【祝コミカライズ】魔王が俺の部屋に飯を食いに来るんだが~腹ペコ魔王と捕虜勇者~

「はふーさっぱりしました。……で、今度は私が勇者さんを待つターンですね」

 勇者さんは私が出てくると、なぜか早足でお風呂場に行ってしまった。もしかすると、私と少しでも長く遊びたいと思ってくれているのかもしれない。

「えへへ……勇者さんと、一日いっしょ……♪」

 にへら、と自分の顔が緩んでいる自覚はあるけれど、今くらいは許されると思った。
 私はお風呂に入っている間にすっかり冷えたお茶を飲んで、湯上がりの身体を少し落ち着ける。

「……そういえば勇者さんって、おヘソの下に星形のアザがあるんでしたよね」

 ふと思い出したことを、つい口からこぼしてしまった。
 人界における勇者の印は、星形のアザだという。歴代の勇者がすべて、そのアザを持っているとしたら――

「――もしかして、なんらかの魔法による強化、とか?」

 だとすると、人界の『勇者』という存在は人為的に造られたということになる。
 もちろん、その理由は人類側の勝利のためと言うことになるだろう。

「生まれたばかりの子供に、魔法をかけて兵器として……なんて、さすがに非人道的な事は無いと、思いたいですが……」

 確かめるべきだろうか。
 そう思うけれど、そのためには少なくともアザを調べなくてはいけない。
 調べると言うことは、じっくり見ないといけないということだ。
 そして勇者さんは今、お風呂に入っているので間違いなく裸だ。

「そうですよね、勇者さんの裸を一度見ないと……って、はだか!? あ、いや、それはもちろん、今はお風呂なんだから当然じゃないですか、なにを慌ててるんですか私、あはははー……」

 扉二枚先には、勇者さんが裸でお風呂に入っている。
 そんな当たり前のことに、動揺する必要なんてないだろうに。我ながら、ちょっとおかしいと思う。

「へ、変なこと考えずに、別のこと考えましょう」

 自分を落ち着かせる意味で口に出して、私は深く椅子に腰掛けた。
 頭を切り替えるために、何度が深く呼吸を繰り返す。やがて気持ちが落ち着いてくると、今度は静寂がやけに気になってしまう。

「……私、部屋にひとりなんですよね」

 部屋の主がお風呂に入っているのだから、当然だった。

「しばらく勇者さん、出てこないんですよね」

 彼が長風呂かどうかは分からないけれど、少なくともさっきお風呂に行ったばかりなので、もう暫くは出てこないだろうと思う。

「…………」

 勇者さんがいないのをいいことに、私は部屋を改めてじっくりと見回した。
 私が彼のために用意した生活空間。魔界という環境を少しでも苦だと感じないように、調度品のたぐいはなるべく人界から取り寄せた。
 いつの間にか家具のレイアウトが最初とは少し変わっていたりして、彼が生活する上で自分に合うように調整した部分が見て取れる。

 そんな中で、ひときわ私の目を引くものがあった。

「あ、お洗濯物……」

 几帳面に畳まれて部屋の隅に置かれた、洗い立ての私服。
 勇者さんの希望通りのシンプルなもので揃えた一式は、彼の几帳面な性格を表すかのようにぴっしりと折りたたまれている。
 私はそれを、無意識に手に取って、

「ん……勇者さんの、におい……」

 ふわりと鼻先に触れたのは、もうすっかり慣れてしまった彼の香り。
 袖を通していたわけでもないのに、どこかひだまりの中のような、優しくて、安心する匂いがする。
 瞳を閉じれば、まるで彼に抱きしめられているかのような、不思議な感覚。

「ん、すう……」

 私はそのまま、深く息を吸い込んで――

「――はっ!」

 そこで、ようやく我に返った。

「も、もー! これじゃ私、まるっきり変態じゃないですか!」

 わたわたと洗濯物を元の位置に戻し、自分の位置も元通りに椅子の上に戻す。

「うー、ううー……な、なんて恥ずかしいことを……勇者さんが出てきたら、言い訳できないじゃないですか、今の……」

 自分の行いを顧みて、私は椅子に突っ伏した。

「……誘惑が多いから、いけないんです」

 今日の私はお休みで、お仕事のことは考えなくても良い。
 そんな状態で、勇者さんのものばかりあるこの部屋で、ひとりになるなんて。
 どうしたって、あなたのことを考えてしまうに決まっている。

「早く出てきて、私の相手してくれたら、こんな風にならなくていいのに……」

 きっと彼は、そんな私の気持ちなんて知らずに、湯船に浸かっているのだろう。

「早く出てきて……私だけ見てくれたら、いいのに……」

 私が、勇者さんがお風呂から出てくるまでの、たった少しの時間も我慢できないような我が儘な女だって知ったら、彼はどう思うのだろう。
 分からない。でも、少なくとも知られたくはないと思った。


「切ないですよう、ゆーしゃさん……」

 これ以上は、この部屋のなにを見ても毒のような気がする。
 私は思考を完全に切るために、少しだけ目を閉じていることにした。
 彼が出てくるまでには、いつも通りの私に戻らなくちゃ。

「さっぱりしたな」
「さっぱりしましたね」
「風呂、狭くなかったか?」
「充分でしたよ」
「そりゃ良かった……服、別のやつ着たんだな」
「あ……はい。さすがに、城を寝間着では歩けませんからね」

 魔王の姿は風呂に入る前とは違っていた。
 明らかに寝間着ではない、黒基調のふりふりした服なのは変わらないが、先ほどとは違う格好。
 フリルが朝よりも大人しめなのは、夜という時間を意識してのことだろうか。
 
「ごすろり、だっけ。気に入ってるのか、それ……」
「出た当時から気に入ってたんですが、今年とうとう流行って……一ファンとして、とても嬉しいです」
「そうか。良かったな」

 俺には服の善し悪しは分からないが、魔王が嬉しそうにしているのならそれは良いことのように思えた。
 魔王は笑みを深くしてこちらに近寄ると、すんすんと鼻を動かして、

「……勇者さんと私で、同じ匂いがしますね」
「言われてみれば……って、そりゃ同じ石鹸を使ったんだから、そうなるだろ」
「えへへ、お揃いがなんだか嬉しくて」
 
 まだ風呂の熱が抜けていないのか、柔らかく微笑む彼女が、いつもよりどこか色気があるように見えて。
 なんとなく気恥ずかしいものを感じながら、俺はお茶を新しく淹れる。少しでも気持ちを落ち着けて、魔王と過ごすために。

「……それじゃ、魔界チェスでもするか」
「ふふ、良いですね。夜はまだこれからですよ!」

 そうして、俺たちはチェス盤を挟んで向かい合う。
 コマの形状以外はほとんどが人界のチェスと変わらないルールの、魔界チェス。

「よーし今日こそ勝ち越しちゃいますよ」
「じゃ、俺はそれを阻止するのが目標ってことで」
 
 ことり、ことり。お互いがコマを動かす音が響く。
 勝率は俺の方が上。だが少しずつクセを読んで、魔王がこちらを追い詰めてくることも少なくはなく、俺が負けることも前より増えてきた。

 実力が拮抗してくれば勝負事というのは違った面白さが見えてくるもので、お互いに手を変え、相手の反応を見ながら勝負を重ねていく。
 他愛のないことを話し、ゆるやかに時間が刻まれ、進む。
 過ぎていく時間を惜しむように、或いは忘れるように、俺たちは何度も対戦を繰り返した。
 
「……もう、今日が終わっちゃいますね」
「……ああ、そうだな」

 意識して時計の方を見ないようにしていたので、正確な時刻は分からない。
 ただ、魔王の方はなんとなく時刻を分かっているらしい。

 コマを動かす手を止めることなく、魔王は言葉を続ける。

「こんなに遅くまでいるの、はじめてですよね」
「ああ、確かにな」

 普段なら、とっくに魔王は帰っている。
 こんなに長く同じ時間を過ごすのも、こんなに遅くまで一緒にいるのも、はじめてのことだ。
 朝から夜までずっと、魔王と話して、遊んで、飯を食って。
 寂しさを感じたり、余計なことを考えることが一度もない日というのは、久しぶりかもしれない。

