妖の木漏れ日カフェ

 街に来て10分くらい歩いた時、ある建物の前でハトリさんは歩くのをやめた。

「ここ、入ろうか」

 ウッドハウスの建物に、建てられた看板には『カフェ』と書かれている。

「いらっしゃいませって、ハトリか。と、そいつは?」

「この子、面倒みてあげて」

「はあ? なんで俺が」

「家、余裕があるでしょ? 僕も出来るだけ見に来るから」

 店内は、なにやらいい匂いがする。

 あまり嗅いだことのない匂い。

 あ、でも……ほんのりと大好きなバジルの香りがする。

 それにしても、この人もハトリさんとは違うタイプだけれど顔が整っていて、纏う空気が輝いていて……。

「つか、人間じゃねえか」

「そう。だから、あのハーブティー頼むよ。あの人たちにばれたらあんまり良くないだろう?」

「ったく、仕方ないな」

「ってことで、とりあえずカイのところに泊まるんだよ?」

「は、はい。その、よろしくお願いします」

「分かったけど、ただじゃないぞ? 畑の仕事をしてもらうからな」

「もちろんですっ、なんでもします」

 ふんっとカイさんは鼻を鳴らすと、とりあえずこれを飲めと何やら薄いグリーンのお茶らしきものを渡してきた。

 飲むと、すうっと体に染みて美味しい。

 今までに飲んだことのない味で、ほんのり甘くて飲みやすく、喉も乾いていたせいですぐに飲み干してしまった。

「じゃあ、ハトリちょっと見てて。案内してくるから」

「うん、分かった」

「じゃあ、行くぞ」

「はいっ」
 裏の扉から外に出ると、畑が一面に広がっていて奥に日本家屋のようなものが建っていた。

 畑には見たことのない植物が植えられていて、ぼーっとそれを見ていると頭をこんと叩かれる。

「ほら、こっち」

「ごめんなさいっ」

「ぼーっとしてると食われちまうぞ」

「く、食われる?」

 この世界には、なにやら凶暴な生き物でもいるのかしら。そんなのに襲われたら、きっと私なんてすぐに捕まってしまう。

「冗談」

 カイさんは、悪戯っぽい笑顔を浮かべて私の目を見た。

「よかったあ」

「ったく、ほら、入んな」

 言われるままに、家の中へと足を運ぶ。

 それにしても初めて会ったというのに、こうして面倒を見てくれるなんて、なんて心優しい人なのだろう。

 不安だった心が、糸が解けるように少しずつ和らいでいく。
「じゃあ、ここがとりあえずお前の部屋な。そういえば、名前」

「あ、えっと、堺真由です」

「真由か。ところで、お前どうやってここの世界に来たんだ?」

「おじいちゃんの家にある井戸を覗き込んだら吸い込まれてしまいまして……」

 言葉にすると、非現実感が強まって、ますますこの今いる自分の状況が不思議で堪らなくなってくる。

 どうして、こんなことになってしまったのだろう。

 でも、今はきっとそんなことを思っている余裕はなくてとにかくこの環境を受け入れるしかない。そうしないと、同じ場所で足踏みをしているままになってしまう。
 
「そうか……、まあ、1年我慢することだな」

「1年?」

「ああ、こっちの世界と人間界の境界線の扉は1年に1度しか開かない」

「で、でも高校が」

「大丈夫、こっちの1年は人間界の1日くらいだ。帰ってもほぼ時間は経過していない。ああ、ついでに言うと、時間の経過はさっき話した通りだが、歳を取ることについては、人間界と同じスピードになる。つまり、真由がここに1年いようが1歳分の歳を取ることはない」

 私はどうやら、とんでもない世界に来てしまったようで、しかも1年間はここに居なければということ。

「仕方ないから、1年くらいはここに居させてやるよ。まあ、さっきも言った通り畑仕事を手伝ってもらうけどな」

「はい、それは大丈夫です」

「まあ、とりあえず今日はハトリにこの街の案内でもしてもらいな。いろいろと不便だろ?」

「そうですね」

「じゃあ、戻るか」
 カフェに戻ると、ハトリさんは何かを飲んでくつろいでいた。

 カイさんが街の案内のことを頼むと、ハトリさんは快く引き受けてくれて再びハトリさんは私の隣に立つ。

「行ってくるね」

「おう」

「行ってきます」

「あ、そうだ。行く前に、これ、付けた方がいいかも」

 それは、皆が頭に付けている動物の耳で、ハトリさんは慣れたように私の頭にもつけた。

「一応、ね。あ、因みに、僕達のは本物だよ」

「本物……」

「まあ、歩きながら話しましょうか」

 外に出て、赤茶の煉瓦で作られた道を歩く。

 こつんこつんとハトリさんの下駄と煉瓦が作り出す音が、なんだか耳に心地よい。

 一定のリズムで刻まれるその足音は、不安を取り除いてくれるような気がした。

「ここにいる皆には、動物の妖が付いているんだ。主に哺乳類のね。僕はリスでカイはオオカミ。偶に、その中には昔人間にいじめや虐待を受けていた動物の妖が付いている人もいて、人間を酷く嫌っている」

