今夜12時、誰かが眠る。

姫路在住のお菊は悩み多き乙女であった。

お菊は遥か昔、男によって殺害された。

怨霊となり、復讐を果たしてもなお、
お菊の妄念が晴れることはなかった。

何故ならお菊は創作から生まれた怨霊であった。
ヒトが望むのであれば、姿かたちを問わず現れる。

ある時は(めかけ)であった。
正式な妻ではなく、相手から金銭や
生活の庇護を受けるヒモ。
現代の言葉で言い換えれば愛人。
パパ活ではない。

正妻であった時もあるけれど、
もう数百年も前のことで記憶はあやふやだ。

殺害された理由も相手も様々だ。
何度も殺され、何度も化けて出た。

若殿暗殺の企てを耳にしたので殺された。
時には惚れられた男に脅された挙げ句殺された。

管理する10枚の皿の内の1枚を失くしたとか、
アワビ貝の5杯の盃を失くしたとか、
壊したとか、その責任を押し付けられて殺された。

とにかくもう男はこりごりだった。
金輪際働かないと心に決めた。

ひどい時は姿を虫にされたこともある。

暗く深い穴である井戸で殺されて化けるには、
体がヘビのように長いものが都合が良いらしい。

それにしても『お菊虫』という名は許し難い。
井戸の『穴』に『菊』に『虫』とあっては、
まるでぎょう虫のようではないか。

虫のモデルは羽の模様が美しい
アゲハチョウであったそうだが、
井戸に湧いたサナギというオチには絶句した。

他にもひどいことはある。

四谷在住のお岩と間違えられることだ。
兵庫(姫路)と東京(四谷)は、
西と東とでは全く違う。

四谷は新宿区にあって都会であるのも、
お菊が劣等感に苛まれる理由のひとつだ。

姫路が田舎というわけではないが、
それでも地理的な劣等感は拭い去れない。

お岩は顔にも性格にも難があり、
結婚も出来ずに行き遅れていた醜女だ。

お菊は自分を殺した相手を恨みはしたが、
お岩は自分を殺した相手と関係者を皆殺しにした。

死に方もお菊は井戸に落とされたが、
お岩は毒殺の末に川に流された。

とはいえお菊とお岩、
ふたりは仲が悪いわけではない。

同じく男に殺された創作の怨霊同士で、
現代では仲良く交流を続けている。

死後文通から始まり、
現代ではネット環境のお陰で
俗世に染まりきっていた。

そしてお菊と同じく
お岩もまた、悩み多き乙女であった。

ふたりは揃って二次元のキャラクターに恋し、
お菊はお岩と共に中の人が歌って踊る
東京のミュージカルも鑑賞した。

――今この瞬間、死んでもいい。

お岩が地理的に推しに近いのが
心底羨ましく、妬ましかった。

推しの怨霊に生まれ変わりたい。
推しの子どもに生まれ変わりたい。
推しの周りを飛ぶ蝶になりたい。

DVDを見ながらお菊は悩み、胸中で呟いた。

しかし悩みはそれだけではない。
お岩から借りた、10巻あったDVDを
お菊は1枚無くしてしまった。

お岩の推しの回が収録されたDVDを。

こればかりはお菊は死んで
お詫びのしようもなかった。
昔むかし、とある国に王様が居ました。

王様は自ら兵を率いて民を護り、
飢えて貧しかった国を豊かにしました。

武芸の才ある王様であり、
国民にも愛される王様でした。

民たちはその功績を称えて、
全知全能の王と称えられました。

食べ物に不自由ない平和な国は、
王様によって永遠の繁栄を
約束されたものと誰もが思えました。

しかし王様は病に倒れました。

すると多くの妃と多くの王子、
その子どもたちが次の玉座を巡り、
身内どうしのケンカが始まりました。

病に倒れた王様を心配し、
交流のあった友好国からは
多くの使者が見舞いに訪れました。

国一番の美味な食材を持ち寄って、
いち早い病の回復を祈りました。

また使者たちは医師を連れ
症状から病を調べましたが、
原因はだれにも分かりませんでした。

国王を失えば今度は身内ばかりではなく、
国同士が戦争を始めかねません。

誰もが悩んでいるところに、
やせ細ったひとりの老人が現れました。