「…………」
「…………」

 それまでの他愛ない会話が止まり、沈黙が流れる。
 時間は有限。彼女の休みは終わり、またいつも通りの日常が待っている。

「……あ、あの」
「……なんだ?」
「その……もしも私が、今日はお泊まりしたい、って言ったら……どうします?」
「そ、れは……難しいだろ」

 良いのか、なんて言いかけた自分を、俺はギリギリで律した。
 魔王はどこか、少しだけ気落ちしたような様子で、長耳を垂らす。
 
「……分かってます。だって、ベッドはひとつだし、朝までには部屋にいないとさすがに皆に心配かけちゃいますし」
「……ああ」
「でも……」
「……チェックメイト」

 ことん。
 最後の一手が指され、言葉が遮られる。
 でも、の後にどんな言葉が続くのか、なんとなく分かっている。
 それでも、俺は『終わり』を宣言した。

「……良い時間じゃないか?」
「……はい」

 俺の言葉に頷いて、魔王は席を立つ。
 俺も彼女を見送るべく、椅子から立ち上がった。

「…………」
「…………」

 響く足音が、やけに大きく感じられる。

 きっと俺たちは今、お互いに同じ気持ちだと思う。
 今日という日が楽しくて、もう少し続いて欲しいと思っていて、だけどそれが難しいことも分かっていて。

 終わらなければいけないのに、終わって欲しくない。

「あ、あの、勇者、さん……?」
「あ……」

 部屋のドアを開け、出て行こうとした彼女の手を、俺は無意識に掴んでいた。
 昼間に彼女から触れられたときのようなお遊びではなく、俺の方から明確に彼女を繋ぎ止めてしまっている。

「っ……」

 しまった、と思ったときには既に遅い。
 一度触れてしまうと、名残惜しさはより強く、確かなものになる。
 俺は彼女の手を握ったまま、完全に固まってしまう。自分の方から触れたくせに、それ以上何も言えず、動けもしなくなってしまったのだ。
 
「……勇者、さん」

 魔王は少しだけ瞳を揺らして、きゅ、と手を握り返してきた。
 上目遣いで向けられる、紋様が浮いた目を、綺麗だと思う。
 体温は俺よりも少し低くて、小さくて、柔らかな手指。

「…………」
「…………」

 お互いに無言のまま、時間が流れる。
 繋いだこの手を引っ張れたら、どれほど良いだろう。
 帰らないで欲しいと言えたら、どれほど良いだろう。
 一晩中彼女と共にいられたら、どれほど良いだろう。

 ……我が儘だな。

 自分の気持ちが、我が儘だと分かっている。
 だからこそ、俺は最後の最後で踏み切らなかった。

「……今日は、楽しかったぞ」

 我が儘にならないように、しかし、気持ちを隠すことはせず。
 精一杯の言葉を、俺はなんとか口にすることができた。

「あ……」
「その……また、休みがあったら来いよ。俺のとこで、良ければだけど」
「……勇者さんと一緒が、いいです。こんなに楽しいお休み、はじめてでした」
「……そうか」
「……はいっ。また今度、お休みの日に来ます。お休みじゃなくても……時間があったら、ここに来ます」
「ああ。……待ってる。朝でも、夜でも……少しだけでも良いから、来てくれたら、嬉しい」
「あ……はいっ。また……また、今度!」
「ああ、またな」

 するりと、お互いの手が離れた。
 寂しさは消えなくて、まだ一緒にいたいという想いもなくならなくて。
 それでも、また今度を約束して、笑顔で別れられたから。
 次に彼女が来てくれるまで、待っていられると思えた。
 ぱたんと、ドアを閉じる。
 見慣れた自分の部屋に入った瞬間、

「っ……」

 私は、膝から崩れ落ちた。

「……あうぅ」

 胸が痛いのは、傷や、苦しみではなくて、ただ、切ないから。
 自分自身に聞こえてしまうくらい、鼓動が早くなっていることを自覚する。
 触れなくても分かるくらい、体温が高い。きっと私の頬は今、真っ赤になっていることだろう。

「……勇者、さん」

 彼のことを口にするだけで、ぐん、と熱が上がった感覚がする。
 さっき別れたばかりの私の手には、彼の体温がまだ残っていて。

「っ……」

 彼が一瞬、引き留めようとしてくれた。
 もう少し一緒にいようと、言おうとしてくれた。
 都合のいい勘違いかもしれない。でも、あのときの勇者さんは確かに私の手を取って、言葉に詰まった。
 もう少しという我が儘を、彼は我慢してくれた。きっと、私のために。

「……もしも、求められたら」

 もしも、彼に泊まっていってくれと言われていたら。
 もしも、繋がれたあの手をそのまま引かれていたら。
 もしも、あなたと同じ部屋で次の朝を迎えられたら。

「っ……!!」 

 想像するだけで、頭の奥が沸騰しそう。

「……そう、なったら」

 分かってしまった。
 あの瞬間、勇者さんがなにを言いたいのか理解したとき、私は私のことを分かってしまった。
 私が彼をどう想っているのか、言い訳もできないほどに自覚してしまった。

「拒めない……嫌じゃない……ううん……私も、そうしたい……勇者さんと、いっしょにいたい……」

 彼に求められたら、きっと私は拒めない。
 手を引かれて引き留められることが、嫌じゃない。
 もっと、ずっと、彼の隣にいたい。

「っ……」

 それは今まで、誰にも抱いたことがない感情だった。
 ほんの少し前まで一緒にいたのに、もうこんなにも寂しくて。
 また今度と交わした約束が、今すぐ来てほしいと思ってしまうほどに切なくて。
 勇者さんの声を、笑顔を思い出すだけでかぁっと身体が熱くなって。
 彼を呼ぶだけで、ここにいないのに胸の奥が満たされる。

「……好き」

 言葉にしたその気持ちは、あまりにもあっけなく、するりと私の胸へと落ちた。
 それは五千年以上の長い時間を生きて、一度も得たことのない感情。

「勇者さん……好き……好きです……!」

 誰かに恋をするということを、私は今日はじめて知った。
 胸の奥が、苦しくて、温かくて、切なくて、嬉しくて、寂しくて、愛おしい。
 ない交ぜになった感情は体温を急激に上げ、鼓動を乱し、心をおかしくさせる。
 もはや言い訳もできないほど、私は勇者さんに恋心を抱いている。そのことに、私はとうとう気がついてしまった。

「でも……私は魔王で、勇者さんは人間で……」

 それは、考えるまでもないことだった。
 好きという気持ちを通すためには、あまりにも障害が多すぎる。
 少し考えるだけで無数に思いつくことができる『問題』のことを考えて、私はうなだれた。

「……無理、ですよね……」
「……魔王様?」
「ぴぇっ!?」

 ドアの向こうから聞こえてきた声に、私は思考を中断して飛び上がった。
 聞き覚えのある声は、メイドちゃんのもの。

「め、メイドちゃん、どうして……」
「当然、魔王様がお戻りになるまで待機していたからです。……もしもお泊まりするなら、いろいろと言い訳になる理由が必要でしょうから」

 つまり私が朝帰りをしたとき、周囲にうまく言うために待ち構えてくれていたということか。

「……お泊まりは、しません」
「ええ、そのようですね。では魔王様、もう夜も遅いので、早めにご就寝ください」
「……メイドちゃん。少し、お部屋に来て……ください」
「……かしこまりました」

 ドアを開けて迎え入れると、メイドちゃんはいつも通りに仕事着。
 きっと私の休日のために、いろいろと奔走してくれたであろう従者を引き留めてしまうことを、少しだけ申し訳ないと思いながら、私は部屋の扉を閉める。

「……あの、ですね」
「はい、魔王様」

 メイドちゃんは、私を急かさない。
 伝えたいけどまだ言葉に迷っている私を、彼女は笑顔で待ってくれている。
 私は良く出来た従者の優しさに甘えて、少しずつ感情をこぼした。
 
