第50話 オウンゴール
「ここいい?」
「どーぞ」
今日は牛丼特盛にきつねうどん。この人の胃袋は異次元に繋がっているに違いない。そういう俺は焼き魚定食、今日は秋刀魚の塩焼きだ。
「どーよ、調子」
「まあまあですね。昨日退院したばっかですし。いろいろありがとうございました。お世話になりっぱなしで」
「じゃ、今度飲みに付き合え。奢ってやるから」
なんだそりゃ。普通そこは奢れって言うとこだろ。いちいち面白い人だ。
「なあ、愛花の事だけど」
「愛花? ああ、アイさんの事ですか。アイさん、本名は愛花って言うんだな」
中村さんは牛丼を掻き込む手を止めると、心底驚いたような顔をして俺の顔を覗き込んだ。
「知らなかったんですよ、本名。私も彼女も文芸仲間なんで、ペンネームでやり取りしてたんです。入院しなかったら未だに彼女も私の名前を知らなかったと思いますよ」
「それで良く付き合えたよな」
「お互いの作風も知ってますし、作品を通じて尊敬できる仲間でしたから」
「なんかお前見てると、仙人と話してる気分になって来るわ」
そう言うと、今度はうどんをズルズルと派手な音を立ててすすり始めた。
「愛花はやめといた方がいいぞ。あいつはなんつーか……生気を吸い取られる」
「妖怪ですか」
「そんなもんだな。全力でぶつかって来るから躱しても躱し切れない」
「私と一緒の時のアイさんは、いつも逃げ回ってばかりで、全くぶつかって来てくれませんでしたよ。ああ、でも出会った頃は体当たりだったか。逃げていたのは小説だけだな。いや、作家として書くことから逃げてた。読者と渡り合う事から逃げてたと言うべきかな」
途中から独り言になってしまったせいか、中村さんは何も言わずに黙って牛丼を掻き込んでいる。
「でも、彼女は俺を守ってくれてた。全身で。そんな事にも気づかないで俺は――」
「お前普段『俺』って言うんだな」
「あ、そうですね。今『俺』って言いました?」
「めっちゃ言ってた」
上着脱いで汗だくできつねうどん食ってる。十一月末だぞ。
「愛花が誰かを守ろうとするなんてなぁ。ありえねーよな、あいつの性格から言って。まず『あたしだけを見て!』からスタートだもんな。自分中心に世界が回ってると思ってる」
「そんな事ないですよ。ああ、あるか、あるな。確かにそうだ」
「だろ?」
俺はなんて言っていいのかよくわからなかったんで、黙って秋刀魚をつついた。
「本、出版することになったら言えよ。一生無いと思うけど!」
トレイを片付けながらニヤニヤと宣う中村さんに、俺は言ってやった。
「一月中旬に出ますよ。タイトルは『ヨメたぬき』。検索すれば出てきます」
目を見開いて固まる彼に、俺は澄まし顔で付け加えた。
「ペンネームは藤森八雲です。宣伝のコツを教えて貰えませんか」
夜、アイさんからLINEが入った。冬華さんにたったの一言で沈められた俺としては、アイさんからのLINEを見るのは正直気が重い。かと言って見ない訳にも行かず、のろのろとスマホに手を伸ばし、そして予想していたとはいえ、やはりその不安は大きな溜息に姿を変える。
▷八雲君はあたしと別れたいの?
何故そうなる。何故そこからスタートする。
◀私がそんなこと言いましたか?
▷質問に答えて。
◀寧ろ何故そうなるのか理解できません。
▷中村からメールが来たの。
え? 中村さん? 中村さんが今更アイさんに?
▷八雲君から手を引けって。
▷八雲君の『ヨメたぬき』読んだみたい。本が出る話したんだね。
▷あたしがいると八雲君が潰れちゃうからって言われた。
▷長谷川は俺の大事な後輩だ、って。あたしは八雲君の手に負える女じゃないって。
▷八雲君が中村に頼んだの?
は? は? 意味がわからん。
▷あたしが邪魔ならちゃんとそういってくれたら良かったんだよ。
▷中村なんかに言わなくても、あたしちゃんと理解できるから。
▷冬華君へのコメントもあたしと別れるための布石?
▷冬華君がああ言うのわかってて、わざとコメント入れたの?
何故そうなるんだよ、もしそうだとしても、そんなに頭回んねえよ。
▷読んでるね。既読ついてる。何も言わないのはどうして? 図星?
