鬼の花嫁2~出逢いと別れ~


***

 梓の日常は笑顔に包まれたものだった。

 仲のいい両親にかわいい弟と妹に囲まれた、絵に描いたような明るく幸せな家庭。

 梓自身も、昔からかわいいと言われて育ってきた。

 そのせいか同世代の男の子からは好かれたが、それと同時に女の子からはあまり好かれず女友達は少なかった。

 それでも、梓は幸せだった。蛇のあやかしに花嫁に選ばれるまでは……。


 梓には以前から好ましく思っていた人がいた。
 その人に出会ったのは、あやかしと人間の親睦パーティーだった。
 梓の家はそれなりに大きな会社を経営していて、上流階級の者が集う親睦パーティーにも出席するだけのコネがあった。
 内気で人付き合いが苦手な梓は、そういう華やかな場はこれまで避けていたのだが、いつも父親と共に出席している母親が行けなくなったため、その代わりとして行くことになった。
 嫌々だったが、あやかしに会ったことのなかった梓は、少しばかりの興味もあった。

 そこで、梓は出会ったのだ。その人に……。

 出会ったと言っても会話をしたわけではなく、ただ目にしただけ。
 だが、そのわずかな時間で梓はその人に一目惚れをした。
 人間離れした美しい顔。作られた人形のように整っていて、見た者を惹きつける不思議な雰囲気を発していた。
 その魅力に梓は一目で魅入られてしまった。

 後々、父親に彼が誰だったかと問えば、それは鬼龍院の次期当主だと教えられる。
 鬼龍院の名はただの学生である梓でも知っているほど有名だ。
 鬼のあやかしであり、日本を影で支えているとも言われる家。
 格の違いに驚いたが、納得もした。
 彼がまとう空気は、トップに立つに相応しい威厳と覇気を感じたからだ。
 自分とはまったく違う世界の住人。

 だが、もう一度お会いしたい……。

 梓はそれから毎日のように玲夜の顔を思い出しては、会いたいと願うようになった。
 あのたった一瞬の邂逅で、梓は玲夜に恋心を抱いたのだ。
 気を抜けばすぐに玲夜のことを考え、物思いにふける。
 もともと大人しい梓の変化に気が付いた者はいなかったが、梓は心の中に今までにない熱情を抱いていた。

 玲夜のことを思ってはうっとりとし、会えないことを思っては落ち込む。
 そこにいたのは、普通の恋する少女だった。
 そんな恋心は、梓の行いにも変化をもたらした。
 今までは嫌っていた華美な世界。パーティーなどへ積極的に出席するようになった。

 もちろんあやかしが出席するようなものだけだが、これまで遠ざけていた世界に自ら足を踏み入れようとするのは大きな変化だった。
 だが、あやかしがいるからといって、必ずしも玲夜がいるとは限らなかった。
 その時はその日一日引きずるほど落ち込み、わずかにでもその姿を見られた時は嬉しくて上機嫌になる。

 とは言え、玲夜の周囲には常に女性が集まっており、大人しい性格の梓は、そんな女性たちを押しのけて話しかけるほどの強さはなかった。
 そんな弱い自分が嫌になったが、ただ見ていることしかできなかった。
 それでも梓は安心していたのだ。玲夜はどんな綺麗な女性に言い寄られても、冷たい態度を変えなかったから。


 そんな日々を過ごしていたある日のパーティーで、梓は知ってしまう。

 その日は珍しく秘書以外の人を連れていた玲夜。その隣には見目麗しい女性がいた。
 聞くと、鬼山桜子という玲夜の婚約者だという。

 梓は頭が真っ白になった。
 誰から見ても玲夜は素敵な魅力を持った人。決まった相手がそもそもいるかもしれないということを失念していた。
 玲夜の隣に立つ桜子は、かわいいと言われていい気になっていた自身が恥ずかしくなるほど美しく、品があり、玲夜の隣にいても見劣りしない……いや、むしろ見惚れてしまうほどお似合いだった。
 梓が評価するなど厚かましいほどに、桜子は完璧な女性だった。鬼だと聞いて納得した。

 文句のつけようのない婚約者がいたことを知って、その日梓は部屋に籠もって泣き続けた。
 家族が心配そうに部屋の外から声をかけていたが、梓は周りに気を使えるほどの余裕はなかったのが申し訳ない。
 翌日、真っ赤な目で部屋から出てきた梓に、両親はなにも言わずにいてくれたことがありがたかった。

 けれど、玲夜のことを忘れられそうにはなかった。
 ただ好きでいるだけ。それだけだと自分を言い聞かせて、玲夜の姿をひと目見るべく、あやかしが出席するパーティーには顔を出し続けた。
 あきらめなければと何度も思ったが、玲夜の顔を見てしまうと、どうしても恋情が湧き上がって自分の意思では抑えられなくなってしまう。

 あやかしは時に人間から花嫁を選ぶという。
 自分が彼の花嫁だったら……。
 そんな奇跡のような妄想をしては自身を慰めた。




 そんなある日のこと。両親から呼ばれた。
 深刻そうな顔をしたふたりを不思議に思う。
 わざわざ弟と妹に部屋から出て行くように言う両親に、梓だけでなく弟と妹もなにかを感じたのか不安な顔をする。
 弟と妹がいなくなったリビングで、突然父親が梓の前に土下座をしたのでびっくりした。


