ持つ逸材。
 神童だと言われるまで、時間はかからなかった。
 
 しかし、彼には欠点があった。
 それは魔力量だ。
 貴族の多くは、平民の倍以上の潜在魔力を有している。
 対して彼の場合は、一般人と同レベルの魔力量しか保有していなかった。
 ただ、両親や周囲もそこまで大きく問題にはしていなかったのだ。
 魔力量は修練によって増加する。
 無論限度はあるが、その欠点を差し引いても、時間魔術の適性だけでおつりがくると。

 が、そう簡単な話でもなかった。
 二年経っても、彼の魔力量はほとんど増えなかった。
 単に彼の魔力上昇が遅いのだ。
 これでは時間魔術の奥義に至るまで、十年以上の月日が必要になる。
 それ以前に他の強力な魔術すら、扱えても使いこなせない可能性が浮上する。
 両親の頭には漠然とした不安が過っていた。

 そこへ、新たな命が誕生する。
 リンテンスという更なる神童が、この世に生を受けたのだ。
 彼らは歓喜した。
 十一種と言う規格外の属性適性を持ち、貴族に相応しい潜在魔力を秘めた子供だ。
 期待は膨れ上がり、注目されるのも必然。
 そして同時に、もう一人の神童への期待は、徐々に薄れていく。

 そんなこととは知らず、二人の兄弟は成長していく。

「リンテンス、こっちだ!」
「おにーちゃんまってよー」

 アクト五歳、リンテンス三歳。
 二人は仲の良い兄弟だった。
 リンテンスは優しくて強い兄を慕っていたし、アクトも自分を慕ってくれる弟が大好きだった。
 もしも、普通の家に生まれていたのなら、ずっと仲の良い兄弟でいられたかもしれない。
 だが、二人が背負ってしまった宿命は、絆を簡単に踏みにじる。

「アクト、今日からお前には別荘で暮らしてもらう」
「え、なぜですか? 父上」

 彼らの父であるグイゴ・エメロードは、アクトが七歳にった頃にそう告げた。

「これから数年、リンテンスの教育に専念する。悪いがお前は一人で頑張ってくれ」

 それは冷たい言葉だった。
 視線も……親が子に向けるような目ではない。
 幼いながらアクトは悟った。
 父や母の期待は、すでに弟のリンテンスに全て移ってしまったのだと。
 自分はもう、用済みなのだということを。

 そうしてアクトは、一人で遠く離れた別荘へと居を移した。

「父上!」
「ん? 何だ?」
「兄さんはどこにいるのでしょうか?」
「ああ、今は修行のために外へ出ているんだ」
「修行ですか!」
「そうだとも!」

 父の言葉が嘘だとリンテンスが気付いたのは、彼自身が別荘に追いやられて後のことだった。
 それまでずっと、彼はこう思っていた。
 今もどこかで、兄は魔術を極める修行をしているのだと。
 日頃から努力する姿を見ていたリンテンスは、今までとは異なる意味で兄を尊敬していた。
 そして、自分も置いて行かれないように頑張らねばと張り切った。

 月日は流れ、運命の日に至る。
 激しい雷雨の中、一筋の雷が神童を貫いた。
 この日、全てはひっくり返る。
 
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「父上?」
「久しぶりだな、アクト」

 何の前触れもなく、アクトの元へ父が訪れた。
 別荘へ追いやって五年間、一度も顔を見せることがなかった父が、今さら何の用だと彼は思っただろう。

「今まですまなかったな。屋敷に戻ってきなさい」
「え……ど、どうしてでしょう?」
「お前の力が必要なのだ。私たちの……いや、エメロード家のために」

 アクトは後に、リンテンスの身に起こった悲劇を知る。
 まさに手のひら返し。
 一度は見捨てた子を、父は拾い上げようとしていた。
 嘘のように優しく微笑みかけ、温かい言葉を贈られる。

「さぁ、戻ろう」

 アクトはその手をとった。
 嬉しかったから――ではない。
 
 気持ち悪い。

 彼が最初に感じたのは、喜びとは程遠い感情だった。
 それは恐怖に近い。
 今日までの日々が真実で、目の前にあるものが嘘だと思える。
 彼の頭はグチャグチャになっていた。
 冷静に、落ち着いて考えて、一つだけ理解する。

