どうやら、チビるのを止められなくなったようで、下半身丸出しでおしっこを垂れ流したまま、中年太りがようやく私達に情報をポツリポツリと話し始めます。
「忘れもしねえ……あれは一昨日の事だ」
そんな最近の事、忘れなくて当然です!
忘れもしねえなんて言うから、どれだけ前の事かと思ったじゃないですか。
「その日は丁度、この辺りを支配している魔獣コングデビルとの取り引きの日だったんだ」
魔物と取り引き……世界道具屋大全にも載ってたやつです。
道具屋だけでなく、武器屋や防具屋も、魔物と取り引きをするってやつ。
「聖なる泉とこの村は、コングデビルと取り引きをする事で、襲わないという取り決めだったんだが……のっぴきならない事情で、取り引きをすっぽかしちまってな」
「なるほど、それで魔物が怒り狂って、聖なる泉を占拠しちまったってわけか。だが、もう一度取り引きを行えば良いだけじゃないのか?」
このおもらし中年太りの取り引き一つで村の存亡の危機とか、やってられないですね。
一体どれだけチビれば気が済むのか、汚ねえおしっこが私の足元にまで迫ろうとしていますよ。
しかし、マスターの言う通り、どうして再度取り引きをしなかったのかも気になります。
「いやあ、ダメだ。コングデビルは時間に厳しい。うちのじいちゃんが昔、やつとの取り引きの時間に10秒遅刻しただけで、うんこを投げ付けられてな……それから2年は匂いが取れなかったんだ。恐ろし過ぎて、とても行けねぇよ!」
それくらい行けっ!!
うんこの匂いが取れないのが嫌で、村を壊滅の危機に晒してるんですか!
なんて道具屋なんですか、この中年太りは!
「そ、それは恐ろしいぜ……行けないという理由もわかるってもんだ!」
もう、のぼるは黙っててください。
「ところで、のっぴきならない事情って何だったんですか? コングデビルとの約束を守らなければ、どうなるかわかっていたはずなのに」
遅れたらうんこを投げ付けられるって知っているのに、どうして取り引きをしなかったのか、そこがわかりません。
「……黙ってたら死罪なんだろ? わかってるさ。忘れもしねえ……一昨日の朝だ。前日までこの村に滞在していた旅芸人の一座。その中の踊り子のマチルダちゃんがよぉ、皆がまだ寝ている時間に、村はずれの泉で水浴びしてやがったんだ!コングデビルとの取り引きがある……だけど、このチャンスを逃すと、永遠にマチルダちゃんの裸なんて拝めないかもしれねぇ」
……何だか話がおかしな方向に向いて来ましたよ。
マスターも、呆れたような表情を浮かべています。
「お、おおっ! それからそれから!?」
こんな話に食いつくのぼるが、伝説の勇者だなんて世も末です。
「当時俺は若かった……村の安全よりも、一人の女を選んだってわけさ」
いや、一昨日の話ですよね?
しかも、なんかかっこいい風にまとめようとしてますけど、中年太りは覗きに行っただけでしょ?
どこにも共感出来る部分がないんですけど。
顔がどこか二枚目風になっているのが腹が立ちます。
相変わらずチビり続けているのに。
「ああっ! もう焦れったい! で!? マチルダちゃんの裸はどうだったんだよ!」
マチルダちゃんはどうでも良いんですよ!
のぼるは一体何を聞きたいんですか!
