名古屋錦町のあやかし料亭~元あの世の獄卒猫の○○ごはん~

 楽しかった。

 妖達と出会ってから、本当に楽しい日々ばかりだ。

 まさか、自分のご先祖までもが妖で健在しているとは思いもよらなかったけども。

 恋人の火坑(かきょう)が営む小料理屋楽庵(らくあん)で、大いに祖先の空木(うつぎ)やサンタクロースと飲み食いしたら。

 守護である座敷童子の真穂(まほ)も帰ると言って退散してくれて。

 今、楽庵には美兎(みう)と火坑の二人きりである。火坑はコーヒーを淹れるのにわざわざ豆をミルで挽いていたのだった。


「『かごめ』の季伯(きはく)さんよりは劣りますが」
「火坑さんのだから、いいんです」
「ふふ、ありがとうございます」


 そして、以前の初デートで一応クリスマスの早祝いはしたとは言え。

 クリスマス本番と重なった今日、改めてお祝い出来るのがとても嬉しい。会社の先輩、沓木(くつき)に教わって作ったブッシュドノエルはうまく出来たはず。

 コーヒーを淹れてから、切り分ける前に火坑が箱から出したのだった。そして、猫顔の笑みが一旦停止のように見えたのだが。


「……火坑さん?」


 何か食べれないものでもあったのだろうか、と思ったが。美兎が声をかければ、はっとわかりやすい感じに正気に戻ったのだった。


「! すみません……見惚れていました」
「え、ええ? 初心者が作ったケーキですけど」
「とんでもありません。一生懸命、僕やご自身のために作ったケーキです。初心者とは言え、充分凄いですよ?」
「あ、ありがとうございます。会社の……いつもマカロンを買って来るお店の、パティシエさんが彼氏さんの先輩に。教わったんです。甘さも控えめにして、主にビターチョコを使いました」
「それはそれは! きっと、いえ、絶対美味しいですね!」
「ふふ。コーヒーが冷める前にいただきましょう?」
「ええ」


 そして、火坑が丁寧に切り分けてくれたブッシュドノエルの中身は。

 生クリームが使ってるが、出来るだけビターテイストに抑えてみて。コーヒーとは絶対相性がいい味にしたのだ。練習で沓木に味見してもらった時もお墨付きがもらっているし、美兎が本番で作ったこれも味見はきちんとした。

 料理全般に言えることだが、味見はこまめに。

 沓木と言うか、沓木の彼氏がよく言う言葉だそうだが。たしかに、それはそうだと美兎も作ってみて納得出来た。

 隣に座った火坑が、丁寧にフォークでひと口すくい。まるで宝石のように眺めてから、ゆっくりと口に入れてくれた。

 反応が気になって、食べずに待っていると猫顔の彼の表情が輝いたように見えた。


「ど、どうですか?」
「美味しいですよ! ビターチョコの風味が強く、甘過ぎず僕好みです! クリームも丁寧に泡立てたのがわかるくらい滑らかです!」
「そ、そこまで大袈裟なものじゃないですけど……」
「いえいえ。謙遜なさることはありませんよ?」


 ふふ、と涼しげに笑うのだから余計に美兎の頬に熱が上がりそうだった。

 真冬なのに、エアコン以外で少し熱く感じたので。火照りを誤魔化すように、美兎もケーキをひと口頬張る。たしかに、沓木に習った通りに美味しく出来ていた。


「美味しい」
「美兎さんの気持ちも籠もっているからですよ。料理には、食べて欲しい相手への思いが素直に出やすいんです」
「そうなんですか?」
「はい。僕は美兎さんはいらっしゃった時は、いつも美兎さんを想って作らせていただいています」
「も、もぅ、火坑さん!」


 恥ずかしくて顔を覆っていると、一瞬風が吹いたので誰かが来たのかと思えば。

 手を外したら、人間の姿の火坑が目の前にいた。

 このタイミングでそうなった、となると彼の行動はひとつ。

 美兎が手を離した隙をついて、美兎の顎に手を添えて。軽く、ほんの軽く美兎の唇に自分のを重ねたのだった。


「……美兎さんの唇はクリーム以上に甘いですね?」
「……もぅ」


 キスするタイミングは、まだ二度目ではあるけれど。いつも予告がない。

 食事などは美兎を優先してくれるのに、じゃれ合う時だけは火坑の強引さが際立つ。

 だが、嫌だとは思わないのだ。


「さて。ゆっくり食べましょう。手作りのケーキですから、賞味期限は早いですし」
「けど。火坑さん甘過ぎないのがお好きでも、ずっとは甘くなりますよ?」
「ふふ。味変とまではいきませんが、少々紅茶にも手を伸ばしたんです。次のお供は、ロイヤルミルクティーにしませんか?」
「! お付き合いします!」


