【9/10コミカライズ】ナナイロ雷術師の英雄譚―すべてを失った俺、雷魔術を極めて最強へと至るー

 教室に入って、先生が来るのを待つ。
 時間になって鐘の音が鳴ると、ガラガラと扉を開けて先生がやってくる。
 連絡事項をさらっと流し、一枚の紙をヒラヒラを示しながら言う。

「えぇ~ 昨日も伝えたが、明後日から学外研修だ。三日間あるから、各々準備しておくように」
「学外……研修?」
「リンテンス?」

 隣のグレンがちょっぴり怖い顔をしている。
 声に出さなくとも、聞いてなかったのかという言葉が聞こえるようだ。
 師匠との会話なら、しょうもないダジャレまで覚えているのに。
 とりあえず俺は素直に謝って、説明を求める。

「お願いします」
「はぁ……君はどこまで他人に興味がないんだい?」
「いや、そういうわけじゃにんだけど」

 じっと睨まれたので、そっと目を逸らす。
 その後、グレンはため息をこぼしつつ、簡単に説明してくれた。
 どうやら明後日、新入生全員で学校が管理する別の領地へ行き、三日間実技訓練を受けるらしい。
 目的の大部分は、生徒同士の交流を深め、互いの実力や能力を共有し、今後の授業や試験に活かすためだとか。
 ちなみに毎年恒例というわけでもなく、年度によってない時もあるそうだ。

「何で恒例じゃないんだ?」
「開催地となっている場所の気候だな。この時期は特に荒れやすくて、訓練どころじゃなくなるらしい。しかも一度崩れると長く続くらしいからな」

 なるほど。
 入学してすぐに学外研修なんて不自然だと思った。
 今年は気候の関係もあって、早めに開催することになったらしい。

「今なら大丈夫そうって話か」
「ああ。それと実技訓練はチームで行われるからな」

 チームか。
 そういえば、グレンたちと一緒のチームを組んだんだっけ?
 何とかそこは覚えているようで、自分の記憶力にホッとしている。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 学外研修について知ってから、日にちはあっという間に過ぎて。
 研修を明日に控えた今日の夜は、夕食を食べながらシトネと話していた。

「楽しみだな~ 明日からの研修!」
「そんなにか?」
「うん! リンテンス君は楽しみじゃないの?」
「う~ん、正直よくわからないな」

 学外研修の内容は、森や山、川などの大自然を用いた訓練をするらしい。
 詳しくどんなことをするのかは、向こうについてから教えてもらえるそうだ。
 ちなみに、場所は王都から東にある魔術学校の特別施設。
 本来は実戦訓練などで用いられるフィールドでもある。

「何をするか知らないけど、結局普段の訓練よりずっと楽だろうからさ」
「それは……そうだね。うん、間違いないと思う」
「だろ? 別にキツければ良いってわけじゃないけどさ」

 学校での授業もそうだが、師匠から教わった内容を反復しているだけだ。
 最近はこれなら一人で特訓していたほうが効率がいいのではないか?
 と思い始めていたり。
 決して授業を受けるのが面倒だからとか、そういう不真面目な理由ではない。

「でもでも! グレン君たちも一緒にお泊りだよ?」
「そうだな」
「……それだけ?」
「どんな反応を期待してたんだよ」
「だってお友達と一日中一緒なんて普通ないよ? もっと楽しみにしてもいいのにな~」
「いや、それなら始終シトネといるだろ?」
「あ、そういえばそっか」

 うっかりしてました、みたいな顔をするシトネ。
 彼女の笑顔を見ながら、ふと思ったことを口にする。

「シトネといる落ち着くからな。一日一緒にいるなら、俺はシトネ一人のほうが嬉しい」
「えっ……」

 あれ?
 
 口走った後で気付く。
 また俺の口は、感情をそのままに出してしまったな。
 チラッとシトネの顔を見ると、恥ずかしそうに頬を赤らめて、目を逸らしたり合わせたりしていた。
 尻尾は上機嫌にフリフリと左右に動いている。
 そんな彼女を見ていたら、こっちまで同じくらい恥ずかしくなって、しばらく無言のまま夕食を食べていた。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 翌日。
 いつものように登校、するのではなく、見た目の三倍の容量が入るバッグの魔道具を持ち学校へ行く。
 校舎に到着する途中でグレンたちと合流。
 そのまま校舎へ向かうと、すでに新入生たちが校門前にずらっと列を作っていた。

「移動って徒歩なんだよな?」
「ああ。専用の地下トンネルがあって、まっすぐ進めば二時間くらいで着くぞ」
「に、二時間も歩くんだね」

 うぇーっと嫌そうな顔をするシトネ。
 研修には新入生全員が参加するから、この人数で移動となると大変そうだな。
 俺たちがじゃなく、引率の先生たちが。

「各クラスで点呼をとってください! 全員が集まったクラスから出発します!」

 どこからか先生の大きな指示が聞こえてきた。
 指示通り、それぞれのクラスで集まる。
 さすが特待クラスの俺たちは、一番最初に全員が集まって、そのまま校舎裏にある専用トンネルへ向かった。
 校舎の裏にある倉庫の中に、人工的に掘られた穴がある。
 壁や天井は補強されており、左右には明かりもあって視界は良好。

「本当にまっすぐなんだね」
「果てしないな……」

 当たり前だけど先が見えない。
 二時間ただ歩くというのも、それはそれでキツそうだな。
 と思いながら別にやることもなく、他愛もない会話を楽しんでいたら、案外退屈せずに移動時間を過ごせた。
 そして、トンネルを抜けた先には、校舎によく似た建物が森のど真ん中に建っていた。

「ここが特別実習施設グレモーラだ」

 森に囲まれたその施設は、元々軍事施設として建てられたそうだ。
 三十年前まで、この辺りは多数のモンスターが出没する危険地帯だった。
 特に恐ろしかったのは、ドラゴンやワイバーンなど空を飛ぶモンスターが生息していたこと。
 一時期に大量発生して、王都まできた個体も少なくなかったとか。
 その事態に対処するため、このグレモーラは建造された。

「対モンスターの施設だから、校舎より頑丈に作られている。まぁと言っても、今ではモンスターなど出現しないから安心してくれ」
「何だ、モンスターいないのか」
「一人だけガッカリしている人がいるな」
「そのようですね」
「あはははは……」

 シトネの苦笑いが聞こえる。
 モンスターでも出現するなら、良い訓練相手になるかと思ったんだけど。

「いっそドラゴンでも出てくれると嬉しいのにな」
「ぶ、物騒なこと言わないでよリンテンス君」
「そうなったら君が戦ってくれるのか?」
「ああ。久しぶりだけど、中々手強いんだぞ」

