交換ウソ日記2 〜Erino's Note〜


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   ありがとうございます
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   たしかに そうだったのかも
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   これからは伝えるようにがんばります
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   先輩は言葉の魔術師みたい
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   そんな先輩の歌ならきっと 伝わりますよ
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 今日は朝からどこにも不調はなかった。

 昨晩、希美からメッセージで昨日私の鞄とコートが保健室にあった理由を教えてくれた。どうやら希美と優子が昼休みの終わりに念のためと持ってきてくれたらしい。そして、そこにはすでに先輩がいて、私の事情を伝えたと。先輩が強引だったのは、私の体調不良の原因も、関谷くんとの会話を聞かれていたことから察していたからかもしれない。

 先輩は、想像以上に人の気持ちを感じ取ってくれる人なのだろう。

 ――私も、そんな先輩に少しでも近づけるだろうか。

 朝から決心していたけれど、やっぱり本番の昼休みになると緊張がピークに達する。鼻から息を吸って、ゆっくり口から吐き出す。まだ少し弱腰になりそうな気持ちを、必死に奮い立たせて、そして、生徒会室のドアを見た。跳ねる心臓を落ち着かせるようにもう一度息を吐き出して背筋を伸ばし、ドアに手をかけて開ける。

 中にいた関谷くんと佐々木さんの視線が私に集まる。

「松本?」
「な、なんで」

 驚いた様子のふたりに「突然ごめんね」と言って足を踏み入れる。口から心臓がものすごい勢いで伸縮しながら飛び出てきそうだ。

「この前の話を、ちゃんとしないとって思って」

 机の上に散らばっている資料に、やっぱり私を抜きにして仕事を進めるつもりだったのだとわかった。私はいらないんだという声が聞こえてきた気がして、目の奥がツンと痛む。

 わかり合えないかもしれない。いまさらかもしれない。

 でも、それを、正論のせいにして終わらせたくはない。

「言葉足らずで――」
「なんで来ちゃうんですか、江里乃先輩!」

 私の言葉を遮って、佐々木さんが叫んだ。その口調は、責められているようでもあり、落ち込んでいるようにも聞こえる。「え」と言葉が途切れてしまった。

「完璧に仕事をできるようになって見返してやろうと思ったのに!」

 見返す? 私を? 佐々木さんが? なんでそんな思考に?

「えっと……」

 困惑する私に気づいた関谷くんが、困ったように眉を下げて笑った。

「佐々木さんと話したら、自分の頼まれていることの重要性がいまいちピンときてなかったみたいでさ。なにが重要で、それにはなにが必要か、とか」

 関谷くんに言われて、それはたしかにそうかもしれない、と思った。もちろん都度説明はしていたものの、佐々木さんに私の作業を手伝ってもらうことはなかった。私がどういう流れで仕事をしているのかも知らないかもしれない。

 私も去年佐々木さんと同じようなことをやっていたけれど、私の場合は先輩に聞いたりそばで見ていたり想像したりしていたと思う。それを、知らず知らずのうちに、私は佐々木さんに課していた。

