そこに天道翔が立っていた。階段下の日陰でコンクリートの柱にもたれかかり、一斉に鳴き始めた蝉の音に体を蒸されながら、購買部で買ったらしいコッペパンを齧っている。
一見したら、町外れのガラクタ屋でとっておきのお宝を見つけたみたいなシチュエーションだ。手を伸ばせば届くところにいるのに、相手のオーラが強すぎて声を掛けることができない。この学校に通う、いや大抵の女の子なら、棒立ちになっているだろう。
でも私は、彼がどうしてこんな場所で突っ立っているのか知っている。自分を慕ってくれた子を気遣って、額に汗を浮かべてお昼ごはんを食べている。馬鹿みたいだけれど、とても愛しい姿を放っておくことができず、何のためらいもなく声を掛けた。
「こんな所で涼んでいるなんて、よっぽど教室にいたくないんだね。さては、期末テストでクラスメートに迷惑掛けたな?」
テンドウは、会える筈がない相手を目にしたみたいに、ぽかんと口を開けていた。
何か変だ。明日、学校に行くから、とメールしておいたのに…。
一瞬にして不安を募らせている私を前にして、彼は口を開いた。
「多分、大丈夫だ。学年五十位だったから…」
「…何が?」
「だから、期末テストの成績が」
まるで恥ずかしい結果を告げるように伏し目がちに言う。
その様子に騙されてしまった。テンドウが学年五十位の成績だなんてありえない。何かの間違いに決まっている。でも、言われたとおりの話が、中庭から降り注ぐ蝉の音とともにじわじわと体に染みこんでくる。
どうして急に成績が上がったの?あのテンドウが、寝る間を惜しんで勉強したってこと?一体、この半年の間に何があったの?
そこまで考えてふと、突拍子もない仮説が頭の中に降ってきた。
私が入院して五か月も経ってからふらりと現れた彼。少なくとも停学明けの二月には病気のことを知っていただろうに…偶然を装って見舞いに来たのは何故?
先ほど、私と同じように緊張の面持ちで振り返ったのはどうして?
琴が訳あり顔で私を送り出したのには、どんな意味がある?
「……!」
ありえない結論に辿り着いた私は、大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。
改めて彼を見上げると、もう顔を目を逸らすことなく切り出した。
「テンドウ。今、付き合っている子いる?いるよね。今までずっといたんだから…」
「どうして、そんなことを聞くんだ?」
「だって…こういうことをするなら、一応確認しておかないと」
そこまで言うと、俯こうとした顔をもう一度上げて、告げた。
「もし、私がそうなりたいって言ったら、今の彼女と別れてくれる?私を何十番目かの恋人にしてくれる?」
「……」
「ずっと前からテンドウのことが好きだった。一番近くにいて、誰よりも仲が良かったから言えなかったけど…もっと一緒にいて喧嘩したい。テンドウのことを知りたいし、私のことも知ってほしい。また入院するかもしれないし、ものすごく迷惑を掛けるかもしれない。それでも…」
とてもたくさんのことを話した。ようやくたどり着いたこの場所で、ありったけの想いを込めて、思いつく限りの言葉を彼に向けて綴っていく。
体がふわふわと浮いて、何処に着地するか分からない。不安と喜びに浸りながら私は、彼の顔を見つめる。
生まれて初めての告白は、暑くて騒がしくて、メタメタだったかもしれないけれど…言ってよかった、テンドウに打ち明けることができて悔いはない、そう思った。
けれど、自己満足と自己陶酔の時間は瞬く間に終わってしまう。
テンドウの声が返ってきたのは、私が目を閉じて、息を吐いたすぐあとのことだった。
「無理だ」
いとも簡単に答える。まるでカラオケのお誘いを断るみたいにあっさりと、笑みを浮かべているんじゃないかと思うくらい軽い口調で、私のお願いは退けられた。
「…どうして?」
舞台の終わりを告げる幕が目の前に降りてくる。僅かに残された視界の中で、やっとのことで理由を聞く。
テンドウは、まるで叱られた小学生みたいに決まり悪そうな顔で言った。
「だって…今、誰とも付き合ってないから。あれからずっと彼女がいないから、別れることができない」
「…同じクラスのあの子は?昨日、テンドウに振られたって言っていたよ。付き合っていたんでしょう?」