「お泊まりは……やっぱり、できませんでした。でも……でも、本当は……本当は、したかったなって……思ってて……」
「……はい」
「……勇者さんのことを考えると、胸が苦しいのに、嫌じゃなくて……切ないのに、顔が緩んで……別れたばっかりなのに、もう会いたくなったりして……」
「……はい」
「勇者さんともっといたいって我が儘を考えてしまって……それだけじゃ、いるだけじゃ、なくて……もっと、近づいて……触れて……も、求められたいって、おもってて……」
「……はい」
「……メイドちゃん。私、勇者さんのことが……す、好き、みたい、です……」
「……はい、そのようですね」

 好きって言葉を口にするだけで、頭がおかしくなってしまいそうなほど、顔が熱くなってしまう。
 メイドちゃんは私のたどたどしい言葉を決して笑わずに、真剣な顔で聞いてくれていた。

「……魔王様」
「な、なんでしょう……」
「おめでとうございます」
「め、めでたいんでしょうか、これ……」
「当然です。……五千年以上、『誰かのために』を望んできた貴女(まおうさま)が、はじめて『自分のために』得た感情なのですから」
「っ……いい、のでしょうか……だって私は魔王で、あの人は、勇者さんで……人間と、魔族で……」

 心の中に、たくさんの不安が浮かぶ。
 道半ばの私が、贅沢を求めてはいないだろうか。
 魔族からの反対も、人類からの反対もきっとあるだろう。
 その結果として、彼がひどい目に遭ったり、言われたりしないだろうか。

「魔王様」
「っ……な、なん、でしょう……」

 暗く沈みかけた心が、従者の言葉で引き戻される。
 メイドちゃんはいつも通り、クールに微笑んだ。

「言うだけなら簡単です。ですがここは、あえて言いましょう。……好きになったのですから、仕方が無いではないですか」
「っ、し、仕方ないって……そんな、簡単に……」
「だって、魔王様は勇者様がお好きでしょう?」
「っ……そ、そう、ですけど……」
「共に過ごしたい、触れあいたい、愛し合いたい……それは本当に簡単です。好きだから一緒にいたいと、簡単で良いのです」
「でも、そのためには……!」
「はい。いろいろと障害はあります、反対も、批判も、きっと避けては通れないでしょう。離反や、暴動もありえます」
「っ……そうです、だから……」
「だから、なんだと言うのです。そんな障害、今までも無数にあったではないですか」
「あ……」
「四千五百年、魔王様にお仕えしてきました。魔界を統一するのも、そのあとで各部族を表面上でも和解させるのも、魔界の生活をよりよくするための試行錯誤も、人界との長い戦も、今も続く戦後処理も……障害がなかった道など、ありませんでした」

 メイドちゃんは私の目を真っ直ぐに見て、手を握ってくれる。
 まるで、心配しなくても良いと言うように。

「世界をここまで救い続け、民を守り続けて来た魔王様ならば……きっと、ご自分の恋だって守れると、私は信じております」
「……メイドちゃん」
「そして私も……魔王様の従者として、魔王様の望みを叶えるためにお支え致します。例えそれが、世界のように大きな事ではなく……貴女個人の、誰かと共にありたいという、ささやかな望みのためだったとしても」
「……ありがとうございます」

 彼女の言うとおりだった。
 世界平和なんていう、一個人には過ぎた望みを掲げて、私は叶え続けて来た。完全ではないけれど、それでもと手を伸ばし続けて来た。
 そしてそれは、誰かに言われたからじゃない。
 私が望み、私が欲しいと思ったから、私は魔王になったのだ。

「……魔界の統治も、人界との和解も、そもそも私の我が儘でした」

 誰かに請われたからではなく、誰かを助けたかったから、私は魔王になった。
 誰かに命乞いをされたのではなく、誰かに生きていて欲しかったから、私は和解の道を選んだ。
 すべて私が望み、私がそうしたいと願ったからだ。

「だったら……もうひとつくらい、我が儘が増えても構いませんよね?」
「……はい。どうぞご存分に、我が儘を言ってください。それを支えたくて、私は魔王様の従者をやっているのですから」
「……ありがとうございます、メイドちゃん」

 障害があるなんて、大したことじゃなかった。
 生きて、望み、手を伸ばす限り、障害なんていくらでもあるものなのだから。

「……好きだって想うことが、怖かったんですね。だから、理由をつけて逃げようとして……我ながら、未熟者です」

 迷うことなどなにもないと分かり、私は堂々と胸を張った。

「私は、勇者さんが好きです」

 例え誰になにを言われようと、私は彼に恋をしてしまった。
 この気持ちに、嘘はつけない。

「そもそも、まだ付き合ってもいないのに周囲からの反対なんて気にしても仕方ありませんし、私の目標のひとつは魔族と人類の融和です。魔族である私と、人類の勇者さんがそういう関係になるなら、それはむしろ私の目的が達成できるということでもあるのに、それを忌避する理由がありません!」
「その通りです、魔王様。ちなみにそれは、前に私も言いました」
「ええ、本当にメイドちゃんは優秀で……。もしもそれで問題が起きるなら、なんとかします、してみせますとも。だって私は……魔界で最強の、魔王ですから!」
「はい。それでは私も……魔界で最高の従者として、お手伝いを致します。当然、私以外の側近たちもです」
「……お願いしますね、メイドちゃん」

 間違いなく味方でいてくれる人の存在に安堵して、私は顔をほころばせた。
 不安はあるし、これからは分からない。私が彼を想うように、彼が私に恋をしてくれるかもまだ不明だ。

 それでも、私の心はもう決まったから。
 この恋心を、大切に、手放さないようにしたい。
 足音を響かせて、私は城内を歩く。
 既に業務は終えているので、行く先はひとつだけだ。

「え、ええっと……」
 
 部屋の前に立ち、異空間から取り出した手鏡で身だしなみをチェックする。

「すぅ……はぁ……」

 息を整えることで、心のざわめきを抑える。
 この扉の向こうにいる彼のことを想うだけで高まってしまう熱を、まだ彼に知られたくないから。

「……勇者さん、こんにちわ」

 努めていつも通りの声で、私は部屋の扉を開ける。
 そこにいるのは、椅子に腰掛けてのんびりとお茶を飲んでいる、私が恋した人。

「おう、来たか。お疲れさん、魔王」
「は、はい。勇者さんも、お疲れ様です!」
「いや俺は別に疲れてはないけどな……とりあえずお茶淹れてやるよ、座っててくれ」
「……ありがとうございます」

 顔を見るだけで、声を聞くだけで、微笑みかけられるだけでドキドキしてしまう。
 胸の音が聞こえてしまっていないだろうかと不安になりながら、私は椅子に腰を下ろした。

「ほい、お茶。さっき淹れて少し冷めてるけど、一応気をつけてな」
「あ、ありがとうございます。んく……」

 渡されたお茶を一口飲むと、少しだけ心が落ち着いた。

「えっと……その、この間は、夜遅くまでお邪魔してしまって、すみませんでした」
「ん? 気にすんなよ、俺だって、楽しかったんだから」
「えへへ……はい」

 投げかけられる言葉も、勇者さんがこちらを見てくれることも、一緒にいられる時間も、ぜんぶが愛おしくて、顔がほころんでしまう。

 ……好きだなぁ。

 顔を見て、改めて自覚してしまった。
 私は、彼のことが好き。
 今はまだ、それを正面から伝える勇気はないけれど。

「あ、あの、勇者さん」
「ん、どうした、魔王」
「……今日も晩ご飯、食べていって良いですか?」

 あなたと一緒に過ごしたいと、遠回しに伝えるくらいは、したいと思った。

「おう、もちろん良いぞ。今日は肉にする予定だけど、それでいいか?」
「っ……は、はい! 宜しくお願いします!」
「なんだ、改まって……まあ良いけどよ。感想は聞かせてくれよな」
「えへへ、任せてください。食べるのは得意ですよ! 料理とか片付けは一切出来ませんが!」
「後半は胸張って言うことじゃないけどな」