 私ができていること、できていたことは、彼女もできて当たり前だと思っていたのだ。できない理由を、考えることもしなかった。

「あ、あたしだってやればできるんです!」

 資料を握りつぶしそうな勢いで手に力を込めた佐々木さんは、その言葉を自分に言い聞かせているようだった。

 そうさせてしまったのは、私だ。

「ごめんね。その、言葉足らずで、厳しい言い方になっちゃって」

 佐々木さんに近づき、項垂れている彼女の手を取った。

「謝るだけじゃなくて、これからどうするのかを考えてほしかったの。じゃないと、私が言ったからそうする、になってしまうから」

 月曜日、佐々木さんに言った言葉を思い出しながら、気持ちを添えてもう一度、あらためて伝える。

「いつまでも同じことを繰り返していたら、えっと、もし佐々木さんが来年も生徒会を続けていたときに、その、困るかもしれないと思って」

 いつもならもっとはっきり口にできるのにしどろもどろになってしまい、目線が生徒会室をさまよう。佐々木さんや関谷くんの顔を見ることができない。

 ――気持ちを言葉にするのって、こんなに、難しくて、勇気がいるんだ。

 自分の素直な気持ちだからこそ、相手の反応が気になる。手に汗握りながら、それでも、と自分を叱咤して言葉を続ける。

「私の仕事をお願いしないって言ったのも、怒ってたんじゃなくてそうすることでどうすればいいのか、気づくこともあるんじゃないかと、思ったから」

 と、口にして「いや、本音を言えば怒ってたけど」と訂正する。相手に寄り添うやさしい言葉だけでは、きっと伝わらない。

「私は、自分の言ったことが間違っているとは思ってない。けど、言い方が悪かったと、思ってる。それに、配慮が足りなくて、ごめんなさい」

 ぺこりと頭を下げて、ほかに言うべきことはあっただろうかと頭の中でぐるぐると考える。そのあいだ、ふたりからの反応は返ってこなかった。

 しんと静まった生徒会室に、廊下からの喧噪がかすかに響く。誰かの足音に笑い声、それらが遠ざかっていくのを待つように、誰も口を開かなかった。

「すみません」

 その沈黙を破ったのは、佐々木さんだった。

 ゆっくりと顔を上げて彼女と視線を合わせる。

「あたし、先輩の言っていることまんま受け取って、むかついてました」
「あの、その、ごめんね」

 言葉を添えたあとだと、自分の言葉がどれだけ言葉足らずで厳しかったかがわかる。私は端的に言いすぎている。

「でも、本当は先輩がそう思ってくれていることも気づいていたんです。あたしのせいで先輩が困っていることだって、わかっていたのに、先輩ならなんとかするからまあいいかって、大丈夫だろうって」

 いつも元気な佐々木さんがしゅんとして肩を落としていた。

「あの日、怒って帰っちゃったから、だから、呆れられたんだって思って」
「え? 帰ってないよ? 帰ったのはみんなでしょ」

 戻ってきたら誰もいなかった日のことだろう。

 ただ、桑野先生に資料をもらいに行っただけだ。でも、あのときの私は資料を受け取るためにカバンを手にしていて、寒いからとコートも持って出た。直前の会話を思い出せば、そう思われるのも無理はない。

「それ、次の日の生徒会室で気づきました。置いて帰ったはずの資料を片付けていたので。本当は、あたしが悪いのでそれをひとりでやろうと思ってたんです」
「だから、松本にはしばらく休んでいいって、伝えたんだ」

 関谷くんが肩をすくめて佐々木さんの言葉に補足する。

「あの日は佐々木さんも落ち込んでたから、とりあえず帰ろうってなって。松本も戻ってこないと思ってたから。松本は怒ってると思って、説明しなかった」

 そういうことだったのか。体中に張り巡らされていた不安が、するすると解けていく。なんだ、すれ違っていただけだったのか。

「でも、ひとりじゃやっぱり全然わからなくて、昼休みに関谷先輩に教えてもらってたんです」

 悔しそうに、佐々木さんは口元を歪ませる。

「あたしでもできるんだって見返したかったのに、江里乃先輩にどれだけ頼り切っていたかわかっただけでした」

 そう言って、すみませんでした、と佐々木さんが深々と頭を下げる。

「佐々木さん、私と一緒に作業しようか」
「よろしくお願いします」
「厳しいかもしれないけど、覚悟してね。でも、私の言い方が悪かったら、怒ってね。そのときは、言い直すチャンスをちょうだい」