 貴族の世界は……歪んでいる。

 彼は今まで以上に努力を重ねた。
 また、同じように見捨てられるかもしれないという恐怖にかられ、来る日も来る日も修行に明け暮れた。
 いなくなった弟のことすら考えられなくなるほど自分を追い込み、そうして彼は、再び名門貴族の名に恥じない魔術師へと成長した。
 今では誰もが彼を誉め称える。

 さすがはエメロード家の長男だ!
 聖域者にもっとも近いのは君だぞ。
 お前は私たちの誇りだ、アクト。

 だが、多くの人々が知らない。
 彼の心の奥底には、耐えがたい苦痛が刻まれていること。
 それに耐えて、耐えて、耐え続けて、今の彼がいるということを。
 彼がもつ心の強さを知っているのは、同じ苦しみを味わった者だけ。

 そう、リンテンスだけだ。
 激闘が続く。
 色とりどりの雷が走り、光となって戦場をかける。
 片や時を操り、変幻自在の魔術で攻め立てる。

 くそっ、やっぱり攻撃が当たらない。
 不意打ちも通じないし、赤雷と緑雷もパターンを見切られてきている。
 魔術の手数ではあちらが上。
 普段なら接近戦に持ち込みたいところだが、不用意に近づけば時の加速で追い打ちをかけられる。
 思うように攻めきれない。
 だけど、それは向こうも同じはずだ。

「よく避ける」

 兄さんは呆れたようにぼそりと呟く。
 絶え間なく降り注ぐ雷の嵐を躱しながらでは、初手のように大きく攻められない。
 つかず離れず、長期戦に持ち込めば、勝算は俺にあるだろう。
 兄さんは潜在魔力が少ないから、持久戦には弱い。
 長年の修行で魔力量も上がっているようだが、確実に俺のほうが多い。
 このまま戦えば勝つのは俺だ。

 しかし、兄さんが黙っているわけもない。

「ここまで追いすがるとは……良いだろう」

 兄さんは立ち止まり、結界障壁を展開する。
 この場面で守りに入る?
 いや、違う!

「リンテンス、お前の強さに敬意を表し、俺も見せるとしよう」

 見慣れぬ術式が展開される。
 だが、俺にはそれが何の術式であるかすぐにわかった。

 あれが来る。
 かつての兄さんが至れなかった時間魔術の極致。
 最強にして全能の奥義が――

「時間魔術奥義――時計の針は動かない(クロノスタシス)

 【時計の針は動かない】。
 時間魔術の奥義であり、世界そのものに干渉出来る魔術。
 その効果は、自分以外の時間を完全停止させる。
 人も、自然も、何もかもが静止した世界。
 ただ一人動くことを許されたのは、術者のみである。

「使うつもりはなかったのだがな」

 アクトにとって、クロノスタシスは最終手段と言える。
 彼は十数年にわたる修行の末、幼少期の三倍近い魔力を得ている。
 だが、元々が少なかった分、それでも足りない。
 奥義に至った今ですら、一日一度きりが限度だった。

「俺が止めていられる時間は、最大で十秒だけだ。ここまで伸ばすのに、十年以上かかったぞ」

 アクトは動かない相手へと近づく。
 十秒という限られた時間とは言え、この間の絶対的支配者は彼だ。
 何者も、時の止まった世界では、彼に抗うことは出来ない。
 認識すら出来ぬまま、彼はその身体に触れる。

「悪いな、リンテンス」

 そして、時は動き出す――

「っ――!?」

 兄さんが触れた身体から、蒼い稲妻が走る。
 電撃は触れた手から伝わり、兄さんへダメージを与えた。

「くっ……」

 兄さんは咄嗟に後方へ跳び避ける。
 顔を上げ、見据える先の俺は、息を切らしながら笑っていた。

「はぁ……ギリギリだったな」
「何をした?」
「カウンターだよ。兄さんが触れたのは俺の身体じゃない。その表面を覆っていた蒼雷だ」

 兄さんが奥義を使うと悟った瞬間、俺は全神経を蒼雷に注いだ。
 時を止められては何も出来ない。
 ただし、時が止まった世界では、兄さんも止まっている相手を攻撃することは出来ない。
 それを知っていたから、攻撃の際は術式を解くとわかっていた。
 だから図った。
 兄さんが俺の身体に触れ、回避不可能な距離で攻撃を仕掛けてくると。

