「いや、昼営業に間に合うようにすぐ帰るさ。ここのメニュー、全部三つずつくれ」
「三つ? 親父と母さんで、ふたつじゃないのか?」
「司にも買っていってやろうと思ってな。あいつも来たがっていたんだが、開店準備のために置いてきたから」
「そこは親父が残るべきだったんじゃないのか?」
口ではそう言いつつも、一心さんはうれしそうだ。
「あら、このちらし寿司、素敵ね。この見た目、結さんが考えたんでしょう」
一心さんの盛り付けを観察していたお母さんが、私に笑顔を向けた。
「はい。でも、どうしてわかったんですか?」
「一心にこんなかわいらしいセンスはないもの。本当に、結さんがいてくれてよかったわあ。これからもよろしくね」
お母さんは会うたびに私のことを褒めてくれるが、過大評価されている気がしなくもない。
「はい、もちろんです。でも、いつも一心さんに助けられているのは私のほうなんですよ」
謙遜ではなく、一心さんへの感謝を伝えたくてそう言ったのだが、すぐさま横から一心さんからの否定が飛んできた。
「そんなことはないだろう。俺のほうが――」
「いえ、そんなこと――」
ねぎらい合戦になりかけていたら、響さんが私の頭を軽くチョップした。
「あんたたち、あたしの前でいちゃつくとはいい度胸ね!」
条件反射的に、カアッと顔が熱くなる。
「いちゃついてない」
「いちゃついてません!」
焦りながら抗議したら、一心さんと声が重なった。
「こりゃあ、響くんに一本取られたな」
お父さんが豪快にはははと笑う。そのままご両親は、上機嫌で帰っていった。
響さんがおかしなことを言ったせいで、私と一心さんの間に気まずい空気が流れる。そんな中、今まで黙々とお手伝いをしていたミャオちゃんが私の服の袖を引っ張った。
「おむすび。もうすぐ、行列ができそう」
「え、ほんと? ミャオちゃん」
「うん。このあたりの人、増えた気がする」
確かに、じわじわと人出が多くなっている感じではあるけれど……。猫と意思疎通できるくらいだし猫っぽいところがあるから、ミャオちゃんは周りのちょっとした変化にも敏感なのだろう。猫は雨が降るのがわかるというし。
「ミャオは勘が鋭いからね。もうすぐ十一時になるし、気を引き締めたほうがいいかもしれないわよ」
「そうだな」
その後、お昼が近づくにつれて行列ができていき、ピーク時は何組並んでいるのかわからなくなるほどだった。役割分担がうまくできていたからうまくさばけたが、一心さんとふたりだったら大変だっただろう。響さんとミャオちゃんがいてくれてよかった。
「ふう。だいぶ客足も落ち着いてきたわね」
「そうだな。注文も、ちらし寿司より桜餅が多くなってきた」
腕時計を見ると、もう午後二時。みんなそろそろおやつが食べたくなる時間だ。
「おむすび、今のうちにミャオと休憩に行ってきていいぞ。ついでになにか食べるものを買ってきてもらえるか?」
「いいんですか? ありがとうございます」
一心さんの提案は正直ありがたかった。お手洗いにも行きたかったし、朝ごはんを食べたきりでお腹が鳴りそうだったのだ。
「休憩っていうか、おつかいよ、おつかい。片手でさっと食べられるようなものがいいわね。あと、ノンアルコールビールがあったらお願い」
「わかりました。ミャオちゃん、行こうか」
ミャオちゃんと手をつないで屋台の裏から出ると、ザアッと吹いた春風がたくさんの桜の花びらを運んできた。足下にも散った花びらで絨毯ができているし、視界全体がふんわりとしたピンク色に染まる。
「……キレイ」
「ほんと、キレイだね」
人がたくさんいても、キレイなものはちゃんとキレイだ。お客さんたちがみんな笑顔のせいか、朝の神秘的な美しさとは違って、牧歌的な光景に思える。特設ステージから聞こえてくるのど自慢の歌声も、なんだかホッとする。
「ミャオちゃんは、なにか食べたいものある?」
「……わたあめ」
「じゃあ、探してみようか」
