第27話 大事件
『I my me mine』は思いの外好調だった。俺の二話目も三話目も順調に閲覧数を伸ばし、現在五話目までが三ケタに届いている。なぜこんなことになっているのかさっぱり理解できないが、それが事実として目の前に存在するのだから仕方ない。
それまでのアイさんのファンもみんなこっちに流れて来て、新たな読者も増え、自分でも返信が追い付かないほど読者感想欄がいっぱいになっている。
アイさん狙いだった筈の夏木さんと冬華さんも、何故か俺にはとても好意的に接してくれている。まあ、俺はライバルにもならないだろうから、後輩の扱いなんだろうな、実際後輩だし。
秋田さんは小説の書き方や作法なんかも丁寧に教えてくれて、それを見た春野さんまでいろいろと専門用語を解説してくれることもあった。
彼ら人気投稿者からたくさんの事を学んだ俺は、それらをどんどん自分の作品に取り入れ、さらに読者を増やしていった。
そしてアイさんの予言通り、俺はランキング上位に名前が載るようになり、文字通り『時の人』になってしまった。
アイさんは喜んでくれた。「ねっ、あたしの言ったとおりでしょ?」って何度も何度も嬉しそうに言う彼女はとても可愛かった。だが、それと同時に少しさみしそうにも見えた。「あたしだけの八雲君だったのに、『みんなの八雲君』になっちゃったね」……と。
暫くして夏木さんや冬華さんのような上位組に仲間入りした俺は、十話目を上げると同時に、ついに『ヨメたぬき』の一話目をアップした。
正直これは読まれないと思った。新婚夫婦の奥さんがある日突然たぬきになるのだ。普通に考えてナンセンスなコメディだ。だが、何故かそれがウケた。一話目から閲覧数がその日のうちに三ケタに上った。『I my me mine』と同じだ。
連載二十日目。毎日一話ずつの連載で、じわじわとファンを獲得していった俺に思いがけない事件が起こった。大手出版社から、書籍化打診のメールが来たのだ。
俺は何がなんだかわけがわからないまま「詳しく聞かせて欲しい」と返信した。
返ってきたメールは恐ろしい内容だった。
その出版社が新しく『コメディレーベル』とやらを立ち上げるらしい。その立ち上げ一本目の作品を『拾い上げ』という謎の手法によって決定し、それでたまたま俺の『ヨメたぬき』に白羽の矢が立ったということらしいのだ。
……『コメディ』の意味は知っている。『レーベル』とはなんだ? 『拾い上げ』とはなんだ? はっきり言って俺には宇宙語だ。意味がわからない。俺は必死に検索をかけてその言葉の意味を調べた。
そして驚愕した。初歩の初歩じゃないか。こんな常識のような言葉さえ知らないド素人の書いたものが本になる? これはとんでもない事じゃないのか? 世の中には自分の本が出したくて、日の目も見ないまま長年書き続けている人も大勢いる筈だ。それなのに俺ときたら基本の用語さえも初耳だったりするのだ。
俺は丸一日悩んだ。悩みに悩んで仕事も手につかないほど悩んで、結局それを受けることにした。理由は単純だ。わからないならやるしかない。実際に出版というのを経験することで、今まで知らなかったこの業界の事が少しくらいわかるかもしれない。素直にわかりませんと言って教えて貰った方がいいに決まっている。
俺は覚悟を決めて出版社に承諾のメールを送信した。まるっきり何もわからない素人であるということを添えて。
アイさんには……まだ言えない。本来これは公式発表まで内緒にしなければならない事なのだろうから。
でも、後で発表になった時にそれを知ったら、アイさんはどんな反応を示すんだろう。教えなかったことを怒るだろうか。いや、発表になるまで言わないのは当然だと割り切るかもしれない。今までと急に接し方が変わったら俺はどうしたらいいんだろう。
彼女は自分の本を出したくて、ずっと書き続けていた人だ。このサイトにやっと自分の作品の居場所を見つけたアイさんが、偶々見かけて声をかけた素人……その俺が、まさか自分を差し置いてさっさと書籍化なんて事になったら、流石にいい気分はしないだろう。いずれバレるのなら、今のうちに知らせた方がいいのだろうか。それとも公式発表を待つべきなのだろうか。
ああ、悩むことが多すぎて筆が進まない。だが、今俺にできることは『I my me mine』を書くことだけだ。『ヨメたぬき』はもう出来上がっている。結末までをまとめて出版社に送り、後はサイトで毎日1話ずつアップするだけだ。やれることをやろう。他に俺に残された選択肢は無い。
そんな時に、アイさんからメールが入った。LINEじゃない、メールだ。俺はてっきり次の下書きだと思った、が、そうではなかった。
『八雲君、少し前に言ってた旅行の事だけどね、宿押さえたから今度の土日は予定空けといてね。行先はまだ内緒。海のそばだよ。ホテルはあたしが懸賞で当てたから、宿代と電車代はタダ。ホテルも普通のところだから、浴衣もアメニティもちゃんと整ってるし、何も要らないよ。集合時間は七時半、集合場所は品川駅新幹線改札口……』
