「え……?」
誰かが、私の反対の手を強く握った。
「キキョウさん……」
「あら、キキョウ。お前はまだ宴に参加していい歳じゃないはず。どうしてここに?」
「腕を、離してください」
シドウさんは、キキョウさんの言葉に素直に従って私の腕を解放した。
「私たちの憎むべき人間、でも私は手荒なことはしたくない。さあ、皆さん。この可愛らしい人間にチャンスを与えるというのはどうでしょう」
わざとらしく『可愛らしい』という言葉を使い、切れ長の目で私を見る。
だけど、刃のように鋭い視線のその中に哀しさを同時に感じた。なんだろう……。
それよりも、きっと初めに会った時から私が人間だと、全てを把握していたんだ。
「チャンス、というのは?」
「キセキバナ、その種を……そうですね、12月31日までに見つけて来れば、真由さんの災いを止めたい、そしてこの街を救いたいという気持ちが本物だとみなし、私はあなたに信頼を差し上げよう。私の信頼は地主の信頼でもある。さあ、どうしましょう、真由さん。まあ、断る理由もないですよね?」
「分かりました。その日までに、必ずキセキバナの種をシドウさんのもとに持ってきます」
「もし出来なかったときには、真由さんの命はない。……しかし、この街を救うためだ、仕方がないこと」
そのことは私も重々分かっている。私のせいで、皆がこの街を失うなんて絶対あってはいけないこと。
「分かっています。私だって、この街が消滅するのは心苦しいですから」
「楽しみにしていますよ」
ふふっと、シドウさんは笑う。
「真由さん、行こう」
キキョウさんに手を引かれ、私はざわつく宴の会場を後にした。
「大丈夫? 真由さん」
「うん……ありがとうございます、助けてくれて」
「嫌な予感がしてたんだ、ずっと」
キキョウさんの私を握る手が震えていて、私はその手を握られていない別の手で包み込む。温かくて優しい手。きっと、宴の場に来るのだって相当の覚悟が必要だったと思う。
私の為に来てくれたキキョウさんを、とても愛しく感じる。
「絶対に見付けます。なんとしてでも」
「1つだけ、不確かだけど情報がある。キセキバナの種は当てずっぽうに探しても見つからない。種の在りかを示すものが存在するって。ただ、それがなんなのかが分からないんだ」
「種の在りかを示すもの……」
なんだろう……全く思いつかない。
「僕ももっと調べてみるよ」
「本当に、ありがとうございます」
キキョウさんは厨房まで私の手を握って送ってくれる。
ありがとうと言う気持ちよりも…………。
「真由? どうした?」
「あ、えっと……」
なんて言えばいいか迷っていると、代わりにキキョウさんが言葉を紡いでくれた。
「シドウさんが、真由さんのことを人間だと皆の前で話したんです。……それで、彼女にチャンスを与えると」
「チャンス?」
カイさんは眉をしかめて話を聞いている。
キキョウさんに続いて、今度は自分の言葉でシドウさんに言われたことを自分自身でも確認するためにゆっくりと話す。
「12月31日までに、キセキバナの種を見付ける事です。もし、見つけることができれば私の思いを本気だとみなして、信頼を与えてもらえると……」
「……なるほどな」
「その時キキョウさんが隣にいてくれて……」
本当に、あの時キキョウさんの手が私を握ってくれなかったら今頃私はどうなっていただろう。
あの部屋を出た瞬間泣き崩れて、床に大きな水溜りを作って、ここに帰ってくることすら出来なかったかもしれない。
「キキョウ、真由を助けてくれてありがとう」
「いえ、同じ年代の女の子が1人立ち向かっていると思うと居てもたってもいられなくて……」
「キキョウさん……」
胸が温かくなる言葉を、どうしようもなく嬉しくなる言葉を、キキョウさんは伝えてくれる。
「皆さんで話しているところ失礼」
「シ、シドウさん」
いつの間にか、知らない間に霧が空間を埋め尽くすように音を立てず、シドウさんが私たちの前に姿を現した。
そして、キキョウさんの肩に長く白い指を置く。人差し指を、とん、とん、とんと一定のリズムでその肩の上で刻んでいる。
キキョウさんは動かない。
「真由さん。今度、僕に真由さんが作ったハーブティを飲ませてくれないかな? 僕に合うハーブを選んで欲しいね」
あくまでも穏やかに、通る声で話す。
「そ、それは……、まだまだ人に淹れられるようなものでは」
「へえ……じゃあ、嘘なんだ。カフェで話した皆を幸せにしたいっていう言葉」
まるで別人かのように、さっきとは違った低く冷たい声を出す。人差し指の速さが、先程よりも早くなる。
「嘘なんかじゃ」
「じゃあ、僕に淹れてくれるね?」
「……はい」
これも、シドウさんから私への試練なの? シドウさんはどうしてそこまで人間のことを恨んでいるの?