遥か遠くの高い山に住み、
霧を食べて生きると噂される賢者様でした。

賢者様は国を憂う王様の為に、
とても美しい3つの薬を用意したのです。

サファイアのように青い煌めきを放つ薬。

琥珀のように透明な金の光沢を持つ薬。

ルビーのように蠱惑的な赤い薬。

この薬すべてを順に飲めば、
病はたちどころに消え去り
王様の望む体が手に入ると言うのです。

薬の説明は王様にとって
大変に難しいものでしたが、
一国の主が質問を返すことを恥じらいました。

なにせ王様は全知全能の王様なのですから。

賢者様はそれを理解して、
簡単な説明を残していきました。

――青い薬は魂を守る薬です。

王様は青い薬を飲みました。
それはとても苦い薬でしたが、
なんだかすごく気分が良くなりました。

――黄色の薬は痛みを失くす薬です。

王様は黄色の薬を飲みました。
それはとても臭い薬でしたが、
病に苦しむことがなくなりました。

家臣たちは王様の回復に喜びました。

王様は最後の薬を飲むのをためらいました。

苦い薬も臭い薬も嫌になり、
それに元気になった王様には
もう薬は必要ないと思ったからです。

王様は賢者様から貰った、
蠱惑的な赤い薬を残しました。

――赤い薬は肉体を捨てる薬でした。

賢者様が持ってこられた薬であっても、
それはとても怪しい薬でした。

王様が体調を取り戻すと
家族のケンカは無くなり、
国は再び元の活気を取り戻しました。

王様が自分の体調に異変に気づいたのは
すぐ後のことです。

王様はどんなに寝ても眠たくなり、
何かを食べていても寝てしまいました。

それから王様の体から、
これまで嗅いだことのない
不思議なにおいがするのです。
とても甘い香りでした。

王様は賢者様からの薬が気がかりになりました。

やがてしばらくたったある日、
王様の足の指先が取れ落ちてしまいました。

不思議と痛みはありませんでしたが、
体の異変は日ごとに増すばかりでした。

再び病に倒れた王様は、家臣に命じて
赤い薬を自分の口に運ばせました。

王様は自分で薬が飲めません。

なぜなら足の指だけではなく、
手足を全て失ってしまったからです。

耳さえも落ちてしまい、
王様の耳には誰の声も何も届きません。

家臣が赤い薬を目の前にかざすと、
視力さえも失った王様は
うなずいて薬を飲みました。

するとたちどころに手足は元に戻り、
耳も生え、視力は回復して、
遠くの賢者様も見えるようになりました。

赤い薬はすばらしい薬でした。

賢者様は王様の姿を見て、言いつけを守らずに
順番に全ての薬を飲まなかったことを察しました。

なぜなら赤い薬は古く病んだ体を捨て、
新しい体を得る為のものだったからです。

赤い薬から体を守る青い薬も、
痛みを和らげるための黄色の薬もない。

病で弱りきった王様の体に、
強力な赤い薬を与えてはいけませんでした。

賢者様を目の前にして、
王様は手足を失ったままの
自分の体を見下ろしました。

赤く燃え上がる国を見下ろしました。
体外離脱という用語がある。

用語の呼称は様々だが、総じて
肉体の眼球以外で何かを見る経験を示す。

生霊、幽体離脱、臨死体験、スピリットウォーク、
アストラル投射、エーテル体…。

その歴史は古く、世界中で複数に存在し、
実際に大勢の人間が自らの体験を語っている。

生きている人間が寝たまま、
自分自身の体を空中から見ることができる、
自己像幻視。

また移動の手間もなく、
遠くのヒトに会いに行くことができた。

薄暗がりの中で体温に近い高濃度の塩水に浮かび、
脳波を検出して科学的にメカニズムの解明を行う
実験もかつてはあったが、体外離脱の
証明には至らなかった。

しかし薬学の発展と共に、
『体外離脱薬』が発明されたのは
つい先日のことである。

法的認可はまだこれからの段階ではあるが
体外離脱薬は麻酔の薬理作用に近く、
それでいて肉体への悪影響は無いとされた。

体外離脱は時間や場所の束縛を受けず、
