六章
大学の講義を終えた柚子は、屋敷に帰ると、自分の部屋で予習復習をしていた。
週に三回、玲夜の会社でバイトをしているが、今日は休みだ。
ノートを開いてペンを持つが全然集中できず、ペンをクルクルと回す。
パーティーのあった翌日に梓が話しかけてきたのは先日のこと。
あまりの剣幕に柚子はなにも言うことができなかった。
パーティーの時の梓の反応からもしやと思ったが、やはり梓の好きな人というのは玲夜で間違いないようだ。
まさか、大人しそうな梓から怒鳴るように責められると思わなかった。いや、蛇塚とのやり取りを見れば、梓がただの大人しい子ではなく、激しい気性も持っているということは分かっていたはずだ。
あの後は今思い返しても大変だった。
ちょうど講義を終えて自分の花嫁を迎えに来た東吉と蛇塚がやってきたところだった。その時のやり取りは当然蛇塚にも聞こえ、梓の好きな人が玲夜だということに気付いてしまったようだ。
蛇塚は、本当に梓に好きな人がいたということに落ち込み、その相手が自分では到底敵わない玲夜だということに打ちひしがれた。
そんな蛇塚を柚子たち三人で慰めるのに苦労したのだ。
玲夜に柚子という花嫁がいるのだから、梓の想いが成就することはないのだし大丈夫だと、フォローになっているのかいないのか分からない言葉を透子がかけて、なんとか落ち着いた。
そして、梓を傷つけまいと引いた態度を取っていた蛇塚には、もう少し強引にでも話し合いをすべきだと東吉が助言していた。
蛇塚は泣きそうな顔をしながらこくりと頷いていたが、その後どうなったかは聞いていない。
心配しながらも、ふたりの問題なのであまり口出しせずにいたのだが、今日梓の方から柚子に接触してきた。
柚子がひとりになるトイレに行く時を見計らったかのように現れた梓は、柚子に一通の手紙を渡してきた。
「ひとりの時に読んで。絶対に他の人には見せないで」
それだけを言って去って行った梓を不思議に思いつつ手紙を開けると、そこには梓の直筆と思われる文章が書かれていた。
内容は、先日のことを謝りたいと同時に相談したいことがあるということ。
場所と日時が指定されていたが、透子が一緒だとまた喧嘩になってしまうかもしれないから、柚子ひとりで来て欲しいということ。
このことは誰にも言わないで来てくれということ。
そんなことが書かれていた。
「どうしようかな……」
素直にひとりで行くべきか、透子についてきてもらうべきか……。
とうとうペンを置いて、勉強そっちのけで悩み始める。
梓が謝る気になってくれたということは、少しは話を聞いてくれるのではないかと期待を持った。あわよくば蛇塚と話し合いをするように勧められないだろうかと。
しかし、自分がそんなことを言うことで状況を悪化させることを、柚子は恐れてもいた。
だが、梓がまともに話をしてくれる機会など今後訪れるか分からない。
それでもやはり、第三者が口を挟むべきかは悩むところだ。
「うーん、やっぱり素直に謝罪だけ受け取るべきなのかな?」
できれば蛇塚の力になってあげたい。
花嫁であることを受け入れられなくても、せめて険悪さだけでも梓から取り除ければ、あのふたりにとっていい方向に向かうのではないかと思うのだ。
けれど、それを自分ひとりで上手く説明できるほど、口が達者だと柚子は思っていない。
頭を抱えた柚子に、ふわりとした感触がする。
見ると、まろが頭をスリスリと擦り付けてきていた。
「まろ~。私どうしたらいい?」
「アオーン」
こんな相談を猫にしたところで、返事があるはずがない。
まろはなにかを訴えるように再び鳴いて、チョンチョンと優しく前足で柚子に触れる。
「ご飯欲しいの?」
「アオーン!」
ひと際大きく鳴いたまろに促されて、チェストの中からキャットフードを出すと、みるくも走り寄ってきた。
キャットフードをチェストの中に入れていたのは、そうしないと食いしん坊のみるくが袋を歯で破って食べてしまうからだ。
一度そういうことがあり、部屋中にキャットフードがばらまかれた事件が起きてからは、厳重に保管するようにしている。
まろと違ってみるくはかなりの食いしん坊のようで、人間の食べ物でもとりあえず口に入れようとするので気を付けなければならない。
だが、まろとて要注意だ。
先日など、料理番の人が目を離した隙に、キッチンに置いてあった出汁用の魚のあらをペロペロ舐めていたらしい。
料理番の人に怒られていたが、人のいない隙を虎視眈々と狙っている。
目が離せないので、家にいる時は子鬼たちがまろとみるくのお世話係だ。
一緒にいることが多いせいか、ふたりと二匹はたいそう仲がいい。
未だに屋敷の人には馴れないまろとみるくなのだが、玲夜と子鬼たちには懐いている。
屋敷の人たちも猫用のおやつで馴らそうとしているが、今のところ柚子からしか、ご飯を食べようとはしない。
一体なんだってこんなに懐かれたのかは未だに不思議なことだった。