 ちょっと思い出すなぁ。
 師匠がいなかった間にこなした冒険者としての依頼の数々。
 一番しんどかったのは、ドラゴンの巣穴から卵を持ち出す依頼だったな。
 研究サンプルにしたいからって内容だったけど、十匹以上に追い回されて肝を冷やしたよ。

「その話あとで聞かせてもらえるか?」
「え?」
「私も聞きたいな~」
「別にいいけどさ」

 それなら道中にすればよかったと思ったけど、二人とも興味津々な様子だったから言わないでおく。
 俺たちが到着してから三十分後。 
 全クラスが揃い、グレモーラの前に集合した。
 特待クラスの先生が今回の研修を取り仕切っているらしく、全員の前で説明を始める。

「ここでの注意事項はすでに把握していると思う。よって今から訓練を開始する」

 さっそくか。
 自然を活かした訓練と聞いているが、一体何からするのだろう。
 隣でシトネがワクワクして尻尾を振っている。

「まず最初に身体を慣らす! 全員で今から伝えるルートを通り、この領地を一周してきてもらうぞ!」
「領地を一周って、どのくらいあるんだ?」
「さすがに僕でもわからないな。ただ単純な広さだけなら、王都と同じくらいだったはずだ」

 王都を一周ぐるりと歩いた場合、大体三時間くらいかかる距離だ。
 それと同じで、尚且つこの大自然となれば、もっと時間がかかるだろう。
 身体慣らしという意味では、確かに悪くない。

「コースは特に険しいルートを選択しておいた。強化魔術の使用は許可するが、それ以外は禁止とする。もし破れば最初からやり直しになるから注意してくれ。それと各クラスごとに目標タイムを設けてある! 特待クラスは一時間以内、そのほかのクラスは二時間以内だ!」

 達成できなかった生徒は、グレモーラの掃除を早朝からしてもらうというペナルティーも付け加えて説明された。
 朝から起きて広い建物を掃除……みんな嫌そうな顔をているな。
 俺は屋敷の掃除を一人でやっているし、綺麗にするのは嫌いじゃないけど。

「一時間か」
「私たちだけ倍の速さでゴールしろってことだね」
「それくらい余裕で出来るだろうってことじゃないか?」
「だろうな」
「なぁグレン、せっかくだし競争しないか?」
「もちろんいいとも! 君との勝負は望むところだ」

 炎魔術を使っていないのに燃えたように熱くなるグレン。
 勝負事が好きなのか、ただの負けず嫌いなのか。
 どっちにしろ、グレンがいてくれると張り合いがあって良い。
 
 先生からコースを教えられる。
 まず、森の中心部にある湖まで直進し、湖の中央を渡る。
 そのまま真っすぐ行くと、かつてドラゴンの巣があったという渓谷に入る。
 渓谷を下って、反対側へ渡ったら、今度は岩山を駆け登っていく。
 後は山を下りて森を大回りすればゴール。
 徒歩で移動すれば、半日はかかる距離らしい。

「は、半日? それって一時間はギリギリなんじゃないかな?」
「大丈夫だろ。妨害があるわけでもないらしいし」
「リンテンス君は良いと思うけどさぁ~」
「シトネも大丈夫だよ」
「本当?」
「ああ。俺が保証する」

 シトネは元々身体能力が高い。
 先祖返りだからというのもあるが、鍛錬を積んできた成果のほうが大きいだろう。
 強化魔術も洗練されているし、このくらいの課題なら余裕だと思う。
 俺がそう言うと、シトネは「そっか~」と言いながらニコッと微笑む。

「リンテンス君が言うなら間違いないね!」
「ああ。もっと自信もって良いと思うぞ」
「うん! じゃあリンテンス君を追い越せるように頑張るよ!」
「おぉ、シトネさんもやる気だね? 一緒に彼に一泡吹かせてやろうじゃないか」
「そうだね! 頑張るぞ~」
「僕も負けないさ」

 なぜか勝手に二人で盛り上がり出した。
 仲良さげに話す様子を見ていると、何だかモヤっとする。
 このモヤモヤの意味はわからないけど、とりあえず本気で引き離そうと決めた。

 準備を進め、スタート地点につく。
 俺は脚に意識を集中して、駆け抜けるルートを目で確認する。
 緑の葉っぱで光が遮られ、昼間だというのに森は薄暗い。
 整備された道とは違うから、迷ったり変な盛り上がりに躓くこともあるだろう。
 足底の感覚と、視覚情報を瞬時に処理して、正しい体の使い方が出来ないと駄目だ。
 こういう環境での訓練に慣れていないと、思わぬ失敗をするかもしれないな。

「全員準備は出来たな? では――はじめ!」
 
 まぁ、俺は普段からやっていることだから問題ないが。

「なっ――」
「速っ!」

 グレンとシトネが二人して驚く。
 いや、彼らだけではなくて、周囲にいた全員……先生も驚いていた。
 俺はただ、力いっぱい地面を蹴って走り抜けただけだ。
 ちょっと目で追えないスピード達しただけなのに、後ろを向けば誰もいない。

「あれ? 速すぎたかな」

 とか言いながら、さっきのモヤモヤの解消にはなってスッキリ。
 一人の独走状態の俺は、森の中を最短ルートで駆け抜ける。
 枝やツルを上手くつかい、一番近くて速い道順を、次へ次へと探っていく。
 早々に森を抜け、湖へと到着した。
 思っていたより大きな湖で、向こう岸まで千メートルくらいある。
 泳いだらさぞ大変だろう。
 そう言う場合は、水面を走れば問題ない。

「冷たっ!」
 
 水面を駆けるコツは、次の脚をとにかく出すこと。
 出し続ければ沈まない。
 単純な理由だ。
 強化魔術で魔力の流れを加速させれば、身体能力も極限まで高められる。
 そういえば、昔よく師匠と競争させられたな。
 大人げなく本気でやるから、俺は一度も勝てなかったけど。

「懐かしいな」

 とつぶやきながら、俺は当然のように水面を駆け抜ける。
 水面を駆け抜け、反対岸へ回る。
 再び森へ入り、すぐそこは崖になっていた。

「うおっと!」
 
 ギリギリで気付いていなかったら、そのまま落下するところだった。
 底は深すぎて見えない。
 このまま落下していたら、さすがの俺でも骨を折っていただろう。
 蒼雷を使って良いのなら話は別だけど。

