そう思った私は、安堵の息をつきながら、月に一度の図書委員会の席で噂の彼氏に話しかけていた。
「今日も一緒に帰るの?凪さん、いつも天道くんのことを待っているよね?」
「部活、やってないからね」
「何処かに寄っていったりしないの?一時間以上も待たせて、駅まで歩くだけなんて可哀そう」
「彼女、毎日進学塾があるから遊べないんだ」
「じゃあ本当に、駅まで一緒に帰りたいから…それだけのために待っているんだ」
放課後の図書室の学習エリアで、私たちは「コの字型」に席に着いて、顧問の藤沢先生が来るのを待っている。
一応、他の子に聞かれないよう小さな声で話していたが、凪さんが毎日どんな気持ちで天道くんのことを待っているかを想像して、つい興奮した声を上げてしまった。
「リンちゃん…」
天道くんは、慌てて口を押えている私に冷静に聞いた。
「いつも、俺たちのことを見ているの?」
「…違う、そんな訳ないでしょう。何言っているの、もう…」
「それならいいけど」
そう言って、一人だけ爽やかな秋風に吹かれているみたいに笑う。妙なことを聞かれたのに、ずいぶんとご機嫌な様子だ。
ふと、このタイミングならいいだろうと思って、藤沢先生が部屋に入ってきたのも知らず、私は隣の席ににじり寄った。
「あの…こういうことを聞くのは失礼かもしれないけど。凪さんと付き合うようになったんだから、テニス部の子とは別れたんだよね」
ずっと胸に引っかかっていることだった。いつも付き合っている子がいて、その相手が度々変わるとなければ、新しい彼女の数だけお別れした元カノがいるということだ。
そんなことを繰り返していて、女の子の恨みを買ったりしないのだろうか、と十七年の人生で一度も彼氏がいたことがない私は考えてしまう。
天道くんは、こんな「ど素人的」な心配をいとも簡単に受け流した。
「もちろん。ちゃんと話して、納得してもらって別れたよ」
「他の子と付き合うからって?凪さんに好きって言われたから、きみとはもう付き合えないって言ったの?」
「うん。ありがとう、いい思い出になったって」
「本当に?」
「いつもそういう感じなんだ。別れたいって言うと、初めは泣くんだけど、最後には付き合って良かったって言ってくれる。俺も、ありがとうって言って。お互いに感謝して終わるんだ」
何の問題もない、いつも通りだ、という感じで淡々と話す。
実際、歴代の元カノさんたちはそうしてきたのだろう。彼の横顔には、過信や傲慢でなく、付き合ってきた女の子たちを今も大切に思っている気配がにじみ出ていた。
「……」
そういうものなんだろうか。天道翔というちょっと特異な男の子と付き合うと、どんな女の子も「いい思い出」をもらった、と思って引き下がるのか。そんなの納得できない、と食って掛かる子はいないのだろうか。
未だ足を踏み入れたことのない世界の更に先で起こる出来事なんて、さすがに想像できない。
もし私だったらどうだろう…なんて考えようとしたら、天道くんと付き合っている自分の姿が思い浮かんだから、慌てて首を振った。その顔が、凪さんに負けないくらい幸せそうだったから、ぞっとした。
そうして私が一人であれこれと妄想している間も、世の中は刻々と姿形を変えていく。 気が付いたら大変なことに巻き込まれていた、なんて展開が待っていたりするものだ。
「リンちゃん…」
「…え?」
「何か、すごいことが始まるらしいよ」
とこれっぽっちもすごいと思っていない口調で天道くんが言ったものだから、私はすっかり油断した状態で、手元に配られた「学園祭で催す図書委員会のイベント」なるプリントを目にしていた。昭和時代の古本屋さんから抜け出してきたような藤沢先生が、黒縁眼鏡の奥から力強い眼差しで訴えているのを聞いて、少しずつ、何が始まったのか理解していった。
「毎年ビブリオバトルじゃマンネリだし、あっという間に終わってしまうからね。今年はもう少し突っ込んで、ベストセラーの書評をプレゼン形式でやってみようと思う。本の担当編集者になって、書店に売り込むつもりで観客の前で発表するんだ。聞いた人が思わず手に取ってしまうような作品の魅力を伝えるために…」
ということは、課題図書を読んで、そのおもしろさを来場者の前で説明するのか。内容を読み取って整理するのも大変だけれど、それを知らない人に向けて発表するのはもっと難しそうだ。
そんなこと、できるだろうか。
目の前に掲げられたハードルを見上げた私は自然と、やってみたい、と思っていた。
「もちろんバトル形式で投票してもらって、優勝チームを決めたいと思う」
先生の補足説明を聞いたら俄然、闘志が湧いてきた。精一杯やってみよう、せっかくの機会だ…そう決意した直後、
「チームって誰と組むんですか?」
二年生から上がった質問に藤沢先生が答えるのを頭を真っ白にして聞いていた。
「あぁ。せっかく二人ずついるんだから、クラスごとにしようか」
……何ですって?
