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「そんなもん見てんじゃねぇよ」


 不機嫌な声と共に、私の恋人であるタケルさんがテレビを消した。
 タケルさんと呼んでいる彼の本名は北瀬武龍(きたせたける)。
 名前負けしない凜々しい顔立ちの彼は、そこそこに良いスタイルと素晴らしい美声を用いて声優を営んでいる。


「まだ見てるのに」

「嫌がらせか」

「タケルさんのことはそんな真剣に見てないよ? 私、『ラブ×2キングダム』での推しはタケルさんじゃなくて、ミチル君のキャラだし」

「あんな小僧っ子のどこがいい! つーか不倫だ不倫」

「それで言ったら、5万人を前に愛の言葉を叫んだタケルくんも同罪では?」

「俺は仕事だから良いんだ。でも、ユリが言うのはだめだ……」


 私の言葉に、凜々しい顔がぎゅっと強張る。

 今年で三十七になるタケルさんは、この頃良くアニメやゲームのイベントに出ている。
 つい2年ほど前までは外画の吹き替えを中心に稼いでいたが、何気なく受けたソシャゲの仕事で人気が爆発し、今や押しも押されぬ超人気声優なのだ。
 無駄に歌がうまくて運動神経もあるため、ライブイベントでは重宝され気がつけばファンクラブの登録者数とTwitterのフォロワー数はうなぎ登りだ。


 そして今日はそんな彼が出ている恋愛ゲームのファンイベントを見ていたのだが、タケルさんはそれが不満らしい。


「ともかく、ライブ系のDVDは見るな」

「いいじゃん、アイドル感満載のタケルさんも私好きだよ」

「心にもないこと言うんじゃねぇ」


 言うなりDVDプレイヤーごとテレビから引っこ抜いて、タケルさんはトイレの戸棚にそれを隠しに行ってしまった。私は背が低く、棚に手が届かないのを良いことに、こっそり買った彼のグッズやDVDを彼はすぐトイレに隠してしまう。


 それに苦笑しながら、私は真っ黒になってしまったテレビをぼんやりと見つめる。
 黒い画面に映っているのは、地味でぱっとしない二十六才の女だ。
 容姿もほどほど、声もほどほど、そして稼ぎもほどほどという面白みのなさである。

 そんな私が何故人気声優のタケルさんと付き合っているかと言えば、合コンで何となく出会ってしまったからだ。
 とはいえそこで話が弾んだ訳ではない。何となくあぶれた物同士、何となく話し、何となく連絡先を交換し、その後何となくデートをしてそのまま「やるぞ」て言われて寝てしまった。
 当時のタケルさんはまだ売れない声優で、貧乏で、ちょっと小汚かったけれど、エッチは上手かった。

 たぶん、身体の相性も良かったのだ。
 だからそのままずるずると関係を続け、気がつけば彼が私の家に居座るようになり、そのまま何となく付き合っている形におさまっている。


 ――そう、私達の関係は全てが「何となく」だ。


 好きだと言われたことはないけど、嫌いじゃないから何となく一緒にいる。そんな関係だ。


「でも、それもそろそろ終わりかなぁ」


 思わず独り言をこぼしたのは、年々高まるタケルさんの人気に、気後れを感じているせいだ。

 何となく付き合っているだけなのに、妙に義理堅いタケルさんは『ずっと付き合っている彼女がいる』と公表している。マネージャーさんどころか社長さんとも会ったことがあるし、彼らと私の関係も今のところ良好だ。
 どうやら『ずっと付き合っている』という台詞を、ファンたちは愛に一途だと解釈し好印象らしい。
 実際は何となく付き合い続けているだけなのに、ファンの間では恋人に甘く尽くす一途な男という認識なのである。

 そうなってくると逆に別れる事も出来ず、ずっと「何となく」を継続していたが、タケルさんだってもういい年だ。そろそろ身を固めたいと思っているだろうし、さすがに結婚は「何となく」ですまさないだろう。
 もちろんできることなら別れたくは無いけれど、私は彼に「好き」だとか「愛してる」と言われた事はない。

 そう思っているのは多分、私だけだ。

 そして一方通行の愛にすがれるほど私は強くないし、何も言わないタケルさんにつけ込むには、彼の事を愛しすぎている。
 私は、彼に幸せになって欲しいのだ。

 となれば、さすがにそろそろ潮時だろう。
 タケルさんは口が悪いし不器用だから、付き合ってから結婚まで絶対に長い。
 それに人気絶頂の今の方が、絶対にいい人も見つかるだろう。