「さて、ここを降りるんだったな」

 渓谷の反対側へ渡る際、一度降りてから昇れという指示があった。
 湖とは違って、反対側は目視できる距離だ。
 思いっきりジャンプすれば俺なら届きそうだけど、ルール違反になるから出来ない。
 仕方ないので、壁ギリギリを下ることにした。
 両脚を集中的に強化して、壁をガリガリ削りながら落ちていく。
 速度さえある程度殺してしまえば、落下の衝撃は防げる。
 これが出来ないなら、正直に壁を掴んで降りていくしかないだろう。

「強化魔術だけって言われると、選択肢が狭まるな~ まっ、俺は元々選択できるほど手数はないけどさ」

 誰もいないから暇になりつつあって、独り言を口にする。
 そのまま落下して、渓谷の底にたどり着いた。
 何だか異様な雰囲気だ。
 暗くてよく見えないが、ごつごつとした岩が並んでいて、風が吹き抜けている。
 それもちょっと臭い。
 嗅いだことのある匂いではあったけど、すぐ何かはわからなかった。
 ただ――

「これ……」

 あるものを見つけて、期待が過る。
 いや、この場合は不安と言ったほうが適切なのだろう。
 やれやれ。
 この研修中に、一波乱がありそうな予感だ。

 その後は普通に崖を垂直に登って、渓谷の反対側へ到達。
 岩山を登ったら、後は降りて走るだけ。
 一周を終えて、先生のいるスタート地点へ戻ってくる。
 
「速いなリンテンス! もう戻ってきたのか?」
「ええ。ちなみに何分でしたか?」
「二十九分だ。凄いぞ! 歴代二位の記録だな」
「二位?」
 
 あれ?
 てっきり一位とか思っていたんだが……
 いや、もしかして――

「ちなみに一位は、アルフォース様だ」
「……やっぱり」

 ここでも師匠に負けたのか。
 中々勝たせてくれない人だな、まったく。

 俺から十五分遅れて、二番手にグレンが到着する。
 続けてシトネが二分遅れでゴール。
 二人とも息を切らしてヘトヘトのご様子。

「リンテンス君、速すぎだよぉ」
「そうか? でも残念ながら師匠はもっと速いらしいぞ」
「えぇ……」

 疲れと呆れが同時に出たような顔をするシトネ。
 その横で息を切らしながら悔しそうにグレンが言う。

「まだまだ修行が足りなかったか……だが次こそ勝ってみせるよ」
「はははっ、負けず嫌いだな」
「君と同じさ」
「確かに。お互い負けてられないよな」

 もしも次やるなら、師匠の記録を超えて見せる。
 そう思った俺だったが、結局これに挑んだのは一回きりだった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 スタートから二時間後。

「よーし、時間内にゴールできた者はそのまま次の訓練に移るぞ! 皆、ゴールした時にベルトは貰っているな?」

 ゴールした際、黒いベルトを配られている。
 先生から腰に巻くよう指示され、言われた通りにする。
 すると、ベルトの背中側から半透明なヒラヒラの布が出現し、胸の所には数字が現れた。

「一?」
「私は三だよ」
「ボクは二だな」
「私は七です。おそらく先ほどの順位ではないでしょうか?」

 セリカがそう言って、納得する。
 胸に表示されているのは、準備運動のレースでついた順位と一緒だ。
 続けて先生が説明を始める。

「今から行う訓練は先ほどと同じ個人戦だ! 背から出ている尾、それを奪い合ってもらう」

 先生が説明したルール。
 尾を奪うと、相手の順位と入れ替わる。
 胸の数字を目印に、自分より高い順位の尾を奪って最終的に上位を目指せ。
 さっきと同じで、強化魔術以外は使用禁止。
 簡単に言うとそんな感じだった。
 
「順位に応じてポイントも付与する! 皆、頑張ってくれ」

 ポイントって?
 とはさすがにならなかった。
 魔術学校での成績は、定期試験の結果と、こういう訓練や競技などで配られるポイントで決まる。
 このポイントが少なかったり、定期試験で悪い結果を出すと、特待クラスから落とされることもあるから注意しよう。

「要するに鬼ごっこだね!」
「いや、だとしたら理不尽すぎるだろ」
 
 一位の俺は全員から狙われる。
 自分以外の百人以上が鬼って……どんな鬼ごっこだ。

「鬼ごっことは何だ?」
「あれ? グレン君やったことないの?」
「王都じゃあんまりやらないからな」
「そうなんだ。じゃあ何でリンテンス君は知ってるの?」
「師匠に教えてもらった」
「あぁ~ なるほど」

 鬼ごっこだ~
 とか言って、一日中追い掛け回された過去がある。
 修行の一環とはいえ、本気で怖かったよ。

「制限時間は一時間! スタート地点はこちらで指定する。各々最善を尽くす様に」
「一時間か」
「リンテンス、今度は君を捕まえるよ」
「いいや、今回も逃げ切ってみせる」
 続いての訓練内容は鬼ごっこ。
 より上位の順位を捕まえて、自分の順位を上げていく。
 ただし、一人だけ全く状況が異なっていた。
 
「では各自指定されたポイントに向ってくれ!」
「すぐに見つけるぞ、リンテンス」
「ああ、待ってる」
「ふっ、その余裕もいつまでもつかな?」

 グレンは俺にそう言って、反対方向へと歩いて行った。
 シトネとセリカも同様に異なる位置へ向かう。
 どこへ向かったのはは、配布された個人にしかわからない。
 ちなみに俺は、このスタート地点だったりする。

「ふぅ、一時間逃げ切れば勝ち……か」

 今回のルール上、参加者は二つに分かれるだろう。
 一つは自分の順位を守りながら、より上位の参加者を追う者。
 そして、順位が最初から低い者は、逃げることは考えず上位陣を探し、追い回すことに徹する。
 対して俺の場合は、この二つには当てはならない。
 なぜなら、俺より上はいないから。
 一位である俺は、一時間残りの約一五〇人から逃げ続けなければならない。

 正直、ちょっとしんどいと予想している。
 強化魔術以外は使えず、相手を必要以上に攻撃することも禁止されているから、俺は逃げるしか出来ない。
 せめて攻撃が許可されていれば、追ってきた人たちを返り討ちに出来るのに……

 とか物騒なことを考えている内に、全員が所定のポイントへたどり着いたようだ。
 合図は先生がもっている大筒の魔道具。
 とても大きな音がなるから、森全域に聞こえるそうだ。

「リンテンス、君も準備はいいか?」
「はい」
「よし、では始める。両耳を塞いでくれ」

 先生の指示に従い、両耳を手で覆う。
 大筒を構え、発射ボタンを押せば――

 ドンッ!

