茜が全てを占める世界。永遠に落ちることも昇ることもない太陽が赤く染め上げる黄昏の世界。本来人間のあるべき世界からは拒絶されていたはずの世界の均衡は突如として壊れた。

ありふれた日常、ありふれた学生、ありふれた帰り道、駅のホームで他の学生やサラリーマンと肩を並べて電車を待っている。そろそろ日が長くなってきたように感じる梅雨明けた夏前のまだ暑さは本格的に猛威を振るわず、湿度が下がって少し過ごしやすくなったと思えるようなそんな時分。
相変わらず席の空いていない電車に乗り込みつり革も持たず、壁に寄りかかっている。電車は駅を出発して少しすると長く緩い坂に差し掛かる。小高くなっている丘から海岸線まで真っ直ぐ続く線路。今日は窓から覗く斜めの太陽が一段と眩しく感じる。あまりの眩しさに手でその光を遮ると鈴の地面に落ちる音が聞こえた。
視線を足元に向けるが何も落ちていない。それよりもさっきまで近くに立っていた学生のローファーや、サラリーマンの革靴も何も視線に入らなかった。ふと視界を覆っっていた手をどかすと、電車には誰も乗っていない、まるで初めから誰も乗っていなかったように。窓の外に視線を逸らすとさっきよりも眩しい光で視界が真っ白に染まる。視界に色が戻ってくるとそこには森が広がっていた。さっきまでの住宅地も海岸線もどこにもない。するとまた鈴の鳴る音がする。さっきよりも大きく。再び車内に視線を戻すと七人掛けの椅子の真ん中に巾着が置いてある。そしてその巾着の口を閉めている赤い紐に鈴が結びつかれている。慎重に近づいていきその巾着に手を伸ばすとふと男の子の笑い声が聞こえたように感じた。ふと脳に少し色の落ちた青色の袴を着て、赤い巾着を携えている男の子のイメージが浮かぶ。
「返さなきゃ」
自分でも知らないうちに口がそう動いていた。
すると口を塞いでいた紐が急に外れ、中が覗く。屈み顔を寄せて中を覗くと中にはビー玉が三つ入っていた。直径三センチくらいありそうな大きなビー玉。切れた紐と鈴を拾う。鈴を手の平で転がしていたら、小さく鈴が鳴った。すると鈴は宙を浮くように巾着の方へと飛んでいく。鈴が巾着にぶつかると、その周りの空気が歪んで収縮していき、消失してしまった。すると箏を強く弾いたような乾いた音が鳴り、一振りの刀が表れる。
さっきの巾着のような柄をもつ鞘に目が惹かれてしまう。鞘と柄の間はさっきの赤い紐で括り付けられていて、これじゃあ刀身を表に晒すことは出来なさそうだ。そして紐には鈴もついている。
急に電車はベルを鳴らした。速度も段々と遅くなってきている。どこか駅に停まるのだろうか。そして減速も終わり電車は完全に停車した。ドアが空いたので電車から体は出さずに辺りを確認する。駅ホームとはとても呼べないようなドアと同じ高さのコンクリートの地面が十メートルちょっと先まで続いている。屋根らしきものや駅舎らしき建物もない。すると電車のエンジンが止まるようなおとが聞こえた。車内の電気も消えている。外に出る勇気が中々湧かず刀を眺めながら何をすることもない時間を過ごす。
数十分くらい経っただろうか。私は決心して外に出ることにした。それでもやっぱり不安なので刀と一緒に降りることにした。両手で抱えることはできたがやっぱり重い、こんなのを振り回せる人が本当にこの世の中にるのだろうか。電車から出て、電車の方を振り向いてみたがそこには何も無かった。森がただ続いているだけである。再び視線を前に向けようと首を回すと、丁度目の前を刀がよぎった。そして私から少し離れた位置の地面に突き刺さる。その衝撃で私の足元の近くまで地面のコンクリートにヒビが入っている。
それを見ていたらまた鈴の鳴る音が聞こえた。さっきよりも高い音のような気がする。ふいに前髪が揺れたと思ったら地面に刺さった刀の元に一人の青年が現れ、こちらを向いて一言放った。
「ようこそ、黄昏の、…いや、時の止まった世界へ」
それを聞いた途端、自分の中にある時計の針が動き始めたような気がした。