「付き合ってないよ。そうなりたいって言われたけど…お断りしたんだ」
いちいち私の顔を覗いて、様子をうかがいながら説明していく。
だが、彼の話を聞けば聞くほど私の頭はこんがらがった。
「うそ。テンドウが女の子と付き合ってないなんておかしい。何で、彼女のことを断ったの?もったいない」
これまで、何人もの女の子と一日の間も空けることなく付き合ってきたのに…自分の中にあるイメージとまたも違う姿が目の前にいる。それを受け入れることができず、つい余計なことまで聞いていた。
そんな私を目にして、ちゃんと説明しないといけないと思ったのか、テンドウはおもむろに顔を上げて言った。
「少ししたら、ある女の子から付き合ってほしいって言われると思ったから」
「……?」
「俺のことをとても大切に思ってくれて。眠っている間にキスしてくるくらいだから、きっと来るって思っていた」
「へ…?」
「俺もその子のことを手に入れたかったから、ずっと席を開けておいたんだ。元気になって戻ってくるまで待っていようって。思ったより時間が掛かったけど…よかった。何とか我慢できた…」
もう顔を逸らすことなく、私のことを見つめて柔らかく微笑む。
その話を聞いた途端、体中の水分が沸騰して気を失いそうになった。眠っていると思ったからあんな恥ずかしいことができたのだ。それを今更、違ったなんて言われても…その上、こんな近くから見つめられたら耐えられない。胸が破裂して、病気と関係なく失神してしまいそうだ。
そうならないように話の途中で顔を背けたけれど、彼の手が私の腕を取って放さなかった。振り切ろうとしても、ギュッと握られて逃げることができない。もう駄目だ。まるで最後の鍵が解かれたみたいに抵抗するのをやめ、彼と真っすぐ向き合った。これまで何十人もの女の子を落としてきた眼差しに、空に向かってしゃくれた顎に触れるくらいの距離で、テンドウの言葉を受け止めていった。
「…ずっと見ていた。俺の中に何かを見つけてくれるのはどんな子だろうって。俺はどうしたらいいんだう。どんな風に応えるべきなんだって、長い間考えていた。ずっと、ずっと考えて、やっと分かった」
「……」
「リン。お前は、俺の人生に初めて意味を与えてくれた。何の才能もない、努力したこともない奴がどうしたら先に進んでいけるか、真っ暗な道を照らしてくれたんだ。だから、俺の方から頼みたい。リンと一緒なら進んでいける。いつまでも一緒にいてほしい…」
そう言うや私の体を引き寄せ、そのまま抱きしめてしまう。こうなったらそうするのが当然、とでも言うように。大きな体で、私の身も心も包み込んだ。
「……」
テンドウに強く抱きしめられて、彼の何もかもが私の中に入ってくる。口にしなくてもたくさんのことが感じられる。恐れ、不安、希望、喜び、悲しみ…きっと琴の仕業だ。また無断で私の秘密を洩らしたに違いない。突然、受け止められないほどの事情を突きつけられ、苦しんで、長い時間を掛けて消化したのだろう。もしかしたら、逃げ出したい気持ちが湧いたかもしれない。そうして、たくさんの困難を乗り越えて土砂降りの日に病院に現れ、私と対面した。格好悪い姿を見せて、私の心をもう一度立ち上がらせてくれた。
そして今、手に入れてもすぐに失うと分かったうえで受け入れてくれたのだ。
「…テンドウ」
「何?」
「たまにはこういうのもいいね。新鮮で」
「じゃあ、しばらくやめておいた方がいいか?」
「大丈夫だよ。今までずっと我慢してきたんだから、ちょっとやそっとじゃ慣れないと思う。毎日でもやって」
「これ、結構疲れるんだけど…」
「つべこべ言わないでやりなさい」
馬鹿なやりとりをしながら、もっともっと温もりがほしくて、彼の中に体を埋める。すると、まるで重力から解き放たれたみたいに何もかもが浮かび上がった。私とテンドウはもちろん、頭上の外階段も、中庭の木々も、蝉たちの音色も、高々と晴れている夏の空も。何もかもが光に飲み込まれ、白一色に溶け込んでいく。
そこで私の時間が止まった。もう先に進む必要がなくなったからだろう。「充実した高校一年」にはちょっと遅れたが、「生まれ変わった私がつかんでいくこと」で掲げた目標をちゃんと達成することができた。胸がいっぱいになって、もう何もいらない、ここで幕が下りたら幸せだろう、そんなことを考えながら、いつまでもいつまでもテンドウに浸っていた。