桜まつりを隅々まで見て屋台を物色したあと、牛串とキュウリの一本漬けを人数分と、缶入りのノンアルコールビールを買った。〝片手でさっと食べられるもの〟という注文は満たしているだろう。ひとつだけ買ったわたあめは、歩き回っている間にミャオちゃんがぺろりと平らげてしまった。
「ただいま戻りました。休憩ありがとうございます」
「早かったな。あんまり休めなかったんじゃないのか? どこかに座ってゆっくりしてもよかったんだが」
食堂の屋台に戻ると、調理台を拭いていた一心さんが気遣わしげな表情を見せた。
「いえ、大丈夫です。桜まつりは満喫できたし、ミャオちゃんも早く戻ってみんなで食事したいみたいだったから」
「そうか。ちょうど客も途切れたところだし、いただくか」
買ってきたものを渡すと、響さんは牛串と一本漬けを手に取って相好を崩した。
「あら、ちゃんと気が利くチョイスじゃない。おむすびにしては、わかってるわあ」
響さんが好きそうなものを考えて、ノンアルコールビールに合いそうなおつまみっぽいフードを選んだのだ。
「でもこれって、辛党の好みでしょ。おむすびとミャオの食べたいものは買えたの?」
「はい、ミャオちゃんにはわたあめを。でも、私の食べたかったものは屋台に売ってなくて……」
屋台は全部見て回ったつもりなんだけど、見落としがあったのだろうか。
「なにが欲しかったんだ?」
少しがっかりしている私に一心さんがたずねた。
「煮イカです。イカ焼きは売っていたのに見当たらなくて」
「煮イカって……ジャガイモを入れて作る煮物のこと? 屋台で売ってるものなの?」
響さんはキュウリを上品にかじりながら首をかしげる。
「いえ、それではなくて……。丸々一杯のイカを煮たものなんです。食紅で色づけしてあるから、赤い色をしているんですよ」
酢イカのような鮮やかな赤色をした、あっさりしょうゆ味が恋しい。ビニール袋に入って、単品のものと三杯ひと袋のものが売っていて、母と夏祭りに行ったときは三杯セットを分けて食べたっけ。
「赤いイカ……? うーん、私はイカ焼きしか知らないわね」
「そうなんですか。私は夏祭りでよく買っていたんですけど」
知らない人もいるんだなあと驚いていると、一心さんはさらに驚くような事実を口にした。
「響が知らないのも無理はない。煮イカはご当地グルメだからな」
「え、そうなんですか!?」
「確か、茨城と……あとは栃木くらいじゃなかったか。煮イカが祭りで売られているのは」
なんだかカルチャーショックだ。一心さんの料理の知識が屋台メニューにまで及んでいることもびっくりだけど。
「全然知りませんでした……。人気の屋台メニューだったし、全国的に有名だとばかり。それなら、見つからないはずですよね」
「煮イカが食べたいなら、今度まかないで作ってやる。俺は食べたことがないから、屋台の味にはならないかもしれないが」
「えっ、本当ですか?」
「まあ、こういうのは祭りで食べるからいいんだと思うが」
「そんなことないです。うれしいです!」
はしゃいだ声を出すと、響さんとミャオちゃんがじっとこちらを見ていた。観察するような視線は、私の一心さんへの気持ちが見透かされているようで居心地が悪い。響さんはともかく、ミャオちゃんも朝からなんだかおかしい。なんなのだろう、一体。
「あ、えっと……。私たちも食べましょうか」
「そうだな」
だれに会話を振ったらいいのかわからなくて、黙々と牛串を頬張る。おいしいはずなのに、周りの空気を意識しているせいで味がわからない。
「あ、あのぅ……」
そんなとき、屋台の近くでかぼそい声が響いた。
「ん?」
しかし、みんなで周りを見回してみるけれど、屋台の近くに人はいない。
「おかしいわね。声が聞こえた気がしたんだけど」
気のせい、のはずはない。さっきの声は、小さくて聞きとりにくくはあったが、かわいらしい幼い声だった。――もしかして。
「あっ、やっぱり」
調理台から身を乗り出して見てみると、ちょうど死角になる位置に小さな男の子がいた。
「こんにちは。ひとりでお買い物かな?」
声をかけると、男の子は背伸びして屋台の上を覗き込んだ。そして、『あれ?』という表情で首をひねる。そして、もじもじした様子でうつむいた。
