それから瞬く間に半月が過ぎた。
時間というものは、一度行く先を定めると目に見えて動き出す。担当医師に一週間の外出願いを出して、今後の治療方法を話し合う。同時に、体力を取り戻すため、病院の公開空地や散策路をリハビリするみたいに歩き回る。本当にそんなことができるのか、とても不安だったが、私の体は、今までが仮病だったみたいに日を追うごとに軽くなった。体の奥から得体の知れない力が湧いてくるのが、手に取るように感じられた。
「これなら、何とか大丈夫でしょう」
無事、担当医師からお墨付きをもらった所で、私の計画は、また一歩前に進んだ。
待ってろ、テンドウ…そうして医師に背を向け、こっそりガッツポーズをしている時だった。
「何かいいことがあったの?ありえないくらい元気になっているけど…」
後ろから思いがけない言葉を掛けられた私は、何も考えず振り返り、医師に向かってありのまま答えていた。
「はい。仲のいい友達が留年したんです」
私に生きる力を与えてくれる人が、この世に一人だけいる。意志が弱くて、努力するのが嫌いで、すぐに人に頼ろうとする。どうしようもない愚図だけど、とびきり素敵な王子様が。
凪さんと学校の最寄駅から西武新宿ゆきの電車に飛び乗った日、私たちは携帯のアドレスを交換した。同じ男子を取り合ったライバル同士…いやいや、天道翔というとても面倒くさい奴と関わった女の子同士、私たちはとても気が合って、以来、折に触れて、勉強のこと、学校行事のことなど、お互いの近況を伝え合う間柄になっていた。
もちろん、病気療養のために休学したことも、入院が長引いて留年になったこともそのまま打ち明け、彼女から心に寄り添う温かい言葉をもらっていた(私に残された時間のことだけは黙っていたが…)。
そして半年ぶりに学校を訪れる前の日、凪さんにテンドウへの気持ちを伝えた私は、最後に背中を押してもらいたくて思い切って尋ねた。
『欲しいものは欲しいって言っていいんだよ…あの時、凪さんからもらった言葉をずっと胸にしまってた。信じたいけど、信じきれなくて、くずくずと足踏みしてたんだ。だって、こんな病気に罹って、いつ学校に戻れるか分からない子に言われても困るでしょう?もし、うまくいっても、まともに付き合うことができないんだから、迷惑ばかり掛けて何もしてあげられない。そんなのずるい。わがままだって思ったんだ。それでも…私のことを見てほしいって思うのはいけないのかな…』
すると凪さんは、こんな返信を送ってくれた。
『私も、同じことを考えてぐすぐすしてた。彼は、手の届かない存在だったから。私なんかにはもったいないくらいやさしい人だから。でもね、高校受験する時に塾の先生から聞いた話を思い出して決心したんだ。第一志望の学校に落ちて、投げ出そうとしていた私をもう一度、奮い立たせてくれた話。おかげで彼と付き合うことができたし、リンちゃんと友達になれた。一生、忘れられない言葉だよ』
それはこんな話だった。
アメリカのプロ野球・メジャーリーグの頂点は、世界一決定戦であるワールドシリーズの勝利チームだ。そのワールドシリーズには、アメリカンリーグとナショナルリーグのどちらかで優勝しないと出られない。
それぞれのリーグで優勝するには、優勝決定トーナメントへの進出が必要だ。出場資格は、三つある地区の一位チーム。それと地区に関係なく一番勝率が高かった二位チームに最後の挑戦権が与えられる。
その挑戦権の名前はワイルドカード。トーナメントの出場チーム中、一番冴えない成績だが、遥か先に世界一になる道が開かれている。
『きみにはまだチャンスがある。でも、待っていてもワイルドカードは届かない。自分から取りにいかないと!』