 呆れた顔で笑って、勇者さんはチェス盤を持ってきてくれる。
 恋心を伝えることも、彼をもっと自由にしてあげることも、まだ先になるけれど。
 今はまだ、この距離感が心地良いと思う。

 ……でも、いつか。

 叶うのならば、この小さな部屋の中だけでなく、もっといろんな景色を彼と見たい。
 魔界のあちこちを、人界の隅々を、彼と一緒に歩きたい。
 そしてそのときに、私と彼の手と手、心と心が繋がっていたら。

「……えへへぇ」

 想像するだけで、幸せすぎて顔がにやけてしまう。

「ん、なんだ機嫌良さそうだな。なんかあったのか?」
「なーんでもなーいですよーう」

 大好きなあなたと一緒にいられるからですよ、という言葉を飲み込んで。
 いつかきっと、彼に気持ちを伝えることを、ひっそりと誓いながら。
 私は今日も、許される限りの時間を勇者さんと過ごすのだった。
「勇者さん、こんばんわー」
「お、来たのか、魔王」
「あ、はい。ちょっと遅い時間ですけど……ええと、大丈夫、ですか?」
「構わねえよ、どうせ暇なんだから。ほら、座れ」

 促すと、相手ははにかんでいつもの位置に腰掛けた。
 魔界の女王にして、元宿敵である魔王。彼女が捕虜である俺の部屋にやたらとおしかけてくるようになって、それなりの時間が経つ。
 先の休日の一件以来、魔王は少し遅い時間でも顔を出してくれるようになった。
 時には夕食の時間を過ぎていたりもするが、そのときは軽くお茶をして帰って行く。

「あ、あの、勇者さん、今日のご飯って……」
「ああ。昨日、また明日も来るって言ってたからちゃんとふたり分用意してあるぞ。すぐ用意するから座ってろ」
「あ……ありがとうございます。すいません、思ってたより遅くなっちゃって……」
「気にすんなよ、すぐ出せるようにしてあったからな」

 昼のうちに準備したスープに、焼いておいたパン。
 あとは香草を擦り込んでおいた魚をさっと焼けば、充分に豪勢な夕食だ。

「ほい、お待たせ」
「……勇者さん、手際が良くなりましたね」
「ここの生活にも、お前がいることにも慣れたからな」

 最近ではもう、彼女が部屋に来ることを考えて最初から多めに作っている。
 余ってしまえば次の日の朝にでも食べてしまえば良いし、支給されている量もいつの間にか増えていた。
 つまりコイツも、既に俺の部屋に来ることを前提に食料を発注しているのだろう。
 特に文句は無いし、それでいいと思う。

「ん~……えへへ、勇者さんのご飯、相変わらず美味しいです」
「美味そうに食べるよな、お前……」
「はい、だって美味しいですからね!」

 魔界でも指折りだという料理人をお抱えにしているらしい割には、なんでも美味い美味いと言って食べるやつだった。

「……そういえばお前、嫌いな食べ物あったけか。確か前に、なんか避けて食べてたような」
「む……魔界ナスのことですか」
「ああ、ナス……そういや、ナスに似てるのがあったな、ちょっとでっかいけど味もナスっぽいのが……」
「勇者さんに伝わるように魔界ナスって言っただけで、実際には魔界語での呼び名があるんですけどね……その、あれはちょっと……いやすごく苦手でして」

 魔界には魔界の言語があり、魔王は俺と話すときはわざわざ人類語を使ってくれているのだった。

「こう……ぐじゅっとしてて、香りがキツいのがちょっと……」
「まあ言いたいことは分かるな。俺は好きだけど」

 独特の食感と、香りをしているので、その辺が苦手なのだろう。
 納得していると、魔王は人類よりも長い耳をぴこぴこと動かしながら首を傾げて、
 
「勇者さんは、嫌いな食べ物ってあるんですか?」 
「ん? 俺は、別にないな。旅してると、選り好みできない時も多かったし。なんならその辺に生えてる草とかキノコとか、最悪毒でも回復魔法でなんとかすりゃいいかって思って食べてた」
「理由が強すぎますが、嫌いな食べ物がないのは偉いですね……」
「どっかに呼ばれたときとかでも、出されたものを残さず綺麗に食べると、相手も喜んでくれるしな」

 勇者として、危険な地に何日も滞在することもあれば、町などでは歓待されることも多かった。
 美味いモノ、微妙なモノ、食えるかどうか分からないモノ。いろんなモノを口にしたので、好き嫌いはない。
 だからこそ魔界の食材も、なんだかよく分からないと思いつつも使うことに抵抗は無かったのだ。
 手作りのパンをスープに浸してふやかしてから口の中に入れつつ、俺は話題を継続する。

「あぐ……じゃ、逆にお前の好きな食べ物ってなんなんだ?」
「んー……魔界のちょっと外れの方に生息している、鳥の卵ですね。あまり市場に出回らないレアものなんですが、すっごく美味しいんですよ」
「ほー……卵ね」
「はい。それに限らず、卵全般が好きですよ。あとは、チーズですかね……こう、とろっとしてて、塩気がありつつまろやかな感じが……」
「ふむ……」

 魔王、意外と濃い味が好きらしい。
 あるいは魔界の料理は全体的にそういう傾向なのだろうか。というか魔界にもあるんだな、チーズ。

「……なんか話してたらチーズとか卵料理が食べたくなってきました」

 今まさに飯を食べてる最中だというのに、もう次の食事のことを考えているあたり、相変わらずの腹ペコ魔王だった。
 いつも通りの相手に苦笑しつつ、俺は口を開く。
 
「ん、そうか。じゃあ今度来たらそうしてやるよ。チーズはないけど、卵は支給されてるしな」
「むぅ、次からは勇者さんへの支給品にチーズも追加しないといけませんね……あ、それじゃあ勇者さんの好きな食べ物ってなんですか?」
「んー……シチューかな……シチューって分かるか?」
「あ、はい。魔界には無い料理ですが、この前、人界の食文化を研究するのに頂きましたよ。美味しかったです」
「支給されてる食材でも出来そうな感じだから、今度作ってみるか……ああ、あとオムライスがすげぇ好き」
「おむ……?」

 きょとんとした顔で首を傾げて、魔王が疑問符をこぼす。
 なんだその仕草、可愛いかよ。
 
「ん、それも魔界には無いのか……こう、味付きの米を、卵焼きで包んだ料理でな」
「こめ……あ、あのふかふかした白い食べ物ですね!」
「……もしかして、魔界って米はないのか?」

 小麦粉に近いものはあったのでパンを焼いて主食にしていたので、特に疑問に思わなかったのだが、そういえば支給される食材の中で一度も米を見たことがない。
 こちらの疑問に魔王は長耳を揺らしながら、こくこくと頷いて、

「はい。あれは人界固有の食べ物ですね。人類の主食と聞いて魔界でも育てられないかとも思ったんですが……水源の問題があって、ちょっと難しそうです」
「ああ、魔界って水源があんまり無いんだったな……米はたしかに、水がたんまりいるからなあ」
「ええ、あってもほとんどが綺麗な水ではなくて、魔法とか設備で浄水して使ってる感じですから、量を用意する場合は結構大がかりになるんですよね……あと魔界の環境は厳しいので、作るとしても品種改良に時間がかかりそうです……」
「……そうなると、米が支給されることは今後も無いのか」

 ここに来てからはずっとパン食なので、米を食べたいと思うことが増えていたのだが、望みは薄そうだった。
 残念に思っていると、魔王は難しい顔をして、

「うーん……時間さえかければ設備は整えられますし、流通ルートも少しずつ整備しているので、ちょっとくらいなら人界から仕入れてこられるかもしれませんが……今すぐ、というのは難しいです」
「あんまり無理しなくても良いぞ。いつも俺のためにいろいろしてくれてるわけだし、我が儘を言いたいわけじゃないからな」
「……私だって、その、おむらいす、っていうの食べたいですし」
「……自分のためでもあるなら良いけどよ。それなら、持ってきてくれれば作ってやるよ」
「はい、楽しみにしてますね!」

