「おばあちゃん! 一心さん、おむすびちゃん!」
明るい呼び声に振り返ると、四葉さんがウエディングドレスの裾を持ち上げて、早足で駆け寄ってくるところだった。
満面の笑みだが、裾を踏まないかハラハラする。
「ああ、四葉。花嫁衣装で走るのはやめなさい。転んだらどうするんだい」
「大丈夫、大丈夫。ガーデンウエディングだから、裾が長すぎないドレスを選んだんだ。それに、私と柚人に身長差があんまりないから、パンプスのヒールも低いし。あとこれ、走ってないよ? 早歩き」
「またそんなこと言って……」
ぽんぽんと交わされるやりとり。四葉さんの口調の軽さも、話すスピードも私たちに接するときとは違って、家族の前での四葉さんのキャラクターを垣間見る。
藤子さんは、「やれやれ。嫁にいったのに手のかかる孫だ」と言って乱れた髪の毛を直してあげている。さっきも『また』という言葉が飛び出したし、相当おてんばで活発な少女だったのかも。
「昨日話していた思い出って、四葉さんとのことだったんですね」
こうして見比べてみると、年配の人にしては背が高い藤子さんと四葉さんは、顔の系統が同じだ。今日の藤子さんは眼鏡を外しているからわかりやすい。きりっとした、女優顔。四葉さんが歳をとったら、藤子さんみたいになるのか。
「え、なんのこと? 昨日って?」
「さあ。なんのことだろうね」
不思議そうに首をかしげる四葉さんに対して、藤子さんはしれっとごまかしてこちらを見る。眉をひそめて目をぱちぱちさせているのは、『黙っていろ』と言いたいのかもしれない。
「四葉さん、こちらからお祝いの挨拶に行こうと思っていたのに来ていただいてすみません。お友達とのお話は、もう大丈夫ですか?」
「うん、もう終わったよ。まごころ食堂のみんなに挨拶したくて探していたら、おばあちゃんとふたりが話しているのが見えたから、急いで来ちゃった。なに話していたの?」
一心さんが「まだ自己紹介をしたところです」と返し、四葉さんに向き合う。
「四葉さん。あらためて、ご結婚おめでとうございます」
柔らかくて自然な、レアな笑顔を浮かべる一心さん。
「おめでとうございます」
私も、その笑顔に見とれる前にお祝いを述べた。
「ありがとう。一心さん、おむすびちゃん」
はにかんだように微笑む四葉さんは、やっぱりキレイだった。
「ほんと、今日は来てくれてありがとうね。ケーキたくさん食べてって」
「はい。今たくさん取ってきたところです」
お皿を見せると、四葉さんは喜んでくれた。これはこういうケーキで、これがオススメで……と軽く説明をしてくれる。そして、お皿を持っていない藤子さんに気づく。
「おばあちゃんは? まだお皿も取ってきてないの? しょうがないなあ、ちょっと待ってて」
「あっ、四葉。自分でやるから、待ちなさい」
藤子さんが制止する前に、すたすたとお皿の場所まで歩いていってしまう。ふわふわした羽のようなドレスは、四葉さんの足かせにはならないみたいだ。
「花嫁がビュッフェを取っていたら、変に思われるだろうに」
「大丈夫ですよ。ここにいる人たちはみんな、四葉さんの性格を知っているから」
「……それもそうだね。あの子は友人に恵まれたみたいだ」
軽食やケーキをお皿に盛っている四葉さんの周りに、「どうしたの?」という様子でたくさんの人が集まっている。声は聞こえないけれど、四葉さんが笑顔で説明しているのがわかった。そして、周りにも笑顔が伝染する。
「私、四葉さんの飾らない性格も、かわいくて優しいところも、大好きです。あと、時々イケメンなところも。あんな女性になりたいなっていう理想の完成形が四葉さんかも」
そう伝えると、藤子さんは「褒めすぎじゃないかい」とからからと笑う。その表情が少しさびしそうに見えるのは、さっき聞いた話のせいだろうか。
「私からしたら今もおてんばな孫なんだけど、そんなふうに言ってもらえるなんてうれしいね。婆冥利につきるよ」
「性格は、藤子さんに似たんですね」
