十五年前、リンテンス誕生。
 の、さらに二年前、最初の神童が生を受けた。

「凄いぞ。この子は時間魔術に適性があるようだ」
「ええ、奇跡だわ。きっと世界に選ばれた人間なのよ」

 両親は生まれてきた赤子に、アクトという名前をつけた。
 魔術師の名門に生まれた彼は、その名に恥じない才能を持っていた。
 数百年間生まれてこなかった時間魔術の適性持ちにして、それを操るセンスを併せ持つ逸材。
 神童だと言われるまで、時間はかからなかった。
 
 しかし、彼には欠点があった。
 それは魔力量だ。
 貴族の多くは、平民の倍以上の潜在魔力を有している。
 対して彼の場合は、一般人と同レベルの魔力量しか保有していなかった。
 ただ、両親や周囲もそこまで大きく問題にはしていなかったのだ。
 魔力量は修練によって増加する。
 無論限度はあるが、その欠点を差し引いても、時間魔術の適性だけでおつりがくると。

 が、そう簡単な話でもなかった。
 二年経っても、彼の魔力量はほとんど増えなかった。
 単に彼の魔力上昇が遅いのだ。
 これでは時間魔術の奥義に至るまで、十年以上の月日が必要になる。
 それ以前に他の強力な魔術すら、扱えても使いこなせない可能性が浮上する。
 両親の頭には漠然とした不安が過っていた。

 そこへ、新たな命が誕生する。
 リンテンスという更なる神童が、この世に生を受けたのだ。
 彼らは歓喜した。
 十一種と言う規格外の属性適性を持ち、貴族に相応しい潜在魔力を秘めた子供だ。
 期待は膨れ上がり、注目されるのも必然。
 そして同時に、もう一人の神童への期待は、徐々に薄れていく。

 そんなこととは知らず、二人の兄弟は成長していく。

「リンテンス、こっちだ!」
「おにーちゃんまってよー」

 アクト五歳、リンテンス三歳。
 二人は仲の良い兄弟だった。
 リンテンスは優しくて強い兄を慕っていたし、アクトも自分を慕ってくれる弟が大好きだった。
 もしも、普通の家に生まれていたのなら、ずっと仲の良い兄弟でいられたかもしれない。
 だが、二人が背負ってしまった宿命は、絆を簡単に踏みにじる。

「アクト、今日からお前には別荘で暮らしてもらう」
「え、なぜですか? 父上」

 彼らの父であるグイゴ・エメロードは、アクトが七歳にった頃にそう告げた。

「これから数年、リンテンスの教育に専念する。悪いがお前は一人で頑張ってくれ」

 それは冷たい言葉だった。
 視線も……親が子に向けるような目ではない。
 幼いながらアクトは悟った。
 父や母の期待は、すでに弟のリンテンスに全て移ってしまったのだと。
 自分はもう、用済みなのだということを。

 そうしてアクトは、一人で遠く離れた別荘へと居を移した。

「父上!」
「ん? 何だ?」
「兄さんはどこにいるのでしょうか?」
「ああ、今は修行のために外へ出ているんだ」
「修行ですか!」
「そうだとも!」

 父の言葉が嘘だとリンテンスが気付いたのは、彼自身が別荘に追いやられて後のことだった。
 それまでずっと、彼はこう思っていた。
 今もどこかで、兄は魔術を極める修行をしているのだと。
 日頃から努力する姿を見ていたリンテンスは、今までとは異なる意味で兄を尊敬していた。
 そして、自分も置いて行かれないように頑張らねばと張り切った。

 月日は流れ、運命の日に至る。
 激しい雷雨の中、一筋の雷が神童を貫いた。
 この日、全てはひっくり返る。
 
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「父上?」
「久しぶりだな、アクト」

 何の前触れもなく、アクトの元へ父が訪れた。
 別荘へ追いやって五年間、一度も顔を見せることがなかった父が、今さら何の用だと彼は思っただろう。

「今まですまなかったな。屋敷に戻ってきなさい」
「え……ど、どうしてでしょう?」
「お前の力が必要なのだ。私たちの……いや、エメロード家のために」

 アクトは後に、リンテンスの身に起こった悲劇を知る。
 まさに手のひら返し。
 一度は見捨てた子を、父は拾い上げようとしていた。
 嘘のように優しく微笑みかけ、温かい言葉を贈られる。

「さぁ、戻ろう」

 アクトはその手をとった。
 嬉しかったから――ではない。
 
 気持ち悪い。

 彼が最初に感じたのは、喜びとは程遠い感情だった。
 それは恐怖に近い。
 今日までの日々が真実で、目の前にあるものが嘘だと思える。
 彼の頭はグチャグチャになっていた。
 冷静に、落ち着いて考えて、一つだけ理解する。

 貴族の世界は……歪んでいる。

 彼は今まで以上に努力を重ねた。
 また、同じように見捨てられるかもしれないという恐怖にかられ、来る日も来る日も修行に明け暮れた。
 いなくなった弟のことすら考えられなくなるほど自分を追い込み、そうして彼は、再び名門貴族の名に恥じない魔術師へと成長した。
 今では誰もが彼を誉め称える。

 さすがはエメロード家の長男だ!
 聖域者にもっとも近いのは君だぞ。
 お前は私たちの誇りだ、アクト。

 だが、多くの人々が知らない。
 彼の心の奥底には、耐えがたい苦痛が刻まれていること。
 それに耐えて、耐えて、耐え続けて、今の彼がいるということを。
 彼がもつ心の強さを知っているのは、同じ苦しみを味わった者だけ。

 そう、リンテンスだけだ。