 佐々木さんは「今までで一番難易度が高い指示ですよそれ」と、ふふっと頬を緩ませる。その微笑みに、心が平らかになって私の体が軽くなった。


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   魔術師だったか 俺は!
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   あ、あと返事くれてほっとした
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   三年だからって もうくれないかもと思った
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   歌の練習のためにこれからも学校に来るから
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   魔術師でもやっぱり歌詞は自信ねえなあ
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   この前学校で先輩を見かけたので!
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   魔術師先輩でも
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   想いを歌詞にするって難しいんですね
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   どんな想いか 訊いてもいいですか?
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   想い! なんだろ
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   とにかく好きって感じかな
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   俺 実は家族が結構放任主義で
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   ひとりぼっちで過ごすことが多くてさ
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   そんなときに出会った子で
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   本当に一緒にいるとほっとするというか
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   うーんなんだろ 感謝と 願い かな
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 生徒会での仕事を終えて、返事を受け取ったのは放課後。

「危なかった……」

 家に帰ってきて、交換日記を改めて広げて呟く。

 三年生はすでに自由登校になったけれど、前に先輩が学校に来ると言っていたので、なにも気にせず返事を書いて靴箱に入れてしまった。突っ込まれたときは血の気が引く思いだったけれど、なんとかごまかせたらしい。

 先輩は本当にほぼ毎日学校に来ているらしく、以前と変わらずちょくちょくグラウンドで遊んでいる姿を見かける。

 でも、一緒に出かけた日以来、先輩と顔を合わすもののすれ違うくらいなので挨拶程度しか言葉を交わしていない。それを少しさびしいと思っていて、でも顔を見ると心が弾んだり萎んだりする。今でも、思い出すだけでお腹の中でなにかが動く。ぱたぱたと羽ばたくような。そのまま羽が生えてしまいそうなほどの、不思議な痛みに襲われる。

 床に座ったままベッドにもたれかかり天井を仰ぐ。そしてノートを開いたまま顔にのせた。自分がどんな顔をしているのかわからなくて、それをどこにも晒したくなくて隠す。

 先輩が学校に来てくれるのはうれしい。でも、その理由はもしかして、ひとりきりの家にいたくないからなのかもしれない。

 先輩からの文章には心細さがにじんでいるように感じる。

「江里乃姉ちゃんー、ご飯まだあ?」
「……まだに決まってるでしょ。もうちょっとだから待ってて」

 ドアをノックもせずに部屋に入ってきた弟は、空腹で倒れそう、とでも言いたげに猫背だ。育ち盛りの弟には、先輩と出かけて帰りが遅くなったとき、事前に連絡をしていなかったことで怒られた。帰りにコンビニでデザートを買ってきたから許してもらえたけれど。

「あと一時間以内にはお母さんも帰ってくると思うから」

 吹奏楽部で忙しい妹も、そろそろ帰ってくるころだろう。もうちょっと待ってて、ともう一度言うと、弟は唇をとがらせて「じゃあゲームしていい?」と言った。抜け目がない。

 仕方がないな、と立ち上がって弟と一緒にリビングに向かう。

 両親は共働きで、帰宅もそれほど早くない。まだ妹や弟が幼い頃は夕方には帰ってきてくれたけれど、私が中学生になってからは「江里乃がしっかりしているから」という理由で残業をするようになった。顔を合わせるのは朝と晩だけ。休日も部活だとかでよく家を空ける。

 それを不満に思ったことはない。世話を焼くのは嫌いではないし、家事も嫌いじゃない。けれど、弟はまだ小学生だ。それに、私だってまったくさびしさを感じていないわけではない。

 弟がテレビゲームの電源を入れる。その後ろでソファに座り、作りかけの布巾を取り出した。

 私に刺繍という趣味ができたのは、必要に駆られたこともあるけれど、時間つぶしにちょうどよかったからだ。余計なことを考えることなく夢中になれば、時間が過ぎるのも早い。