「……迷子かもな」
一心さんが、男の子に聞こえないように小さくつぶやく。ミャオちゃんが、ぴくりと肩を震わせた。
「係の人に、連絡したほうがいいんでしょうか……」
「でもこの公園って、迷子放送とかできるの?」
大人たちがひそひそと相談している間に、ミャオちゃんは屋台を出て男の子の隣に並んでいた。
「こっち、屋台の中。いろんなジュース、ある」
そう言って、手を伸ばす。男の子は迷っている雰囲気だったが、その短いセリフで意味は通じたのか、おそるおそるミャオちゃんの手を取った。
「ん」
ミャオちゃんが満足そうにうなずいて、男の子を屋台の中まで連れてくる。
以前も、堀くんという小学生の男の子と友達になっていたし、ミャオちゃんは困っている子どもを放っておけないのかもしれない。子どものほうも、ミャオちゃんに対してはすぐに警戒を解くのは不思議だ。猫と子どもとミャオちゃんには、なにか通じるものがあるのかも。
「はい、ぼく。オレンジジュースは好き?」
響さんが紙コップに入れたジュースを渡す。椅子に座らせてそれを飲ませると、少し落ち着いたみたいだった。興味津々といった様子で、屋台の内部をきょろきょろと観察している。大人四人が入るとあまり余裕がないくらいのスペースだけど、子どもの目には秘密基地やキャンプのテントのように見えているのかも。
一心さんは、その子をちらちら見ながらそわそわしている、おそらく、一見無愛想に見える外見と話し方を気にして、自分から子どもに話しかけにいけないのだろう。小学生には『かっこいい』と人気の一心さんだが、この子はまだ就学前っぽいし。
小さい子にも一心さんの優しさはわかると思うんだけど、それはきっと時間がかかることで、今この状況には向いていない。
「おむすび。その子から事情を聞けるか? 俺だと怖がらせてしまいそうだから、頼む」
諦めたように眉間を揉んだ一心さんが、難しい顔で私に頼んできた。
「あっ、はい。わかりました」
ミャオちゃんにも協力してもらって、質問ではなく雑談、というていで情報を集めていく。迷子の子どもに『お母さんはどこ?』『はぐれちゃったの?』とストレートに質問するとパニックになってよくない、と聞いたことがあったからだ。
男の子は五歳で、名前はたくまくん。お母さんとふたりで桜まつりに来た、ということまでわかった。それなら、お母さんの特徴がわかれば捜索できるかも。
「たくまくんの今日のお洋服、かっこいいね。お母さんと選んだのかな?」
「うん、そうだよ」
たくまくんの着ている服は、春っぽいパステルカラーのチェックのシャツと、ベージュのパンツ、薄手のパーカー。大人でも着られそうなデザインで、センスがいい。
「わあ、オシャレだね。じゃあ、お母さんのお洋服は、どんな感じだったの?」
「えっとねー……」
白いブラウスに黒いパンツ、髪の毛はひとつにまとめて大きいバッグを持っていた、と聞いて、お祭りに来るのになんだか仕事着みたいな格好だな、と違和感を覚える。たくまくんの服は明るい色味のカジュアル系なのに。
でも、ブラウスとパンツといってもいろいろ種類があるし、カジュアルなデザインだったのかもしれない。
おしゃべりして喉がかわいたのか、たくまくんはオレンジジュースを飲みほす。その様子を見つめながら考え込んでいたミャオちゃんが、猫のように大きなアーモンド型の瞳を私に向けた。
「おむすび。猫に頼めばすぐ捜せるかもしれない」
「えっ、そんなことできるの!?」
ミャオちゃんの言葉に、声が裏返ってしまった。確かに以前、ミャオちゃんは猫をけしかけて、絡まれている私を助けてくれたことがある。でも、人捜しまでできるなんて。
「うん。猫ネットワークがある。猫同士で会話して、情報を共有できる」
驚く私に、ミャオちゃんは得意げに説明してくれる。声のトーンは変わらないけれど、鼻の穴がふくらむのでわかるのだ。
「猫ネットワーク……。すごいんだね」