「ええ? 私と、あの子がかい?」
「はい。さっぱりしていてかっこいいところがそっくりです」
今まで笑顔だった藤子さんの顔が、くしゃりとゆがむ。
「店員さん。あんた、こんなところで婆を泣かせる気かい。せっかくここまで我慢してきたのに」
「ええ? そ、そんなつもりじゃ」
あわあわしているところに、タイミング悪く四葉さんが戻ってくる。
「お待たせ~! ん、どうしたの? おばあちゃん」
「なんでもないよ。ちょっとゴミが目に入って」
藤子さんは、指で目元をぬぐっている。本当に泣かせてしまったのだろうか。でも、かわいい孫の結婚式なんだから、泣くのを我慢しなくたっていいのに。さびしいのも、うれしいのも、感極まるのも、当たり前の感情なんだから。
サバサバしている藤子さんは、家族に泣き顔を見せたくないのかもしれない。
疑うことを知らない四葉さんは「そっか、大丈夫?」とそのまま信じている。
「あ、そうそう。おばあちゃんに料理取ってきたよ」
はいどうぞ、と言い添えながら四葉さんが藤子さんに渡したお皿。そこに盛られた料理たちを見て、私と一心さん、藤子さんは息をのんだ。
「四葉さん、これってもしかして……」
「お子様ランチ、かい……?」
ケーキがのっていると思っていたお皿の上には、エビフライ、ミニハンバーグ、トマトソースのパスタとパエリアがバランスよく盛り付けられていた。パエリアはわざわざ、型を使って抜いている。
「うん、そう。チキンライスはなかったんだけどね。色が似てるからパエリアでもまあいいかって。ちょうど近くにコップがあったから、それを使って形も作ってみたんだ。気づいてもらえたってことは、ちょっとはそれらしくなったのかな」
「……どうして、これを私に?」
お皿を受け取った体勢のまま、目を丸くしていた藤子さんがやっと口を開いた。
「覚えてる? 私が小さいころ、おばあちゃんによくデパートに連れていってもらったでしょ。そこで食べるお子様ランチが大好きだったんだ。昨日おばあちゃんに会ったら急に思い出してさ。なんか再現したくなっちゃった」
「覚えてるさ。四葉はいつも、私にお子様ランチを分けてくれたんだよ」
「そうだったね! なつかしいなあ」
藤子さんの声と、お皿を持つ手がかすかに震えていることに、四葉さんは気づいていない。
「あの……、聞いてもいいですか? 四葉さんだってお子様ランチが好きだったはずなのに、どうしていつもシェアしていたんですか?」
昨日藤子さんの話を聞いたときに不思議だったことを、四葉さんにたずねてみた。藤子さんは、『自分がよっぽどうらやましそうにしていたから気遣ってくれた』と言っていたけれど、藤子さんは家族の前でも本心を隠す人みたいだし、そんな人のわずかな変化に子どもの四葉さんが気づくだろうか。
私の質問に、四葉さんは照れたように頬をかいた。
「だって、おいしいものは大好きな人にも食べてほしいじゃない。あのころの私の〝おいしいもの〟の最上級がお子様ランチだったから、おいしさをおばあちゃんと共有したかったんだと思うな」
へへ、とはにかむような笑顔。私たちが考えていたよりもずっと単純で、もっと愛情にあふれていた答え。
それを聞いた藤子さんの顔は、泣くのを我慢しているように赤く険しくなっている。
「あ、大事なものが足りなかったね。なにか、代わりになるものはないかな……」
きょろきょろ周りを見回していた四葉さんが「あ、そうだ」と言って自分のつけていた花冠を取る。そこから威勢よくぶちっと、一本の花を引き抜いた。
ど、どういうこと? 四葉さんの奇行に、私たちは呆気にとられて呼吸を忘れた。
「な、な、なにやってるんだい」
泣きそうになっていたところにそんなことをされて、藤子さんの感情はパンク状態だ。四葉さんはお子様ランチの皿に顔と手を寄せてなにかをしている。
「お子様ランチには旗がないとでしょ。私、これが楽しみだったんだから。……はい、できた」