 飯を食いながらもう次の飯の話をしていることをなんだかおかしく感じながら、俺は米が支給されるかもしれないことに少しだけわくわくしていた。
 そうして今日もまた、楽しいと感じられる時間はあっという間に過ぎていくのだった。

「こうやって寛いでおいてアレなんだが……お前、本当に俺になにもしなくていいのか?」
「はい?」

 食後のお茶を楽しんでいると、勇者さんがやや神妙な顔でこちらに言葉を投げかけてきた。
 意味が分からずに首を傾げていると、勇者さんは溜め息を吐いて、

「いや、だからさ。俺は勇者で、お前は魔王で、ここは一応独房だろ? こう……なんかないのか、人界の情報を引き出すのに尋問するとか、拷問にかけて過去の行いを反省させるとか」
「……勇者さん、いつからドMになったんですか? どちらかというとドSだと思ってたのに……」
「どちらかにすんな、どっちでもねえよ。いやな、そういうのしとかないと、こう……対外的なアレとか、大丈夫かなって」
「あら、私の立場を心配してくれてるんですか?」
「……お前がうっかり立場追われたら、俺も困るからな」

 確かに、私を魔王の座から追い出すとしたら、その相手は私とは全く違った考え方を持つことになる。
 もしも勇者さんが言うようなことになれば、おそらく勇者さんは即刻処刑され、人類の扱いもひどいものになるだろう。良くて奴隷、悪くて絶滅だ。

「ふふん、心配しなくても私は魔界最強の魔王ですよ。常時発動型の防御魔法がほとんどの攻撃を弾き、呪いや毒もオートで反射するこの魔王ボディ、並大抵の刺客や暗殺ではこの自慢のお耳に傷すらつきません」
「物理排除限定の強さじゃねえか……なんか政治的に立場悪くなったりしたらどうするんだよ」
「……正直、私以外に『政治』の概念をちゃんと理解してる魔族ってほとんどいないんですよ。そして理解した魔族はだいたい私に賛同しますから、立場を悪くされて退位することはまずないかと」
「うーん、魔界の政治がどういう仕組みで動いてるのかはしらねえけど、そういうもんなのか?」
「ええ。……こう、言い方は悪いかも知れませんが、元は蛮族ですからね、この世界の住人。それで、その中でもある程度の知能、知性を供えて政治や人の管理を理解してくると、分かってしまうんですよ」
「……お前の優秀さが?」
「いえ、こんなめんどくさい治世なんて事業、私(まおう)にやらせる方が絶対良いなってことに」
「ええ……そういう理由かよ……」
「実際、治世をするのは大変ですから。人、土地、モノ、すべてを管理し、自分以外もふくめて生活を安定させる……正直、他人から奪って満たされる方が、生き方としては楽でしょう。……その力があるなら、ですが」
「……まあ、な」

 思いあたるところはあるらしく、勇者さんは頭を掻きながら同意してくれる。

「その上で、私をよく思っていない人はだいたいが殺したがり、奪いたがりという感じで、私を倒して王に成り代わったあとのことを深く考えていません。そういうおばか……こほん。思慮が薄い相手がしてくる政治的な妨害なんて、単純なものばかりでどうとでもできますし、実力行使で来るならむしろ真っ向から叩き潰して差し上げるだけですから」

 魔界最強というのは、冗談でもなんでもない。
 私が本気で戦えば、このあたりが焼け野原になる程度では済まない。
 私の能力値は、魔力に振り切れている。
 有り余る魔力は自動であらゆる攻撃を防ぎ、毒や呪いさえも跳ね返してしまう。
 戦闘時はその圧倒的な魔力で敵を地形ごと粉砕するか、全身を強化して『撫でる』だけで終わり。
 正面からの攻撃も、搦め手も通じず、攻撃は『災害』と同レベル。
 そんな存在と喜んで戦う相手は、よほどの戦闘狂か、死にたがりか。
 あるいは、そうしなければならないという、覚悟を持った『勇者』だけだ。

「……そういうわけで、正直私がこうして勇者さんの部屋で寛いでも、文句を言われることはあっても、直接どうこうされることは無いんですよ」
「文句は言われるんじゃねーか」
「過激派の人がどうしてもいますからねえ……特に戦時下はそういう人のお陰で回っていた部分もありましたし、なんでもかんでも排除していたのでは私もその過激派の人たちと変わらないから、扱いが難しいんですが……」

 戦争が終わったからといって武闘派の人を排除するというのもまた、王の振るまいとしては都合が良すぎる。
 結局、彼らの不満を上手く受け流しながら、魔王としての仕事を続けるしか無いというのが本音だ。

「……難しいもんだな」
「戦争でしたからね。戦えない民の中にも、当然『そういう』考え方の人は多くいます。家族を奪われ、土地を荒らされ、人を恨み……過激派が、そんな民たちの受け皿になっているのも事実です」
「……ああ、そうだろうな」
「そしてそういう人たちにいつか分かって貰えるように頑張ったり、分かって貰えなくても棲み分けたり出来るようにするのも、私の仕事ですからね」
「そういうことなら、なおのことお前に頑張って貰わないと困るんだよな」
「あはは、それはもちろんです。でも……戦争はちゃんと終わってますし、勇者さんを尋問してまで欲しい情報とか無いんですよね。だいたいのことは、向こうの元王様が話してくれていますし」
「あのジジイ、俺を売り渡したことといい、保身に熱心すぎないか……?」
「お陰で今は娘さんからだいぶ冷ややかな扱いらしいですね……なんでも王女様、家を出て行かれてしまったとかで」
「おう……あの姫さん、結構強気な人だからなあ……」
「あ……もしかして、お知り合いでした?」
「ん、何度かな。たまに城に行くと、飯いっしょに食べたりとか、そういう感じだったが」
「…………」
「魔王?」
「あ、いえ。なんでもありません」

 勇者さんが他の女の子とご飯をしているシーンを想像して、ちょっともやっとしてしまった。
 我ながら、今のはちょっと嫉妬深すぎる気がする。落ち着きましょう、私。勇者さんにヘンに思われちゃう。

「……その、お姫様、綺麗な人でしたよね。私も一度見ただけですが、凜々しい感じがして……」
「ん……そうだな、美人だとは思ったが」
「っ……ゆ、勇者さんは、その、ああいう人が好みなんですか?」
「なんだ、急に話が飛んだな? うーん……少なくとも、姫さんのことをそういう目で見たことは無いぞ」
「そ、そうですか……」

 単純なことに、その言葉でほっとしてしまっている自分がいる。
 私は動揺を悟られないように、努めて冷静な表情を作った。

「ま、まあ、そういうことなので、尋問とか拷問はしなくて大丈夫ですよ。勇者さんは安心して、私にご飯いっぱい作ってくださいね」
「うーん、捕虜が飯炊きをやるってどうなんだ……いや、お前がそれでいいって言うなら良いけどよ……」
「はい、それで良いのです♪」

 微妙な顔をする勇者さんに、私は歩み寄った。
 それで良い、という言葉は紛れもない本心だ。
 戦って、お互いに痛みを得て、血を流すよりも。
 いっしょにいて、美味しいご飯を食べて、笑い合っていられる方が幸せだから。

「戦争だとか尋問だとか……そんな血なまぐさいことよりも、勇者さんと仲良くいられる方がずっとずっと嬉しいですから」
「っ……そ、そうか……」

 照れているのか、顔を赤くして勇者さんが視線を逸らす。
 最近は、こういう反応が増えたように思う。
 私といることに慣れてくれたのかなと思うし、少しは意識してくれているんだろうかと、期待もしてしまう。
 いっそ腕に抱きついたりしてみようかなんて考えてしまうけれど、さすがにそれは恥ずかしくて。