久しぶりに制服に袖を通したその日、私は、懐かしい黄色い電車に乗って学校の最寄り駅に降り立ち、改札口を抜けて、ホームズパンとお団子屋の前を通り、江戸時代に造られた用水路を渡って校門の前に辿り着いた。
梅雨が明けたばかりの暑い日だった。若々しい陽光が校舎や中庭、桜並木に差して、鮮やかな風景を描いている。一歩踏み出すごとに生命の匂いが鼻を突いて、弱った体にエネルギーを注いでくれる…また元の生活に戻れる、学校に通う毎日が始まるんだ、そんな妄想がもこもこと膨らんだ。
「じゃあ、あとでね」
校長先生と大船先生に挨拶し、二年生の教室から駆けつけてくれた奏と千沙に国分寺ゆきの件を告げると、大きく息を吸い込んで身をひるがえす。もう迷うことはない、と鼻息を荒くして廊下に踏み出そうとしたら、後ろから追いかけてきた二人に抱きつかれた。
「なになに、どうかした?」
また何かやらかしたか…鼓動を激しくしていると、
「別に…」
「そうだよ。何でもない」
何て言いながら、奏がポンポンと私の頭を撫で、千沙がすりすりと背中をさする。
いかにも、という感じで送られたエールにどんな意味があるか、普段の私なら理解できなかっただろう。でも、この時は、ニヤニヤしている顔を見たら分かってしまった。
『がんばれ、リン。ぐうたらイケメンに女の子の根性を見せてやれ…』
これまで、テンドウに振り回される私をからかっているだけかと思ったが、奏も千沙もちゃんと見抜いていた。ある意味、私より先に林田鈴の本心に気づいて、見守っていてくれたのだ。
そんなことをされたものだから、私の頭もネジが一本外れた状態になってしまったのかもしれない。
「行ってきます…」
奏と千沙と別れ、ここまで付き添ってくれた父と祖母にそう言って、一年生の教室が並ぶ二階に向かう。ここから先は、さすがに家族同伴という訳にはいかない。どんなにつらくても一人で行かなければ…と気合を入れて背中を向けたが、やっぱり伝えておくべきだと思って、もう一度父と祖母に向き直って、二人の懐に飛び込んだ。
今まで、いっぱいありがとう。ひどいこと、悪いこと、たくさんしてごめんね…。
口に出したら泣いてしまうので、何も言わず、ただギュウッと抱きしめて、二人に想いを伝えた。何だかお嫁に行く娘みたいだな、最後に父が漏らした言葉に三人で大笑いしてしまった。
そうして、覚悟を決めて天道翔がいる一年A組の教室に乗り込み、教壇側の扉から場違いな王朝貴族オーラを放っている姿を捜したが…どんなに目を凝らしても彼を見つけられない。おかしい、クラスを間違ったか、なんて思いながら声を掛けてくれた子に聞いたら、意外な答えが返ってきた。
「天道くんはここにいないです。多分、外で時間を潰してる…」
真夏の昼休みに何故?またもやテンドウの行動に首を傾げながら、まるで責任を感じているように縮こまっているその子を目にしてふと思った。
もしかして…いや、やっぱり。
「あの。天道くんって、今、付き合っている子とかいるのかな?」
それを聞いた途端、彼女が泣き崩れたものだから、慌てて抱き留めた。私と同じくらい華奢な体。でも私と正反対の華やいだ雰囲気、男子受けしそうな可愛い仕草。いかにもアイツ好みの子を前にして、ごくりと唾を飲みこんだ。
果たして、彼女は私に告げた。
「私…昨日、振られたんです。悪いけど、きみとは付き合えないって言われて…」
そう言うと、向けようのない気持ちが込み上げたのか、また泣きじゃくる。初対面の子を慰めている自分に空しいため息をついた。