「蒼雷は強化術式だけど、これも立派な雷だ。触れられた瞬間、最大出力で全方位に放出すれば、確実に当たるしダメージも入るだろ?」

 これこそ色源雷術蒼雷――(はん)
 兄さんのクロノスタシスに対抗するために考案した技だ。
 そして……

「時を止める術式は膨大な魔力を消費する。もう兄さんは、時を止めることは出来ないよね?」
「っ……それがどうした? 完全に魔力が尽きたわけではない。もう戦えないと思っているなら、お前の目は節穴だ」
「戦えないなんて思ってないよ。でも、今の兄さんに、この技は防げない」

 空を見上げれば曇天。
 開始時点では晴れていた空に、ゴロゴロと雷雲が満ちている。

「これは……天雷か? いくら雷魔術の奥義とはいえ、俺に躱せないとでも思ったか?」
「ああ、確かに普通の天雷なら、躱せるかもしれないね」
「何?」

 今から発動するのは、通常の天雷ではない。
 色源雷術と天雷の応用だ。
 通常、術式を発動させる際には様々な工程がある。
 例えば赤雷の場合、雷を発生させる第一段階から、そこに術式効果の付与、発動までの最低三工程が必要だ。
 仮にこれを二工程に縮めることが出来れば、残された工程に集中することができ、術式の精度は向上するだろう。

 天雷は、自然の雷雲を利用し、雷を落とす。
 雷を生成するという工程がない時点で、まず一工程は省かれる。
 さらにこの技は、色源雷術の雷を受けている対象に引き寄せられる。
 故に狙うという必要がなく、発動後はただ落とせばいい。
 どれだけ速くとも、確実に当たる。
 残る工程は一つ、術式効果の付与に全神経を注ぎ込み、この技は完成する。

「いくぞ兄さん、色源雷術――奥義!」
「くっ!」

 兄さんは咄嗟に結界障壁を展開した。
 躱せないと本能が悟ったのか、防御に集中するつもりだ。
 それも一や二重ではない。
 十の結界障壁を折り重ね、強度を増している。
 天雷とはいえ、あの障壁を貫くことは難しい。
 
 が、この技は魔術によって防御は出来ない。
 天然の雷に付与された術式……その効果は魔力のみを霧散させること。
 人や物は破壊できない。
 代わりに魔力だけを貫き穿つ。

 その雷の名は――

白雷(はくらい)

 純白の雷が多重結界を貫き、兄さんへ降り注ぐ。
 
 色源雷術奥義――白雷。
 その効果は、魔力のみを貫き霧散させる。
 白雷を受けた魔術師は、内に宿る魔力を全て貫かれ消費してしまう。
 故に、完全な魔力欠乏を起こし、行動不能となる。

「ぐっ……」

 兄さんは片膝をつき、同じ側の手を地面につける。
 白雷によって魔力が消失し、もはや立っていることすら出来ない。
 いや、意識を保っているだけでも凄い。
 肉体へのダメージはなくとも、雷を受けた衝撃はあるから、気絶してしまうかと思ったが……

「はぁ、はぁ……さすが兄さん」

 こっちもすでに限界が近い。
 魔術師にとっての天敵といえる白雷は、保有魔力の半分を消費する。
 満タンな状態であっても、一日二発が限度の大技だ。
 仮に二発使えば、こちらも魔力切れを起こし、魔術師としての戦闘は困難となる。
 激戦の後の一発で、残された魔力は一割以下と言ったところか。

 だが、これで――

「俺の勝ちだよ、兄さん」

 俺は動けない兄さんに近づき、勝利を宣言した。
 魔力がある者とない者、その差が埋まらないことは誰もが知っている。
 会場の全員が、勝敗は決したと思っているだろう。

「まだ……俺は動けるぞ」
「兄さん……」
「勝敗は決していない。戦う意思を残している時点で……終わらせたいなら、あと一撃だ」
「何を言ってるんだ。もう、兄さんは戦えないだろ」