「やだ、なに、お父さん!?」

「梓、頼む!」

「やめて、立ってよ、お父さん!」


 父親のその行動に梓は目を大きく見開き、父親の行動を止めさせようとする。
 しかし、父親は梓に頭を下げたまま。そして、母親まで泣き始め、梓はなにがなんだか分からなくなる。


「どうしたの、なにがあったの?」

「蛇塚家の花嫁になってくれないか?」

「花嫁?」


 ゆっくりと顔を上げた父親から経緯を聞いた。

 父親の会社は経営が悪化し、大きな負債を抱えてしまっているのだという。
 そんな時、蛇塚家のご子息から梓を花嫁にもらいたいと打診を受けたようだ。

 蛇塚家は梓の意思を尊重すると言っている。
 なので断ることは可能だったが、梓が花嫁になれば蛇塚家に援助を頼むことができ、会社を潰さずにすむと、父親が苦悶の表情で梓に説明した。
 それを聞いた梓は、話を理解するまでに少し時間がかかった。


「梓、頼む。会社のために花嫁になってくれないか? そうすれば会社も家族も皆助かるんだ」

「……助かるって……そんなこと急に言われても……」

「あちらには、もう了承のむねを伝えた」

「そんな! そんなこと勝手に決めるなんてっ……」


 梓を置いて進んでいく話に、動揺が隠せない。


「仕方がないんだ。お父さんはたくさんの社員の生活を預かっている。社員を路頭に迷わすわけにはいかないんだ」


 幸せな日常が、ガラガラと崩れ去っていく音が聞こえた。


「私……私、好きな人がいるの! だからっ」


 玲夜以外の人の花嫁になるなど考えられなかった。断りたい。だが……。


「恋人なのか?」

「ち、違うけど……」


 ただの梓の片思いだ。けれど、玲夜への気持ちを持ったまま花嫁になどなりたくなかった。


「恋人じゃないのならいいだろう? その人のことはあきらめなさい」

「そんな……」


 嫌だ嫌だと拒否した。泣いて懇願もした。
 だが、父親の意思は固く、梓も家族への情から、流されるように花嫁になる道へ向かうことになった。

 そして、あっという間に両家の間で話はまとまり、梓は蛇塚家で暮らすことになってしまった。
 なぜ自分がこんなことにと、蛇塚家へ向かう車の中で何度となく浮かんだ問いかけをする。

 普通、あやかしの花嫁に選ばれることは名誉なことだ。
 だが、車内はまるでお通夜のように暗い空気が漂っていた。
 蛇塚家の家に到着すると、同じ年頃の男の人が待っていた。その容姿はあやかしらしく整っていたが、ひどく目つきが悪く怖い印象を梓に与えた。


「はじめまして。俺が柊斗です。花嫁になることを了承してくれて嬉しいです」


 これが、この人物が、自分を身売り同然に花嫁にした男。
 そう思ったら、悲しみと同時に怒りが湧いてきた。
 その目つきの悪い顔も、大きな体格も、梓の好みとはかけ離れていた。
 なぜこの男なのか。
 もし花嫁に選んだのが玲夜だったなら、これ以上ないほど喜んだというのに。

 現実は梓の希望通りにはいかない。
 それが、悔しく、悲しく、惨めで、無性に目の前の男が憎く感じた。

 はじめましての挨拶をした蛇塚に、なんと返したか梓は記憶になかった。
 ただ、怒りと憎しみに任せ、とてもひどい言葉を浴びせたことは覚えていた。
 蛇塚の顔を見るのも嫌だった。

 必死で勉強して合格した短大への進学を、いつの間にか両家の話し合いでかくりよ学園に勝手に変えられてしまったことも怒りを増長させた。
 それからは顔を合わせる度に毒を吐くことで自分を保っていた。

 そのせいか、蛇塚家の人たちからはよく思われておらず、苦言を呈されることも多かったが、誰になんと思われようとそんなことどうでもよかった。
 蛇塚の花嫁でいること自体が苦痛でならないのだから。

 それに、淡い希望も抱いていた。険悪な態度を取り続けることで花嫁であることを解消してくれないかと。
 そんなことをして困るのは、蛇塚家から援助してもらっている梓の方だと分かっていたが、感情を抑えきれなかった。

 けれど、花嫁を解消されないまま大学へと入った。

 そこで同じ花嫁の柚子と透子と出会ったが、ふたり共相手のあやかしとの仲は良好なようで、自分との違いにさらに泣きたくなった。
 しかも、憎い蛇塚の肩を持つような発言をされ、このふたりとは仲良くなれないと感じた。

 大学で梓はひとりぼっち。もともと内気な性格の上、蛇塚と揉めて一方的に怒鳴り散らす梓の態度から、話しかけてくる者は興味本位の野次馬だけだった。
 嫌々来た大学でも蛇塚のせいで居場所が見つけられないことに、蛇塚への憎しみが湧く。
 蛇塚は梓に話しかけて仲良くしようと努力しているのだが、梓はそれすら気に障る。

 誰かここから助け出してくれないだろうか。

 そう嘆いては、玲夜の顔を思い浮かべた。
 あの人が助けてくれないだろうか。
 あの人の花嫁だったならこんなに苦しまなかったのにと、梓は現実逃避する。




 そんなある日、人間とあやかしの親睦パーティーがあると聞かされ、梓も蛇塚の花嫁として出席することになった。

 もしかしたら玲夜に会えるかもしれないと梓は喜んだが、蛇塚と一緒ということが残念でならない。

 そこで梓は見つけた。
 久しぶりに目にした玲夜の姿を。

 そればかりか、いつも冷たい表情をしていた玲夜が、こちらを向いて笑ったのだ。
 その優しげな笑みに、ずっと抱えていた恋情が表に溢れ出てくる。
 話したことすらないのに自分に向けられたと思った梓は、うっとりと玲夜を見つめる。
 そして、こちらに歩いてくる玲夜にドキドキと胸が高鳴る。
 だが……。

