「リン…おリンちゃん」

 翌朝、学校の最寄り駅の改札前で森村奏にいきなり呼ばれたから驚いた。

「なになに…私のこと?」

 昨日に続いて突拍子もないことを口走る友達に顔を突き出すと、隣で炬燵でくつろいでいるみたいな笑みを浮かべた村井千沙が代わって説明してくれた。

「林も鈴もリンって読むから、可愛いかなって、昨日、二人で話していたんだ。林田さんさえよかったら、これからそう呼ぼうって…」

 近隣に迷惑を掛けないよう登下校時はなるべく少人数で歩くこと。くれぐれも駅で友達と待ち合わせして来ないように…などと入学式で注意されたが、巷の高校生と同じように、私たちは毎朝、学校の最寄り駅で待ち合わせして登校した。川越から、立川から、杉並から…別々の街に住む三人が落ち合う場所がたまたまこの場所だったから仕方ない。

「…ということで、チサとカナとリンちゃんに決まりね」

 一方的にそう告げると、ひょろりと長い背中が、ポンとパスモで自動改札機を叩いて駅のコンコースに出ていく。

「あの…私の意見は聞いてくれないの?」

 そんな形ばかりの抗議をしても無駄だった。まぁまぁ、となだめる千沙の後に続いて、私もパスモを取り出し、ぽんと自動改札機を叩いた。

 こうして、リン、と呼ばれる私の高校生活が始まった。同じ制服でごった返す最寄り駅から商店街を経て校門まで続く通学路。おはよう、グッドモーニング、様々な朝の挨拶が飛び交う教室。授業ごとに現れる個性豊かな教師と早速モノマネを研究している男子たち。四時限目のチャイムが鳴るや友達と机を寄せて広げるお昼ご飯。このまま永遠に続くんじゃないか、と錯覚してしまうほどのどかな時間が流れる昼休み。ねむい目をこすりながら受ける午後の授業。解放された気分で体を伸ばす放課後…。

どれもありきたりで、学校に通う誰もが経験していることだけれど、私にはとびきり素晴らしい毎日だった。朝起きて、制服に袖を通して、黄色い電車に乗るだけで心が浮き立つ。変わらない一日を過ごせるのが何よりも幸せだった。

 そんな学校生活で誰よりも親しくなったのは、やはり、奏と千沙の二人だった。最寄駅から学校までの道すがら、休み時間、教室の移動、昼休み…一日中話せる相手と入学して早々に出会えたのは、本当に幸運だった。

実のところ、歳の違う子と友達になれるか、一人ぽっちになってしまうのではないか、とても不安だったのだが、奏に声を掛けられ、千沙と結びついて、奇跡のようなめぐり合わせで二人と友達となれて、泣きたいくらい嬉しかった。勝手に付けられた「リン」という呼び名をとても気に入っていた。

「私はねぇ…やっぱり、ランバ・ラルかな」

 ある日、昼休みの時間に「この人のためなら命を賭して戦えるのは誰?」という話になって、購買で買ったきなこ揚げパンにかじりついていた奏が、ふと顔を上げてつぶやいた。およそ女子高生が口にする話題じゃなかったが、四時限目の授業で美術の先生からそんな話が出たから仕方ない。先週から正式に演劇部に入部した彼女には、つい口にしたくなるネタだった。

 それはいいけど、ランバ・ラルって誰?外国のスポーツ選手、モーツアルトのライバル、シェークスピアの友達…あらゆる知識を総動員しても、それらしい名前が出てこない。

 私は、目をキョロキョロさせて解説を求めたが、発言した本人は、うっとりとした顔で妄想にふけっていて何も説明してくれない。そうこうしているうち、お気に入りの白身魚のタルタルサンドと格闘していた千沙が、意を決したように口を開いたから、何も分からないまま話が進んでしまった。

「私は、こんなこと言ったらびっくりされるかもしれないけど…大谷吉継」

 それは確か…関ケ原で戦った石田三成の友達だっけ?やっと尻尾を捕まえたものの、語られる人物が特殊すぎてついていけない。このままではさすがにまずいと思い、二人の間に割って入った。

「ちょっと待って。その尊敬して止まない人のことを教えてくれる?私のような素人にも分かるように…」

 それでようやく、ランバ・ラルが誰なのか分かった。あの世界的に有名なロボットアニメの敵の隊長で、それなりのおじさんで、登場したのは四十年以上前。つまり架空の人物だと聞いて、ある意味、大谷吉継より絶句したが、そんなことを平気で口にしてしまう奏という子が、また少し好きになった。彼女に乗せられて、戦国時代のマニアっぽい武将の名を口にした千沙にも一層好感を抱いた。