 魔力も尽き、体力も限界だ。
 そんな自分に止めを刺せと、兄さんは言っている。
 もしかすると、会場の観客たちも、早く終わらせろと思っているかもしれないな。

 兄さんは弱々しい声で続ける。

「戦いに甘さは命取りだ。聖域者になりたいのなら、その甘さは捨てておけ。敗者に情けは不要だ」
「……違う。違うよ兄さん」
「リンテンス?」

 無意識だった。
 感情の高ぶりで、勝手にあふれ出たんだ。
 ポタポタと瞳から、頬をつたって落ちる。
 戦いの最中、涙を流すことがどれほど情けないのか、わかっていたつもりだった。
 でも、止まらなかったんだ。
 兄さんと戦えて、奥にある心に触れた気がする。
 冷たくて、寂しくて、消えてしまいそうな弱々しい光。
 師匠と出会う前の俺と同じみたいに。

「無理だよ。兄さんを傷つけるなんて、俺には出来ない」
「お前……」

 それが、俺の本心だった。
 両親のことは許せない。
 貴族の家も、背負った宿命も呪ったことすらある。
 だけど、兄さんのことを嫌いだと思ったことは、今まで一度もないんだ。
 ずっと見てきたから。
 期待に応えようと必死に努力して、辛くても俺の前では優しく笑ってくれる。
 そんな兄さんこそ、俺の憧れで目標だったんだよ。

「ふっ、相変わらず……」

 兄さんは小さくため息をこぼし、笑いながら俺に言う。

「優しいな、お前は」

 その笑顔は、幼き日に見せてくれたものと同じ。
 優しくて、温かい笑顔だった。
 直後、兄さんは限界を迎え、意識が沈み倒れ込む。
 地に身体がぶつかるより早く、俺は兄さんの身体を受け止めていた。

 親善試合勝者――新入生代表リンテンス・エメロード!

 勝利のアナウンスが響き、会場中が歓声で沸き上がる。
 そんな中、俺は兄さんを背負ってフィールドを出る。
 救護班がスタンバイしていて、こちらへ駆け寄ってきたのが見えた。
 俺はそれを無視して、兄さんを運ぶ。
 
 歓声は聞こえない。
 賞賛だろうと罵声だろうと、今はどうでもいい。
 この人は……俺が背負うべきだ。
 今はただ、それしか考えられなかった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 試合が終わり、控室に戻った。
 兄さんは魔力を消費した疲労で眠ったまま、医療室で横になっている。
 しばらくすれば目覚めるだろう。

「リンテンス君!」
「シトネ」

 唐突に扉が勢いよく開いて、シトネが飛び入ってきた。
 そのまま胸に飛び込んできて、キラキラと目を輝かせながら言う。

「凄かった! 凄くてすごかったよ!」
「ははっ、何だそれ」

 興奮し過ぎて語彙が乏しくなっているな。
 これはこれで可愛らしいし、何より感動しているのが伝わって、心の底から嬉しかった。
 後からグレンとセリカも顔を出す。

「お疲れさまでした」
「見事な試合だったな、二人とも」
「ああ」

 俺だけじゃない。
 兄さんも賞賛される戦いをしたと、一体どれだけの人に伝わっただろうか。
 一番伝わってほしい人たちは、どう思っているのだろうか?
 その答えは、すぐに向こうからやってきた。

「失礼するよ」
「父上……」

 控室にやってきたのは父上と母上だった。
 二人とも、あからさまにニコニコしていて気持ち悪い。
 この時点で俺は、全てを察した。

「素晴らしい戦いだったな! リンテンス」
「ええ、まさか貴方がここまで強くなっているなんて、本当に驚いたわ」

 二人は悠々と語り出す。
 俺もみんなも、その言葉に耳を傾ける。

「よくここまで頑張ったな。お前ならもしかすると、本当に聖域者になれるかもしれない」
「ええ、今まで一人にしてごめんなさい」

 よく頑張った……だって?
 まるで見てきたような言い方じゃないか。
 一人にしてごめんなさい?
 本当にそう思っているなら、なぜ突き放すようなことをしたんだよ。

「本当に今日まで頑張ったね。これからまた一緒に暮らそうじゃないか。どうかな? 友人たちも一緒に食事でも」
「そうね。せっかくだし――」
「ふざけるなよ」

 言葉は感情の高ぶりで勝手に出ていた。
 場がシーンと静まり返り、二人とも困ったような顔をする。
 対して俺は、怒りを隠しきれないでいた。

「あんたらの言葉はうわっつらだけだ。俺のことを見てるんじゃなくて、家柄とか地位のことしか考えてない。今も昔も、何一つ変わってない」
「リ、リンテンス?」
「兄さんのところには行ったのか?」
「あ、いや……」
「どうして行かない? 兄さんの所へ先に顔を出すのが普通じゃないのか? 兄さんが一体、誰の期待に応えるため戦ったと思ってるんだ?」