 玲夜は梓になど見向きもせずに通り過ぎ、あろうことか柚子を優しく見つめて肩を抱き寄せたのだ。

 なぜ、なぜ、なぜ。と、梓に疑問が浮かぶ。
 どうして、柚子のところへ行くのか。
 どうして、柚子に触れるのか。
 どうして、そんな甘く優しい笑みを向けるのか。
 梓には分からない。

 そんな梓の耳に入ってきた、周囲の言葉。
 玲夜に花嫁ができたと。
 信じられなかった。
 梓の知る玲夜は誰に対しても冷たく、無関心で、あんな優しい笑みを浮かべるような人ではなかったのに。
 柚子は当然のようにそれを受け入れている。
 花嫁だから。
 それは梓にとって受け入れがたいことだった。

 玲夜が好きだ。
 だが、桜子という手も足も出ない美しい人が婚約者だったからあきらめもついた。
 自分では敵わないから仕方ないんだと。

 けれど、柚子はどこにでもいる普通の子だった。
 玲夜とはまったく釣り合いが取れていない。
 それなのに……。
 自分の方がずっと前から玲夜を好きだったのに、当然のように柚子が隣にいる。


「どうして……」


 同じ花嫁だというのに、柚子と自分のなにが違うのか。
 どうして玲夜に選ばれたのは自分じゃなかったのか。
 梓は唇を噛み締めた。


 翌日、梓は講義を終えるとそのまま柚子の席に向かい自分から柚子に声を掛けた。


「あなたは玲夜様の花嫁なの?」


 これまで話すことのなかった梓から話しかけたことに柚子は驚いた顔をしたが、梓の問いにはすぐに答えた。


「うん」


 当然のように返ってきた肯定の言葉。


「どうして……?」

「え、どうしてって?」


 柚子は梓の言葉の意図が分からず首を傾げる。


「どうして、あなたなの!?」


 梓の強い言葉。
 大人しく人付き合いを苦手としていたはずの梓は、他人に怒鳴りつけることができるような性格の子ではなかった。
 蛇塚の花嫁になったことがそうさせるのか、玲夜への恋情がそうさせるのか、今の梓を見て大人しい子だと言う者はいないだろう。


「あなたなんかじゃ、玲夜様に相応しくなんかないのに! どうしてあなたみたいな人が、玲夜様の花嫁に選ばれたりなんかしたの!?」


 びっくりして目を丸くする柚子は、驚きすぎて声も出ないようだ。
 その代わりに、隣にいた透子が前に出る。


「ちょっと、いきなり来てなんなのよ。柚子が若様の花嫁だろうと、あんたには関係ないでしょ!!」


 怒鳴り返す透子を、梓はキッと睨む。そして再び柚子に視線を戻す。


「ずるい……。あなただけ、あの人に選ばれてずるいわ!」

「いい加減にしなさいよ! あんたが若様のことをどう思おうがどうでもいいけどね、若様が柚子を花嫁に選んだの! そこにあんたの入る余地はないのよ!!」


 透子だけでなく、柚子のそばにいた子鬼まで目をつり上げて梓を見ている。
 そう、最初に言っていた。柚子の相手が柚子のために作ったという子鬼。それを作ったのは玲夜だということに今気が付いた。


 梓はグッと歯を食いしばると、その場を走って逃げ出した。
 柚子は守られている。
 友人に子鬼に、そして玲夜に。

 それなのに自分を守ってくれる者は誰もいない。

 ただの逆恨みだ。
 だが、納得できなかった。
 柚子が、玲夜の花嫁ということが。
 玲夜に選ばれたのが自分ではなく柚子だということが。

 こんなに好きなのに、玲夜はきっと自分の存在すら知らないのだろう。
 そう思うと、悲しさと同時に虚しさを感じる。
 人のいないところまでやってくると、我慢していた涙がポロポロと流れ落ちる。


「どうして、私じゃないの? どうして、どうして……」


 何度も繰り返す、誰に向けてか分からない問いかけは尽きることはない。
 その時……。


「あの男が欲しいか? 鬼龍院玲夜が」


 はっと振り返ると、そこにはいつの間にか男性が立っていた。
 人のよさそうな笑みを浮かべるその男は、梓に甘い毒を与える。


「手を貸そう。君が鬼龍院を手にできるように」

「あなた誰?」

「津守幸之助だ。鬼龍院とは同級生だった」

「そんな人がどうして私に?」

「なに、君の境遇を憐れに思ったのと、利害が一致しそうだったからだ。鬼龍院が欲しいのだろう?」

「……そんなこと不可能よ」

「まあ、そう言うならそれで構わないがね」


 きびすを返す津守。背を向けて歩き出した津守を見て、梓は反射的に声を発していた。


「待って!」


 足を止めて振り返った津守に、梓はおずおずと問いかける。


「本当に、玲夜様の花嫁になれるの?」

「さあ、どうかな? けれど、なにもしなければこのままだ」


 梓は悪魔の声に耳を傾けてしまった。
 先ほどから甘い匂いがしていたことに、梓は気が付かなかった。




六章


 大学の講義を終えた柚子は、屋敷に帰ると、自分の部屋で予習復習をしていた。
 週に三回、玲夜の会社でバイトをしているが、今日は休みだ。

 ノートを開いてペンを持つが全然集中できず、ペンをクルクルと回す。

 パーティーのあった翌日に梓が話しかけてきたのは先日のこと。
 あまりの剣幕に柚子はなにも言うことができなかった。
 パーティーの時の梓の反応からもしやと思ったが、やはり梓の好きな人というのは玲夜で間違いないようだ。