 空気の振動で身体がゆれるほどの爆発音が響き渡った。

 うるさっ!

 心の中でそうツッコンで、俺も森の中へと駆けていく。
 さて、早々に何人かの気配があるな。

「いたぞ!」
「ラッキーだぜ」

 さっそく二人。
 開始から十秒足らずで接敵した。
 スタート地点が近かった者だろう。
 一人は幸運を喜んでいるようだが、果たしてそれはどうかな?

「捕まえられるかな?」
「なっ――」
「速すぎんだろ……」

 一瞬で目の前から消えた俺に、唖然とする二人。
 直接声が聞こえなかったが、嘘だろとか言ってたと思う。
 数人ならこの通り、簡単に引き離せるが……

「エメロードだ!」
「おい待て!」
「はっはは! 次から次へと」

 止まらない。
 どこへ逃げようとも、俺以外の百四十九人が襲ってくる。
 見つかれば追われ、隠れていてもこの人数ならすぐにバレる。
 ならば走り回るしかない。
 休んでいる暇など、今の俺にはないようだ。

「リンテンス!」
「グレンか」

 開始十五分。
 早々に大本命の鬼と出くわしたな。

「今度こそ捕まえるぞ!」
「次も逃げきってやるさ!」

 追うグレン、逃げる俺。
 木々の間をすり抜け、他のクラスメイトたちも避けていく。
 最短ルートかつ人が少ない場所を選びながら進む。
 少しでも判断を誤れば、後ろから迫る鬼に丸のみにされるぞ。

「みーつけた!」

 今度はシトネか。
 グレンに追われる途中で、木の枝を掴んでシトネが現れる。
 
「ほい! あー惜しい」
「危ないなぁ」

 シトネは枝から枝へ飛び移り、上から落ちるようにして俺を捕まえようとした。
 横に跳んで躱したけど、思ったよりスレスレだったな。
 地上を走る他のクラスメイトと違って、シトネは周囲の地形を巧みに使ってくる。
 立体的な攻め方をされると、単純に速い相手より厄介だな。

「やるな! シトネさん」
「えっへへ~ リンテンス君はグレン君には渡さないよ」
「いいや、彼は僕が貰うよ」

 何だか別の意味に聞こえてくるな。
 複数人から詰め寄られているのも、何だか新鮮味を感じる。
 そんなことをシミジミと感じていた俺の背後に、新しい気配が出現。

「油断しましたね」
「セリカ!?」

 背後にいたのはセリカだった。
 恐ろしいことに、接近されるまで気配がまったく感じられなかったんだ。
 すでに彼女の手は、俺の腰から伸びるそれに触れている。

 とられる――

 瞬時の状況判断。
 俺の身体は、その直感に反応して動く。
 両脚で急ブレーキをかけ、そのまま後ろへ一回転。
 セリカの背後へ回る。

「――! これを躱すのですね」
「ギリッギリだよ」

 まったく油断できない。
 グレンとシトネ以上に注意が必要だな。

「しかし、よろしいのですか?」

 ふと、後になってから気付く。
 俺はずっと追われていた。
 そこへセリカの奇襲。
 宙返りで躱した先は、当然グレンとシトネがいる。

「そちらは死地ですよ」

 そうだった。
 改めて、自分以外は全て敵だと思い知る。
 前方にはグレンとシトネ、後ろにはセリカ。
 左右の木々の間からも、他のクラスメイトが迫っている。
 示し合わせたわけではないだろう。
 ただ、俺を捕まえるという彼らの目的は一致していた。
 故に偶然が重なって、共闘したようになっている。

 平面上に逃げ場はない。
 ならばどうするか?
 当然上に逃げるしかない。
 俺は大ジャンプで空中へ回避する。
 しかし、そうなると当然グレンたちも追ってくるだろう。
 最初に反応したのはやはりグレンだった。

「空中では避けられないだろ?」

 後から跳んだグレンは、俺に目掛けて突っ込んでくる。
 確かに、強化魔術しか使えないルール上、空中へ逃げることは自殺行為だろう。
 でもそれは――

「そっちも同じだろ」

 俺は身を捻ってグレンを躱す。
 そのまま脚を掴んで、背を踏み台にする。

「じゃあな」

 思いっきり踏んで、俺は斜め前へ跳び出す。
 攻撃は禁止のルールだけど、相手に触ることは禁止されていない。

「くっ……やられたな」

 現在十五分。
 残り時間……四十五分。
 鬼ごっこは続く。
 逃げる俺と、追いかけるグレンたち。
 他の者たちからも追われ、一度も止まれない。

「速すぎる……」
「はっ! いくら速くてもそのうち体力の限界が来るだろ!」
「一位の人ってしんどそう」

 追手を躱す最中、彼らから色々な声を貰う。
 一時間も休憩なしの全力疾走を続けることが、どれほど負担か言うまでもない。
 想像しただけでもどっと疲れるようだ。

 ちなみに当の本人はというと……

「いいぞこれ! 良い運動になるな」

 意外と楽しんでいるなんて、誰も予想できなかっただろう。
 退屈だと思っていた学外研修。
 いきなりハードモードだが、俺にとっては好都合。
 戦うことが出来ず、百四十九人から逃げ続けるこの状況は、今までに体験したこともない。
 下手したら師匠から追い回されていたときよりキツイかもしれないな。

 残り三十分と少し。
 俺はひたすら走り続け、全員から逃げ切った。
 スタートと同じ爆発音が鳴り響いて、訓練の終わりを知る。
 
「もう終わり? あと一時間くらいやってもいいのに」

 他のみんなが「はぁはぁ」と息を切らしているのに対して、俺は名残惜しさを感じていた。
 ちなみにグレンたちも自分の順位は守り切っている。
 何度もチャンスを逃して悔しがっていたな。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 一日目の訓練は鬼ごっこで終わりだった。
 まだ時間的な余裕こそあったものの、初日と言うこともあり短い。
 加えて猛ダッシュで疲れている者も多かった。

「確かに疲れたな~」
「そうは見えないが?」

 俺とグレンは同じ部屋で寛いでいる。
 二人一部屋が用意され、今は夕食まで待機中だ。
 俺はベッドに座り、グレンは目の前の椅子に座っている。

「あれでも呼吸一つ乱さないとはさすがだな」
「いや、さすがに結構きつかったよ。あの人数から逃げるのは大変だな」
「そう言いながら、途中笑っていただろ?」
「見てたのか」
「ああ。あの状況で笑えるなんて、正気の沙汰じゃないと思ったぞ」