 ああ、駄目だ。
 これ以上は言ってはいけないと、理性がささやいている。
 ただ、残念ながらそんな囁きは聞けない。

「戻って来い? そう言って、今度はまた兄さんをのけ者にするのか?」
「……」
「図星か」

 虫唾が走るよ。

「ハッキリ言おう! 俺も兄さんも、あんたらが見栄を張るための道具じゃない! そっちの都合を、俺たちに押し付けるな!」
「なっ……リンテンス、親に向ってなんてことを」
「親だというのなら、なぜ一緒に暮らさなかったのですか?」

 そう言ってくれたのはグレンだった。
 他の二人も、厳しい表情で俺の両親を見ている。
 何か言いたげだが、相手がグレンだからか、言い淀んでいる。

「……くっ、行こうか」

 父上は唇を噛みしめ、悔しそうに背を向ける。
 別れの挨拶はしない。
 もう二度と、直接会うことはないだろう。  

「ふぅ」

 言いたいことを全部言えて、スッキリした気分だ。
 本当の意味で、ようやく俺は解放されたのかもしれない。

「ありがとう、みんな」

 こうして、激闘は終結した。


 この十日後。
 東西の大陸の果てにて未知の敵が出現。
 現聖域者二名が対処にあたった。
 うち一人は重傷を負い、もう一人の聖域者は……死亡した。
 とある日の昼下がり。
 俺は師匠と一緒に、山奥へピクニックへ来ていた。
 わけではなく、迷惑のかからない場所で修行をしていた。
 初めは軽く済ませようという話だったが、当然そんな簡単に終わることはなく、みっちり扱かれてヘトヘトになりながら、地面に寝そべっている。

「だらしないね~ まだ準備運動のつもりだったんだけどな~」
「嘘つかないでくださいよ。明らかに全力ダッシュしてたじゃないですか」
「いやいや、僕の全力はもっとすごいからね」
「そういう意味じゃなくて……もう良いです」

 師匠の基準は常人とずれている。
 普通なら根を上げるギリギリをゴールに設定するところを、師匠の場合はそこが準備段階だからな。
 慣れてきたとはいえ、キツイことには変わりない。
 さらには苦しんでいる俺をみて、楽しそうに笑ってくれるから。
 質が悪いよ。

「師匠の前世って悪魔なんじゃないですか?」

 と、冗談のつもりで口にした。
 いつもみたいにおちゃらけたような返答が来ると思ったら、師匠はしばらく黙って考えている様子。
 そして、俺の横に腰をおろし、改まって質問してくる。

「リンテンスは、悪魔を知っているかい?」
「え、まぁ本で読んだことがあるくらいですね」

 かつて多くの種族が存在し、互いの領地をかけて争いが起こっていた時代があったという。
 今から何千年も昔の話で、現代では予測を混ぜ合わせた歴史として伝わっている。
 その時代に生きていた種族の中で、最も邪悪で、最も魔力に愛されていた種族の名を悪魔という……らしい。
 本にそう書いてあったことを思いだす。

「見た目は人に近い。でも思考や力はまったくの別物……いいや、別次元と言っていい。上位の悪魔は、聖域者を上回る力をもっていたそうだ」
「って書いてましたね。でもあれって空想じゃないんですか?」

 悪魔に関する書物はいくつかある。
 ただ、どれも理屈だった説明がなく、根拠が示されていない。
 勉強の一環として記憶しているが、誰かの作り話じゃないかと思っているくらいだ。
 でも、師匠は首を横に振って言う。

「空想じゃない。あれは事実だよ」
「え、そうなんですか?」
「ああ」
「師匠は……悪魔に会ったことがあるってことですか?」
「半分正解かな」
「半分?」

 どう意味なのか尋ねても、師匠はニッコリと微笑んで躱す。
 そのまま空を見上げて、思い出にふけるようにため息をつき、俺に向けて呟く。

「君もいずれわかるさ。その時までにせめて、悪魔と戦えるくらいにはなっててほしいね」
「師匠?」
「と、いうわけで! 休憩は終わりだよ」

 その後、前半が準備運動だったと思えるくらい扱かれて、帰り道は半分寝たまま帰った。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 懐かしい夢を見た。
 扱かれて、疲れたまま帰って、夢の中にベッドに倒れ込んだ。
 次に目が覚めると、現実のベッドで横になっていたことに気付く。
 外は真っ暗で日の出には早い。
 いや、そもそも時計を見ると、針は午後七時半を指示している。