 まさか、大人しそうな梓から怒鳴るように責められると思わなかった。いや、蛇塚とのやり取りを見れば、梓がただの大人しい子ではなく、激しい気性も持っているということは分かっていたはずだ。

 あの後は今思い返しても大変だった。
 ちょうど講義を終えて自分の花嫁を迎えに来た東吉と蛇塚がやってきたところだった。その時のやり取りは当然蛇塚にも聞こえ、梓の好きな人が玲夜だということに気付いてしまったようだ。

 蛇塚は、本当に梓に好きな人がいたということに落ち込み、その相手が自分では到底敵わない玲夜だということに打ちひしがれた。

 そんな蛇塚を柚子たち三人で慰めるのに苦労したのだ。

 玲夜に柚子という花嫁がいるのだから、梓の想いが成就することはないのだし大丈夫だと、フォローになっているのかいないのか分からない言葉を透子がかけて、なんとか落ち着いた。

 そして、梓を傷つけまいと引いた態度を取っていた蛇塚には、もう少し強引にでも話し合いをすべきだと東吉が助言していた。
 蛇塚は泣きそうな顔をしながらこくりと頷いていたが、その後どうなったかは聞いていない。

 心配しながらも、ふたりの問題なのであまり口出しせずにいたのだが、今日梓の方から柚子に接触してきた。
 柚子がひとりになるトイレに行く時を見計らったかのように現れた梓は、柚子に一通の手紙を渡してきた。


「ひとりの時に読んで。絶対に他の人には見せないで」


 それだけを言って去って行った梓を不思議に思いつつ手紙を開けると、そこには梓の直筆と思われる文章が書かれていた。
 内容は、先日のことを謝りたいと同時に相談したいことがあるということ。
 場所と日時が指定されていたが、透子が一緒だとまた喧嘩になってしまうかもしれないから、柚子ひとりで来て欲しいということ。
 このことは誰にも言わないで来てくれということ。

 そんなことが書かれていた。


「どうしようかな……」


 素直にひとりで行くべきか、透子についてきてもらうべきか……。
 とうとうペンを置いて、勉強そっちのけで悩み始める。
 梓が謝る気になってくれたということは、少しは話を聞いてくれるのではないかと期待を持った。あわよくば蛇塚と話し合いをするように勧められないだろうかと。

 しかし、自分がそんなことを言うことで状況を悪化させることを、柚子は恐れてもいた。
 だが、梓がまともに話をしてくれる機会など今後訪れるか分からない。
 それでもやはり、第三者が口を挟むべきかは悩むところだ。


「うーん、やっぱり素直に謝罪だけ受け取るべきなのかな?」


 できれば蛇塚の力になってあげたい。
 花嫁であることを受け入れられなくても、せめて険悪さだけでも梓から取り除ければ、あのふたりにとっていい方向に向かうのではないかと思うのだ。
 けれど、それを自分ひとりで上手く説明できるほど、口が達者だと柚子は思っていない。

 頭を抱えた柚子に、ふわりとした感触がする。
 見ると、まろが頭をスリスリと擦り付けてきていた。


「まろ~。私どうしたらいい?」

「アオーン」


 こんな相談を猫にしたところで、返事があるはずがない。
 まろはなにかを訴えるように再び鳴いて、チョンチョンと優しく前足で柚子に触れる。


「ご飯欲しいの?」

「アオーン!」


 ひと際大きく鳴いたまろに促されて、チェストの中からキャットフードを出すと、みるくも走り寄ってきた。
 キャットフードをチェストの中に入れていたのは、そうしないと食いしん坊のみるくが袋を歯で破って食べてしまうからだ。
 一度そういうことがあり、部屋中にキャットフードがばらまかれた事件が起きてからは、厳重に保管するようにしている。

 まろと違ってみるくはかなりの食いしん坊のようで、人間の食べ物でもとりあえず口に入れようとするので気を付けなければならない。

 だが、まろとて要注意だ。
 先日など、料理番の人が目を離した隙に、キッチンに置いてあった出汁用の魚のあらをペロペロ舐めていたらしい。
 料理番の人に怒られていたが、人のいない隙を虎視眈々と狙っている。

 目が離せないので、家にいる時は子鬼たちがまろとみるくのお世話係だ。
 一緒にいることが多いせいか、ふたりと二匹はたいそう仲がいい。
 未だに屋敷の人には馴れないまろとみるくなのだが、玲夜と子鬼たちには懐いている。
 屋敷の人たちも猫用のおやつで馴らそうとしているが、今のところ柚子からしか、ご飯を食べようとはしない。

 一体なんだってこんなに懐かれたのかは未だに不思議なことだった。






 翌日、手紙で梓に指定された場所へ、柚子ひとりでやって来た。

 透子に話そうかと思ったが、警戒心を解いてくれるかもしれないこの機会を逃したくなくて、透子にも黙って来たのだ。


 やって来たのは大学内の駐車場。

 かくりよ学園は敷地が広いため、何カ所か駐車場があるのだが、柚子が来たのは職員用の駐車場だ。
 職員用であるため、学生の姿もなく、職員もこの時間は仕事中なのでここには誰もいない。
 ふたりだけのこの場で、梓からの言葉を待ったが、いっこうに話をしようとはしなかった。