「……これからも、美味しいご飯つくって、いっしょに遊んでくださいね?」
「……ああ、分かったよ。俺も、斬った斬られたより、その方が良いしな」

 当たり障りの無い言葉で少しだけ誤魔化して、彼の袖をそっと握る。
 こうして、私は今日も、勇者さんと楽しく過ごすのだった。
「勇者さんは、もっと甘えても良いと思うんです!」
「……はぁ?」

 部屋に入って開口一番にそんなことを言われて、俺は雑巾を持ったまま固まった。
 思考のフリーズは一瞬で、俺はすぐに雑巾をバケツの中に放り込んで手を洗いつつ、

「……なんだ藪から棒に。いや、藪から棒って分かるのかしらねえけど」
「突然って意味の人類語のコトワザですよね、知ってます。……勇者さんは、もっと甘えるべきじゃないかなって思ったんです!」

 なんでだよ。
 二度、意味不明なことを言われたことに疑問を深めて、俺は掃除用具を片付けながら言葉を作る。

「甘えるもなにも、この状況がもう甘えみたいなところあるだろ。本来ならよくて処刑、悪くて人類根絶のところを、住み心地のいい独房とは名ばかりの個室で毎日スローライフしてるんだから。今日だって、のんびり床ふきしてたぞ」
「むぅぅ、そういうことじゃないんですよぉ!」

 なにが気に入らないのか、魔王はぷんすことした様子で、机をぺちぺち叩いた。
 なんだその仕草。魔王がそんな可愛いことしていいと思ってんのか。

「勇者さんはもっと我が儘を言っても良いと思うんです。だってぜんぜん、要望とか言ってくれませんし! もっとコレが欲しいアレが欲しいああしてくれって言っていいのに! 寧ろ言ってほしいのに!」
「いや、一応魔界にとっては最大の戦犯というか、一番の敵の俺が待遇改善とか言い出すのどうかと思うし、そもそも魔王が充分やってくれてるだろ?」
「むー……」

 困ったな。どういうわけか、魔王は納得していないらしい。

 ……わりと本心から、困ってないんだけどなあ。

 甘えると言われても、どうしていいか分からない。
 今の俺の待遇は充分すぎるほど良いものだと嘘偽りなく思うし、これ以上を望むことはない。
 目の前にいる、少女のような見目からは想像もつかないほど立派な王様が、俺のことを大事に扱ってくれているからだ。

 というか、ふつうの捕虜ならまずあり得ない状況だろう。
 なにせ面会はできる、文通はできる、部屋は広くて自由に使える、定期的に美人の魔王が来て、会話や遊びに付き合ってくれる。
 これでここが『独房』なんて、他人に言っても信じて貰えない自信がある。

「今で充分というか、今でさえ、勇者時代より待遇はいいくらいだぞ。戦わなくて良いし、毎日あったかいベッドで寝てるしな」
「……でも、勇者さんはずっと頑張って、我が儘のひとつも言わなかったって、お母さんから聞いてますよ」
「母さん、俺の個人情報もうちょっと大事にしてくれ……」

 というかなんで、勇者の母親と魔王が仲いいんだ。
 大方、昨日俺の面会に来た母さんが、そのまま魔王とお茶でもして帰ったのだろう。
 そしてそのときに、俺の昔話でも聞いたに違いない。
 どうしたもんか、と思いつつ、俺は誤解が無いように言葉を選んで口を開く。

「あのな、魔王。俺は別に、勇者の役割が辛かったと思ったことはねえよ。まあ、確かに望んでなったもんでもないけどな」
「…………」
「でも、それで言えなかった我が儘がある、なんて思っちゃいない。だから、お前が気にすることじゃない」
「……分かっていますよ。でも……それでも、ですよ」
「……それでも?」
「ふつうの人は背負わなくてもいい重荷を背負って、ずっと戦ってきて……ようやくそれがなくなったんですから。少しくらい、甘えることを覚えてもいいと思うんです」

 こちらを見上げる魔王の瞳は、真剣そのものだった。
 俺が辛くないと言ったことも認めてくれて、それでも、と言ってくれる。

 ……ありがたい存在だな。

 俺に、勇者のように振る舞わなくて良いと、あるいは、勇者ではなくただのひとりの人間のように扱ってくれる相手。
 母親以外にそういう存在がいてくれることを、ひどくありがたく感じる。

「……分かったよ。お前がそこまで言うなら、俺ももう少し肩の力を抜く。それでいいか?」
「本当ですか? 約束ですよ? もう前みたいに、自分が死んでみんなを助けようとか考えちゃめーですよ?」
「俺が悪いのは分かるけど、その話やたら引っ張るよな、お前……」
「……今ゆーしゃさんに同じこと言われたら、私ぜったい泣いちゃいますから、めっ、です」
「分かってる分かってる。もう言わないっての……」

 初対面で、『俺が死ぬから人類のことちょっと許して欲しい』みたいな願いを言って怒られたので、この件に関しては弱い。
 やりづらいものを感じながら頷くと、魔王はようやく納得したのか、ぺたん、とその場に座って、

「では、勇者さん、こっちにどうぞ」
「こっちにって……?」
「甘えると言えば膝枕だってメイドちゃんから聞きましたから、今日は私が勇者さんに膝枕してあげます!」

 メイドちゃんとやら、偏った知識を与え過ぎてやしないだろうか。
 ドヤ顔で自分の膝をぺしぺしと叩く魔王に、俺は頭を掻いた。

「お前、それぜったい嘘を教えられてると思うぞ……」
「え? でもメイドちゃん、『魔王様に膝枕されて喜ばない人はいません』って言ってましたよ?」
「それはメイドちゃんってやつの主観だろ……」
「え……じゃあ私はどうやって勇者さんを甘やかせばいいんですか……?」
「いや、この世の終わりみたいな顔されてもな……というか膝枕(それ)以外ノープランだったのかよ」
「うぅ、だってメイドちゃんがこれでイチコロだって言うので……」

 それはちょっと意味が違わないだろうか。
 まだ会ったことの無い相手なのでなんとも言えないが、どうもなにか妙な意図がある気がする。

 ……とはいえ、コイツの気持ちは本気なんだよな。

 突然やってきて甘やかしてあげたい、なんて言い出したのも、恐らくは母さんから俺の昔の話を聞いて、母さんの代わりに自分が、とか考えたのだろう。責任感の強いコイツらしい。
 空回り気味なのはともかく、その気持ちは嬉しいし、無下にしたくないとも思う。

「……分かった、分かったよ」

 結局、折れるように俺は頷いた。
 肩の力を抜くと約束したのだ。友達からの心遣いを素直に受け入れるくらいは、いいだろう。
 なにより俺が受け入れるだけで、嬉しそうにこくこくと頷く魔王を、邪険にはできない。

「……で、寝れば良いのか?」
「はい、どうぞどうぞ♪」

 本当に良いのかという気持ちはありつつも、俺は魔王の膝に頭を乗せた。
 景色が凄いことになりそうなので、きちんと目は閉じておく。
 頭の後ろに当たる感触は、柔らかかった。というか、スカートが短いのでほとんど生の肌だった。

「…………」
「ふふふ、どうですか? 魔王の膝枕なんて、そうそう使えませんよ?」
「まあ、贅沢な感じはするよな……」

 柔らかくて良い匂いがする、とはさすがに言いづらく、俺は目を閉じたままで心臓の鼓動をなるべく抑え、曖昧に頷いておいた。

「えへへへぇ……」
「……なんか楽しそうだな」
「だって、素直に甘えてくれて嬉しいですし。勇者さん、こうして欲しいとかぜんぜん言わないから心配でしたし」
「……そうか」

 髪の毛に触れられる感覚に、俺は身を任せた。
 本来であれば戦わなければならなかったであろう相手から受ける、膝枕と頭撫で。
 子供扱いのようで気恥ずかしいけれど、どこか心地良いのも本当のことで。

「……勇者さん、髪の毛けっこうふわふわですね」
「そうか? よく分からないが」
「えへへ、ちょっと楽しいです」
「人の毛で遊ぶなよな……」
「良いじゃないですかぁ、せっかく手近にあるんですから」