「ああ……そうか」

 おぼろげな記憶を辿り、徐々に思い出す。
 兄さんとの戦いが終わった後、長い長い学校長の話があって、眠そうに聞いていたら後で説教されて、その後も観戦していた貴族たちに声をかけられて……
 戦った後で疲れているのに、勘弁してほしかったな。
 それで全部が終わってから、トボトボと屋敷に戻って、仮眠をとるつもりで横になったんだ。

「しまったな。六時には起きるつもりだったのに」

 夕食の準備が終わっていないことを思い出し、ベッドから起き上がる。
 寝たとはいっても短時間だ。
 そんなに疲れがとれたわけじゃない。
 白雷を使った影響で、未だに魔力が半分以下なのも不安だな。
 
 ガチャ、と部屋の扉を開ける。

「ん?」
 
 ほのかに良い匂いが感じられる。
 その匂いにつられれて一階の台所まで行くと……

「シトネ?」
「あ、リンテンス君! 起きたんだね!」

 エプロン姿のシトネが台所に立ち、料理をしていた。
 ぐつぐつと煮込んだ鍋と、すでに何品かはテーブルに並んでいる。

「これ、シトネが作ってくれたのか?」
「そうだよ! リンテンス君疲れてるだろうなーって思ったから、偶には私が料理も頑張っちゃおうと思ったの」
「そうか。ありがとう、シトネ」
「いいのいいの! いつもリンテンス君には助けられてるからね。もうすぐ出来るから、座って待ってて」
「ああ、そうするよ」

 いつもの席に座って、彼女が料理を運んでくるのを待つ。
 全部の料理がずらっと並んで、シトネも自分の席に着いたら、手を合わせて言う。

「「いただきます」」

 どれも美味しそうだ。
 まずは手前にあるスープを一口。

「どうかな?」
「うん、美味しいよ」
「本当? よかった~ リンテンス君ほど上手じゃないから、あんまり自信なかったんだよ」
「いやいや、これだけ一人で作れたら十分だよ」
「そうかな? じゃあ今度から代わりばんこに料理しようよ! そうすればリンテンス君の負担も減るでしょ?」
「ああ。そうしてくれるとありがたい」

 二人で話しながら、食卓を囲む。
 ここに師匠がいないことが、少し寂しいな。
 今頃ちゃんと仕事しているのだろうか。
 それにしても、誰かの手料理を食べるなんて、本当に久しぶりだ。

「温かいな」
「作りたてだからね!」
「はっはは、そうだな」

 そういう意味じゃないけど、とかツッコミをいれるのは無粋だな。
 親善試合の翌日も、通常通り授業が行われる。
 一夜明けて魔力も回復した俺は、シトネと一緒に登校していた。

「次の日くらい休みにしてくれればいいのにな」
「あはははっ、そう思ってるのリンテンス君だけだと思うよ?」
「えっ」
「だって頑張ったのも疲れたのも、リンテンス君だけだもん」
「ああ……そういえばそうか」

 いや、兄さんも当てはまると思うけど。
 そういえばあれから、兄さんはどうなったのかな?
 父上は相変わらずだったし、屋敷で責められたりしたのだろうか。
 だとしたら申し訳ないし、父上には腹が立つ。

「また……ちゃんと話したいな」
「誰とだ?」

 後ろからポンと肩を叩かれ、振り向く。

「グレン」
「おはよう二人とも」
「おはよう! セリカちゃんも一緒だね」
「はい。おはようございます」

 グレンとセリカが合流して、一緒に学校へ向かうことに。
 道中、普段より視線を感じて、周囲が気になる。
 前のように嫌な視線ではないようだが……

「注目されているな」
「みたいだね。でも前からだし」
「いいや、今は良い意味で注目されているだろ?」
「良い意味って?」

 俺が聞き返すと、グレンは呆れ顔をする。
 気付いていないのかと言わんばかりにため息をついて、やれやれとジェスチャーした。

「何だよ」
「君はあれだけの戦いを見せたんだ。もう君のことを、落ちこぼれだと思う者は誰もいない。こうして注目を浴びているのも、君の強さを知ったからさ」
「俺の……強さ」