違う、整理してるだけだ。訳が分からん。
▷図星なんだ。そうだよね、こんなめんどくさい女、いない方がいいよね。
ちょっと待て。勝手に決めるな。考えさせろ。
▷冬華君からコラボしませんかって声かけられたの。
▷あたしの作品はあたしらしさが無くなってきたって。
▷八雲君に徹底的にチェックされて伸び伸びと書けてないって。
◀それ、呑んだんですか。
▷返事はしてない。でも八雲君があたしの事めんどくさいと思ってるなら、冬華君と書いていればあたしも気が紛れるから。
◀そんなこと聞いてない。私はアイさんの気持ちを聞いてるんです、冬華さんと組みたいと思ってるんですか? 私じゃなくて?
▷その方が八雲君の為だと思うの。八雲君はこれから有名になる人だから、あたしみたいなのと組んでたらいろいろ言われると思う。だからあたしたちは離れた方がいいのかもしれないの。
◀違う、そういう話じゃなくて、冬華さんと組みたいのかって聞いてるんだよ。
▷わかんない。けど、あたしの心の隙間は冬華君以外に誰が埋めてくれるの?
◀藤森八雲がいるでしょう? ここに相棒がいるじゃないですか。
▷その相棒の邪魔になるから言ってるの。中村にも言われた、あたしは我儘で自己中心的でプライド高くて自分勝手で、それで、一緒にいる相手を徹底的に疲れさせる女だって。あたしと組んでたら八雲君は潰れるって。
◀勝手に潰さないでください、俺はそんな簡単に潰れない。
▷入院したの誰よ。
◀アイさんが俺と別れたいんですか? 中村さんや冬華さんはどうでもいいです。アイさんはどうなんですか。
▷わかんない。
わかんないって、なんなんだよ、わかんないって!
◀俺はもっとわかんねえよ。
▷じゃあ仕方ないね。
仕方ないってどういうことだよ。どういう意味なんだよ!
▷今度こそコラボ解消します。八雲君は作家さんとして一人でも立っていられる。あたしは一人じゃ立てない。ずっとそばで支えてくれる誰かがいないとダメなの。君が書籍化という大仕事をする時に、君に頼ってばかりいるようなあたしは、君の邪魔にしかならない。毎日無条件に甘えさせてくれる人が必要なの。
▷冬華君と組みます。今までありがとう。楽しかった。
嘘だろ。
◀そうですか。
よりによって冬華さんと。
◀冬華さんならきっとアイさんを最優先に考えてくれますよ。
嘘だろ。
◀良かったですね。大事にして貰えますよ、きっと。
嘘だって言ってくれ。
◀ありがとうございました。
俺はオウンゴールを華麗に決めた。
「ここいい?」
「どーぞ」
今日は牛丼特盛にきつねうどん。この人の胃袋は異次元に繋がっているに違いない。そういう俺は焼き魚定食、今日は秋刀魚の塩焼きだ。
「どーよ、調子」
「まあまあですね。昨日退院したばっかですし。いろいろありがとうございました。お世話になりっぱなしで」
「じゃ、今度飲みに付き合え。奢ってやるから」
なんだそりゃ。普通そこは奢れって言うとこだろ。いちいち面白い人だ。
「なあ、愛花の事だけど」
「愛花? ああ、アイさんの事ですか。アイさん、本名は愛花って言うんだな」
中村さんは牛丼を掻き込む手を止めると、心底驚いたような顔をして俺の顔を覗き込んだ。
「知らなかったんですよ、本名。私も彼女も文芸仲間なんで、ペンネームでやり取りしてたんです。入院しなかったら未だに彼女も私の名前を知らなかったと思いますよ」
「それで良く付き合えたよな」
「お互いの作風も知ってますし、作品を通じて尊敬できる仲間でしたから」
「なんかお前見てると、仙人と話してる気分になって来るわ」
そう言うと、今度はうどんをズルズルと派手な音を立ててすすり始めた。
「愛花はやめといた方がいいぞ。あいつはなんつーか……生気を吸い取られる」
「妖怪ですか」
「そんなもんだな。全力でぶつかって来るから躱しても躱し切れない」
「私と一緒の時のアイさんは、いつも逃げ回ってばかりで、全くぶつかって来てくれませんでしたよ。ああ、でも出会った頃は体当たりだったか。逃げていたのは小説だけだな。いや、作家として書くことから逃げてた。読者と渡り合う事から逃げてたと言うべきかな」
途中から独り言になってしまったせいか、中村さんは何も言わずに黙って牛丼を掻き込んでいる。
「でも、彼女は俺を守ってくれてた。全身で。そんな事にも気づかないで俺は――」
「お前普段『俺』って言うんだな」
「あ、そうですね。今『俺』って言いました?」
「めっちゃ言ってた」
上着脱いで汗だくできつねうどん食ってる。十一月末だぞ。
「愛花が誰かを守ろうとするなんてなぁ。ありえねーよな、あいつの性格から言って。まず『あたしだけを見て!』からスタートだもんな。自分中心に世界が回ってると思ってる」
「そんな事ないですよ。ああ、あるか、あるな。確かにそうだ」
「だろ?」
俺はなんて言っていいのかよくわからなかったんで、黙って秋刀魚をつついた。
「本、出版することになったら言えよ。一生無いと思うけど!」
トレイを片付けながらニヤニヤと宣う中村さんに、俺は言ってやった。
「一月中旬に出ますよ。タイトルは『ヨメたぬき』。検索すれば出てきます」
目を見開いて固まる彼に、俺は澄まし顔で付け加えた。
「ペンネームは藤森八雲です。宣伝のコツを教えて貰えませんか」
夜、アイさんからLINEが入った。冬華さんにたったの一言で沈められた俺としては、アイさんからのLINEを見るのは正直気が重い。かと言って見ない訳にも行かず、のろのろとスマホに手を伸ばし、そして予想していたとはいえ、やはりその不安は大きな溜息に姿を変える。
▷八雲君はあたしと別れたいの?