 なにがそんなに楽しいのか、魔王は俺の髪を触って遊んでいるらしい。
 気恥ずかしさから目を開けられない状態で、俺はしばらくの間、されるがままになるしかないのだった。

「……なあ、今ちょっと腹の音鳴らさなかったか?」
「な、鳴らしてませんよう! ていうか、どこの音聞いてるんですか!?」
「いや、別に聞こうとしてたわけじゃなくて、頭ひっつけてるから聞こえてくるんだって……もう少ししたら、飯にするか?」
「そ、そうですね、別にまだお腹は空いてませんけど、勇者さんがそう言うならそうしましょうか!」

 腹の音を聞かれたのが恥ずかしかったらしく、魔王はわたわたと頷いた。
 顔を真っ赤にしつつも膝枕をやめるつもりは無いようで、俺はしばらくの間、居心地がいいんだか悪いんだか分からない時間をすごした。

 ……めちゃくちゃ良い匂いがするとか、言えるわけないよな。
「ふう、堪能しました……」

 満足げに吐息して、魔王は行儀良く手を合わせる。

「ご馳走様でした、美味しかったです。揚げ具合がバッチリでしたね!」
「ん、そうか。……俺も魔界のあれこれを調理するのに慣れてきたな」

 元々料理は好きだが、魔界由来の食材は扱いが謎なこともあり、どうすればいいか分からないということも多かった。
 しかし最近は慣れてきて、名前や詳細がなんだかよく分からないものであっても、多少どうすればいいか分かるようになってきた。
 というわけで、今日は鳥っぽい肉の揚げ物に挑戦した。付け合わせは、タマネギっぽいものと、トマトっぽいなにかをマリネにしたものだ。酢も魔界産のよくわからないもので、本当に酢かどうかは怪しい。

「そういえば……魔界ってナスとかトマトとか、人界にあるものに似てる野菜が結構あるんだな」
「そうなんですよね。たぶん、お互いにお互いの世界に流れたんだと思いますが……」
「まあ、お互いに相手の世界に攻め込むときに、食料は持っていってたわけだからなあ」

 人界と魔界は、『門』によって繋がっている。
 ふたつの世界にある門は、入り口と出口が決まっていて、その数は人界と魔界にそれぞれ四カ所。
 逆に言えば、行く道も帰る道も、お互いに四カ所しか無く、当然、両陣営がそれを見張っているので遠征は長く、激しい戦いになる。
 人間も魔族もそれぞれ、自分の世界にあった食料を持ち込み、そして一部の品種が別の世界にも適応したと、そういうことだろう。

「実際、この間試しに交配させてみたら新種ができましたしね。ちなみに、トマトはおそらく魔界が原産で、ナスは人界から流れてきたんだと思います」
「そういうの、分かるのか?」
「証拠のようなものはありませんが、一応私も五千年ほど魔界を統治していますからね。トマトは私が知る限り魔界を統一する前からあって、ナスは人界との戦争が始まった後に発見されたので、間違いないんじゃないかと」
「ほー、なるほどなあ……あ、この後どうする? 魔界チェスでもするか?」

 魔王が夜まで居座るのがいつも通りになっているので、俺は皿を片付けながら相手に声をかける。
 彼女は少しだけ、考える仕草をした。んー、と口に指を当て、耳をぴこぴこと動かす姿は、どう見ても邪悪な存在には見えない。
 相変わらずの魔王らしくない可愛らしい所作についつい目を奪われていると、魔王はぱっと顔を明るくして、

「勇者さん、たまには音楽でもどうでしょうか?」
「音楽……って言ってもな。楽器もないし、どうするんだよ。コップに水でも入れて匙で叩くか?」
「いえ、私、趣味で笛を嗜んでいまして……良かったら勇者さんに聴いてもらおうかなって」
「お前、家事できないくせに笛は吹けるのか……」
「か、家事と笛は無関係じゃないですかあ……!」

 その通りなのだが、あまりイメージが無かったので、少し驚いてしまった。
 侮辱されたと思ったのか、魔王はぷう、と可愛らしく頬を膨らませて、こちらを見上げてくる。

「むぅぅ、これでも中々の腕なんですよ? メイドちゃんにも褒めて貰えるくらい、上手なんですから」

 メイドちゃん、というのは魔王の側近で、コイツが苦手な過度なゴマすりをしてこない部下らしい。
 会ったことは無いが、魔王から何度か聞いているので覚えている相手だ。

「悪かったよ。それじゃ、聴かせて貰おうかな。というか、魔界にもあるんだな、音楽」
「はい。特定の波長、リズムの音が心地良い、というのは魔族も人間も同じみたいですね」

 頷きながら、魔王はマントの中の異空間から、銀色の筒を取り出す。
 細長く、連なるようにしていくつかの穴が開けられているそれは、確かに人界の笛にそっくりだった。

「では、いきますね……はむ」

 横笛をくわえて、息を吸う気配がして。
 最初の音色が、響いた。

 ……おお。

 旋律に対して素直に感じたのは、驚きだった。
 高めで、しかしうるさくはなく、優しく浸みてくるような音の列。
 テンポはゆるやかであり、聴いていると自然と心が落ち着いてくる。
 楽しくノせるというよりは、時間を噛みしめさせるような、透き通った音色。

「……ふう」

 演奏が終わり、口を離した魔王が吐息するまで、俺は旋律に聞き惚れていた。
 目を丸くしていると、魔王はぱっと顔を明るくして、

「どうでしょう。調べて見たところ、この笛の音色は人類も聞き取れる音域なので、持ってきたのですけど」
「いや……すごいな。あまりにも上手いんで、びっくりした」
「えへへ、ありがとうございます。たしなみ程度ですが、そうやって褒めていただけると嬉しいですね」

 魔王は照れたように笑うと、お茶を飲んで一息を吐く。

「はあ、ちょっと緊張してしまいました……」
「今の、魔界の音楽なのか?」
「ん、魔界の……まあそうですね、作ったの私ですから」
「お前、作曲まで出来るのか……」
「たしなみ程度、ですけどね。お仕事の合間の息抜きでやっているうちに、ちょっと上手になった感じです」

 魔界の音楽がどの程度の水準なのかは分からないが、聞いた限り上手だと思った。
 優しくて、ゆるやかな旋律は、まるで彼女が普段まとっている雰囲気のような、どこか安心するもので。

「……魔王らしい曲だったな」
「そう、ですか? 適当につくったので、自分ではよくわからないんですけど……」
「ああ、なんていうか……落ち着くって言うか。綺麗で、あたたかみがある感じ」
「ふ、えっ……な、なにいってるんですか、きゅ、きゅうにっ」
「え、あ……」

 言われてから、気がついた。
 今のはまるで、相手を口説こうとしてるような台詞だったことに。

「あ、いや、ちが……いや、違うわけじゃないが、なんていうか、下心とか取り入ろうとか、そういうのはない、ないぞ!?」
「わ、分かってますよう! でも、その……す、素直な評価が、そうだとしたら……よ、余計に恥ずかしい、です……」

 ぷしゅう、と音が出てしまいそうなくらい、魔王の顔が真っ赤になっている。
 特徴的な耳の先までが色づき、瞳に刻まれた紋様が揺れる。

「っ……わ、悪い。へんなこと言ったな」
「いえ……う、嬉しかったので、だ、だいじょーぶ、ですっ……」

 湯気でも噴きそうなほどに頬を色づかせて、魔王はふるふると首を振る。

 ……今のは口が滑ったよな。

 俺の方も、あのお泊まり以来、ちょっとおかしいと思う。
 以前よりもコイツといると楽しいと感じているし、いないと寂しいと思ってしまっている。
 料理をしているときについつい様子を伺ってしまったり、ひとつひとつの所作が綺麗だと改めて思ったり、無意識に動きを目で追っている。
 微妙な空気を理解しつつも、感想は本当で、素直に褒めたいとも思う。