「今日も一緒に帰るの?凪さん、いつも天道くんのことを待っているよね?」
「部活、やってないからね」
「何処かに寄っていったりしないの?一時間以上も待たせて、駅まで歩くだけなんて可哀そう」
「彼女、毎日進学塾があるから遊べないんだ」
「じゃあ本当に、駅まで一緒に帰りたいから…それだけのために待っているんだ」
放課後の図書室の学習エリアで、私たちは「コの字型」に席に着いて、顧問の藤沢先生が来るのを待っている。
一応、他の子に聞かれないよう小さな声で話していたが、凪さんが毎日どんな気持ちで天道くんのことを待っているかを想像して、つい興奮した声を上げてしまった。
「リンちゃん…」
天道くんは、慌てて口を押えている私に冷静に聞いた。
「いつも、俺たちのことを見ているの?」
「…違う、そんな訳ないでしょう。何言っているの、もう…」
「それならいいけど」
そう言って、一人だけ爽やかな秋風に吹かれているみたいに笑う。妙なことを聞かれたのに、ずいぶんとご機嫌な様子だ。
ふと、このタイミングならいいだろうと思って、藤沢先生が部屋に入ってきたのも知らず、私は隣の席ににじり寄った。
「あの…こういうことを聞くのは失礼かもしれないけど。凪さんと付き合うようになったんだから、テニス部の子とは別れたんだよね」
ずっと胸に引っかかっていることだった。いつも付き合っている子がいて、その相手が度々変わるとなければ、新しい彼女の数だけお別れした元カノがいるということだ。
そんなことを繰り返していて、女の子の恨みを買ったりしないのだろうか、と十七年の人生で一度も彼氏がいたことがない私は考えてしまう。
天道くんは、こんな「ど素人的」な心配をいとも簡単に受け流した。
「もちろん。ちゃんと話して、納得してもらって別れたよ」
「他の子と付き合うからって?凪さんに好きって言われたから、きみとはもう付き合えないって言ったの?」
「うん。ありがとう、いい思い出になったって」
「本当に?」
「いつもそういう感じなんだ。別れたいって言うと、初めは泣くんだけど、最後には付き合って良かったって言ってくれる。俺も、ありがとうって言って。お互いに感謝して終わるんだ」
何の問題もない、いつも通りだ、という感じで淡々と話す。
実際、歴代の元カノさんたちはそうしてきたのだろう。彼の横顔には、過信や傲慢でなく、付き合ってきた女の子たちを今も大切に思っている気配がにじみ出ていた。
「……」
そういうものなんだろうか。天道翔というちょっと特異な男の子と付き合うと、どんな女の子も「いい思い出」をもらった、と思って引き下がるのか。そんなの納得できない、と食って掛かる子はいないのだろうか。
未だ足を踏み入れたことのない世界の更に先で起こる出来事なんて、さすがに想像できない。
もし私だったらどうだろう…なんて考えようとしたら、天道くんと付き合っている自分の姿が思い浮かんだから、慌てて首を振った。その顔が、凪さんに負けないくらい幸せそうだったから、ぞっとした。
そうして私が一人であれこれと妄想している間も、世の中は刻々と姿形を変えていく。 気が付いたら大変なことに巻き込まれていた、なんて展開が待っていたりするものだ。
「リンちゃん…」
「…え?」
「何か、すごいことが始まるらしいよ」
とこれっぽっちもすごいと思っていない口調で天道くんが言ったものだから、私はすっかり油断した状態で、手元に配られた「学園祭で催す図書委員会のイベント」なるプリントを目にしていた。昭和時代の古本屋さんから抜け出してきたような藤沢先生が、黒縁眼鏡の奥から力強い眼差しで訴えているのを聞いて、少しずつ、何が始まったのか理解していった。
「毎年ビブリオバトルじゃマンネリだし、あっという間に終わってしまうからね。今年はもう少し突っ込んで、ベストセラーの書評をプレゼン形式でやってみようと思う。本の担当編集者になって、書店に売り込むつもりで観客の前で発表するんだ。聞いた人が思わず手に取ってしまうような作品の魅力を伝えるために…」
ということは、課題図書を読んで、そのおもしろさを来場者の前で説明するのか。内容を読み取って整理するのも大変だけれど、それを知らない人に向けて発表するのはもっと難しそうだ。
そんなこと、できるだろうか。
目の前に掲げられたハードルを見上げた私は自然と、やってみたい、と思っていた。
「もちろんバトル形式で投票してもらって、優勝チームを決めたいと思う」
先生の補足説明を聞いたら俄然、闘志が湧いてきた。精一杯やってみよう、せっかくの機会だ…そう決意した直後、
「チームって誰と組むんですか?」
二年生から上がった質問に藤沢先生が答えるのを頭を真っ白にして聞いていた。
「あぁ。せっかく二人ずついるんだから、クラスごとにしようか」
……何ですって?