一見したら、町外れのガラクタ屋でとっておきのお宝を見つけたみたいなシチュエーションだ。手を伸ばせば届くところにいるのに、相手のオーラが強すぎて声を掛けることができない。この学校に通う、いや大抵の女の子なら、棒立ちになっているだろう。
でも私は、彼がどうしてこんな場所で突っ立っているのか知っている。自分を慕ってくれた子を気遣って、額に汗を浮かべてお昼ごはんを食べている。馬鹿みたいだけれど、とても愛しい姿を放っておくことができず、何のためらいもなく声を掛けた。
「こんな所で涼んでいるなんて、よっぽど教室にいたくないんだね。さては、期末テストでクラスメートに迷惑掛けたな?」
テンドウは、会える筈がない相手を目にしたみたいに、ぽかんと口を開けていた。
何か変だ。明日、学校に行くから、とメールしておいたのに…。
一瞬にして不安を募らせている私を前にして、彼は口を開いた。
「多分、大丈夫だ。学年五十位だったから…」
「…何が?」
「だから、期末テストの成績が」
まるで恥ずかしい結果を告げるように伏し目がちに言う。
その様子に騙されてしまった。テンドウが学年五十位の成績だなんてありえない。何かの間違いに決まっている。でも、言われたとおりの話が、中庭から降り注ぐ蝉の音とともにじわじわと体に染みこんでくる。
どうして急に成績が上がったの?あのテンドウが、寝る間を惜しんで勉強したってこと?一体、この半年の間に何があったの?
そこまで考えてふと、突拍子もない仮説が頭の中に降ってきた。
私が入院して五か月も経ってからふらりと現れた彼。少なくとも停学明けの二月には病気のことを知っていただろうに…偶然を装って見舞いに来たのは何故?
先ほど、私と同じように緊張の面持ちで振り返ったのはどうして?
琴が訳あり顔で私を送り出したのには、どんな意味がある?
「……!」
ありえない結論に辿り着いた私は、大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。
改めて彼を見上げると、もう顔を目を逸らすことなく切り出した。
「テンドウ。今、付き合っている子いる?いるよね。今までずっといたんだから…」
「どうして、そんなことを聞くんだ?」
「だって…こういうことをするなら、一応確認しておかないと」
そこまで言うと、俯こうとした顔をもう一度上げて、告げた。
「もし、私がそうなりたいって言ったら、今の彼女と別れてくれる?私を何十番目かの恋人にしてくれる?」
「……」
「ずっと前からテンドウのことが好きだった。一番近くにいて、誰よりも仲が良かったから言えなかったけど…もっと一緒にいて喧嘩したい。テンドウのことを知りたいし、私のことも知ってほしい。また入院するかもしれないし、ものすごく迷惑を掛けるかもしれない。それでも…」
とてもたくさんのことを話した。ようやくたどり着いたこの場所で、ありったけの想いを込めて、思いつく限りの言葉を彼に向けて綴っていく。
体がふわふわと浮いて、何処に着地するか分からない。不安と喜びに浸りながら私は、彼の顔を見つめる。
生まれて初めての告白は、暑くて騒がしくて、メタメタだったかもしれないけれど…言ってよかった、テンドウに打ち明けることができて悔いはない、そう思った。
けれど、自己満足と自己陶酔の時間は瞬く間に終わってしまう。
テンドウの声が返ってきたのは、私が目を閉じて、息を吐いたすぐあとのことだった。
「無理だ」
いとも簡単に答える。まるでカラオケのお誘いを断るみたいにあっさりと、笑みを浮かべているんじゃないかと思うくらい軽い口調で、私のお願いは退けられた。
「…どうして?」
舞台の終わりを告げる幕が目の前に降りてくる。僅かに残された視界の中で、やっとのことで理由を聞く。
テンドウは、まるで叱られた小学生みたいに決まり悪そうな顔で言った。
「だって…今、誰とも付き合ってないから。あれからずっと彼女がいないから、別れることができない」
「…同じクラスのあの子は?昨日、テンドウに振られたって言っていたよ。付き合っていたんでしょう?」
「付き合ってないよ。そうなりたいって言われたけど…お断りしたんだ」