つまりテンドウは、相変わらず女の子を取っ換え引っ換えしながら高校生活を謳歌していて、彼女も昨日、短い交際期間の終わりを告げられて失恋の痛みを噛みしめている、ということだ。元カノが悲嘆に暮れている最中、彼の方は新しい彼女と思い浮かべるだけで恥ずかしい構図でイチャイチャしているに違いない。
これまで何度も繰り返されてきた展開をまたも目撃した私は、呆れと絶望のため息をついて彼女と別れ、弱々しい足取りで玄関に向かった。
「……」
やっぱりテンドウはテンドウだった。一か月の停学が解けてもう一度、高校一年生になってもやっていることは同じ。休学して、入院して、やっと一時退院した私が割って入る余地なんてこれっぽっちもない。うすうす分かっていたことだけれど、事実を突きつけられるとやっぱり体中の力が抜けた。こんな清々しい気持ちで乗り込んだのに、自分の能天気ぶり、おめでたい性格が悲しくなった。
さて、どうしよう。人生の最後でとてつもなく高い壁が目の前に現れた。このまま家に帰って泣こうか、とも思ったが…せっかくだからぶつかってみよう。せめて戦いを挑んで泣こう、そう決心して玄関に辿り着いた。そこで待っていた琴にギュッと抱きしめられ、やはりポンポンと背中を叩かれて外に押し出された。
「…何?」
振り返ると、いつも姉をおちょくり、驚愕の事実を知らせて、煮え切らない気持ちに喝を入れてくれる妹が、晴れやかな顔で言った。
「行っておいで。外階段の下にいる」
「うん…」
「ファイトだ!スズ姉」
心強い言葉。でも、何か企んでいるような眼差しに送り出されて中庭を通り抜け、附属中学生が使う外階段の下に辿り着いた。
そこに天道翔が立っていた。階段下の日陰でコンクリートの柱にもたれかかり、一斉に鳴き始めた蝉の音に体を蒸されながら、購買部で買ったらしいコッペパンを齧っている。
一見したら、町外れのガラクタ屋でとっておきのお宝を見つけたみたいなシチュエーションだ。手を伸ばせば届くところにいるのに、相手のオーラが強すぎて声を掛けることができない。この学校に通う、いや大抵の女の子なら、棒立ちになっているだろう。
でも私は、彼がどうしてこんな場所で突っ立っているのか知っている。自分を慕ってくれた子を気遣って、額に汗を浮かべてお昼ごはんを食べている。馬鹿みたいだけれど、とても愛しい姿を放っておくことができず、何のためらいもなく声を掛けた。
「こんな所で涼んでいるなんて、よっぽど教室にいたくないんだね。さては、期末テストでクラスメートに迷惑掛けたな?」
テンドウは、会える筈がない相手を目にしたみたいに、ぽかんと口を開けていた。
何か変だ。明日、学校に行くから、とメールしておいたのに…。
一瞬にして不安を募らせている私を前にして、彼は口を開いた。
「多分、大丈夫だ。学年五十位だったから…」
「…何が?」
「だから、期末テストの成績が」
まるで恥ずかしい結果を告げるように伏し目がちに言う。
その様子に騙されてしまった。テンドウが学年五十位の成績だなんてありえない。何かの間違いに決まっている。でも、言われたとおりの話が、中庭から降り注ぐ蝉の音とともにじわじわと体に染みこんでくる。
どうして急に成績が上がったの?あのテンドウが、寝る間を惜しんで勉強したってこと?一体、この半年の間に何があったの?
そこまで考えてふと、突拍子もない仮説が頭の中に降ってきた。
私が入院して五か月も経ってからふらりと現れた彼。少なくとも停学明けの二月には病気のことを知っていただろうに…偶然を装って見舞いに来たのは何故?
先ほど、私と同じように緊張の面持ちで振り返ったのはどうして?
琴が訳あり顔で私を送り出したのには、どんな意味がある?