てっぺんに、白い花が飾られたパエリア。それは、旗のささったチキンライスと同じくらいしっくり調和して見えた。
「四葉……。あんたって子は」
藤子さんはとうとう、我慢できずに泣き出し始める。
「えっ、お、おばあちゃん? どうしたの急に!」
今までの事情を知らない四葉さんには、わけがわからなかったのだろう。おろおろしながら、藤子さんにかける言葉を探している。
「急じゃないです。藤子さんは昨日からずっと、さびしいのを我慢していたんですから」
一心さんは、藤子さんが隠していたことを躊躇なく暴露した。でも、きっとこれは隠す必要のないことだから。
「……そうだったの?」
四葉さんは驚いて目を丸くする。
「……ふん」
「もー。私が結婚しても、おばあちゃんとの関係はなんにも変わらないじゃんか」
四葉さんは瞳を潤ませて、藤子さんの肩を抱く。
「そうですよ。孫がもうひとり増える、くらいの気持ちでいてもらわないと」
柔らかな声がして振り向くと、いつの間にか柚人さんが近くに来ていた。
「そうだよ、おばあちゃん。今度柚人と三人で、こころ食堂にお子様ランチ、食べに行こ」
「ああ、そうだね……」
四葉さんにもたれかかったまま、目を閉じてうなずく藤子さんの口元は、穏やかな笑みの形に結ばれている。その四葉さんの手をそっと取る柚人さん。
小さかった四葉さんとの思い出のオムライスに、また新しい思い出が加わったことを確信して、私と一心さんは顔を見合わせた。
たくさんケーキを食べ、柚人さんや夏川とも話をし、楽しかったガーデンウエディングは終わりの時間を迎える。フィナーレを飾るのは、四葉さんによるブーケトスだ。
独身女性は前に出てください、と柚人さんにうながされ、私とミャオちゃんが進み出る。響さんは、自分も思いきって参加しようか最後まで迷っていた。
「じゃあ、投げますよ~」
四葉さんの声で、集まった女性たちが色めき立つ。やっぱり、女性だったらブーケを一度はキャッチしてみたいと思うのだろうか。
親族でも、古くからの友人というわけでもない私とミャオちゃんは、ほかの人にチャンスを譲れるようにそっとはじっこに移動する。
「えいっ」
そして、ブーケは四葉さんの手を離れ、ぽーんと高く放り投げられた。
四葉さんこれ、思いっきり投げすぎなんじゃ?
ブーケは待ち構えた女性たちの上……を素通りして、様子を静観していた男性参列者たちのもとへ。
「ん?」
そして、ぼんやりしていた一心さんの手元にすとんとおさまった。
「い、一心ちゃん……」
「な、なんだこれは。俺が受け取っていいのか?」
「ど、どうなのかしら……」
好奇の視線にさらされた一心さんは、明らかに動揺している。自分の手元のブーケと、周りの参列者を何度も交互に見て――。
「……っ。おむすび」
眉間に皺を寄せたまま、助けを求めるように私を呼んだ。
「は、はい」
あわてて駆け寄ると、無造作にブーケを渡された。胡蝶蘭をベースにした、白くて小さなブーケ。
「これを受け取れ」
「えっ、ど、どうしてですか?」
「普通は女性が受け取るものなんだろ。早くしてくれ。女性たちの目線が痛い」
「わ、わかりました」
私が一心さんの手からブーケを受け取った瞬間、周りがざわめく。
相変わらず一心さんに注目が集まっているが。女性たちの視線は、さっきまでとは違って熱気と興奮をはらんでいる……ように感じる。どうしてだろう。
「響さん、なんだかみんな、様子がおかしくありませんか?」
その様子に半分おびえながらたずねると、響さんは眉をぎゅんっとつり上げて私の肩を揺さぶった。
「あんた、花嫁のブーケの意味わかってるの? 受け取った人は次に結婚するって言われてるのよ」
「は、はい。聞いたことはありますけど……」
だからみんな、ブーケを受け取ろうと必死だったのだろう。それはわかっているけれど……。
響さんは、額を押さえてため息をついた。
「……なんでこんなにあたしが苦労しなきゃいけないのかしら。絶対間違ってる」
「響さん?」