「……上手かったよ。ありがとな」
「は、はい……えへへ……あ、も、もっと聴きますか?」
「……ああ、頼もうかな」

 提案に頷くと、魔王は顔を赤くしつつも、次の曲を演奏するべく笛を構える。
 少しだけ音楽でも聴いていれば、この微妙な雰囲気も元通りになるだろう。
 そんなことを考えて、俺は旋律に集中することにした。
「……勇者さん、本当に多趣味というか、独房生活をエンジョイしてますよね」

 食後に洗い物を済ませて戻ってくると、魔王がお茶を啜りながらそんなことを言った。
 
「ん、まあそうだな。正直、退屈はしてないぞ」

 筋トレ、料理、掃除、ひとり魔界チェス。
 魔王の取り計らいである程度は人界の書物も手に入るので、最近は読書なんかも捗っている。特に、レシピ本なんかを見るのは楽しい。
 ましてかなりの頻度で、魔王という遊び相手がやってくるのだから、退屈はまったくないというのが正直なところだ。

「まあ、本当ならここまで自由な捕虜はいないだろうから、だいぶ恵まれた環境なんだけどな」
「私としては、もっと自由にさせてあげたいんですけどね。城下町とか、ゆっくり見て回ったりしてほしいですし……」
「それはそれで興味があるけど、さすがにそこまでは難しいだろ」
「うう、面目ないです……」

 魔王はしょんぼりと耳を垂らしてしまうが、別に俺としてはそこまで落ち込まなくても良いことだと思う。俺本人が、まったく気にしていないのだから。

 ……外に出られたとしても、アウェーだしなあ。

 外出が許されたとして、仇敵が自分の国の首都を歩き回っていて良い顔をするやつはいないだろう。最悪、殺しにかかられてもおかしくはない。
 魔王が言うような観光をするとしても、正体を隠してようやくという感じだろうから、気疲れしそうだ。
 いろんな意味で、俺は独房(ここ)にいるくらいがちょうどいいのだ。

「まあ、本人が気にしてないんだから気にすんなよ。別に退屈はしてないし、お前も来てくれるしな」
「っ……そ、そうですか? わ、私が来て、嬉しいですか?」
「そりゃ当たり前だろ。じゃなきゃ、もっと邪険にしてる。……正直、お前が来てくれると楽しいよ」

 自分でも驚くほどあっさりと、楽しいという言葉を口にすることが出来た。
 かつてであれば、きっと出なかっただろう言葉。それを今、俺は素直に受け入れている。

 ……本当に、楽しいんだよな。

 一緒に飯を食って、いろんなことを話して、時には玩具で遊んで。
 かつて敵だったことや、彼女や彼女の部下が多くの同胞の命を奪ったと知っていても、楽しいと思ってしまう。
 誰かと仲良くなって、ゆるやかな時間を過ごすなんて、今までなかったから。

「……えへへ」

 なにより、そんなふにゃふにゃの緩みきった笑顔で嬉しそうにされたら。
 今更、コイツを嫌うなんてこと、できるわけがない。

「えへへへへぇ……ゆーしゃさんに一緒にいて楽しいって言われちゃいました……♪」
「……そこまで喜ばれると、言ったこっちが照れるんだが」
「良いじゃないですか、言われた方はすっごく嬉しいですよ!」
「っ……そ、そうか」
「はい!」

 満面の笑みで、魔王は耳をぴこぴこ動かしながら上機嫌でお茶を飲んでいる。
 かなりの気恥ずかしさを感じるが、魔王といて楽しいと思っているのは本当なので、俺は結局なにも言い訳はしないことにした。
 部屋の隅からチェス盤を持ってくると、特に申し合わせたわけでもないのに、魔王は自分のコマを並べ始める。
 無言のままで勝負が始まり、暫くの間、コマを動かす音だけが部屋に響く。

「……チェックメイト」
「うぐー、負けました……」
「だいぶ上手くなったな、練習してるのか?」
「ええ、まあ……そろそろ魔界では敵がいませんね。といっても、勇者さん相手だと相変わらずなんですけど」
「……つまり俺、今一番魔界で魔界チェス上手いのか?」
「ええ、たぶん……メイドちゃんもびっくりしてましたね……」
「……機会があったら、人間の方のチェスもちょっとやってみるかなぁ」
「人界の遊び道具を入手するというのは前々から考えているので、近々こっちに持ってこれるかもしれませんね」
「マジ? 楽しみにしておくわ」

 言いながらも、コマを初期位置に戻してもう一戦が始まる。
 今度は無言ではなく、雑談をしながらで、

「というかお前の方は、笛以外の趣味ってあるのか?」
「んー……そうですねえ。お茶淹れるのは得意ですよ。メイドちゃんも認めてくれているくらいですから」
「お前、料理できないのに茶は淹れられるんだな……」
「い、良いじゃないですか、料理できないのは……というかその反応笛のときにもしましたよね!?」
「いやそうなんだが……なんだろうなこの納得のいかない感じは……」
「むうぅ、まあいいですけど……あとはそうですね、玩具集めですかね」
「玩具集め……?」

 首を傾げながら打つと、相手は頷きつつノータイムで言葉と手を返してくる。
 
「ええ、ハニワとかもそうなんですが、基本的に面白いモノを集めるのは好きなんですよね。統治する前に魔界をあちこち回ってたときは、珍しい鉱石とか、いろんな特産品を収集してましたよ」
「ふーん……じゃあもしかして魔界人生ゲームとか魔界チェスは俺のために用意したわけじゃなくて、元からお前の持ち物なのか?」
「ええ、むしろ私が一緒に遊びたくて持ってきたまでありますね。ここまで勇者さんが魔界チェス強くなるとは思いませんでしたけど」
「……メイドちゃんとやらは相手になってくれなかったのか?」
「うーん、頼めば相手してはくれると思いますが……メイドちゃん自体はあんまり興味ないみたいなんですよね。だから、付き合わせるのも悪いかなと……」
「なるほどな……ほい、チェックメイト」
「うぐ……またですかあ……参りました」

 二戦が終わってキリがいいのでお茶を飲むと、相手も同じようにした。
 お互いのカップが空になったので追加のお茶を注いでやると、その間に魔王は机の上にあるものをチェスから人生ゲームの盤に変えていた。

「まあ魔界チェスの方はメイドちゃん、貴族の遊びとしてたしなむ程度は出来た方が良いと思って覚えたらしいんですけどね……それで大会優勝までいけるあたり、メイドちゃんも賢い……かわいい上に賢いなんて……メイドちゃんはやっぱり最高の従者ですね……」
「お前、そのメイドちゃんってやつはかなり信頼してるよな……」

 従者自慢を聞きつつ、俺は自分の分のコマを用意して、ルーレットを回す。出目は2だった。弱い。
 魔王の方も盤を回し、コマを動かす。初手から大きい目を出すあたり、相変わらず運ゲーは俺に不利だ。

「四千五百年以上も私に仕えてくれていますからね。メイドちゃんに関しては、なにがあっても私を裏切ることはないと断言できます。……最近はちょっと、茶化してはきますけど」
「茶化す? なにを?」
「っ……いえ、なんでもないです、忘れてください。あ、ほら、今回は妖狐に就職ですよ!」
 

 失言をした、という様子で、魔王はわたわたと話題を変える。
 気にはなったものの、魔王があまり言いたくないなら、俺はあまり詮索はしないでおくことにした。
 メイドちゃんとやらとは仲が良いらしいので、軽口をたたき合えるということだろう。

「妖狐も結構強いよな、魔界人生ゲーム」
「ルーレット回して出た目の数だけどうこうって効果が多いですが、その分爆発力はありますからね。……あ、勇者さん今回はスライムですね」
「ああ、スライムは事故マスが無効で、弱くはないんだよな……よし、まだ今日は運が良いぞ」
「子供じゃなくて分裂って概念になるのも面白いですよねー。フレーバー的な意味合いが強いですけど、こだわり感じます」

 楽しそうに笑いながらルーレットを回す魔王を眺めつつ。
 今日も俺は、退屈せずに過ごすのだった。