いちいち私の顔を覗いて、様子をうかがいながら説明していく。
だが、彼の話を聞けば聞くほど私の頭はこんがらがった。
「うそ。テンドウが女の子と付き合ってないなんておかしい。何で、彼女のことを断ったの?もったいない」
これまで、何人もの女の子と一日の間も空けることなく付き合ってきたのに…自分の中にあるイメージとまたも違う姿が目の前にいる。それを受け入れることができず、つい余計なことまで聞いていた。
そんな私を目にして、ちゃんと説明しないといけないと思ったのか、テンドウはおもむろに顔を上げて言った。
「少ししたら、ある女の子から付き合ってほしいって言われると思ったから」
「……?」
「俺のことをとても大切に思ってくれて。眠っている間にキスしてくるくらいだから、きっと来るって思っていた」
「へ…?」
「俺もその子のことを手に入れたかったから、ずっと席を開けておいたんだ。元気になって戻ってくるまで待っていようって。思ったより時間が掛かったけど…よかった。何とか我慢できた…」
もう顔を逸らすことなく、私のことを見つめて柔らかく微笑む。
その話を聞いた途端、体中の水分が沸騰して気を失いそうになった。眠っていると思ったからあんな恥ずかしいことができたのだ。それを今更、違ったなんて言われても…その上、こんな近くから見つめられたら耐えられない。胸が破裂して、病気と関係なく失神してしまいそうだ。
そうならないように話の途中で顔を背けたけれど、彼の手が私の腕を取って放さなかった。振り切ろうとしても、ギュッと握られて逃げることができない。もう駄目だ。まるで最後の鍵が解かれたみたいに抵抗するのをやめ、彼と真っすぐ向き合った。これまで何十人もの女の子を落としてきた眼差しに、空に向かってしゃくれた顎に触れるくらいの距離で、テンドウの言葉を受け止めていった。
「…ずっと見ていた。俺の中に何かを見つけてくれるのはどんな子だろうって。俺はどうしたらいいんだう。どんな風に応えるべきなんだって、長い間考えていた。ずっと、ずっと考えて、やっと分かった」
「……」
「リン。お前は、俺の人生に初めて意味を与えてくれた。何の才能もない、努力したこともない奴がどうしたら先に進んでいけるか、真っ暗な道を照らしてくれたんだ。だから、俺の方から頼みたい。リンと一緒なら進んでいける。いつまでも一緒にいてほしい…」
そう言うや私の体を引き寄せ、そのまま抱きしめてしまう。こうなったらそうするのが当然、とでも言うように。大きな体で、私の身も心も包み込んだ。
「……」
テンドウに強く抱きしめられて、彼の何もかもが私の中に入ってくる。口にしなくてもたくさんのことが感じられる。恐れ、不安、希望、喜び、悲しみ…きっと琴の仕業だ。また無断で私の秘密を洩らしたに違いない。突然、受け止められないほどの事情を突きつけられ、苦しんで、長い時間を掛けて消化したのだろう。もしかしたら、逃げ出したい気持ちが湧いたかもしれない。そうして、たくさんの困難を乗り越えて土砂降りの日に病院に現れ、私と対面した。格好悪い姿を見せて、私の心をもう一度立ち上がらせてくれた。
そして今、手に入れてもすぐに失うと分かったうえで受け入れてくれたのだ。
「…テンドウ」
「何?」
「たまにはこういうのもいいね。新鮮で」
「じゃあ、しばらくやめておいた方がいいか?」
「大丈夫だよ。今までずっと我慢してきたんだから、ちょっとやそっとじゃ慣れないと思う。毎日でもやって」
「これ、結構疲れるんだけど…」
「つべこべ言わないでやりなさい」
馬鹿なやりとりをしながら、もっともっと温もりがほしくて、彼の中に体を埋める。すると、まるで重力から解き放たれたみたいに何もかもが浮かび上がった。私とテンドウはもちろん、頭上の外階段も、中庭の木々も、蝉たちの音色も、高々と晴れている夏の空も。何もかもが光に飲み込まれ、白一色に溶け込んでいく。
そこで私の時間が止まった。もう先に進む必要がなくなったからだろう。「充実した高校一年」にはちょっと遅れたが、「生まれ変わった私がつかんでいくこと」で掲げた目標をちゃんと達成することができた。胸がいっぱいになって、もう何もいらない、ここで幕が下りたら幸せだろう、そんなことを考えながら、いつまでもいつまでもテンドウに浸っていた。