聞かせて欲しい、そしてその苦しみを少しでも私が昇華させてあげられることが出来れば、シドウさんだって苦しみの呪縛から解放されるはず……。
「さあ、キキョウ行こう」
「行かないよ」
キキョウさんは肩に乗るシドウさんの手を払った。
「真由さんの側にいる。災いが終息するまでは」
「へえ……分かったよ。弟にもそう言っておこう」
シドウさんさんは、その言葉を言うと厨房から出て行った。
「で、何故俺の家に……」
「側にいるって、言ったじゃないですか」
カイさんの家にキキョウさんの姿。
私の側にいる、とその言葉通り宴の後に3人で共にここに帰ってきた。
まさか本当に物理的に側にいるという意味だったとは思わず、私も正直目が丸くなっている。
「そりゃそうだが……学校は?」
「学校は行きます。食費その他諸々はお支払いしますので」
キキョウさんは、何か問題でも? と言いたげな表情をして話し続けている。
でも、それはキキョウさんのわがままなんかじゃなくて私のためで、カイさんもそれは分かっている。
「いや、それは構わんのだが……」
「と、とにかくご飯にしませんか? お昼も食べてないですし」
時計の針は5時を指している。
朝に食べたい以来何も口にしていないから、そろそろ空腹に限界がきそうだった。
「そうだな。とりあえず……キキョウには真由の隣の空き部屋で暮らしてもらうか」
「ありがとうございます」
夕食を食べ終わって気が抜ける時間、普段ならふうっと一息ついてだらあんとしているけれど、今はそんな余裕がなくシドウさんのハーブティー問題、キセキバナ問題、と大きな問題が頭の中を占めていた。
「真由さん、大丈夫?」
「シドウさんに合うハーブティーって、なんだろう……」
「シドウさんは、ラベンダーが好きだよ」
「ラベンダー……」
「ラベンダーに合うハーブと、かつあの人の雰囲気に合うものを考えていい比率でブレンドしないといけないな」
ラベンダーが好き、あの香りが好きなのかな? そうだとすると……。
「……あえて、ラベンダーだけ、というのはどうでしょう? それに蜂蜜を加えるんです。買ってきた本に、ラベンダーは高ぶった精神を鎮めたいときに飲むといいと書いてありました。私だけかもしれないですけど、蜂蜜も同じように心がほっとするんです。きっとシドウさんも心落ち着く時間を楽しみたいはずです」
「うん……そうだな。それなら、蜂蜜をどれだけ入れるかを考えるか。……ていうか、いつ来る予定なんだろうな」
「確かに、シドウさんは何も言っていませんでしたね」
「多分、ふらっと来ると思います。シドウさんは、そういう人ですから」
キキョウさんの言葉には、説得力がある。
ずっと近くで見てきたんだろうから、私やカイさんよりも何倍もシドウさんのことを理解していて、少なからず愛情だってあるはず……。
「いつでも淹れられるようにしとかないとだな……」
「そうですね」
その後、寝るまでの時間に蜂蜜の量を変えてラベンダーティーを淹れる。でも、納得のいくものはやっぱりそう簡単には出来なくて、今日は一旦休むことにした。
「それじゃあ、おやすみなさい」
2人に挨拶をして部屋に戻ってくると、すぐに災いに関する本を開く。
どこかに、種がある場所のヒントが書いてあるかもしれない。1文字ですら見逃さないように集中して文字を追っていく。
ふと本から気を抜くと、外から何かの鳥の鳴き声が聞こえてきた。
閉じていた窓を開けると、少し冷たい風が吹いていて頬をかすめる。日が経つにつれ、だんだんと空気が冷たくなっていくのを感じる今日この頃。
私の住んでいるところは冬と言っても雪はほとんど降らないけれど、ここはどうなんだろう。カレンダーを見ると10月で、自分の住んでいるところの10月よりも大分夜は冷え込んでいる。
一面真っ白の雪化粧を想像すると、子どもが雪を見て興奮するが如く、私の心も踊ってくる。
災いなんて早く消えて、この地に平和が訪れればいいのに。ねえ、どこなの? キセキバナは、どこにあるの?
私は本当に、この世界を救うことができるの?
「真由さん、顔色、悪くないですか?」
1週間が経った。だけどシドウさんはまだ現れずに、私は日々ラベンダーティー作りに勤しむ。
最近は、夜遅くまでハーブや災いの本を読んでいるせいで少しだけ寝不足気味。
それでも自分を動かすのは、今までの皆との思い出で、そこから溢れ出す優しさを思うと、どうしてもこの街を灰の下に埋めることなんて出来ない。
「大丈夫ですよ、ちょっと疲れてるだけだから」
「でも……」
もう1度大丈夫と言おうとしたとき、カイさんが肩に手を置いて私が話すのを止める。
「今日は休め。な?」
心遣いは有り難いけれど……。
「いえ……今日、シドウさんが来るかもしれないですし」
「来たら教えてやるから、それでまではここで寝てろ」
カイさんの口調は強く、何を言っても多分折れない。
「そんな眠たそうな顔で接客されたらお客様どう思う?」
「それは……」
確かにそうだ。
カイさんの言う通り、笑顔すらまともに作ることのできない自分が今カフェに立つ資格があるのかと考えると、答えは簡単に出る。
「な? だから今日はゆっくり休んでまた明日から頑張ればいい」
「はい……」