テンドウは、北川凪でなく他の女の子を選んだ。
凪さんみたいな素敵な子が彼女だから受け入れたのに、そうでないなら話は別だ…。
自分が上がっていない舞台の出来事に、まるで当人のようにショックを受けている。琴に指摘されたように、観客席で眺めていただけなのに、舞台俳優のつもりで打ちのめされているのだから手に負えない。
私は、何に傷ついているのだろう。心の何処が腫れているのか。
「…ちょっと、偵察してくる」
その日、私は、お弁当を広げていた席を早々に立った。三人で寄せ合った机の一角で、天道翔の新しい彼女情報を入手した奏が、まるで歴史ロマン大作を評論するように、
「この展開は予想してなかった。まさか、第三のヒロインの登場があるとは…いや、勉強になります」
と私に頭を下げてくるからだ。それに応じた千沙が、
「そうだよね。主人公の魅力に王子様が気づいて、少しずつ距離を縮めていくのが定番だもんね。そうなってほしかったんだけど…」
と身勝手極まりない眼差しを私に向けてくるからだ。
貴方たちは大きな勘違いをしている。物語の出だしでとても大事なことを見逃している、と言いたかったが、奏の言った「第三のヒロイン」という言葉が気になって、そのままワンフロア上の琴がいるクラスに足を向けた。間違っても自分が「第一のヒロイン」とは思ってなかったが、頭の中に描いてしまった天道翔を中心とする相関図を整理したくて、教壇側の扉から首を伸ばして妹の姿を捜した。
友達のザキちゃんから姉の訪問を知らされた琴は、瞬時に意図を察したらしく、私の元に駆けつけると、教室に背を向けたままコソコソと囁いた。
「窓側の列の前から三つ目。一人ぽっちで本読んでるグレーのベスト…」
ずいぶんと冷めた口調で紹介する。まるで思いどおりに進まない物語に不満を募らせているみたいに。
そうして琴の肩越しにその席を覗き、窓から差し込む温かな陽に包まれて文庫本を開いているその姿を目にした。
「…え?」
彼女がどんな子か、琴から聞いて想像していたけれど、それを超えた実像に、中途半端に開けた口が塞がらなくなった。
里中ゆずという子は、噂以上に目立たない、悪く言えばとても地味な女の子だった。いや、私も相当に地味な部類だが、彼女はそれをこれっぽっちも気にしていない風情で、クラス中がお喋りしていても知らん顔で読書しているし、気の毒なほど映えない顔立ちを眩い光にさらして澄ましている。誰に指を差されてもお構いなし、という感じで悠然と教室の中を見渡しているのだ。
どうしてこの子なのか。てっきり、凪さんみたいな子がタイプだと思ってたのに…テンドウの好みが分からない。
そして何故、彼女はこんな自虐的でいられるのだろう。地味は地味なりに教室の隅で小さくなっていればいいのに、と思ったが、すぐに勘違いだと気づいた。
「何か、自信にあふれている感じ…」
「何処が?」
「うぅん…体全体?」
琴は首を傾げていたけれど、私は、自分が彼女と似たタイプだからか、ゆずの心持が想像できた。
つまり、どんなに女子的ランクが下だろうと、クラスの勢力図の隅っこに甘んじていようと、天道翔の彼女という絶対的な切り札を手に入れたから平気でいられるのだ。周りに何と言われようと、学年随一の男子と付き合っている女子、という立場が覆ることはない。そうした事実が自信となって滲み出ている。無意識のうちに態度に表れているのだ。
恋愛というものは、女の子を根本的に変えてしまう…噂には聞いていたが、私のような初心者には衝撃的だった。
そうして胸を騒がせていると、また琴の声が割り込んできた。
「そうかなぁ…何か、危なくない?」
「何が?」
「うぅん…そっち方面の免疫がないっていうか。山奥の村で育った子が都会に出て、幸運にもすてきな男子と出会って夢のような時間を過ごしたけど、村に帰った途端、気持ちが上がった分だけ谷底に突き落とされるみたいな…」
まるで負け惜しみみたいに冷たい笑みを浮かべて言う。学校内の至る所で友達を作り、多彩なネットワークを構築している琴にとって、ゆずみたいに色々な意味で貧弱な子が最高の結果を手に入れたのが悔しくて仕方ないらしい。
あくまでも自分の気を鎮めるためだろう。ゆずという子をちゃんと見て言ったのではない、と思う。でも…。
「ここは、スズ姉の出番だよ」
「何のこと?」
「彼女から天道くんを奪って、谷底に突き落としちゃいな」
フフフ、と乾いた笑みを浮かべて行ってしまう。
その一言で、頭の中にその映像を思い浮かべてしまった。谷底に突き落とされたゆずが暗闇の中でもがいている姿を。
「誰がそんなことをするんだ?」
そう言って妹の背中を小突いたが、一度浮かんだ光景がいつまでも頭から離れない。光と影、栄光と挫折、正反対のものが隣り合わせになったように、陽だまりの中で本を読んでいる姿と重なってしまう。
そして、そんな彼女と付き合っているテンドウは大丈夫だろうか。もしかしたら、とてもつらい目に遭うのではないか。
そんな不安が渦巻いて、いつまでもその場から立ち去れなかった。