 虐待、いじめ、という言葉に心の痛みを覚えずにはいられなかった。

 ギュッと胸元の服の布を掴む。

「じゃあ、私……」

「まあ、出かけるときはなるべく僕かカイと一緒に居るといいね。でも、さっき飲んだお茶あるだろう? あれを飲めば人間の匂いが消えるから大丈夫さ」

「なるほど……」
 ハトリさんは、この街の説明をしながら、途中途中にある色んな店を案内してくれた。

 その中にはお菓子屋もあって、美味しそうなカラフルなお菓子が並んでいた。洋菓子や和菓子、様々で優柔不断な私はあれこれと迷ってしまうと思う。

 あとで、買いに来たいな、なんて思ったけれど、そういえばお金を持っていないことを思い出す。

「あ、あの、お金って……」

「ああ、そっか。あとでカイに言っておくよ」

「ありがとうございます」

 空を見ると、さっきまでの水色からオレンジ色に変わっていて、いつの間にか夕方になっていた。雀のような鳥が、ちゅんちゅんと鳴きながら空を横切る。

 夕方の空を見ているとふと家族のことを思い出し、物寂しく感じる。

 ううん、大丈夫、と自分に言い聞かせて前を向いた。

「あっ」

 ぐうっと、お腹の虫が盛大に鳴る。

 こんな時でもお腹は空くもので、私の音を聞いたハトリさんはふふっと笑って「そろそろ、帰ろうか」と言ってきた。
「ただいま戻りました」

 カフェに来ると、魚を焼いたような香ばしい匂いや漬物のような発酵の良い匂いが漂ってきて、ますますお腹が空いてしまう。

「ご飯、2人分頼むよ」

「はいはい」

 空いている席に来ると、ハトリさんはわざわざ椅子を引いてくれて私を座らせる。

 なんというか、1つ1つの所作に品があって、素敵な大人というものを感じさせるオーラ。

 ハトリさんだけじゃなくて、カイさんにも大人な余裕の雰囲気があって、だからかな、こんな知らない土地に来てもどこか落ち着いた気持ちでいられるのは。

「ハトリさんは、なんの仕事をしているんですか?」

「僕は医者だよ。何かあったらいつでも診るから言ってね」

「あ、はいっ」

 まさか、お医者さんだっとは。
 十数分後。

「はいよっ」

「ありがとうございます」

 運ばれてきた料理を見ると、焼き魚に具だくさんのお味噌汁、お浸し、おにぎり、漬物、と和食の定番といったものが並べられていた。

「美味しそうです」

「ここのカフェはね、ハーブティーと和食を出しているんだよ。ヘルシーで女性に人気なんだ」

 確かに、店内を見渡すとほとんどが女の人で、中にはカイさんを見て顔をほんのりと染めている人もいた。

「それでは早速、いただきます」

 まずはお味噌汁を一口。

 豆腐と大根と人参と油揚げが入っていて、大根のシャキシャキした食感が美味しい。味噌の香りにほっとしてしまうのはきっと、日本人だからかな。

 お米は色がついていて、穀米が混ざっていて、噛めば噛むほど甘さが増す。中には梅干しが入っていて、その梅干しもほんのりと甘さがあって、お米によく合う。

 お魚は鮭、かな?

 塩がほんのり効いていて、お魚の素材の味もしっかりとしている。

「本当に美味しいですっ」

「でしょう? ああ見えても、料理はうまいんだよね、カイ」
 カイさんを見ると料理に集中していて、私の視線には気が付かない。

「あとは、ハーブティー。食後に飲むこれがまたいいんだよね。あとは朝とか」

「いいですね。……カイさんとハトリさんは、お友達なんですか?」

「うん、そうだねえ。幼い頃からずっと一緒。腐れ縁ってやつかな?」

「いいですね、そういう人がいるって」

「まあ、たまに鬱陶しくも感じる時はあるよ。そんな時は1週間会わないとかもあるし」

 カイさんのことを話す時のハトリさんの顔は愛おしそうだった。

 もちろんそれは恋愛とかそんなんじゃなくて、家族愛とかそういうもの。

 って、私が勝手に感じているものだけれど。

「カイになんかされたらすぐに言うんだよ?」

「そ、そんな」

「ははっ、まあ、そんなことはないだろうけどね」

 ハトリさんの話を聞いていると、ふと思い出す自分の家族や友達のこと。

 これから1年会えないんだと思うと、急に底無しの空虚感が襲ってくる。

 おじいちゃん、元気かな。無理してないかな。

「帰りたい?」

「あ、えっと」

「いいんだよ、分かるから。こんなところに来て不安だよね」

「でも、ハトリさんやカイさんと出会えて良かったです」

 この言葉に嘘はない。もしもっと怖い人に見つかっていたら、今頃どうなっていたか。本当に、初めに会ったのがハトリさんで良かった。

「ありがとう」
 夜、眠りにつく前に考える。

 もしかして、お婆ちゃんが消えたのは同じようにこの世界に来てしまったからではないか、と。

 もしそうならば、まだこの世界にお婆ちゃんがいるかもしれない、そう考えると胸が高まって、余計に目が覚めてくる。

 でも、もし違ったときのことを考えると余計に落胆してしまいそうだから、過度な期待は持たないようにしないと。

 でももしお婆ちゃんに会うことができたら…………もう1度抱きしめて欲しい。

 久しぶりにお婆ちゃんの体温を感じたい。

 そう思いながら、目を閉じた。