『I my me mine』は思いの外好調だった。俺の二話目も三話目も順調に閲覧数を伸ばし、現在五話目までが三ケタに届いている。なぜこんなことになっているのかさっぱり理解できないが、それが事実として目の前に存在するのだから仕方ない。
それまでのアイさんのファンもみんなこっちに流れて来て、新たな読者も増え、自分でも返信が追い付かないほど読者感想欄がいっぱいになっている。
アイさん狙いだった筈の夏木さんと冬華さんも、何故か俺にはとても好意的に接してくれている。まあ、俺はライバルにもならないだろうから、後輩の扱いなんだろうな、実際後輩だし。
秋田さんは小説の書き方や作法なんかも丁寧に教えてくれて、それを見た春野さんまでいろいろと専門用語を解説してくれることもあった。
彼ら人気投稿者からたくさんの事を学んだ俺は、それらをどんどん自分の作品に取り入れ、さらに読者を増やしていった。
そしてアイさんの予言通り、俺はランキング上位に名前が載るようになり、文字通り『時の人』になってしまった。
アイさんは喜んでくれた。「ねっ、あたしの言ったとおりでしょ?」って何度も何度も嬉しそうに言う彼女はとても可愛かった。だが、それと同時に少しさみしそうにも見えた。「あたしだけの八雲君だったのに、『みんなの八雲君』になっちゃったね」……と。
暫くして夏木さんや冬華さんのような上位組に仲間入りした俺は、十話目を上げると同時に、ついに『ヨメたぬき』の一話目をアップした。
正直これは読まれないと思った。新婚夫婦の奥さんがある日突然たぬきになるのだ。普通に考えてナンセンスなコメディだ。だが、何故かそれがウケた。一話目から閲覧数がその日のうちに三ケタに上った。『I my me mine』と同じだ。
連載二十日目。毎日一話ずつの連載で、じわじわとファンを獲得していった俺に思いがけない事件が起こった。大手出版社から、書籍化打診のメールが来たのだ。
俺は何がなんだかわけがわからないまま「詳しく聞かせて欲しい」と返信した。
返ってきたメールは恐ろしい内容だった。
その出版社が新しく『コメディレーベル』とやらを立ち上げるらしい。その立ち上げ一本目の作品を『拾い上げ』という謎の手法によって決定し、それでたまたま俺の『ヨメたぬき』に白羽の矢が立ったということらしいのだ。
……『コメディ』の意味は知っている。『レーベル』とはなんだ? 『拾い上げ』とはなんだ? はっきり言って俺には宇宙語だ。意味がわからない。俺は必死に検索をかけてその言葉の意味を調べた。
そして驚愕した。初歩の初歩じゃないか。こんな常識のような言葉さえ知らないド素人の書いたものが本になる? これはとんでもない事じゃないのか? 世の中には自分の本が出したくて、日の目も見ないまま長年書き続けている人も大勢いる筈だ。それなのに俺ときたら基本の用語さえも初耳だったりするのだ。
俺は丸一日悩んだ。悩みに悩んで仕事も手につかないほど悩んで、結局それを受けることにした。理由は単純だ。わからないならやるしかない。実際に出版というのを経験することで、今まで知らなかったこの業界の事が少しくらいわかるかもしれない。素直にわかりませんと言って教えて貰った方がいいに決まっている。
俺は覚悟を決めて出版社に承諾のメールを送信した。まるっきり何もわからない素人であるということを添えて。
アイさんには……まだ言えない。本来これは公式発表まで内緒にしなければならない事なのだろうから。
でも、後で発表になった時にそれを知ったら、アイさんはどんな反応を示すんだろう。教えなかったことを怒るだろうか。いや、発表になるまで言わないのは当然だと割り切るかもしれない。今までと急に接し方が変わったら俺はどうしたらいいんだろう。
彼女は自分の本を出したくて、ずっと書き続けていた人だ。このサイトにやっと自分の作品の居場所を見つけたアイさんが、偶々見かけて声をかけた素人……その俺が、まさか自分を差し置いてさっさと書籍化なんて事になったら、流石にいい気分はしないだろう。いずれバレるのなら、今のうちに知らせた方がいいのだろうか。それとも公式発表を待つべきなのだろうか。
ああ、悩むことが多すぎて筆が進まない。だが、今俺にできることは『I my me mine』を書くことだけだ。『ヨメたぬき』はもう出来上がっている。結末までをまとめて出版社に送り、後はサイトで毎日1話ずつアップするだけだ。やれることをやろう。他に俺に残された選択肢は無い。
そんな時に、アイさんからメールが入った。LINEじゃない、メールだ。俺はてっきり次の下書きだと思った、が、そうではなかった。
『八雲君、少し前に言ってた旅行の事だけどね、宿押さえたから今度の土日は予定空けといてね。行先はまだ内緒。海のそばだよ。ホテルはあたしが懸賞で当てたから、宿代と電車代はタダ。ホテルも普通のところだから、浴衣もアメニティもちゃんと整ってるし、何も要らないよ。集合時間は七時半、集合場所は品川駅新幹線改札口……』