壁などの物体や、肉体の障害を受けることもない。

画期的な薬の発明によって、ヒトとヒトとの
新たなコミュニケーションの発展を担うであろう
と、大きな注目を浴びた。

――肉体は魂の束縛に過ぎない。

この薬を使えば、肉体の苦痛も、
魂が証明されれば、将来への憂いがなくなる。

薬の研究が進めばガンや精神疾患などの難病にも
将来的には効果が期待できるとして、
元医者はこれを自著にて絶賛した。

体外離脱薬を服用すると温かな魂を感じられ、
温水プールに浮かぶような浮遊感と快楽を得る。

その薬効に製法を求める声は増え、
薬の横流しが横行した。

認可を待たずして、若者たちに
広く氾濫したのも時間の問題であった。

だが肉体はやがて耐性を持つ。

最初は1回1錠で済んだ薬も、
浮遊感の持続時間は減少し、
薬の量は日増しになる。

薬を求める声は大きくなり、値段は高騰した。

ヒトは快楽に溺れ、依存する。

そして、溺れたヒトの魂が
帰って来ることはなかった。

私はオバケである。

妖怪などと忌まわしく扱われる場合があれば、
妖精として貴重がられる場合もある。

地域によっては呼び名は様々だが幽霊、
ゴースト、ファントムなどとも呼ばれる。

歴史は長く種類は豊富ではあるものの、
個別の名前、固有名詞はまず無いのである。

中には生霊と呼ばれるものもあるが、
生物学として扱われることもない。

見間違い、勘違いから生まれたに過ぎない
想像の産物に尾ひれが付いたりもしたものだが、
印刷の普及や機材の発展で18世紀から20世紀に
地域ごとに爆発的に広まりを見せると、
さらに情報通信技術によって世界中に広まった。

それがブームの終わりであった。

デジタル機器が広まった現代において
オバケの信憑性はまたたく間に薄れ、
『オバケめだか』や『オバケ野菜』など
ほとんどが変異を示す形容詞に化けた。

化け物の正体見たり枯れ尾花。
オバケ業界も栄枯盛衰である。

夏場の旬を過ぎたオバケたちは、
どうやって生きていけば良いのか。
生き辛い世の中になったものだ。

さて21世紀にもなって名前も無いのでは、
遅まきながらSNSデビューさえままならない。

オバケはヒトに観測されてこそ
オバケ足りうるものであるが、
SNSは名のあるヒトしか使えない。

こうして承認欲求を満たせずさまよう
オバケにとって、匿名掲示板こそ
お似合いの場所かもしれない。

なんせ私はオバケである。
今日はある団地の屋上に居る。
生ぬるい風が体を吹き抜けた。

オレはルポライターだ。

仕事は心霊関係が全般で、
この業界に四半世紀勤める大ベテランだ。

オレが入社して間もなく心霊ブームが到来した。

怨霊を取材した際の生々しい音声を収録した
レコードやソノシートが爆発的に売れ、
オレは一躍有名記者になった。

この業界でオレの名を知らない者はモグリだ。

以降も音声のみで映像ないビデオテープ、
A面B面で復刻収録した磁気テープ、
時代に合わせた8cmコンパクトディスクなど、
媒体を変えて売ったものの鳴かず飛ばずだった。

他には心霊を扱ったドキュメンタリー風キネマ、
悪霊に取り憑かれた主人公のトレンディドラマや、
陰陽師を主役にしたラジオバラエティも制作した。

さらに自伝本、心霊辞典、怨霊招来ハンドブック、
子供向け魍魎退治専門雑誌などを刊行した。

全部売れると思ったが――、
全部売れずに多額の負債で見事に会社が傾いた。
これも全て悪霊の仕業であろうことは明白だ。

今ではしがないルポライターだが、
今日の仕事の内容は心霊スポットの独自取材だ。

この仕事は絶対にヒットする。
俺は嗅覚は衰えを知らず、そう確信している。

なんせここは、いわく付きの場所だからだ。

バブル末期に建てられた4階建ての古い団地。

地方は過疎化が進み、高齢な住人が孤独死を迎え、
借金苦、わずかな年金生活、定年後の不安など、
自殺スポットとして今インターネットの掲示板で
騒がれるほどであるから間違いはあるまい。