「あの、梓ちゃん?」


 柚子が声をかけても反応しない梓に困惑していると、そこに一台の車がやって来た。
 すると梓は、柚子たちの前に止まった車の後部座席の扉を開け、柚子の背を押した。


「乗って下さい」

「えっ、でも、どこに行くの?」

「もっと落ち着いたところで話したいんです」

「けど……」

 花嫁が勝手に外に出るのはよくないのではと、柚子はためらったが。


「あいつのことについても相談したいんです。けど、大学の中だと誰に聞かれているか分からないから話しづらくて。だから外のお店で聞いてくれませんか?」


 梓から積極的に蛇塚のことを言われると、ふたりの関係をなんとかしたいと思っている柚子には断れなかった。


「うん、分かった。けどその前に透子に連絡していい? 外に出るなら一応言っておかないとだし」

「いいから、早く入って!」


 梓は強引に柚子を車内に押し入れた。


「わっ」


 扉は後から乗り込んできた梓によって閉められた。
 動き出した車内では、嫌な沈黙が続いていた。
 透子に連絡しておかなければと、鞄からスマホを取り出したのだが、それを横から梓に取り上げられる。


「あっ! 梓ちゃん、返して」

「連絡はしないで下さい。どこにいるか話したらあいつが迎えに来るかもしれないから。相談に乗ってくれるんですよね?」

「う、うん……」


 柚子はなんとも言えない嫌な感じを受けた。
 梓の表情は怖いほどに抜け落ちており、生きている者が持つ覇気のようなものを感じない。まるでしゃべる人形のような印象を受けた。
 急激に不安を感じ始める。


「どこに行くの?」

「…………」


 梓からの返事はない。
 しばらくして車が止まったのは、お店ではなく、武家屋敷のような大きな家だった。

 屋敷の門前で車から梓が降りたので、柚子も後に続く。
 我が物顔で中に入っていく梓に一瞬ためらったが、意を決してついていく。
 柚子が中に足を踏み入れた途端に門が閉じられ、どこからともなく複数人の男性が湧くように現れた。
 すべての人が、平安時代の人のような狩衣をまとっている。


「梓ちゃん!?」


 梓は能面のような顔で柚子を見ていた。
 じりじりと間をつめる狩衣の者たちに柚子は囲まれる。
 危険だと頭の中で警鐘を鳴らす中、ひとりの男が梓の隣に立った。


「よくやった」

「……これで……これで玲夜様は私のもの?」


 抑揚のない言葉を発する梓の目は焦点が合っておらず、柚子の目から見ても異常であった。


「その通りだ」


 男は香炉のようなものを手に持っており、その香炉を梓の顔の前に持っていく。柚子のところにも風に乗ってかすかに甘い匂いがしてきた。


「後は好きにしろ」


 そう言って男がパチンと指を鳴らした瞬間、梓の体から力が抜けてその場に倒れた。


「梓ちゃん!?」


 駆け寄ろうとするが、狩衣の者たちに囲まれている柚子は見ているしかできなかった。
 その間に、意識のない梓はここまで柚子たちを連れてきた運転手によって屋敷の外に連れ出されていった。

 残ったのは、柚子と香炉を持った男と狩衣の者たち。
 梓が心配だったが、どうやら他人の心配をしていられる余裕のある状況ではない。





「随分と呆気なかったな。鬼龍院も口ほどにもない」


 そう言った香炉を持った男に、柚子は先ほどからどこかで見たような既視感を覚えていた。


「あなた、誰?」

「覚えていないとは残念だ」


 やはり会ったことがあるようだが、すぐに思い出せない。


「津守幸之助。陰陽師の一族で、鬼龍院とは同級生だった。ホテルで一度会ったな。ここまで言えば分かるか?」

「……あっ!」


 以前に玲夜と食事に行った時にホテルで会った人物だと、ようやく思い出す。
 玲夜を見ていた憎々しげな目が頭をよぎる。


「そんな人が私になんの用なの? 帰るからそこをどいて」

「それは聞けないな。お前は餌だ。鬼龍院に一矢報いるための」

「鬼龍院に……?」

「花嫁は危険だと教えられなかったのか? こんな簡単に誘い出されるとは、鬼龍院は花嫁の躾がなっていないようだな」

「つっ……」


 その通りだった。
 相手が梓だからと気を緩めてしまった。
 あれだけ東吉にも高道にも、普段から気を付けるようにと言われていたのに。
 見知った梓だからと気を抜くべきではなかった。

 桜子だって言っていたではないか。今後出会う人には気を許すなと。それなのに、まんまと騙されてのこのこついてきてしまった。
 だが、そのことで気になることがあった。


「梓ちゃんがおかしかったのはあなたのせい?」


 あの能面のような顔と、焦点の合わない目。どう考えても変だった。
 そのことにもっと早く気付いていたらよかったのだが、今さらそんなこと思っても遅い。
 幸之助はニヤリと気味の悪い笑みを浮かべる。