 そんなことを考えながら、私はぼんやりと3LDKのマンションを見回す。
 このアパートは亡くなった両親が私に残してくれた物だ。
 大学の時に天涯孤独になった私にとっては唯一の財産だが、一人暮らしの時はかなり持て余していた。
 だからタケルさんが居着いてくれて嬉しかったし、タケルさんはこの家を気に入っているようだった。

 だとしたら出て行くのは自分の方かなと考えつつ、私はこっそりスマホで賃貸を捜す。
 もし彼がこの部屋を気に入っているなら、この家は彼にあげたかった。ここ数年は生活費のほとんどを払って貰っているので貯金はいっぱいあるし、きっともうこの家に一人きりで住むのは寂しくて耐えられない。

 だから自分が出て行く前提で、ほどほどの女が暮らせそうなほどほどの住まいを捜しているが、なかなか良い物件は見つからない。


「やっぱり東京以外の場所かなぁ」


 思わずこぼすと、そこでバンッと居間の扉が勢いよく響く。


「お前、どっか行く気か?」


 妙に強張った声に驚きつつ、私はスマホをさりげなく隠す。


「旅行か?」

「うん、まあそんなとこ」

「誘われてない」

「誘ってないもん、タケルさん忙しいし」


 誤魔化しの言葉を重ねていると、不満そうな顔でタケルさんは私の横に座る。


「誘われたら、時間くらい作る」

「えー、別に良いよ」

「お前は諦めが早すぎる」

「『無理めなことはしない』が信条なので」


 だからこそ、何となく始まったタケルさんとの関係は居心地が良かったのかもしれないなとふと思う。
 何となく始まったからお互いへの期待値も高くない。だから自然な流れで側にいて、付き合って、一緒に暮らせていた。
 過度な努力が苦手な自分には、丁度良い関係だったのだ。


「お前の向上心のなさは凄いな」


 それにタケルさんは、そんな私を否定したりしない。褒めたりはしないが、貶したりもしない。
 ただ「お前はそういう奴だから仕方ないな」くらいのテンションで受け入れてくれる。
 ただ今日のタケルさんは、いつもと何かがちょっと違った。『お前がそう言うなら好きにしろ』と流すかと思えば、私の方に身を寄せてくる。


「じゃあ俺が無理するから、旅行に行くぞ」

「え?」

「と言っても近場になるが」

「え?」

「驚きすぎだろ。あと雑に相づち打つな」


 別に雑に言ったわけではなく、純粋に驚いたのだ。
 だってタケルさんも、私のように普段は無理をしないタイプだ。仕事ではもの凄く頑張るが、プライベートでは常にダウナーで頑張らない男なのである。


「タケルさん、そんなに旅行したかったの?」

「俺だって気分転換位したい」

「そっか」

「で、どこがいんだ」

「近場だと……熱海?」

「また渋いとこつくな」

「秘宝館に行ってみたいな」

「お前、そういうの好きだよな」

「だって秘宝だよ。R18だよ」


 子供の頃から行ってみたかったが、何となく機会を逃してきた場所だ。
 だから何となく付き合っている彼氏と行くには、丁度良い場所な気がした。


「じゃあお前の休みに合わせて来週行くぞ。熱海なら、急でもホテル取れるだろ」


 言うなりホテルを検索しだしたタケルさんのスマホを覗き込みながら、私たちは宿泊先を決める。


 嘘から始まった旅行なのに、あれこれ言いながらホテルを捜すのは楽しかった。予約を済ませる頃にはすっかり旅行が楽しみになってしまっていた。


「貫一お宮之像も見ようね」

「また渋いところつくな」


 何が良いんだと文句を言いながらも、きっとタケルさんは一緒に像を見てくれる気がする。

 そんなことを考えながら、私はふと思う。
 もし像の前で別れ話を切り出したら、彼も少しは怒ってくれるだろうか。
 こんな場所で言うなと、寛一のように私を蹴ったりしてくれるのだろうかと。
 暴力は嫌いだけれど、タケルさんになら蹴られたいと思う私はちょっと異常なのかもしれない。
 何となく始まった恋だから何となく終わるべきかもしれないが、別れを切り出したときくらいは、ドラマチックであってほしかった。


「タケルさんって、もの凄く怒ったときは手が出る派? 脚が出る派?」

「どっちもでねぇよ。お前に手なんてあげたことないだろ」

「確かにそうだね」


 じゃあやっぱり私達は何となく別れるんだろうなと、ほんの少し寂しい気持ちになった。