 テレビ画面と向かい合いコントローラーを操作する弟の背中を見ながら、布に針を刺していく。

 今ここに私ひとりだったら、どれほど心細かっただろう。

 あと一時間もすれば母親が帰ってくるとはいえ、想像するだけで室内の温度がぐんっと下がっていく。
 先輩はどんな気持ちで今を過ごしているのだろう。

 私のことを救ってくれた先輩に、私はなにができるだろうか。先輩がいなければ、私は今も生徒会には顔を出せなかっただろうし、腹痛を我慢して無理をし続けていたはずだ。佐々木さんの気持ちを知ることもできなかったに違いない。

 先輩は私の今も、未来も、救ってくれた。

 感謝してもしきれないこの想いを、先輩にどう返せばいいのだろう。

 また、ちくりと布に針を刺す。吸い込まれるように刺繍糸が通り、そしてまた針を刺すとそこから伸びてくる。その繰り返し、そしてときに糸を針に巻き付け、柄を生み出していく。ピンク色の糸が、絵を描く。
 先輩の好きな人は、そのさびしさを和らげてくれるようだ。もしかしたら、今も一緒にいるのかもしれない。一緒に笑っているのだろうか。

 想像すると、少し胸がざわついた。

 体の中の、手の届かないどこかがうずく。

 先輩に想われている人は、どんな人なのだろう。あのサイドテールの女子だろうか。それとも別の人だろうか。

 誰にでもやさしい先輩が特別な感情を抱いているのだから、相手はきっと素敵な人なのだろう。

 私なんかよりもずっと。

 比較すると、泣きたくなる。羨ましくて、手を伸ばしたくなる。相手を想像なんてしたくないのに、イメージを膨らませ、自分との違いをひとつひとつ確認する。知らないのだから無意味なことだとわかっているのに。

 でも、それでもいい。

 それでも、先輩がさびしさを忘れて過ごせていることを、願う。

 感謝と、願い。

 この想いが、どういう名前のものなのか、わかっているけれど気づかないふりをして手を動かし続けた。気づいたところで、なんの期待もできない、惨めでむなしい感情に支配されるだけなのだから。

 咲きかけのつぼみでも、水を与えなければ朽ちていくはずだ。



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   感謝と願いって ステキですね
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   そんなふうに想い想われたいです
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「ま、間に合ったあ……」

 ぜえぜえと息を切らせながら教室に入る。いつもは誰もいないのに、今日はほとんどのクラスメイトがそろっている。

 それも当然で、今はチャイムが鳴る一分前だ。

「おはよ、珍しいね江里乃がギリギリなんて」
「希美、おはよ。ね、寝坊した……めちゃくちゃ焦ったよー、お父さんに車で駅まで送ってもらってなんとか、って感じ」

 よろよろと席に座り、呼吸を整える。

 まさか私がいつも家を出る時間に目を覚ますことになるとは。時間を見た瞬間叫び声を上げてしまった。父親が車通勤だったので、無理を言って普段より早めに家を出てもらってなんとかという感じだ。

「江里乃が寝坊って。さてはドラマ止められなかったんでしょー」
「まあ、そんな感じ。ついつい、ね」

 ははは、と乾いた笑いを優子に返す。

 交換日記の返事を書いて、さあ寝よう、とベッドに入ったけれど布団の中で先輩の想い人のことばかりを考えてしまい、これではだめだと刺繍をはじめた。睡魔に襲われるまで手を動かし続けないと眠ることができなかった。おかげで就寝は朝方だ。

 なんでこんならしくないことをしてしまったのか。

 それに、交換日記の返事もあんなこっぱずかしいことを書いてしまった。遅刻ギリギリだったせいで返事を靴箱に入れることはできなかったけれど、そのぶん、あの返事を消して別の内容を吟味しよう。

 でも、できれば今日は先輩のことを考えたくない。

 じゃないと、ペースが乱れてしまう。私が私でなくなってしまう。




 なのに。

「江里乃ちゃん、今日デートしない?」

 授業が終わってすぐに先輩が教室にやってきて大きな声で私を誘った。デート、という言葉に優子が「え? なになに? そういうことなの?」と私の肩をバシバシと叩く。そのおかげで、慌てふためきそうになった自分を制することができた。