 中々の言われようだが、実際その通りなのだろう。
 疲れはあるけど、楽しさのほうが勝っていた。
 師匠の訓練しているときの感覚に近い。
 要するに、満足したということだ。

「なぁリンテンス、今度また僕と手合わせしてくれないか?」
「ん、別にいいけど」
「ありがとう。やはり君と戦う方が訓練になる。出来るなら定期的にやりたいほどだよ」
「いいなそれ。じゃあ三日おきとか?」
「いいのか?」
「ああ。俺も師匠がいなくて退屈してたところだから」

 グレンは良い訓練相手になる。
 この間、親善試合の間に相手をしてもらって、そう感じていた。
 師匠はいつ戻るかわからないし、俺にとっても好都合だ。

「ならこの研修が終わったら」
「ああ」

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 男女で宿泊施設は分かれている。
 リンテンスとグレンが同部屋であるように、シトネとセリカも同じ部屋だった。
 男二人が修行トークで盛り上がる中、女性二人はというと……

「……思ったより広いね」
「そうですね」

 何とも言えない雰囲気を漂わせていた。

(うぅ~ どうしよう、気まずい)

 シトネは困っていた。
 部屋割りは基本的に希望に沿う。
 知り合い同士のほうがいいからと、同じ部屋になるよう提案したのはシトネだった。
 しかし、後になってから気付いたようだが、シトネはセリカとそこまで話したことがない。
 大抵はリンテンスが傍にいて、向こうにもグレンがいる。
 その中でちょっと話した程度である。

(な、何か話題提供しなきゃ)

「ね、ねぇセリカちゃん」
「何でしょう?」
「セリカちゃんってグレン君のメイドさんだよね?」
「はい」
「すっごく仲が良いけど、いつから一緒にいるの?」
「そうですね……」

 シトネの質問を聞いたセリカは、少し間をあけてから答える。

「私がグレン様のメイドになったのは、物心ついてすぐのことでした」
「そんなに早くから?」
「はい。私の家系は代々、ボルフステン家に仕えてきましたので」
「そっか~ だから二人とも仲が良いんだね」

 シトネはちょっぴり羨ましかった。
 自分ももっと前から、リンテンスと知り合っていれば、もっと仲良くなれたのかと。
 そんなことを考えていたシトネに、セリカが教える。

「そう見えるのはきっと、グレン様のお陰です」
「え、どうして?」
「私はあくまで使用人。父や母からも、節度をもって接するよう教え込まれました。ですがグレン様は、使用人の私にも優しく接してくださいました」

 主と使用人の関係は、決して仲睦まじいものではない。
 従える者と、従う者。
 完全な上下関係が成立している時点で、友人や知人とは明らかに異なる。
 グレンとセリカの場合が特別なだけだと、シトネは知らなかった。

「私にだけではありません。グレン様は誰に対しても平等に接してくださいます。中にはそれを快く思わない方もみえますが、多くの方がグレン様を支持してくださいます」
「そうなんだ。何だかリンテンス君と似てるね」
「はい。私もそう感じております。おそらくグレン様もだと思います」
「うん。二人ともすっかり仲よしだもん」

 グレンのことになると言葉数が増えるセリカ。
 気まずい雰囲気は解消され、それぞれの出会いを話し出すと、止まらなくなっていた。
 こうして二人は少しだけ、仲良くなれたと実感する。
 待機時間を過ごし、夕食で再び全員が集まる。
 広々とした部屋に長テーブルが連なっていて、そこに百五十人が座っている。
 さすがに圧巻の光景だと思った。
 俺たちもそのうちの一テーブルを使い、夕食をとる。

「食事は魔力回復に良いし、たくさん食べないとな」
「うん! いっただきまーす!」

 シトネは何だか上機嫌だ。
 セリカとも親し気に話している様子を見れたし、いい関係を築けているようでほっとする。

「明日からは何するのかな~」
「例年通りであれば、本格的な訓練は次回からのはずですね」
「先生もそんなこと言ってたね。ってことは明日も鬼ごっこ?」
「あれは今日の一回限りだと思いますよ。準備運動としてなら、一番最初に行った森を一周を優先するでしょうし」
「えぇ~ あれは走るばっかりで面白くないよぉ」

 シトネがぐでーっとしながらそう言った。
 確かに、ただ走るだけも詰まらないのは事実だ。
 俺も準備運動と言うなら、鬼ごっこのほうが嬉しい。
 あれを準備運動と捉えるかは、先生たち次第になると思うけど。

 二人の会話を聞きながら、グレンが言う。

「いやしかし、あれも中々に刺激的だったと思うよ。特に湖と渓谷は渡るのに苦労させられたからね」
「そうですね。噂では、リンテンス様は水上を走っていたと聞きますが」
「えぇ! そうなの?」

 シトネの視線がこちらに向く。
 そんなに驚くようなことなのかと、俺は首を傾げた。
 そうして渓谷でのことを思い出す。

「渓谷か」
「どうかしたか?」
「いや、そういえば渓谷に面しろ……妙な痕跡があったんだよ」
「痕跡?」

 グレンが聞き返す。
 この様子だと、気づいたのは俺だけのようだ。

「でかいものが落下した跡と、引きずって動いた跡だったかな」
「そんなものがあったのか」
「全然気づかなかったよ」
「移動に集中していましたからね。リンテンス様と違い、余裕はありませんでしたので」

 そうでなくても暗かったし、よく見ないとわからない。
 加えてそれの存在を知らなければ、痕跡を痕跡としてとらえられなかっただろう。
 二重の意味で仕方がないと言うと、グレンが尋ねてくる。

「それで何の痕跡だったんだ?」
「たぶんドラゴンだと思う」

 三秒。
 シーンと静まり返る。

「「「ドラゴン!?」」」
「うおっ、ビックリしたなぁ」

 突然の大声で身体がのけぞる。
 他のクラスメイトたちも、急なことで驚いている様子。
 やれやれとジェスチャーする俺に、驚いたままのシトネが言う。

「驚いたのはこっちだよ! ドラゴン!?」
「本当なのか? リンテンス」
「ああ、うん。あれと同じ痕跡を、前にドラゴンの巣で見たことがあるからな」

 大きく太い尻尾を引きずったような跡もあった。
 巨体と尻尾の跡を残し、渓谷となればドラゴンの可能性が一番高い。
 話によれば、ここは昔ドラゴンの生息地だったらしいし、いても不思議ではない……か?

