明歩とは、地元のファミレスで待ち合わせた。高校生の頃から、よく使っているお店だ。
彼女と直接会うのは、未桜がバイトの面接に向かう途中で倒れた日以来だった。心配して毎日スマートフォンでメッセージをくれていた明歩は、店内で未桜の姿を見つけた途端、「生きててよかった!」と泣きそうな顔をして抱きついてきた。
新しいリップグロスをつけたことにも、やっぱりすぐに気づいてもらえた。「お父さんからもらった入学祝いなんだ」と話すと、「私、まだ親に何ももらってない!」と明歩は地団太(じだんだ)を踏んでいた。
久しぶりな分、話が弾む。
「ねえねえ、そういえば、バイトの再面接はいつになったの?」
ホットサンドを食べながら問いかけてきた明歩に、未桜は「え?」と訊き返した。
「こないだ言ってたじゃん。あのカフェの店長さんに電話を入れて、面接に行けなかったことを謝罪したら、特別に面接のやり直しを提案してくれたって。いくら無断遅刻に厳しいカフェチェーンといっても、今回は事情が事情だもんね。お店のすぐ近くの歩道で倒れて救急車で運ばれた人がいたこと、店長さんもきっと小耳に挟んで、心配してたんだよ」
「あ、その話なんだけど……実は、断っちゃったんだよね」
「えええええ⁉ 嘘でしょ⁉」
次の一口を頬張ろうとしていた明歩が、手を止めて大声を出した。トーストの隙間から、トマトとレタスがぽろぽろとお皿に落ちる。
「未桜のほうから断ったの? せっかく向こうが親切に、もう一回チャンスを作ってくれたのに?」
「うん。あ、もちろん、きちんとお礼を言って、丁重に辞退したよ!」
「そういうことじゃなくて。いったい、どういう風の吹き回し?」
明歩の大きな目は、眼球がこぼれそうなほど見開かれていた。
こんなに驚かれるとは思わなかった。だけど、明歩がこういう反応をするのも、当然のことだ。高校で三年間クラスが一緒だった明歩には、一年生のときからずっと、お洒落な喫茶店で働く夢について、事あるたびに語り続けてきたのだから。
「うーん……原因はよく分からないんだけど、カフェでアルバイトをするのはもういいかなって、急に思えてきちゃったんだよね」
「それは、熱が冷めたってこと?」
「というよりは……もう満足した、のかな」
「え、満足?」明歩がぱちくりと目を瞬いた。「働くどころか、面接すら受けてないのに?」
「そうなんだよね。自分でも不思議なんだけど……どこかでもう、カフェのアルバイトを済ませてきたような気分、というか。実際には働いてないのに、小さい頃からの夢が叶ったような気分、というか」
「何それ。意識不明だった間に、変な夢でも見たんじゃない?」
「……そうかも」
そんな気がしなくもない。お父さんへの嫌悪感も、カフェで働くことへの熱意も、昏睡状態から覚めると、なぜだかすっかり薄らいでいたから。
意識がなかった四日の間に、どうしてこんなにも心境が変化したのだろう。
その理由は、いくら考えても分からなかった。
「もう、未桜ったらさぁ……意識不明になって入院してたことといい、カフェでのアルバイトをやめたことといい、なんで事後報告なの? 大事なことはすぐに言ってよ、親友なんだから。未桜って、どうでもいい話はいっぱいするのに、肝心なことを黙ってる節があるよね」
「わあ、ごめんごめんっ! これから気をつけるね」
両手をパチンと顔の前で合わせ、目をつむる。数秒経ってからふと気づき、「どうでもいい話って何よ!」と食いかかると、「反応が遅いねぇ。まだ本調子じゃないのかな?」と茶化されてしまった。
シーフードドリアを口に運びながら、店内を見回す。
ドリンクバーの機械の前で、小学校高学年くらいの子どもたちがわいわいお喋りしているのを見つけ、微笑ましい気分になった。
十歳か十一歳くらいだろうか。どの子も溌剌としていて、とても可愛らしい。
──あれ、私、そんなに子ども好きだったっけ?