「……!」
ありえない結論に辿り着いた私は、大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。
改めて彼を見上げると、もう顔を目を逸らすことなく切り出した。
「テンドウ。今、付き合っている子いる?いるよね。今までずっといたんだから…」
「どうして、そんなことを聞くんだ?」
「だって…こういうことをするなら、一応確認しておかないと」
そこまで言うと、俯こうとした顔をもう一度上げて、告げた。
「もし、私がそうなりたいって言ったら、今の彼女と別れてくれる?私を何十番目かの恋人にしてくれる?」
「……」
「ずっと前からテンドウのことが好きだった。一番近くにいて、誰よりも仲が良かったから言えなかったけど…もっと一緒にいて喧嘩したい。テンドウのことを知りたいし、私のことも知ってほしい。また入院するかもしれないし、ものすごく迷惑を掛けるかもしれない。それでも…」
とてもたくさんのことを話した。ようやくたどり着いたこの場所で、ありったけの想いを込めて、思いつく限りの言葉を彼に向けて綴っていく。
体がふわふわと浮いて、何処に着地するか分からない。不安と喜びに浸りながら私は、彼の顔を見つめる。
生まれて初めての告白は、暑くて騒がしくて、メタメタだったかもしれないけれど…言ってよかった、テンドウに打ち明けることができて悔いはない、そう思った。
けれど、自己満足と自己陶酔の時間は瞬く間に終わってしまう。
テンドウの声が返ってきたのは、私が目を閉じて、息を吐いたすぐあとのことだった。
「無理だ」
いとも簡単に答える。まるでカラオケのお誘いを断るみたいにあっさりと、笑みを浮かべているんじゃないかと思うくらい軽い口調で、私のお願いは退けられた。
「…どうして?」
舞台の終わりを告げる幕が目の前に降りてくる。僅かに残された視界の中で、やっとのことで理由を聞く。
テンドウは、まるで叱られた小学生みたいに決まり悪そうな顔で言った。
「だって…今、誰とも付き合ってないから。あれからずっと彼女がいないから、別れることができない」
「…同じクラスのあの子は?昨日、テンドウに振られたって言っていたよ。付き合っていたんでしょう?」
「付き合ってないよ。そうなりたいって言われたけど…お断りしたんだ」
いちいち私の顔を覗いて、様子をうかがいながら説明していく。
だが、彼の話を聞けば聞くほど私の頭はこんがらがった。
「うそ。テンドウが女の子と付き合ってないなんておかしい。何で、彼女のことを断ったの?もったいない」
これまで、何人もの女の子と一日の間も空けることなく付き合ってきたのに…自分の中にあるイメージとまたも違う姿が目の前にいる。それを受け入れることができず、つい余計なことまで聞いていた。
そんな私を目にして、ちゃんと説明しないといけないと思ったのか、テンドウはおもむろに顔を上げて言った。
「少ししたら、ある女の子から付き合ってほしいって言われると思ったから」
「……?」
「俺のことをとても大切に思ってくれて。眠っている間にキスしてくるくらいだから、きっと来るって思っていた」
「へ…?」
「俺もその子のことを手に入れたかったから、ずっと席を開けておいたんだ。元気になって戻ってくるまで待っていようって。思ったより時間が掛かったけど…よかった。何とか我慢できた…」
もう顔を逸らすことなく、私のことを見つめて柔らかく微笑む。
その話を聞いた途端、体中の水分が沸騰して気を失いそうになった。眠っていると思ったからあんな恥ずかしいことができたのだ。それを今更、違ったなんて言われても…その上、こんな近くから見つめられたら耐えられない。胸が破裂して、病気と関係なく失神してしまいそうだ。
そうならないように話の途中で顔を背けたけれど、彼の手が私の腕を取って放さなかった。振り切ろうとしても、ギュッと握られて逃げることができない。もう駄目だ。まるで最後の鍵が解かれたみたいに抵抗するのをやめ、彼と真っすぐ向き合った。これまで何十人もの女の子を落としてきた眼差しに、空に向かってしゃくれた顎に触れるくらいの距離で、テンドウの言葉を受け止めていった。
「…ずっと見ていた。俺の中に何かを見つけてくれるのはどんな子だろうって。俺はどうしたらいいんだう。どんな風に応えるべきなんだって、長い間考えていた。ずっと、ずっと考えて、やっと分かった」