話題性に富んだこの記事ならば、
どこも引く手数多であろう。

長年の経験からオレは確信している。

屋上にあがり暗い地面を見下ろす。
団地に着いたのは夕方だったが日も暮れて、
街灯乏しい周囲は真っ暗になった。

ここから死に引き込まれた者はさぞ多かろう。

4階建ての屋上は、現代の建築物からすれば低い。

しかしヒトはたかだが1mほどの高さであっても、
打ちどころが悪ければ死ぬ。

大人であれば転倒するだけでも致命的だ。

そうかと思えば清水の舞台から飛び降りても、
死なない確率もそこそこあるのだというが――。

この団地の周囲に夜間撮影用のカメラを設置し、
いつ事件が起きても良いように
オレは連日張っていた。

ヒトが来ない内に細い階段を降りる。

共有部のいくつかの蛍光灯が切れてバチバチと
不気味な音を立てている。

オレは胸ポケットに
いつも入れているテープレコーダを探した。

赤色のブロック状のボタンを押せば
即座に磁気テープが回り録音が出来る、
長年連れ添った仕事の相棒だ。
別れた女房よりも役に立つ。

しかしその機材を車に忘れたことを後悔して
地面に降りた時、ヒトの影が視界の端に見えた。

ヒトが、横たわっている。

夜に徘徊した老人が寝ている訳ではない。
ヒトが、不自然な姿で倒れている。

やっぱオレはツいている!

ライヴで見られなかったものの、
カメラにはきっと写っているだろう。

仰向けになったそのヒトに近寄り、
オレは恐る恐るその顔を覗いた。

――…は?