「マチルダちゃんの裸は……そりゃあもうマーベラスだったさ。寝ぼけていた俺の心と身体がグッモーニンさ。あの衝撃と興奮……忘れない」
「おぉ……マーベラス」
中年太りものぼるも、何を想像しているのか、うっとりとした表情で笑みを浮かべています。
こんなやつに大役を任せるから、こんな事になってしまうんですよ。
「マ、マスター。どうすれば良いんでしょう」
私が尋ねると、マスターはため息を吐いて中年太りに手を差し出しました。
「……取り引きの物をよこせ。お前が行けないなら、俺が代わりに行ってやる。聖なる泉にはどうせ行くつもりだったからな」
こんなスケベな中年太りの代わりに、私達が危険に晒されるなんて嫌ですが……聖なる雫を持ち帰らないといけないんですよね。
「あんた、コングデビルのうんこの臭さを甘く見るんじゃねぇよ! じいちゃんはあまりの臭さでメシが食えなくなって衰弱し、3年後には死んじまったんだ! 匂いが取れても、その時にはもう手遅れさ!」
確かに、2年も匂いが取れなくなるとなったら、食事どころじゃないですね。
どんな魔物よりも凶悪かもしれません。
「だったらお前が行くのか? わかってないようだから言っておくが、本来俺達にここまでする義理なんてない。コングデビルに占拠されていようとも、聖なる雫を手に入れさえすれば良いんだからな」
確かに、マスターの強さなら、どんな魔物がいても難なく素材をゲット出来そうな気がします。
マスターの力量を、この中年太りが見誤らなければ、素直に頼むはずなんですけど。
「い、いや、ダメだダメだ! 同業者を危険に晒すわけにはいかねぇ!」
あ、見誤った。
マスターがここまで歩み寄っているのに、何なんですかねこの中年太りは。
きっと、道具屋ランクが低いに違いありません。
【道具屋ランクとは】
世界道具屋協会が定める、道具屋としてのランクである。
道具の調合、素材調達等、様々な項目をクリアした者に与えられる称号である。
これが高ければ高いほど、世界道具屋協会から受ける恩恵は大きくなる。
なお、全ての回復アイテムを調合し、全ての素材を調達出来るのは、伝説の道具屋スミス・シュナイダーだけというのはあまりにも有名な話である。
(世界道具屋大全より抜粋)
この中年太りは、最低のFランクだと思います。
詳しくは知らないけど、きっとそう!
マスターと中年太りの話は平行線。
素直に任せれば良いのに、どうしてこんなに突っぱねてるんですかね!?
でも……そんな中、あのバカが口を開きました。
「おっさん、ここは俺達に任せなよ。なんたって俺は……伝説の勇者のぼる様なんだからよ!」
スライムにも勝てない、最弱の勇者ですけどね。
どうしてこんなのが伝説の勇者なんだか。
運命のイタズラにしても、神様の気まぐれにしても、限度って物があるでしょ。
これは世界に対する暴挙ですよ。
だけど、そんな事を知らない中年太りは、のぼるが見せたお尻のハートのアザを見て驚きました。
「そ、その印は! 間違いない……伝説の勇者様だ! そ、そうか、勇者様がいるなら、コングデビルだって恐れるに足りんぞ!」
いや、今まで通り恐れていた方が身の為ですよ。
スライムにも勝てない勇者が、そんな強そうな魔物に勝てるわけがないんですから。
「俺がコングデビルと取り引きして来てやる。それで……成功報酬として、今度またマチルダちゃんがこの村に来たら、教えてほしいんだけど……」
「うわぁ、死ねばいいのに」
こんな伝説の勇者、死んでしまえば良いのにと思ったのは内緒にしておきます。
心の声が漏れたような気もしますが。
のぼるの弱さを知らない中年太りから、取り引きに使うアイテムを受け取りました。
それは、小さな瓶に入った液体。
この液体を届けなかっただけで、コングデビルは怒り狂ったのです。
道具屋としてまだまだ見習いの私にはこれが何かわかりませんが、これがそんなに欲しかったんでしょうか?
「ヘイヘイ! じゃあサクッとコングデビルと取り引きしてこようぜ! あ、俺はバトルになった時の為に体力を温存するから、マスターが先頭で頼むぜ!」
HP1のどこに温存する体力があるんですか。
山を登るだけで死にそうな伝説の勇者は正直お荷物です。
「お、俺も一緒に行けたら良いんだがな……持病の深爪が……」
そう言って、顔を歪めて右手の指を押さえます。
言うに事欠いて、深爪ですか。
チラチラと様子を窺うようにこちらを見ているのがますます腹が立ちます。
もう、中年太りも黙っていてください。
「やれやれ……まあ、これも道具屋としての仕事の一つだ。未来には良い勉強になるだろう」
小瓶を道具袋の中に入れて、窓から霊山セイナールを見上げたマスター。
周りがショボいやつらばかりなせいか、ハゲ頭がいつもの三割増で輝いて見えます。
おもらし中年太りのせいで、壊滅の危機に陥った村を救うために、フモート村から霊山セイナールの参道に入った私達。
聖なる泉までは一本道。
コングデビルも一昨日からそこにいるとの事で、実に無駄のない展開です。
参道を歩き始めて数分……突然異変が!