「ちょっとした暗示だ。あの娘は鬼龍院に並々ならぬ想いを抱いていたようだからな。弱っている人間の強い負の感情は暗示をかけやすい」

「ひどい……」


 梓の恋心を利用するとは。


「ははっ、ひどい? ひどいか。それがどうした? 鬼龍院相手に手段を選んでなどいられないからな」


 柚子の前に立った幸之助は、柚子の腕を掴んだ。


「来てもらおう」

「離して!!」

「ここは津守の手の中だ。ひとりで来た自分の愚かさを恨め」


 強くなる手の力に顔をしかめながらも、柚子は幸之助を睨め付けた。


「たったひとりなんて誰が言ったの? いくら私でも、そこまで警戒心がなくはないわ」

「はっ、なにを言って……」

「子鬼ちゃん!」


 そう叫ぶと、柚子の着ていたパーカーのフードから、子鬼が飛び出した。


「やー!」

「あーい!」


 子鬼は柚子の腕を掴んでいた幸之助の手に噛みつく。


「いっ! この!」


 痛みに顔を歪め、緩んだところで柚子は幸之助の手を振り払う。
 そして、柚子を守るように子鬼が前に立った。


「ちっ、鬼龍院の使役獣か」


 幸之助は忌まわしそうに舌打ちをする。


「あい!」

「あいあい!」


 そこをどけと言うように、子鬼たちは青い炎を出して威嚇する。
 柚子は子鬼たちに守られながら門を目指した。
 後もう少し……。
 そう急いたその時。


「今だ、やれ」


 冷たく低い幸之助の命令が下った瞬間、柚子たちを取り囲んでいる狩衣の者たちが印を組んだ。
 すると、子鬼を中心に地面に紋様が円形に描かれていく。


「なに?」


 子鬼たちもわけが分からない様子で、きょろきょろとしていると、紋様が完成されて地面が光り、突然子鬼たちが苦しみ始めた。


「子鬼ちゃん!?」


 柚子は子鬼たちを抱き上げた。子鬼たちは柚子を気にしている余裕はないほどに苦しんでいる。
 柚子は特になにも体に変化はないのに、子鬼だけが影響を受けていた。
 この光る地面が原因かと思った柚子は子鬼を連れ出そうとしたが、まるで見えない壁があるようにそこから出られない。


「あーい!」


 柚子の腕から飛び出した子鬼は、最後の力を振り絞るようにして見えない壁に向かって青い炎をぶつけたが、それは見えないなにかにぶつかった瞬間に消え去った。
 子鬼の攻撃は意味をなさず、その場に倒れ苦悶の声を上げる子鬼に、柚子は泣きそうになる。


「子鬼ちゃん!」

「あう~」

「あーい……」


 大丈夫だと言うように無理をして笑う子鬼は、そんな状態になってもなお柚子を守ろうと柚子の方に歩いて来ようとする。
 慌てて近付こうとしたが、子鬼に気を取られていた柚子は背後から近付く存在に気が付かなかった。
 後ろから布で口を塞がれ子鬼たちから離される。


「んうっ」


 反射的に息を吸うと、すぐに頭がくらりとして体の力が抜けてくる。
 子鬼たちを助けなければ。
 そう頭では思うのに体が思うように動いてくれない。
 だんだんと薄れゆく意識の中、子鬼たちのもとに、黒と茶のなにかが走って行くのが最後に見えた。


***


「幸之助様、この使役獣たちはいかがなさいますか?」

「祓え。主のもとに帰られたら面倒だからな。そんな力はもう残っていないと思うが念のためだ」

「かしこまりました」


 狩衣の者たちが子鬼たちを囲んで印を結んだ瞬間、黒色と茶色の猫が飛び込んできた。


「な、なんだこいつらは!?」

「ただの猫だ、追い払え」


 しかし、二匹の猫は子鬼をそれぞれ咥えると軽やかに塀の上に飛び乗り、狩衣の者たちを一瞥した後、塀の向こうに姿を消した。
 残された者たちはおろおろとしていたが、幸之助の一喝で静かになる。


「落ち着け! どうせあれだけ弱っていれば、鬼龍院のもとに着く前に消えるだろう。捨ておけ」


 そう言って、幸之助は意識をなくした柚子を抱え上げ、屋敷の中に入っていった。



***

 自社の社長室にて次から次へと持ち込まれる仕事をさばいていた玲夜は、ふと時計に目を向ける。

 そろそろ柚子がバイトをしにここへ来る頃だろうか。そんなことを思っていた。

 ここ最近の柚子ときたら、飼い始めた猫たちにかまうことが多くなり、玲夜は猫を飼う許可を出したことを少し後悔していた。
 柚子にしか懐いていないというのも気に食わない。
 猫にまで嫉妬するとは、あやかしの本能は本当にどうしようもない。

 とは言え、柚子が嬉しそうにしている顔を見るとそれだけで玲夜も嬉しくなる。
 今はきっと飼い始めたところで柚子もテンションが上がっているのだろう。
少しすれば柚子も落ち着くはず。
 なので、しばらくは大目に見るが、屋敷の使用人には早急に猫に馴れてもらい、柚子以外でも食事を食べさせられるようになってもらわなければならない。
 柚子を独占するのは自分だけでいいのだ。