 なるほど、そういう良い意味か。
 ハッキリ言うと、本当に察していなかったよ。
 というより、どうでも良いと思っていた。
 変な話だな。
 最初は周りを見返したくて努力していたのに、いざ認められたと思うと、何だか素直に喜べない。

「あまり嬉しそうじゃない顔だね」
「ははっ、そうみたいだ」

 自分自身に呆れて笑う俺を、キョトンとした顔で見ている。
 グレンを見て、彼との戦いを思い出しながら、シトネとの出会いも振り返る。
 それよりもっと前の、師匠と過ごした厳しい日々。
 全部を通して、今の俺がいる。
 そうか……

「昔の俺だったら、素直に喜んだと思うよ。周りを見返したくて、修行も頑張ったからな~ でも今は、他にも理由があるから」

 師匠の期待に応えたい。
 師匠と同じ場所にたどり着いて、一緒に肩を並べて戦いたい。
 俺を鍛えてくれた恩を返したい。
 俺の中にある強さの理由は、あの時よりも増えている。

「俺はまだ何も成し遂げてない。全部これからだ」
「なるほど。さすが、先を見据えている」
「すぐ近くに目標がずっといたからね。まだまだ足りないってことも実感しているよ」

 修行して、鍛えられて、強くなっても届かない。
 師匠は俺なんかより遥か高みにいる。
 いつかそこへ行くために、今で満足していられない。
 そう思えるのも、心が成長してくれたお陰なのだろうか。

「それに、途中から態度を変えられたって、やっぱりスッキリしないな。これから何人理解者が増えようと、お前たちみたいに、最初から普通に接してくれた人のほうが大事だよ」
「リンテンス……」
「なんてなっ」

 言った後で恥ずかしくなって、誤魔化す様にわらってみた。
 我ながらキザなセリフを口にしたものだ。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「えぇ~ 明日から学外研修後半が始まる。前回同様、おのおのしっかり準備するように」

 先生が教壇の上で話した内容が耳に入ってきて、俺は思わずぼそりと呟く。

「え? 後半?」
「……リンテンス」

 すると、隣でグレンがとても怖い顔をしていた。
 言わなくてもわかる。
 また聞いていなかったのか、と言いたいのだろう。

「違う違う! 今回は聞いてなかったとかじゃない!」

 慌てて否定して続ける。

「た、確か後半ってもっと後じゃなかったっけ?」
「今年は天候が調子良く保っているらしいんだ。前回が終わってから一時的に荒れたそうだが、すぐに回復したそうだよ」
「えぇ~ 荒れたら長いって話だったのに」
「そう。だから予想外に早く回復したから、後半も早めたのだろうね」
「そういうことか」

 前回も思ったけど、学校生活って意外と大変なんだな。
 もう少し落ち着いた感じを想像していた俺としては、異様な慌ただしさに驚いていた。

「あっ、そういえば……」

 ふと思い出した。
 研修の前半、渓谷で見つけたドラゴンの痕跡のことを。
 あれから騒ぎにもなっていないし、ドラゴンはいなかったということなのだろうか。

「どうしたんだ?」
「……いや、何でもない」

 もしもいるなら、練習相手になってほしいと思った。
 学外研修後半初日。
 準備運動でぐるっと森を一周させられた後、俺たちは建物の中に集められていた。
 全員が注目しているのは一点。
 説明している先生、ではなく、その横に侍るモンスターだ。

「これは魔道具によって生成された疑似モンスターだ。能力は元となったモンスターを模しているが、攻撃力はほとんどない。あくまで訓練用に開発されたものだ」
「へぇ~ 便利な魔道具もあるんだな」
「ああ、僕も初めて見るよ」

 話に聞く限り、最近になって新しく開発されたものらしい。
 最先端の魔道技術を用いられるのも、魔術学校の生徒に与えられた特権だ。
 
 先生が続けて内容を説明する。

「今からチームに分かれ、森に入ってもらう! 森には百の疑似モンスターが放たれているから、それを全て討伐してほしい」

 一年生では全部で四十二チームある。
 今回はチームごと、さらに六つのグループに分かれて行う。
 モンスターにはそれぞれポイントが割り振られており、模したモンスターの強さでポイントも異なる。
 百体全てが討伐されるまで続け、最終的にチームごとに撃破数、ポイント数を競いあう。
 大体のルールはこんな感じか。
 ちなみに、各人には専用の腕輪が配布される。
 ポイントの換算の役割とは別に、モンスターから一定以上攻撃を受けると光り、リタイアとなる仕組みだ。

