小豆島。

『この紐を引っ張ると、幕が
降りて 場面が変わる。どんどん、
場面が来たら、降ろす感じな。』

子ども会のガキ大将=カイト達と
ボランティアで来た、
男女の小学生は、街の子っぽい。

農村舞台 装置の説明をする。

『こっちの紐をゆらして、
雪とか紙吹雪の籠を動かす。
紐を引っ張るだけで、
操作できるようにしてるんな。』

ボランティアの男の子は、
舞台裏に驚いている様。

もう何年になる?
東京から初めて、島に来てから。

『 兄さんなあ、
別んとこの人やったけど、
ボランティアでここの歌舞伎
やるようになって、そのまま
住むようになったんやぞ。』

カイトが、
ボランティアの男の子に
小さい声で 教えているのが
聞こえた。


かつて役者600人、
歌舞伎の掛小屋、
境内簡易舞台を入れると
最盛期150は 歌舞伎が見れる
場所が 島あったと言うのには
驚きだ。

テレビがない時代、
まあ、今も歓楽街なんてない島。

娯楽として
歌舞伎への注目度は 想像できる。

同じように、近くの 淡路島なら
文楽や 映画館なんていうのも
島には独自的に
多く小屋が並んでいたらしい。

『なに?カイト。
お、新しいボランティアの子
かぁー。そう、俺は、もともと
地元の人間じゃないな。』

カイトが こんなに、
ボランティアの子どもに 慣れる
なんて珍しい。

そして、
その男の子は聞いてきた。

『ここの舞台を やりたいから、
引っ越してきたんですか?』


どうして、島に歌舞伎が
盛んになったのか?

他の地域と島。
突出しての 違いは、

海だ。

伊勢参りが、
藩の移動できる、
唯一の理由になる 江戸時代。

全国 から伊勢に旅行する人。
伊勢から、帰路に帰る人の賑わい

天候が崩れれば、島への船は
出なく、足止めをくらう。

島の人は、どうしても
大阪で 船待ちになる。



『君、今日、シラサギ
動かしてた子やね。
どう?歌舞伎、面白かった?』


大阪は、上方歌舞伎だ。
船が出るまでの
人数が多くても 時間を潰せる
そんな場所だったのだろう。

歌舞伎に魅了された島人。

人気は瞬く間に広がり、
最初は、上方一座が島にくる。

『よく、わからないです。
歌舞伎も初めて見ました。カイトが出てるし、お手伝いもしたから、
オモロかったんだと思います。』

そう!自分も この島で、
歌舞伎を演じて はまった!

島人も だんだん
振付師なんかを呼んで、
自分達で、演じるようになった。

もしも、
一座を招いての公演だけなら
ここまで 農村歌舞伎は
残らなかったのでは?

いや、
奉納神事だった事も大きいはず。

舞台で立つと感じる。
人ではない
畏怖する 存在の眼差しを。

『それって、いつもと違う自分や、いつもと違う世界に 何か発見があったような気がして、
ちょっとびっくりしてる?』

捧げモノ。だからこそ、
大事にもしたのだろうか。

着物で500以上
かつらなら 90ほど

歌舞伎の根本は750は 残る。

まるで、時代劇にある
大黒帳のような 根本=台本。
あるだけでも凄い事だ。

古い時代文字を、
懸命に 読み解いて、
いまも台本を
起こす作業をしている。

今はやらないような、
古い演目も残る。


『少年時代の夏休やなぁ!!
良かった。
手伝ってもらったカイが
あったなあ。なあ、カイト。』

人の生きる時間なんて、
何があるか わからない。

戦争中、
軍服を着た 歌舞伎なんてのも
都市部では あったらしい。

次第に、娯楽は贅沢。
歌舞音曲なんて非国民な流れに
なって尚、
島の歌舞伎は 当時の知恵で
脈々と残された。


奉納神事として、
兵の壮行会の慰問だ。
あくまで、奉納神事の歌舞伎だ。
理由をつけて。

四苦八苦で
島の歌舞伎を存続させた
歴史を 聞いた。


『あとは、奈落に降りて、
回り舞台の底を見て行ってくれ
るか。みんな身長伸びてるな、
回し棒に手が掛かるか見ときな。』

そう、言うと
ウオーイって、子ども達は
男の子も女の子も
下へ降りて行った。


そうして、
さっき 聞いてきた男の子達と、
カイトを呼んで
舞台の 真ん中に ドカッと座る。

舞台の真ん中から
まっすぐ前を見ると、
神社が見える。

夏だから、7時になっても
まだ 明るい。

『君らと同じように
ボランティアで、ここの
農村歌舞伎を手伝って、
そのうち 舞台に出た。この
舞台に1回立つと思ったよ。

ここは 神さんに
見せる為の舞台 なんだって。』


だから、
台風がきても、嵐の中
観客が1人もいなくてもやるのだ

『勇気?!いった!凄くいった!
でも島にきた。へんだろ?
仕事でもないのに、
島で 歌舞伎をする 為に
こっちに住むなんて?』

舞台に手を ついて、
舞台から 投げ出した足を、
ブラブラさせて、答える。

ここには、演じる事の
本来の意味がある舞台だ。

島の暮らしは、
東京とは 違う。
せめて高松市とかでも
移住は良かったとかもしれない。

じつは 高松にも
茅葺き舞台があって、
小豆島の土庄町小部地区が
所有している。

そこでの 舞台でもいいの
かもしれない。

大人達はもう、
公民館に 行ってて、
ナラクから聞こえてた
子ども達の声も

今は消えている。

『神さんと、自分。それだけに
なる。凄い 生かされてるって、
満たされる。あんまり、
わからんかもやけど、大人に
なって 俺の言葉、思い出して
くれたら いいよ。』

きっと歌舞伎だけじゃない。
人の数自体、
減少していて、
この島の人口も 同じくだ。

現代には 野郎歌舞伎だが、
本来の女歌舞伎や、若衆歌舞伎へ
逆行する
後継の歩みが もう地方では
出て来ている。

『お疲れ様でしたー!
ボランティアの皆さん!
よければ地元の方が お疲れ様会で、食事を公民館に用意して
下さってますので、
ぜひ食べて行ってくださーい!』

今日、
この農村歌舞伎に
かつて 自分が魅せられた 様に

この男女の小学生の心に
種が 蒔ければ 有難い。

涼しくなると、
虫の声が 聞こえる。

そんな風に 思っていると

『お兄ちゃん、時間だよ。』

少女の顔が、舞台に乗った。