 そんなことを考えながら仕事を再開させた玲夜のいる社長室に、高道がノックもなく駆け込んでくる。
 いつも冷静沈着な高道にはあり得ないことだ。


「なにがあった?」


 高道がこれほどに慌てるのは滅多にない。よほどのことがあったのだろうと思われる。


「柚子様の行方が分からなくなりました」


 それを聞いた瞬間、玲夜の眼差しが鋭くなる。


「どういうことだ?」

「桜子がいらっしゃらないことに気付いて友人の透子様に確認をしたところ、柚子様は昼食後少し用事を済ませてくると言ったまま戻られなかったようです。電話をかけるも繋がらず、屋敷に連絡しても帰っていないということで、心配して私のところに電話してきました。すぐに大学内にいる鬼の一族に捜させましたが、かくりよ学園内に柚子様の気配は感じられないと桜子から返答がありました」


 柚子は普段から強い鬼の気配をまとっている。
 それは玲夜がつけた所有印のようなものだったが、それのおかげで柚子にちょっかいをかけるあやかしはいない。

 それと共に鬼の一族が気配をたどって柚子を捜しやすくする効果もあった。
 しかし、そんな強い気配をまとった柚子を桜子たちが捜せなかった。
 かくりよ学園程度の広さならば絶対に見つけられるほどの強い鬼の気配を持っているはずなのにだ。

 と、すると、柚子はかくりよ学園内にいない可能性が高い。

 咄嗟に玲夜は子鬼の現在位置を確認しようとするが、子鬼たちとの繋がりが希薄になっているのに気が付く。
 考えられるのは子鬼がなんらかの理由で消えかかっているということ。
 それと同時に、わずかに残った繋がりから、子鬼たちが移動しているということが分かった。
 方角は屋敷。
 玲夜は、立ち上がると急いで屋敷へと向かった。


 帰ってきた屋敷では、使用人頭の道空を筆頭にして玲夜を出迎える。
 いつもより出迎える人数が少ないのは、柚子の捜索に人手を割いているからだ。


「玲夜様、花嫁様が……」

「まだ見つからないのか?」

「申し訳ございません」


 玲夜はあの後、父親の千夜にも連絡して協力を求め、少なくない数の鬼を柚子の捜索に出していた。
 しかし、それだけの鬼を動員しても未だに柚子の痕跡すら見つからないというのはおかしい。

 鬼の気配は強い。どうしたって跡が残るはずなのだ。

 玲夜は念のため屋敷に戻る前に、最後に柚子の姿が確認されたかくりよ学園へ行ってきたが、職員の駐車場で気配が消えていた。それも、なにかによって消されたかのように綺麗に。
 こんなことができるのは……。

 複数の候補者が頭に浮かんだが、特定はできない。
 子鬼は連れていったようだが、柚子が見つからない以上、安心はできない。


「玲夜様、とりあえず屋敷の中へお入りになって下さい」


 道空がそう勧めるが、玲夜はそこから動かない。


「いや、ここで待つ」


 そう言って、玲夜は玄関の前でそれを待っていた。




 しばらくすると、黒と茶の猫が走って来るのが見えた。

 柚子の飼っている猫だと気付いた玲夜は一瞬期待が外れたような顔をしたが、その口に咥えられている子鬼の姿を見つけて目を見張った。


「玲夜様、あれは」


 高道も予想外のことに驚いているようだ。


「ああ、柚子の猫だ。子鬼を連れている。やはりあの猫は……。いや、今はそんなことを言っている場合ではないな」


 なにを言おうとしたか高道には分からなかったが、今重要なのは子鬼だと、問うことはなかった。
 玲夜の所までやってきた二匹の猫は、玲夜の足下に子鬼を降ろす。

 玲夜が子鬼を見ると、子鬼たちは今にも消えそうなほど、その存在が薄くなっていた。
 もともと子鬼は玲夜の霊力で作られた存在だ。
 内包している霊力がなくなれば、その存在は消えてなくなる。
 子鬼たちはその一歩手前だった。
 子鬼たちにこれほどの深手を負わせられた存在に警戒心が湧く。
 まずはぐったりとした子鬼たちを助けるべく霊力を注ぎ込む。少しすると、消えかかっていた体がしっかりと存在を形どる。


「あーい!」

「あいあい!」


 元気になった子鬼たちは立ち上がると、必死になにかを玲夜に訴えている。
 玲夜は子鬼の頭に手を乗せた。
 そうすると、子鬼たちがこれまでに見ていた光景が玲夜に流れ込む。
 梓という人間に誘い出された柚子。
 どこかの屋敷に連れていかれ、狩衣の者たちに囲まれ怯えている柚子。
 子鬼たちがやられて泣いている柚子。
 それらが頭の中に流れてくる度に、言いようのない怒りが湧いてきた。


「津守……っ」


 玲夜の顔は高道が声をかけるのもはばかられるほどに怒りに燃えており、発せられた低い声が地を震わせるかのようだった。


「高道」

「はい!」

「すぐに一族を集めろ」

「柚子様の居場所が分かったのですか?」

「柚子は津守の屋敷にいる」

「津守というと、陰陽師のあの一族ですね」

「そうだ。なにを思ってか知らないが、俺に喧嘩を売るらしい。よりにもよって柚子を誘拐するとは、よほど俺を怒らせたいようだ。ならば希望に沿ってやる」


 玲夜の顔に冷酷な笑みが浮かぶ。


「なるほど、陰陽師ですか。子鬼たちがやられてしまったのも仕方がありませんね」

「そうだな」


 子鬼にはそこらのあやかしでも追い払えるだけの霊力を込めて玲夜が作った。
 普通ならば柚子の護衛をするには十分すぎるほどの力を持っている。
 だが、相手が陰陽師であると話は変わってくる。
 あやかしを祓うことを生業としている一族が相手だと、さすがに子鬼だけでは荷が重かったようだ。