「なんなんですか、急に」
「せっかくだし一緒に帰らないかなって」
「……いいです、けど」

 せっかくだし、の意味はわからないけれど。

 幸い今日は生徒会はないし、希美も優子も彼氏と約束があるのでひとりで帰る予定だった。でも、どうして私を誘うのだろう。疑問を抱きながらも、断るという選択肢は浮かばず頷いた。

 先輩は「これもデートじゃない?」とまた私を惑わすようなことを言う。私をからかって遊んでいるだけなのだと結論づけて、能面のような顔で「さっさと帰りますよ」と教室を出た。先輩の一挙一動にこれ以上振り回されたくない。

 昇降口を出ると先輩が「さむ」と言って顔をしかめて肩をぎゅっと寄せた。先輩のチャコールグレーのマフラーがぱたぱたとなびく。

「あー、海とか行きてえなあ」
「え、いやですよ。寒いじゃないですか」

 信じられない言葉にぎょっとする。真冬に海なんて正気の沙汰ではない。

「じゃあ、夏になったら海でも行くか」

 これは、今年の夏の約束なのだろうか。ただの社交辞令なのだろうか。受け止めかたがわからなくて、ぼかした返事をする。けれど、先輩はそれに満足したのか「いいな海」と白い息を吐き出して、脳裏に海を思い描いているのか目を細めた。

 海辺で、先輩はきっとはしゃぎ回るだろう。スイカ割りとかしたがりそうだ。ビーチバレーとかも。あと山盛りの焼きそばとか手にしている姿も自然と浮かぶ。

 白い砂浜、青い空、透き通る海。その中で太陽みたいに笑う先輩。

「でも先輩は、山のほうが似合いそうですね。緑のイメージです」
「じゃあ、山も行くか」

 返事が軽すぎて、結局その程度の気持ちで誘っているのだと思った。きっと誰にでも同じようなことを言っているのだろう。

「でも江里乃ちゃんがそう言うなら、今度は緑色に染めてみよっかな」
「卒業式を控えてるんだからやめてください」

 桑野先生が泣いてしまう。それに私たちは先輩を知っているからまだしも、保護者の方々は目を丸くすることだろう。せっかくの卒業式なのに、先輩の緑色しか 記憶に残らないかもしれない。

「でも目立つだろ」
「今のカフェオレ色で十分目立ってますから大丈夫ですよ」
「もっと早くこの色にしとけばよかったよな、俺」

 自分の髪の毛を一房つまんで、先輩が光を当てる。

「この色にしてから江里乃ちゃんと仲良くなれたし。黒髪のときは、俺のこと毛虫を見るみたいな目で見てたもんな」
「……そこまでは思ってないですよ」

 たしかに今みたいな関係になったのは先輩が髪の毛を染めてきた日だった。ついでにポエムノートを拾った日だ。

「先輩が初対面で窓からやってきたから、なにをするのかと警戒してただけです」

「俺はその前から江里乃ちゃんのこと知ってたけどな。生徒会の選挙とか、たまに廊下を走っている生徒に注意したりしてるの見かけたし」

 そんなところを見られていたのかと思うと、ちょっと恥ずかしい。

「自分にも他人にも厳しそうな子だなって思ってた」
「よく言われますね」

 自分ではそんなつもりはないけれど。みんながそう言うならきっとそうなのだろうとも思っている。特に先輩に〝気持ちを添える〟ことに気づいた今では、厳しく思われていたのも納得だ。

 付き合っていた人に言われたトリプルパンチも、原因がわかった。

「もっと前からこの色だったら、去年の夏に一緒に山に行けたかもしれねえのにな。そしたらもっと江里乃ちゃんと一緒に過ごせたかも」

 それは、どういう意味なのか。

 反応を返せずぽかんとしてしまう。その瞬間、先輩の顔が引き締まり真剣な表情に変わった。その瞬間、先輩の手が私の肩に回される。

「わ!」

 ぐいっと引き寄せられ、先輩の胸に倒れ込むように抱きしめられた。

 な、なになになに? パニックで声が出ない。うわああ、と心の中で叫び声を上げると、背後を車が通り過ぎるエンジン音が聞こえた。

「あぶね、大丈夫か?」
「あ、は、はい。ありがとうございます」

 なにを、勘違いしたんだろう私。抱きしめられたかと思うとか先輩はバカみたいに突っ立っていた私を、車から守ってくれただけだ。羞恥で今すぐコンクリートを掘りたい!

