月蝶の番人ー蝶の守り人と月夜の巫女姫ー


 あぁ……。
 わたくしの、愛しい愛しい旦那様。

 もし、旦那様がそうする(・・・・)のなら、わたくしは。
 一日に千の命を、散らしましょう……。




 消え()ぶ魂鎮めは白銀(しろがね)

 つづしり遊ばす天津歌(あまつうた)

 金引(かなび)罪代(つみしろ)など僭上(せんじょう)なり

 (いまし)()ぐは(あわ)月影(つきかげ)

 数多(あまた)返したり避けらぬ別れに

 汝の清亮(せいりょう)なる夢歌を――

【訳】
死ぬほどに辛く思い、少しずつ歌うのは銀色の月がお詠みになる天界の歌である。

罪滅ぼしなどと人の心を試すのは贅沢である。

貴方に祈るのは、消えゆく月明かり。

何度も繰り返している避けらない別れに、貴方の清らかで澄んだ夢の歌を――。

「陽炎草子ー序巻・月蝶の番人と転生譚ーより」
*†*


 それはあまりにも理不尽だと、幼いながらもそう思った。

 昼間であるはずなのに、空はどんよりと重たい雲に覆われ、ざあざあと止まぬ冷たい雨を落としている。

 もう、幾日(いくにち)も雨は降り止まない。
 (かさ)の増した川の水流は、ごうごうとうねるような波をたてながら過ぎて行く。

 地盤が長雨で緩み、今にも崩れ落ちそうな川岸に置かれた脆く寂れた祭壇(さいだん)は、時折足元が揺れて恐ろしい。

 そこに立たされているのは六歳くらいの、まだあどけない少年二人だ。

 二人は互いにぎゅっと、震える手を強く握りあう。

 そして、恐怖で引き吊る顔のまま、じっとただ成す術もなく川の激流を眺めていた。

「……どうして……誰も、いてくれないの……?」

 降り返ったうちの一人が周囲を見渡して、ぼそりと今にも泣き出しそうな声で呟く。

 それを隣で聞いていたもう片方の少年は、何も答えることが出来ず、ただしっかりと手を握りしめた。

 ことの始まりは、数日前。

 今は長雨に見舞われ易い梅雨の只中。
 雨が多くても、致し方ないだろう。

 けれども、たとえ梅雨の時期であろうとも、雨がなく晴れ渡った穏やかな日がわからなくなるほど降り続くのは稀だ。

 異常ではないかと、里の大人達が言っていた。
 長雨で緩んだ山肌は徐々に崩れ去り、川の堤防もいつ崩れてもおかしくない。

 もしそうなれば、決壊した堤防から濁流が流れ込み、さらには地滑りを起こした山の土砂に里は埋もれてしまうだろう。

 このままだと、里は全滅だ。
危機感を募らせた大人達は、長雨とこれから起こるであろう災害を食い止めるため、水の神に生け贄を差し出すことを決めた。

 そう。
 それが、今ここにいる二人なのだ。

 選ばれた理由など、至極単純。

 二人は、生まれを忌み嫌われる双子だったから。

 両親からも疎まれ、里の者達にも疎まれる。

 居場所など、どこにもなかった。

 今回の決定は、二人の厄介者払いだ。

 だからなのだろう、見送る者など誰一人としてない。

 ここに二人して引き摺られて捨て置かれ。
 挙げ句、自分で勝手に生け贄となりさっさと死んでくれ。

 そういうことなのだろう。

 これが、大人か。
 冷酷極まりない。

 けれども、ちっぽけな子供でしかない自分達は声も荒げることも、どうしてと大人達に問うことすらも許されない。

「…………ね、知ってる?
鏡の向こうにある、もうひとつの世界のお伽噺」

「……?」

 ぎゅっと、さらに強く手を握りしめ、唐突に問うた声に、思わず眉間にしわを寄せる。

 そして、片割れの顔を訝るように眺めた。

「何で?」

 一体どうして、こんな時こんな状況で?