「事実だとすれば大問題です」
「ああ。研修が中止されることもあるぞ」

 セリカとグレンが深刻な表情で言う。

「中止はさすがにいきすぎじゃないか?」
「何を言っているんだ。ドラゴンは一級災害指定のモンスターだ。それがいるとわかっているのに、研修を続けるのはリスクが高すぎる」
「一級災害指定……そういえばそうだったな」

 世界中に存在するモンスター。
 その種類は年々増え続け、現在五百を超えているらしい。
 等級別災害指定は、大きさ、強さ、繁殖能力などを基準として、どれだけの脅威があるかを分類するもの。
 一級災害指定は、一匹でもいれば都市が半壊する可能性が高いことを示している。
 ドラゴンは強力な存在だ。
 年が経つにつれ数も減ってきたが、その脅威は薄れていないと聞く。

「いや、でも大丈夫だと思うぞ? いても一匹だし」
「それは君の基準だろう? 判断するのは先生たちだ。あとで報告しに行こう」
「まぁ、そうだな」

 正直、ちょっとガッカリしている自分がいる。
 ドラゴンは久しく戦っていないし、強敵だから訓練相手にもピッタリだ。
 あわよくばと言う期待もあったから、その分もきているな。

 その後、俺とグレンで先生に報告をした。
 結論だけ先に言うと、研修は続行することになった。
 この周辺に関しては、常に数名の監視がいる。
 研修前から観察されているが、ドラゴンらしき影はなかったそうだ。
 痕跡も最近のものではないという判断となった。
 
「中止は免れたか」
「みたいだな」

 グレンも納得している様子。
 確かに監視がいて、見ていないとなれば安全と判断できなくはない。
 ただ、俺は密かに思っていた。
 あの痕跡は、少なくとも戦いがあったという時代に出来たものではなかった。
 もしかすると、何か起ころうとしているのかもしれない……と。
「今日は校舎の案内をする。皆、私の後についてきなさい」

 先生が教壇でそう言う。
 黒板には長々と注意事項と説明が書かれていた。
 学外研修一回目は特に変わったこともなく終わり、翌日から普通の授業が始まる。
 不穏な気配はあったが……二回目に期待といった所か。
 そして今日は、今更かと思えるオリエンテーションの続きで、校舎の紹介がされることになった。
 俺たちは席を立ち、先生の後に続いていった。
 
 一階から順番にみていく。
 特別教室や職員室、食堂なんかはすべて一階だ。
 続く二階は一年生の教室で、さっと流してみていく。
 三階も二年生の教室で、造りや風景はさほど変わらない。
 四階も同様なのだが、俺はちょっと憂鬱だった。
 この階層には、あの人がいる。

「そういえば、君のお兄さんが三年にいるのではなかったかい?」
「……ああ」
「え、リンテンス君ってお兄さんがいたの?」
「おや? シトネさんは知らなかったのか。アクト・エメロード三年首席。この学校で今、最も聖域者に近い人だよ」
「そ、そうだったんだ」

 そう言いながら、シトネは俺に目を向ける。
 俺が浮かない顔をしていることに気付いたのか、シトネが声をかけてくる。

「リンテンス君?」
「ん? ああ、そうだな。兄さんは凄いよ」

 無論、それだけじゃないけど。
 と、思った直後だった。

「久しぶりだな、リンテンス」

 その声は―― 

「兄さん」

 青黒い髪に、サファイアより濃い瞳。
 立ち姿、その風格は強者そのものであり、どことなく似ている。
 雷に打たれる前の自分と、姿が重なる。

 アクト・エメロード。
 俺の兄で、魔術学校三年首の座についている。
 いることは知っていた。
 この階層にくれば、出くわす可能性が高いことも。
 そして、会えば必ず、不穏な雰囲気になることも、容易に想像できた。
 今まさに、ピリピリと肌に刺さる緊張感が立ち込める。
 それを感じ取ったのか、三人を除く生徒たちは、目を背けながら先に進んでいった。

「お久しぶりです。兄さん」
「……ああ、十年ぶりか」
「……はい」

 淡々とした会話だ。
 仲の良い兄弟ではないと、誰もが思うだろう。
 冷たいその視線は、身内に向けられるような目ではない。
 まるで、親の仇を睨むように、兄さんは俺から眼を離さない。
 俺も……目は背けない。
 互いに無言のまま、気持ちの悪い静寂が続く。

「父上から」

 兄さんがぽつりと口を開く。

「入学したとは聞いていた。それも次席で……正直驚いたぞ。お前のような落ちこぼれが、ここへ入学出来ただけでも奇跡に等しいというのに」
「……そうでしょうね。特に、父上にとっては予想外だったでしょう」
「ああ。だが、それまでだ。お前ではこれより先に進めない」
「どういう意味です?」
「お前では聖域者にはなれないと言っているんだ」

 兄さんはそう断言して、俺にもっと冷たい視線を向ける。
 もはや殺意と言っても過言ではないレベルだ。
 常人なら震えあがってしまうかもしれない。
 でも、俺は引くことなく言う。

「それは、やってみないとわかりませんよ?」
「ほう、言うようになったな」

 バチバチと視線が火花を散らすようだ。
 途中、後ろ隣に立つシトネが、僅かに震えていることに気付く。
 俺に向けられたそれを、一番近くにいる彼女が感じ取ってしまっているようだ。

 兄さんは他の生徒たちに視線を向ける。
 小さく短く息をはき、俺の横を通り過ぎながら――

「いずれ思い知るぞ」

 そう言って、兄さんは去っていった。
 後姿が見えなくなるまで、俺はじっと兄さんを見つめ続ける。
 しばらくして、置いて行かれないようクラスメイトの元へ駆け寄った。

「大丈夫だったか? シトネ」
「う、うん……私よりリンテンス君は?」
「俺は平気だ。会えばこうなるってわかってたし」
「そ、そうなんだね」

 シトネは不安そうな表情で、俺をチラチラ見ては目を逸らす。
 兄さんのことが気になるけど、聞いてもいいのかわからない、という感じか。
 そういえば、兄さんのことは全く話していなかったな。
 機会もなかったし、話す理由もなかったからか。
 なら、今がちょうど良い機会なのだろう。

「シトネ」
「な、何?」
「帰ったら話すよ」
「……うん」

 シトネは優しく微笑み頷いた。
 こうして、午前のオリエンテーションは終わり、午後から授業が開始される。
 初めての授業は、魔術の基礎と歴史について。
 知っていることの反復でつまらない内容だった……と思う。
 正直、あまり集中できなかった。
 久しぶりに会った兄さんの顔が、言葉が頭に浮かんで離れないから。
  