声が出た。いや、驚きのあまり出なかった。

これは何かのイタズラか?
粘着質なネットの掲示板の連中が
オレを騙したのだろうか。
それならなんて悪趣味なイタズラだ。

なんせオレが横たわってるんだからな。

オレの形をしたヒトは頭から血を流し、
虚ろな目で虚空を見上げている。

ディテールに凝ったリアルな模型だ。

いや、まさか…。

オレはマジマジとその顔を見つめ、
ひざまずいてその顔を近づけた。

同業者が妬み嫉みでやってのことか、
手の凝ったイタズラでも警察に突き出してやる。

それともこの心霊スポットがオレに見せる悪夢か?
それならこの記事は大ヒット間違い無しだ。

オレは確信してしまった。

倒れている俺の胸ポケットに、
失くしたはずのテープレコーダーが入っている。

赤色のボタンがバチリと音を立て、
録音は途切れた。
かつてこの国には鬼と呼ばれる妖怪が居た。

二足歩行でヒトの姿に似ているが、
赤や青の肌をして、額には角があり、
牙をむき出しにした醜悪な容貌であったとされる。

全身が毛深く骨太でいて筋肉質の怪力で、
性格は残虐極まりなくて集落を荒らす為に
朝廷は鬼の討伐を武家に命じた。

大嶽丸(おおたけまる)を退治した坂上田村麻呂、
酒呑童子(しゅてんどうじ)に酒を振る舞い罠にはめた
源頼光らの活躍が後世に伝えられている。

きび団子を食べたイヌやサル、果ては
キジにまで負ける鬼のおとぎ話もある。

ヒトや食料を求めて都市に現れるが、
刀や銃が発展すると鬼は簡単に狩られた。
酒にも弱く罠にも引っかかりやすい。

人里離れた山や森、洞窟などに棲息し、
農民が遭遇することも少なくはなかった。

言葉は通じず凶暴で、
被害を被るのは決まって女や子ども、
老人などの非力な相手である。

出没の報を受ければ猟師たちが集まり、
鬼を退治するべく山狩りを行った。

鬼は次第にその頭数を減らし、
姿を目撃にするヒトも少なくなった。

今では生物や植物の名称にオニを冠したり、
近年ではその尖った性質を、商品名や
パッケージに添えることも少なくはない。

ヨーロッパではオーガと呼ばれる近縁種もある。

宮殿や城などでヒトに化けて生活するなど、
その生態はこの国の鬼と大きく異なった。

鬼の頭数は減少して、現在では過去の悪行を
知るヒトも減り、絶滅危惧種となった。

そうなると今度は保護しようする団体が現れた。

団体は動物愛護や環境保全活動など、
慈善事業として捉えて後先を考えなかった。

団体メンバー個人が鬼を違法に匿ったが、
鬼に襲われる事件が発生したことで
結局退治を免れることはなかった。

事件によって団体を離れるヒトは増え、
鬼の保護活動への関心は薄れた。

鬼はさらに減り続け、
発見や退治の報告もされなくなると
間もなく絶滅が宣言された。

鬼の絶滅を惜しむ声は
国内外から大なり小なりあったが、
ヨーロッパからオーガを輸入する
鬼の代替案は当然却下された。

ヒトに化ける鬼など、まさに
疑心暗鬼になりかねないからだ。
ヒトはそれを地縛霊と呼ぶ。

地縛霊という言葉は近年できた造語であるが、
その存在は世界的に古くから知られている。

突然訪れた自身の不幸を受け入れられずに
死んだ者や、恨みや憎しみなどの感情が死後、
オバケになってもなお生前の強い妄執によって
土地に魂を縛りつける――というものだ。

交通事故だけではなく、戦争や災害、
事件によって何十年、何百年と
その場所にとどまることになる。

地縛霊は時代や昼夜を問わない。

古戦場で、深夜のバス停で、廃駅、廃病院など、
決まって好事家からの報告は多い。

――土地、などという線引きも
ヒトの都合に違いなく、実に曖昧ではある。

しかしながら現代においてそんな地縛霊は、
やや住みづらい時代となったと言えよう。

不動産や建設バブルの影響で
土地や建物は常に変化を続け、
オバケがひとつの場所に留まるには
時代の流れが早すぎた。

寿命が長くても居場所が無い。

納骨堂さえも近代化が進み、
骨壷はマンションのような建物に収容され
機械によって運ばれる様子を見て、
インターネットで参拝が可能となった。

お墓が七色に光る時代までやってきた。
ゲーミング墓石とさえ呼ばれるそうだ。

どれも化けて出るには雰囲気が冴えない。

バブル崩壊後には建物の老朽化、
人口集中と過疎化が進んだ近年では
路上生活を送るホームレスなオバケも多い。
不景気で若者が一軒家を買わないからではない。

建物や土地などには関係無く、
ただひとつの妄執が、ヒトをオバケへと変える。
成り立ちは至極一般的で、単純なものであった。

今日もまたひとり、前を見ずに路上を飛び出し、
ひとつの妄執によってオバケが誕生した。

生前大事に握っていたのはスマホであった。
一念発起して死んでみた。

記憶はおぼろげではあるが、
自分が自殺に及んだことを理解するのは早かった。

薄っすらとした霊体? とやらになったものの、
自分が何をすれば良いのか分からず
路上をさまようのみであったところに、
スーツ姿の男が突如目の前に現れて肝を冷やした。
この男も同じく薄っすらとした存在だった。

「あなたはここで何をされてるんですか?」

そう男に尋ねられても、自分が何をしているのか
わかっていればさまよう苦労はしない。

死ぬ時に頭でも打ったのであろうか、
意識はひどく朦朧としていた。

「死んだのですけど、何をどうすればよいやら。」

そう、おかしな相談をしてみたところ、
男のメガネが光ったようにも思えた。

「あなたはオバケになったのですね。
 最近、怪しいオバケがこの辺を
 さまよっていると通報がありました。
 私はオバケ管理局の者ですが、
 転入届けはお済みですか?」

「オバケ管理局? 転入?
 それで成仏するために
 必要な宗教か何かでしょうか?
 自分は無宗派なんですが…。」

「ははは。オバケに宗教は関係ありません。
 オバケは社会の一員ですので、きちんと
 ルールを守っていただかなければいけません。
 オバケが正しくオバケになるべく妄執の為に、
 我々オバケ管理局が目を光らせているのです。
 オバケだからと言ってヒトに取り憑いたり、
 脅かして事故を起こしてはおおごとです。
 過失または殺人容疑で裁かれてしまいます。
 いわゆる『地獄行き』というやつです。」