 正気かと、訝る片割れの疑問など露ほども知らない彼は、またさらに緩慢に口を開いた。

「カゲロウ。
現世で悲惨な末路を辿った生け贄達が、神様に拾われて、もう一度鏡の向こう側へ輪廻するってお伽噺」

 生け贄の行く末の物語。

 知っている。
 子供達を寝かしつける、寝物語として親が語って聞かせる物語だ。

 自分達は、語って貰えなかった。
 しかし、里の子達がそれを話しているのを聞いたらことがあるから、知っている。

「もし、ね。
そのお伽噺が本当なら……もう一度。
もう一度、同じ時に同じ場所で、巡り逢えるかな?」

 彼は、ゆっくりと俯けていた顔を上げ、少しだけ悲しみの帯びた表情で笑った。

 あぁ、もし。
 もし、そうであったなら。

 もう一度、巡り逢いたい。
 同じ双子でなくてもいい。
 人間でなくとも、鳥でも虫でも構わない。

 同じ世界の同じ時に巡り逢えたなら、それでいい。
 きっと、お互いのことはわかるから。

 だから、願う。
 もう一度、巡り逢えますように――。



 *†*


 月の柔らかな蒼白い光が照らし明かす、その場所で。

 ひらりと、同じ月の光を身に纏う小さな蝶が二匹、ゆっくりと寄り添いながら舞っていた。

 紺色の夜空には満天の星。

 時折優しく吹き渡る風に、ふわりと紅い花びらが無数に舞い上がり、とても美しい。

 その花びらは、優しい月明かりに見守られるように咲き乱れる、彼岸花のものだ。

「可哀想に。
皆と同じ場所には、還れなかったのか……」

 美しいその風景に佇み、蝶を見守っていた青年が静かな声で呟いた。

 ひらひらと舞っていた蝶は青年を見つけたのだろうか、ゆっくりと差し出された手に舞い降りる。

 まるで、舞い疲れた(はね)を休めるかのように。

「おいで。
もう一度お前達の魂が現世に還るまで、俺が守ろう」

 次に転生出来るまで、疲れて傷ついた魂の月蝶を守り、癒すのは、その青年の役目だ。

 神様により選ばれた、『月蝶の守り人』の____。



 その後、生け贄として捧げられた双子の少年の行く末は、誰も知らない――。
 いつも、夢を見る。
 ざあざあと、雑音だけが鳴り響く、ひどく耳障りな夢を。

 夢とは言うものの、いつでも映像はない。
 ただただ、暗闇の中で音が延々と鳴り響くだけだ。

 たまに、地響きのような音も雑音を掻き消すように混じる。
 そして、誰かの金切り声も。

 その夢は、簡潔に言うならば、絶望に満ちた誰かの場面を音だけで表現したようなものだ。

 けれど。
 夢から覚めたら、不思議とすぐに忘れてしまう。
 あんなに嫌な夢なのに、半日の間すら覚えていられないのだ。

 何か、ひどく残酷で、胸の奥がすうっと冷えていくみたいな悪夢を見た気がすると、ただそれだけの居心地の悪い感情として残される。

 でも、気のせいだろうか。
 それはまるで、夢を見た記憶の全てを、何かに(・・・)奪われるかのように思えてしまうのは――。


*†*


 そこは、月の満ち欠けのみが時を告げる、常夜の国。
 またの名を、陽炎(かげろう)という。

 太陽の女神・天照大御神が統べる現世と対極に存在する、月の神・月讀命(つくよみのみこと)が統べる国だ。

「消え()魂鎮(たましず)めは白銀(しろがね)の――……」

 ふいに、思わず聞かずにはいられないほど耳に心地いい青年の声が、(きら)めくような蒼の空間に響いた。

 満天の星のもとに煌々と輝くのは、気高き白銀の満月。

 紺色の夜の空の下でも、目にも鮮やかな色彩の紅が地平線の彼方まで敷き詰められていて、寄せ集められたそれぞれが風に吹かれ、ゆらゆらと、それは優雅に舞い踊って見えた。

 一際強い風が吹くと、紅いひらひらとした小さな何かが、ふわりと無数に舞い上がる。

 それは形は小さくても、とても色鮮やかな花びらだ。

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