「お、俺はもうダメみたいだ……体力の限界だよ……すまねぇ、マチルダちゃん」
のぼるのHPが0になろうとしていました。
なんと言うか……ここまで虚弱な人間を見た事がありません。
勇者とかいう以前の問題です。
「……未来、回復薬をくれてやれ。もちろん金は取れよ。慈善事業じゃないんだからな」
マスターも人が良いんだから。
こんなやつ、そこら辺に転がしておけば良いのに。
だけど、マスターがそう言うなら、私はそれに従うまでです。
私の道具袋から回復薬を取り出して、のぼるに手渡します。
「す、すまねえ……でも、それを持つ力もないみたいだ……ぜひとも口移しで……」
目を閉じ、唇を尖らせたのぼる。
無言でその唇に回復薬の瓶の口を突っ込み、無理矢理飲ませて体力を回復させます。
「あばば……お、溺れる……た、助け……」
急に口の中に入って来た回復薬で、溺れそうになりながらも、何とか体力を回復する事が出来た様子ののぼる。
とりあえず、さっきの気持ち悪い顔を見せた罰として、ビンタをしてやりました。
のぼるの最大HPは7、私のビンタでのダメージが4。
早くも生命の危機です!
ですが、私は商売の為にのぼるにビンタしたわけじゃありませんから、これは禁止事項には当たりません。
のぼるが弱過ぎるだけなんです!
「はぁ……はぁ……俺、この冒険が終わったら、真面目に身体を鍛えるんだ」
山登りをしているだけで顔色が真っ青になっているのぼるが、半笑いで呟きます。
ええ、ぜひそうしてください。
私でさえ、しっとりと汗をかいているだけだって言うのに、どうして伝説の勇者が瀕死なのか理解に苦しみますから。
「楽に身体を鍛えられる道具が……あるって聞いてさ。なんとお腹に巻くだけで、300回分の腹筋運動が、わずか1分で出来るらしいじゃないか!これで俺も、憧れのシックスパックが手に入るってもんだ!」
……思いの外元気ですね、この生ける屍は。
そんな楽して理想の肉体が手に入るわけないじゃないですか!
運動不足を気にして購入したものの、それに頼りっきりになって、ますます動かなくなるのが目に見えています!
【商品No.102:EMS(えれーマッチョにしてやる)マシン。ベルトタイプ】
ダイエットを始めようと、場所を取るフィットネス器具を購入したものの、続かなくて置物になってるそこのあなた。
根気がなければ続かない、そんな物とはもうおさらば!
このEMSマシンは、お腹に巻くだけで腹筋運動300回分を、たった1分で出来ちゃう優れ物!
伝説の道具屋スミス・シュナイダーも愛用し、鋼のような肉体を作り上げたと言われるこのアイテムを、定期コースに加入して頂くだけで、今ならなんと19800G!
さらに、毎月魔法のシートをお届けします!(別途料金が発生します)
(「道具カタログ第31号」より抜粋)
なんだか、のぼるがいるだけで話が進まないような気がします。
なので無視して山を登る事にしますね。
霊山セイナールを登り始めて30分。
聖なる泉まで、一直線の道を歩いていますが……突然、上の方から大きな岩が転がり落ちて来ました!
「わ、わわっ! マスター! どうするんですか! 岩が、岩が!」
ゴロゴロと派手な音を立てて、私達に向かって来ます!
「こいつぁ……魔物の仕業だな。横に飛べっ! こんなの食らったら、お前らじゃあひとたまりもないぞ!」
「は、はいっ!」
マスターの言葉に、慌てて道の脇に飛び退きます!
草の上に滑り込み、木の陰に隠れてなんとか一安心。
「ヘブンッ!」
……のぼるは避け切れずに直撃を食らったようです。
岩に巻き込まれて村まで戻されると、岩の進路上にあった道具屋に直撃して、家屋が倒壊してしまいました。
ま、まあ……のぼるがいなくても大丈夫ですし、私はマスターに食らいついて登るだけです。
「まずいな……岩を転がされ続けたら、フモート村が壊滅しちまうぞ。疲れるのは嫌だが、そんな事も言ってられねえな」
ブツブツと独り言を呟いたマスターが、覚悟を決めた様子で道の真ん中に飛び出しました。