「それにしても、柚子様の猫がどうして……?」

「それに関しては今はいい」


 玲夜はちょこんと座っているまろとみるくの前にしゃがむと、それぞれの頭を優しく撫でた。


「お手柄だった」

「アオーン」

「ミャーン」


 玲夜の言葉がまるで分かっているかのように二匹は鳴いた。そして、何事もなかったかのように屋敷の中へ入っていった。
 それを見てから、玲夜は父親と話すべくスマホを手にした。


 陰陽師とあやかしは、その昔は狩る側と狩られる側。
 あやかしが人間社会に現れるようになってからは、表面上は友好的に接しているが、陰陽師とあやかしの関係はとても危ういものなのだ。
 細い糸でかろうじて繋がった関係。
 それを津守から一方的に切ろうとしている。

 幸之助の独断かは分からないが、玲夜の判断だけで津守の屋敷に殴り込みに行くわけにはいかなかった。
 へたをすれば、あやかしと陰陽師、ひいては人間との関係が悪化しかねない。
 これには、あやかしのトップである千夜の手助けが必要だ。


「柚子の居場所が分かりました。手を貸してください」


 柚子を奪還すべく、細心の注意を払いながら玲夜は動き始めた。



***

「う……」


 わずかな頭の痛みとだるさに目を覚ました柚子は、知らない部屋にいることを不思議に思った。
 しかし、次の瞬間には走馬灯のように先ほどのことが頭の中を駆け巡り、慌てて飛び起きた。


「っつ」


 痛む頭を押さえ、周囲を見回す。
 一見すると和室に布団が敷かれた普通の部屋に見えるが、片側一面に鉄格子が張られ、外に出られないようになっている。
 座敷牢のようなその場所に柚子は閉じこめられていた。

 ゆっくりと立ち上がって、鉄格子の扉を掴んで押したり引いたりしてみたが、見た目通りの頑丈さで、とても柚子ひとりの力では出られそうにない。
 外と連絡を取ろうにも、スマホは梓に取られたままだ。
 気を失う前の最後の光景が頭に浮かぶ。


「子鬼ちゃん……」


 あれほどに苦しんだ姿を見たことがなかったので、今頃どうしているのか。
子鬼たちだけでも逃げられただろうかと、心配と不安が柚子を襲う。


「玲夜……」


 愛しい人の顔が浮かぶ。
 鬼龍院の餌だと言った幸之助。
 どう餌として使われるのか不安でならないが、玲夜の迷惑になることは確実だ。
 あれからどれだけの時間が経ったか時計がないので分からないが、きっといなくなったことで心配をさせているだろう。
 玲夜の迷惑になっている。それが悔しくて、情けなくて柚子は自分が嫌になる。

 なんとかしてここから出られないものか。
 使えそうな物を探すが、柚子が寝ていた布団ぐらいしかない。
 それならばと、布団を体に巻き付け、助走をつけて扉に体当たりをしようとしたその時。
 ひょっこりと姿を見せたその人物に目を見開いた。


「……何してんの、柚子?」

「……浩介、君?」


 目を疑ったが、そこにいるのは間違いなく柚子と幼馴染みである浩介だった。
 最近は毎日のように会っていたのだ、見間違えるはずもない。
 けれど、どうしてここにいるのかと柚子は混乱した。


「浩介君……本物?」

「どこから見ても俺だろ。こんなイケメン間違えるなよ。それより蓑虫みたいにしてなにしてんだ?」

「体当たりして壊そうとしてるの。……ってどうして浩介君がいるのよ!」


 柚子は布団を投げ飛ばし、鉄格子に近付く。


「どうしてって、柚子の様子を見に来たんだよ」


 ヘラヘラと笑って答える浩介だが、柚子が聞きたいのはそういうことではない。


「そう意味じゃない! ここは津守って人の屋敷でしょう? 浩介君がどうしてこんなところにいるの!?」

「どうしてって、兄弟だから」

「兄弟……?」


 その答えは柚子にとって予想外のことで、唖然とする。


「そっ、津守幸之助は俺の兄貴。って言っても異母兄弟だけどな」

「どういうこと? 浩介君ってひとりっ子だったはず」


 柚子の記憶にある浩介に兄弟がいた記憶はない。


「言っただろう、異母兄弟だって。あっちは本妻の子で、俺はいわゆる愛人の子ってやつ。俺だって小学生の時までは母親違いとは言え兄貴がいるなんて知らなかったんだよ。知ったときは驚いたなぁ」


 などと呑気に説明する浩介に、なにがなんだか分からない柚子は怒りが湧く。


「……話して! 全部。これまでのこと!」

「分かった、分かった。だからちょっと落ち着けって」


 落ち着けるわけがない。今柚子は拉致監禁されているのだ。
 けれどそんな柚子にかまわず、浩介は鍵を使って鉄格子に付いた扉の南京錠を外すと、中に入ってきた。
 こんな状況で浩介に気を許せるはずもなく、柚子は警戒しながら距離を取り浩介を見る。
 そんな柚子に浩介は苦笑する。


「そんな猫が毛を逆立てたみたいに威嚇しなくても、なにもしないよ。柚子は大事な幼馴染みなんだからよ」

「だったら、ここから出して。玲夜のところに返して!」

「それはできない」


 浩介は即答する。
 考えたくなかった。あの仲のよかった浩介のことをそう思いたくなかったが、浩介は柚子を捕らえた幸之助側の人間のようだ。