「……」
「リン。お前は、俺の人生に初めて意味を与えてくれた。何の才能もない、努力したこともない奴がどうしたら先に進んでいけるか、真っ暗な道を照らしてくれたんだ。だから、俺の方から頼みたい。リンと一緒なら進んでいける。いつまでも一緒にいてほしい…」
そう言うや私の体を引き寄せ、そのまま抱きしめてしまう。こうなったらそうするのが当然、とでも言うように。大きな体で、私の身も心も包み込んだ。
「……」
テンドウに強く抱きしめられて、彼の何もかもが私の中に入ってくる。口にしなくてもたくさんのことが感じられる。恐れ、不安、希望、喜び、悲しみ…きっと琴の仕業だ。また無断で私の秘密を洩らしたに違いない。突然、受け止められないほどの事情を突きつけられ、苦しんで、長い時間を掛けて消化したのだろう。もしかしたら、逃げ出したい気持ちが湧いたかもしれない。そうして、たくさんの困難を乗り越えて土砂降りの日に病院に現れ、私と対面した。格好悪い姿を見せて、私の心をもう一度立ち上がらせてくれた。
そして今、手に入れてもすぐに失うと分かったうえで受け入れてくれたのだ。
「…テンドウ」
「何?」
「たまにはこういうのもいいね。新鮮で」
「じゃあ、しばらくやめておいた方がいいか?」
「大丈夫だよ。今までずっと我慢してきたんだから、ちょっとやそっとじゃ慣れないと思う。毎日でもやって」
「これ、結構疲れるんだけど…」
「つべこべ言わないでやりなさい」
馬鹿なやりとりをしながら、もっともっと温もりがほしくて、彼の中に体を埋める。すると、まるで重力から解き放たれたみたいに何もかもが浮かび上がった。私とテンドウはもちろん、頭上の外階段も、中庭の木々も、蝉たちの音色も、高々と晴れている夏の空も。何もかもが光に飲み込まれ、白一色に溶け込んでいく。
そこで私の時間が止まった。もう先に進む必要がなくなったからだろう。「充実した高校一年」にはちょっと遅れたが、「生まれ変わった私がつかんでいくこと」で掲げた目標をちゃんと達成することができた。胸がいっぱいになって、もう何もいらない、ここで幕が下りたら幸せだろう、そんなことを考えながら、いつまでもいつまでもテンドウに浸っていた。
本当はもう少し残っていた。川越の町を二人で浴衣を着て歩いたり、彼に扇子を買ってもらったお礼に鈴のストラップをプレゼントしたり。国立にあるお気に入りの喫茶店に連れていってもらったり、彼と肩を寄せ合ってスマートフォンの小さな画面で映画を観たり…短い時間の中で思いつく限りのことをしたけれど、今では殆ど覚えていない。
「……」
グレーのマフラーに首を埋めた彼が、最寄り駅のホームで立ち尽くしている。思いつめた表情で瞳を潤ませている女の子を前にして、苦しそうに息をついて、相手を労るような眼差しで見つめて…そして、ショートヘアの彼女が最後に白い息を吐いたところでおもむろに口を開く。
「……」
もういいんだよ。あんなに泣いて、泣いて、心が壊れてしまうくらい苦しんだんだから。やっと顔を上げて歩けるようになったんだから、この辺で付き合っちゃえば?と思うのだが、私の意に反して、またもテンドウは、ごめん、と頭を下げた。立ちすくむ相手にもう一言、ありがとう、と告げて、ホームに滑りこんできた黄色い電車に乗り込んだ。
これで三人目。相変わらず伝説を作りつづけている没落王朝貴族の振舞を、私は上空三メートルの位置からがっかりしたような嬉しいような複雑な気持ちで眺めている。自分が唯一愛した男の子が、思っていた以上に格好良く、魅力的な男性になっていると知って、今更ながらうっとりと見つめている。
私って、なかなか見る目があるじゃない…。
そんなふざけたことを考えながら、吊革に掴まって、国分寺ゆきの黄色い電車に揺られている大きな体に呼び掛けた。
「テンドウ…きっと、これからもたくさんの女の子と関わっていくんだろう。そこに私がいないのは寂しいけど…いつのまにかとてもいい顔になっている。その理由がどうか私であってほしい。きみの中にほんの少しだけ私が残っていたら、とても嬉しい。これから先の人生を歩んでいくのを、ここからそっと見ているよ…」
すると、リュックサックに付けた鈴のストラップが揺れて、振り返った彼が、少年みたいなあどけない表情で口を開いた。
「……」
リン…こんな状況で自分に都合のいい声を拾っている。
私は、とても我儘な性格らしい。