親戚に小さい子がいるわけでもないし、関わりがないはずなのにな──と首を捻る。
病院で目を覚ましてからというもの、自分が生きる世界のいろいろなことが以前と違って見えるのは、気のせいなのだろうか。
「そういえば、街路樹の桜、すっかり散っちゃったね。未桜の誕生日くらいまでは、ギリギリ綺麗だったのに」
ホットサンドを食べ終えた明歩が、窓の外を指差した。「あ、本当だねえ」と未桜もガラスに顔を近づけ、歩道に植わっている木々を見上げる。
このファミレスは、桜の時期になると、窓際の特等席がほとんど埋まったままになる。今年は都内のお洒落な有名店に浮気してしまったけれど、高校生のときは、明歩と一緒によく並んだものだった。
「今年はもう終わっちゃったけど、来年は時期を逃さないようにしなきゃ。そうだ、未桜の二十歳の誕生祝いに、お花見しながらデラックスパフェ食べよ!」
「それって、八百円のパフェを食べる口実がほしいだけじゃないの?」
「あはは、バレた?」
明歩の楽しそうな笑い声を聞きながら、未桜は街路樹を見上げ、美しい桜並木の光景を頭に思い描いた。
──再来年まで、あと二回の春を大切にしよう。
そう自分に言い聞かせてから、ふと疑問を抱く。
──あれ、どうして再来年なんだっけ?
あれこれ思考を巡らせてみたものの、よく分からなかった。成人する年でもないし、大学を卒業する年でもない。
けれど──と、考える。
二年後というのは、自分にとって、何か大きな区切りの年なのかもしれない。
桜の咲く春は、出会いと別れの季節だ。来年も、そして再来年も、未桜と周りの人たちとの関係性は、思いもよらない変化を遂げていく。
もしかすると、大好きな人との悲しい別れがあるのかもしれない。胸がつぶれるような惜別の時を迎えることになるのかもしれない。
でも、大丈夫だ。
それと同じくらい素敵な出会いが、きっと二年後に待っているから。
(了)
彼女と直接会うのは、未桜がバイトの面接に向かう途中で倒れた日以来だった。心配して毎日スマートフォンでメッセージをくれていた明歩は、店内で未桜の姿を見つけた途端、「生きててよかった!」と泣きそうな顔をして抱きついてきた。
新しいリップグロスをつけたことにも、やっぱりすぐに気づいてもらえた。「お父さんからもらった入学祝いなんだ」と話すと、「私、まだ親に何ももらってない!」と明歩は地団太(じだんだ)を踏んでいた。
久しぶりな分、話が弾む。
「ねえねえ、そういえば、バイトの再面接はいつになったの?」
ホットサンドを食べながら問いかけてきた明歩に、未桜は「え?」と訊き返した。
「こないだ言ってたじゃん。あのカフェの店長さんに電話を入れて、面接に行けなかったことを謝罪したら、特別に面接のやり直しを提案してくれたって。いくら無断遅刻に厳しいカフェチェーンといっても、今回は事情が事情だもんね。お店のすぐ近くの歩道で倒れて救急車で運ばれた人がいたこと、店長さんもきっと小耳に挟んで、心配してたんだよ」
「あ、その話なんだけど……実は、断っちゃったんだよね」
「えええええ⁉ 嘘でしょ⁉」
次の一口を頬張ろうとしていた明歩が、手を止めて大声を出した。トーストの隙間から、トマトとレタスがぽろぽろとお皿に落ちる。
「未桜のほうから断ったの? せっかく向こうが親切に、もう一回チャンスを作ってくれたのに?」
「うん。あ、もちろん、きちんとお礼を言って、丁重に辞退したよ!」
「そういうことじゃなくて。いったい、どういう風の吹き回し?」
明歩の大きな目は、眼球がこぼれそうなほど見開かれていた。
こんなに驚かれるとは思わなかった。だけど、明歩がこういう反応をするのも、当然のことだ。高校で三年間クラスが一緒だった明歩には、一年生のときからずっと、お洒落な喫茶店で働く夢について、事あるたびに語り続けてきたのだから。