何故そうなる。何故そこからスタートする。
◀私がそんなこと言いましたか?
▷質問に答えて。
◀寧ろ何故そうなるのか理解できません。
▷中村からメールが来たの。
え? 中村さん? 中村さんが今更アイさんに?
▷八雲君から手を引けって。
▷八雲君の『ヨメたぬき』読んだみたい。本が出る話したんだね。
▷あたしがいると八雲君が潰れちゃうからって言われた。
▷長谷川は俺の大事な後輩だ、って。あたしは八雲君の手に負える女じゃないって。
▷八雲君が中村に頼んだの?
は? は? 意味がわからん。
▷あたしが邪魔ならちゃんとそういってくれたら良かったんだよ。
▷中村なんかに言わなくても、あたしちゃんと理解できるから。
▷冬華君へのコメントもあたしと別れるための布石?
▷冬華君がああ言うのわかってて、わざとコメント入れたの?
何故そうなるんだよ、もしそうだとしても、そんなに頭回んねえよ。
▷読んでるね。既読ついてる。何も言わないのはどうして? 図星?
違う、整理してるだけだ。訳が分からん。
▷図星なんだ。そうだよね、こんなめんどくさい女、いない方がいいよね。
ちょっと待て。勝手に決めるな。考えさせろ。
▷冬華君からコラボしませんかって声かけられたの。
▷あたしの作品はあたしらしさが無くなってきたって。
▷八雲君に徹底的にチェックされて伸び伸びと書けてないって。
◀それ、呑んだんですか。
▷返事はしてない。でも八雲君があたしの事めんどくさいと思ってるなら、冬華君と書いていればあたしも気が紛れるから。
◀そんなこと聞いてない。私はアイさんの気持ちを聞いてるんです、冬華さんと組みたいと思ってるんですか? 私じゃなくて?
▷その方が八雲君の為だと思うの。八雲君はこれから有名になる人だから、あたしみたいなのと組んでたらいろいろ言われると思う。だからあたしたちは離れた方がいいのかもしれないの。
◀違う、そういう話じゃなくて、冬華さんと組みたいのかって聞いてるんだよ。
▷わかんない。けど、あたしの心の隙間は冬華君以外に誰が埋めてくれるの?
◀藤森八雲がいるでしょう? ここに相棒がいるじゃないですか。
▷その相棒の邪魔になるから言ってるの。中村にも言われた、あたしは我儘で自己中心的でプライド高くて自分勝手で、それで、一緒にいる相手を徹底的に疲れさせる女だって。あたしと組んでたら八雲君は潰れるって。
◀勝手に潰さないでください、俺はそんな簡単に潰れない。
▷入院したの誰よ。
◀アイさんが俺と別れたいんですか? 中村さんや冬華さんはどうでもいいです。アイさんはどうなんですか。
▷わかんない。
わかんないって、なんなんだよ、わかんないって!
◀俺はもっとわかんねえよ。
▷じゃあ仕方ないね。
仕方ないってどういうことだよ。どういう意味なんだよ!
▷今度こそコラボ解消します。八雲君は作家さんとして一人でも立っていられる。あたしは一人じゃ立てない。ずっとそばで支えてくれる誰かがいないとダメなの。君が書籍化という大仕事をする時に、君に頼ってばかりいるようなあたしは、君の邪魔にしかならない。毎日無条件に甘えさせてくれる人が必要なの。
▷冬華君と組みます。今までありがとう。楽しかった。
嘘だろ。
◀そうですか。
よりによって冬華さんと。
◀冬華さんならきっとアイさんを最優先に考えてくれますよ。
嘘だろ。
◀良かったですね。大事にして貰えますよ、きっと。
嘘だって言ってくれ。
◀ありがとうございました。
俺はオウンゴールを華麗に決めた。