 ぐちゃぐちゃになった気持ちを静めながら、歩きだした先輩の背中についていく。

「やっぱり、ひとりよりふたりのほうがいいよな」
「なんですか急に。でも、先輩はいつも誰かと一緒にいるじゃないですか」

 ひとりでいる姿を見るほうが珍しいくらいだ。

「ひとりでいるとさびしいから、誰かと一緒にいたくなるだろ?」

 先輩は、振り返らずに前を見たまま答えた。

「でも、結局ひとりになるよな。いつかはさ」
「そう、ですね」

 四六時中誰かと過ごすのは難しい。もちろんそうでない人もいるだろうけれど、少なくとも先輩の場合は、ひとりで過ごさなくちゃいけない時間が必ずある。

「そのさびしさをどうやってなくせばいいと思う?」
「……なくならないんじゃないですか?」

 と、口にしてしまったと思った。元も子もない話になってしまう。

 でも――ほかに言葉は思い浮かばなかった。

 だって、さびしさはゼロになんてならない。私でさえも感じるものだ。様々な原因で誰しもが抱く感情のはず。

 たぶん、解決策はない。それを取り除くことはできない。だから。

「それよりも楽しい想いをたくさん感じたらいいんじゃないですかね」

 無心で刺繍に励むとか、楽しい思い出の蓋を開けてみるとか。ひとつよりもふたつみっつと、増やしていけば、さびしい時間は減っていく気がする。

 こんな答えでいいのだろうかと思っていると、先輩がくるっと振り返った。

 目を細めて、愛おしむみたいなやさしいまなざしに心臓がわしづかみされる。


「じゃあ、江里乃ちゃんが一緒にいてくれたらいいよ」


 そう言って先輩は私の手を取り、再び前を向いて歩きだした。

 ――もしかして。

 自意識過剰かもしれない。けれど、そうとしか考えられない。

 ――先輩の好きな人って。

 視界で、なにかがパチパチとはじける。その先にいる先輩が光を放っているように見える。

 ――先輩の好きな人って私なんじゃないの?

 本当に? 思い違いじゃない? なんで? いつから? どういうこと?

 先輩が交換日記に書いていた相手が自分のことかは、わからない。先輩にあれほど想ってもらえるようななにかなんか、知らない。


 でも、どう考えても私なんじゃないの、という思いが拭えない。

 だって、そうだったらうれしいから。


 先輩のことを好きになっても無駄だと思った。だって先輩にはほかに好きな人がいる。そんな人を好きになっても、なんの見込みもない。それならば、気づかないふりをして、逃れようがないほど芽生えていた気持ちも目をそらしてごまかし続けてなかったことにしなければと思った。そうできるはずだと、信じて。

 でも、もしも。

 もしも先輩の好きな人が私なら?

 だったら、先輩への気持ちを認めても、いいんじゃないの?

 それって、両想いってことだよね。


 そう思った瞬間、胸から好きの気持ちがあふれて止まらなくなった。つながれた手から、色とりどりの花が咲き開き広がっていく。私の世界が突然、彩りあふれたものに変わっていく。

 それは、先輩と別れてひとりになってからも、家に帰ってからも。

 抱えきれずこぼれた想いをすくい集めて、ペンを走らせた。



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   先輩 私にもわかってきたかも
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   私も そんなふうに想う人が
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   好きな人が できました
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