凪さんみたいな素敵な子が彼女だから受け入れたのに、そうでないなら話は別だ…。
自分が上がっていない舞台の出来事に、まるで当人のようにショックを受けている。琴に指摘されたように、観客席で眺めていただけなのに、舞台俳優のつもりで打ちのめされているのだから手に負えない。
私は、何に傷ついているのだろう。心の何処が腫れているのか。
「…ちょっと、偵察してくる」
その日、私は、お弁当を広げていた席を早々に立った。三人で寄せ合った机の一角で、天道翔の新しい彼女情報を入手した奏が、まるで歴史ロマン大作を評論するように、
「この展開は予想してなかった。まさか、第三のヒロインの登場があるとは…いや、勉強になります」
と私に頭を下げてくるからだ。それに応じた千沙が、
「そうだよね。主人公の魅力に王子様が気づいて、少しずつ距離を縮めていくのが定番だもんね。そうなってほしかったんだけど…」
と身勝手極まりない眼差しを私に向けてくるからだ。
貴方たちは大きな勘違いをしている。物語の出だしでとても大事なことを見逃している、と言いたかったが、奏の言った「第三のヒロイン」という言葉が気になって、そのままワンフロア上の琴がいるクラスに足を向けた。間違っても自分が「第一のヒロイン」とは思ってなかったが、頭の中に描いてしまった天道翔を中心とする相関図を整理したくて、教壇側の扉から首を伸ばして妹の姿を捜した。
友達のザキちゃんから姉の訪問を知らされた琴は、瞬時に意図を察したらしく、私の元に駆けつけると、教室に背を向けたままコソコソと囁いた。
「窓側の列の前から三つ目。一人ぽっちで本読んでるグレーのベスト…」
ずいぶんと冷めた口調で紹介する。まるで思いどおりに進まない物語に不満を募らせているみたいに。
そうして琴の肩越しにその席を覗き、窓から差し込む温かな陽に包まれて文庫本を開いているその姿を目にした。
「…え?」
彼女がどんな子か、琴から聞いて想像していたけれど、それを超えた実像に、中途半端に開けた口が塞がらなくなった。
里中ゆずという子は、噂以上に目立たない、悪く言えばとても地味な女の子だった。いや、私も相当に地味な部類だが、彼女はそれをこれっぽっちも気にしていない風情で、クラス中がお喋りしていても知らん顔で読書しているし、気の毒なほど映えない顔立ちを眩い光にさらして澄ましている。誰に指を差されてもお構いなし、という感じで悠然と教室の中を見渡しているのだ。
どうしてこの子なのか。てっきり、凪さんみたいな子がタイプだと思ってたのに…テンドウの好みが分からない。
そして何故、彼女はこんな自虐的でいられるのだろう。地味は地味なりに教室の隅で小さくなっていればいいのに、と思ったが、すぐに勘違いだと気づいた。
「何か、自信にあふれている感じ…」
「何処が?」
「うぅん…体全体?」
琴は首を傾げていたけれど、私は、自分が彼女と似たタイプだからか、ゆずの心持が想像できた。
つまり、どんなに女子的ランクが下だろうと、クラスの勢力図の隅っこに甘んじていようと、天道翔の彼女という絶対的な切り札を手に入れたから平気でいられるのだ。周りに何と言われようと、学年随一の男子と付き合っている女子、という立場が覆ることはない。そうした事実が自信となって滲み出ている。無意識のうちに態度に表れているのだ。
恋愛というものは、女の子を根本的に変えてしまう…噂には聞いていたが、私のような初心者には衝撃的だった。
そうして胸を騒がせていると、また琴の声が割り込んできた。
「そうかなぁ…何か、危なくない?」
「何が?」
「うぅん…そっち方面の免疫がないっていうか。山奥の村で育った子が都会に出て、幸運にもすてきな男子と出会って夢のような時間を過ごしたけど、村に帰った途端、気持ちが上がった分だけ谷底に突き落とされるみたいな…」
まるで負け惜しみみたいに冷たい笑みを浮かべて言う。学校内の至る所で友達を作り、多彩なネットワークを構築している琴にとって、ゆずみたいに色々な意味で貧弱な子が最高の結果を手に入れたのが悔しくて仕方ないらしい。
あくまでも自分の気を鎮めるためだろう。ゆずという子をちゃんと見て言ったのではない、と思う。でも…。
「ここは、スズ姉の出番だよ」
「何のこと?」
「彼女から天道くんを奪って、谷底に突き落としちゃいな」
フフフ、と乾いた笑みを浮かべて行ってしまう。
その一言で、頭の中にその映像を思い浮かべてしまった。谷底に突き落とされたゆずが暗闇の中でもがいている姿を。
「誰がそんなことをするんだ?」
そう言って妹の背中を小突いたが、一度浮かんだ光景がいつまでも頭から離れない。光と影、栄光と挫折、正反対のものが隣り合わせになったように、陽だまりの中で本を読んでいる姿と重なってしまう。
そして、そんな彼女と付き合っているテンドウは大丈夫だろうか。もしかしたら、とてもつらい目に遭うのではないか。
そんな不安が渦巻いて、いつまでもその場から立ち去れなかった。