 悶々としたまま時間は過ぎ、放課後となる。
 グレンとセリカと別れ、俺とシトネは屋敷に帰った。

「ただいま戻りました」
「おかえり。おや? 今日は随分としょぼくれているね」
「ええ……まぁ」
「うんうん、大体予想はつく。兄に会ったんだね?」

 師匠はずばり言い当てた。
 たぶん、千里眼で見ていたのだろう。 
 俺は頷き、ため息をつく。

「まぁまぁ、一先ず夕食にしようじゃないか」
「そうですね」

 作るのは俺なんだけど。

 それから普段通りに夕食をとって、片付けて。
 シャワーを浴びてから、俺は一人でベランダに顔を出した。
 すると、後ろから近づく足音に気付く。

「シトネか?」
「正解! よくわかったね」
「何となくだよ」

 師匠はもっと変な登場の仕方をするし、騒がしいからな。
 消去法でシトネしかいない。
 という分析は置いておいて、俺はシトネに話すことがあったんだ。
 シトネは俺の隣にくる。

「兄さんのことだけど……今でもいい?」
「うん、聞きたいな」
「わかった。俺が神童って呼ばれていたのは教えたよな?」
「うん」
「兄さんも最初は、同じように呼ばれてたんだよ」

 エメロード家に神童が生まれた。
 そうもてはやされ、周囲からも期待されていた。
 だが、それも長くは続かなかった。
 
 そう、俺と言う弟の誕生で、兄さんの人生は大きく狂ったんだ。

「簡単に言うとさ。俺のほうが才能を秘めていたんだよ。それで両親は喜んで、俺を鍛えることに全霊を注ぐことにした」
「じゃあお兄さんは?」
「放置された。この屋敷も元々は、兄さんが十二歳の頃まで暮らしていたんだよ」
「そうだったの?」
「ああ」

 そのことを知ったのは、師匠と出会ってしばらく後のことだった。
 古くて放置されていたはずの建物だったのに、なぜか最低限の手入れがされていたから、疑問には感じていたんだ。
 その後の経緯は簡単だ。
 俺が落ちぶれたことで、両親は兄さんを呼び戻し、代わりに俺をここへ放り込んだ。

「兄さんにとっては散々だろうね。俺の所為で振り回されたんだ。恨まれてても不思議じゃないよ」
「……」

 シトネは何も言わなかった。
 何を言っても、この時の俺には響かないと思ったのだろうか。
 授業が始まる前、担任の先生が教壇に立った。

「来週の今日、親善試合が行われる。立候補者はいるか?」
「親善試合?」
「おい、まさかこれも聞いていなかったのかい?」
「え……ああ、うん」

 返す言葉もない。
 グレンは呆れながら、俺に説明してくれる。

「毎年入学してすぐ、一年生と三年生の代表が交流をかねて模擬戦をするんだよ」
「へぇ~」

 意味合い的には、交流というより世の中の厳しさを教える……みたいな感じらしい。
 自信満々の新入生が行き過ぎないよう、在校生が力を見せつける。
 
「外部の観客も入れるから、僕たちにとっては最初のアピールの場にもなるけどね」
「なるほど」
「ちなみに、三年の代表は大抵首席だ」

 主席と言う単語を聞いて、思わずびくっと反応した。
 
 兄さんが出てくるのか。
 
「立候補者はいないか? いないのであれば、首席のグレンにお願いするつもりだが」
「先生!」

 と手をあげたのはグレンだった。

「何だ? グレン」
「立候補ではなく、推薦してもよろしいでしょうか?」
「ん? まぁ、いいぞ」
「ありがとうございます。僕は彼を、リンテンスを代表に推薦します」

 グレンは俺を指示し、堂々と名前を強調してそう言った。
 ざわつく教室と、驚くシトネ。
 当のグレンはニヤっと笑い、俺は眉を顰める。

「グレン?」
「このクラスで一番強いのは君だ。代表と言うなら君こそふさわしい」
「いや、首席はお前だろ?」
「ああ、だが僕は君に負けたばかりだ。自分の実力不足を痛感させられている。それに……」

 グレンは表情を変える。
 ニヤついていた顔が一変して、真剣な眼差しを向ける。

「相手は君の兄だろう。ならば実力の話を抜いても、君が一番戦いたいと思っているんじゃないかい?」
「……」

 正直、図星だった。
 兄さんが相手と聞いて、戦うなら自分が良いと思ったよ。
 ただ、周囲の目もあるだろうから、今回は控えようかと思っていたのに。

「もちろん嫌と言うなら僕が出るよ。もしかすると、勝ってしまうかもしれないけどいいかな?」
「ふっ、わかりやすい煽りだな。わかったのってやる」
「決まりだね」

 俺は右手を挙げて先生に言う。

「先生、俺が出ます」
「うむ。皆もそれで構わないか?」

 反対なし。
 入学直後の俺だったら、きっと全員が反対していただろう。
 ここまで全てグレンの思惑通りだとしたら……相当な策士だ。
 
「ありがとな、グレン」
「僕は何もしていないさ。頑張ってよ、リンテンス」
「ああ」

 やるからには勝つ。
 兄さんが出るなら、両親も観戦に来るかもしれない。
 丁度良い機会だ。
 あの人たちに見せつけてやるとしよう。
 落ちこぼれと吐き捨てた男が、頂に届きうる存在になったことを。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「なるほどなるほど、親善試合で兄と戦うことになったか」
「はい。それで相談なんですが、師匠に模擬戦の相手をして頂きたくて」

 親善試合の話を聞いた日の夜。
 夕食を囲みながら、俺は師匠にお願いをした。

「ほう、そこまで必要かい?」
「必要だと思います」
「今の君なら負けることはないと思うけどな~」
「だとしても、完璧な状態に仕上げておきたいんです。今回は……相手が相手ですから」

 俺がそう言うと、師匠は小さく頷く。
 表情と言葉から、俺の気持ちを察してくれたようだ。

「わかった。が、残念ながら出来ないね」
「なぜです?」
「実は王国から僕に依頼があったんだよ。明日には王都を出ないといけないんだ」
「急ですね。内容は?」

 師匠は首を横に振る。
 どうやら極秘の任務のようだ。

「そうですか……」
「すまない。弟子の頼みを無下にはしたくなかったのだが、これもお仕事だからね」
「いえ、師匠は本来こんなところで遊んでいて良い人ではありませんから」
「はっはっはっ、別に遊んではいないのだが……」