「最初の七チームは前へ!」
「俺たちだな」
「ああ。今回は競争……というわけにはいかないな。残念だが」

 ガッカリそうにするグレン。
 相変わらず負けず嫌いな奴だと笑ってしまう。

「待機者はここで戦闘の様子が中継される! 見ることも大切な訓練の一つだ。自分たちの番に活かせるよう、しっかり観察するように」

 待機室には巨大な四角い版がある。
 森には使い魔が飛んでいて、視界をここに映し出せる。
 それを聞くと、シトネが不服そうな顔を見せてぼそりと呟く。

「み、見られるのかぁ」
「今さらだろ? 特に俺たちにとってはさ」
「あー確かにそうかも。じゃあいっぱい倒して目立っちゃおうよ」
「ははっ、そうだな」

 俺もシトネも、悪い意味で注目を浴びてきた。
 この間の親善試合で、俺に対する周囲の視線は緩和されたが、シトネに対してはまだまだ微妙だ。
 特にシトネにとっては良い機会だろう。
 俺だけじゃなくて、彼女も魔術師として優秀などだと、周囲に教えるために。

 今回の訓練ではもちろん魔術が使える。
 ただし、他チームを傷つけたり、妨害してはならない。
 それさえ守れば、あとは好きなように戦って良い。

「リンテンス、目標はどうする?」
「う~ん、とりあえず半分は狩りたいかな」
「半分か。ならば休んでいる暇はなさそうだな」

 そうして訓練が開始される。
 バラバラのスタート地点から森へ入り、出会ったモンスターを狩る。
 モンスターは種類豊富だ。
 ゴブリン、ウルフ、ワーウルフ、ジャイアントマンティス、グレートスネーク。
 森に生息しているモンスターを模していて、基本的に大きい個体のほうが強いから、ポイントもそれに合わせて決められている。
  
「皆様、前方よりウルフとゴブリンの群れが接近しております」
「後ろからマンティスが来てるよ!」

 セリカとシトネが接敵を知らせてくれた。
 前後を挟まれた形になっている。

「僕とセリカで前を」
「じゃあ後ろは俺とシトネで任せてくれ」
「ああ、任せた」

 簡単に割り振りをして、各々の敵に目を向ける。
 ジャイアントマンティスは、その名の通り巨大なカマキリだ。
 見た目も能力も、カマキリを大きくしただけだが、強靭な鎌は岩をも斬り裂く。
 とても強力なモンスターだ。

「藍雷――二刀」
「二匹きてる。私が左と戦うね」
「了解、右は俺だな」

 俺は藍雷で剣を作り、シトネは腰の剣を抜く。

「いくぞ!」
「うん!」

 俺とシトネは同時に突っ込む。
 接近により振り下ろされる鎌を回避し、懐にもぐりこんで鎌の付け根を狙い斬りする。
 鎌は強力だが、これを無力化できれば勝ったも同然。
 あとは逃げられる前に、腹と頭を斬り裂き倒す。

 対してシトネは剣を使っていた。
 入学試験では使わなかった変わった形の剣。
 名前は刀というらしい。
 シトネは刀でマンティスの鎌を受け、流れるように付け根へ刃を届かせる。
 うっすらとだが、刀の刃が光を纏っていた。
 光属性の魔術によって切れ味を高めている。
 さらに――

旋光(せんこう)!」

 斬撃が光をそのまま纏い、マンティスの胴体を斬り裂いた。
 あれこそシトネが独自に編み出した術式。
 光を斬撃として飛ばしたり、鞭のようにしならせて攻撃したりできる。
 彼女自身の剣技と合わせれば、どんな敵にも対応可能という汎用性の高い術式だ。

「倒したよ!」
「こっちも終わった。さすがだな、シトネ」
「えっへへ~」

 俺が褒めると、シトネは嬉しそうに尻尾を振る。
 パチンとハイタッチした様子も、クラスメイトは見ているのだろうか。