「オバケ社会ってそんなに厳しいんですか。」

「もちろんですとも。
 オバケには学校や会社はなく基本は自由ですが、
 自由な社会には責任が伴うことをお忘れなく。」

それから男に言われるがまま、
転入とやらの手続きを済ませると
再び路上をさまよう無為な時間を過ごした。

オバケになるとオバケとして
責任とやらを果たさなければならないが、
オバケ社会の責任においてまず
ヒトに危害を加えてはいけない。

なのでこうして路上をさまようことで、
オバケとしての務めを果たすのが
自分の仕事であるらしい。

自分はいったいどんな理由で死んで、
オバケになどなったのであろう。

頭にモヤが掛かったような気分であった。

時折生きたヒトに見つけられることもあるが、
すぐに逃げおおせてしまう。

しかし、日夜さまようだけで
オバケ足りうるのだろうか。

その上、オバケ社会においても、
オバケ税なるものが存在しており、
スーツの男が度々徴収をしに来るのである。

オバケ住民税、オバケ消費税、オバケ健康保険、
オバケ事業税、オバケ資産税、オバケ相続税…。

「いったいこの税金は
 どこに消えているんですか?」

今度はオバケ法人税を支払って、
オバケ管理局と名乗る男に尋ねてみた。

オバケに資産などそもそも無いし、
健康保険など死んだ自分に必要さえない。

すると男がまたメガネを光らせると、
ため息まじりに思わぬ返事が返ってきた。

「いまさら何を言ってるんですか、あなた。
 あなたがオバケとして妄執を失わない為に、
 我々オバケ管理局がこうして徴収に
 来ている居るんですよ。」

「俺の妄執って何なんですか?」

「そりゃあ税金の支払いですよ。」
オレはしがない普通の高校生で、
ごくごく平凡な日々を過ごしていた。

ある日、自分が勇者の記憶を覚醒させると、
元の世界に戻るためにある魔術を見つけた。

オレの新たな物語が今、幕を開ける。

駆け出しの冒険者で魔族との死闘を繰り広げ、
魔族軍の大攻勢から町を守ると功績を称えられた。

王国から聖騎士の勲章を授けられた時に、
前世の妻であった王女と運命の出会いを果たす。

しかし王女は毒を盛られてこの世を去り、
オレは無実の罪で投獄されかけたところを
仲間であった女騎士に助けられる。

オレたちは王国から追われることとなったが、
心強い仲間の女騎士に背中を預け
当初の目的である魔王討伐を目指した。

――だがその旅は長くは続かなかった。

暗黒竜との戦いで不覚にも致命傷を負った俺は、
暗黒竜の血肉を(にえ)とする女騎士の
生命分与の術によって一命をとりとめた。

実は彼女は異端とされる魔術師の家系であった。

女騎士はその代償で魔力の源である生命を失い、
強烈な禁呪の副作用でオレは心臓に
魔神の呪いを受けることとなった。

孤立無援の中、剣の腕前だけで生き延び、
ひとりで魔王を倒すと王国からの罪を免れた。

前妻の娘であった王女を殺した犯人である
女王を告発して、暗黒騎士と呼ばれ
行き場を失ったオレは各国を放浪した。

延命魔法で受けた魔神の呪いは次第に強まり、
魔術師の弟子と名乗る娘(女騎士の妹)の手助けで
転生術により現代に生まれ変わることができた。

どうやら転生の際に、
今までの記憶を封じられていたようだ。

心臓から左腕に巣食う魔神の呪いが暴れ、
ずっと押さえつけていたがもう限界らしい。

現世は悪霊たちの巣窟だ。

魔王死してもなお魔の勢力は衰えることなく、
勇者不在の世界をよいことに人々を病魔に冒す
悪逆無道な振る舞いを続けていた。

だけどオレが覚醒したからには
そんな勝手は許さない――。

「そうか。それは良かったですね。」

スーツ姿にメガネをした半透明な男が頷いた。
察するにインビジブル・スキルの能力者だ。

この男は自らを〈管理局〉と名乗った。

同じく半透明な隣の男は、
丸めた頭に腕を組んでため息をつく。

オレの周りの男たちと同じで、
悪霊に取り憑かれているのか、瞳に光はなく、
死んだ魚のような目をしている。

背の低いオレを見下しているが、
高い潜在能力を秘めていることに
まだ気づいていない大間抜けに間違いない。

こういう奴らはごまんと見てきた。

魚目の男がオレから目を背け、
スーツ姿の男に問いただした。

「そんで、こいつの死因は?」

「道路飛び出しです。転生魔術だとか言って。」