猫を使った人海戦術ができるってことだよね。機動力の高い猫たちでそんなことができるなんてすごく頼もしい。そういえばこの公園では猫をよく見かけた。近所で飼っている家が多いのだろうか。
「近くにいた猫に、頼んできてみる」
そう言ってミャオちゃんは、ふわりと屋台の外に出ていった。近所に散歩に出かける猫みたいな身軽さで。
……ということは、ミャオちゃんは普段から猫ネットワークに参加したり、夜な夜な公園の猫集会に顔を出したりしているのだろうか、と余計なことを考える。でもそれでは、ミャオちゃんは〝猫っぽい女の子〟ではなく〝ほぼ猫〟になってしまう。
いや、それとも、ミャオちゃんといちばん仲良しで、脱走名人でありボス猫でもある〝豆大福〟を通じて猫の情報をゲットしているのかも。うん、そっちのほうが正解だと思いたい。
「今のうちに、桜まつりの運営のほうに連絡しておくか……」
私たちの会話を聞いていたらしい一心さんは、携帯電話を取り出して屋台の外でだれかと話している。通話し終えたあと、ふうと息を吐いて私と響さんを手招きした。
「どうだった? 一心ちゃん」
「屋台の責任者と話してみたんだが、今、ちょうど桜むすめのコンテストの最中らしくてな……。運営も人手が足りないらしく、迷子を預かっている余裕がないから、ここで保護していてもらえると助かると言われた。ただ、母親らしい人は捜してみるし、拡声器を使って呼びかけもしてくれるらしい」
たくまくんを横目で見ながら話す一心さん。たくまくんに〝迷子〟や〝母親〟というワードを聞かせないよう気を遣っているのがわかる。
「それなら、すぐ見つかりそうね。お祭りって言ってもせいぜい公園の広さだし。ミャオも捜してくれてるんでしょ?」
「はい。ミャオちゃんというか、正確には猫ですけど」
「え、なにそれ」
店番のため私たちに背中を向けていた響さんには、ミャオちゃんの言葉は断片的にしか聞こえていなかったらしい。説明をすると、目を丸くしていた。
「あの子、そんなことまでできるのね……。もうそれ、猫使いの域じゃない」
感心しているのか呆気にとられているのかわからないようなため息と共に、メルヘンなワードが吐き出される。ミャオちゃんには、『使ってるんじゃなくて、友達』と怒られそうだけど。
「まあ、ちょうどお客さんの波も引いたところだし、気長に待ちましょ。みんな桜むすめのステージに行ってるのかもね」
じっと座っているのに飽きてきた様子のたくまくんにあれこれ話しかけていると、ミャオちゃんが戻ってきた。
「ミャオちゃん、おかえり。なにか収穫はあった?」
実のところかなり期待していたのだが、ミャオちゃんは浮かない顔だ。屋台の中には入らずうつむいているので、私はミャオちゃんの前に立って手を取った。
「ミャオちゃん。どうしたの?」
「……おかしい」
ぼそっとつぶやかれた声には、切実な響きが混じっていた。
「公園にいる全部の猫に、捜してもらった。でも、たくまくんの言っていた外見の女の人は、いないって」
「え……?」
ミャオちゃんが、私を見上げる。感情を表に出さないはずのミャオちゃんが泣き出しそうな顔をしていて、ドキッと心臓が鳴った。
「見落としがあったんじゃないの? それか、お客さま全員には目が届かなかったのかもよ」
響さんが軽い感じでフォローを入れてくれるが、ミャオちゃんは首を横に振った。
「猫は人間のことをよく見てる。木に登ったりもできるから、見落としもないはず」
「つまり……どういうこと?」
場の空気も、響さんの表情も硬くなる。そして――。
「ミャオが心配しているのは……。たくまくんのお母さんがすでに桜まつりの会場にいない、ということなんじゃないのか?」
一心さんが、決定的な言葉を口にした。
「えっ……。だってそんな、それじゃ……」
最悪の想像が頭をよぎる。不安なはずなのに、お行儀よく待っているたくまくんは、とてもいい子だ。こちらが質問をしても一生懸命返してくれるし、大切に育てられているんだなって感じていた。だから、たくまくんのお母さんがそんなことをするなんて思いたくない。