板宿駅は地下にあった。
電車を降り、階段を上り、改札を通って、また階段を上ると、商店街に接した脇道に出た。

彼女が言う。

『じゃあ、行こっか。』
『あぁ。』

僕が肯定を示すと、彼女は迷う事なく歩き出した。ただ、その足取りは、まるで何かを辿っているようだった。

その後、僕は彼女と一言も交わさないまま、ただ、彼女について行った。
商店街を抜け、住宅街に入り、橋を渡り、市役所の前を通り過ぎ坂道を上る。

その足取りはもう、辿っていると言うよりは、
慣れている、と言う方が合っているかもしれなかった。

まだ彼女は止まらない。
四つ目のコンビニを通り過ぎても、大きな池の前を通り過ぎても。

ようやく彼女が立ち止まったのは、
住宅街の中にある、1つの古い空き家の前だった。

『この家がどうかしたの?』

彼女に聞く。
彼女は少しだけだが、確かに頷きこう言った。

『私ね、この家に住んでたの。』
『そうなんだ。』

あえて、その先は聞かないでおく。
少しの間、沈黙が流れた。

少し経って、彼女がまた口を開きかけた瞬間、後ろから声がした。

『あれ?』
『楓ちゃんかい?』

後ろを振り向くと、優しそうなおばあさんが立っていた。

『どうしたの?』
『……』


彼女は黙ったままだ。
どうしたのかと横を向くと、

彼女は、、泣いていた。

するとおばあさんは、僕たちに言った。

『いいわ。』
『上がって行きなさい。』

彼女がおばあさんについて行く。

『君も来なさい。』

と言われ、僕も中に入った。
僕たちは客間に通された。

おばあさんが僕に言った。

『楓ちゃんからは、どこまで聞いてるのかしら?』
『向かいの家に住んでいた、としか聞いていません。』

そう答えると、おばあさんは少し頷き、
今度は彼女に対して聞く。

『どうする?』
『自分で話すかい?』

『うん。』
『自分で話す。』

『そうかい。』
『でも、ゆっくりでいいからね。』

おばあさんはそう言った。
その後、お菓子を取ってくるから、
と言い、家の奥へ消えて行った。

彼女は、まだ俯いたままだ。

少しして、
彼女は少しずつ、話し始めた。

『私ね。』

『うん。』

『親に捨てられたの。』

その言葉を聞いた時、いくつかの違和感が解けて消えた気がした。

新幹線に乗っている時、お好み焼き屋で昼食をとっている時。

普段は明るい彼女だが、その陰でいろいろ悩んでいたのだ。

ゆっくりと頷きその先を促すと、
彼女は途切れ途切れに話してくれた。

『私が小学校二年生の時に、親が離婚して、
私は母さんの方に引き取られたの。』

『ただ、母さんはもともと仕事をしてなかったし、夜もほとんど帰って来なかったから、
小学校3年生の時に、逃げられちゃった。』

『だからね?今は私、一人暮らしなんだ。』

相槌を打ち、

『いくつか聞いてもいいかな?』

と、彼女に問いかける。

『いいよ。』

彼女の肯定を確かめたうえで、聞いた。

『どうして、僕なの?』
『どうして僕を誘ったの?』
『誘う人なら、他にいたはずだ。』
『僕より適した人が、きっといるはずだ。』

そう聞くと、彼女は少し俯き、黙ってしまった。

『私ね、高校に入学してすぐに引き取り先が決まったんだ。』
『だから、遅くても高校二年生になるまでには、引っ越すんだ。』

『決まった時は、少しだけほっとしたけど、そんなに嬉しくもなかった。』

『正直に言えば、どうでもよかった。』

『でも、教室で絵を描いている君を見た時、
よく分からないけど、君になら私の過去を話してもいいのかなって思った。』

『多分、自分の"今"の姿を絵にすることで、自分の過去を描き変えたいって思ってたんだと思う。』

『じゃあ、絵を描いてれば、誰でもよかったってこと?』

『最初はそう思ってた。』
『でも、毎日話すようになってから、もうすぐここを離れるんだと思うと、なぜか、それを拒む自分がいた。』

『だから、この旅に誘ったんだ。』

『でも、僕は風景画しか描いたことないから、
上手く描ける保証はできないよ?』

『そこについては期待してないから大丈夫かな。』
『絵が上手いかどうかじゃなくて、どうしてか分からないけれど、君じゃないとダメな気がするの。』

『でさ、私の絵を描いてくれますか?』

『いいよ。』
『今更断るつもりもないしね。』

『ありがとう。』

彼女はそう言うと、何かを決断したように強く頷いた。

そしておばあさんに礼を言い僕らは家を出た。

『どこで描くの?』

『もちろんこの家。』

彼女はさぞ当たり前かのように、そう言うとズカズカと、彼女の家(元)に入っていく。置いていかれないように自分も付いて行く。

家の中は、所々傷んではいたが幸いにも荒らされたりはしていなかった。

『どの部屋で描くの?』

彼女に聞くと、

『もちろん自分の部屋。』

と、返ってきた。

『もちろんなんだ。』
『もちろんだね。』

そんな事を話していると、前を行く彼女が一つの扉の前で立ち止まった。

そして、扉を開けて中に入る。
中には、色んなものがそのまま残されていた。

『結構残ってるんだね?』

彼女に聞くと、

『母さんに家から追い出されて、そのまま、児童相談所に引き取られたから、荷物はそのままなんだ。』

僕は、その部屋を見渡す。
壁には、2010年の6月を示すカレンダーが掛かっていた。

彼女も、それに気づいて、

『懐かしい。』

と言い、

『これをバックに描いて欲しい。』

と言った。

僕は頷いた後、机の椅子を持ってきてスケッチブックを取り出し、黒鉛筆を取り出す。