「おむすびも一心ちゃんも、にぶすぎ。それを男から女に渡すって意味、ちょっとは自分たち考えなさいよ!」
びしっ! と人差し指をつきつけたあと、響さんは大股歩きでミャオちゃんのもとに行ってしまう。
「……なんで響は怒っているんだ?」
「さ、さあ……。わかりません」
残された私と一心さんは、首をかしげるしかなかった。
式の興奮がさめやらぬ私たちは、四人で二次会をすることにした。新郎も新婦もいない二次会だけど、全員がなんとなく、このまま家に帰る気分ではなかったのだ。
場所は、響さんのバー。
「お酒は作るけど、おつまみは作らないわよ。各々、コンビニで好きなものを買ってちょうだい」
と言われたので、チーズやポテトチップスなどを買った。お腹はすいていないけれど、飲んでいるとだんだんつまむものが欲しくなってくるから。
バーのカウンターに並んで座る私たち。響さんはさっとカクテルを作って、ミャオちゃんにはオレンジジュースを出してくれた。
一心さんはスーツのジャケットを脱いでネクタイをゆるめたのだが、それがまたかっこいい。響さんもベスト姿になって、普段のバーテン服の色違いといった感じだ。
「はー。今日の結婚式、素敵でしたね。四葉さんもすごくキレイだったし」
「ん。ケーキも、おいしかった」
ミャオちゃんは、私や一心さんがそばについていなくても、勝手にケーキを取って黙々と食べていた。私のそばを離れなかった芋煮会と比べるとすごい進歩だが、少しだけさびしい気持ちもある。
でも、満足そうなミャオちゃんを見ていると、そんな自分勝手な感傷もすうっと消えていった。
それからしばらく結婚式の感想を言い合っていたのだが、ミャオちゃんが突然、
「一心のごはんが食べたい」
と言い出した。
「結婚式でたくさん食べたでしょ。もうお腹すいちゃったの?」
響さんがとりなすように言う。
「すいた。ぺこぺこ。一心のオムライスが食べたい」
でもミャオちゃんは、引く様子がない。
私はまだ平気だけど、ミャオちゃんは成長期だから早くお腹がすくのだろうか。
ミャオちゃんにじいっと見つめられていた一心さんは、根負けしたようにため息をついた。
「……わかった。今から食堂に移動するか?」
「ううん、ここで待ってる」
「じゃあ、店の厨房で作ってくる。どうせだし、おむすびと響も食べるか?」
一心さんは、スツールの背にかけてあったジャケットを持って立ち上がった。
「そうね。時間も経って小腹がすいてきたし……。少しだけいただこうかしら」
「ありがとうございます。私も、控えめサイズだったら食べられそうです」
「わかった。行ってくる」
ジャケットに袖を通しながら扉に向かう一心さんの後ろ姿を見送る。
ぱたん……という、扉が閉まる音。その余韻が消えたころ、響さんが叱るような口調でミャオちゃんをたしなめた。
「……ミャオ。一心ちゃんのこと、わざと行かせたでしょう」
え、わざと? と混乱するけれど、ミャオちゃんはまったく悪びれずにうなずいた。
「そう。おむすびと話すのに、邪魔だったから」
「じゃ、邪魔ってミャオちゃん、どうして? 一心さんに聞かれたくない話なの?」
男性には聞かせたくない類の話なのだろうか。響さんはおそらく、ミャオちゃんの中で女友達カテゴリーに入ってるだろうし。
ミャオちゃんは、真剣な表情で私の目をじっと見る。なにかを探るような、そんな視線に居心地の悪さを感じる。
「一心がいたらおむすびが、話してくれないから」
「私が……?」
なんのことだろう。ミャオちゃんはゆっくり、私に言い聞かせるようにして言葉をつなげた。
「おむすび。私と響に、言いたいのに話してないこと、あるよね」
「えっ……」
思わず響さんを見たのだが、こちらもミャオちゃんと同じような表情をしている。
「言っておくけれど、ごまかしても無駄よ。あたしもミャオも、前から気づいているんだから。なんのことか、わかるでしょう?」
響さんの口調は、優しかった。そこに姉のような慈愛の気持ちが込められているのを感じて、ドキリとする。