 さて、となると誰に相手を頼むか。

「リンテンス、ここは友人に頼ったらどうだい?」
「グレンたちですか?」
「うん、彼らの実力であれば、君の相手も務まるだろう」
「そうですね。頼んでみます」

 師匠以外で誰に、と考えた時。
 まっさきに浮かんだのはグレンだった。
 
 翌日、俺はグレンにそのことを頼むと、二つ返事でオーケーを貰った。

「君との訓練なら望むところさ」
「ありがたい。じゃあ頼む」

 親善試合まで約一週間。
 出来る限り追い込んで、戦闘の感覚を研ぎ澄ます。
 今の俺にも、期待してくれる人がいる。
 期待してない奴らも、大勢見に来るだろう。
 そいつら全員を沸かせられるような戦いを見せてやる。

 そして何より、兄さんに認めてもらうため。

 一週間はあっという間に過ぎて――
 親善試合の会場は、入学試験でも使われた闘技場だ。
 あの時は単なる集合場所として利用されたが、今回は本来の用途で使われる。
 更地だった地面には障害物となる岩や木が植えられ、土を増やし高低差も作られている。
 戦うためのフィールドは前日から準備されていたようだ。
 そして、観客席にはズラッと多くの生徒たちが座っている。
 一から三年の生徒はもちろん、卒業生や魔術師団の人たち、保護者から王国の重鎮まで勢ぞろいだ。
 たかが親善試合で何という賑わい……と思うが、あながち馬鹿に出来ない。
 サルマーニュ魔術学校の卒業生は、この国の未来を担う存在となり得る。
 特に三年の主席ともなれば、聖域者に最も近い存在だ。
 期待から値踏みするような目で見られても不思議ではないだろう。

「準備は万端だね?」
「ああ、お陰様で助かったよ。グレン」
「どういたしまして。僕も良い修行になった」

 代表者の控室に、俺を含めて四人の姿がある。
 修行に付き合ってくれたシトネ、グレン、セリカ。
 特にグレンのお陰で、コンディションは十全に仕上がったと言っても過言ではない。
 俺は力を入れた拳を見つめる。
 すると、シトネがその手を握って言う。

「頑張ってね!」
「ああ」

 試合前に勇気を注入された気分だな。
 これでより一層、調子は良くなったに違いない。

「じゃあ僕たちも観客席に向うよ」
「武運を祈ります」
「ああ、見ていてくれ」

 三人が部屋を出て行き、俺は一人残される。
 試合開始まであと十五分。
 静かな部屋で一人になると、余計に色々と考えが浮かぶ。

「兄さん……」

 緊張ではない。
 武者震いとも違う。
 何とも形容しがたい震えが、僅かに俺を動かしている。
 
 ここで待っていても落ち着かない。
 そう思った俺は、少し早いが控室を出ることにした。
 フィールドに入るトンネルで、戦いのゴングが鳴るのを待つ。
 そのつもりだったのだが……

「兄さん!」
「リンテンスか」

 偶然にも、道中で兄さんと出くわしてしまった。
 互いに向かい合い、無言のまましばらく経つ。
 これから戦う相手と戦う前に会ってしまうなんて、何とも間が悪い。
 俺も兄さんも、その場を立ち去ろうとする。

「ここにいたのか? アクト」

 が、またしても偶然が重なる。
 その声に反応したのは、兄さんだけではなかった。
 俺も……声の主をよく知っている。
 なぜならその人は――

「来てくださったのですね、父上」
「もちろんだとも、お前の活躍を見れる機会だからな」

 兄の父であり、俺の父でもある。
 直接顔を見るのは、家を追い出された日以来だ。

「お久しぶりです。父上」
「ん? ああ、何だいたのかリンテンス」

 気付いていた癖に、わざとらしく父上は言う。
 ならばこちらも、知っているであろうことをあえて口にしよう。

「はい。親善試合の代表ですから」
「ほう、そうだったな。何かの手違いかと思ったが……そうか。お前のような落ちこぼれを選出するなど……今年の一年生は期待できそうにないな」

 やれやれ、と言いたげにジェスチャーをする父上。
 これが、久しぶりに会った父と子の会話だ。
 もし何もしらない他人が横で聞いていたら、一体どう思うだろう?
 想像しなくてもわかる。

「ではな、アクト。()()()()期待しているぞ」
「はい、父上」

 そう言って、父上は観客席のほうへと歩いていく。
 
 お前には……か。
 要するに、俺には期待していないという意味なのだろう。
 わかりやすくて助かるよ。
 お陰でごちゃごちゃ考えずに戦える。
 
 そして、外からブーという音が聞こえてくる。

「時間だぞ」
「はい」

 俺と兄さんは別々の方向へと進む。
 背を向けぐるっと回り、対角の出入り口からフィールドへ入った。
 会場が湧き上がる。
 アナウンスが何かをしゃべっているが、フィールドにいる俺には聞こえてこない。
 観客席の声でかき消されているからだ。
 いや、そうでなくても聞こえなかっただろう。
 今の俺にとって、目の前の情報が全て。
 余計な情報は省き、戦いが始まった後の流れをシミュレートする。

「父上ではないが、俺も驚いている」

 唐突に、兄さんが口を開いた。
 研ぎ澄まされつつあった緊張が、僅かに緩む。

「俺が相手ってことにですか?」
「ああ……だが、小さな予感はあった。俺とお前が()()()()()()日からずっと、こうして戦う瞬間が訪れる予感が……。それが今日だとは、微塵も思っていなかったがな」
「……俺も、こんなに早く兄さんと戦うことになるなんて思いませんでしたよ」
「ふっ、見ろ」

 兄さんは観客席へ視線を向ける。
 俺もその視線に合わせて、ぐるりと観客席を見渡した。

「大勢の人が見ている。勝てば賞賛、負ければ恥だ」
「そうでしょうね」
「わかっているのか? 今のお前がここで負ければ、二度と再起の時は訪れない。永遠に負け犬のまま、一生を終えることになる」
「そうはなりませんよ? 勝つのは俺ですからね」
「……そうか」

 試合開始のベルが鳴り響く。
 微かに聞こえたアナウンスがなくなり、観客席も一瞬静まり返る。

「ならば、兄である俺が引導を渡してやろう」

 兄さんの背後に展開される無数の方陣術式。
 紫色の光が集まり、魔力エネルギー弾が撃ち出される。
 それは雨のように俺へと降り注ぎ、爆発の土煙で視界が塞がれる。
 
 終わったのではないか?
 そう思わせる光景を、彼らは見ていた。
 が、当然これで終わるなど――

「ありえない」

 赤い稲妻が走り、土煙を吹き飛ばす。