「うーん……原因はよく分からないんだけど、カフェでアルバイトをするのはもういいかなって、急に思えてきちゃったんだよね」
「それは、熱が冷めたってこと?」
「というよりは……もう満足した、のかな」
「え、満足?」明歩がぱちくりと目を瞬いた。「働くどころか、面接すら受けてないのに?」
「そうなんだよね。自分でも不思議なんだけど……どこかでもう、カフェのアルバイトを済ませてきたような気分、というか。実際には働いてないのに、小さい頃からの夢が叶ったような気分、というか」
「何それ。意識不明だった間に、変な夢でも見たんじゃない?」
「……そうかも」
そんな気がしなくもない。お父さんへの嫌悪感も、カフェで働くことへの熱意も、昏睡状態から覚めると、なぜだかすっかり薄らいでいたから。
意識がなかった四日の間に、どうしてこんなにも心境が変化したのだろう。
その理由は、いくら考えても分からなかった。
「もう、未桜ったらさぁ……意識不明になって入院してたことといい、カフェでのアルバイトをやめたことといい、なんで事後報告なの? 大事なことはすぐに言ってよ、親友なんだから。未桜って、どうでもいい話はいっぱいするのに、肝心なことを黙ってる節があるよね」
「わあ、ごめんごめんっ! これから気をつけるね」
両手をパチンと顔の前で合わせ、目をつむる。数秒経ってからふと気づき、「どうでもいい話って何よ!」と食いかかると、「反応が遅いねぇ。まだ本調子じゃないのかな?」と茶化されてしまった。
シーフードドリアを口に運びながら、店内を見回す。
ドリンクバーの機械の前で、小学校高学年くらいの子どもたちがわいわいお喋りしているのを見つけ、微笑ましい気分になった。
十歳か十一歳くらいだろうか。どの子も溌剌としていて、とても可愛らしい。
──あれ、私、そんなに子ども好きだったっけ?
親戚に小さい子がいるわけでもないし、関わりがないはずなのにな──と首を捻る。
病院で目を覚ましてからというもの、自分が生きる世界のいろいろなことが以前と違って見えるのは、気のせいなのだろうか。
「そういえば、街路樹の桜、すっかり散っちゃったね。未桜の誕生日くらいまでは、ギリギリ綺麗だったのに」
ホットサンドを食べ終えた明歩が、窓の外を指差した。「あ、本当だねえ」と未桜もガラスに顔を近づけ、歩道に植わっている木々を見上げる。
このファミレスは、桜の時期になると、窓際の特等席がほとんど埋まったままになる。今年は都内のお洒落な有名店に浮気してしまったけれど、高校生のときは、明歩と一緒によく並んだものだった。
「今年はもう終わっちゃったけど、来年は時期を逃さないようにしなきゃ。そうだ、未桜の二十歳の誕生祝いに、お花見しながらデラックスパフェ食べよ!」
「それって、八百円のパフェを食べる口実がほしいだけじゃないの?」
「あはは、バレた?」
明歩の楽しそうな笑い声を聞きながら、未桜は街路樹を見上げ、美しい桜並木の光景を頭に思い描いた。
──再来年まで、あと二回の春を大切にしよう。
そう自分に言い聞かせてから、ふと疑問を抱く。
──あれ、どうして再来年なんだっけ?
あれこれ思考を巡らせてみたものの、よく分からなかった。成人する年でもないし、大学を卒業する年でもない。
けれど──と、考える。
二年後というのは、自分にとって、何か大きな区切りの年なのかもしれない。
桜の咲く春は、出会いと別れの季節だ。来年も、そして再来年も、未桜と周りの人たちとの関係性は、思いもよらない変化を遂げていく。
もしかすると、大好きな人との悲しい別れがあるのかもしれない。胸がつぶれるような惜別の時を迎えることになるのかもしれない。
でも、大丈夫だ。
それと同じくらい素敵な出会いが、きっと二年後に待っているから。
(了)