 そして、二人でブッシュドノエルを平らげるまで。ゆっくりお互いのことを話しながら、色んなお茶などを供にしたのだった。


 ここは、錦町(にしきまち)に接する妖との境界。

 ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。

 たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。

 元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵(らくあん)』に辿りつけれるかもしれない。











 沓木(くつき)桂那(けいな)、二十五歳。

 大手広告代理店に勤めて、今年で三年目になる社会人の一人だ。仕事内容は主に広告デザインを中心にしている、いわばデザイナー。響きに聞こえがいいかもしれないが、まだまだ入社三年目なのでそう多くは扱ってもらえない。

 雑事も当然多いが、全く使ってもらえないわけではないし、任される仕事も少しずつだが増えてはいる。

 そして忙殺のクリスマスも終わり、半年後の夏イベントに向けて仕事をしているのだが、年末間近の今日、桂那は半休をもらえた。

 これは桂那だけでなく、デザイナーなどのクリエイティブチームも交代で半休を取る仕組みになっただけだ。クリスマスイブの真夜中にクリスマス本番のためのディスプレイ設置と搬入の手伝い。

 それに対しての、労働の処置なのだ。本来なら一日休みと行きたいところだが、仕事納めが三十日まであるのでそこまで出来ない。

 課長や部長からは、申し訳ないと言われたけれど。桂那にはありがたかった。

 半日でも休みがもらえたのなら、出来ることがあるからだ。桂那の趣味は女性らしくお菓子作りではあるが、これは今の彼氏に理由があるのだ。

 桂那の会社からは徒歩三十分くらいかかるけれど、(さかえ)の一角にあるマカロン専門店。そこのパティシエの一人が、桂那の今の彼氏である。

 大学四年からの付き合いなので、もう四年の付き合いになるが。

 桂那は、少し遅くなったが彼の誕生日が半休の今日だったので、お菓子を作ることにしたのだ。


「……うーん。材料はひと通り買ったけど。……(たか)君が好きなのはやっぱり」


 チョコ。言いようがないくらい、チョコ中毒者なのだ。

 彼の自宅に行くたびに、チョコ菓子のストックがいつのまにか増えたり減ったりする量がすごいくらい。

 なら、食べ応えがある生チョコ風味のブラウニーを作ろうと決めた。


「とにかく、チョコを刻んで」


 今回のブラウニーに、油分はチョコのみ。これは桂那の経験だが、バターを忘れて焼いたのに。出来上がったら生チョコのようにしっとり出来て美味しかったからだ。まだ、彼氏には作ったことがなかったのでちょうどいい。

 少し前に、後輩の湖沼(こぬま)美兎(みう)田城(たしろ)真衣(まい)にブッシュドノエルを教えた時。田城の方にはキッチンバサミで切らせていたが、慣れた桂那の場合はもちろん包丁で。

 湯煎しやすいように刻んでから、同時に沸かして置いた湯の鍋にボウルを置き、牛乳とチョコを入れて。

 丁寧にゴムベラを使ってチョコを溶かして牛乳と混ぜ合わせていく。途中、別のボウルに卵を割ってとき解したものに砂糖を入れてよく混ぜた。

 このボウルの中身に、溶かしたチョコを少しずつ入れてよく混ぜて。薄力粉をふるって粉気がなくなるまで、ゴムベラで切るように混ぜたら。

 事前に予熱しておいたオーブンの中に、型に流し込んだブラウニーの生地を170℃の熱の中で三十分弱焼くだけ。

 片付けも簡単なので、ささっと進めてからコーヒーブレイクしていたら。

 玄関の方から、鍵を開ける音がしたのだった。


「や、ケイちゃん」


 予想以上に、早くやってきた桂那の彼氏。

 相楽(さがら)隆仁(たかひと)がやってきたのだった。


「お疲れ様。早かったわね?」
「うん。クリスマスとかが、まともに休みもらえなかったし。今日は早上がりでいいからって、店長が気ぃ遣ってくれてね?」


 そして、二人の間ではお決まりのハグをするのだが。

 桂那には、肩に当たったものの痛みで少し顔をしかめた。


「隆君、変身解けかけてるよ?」
「ほんと? ごめん、痛かったよね?」
「少しは慣れたけど……」


 顔を上げれば、人間とは違う細長い角が二本と。

 青白い肌、赤く艶のある長い髪になった、隆仁は人間ではない。

 美兎達には黙っていたのだが、桂那の彼氏は人間ではない。美しい美しい、赤い鬼なのだった。
 桂那(けいな)が就活を始めた大学三年の頃。

 まだ説明会が始まったばかりだったので、就活は焦る必要はないと思っていた。そう思っていたのだが、早いうちに内定をもらえるとの情報を耳にすると、いくら桂那でも焦りが出た。

 苛つき、むかつき、などなど。

 表面に感情が出にくい桂那でも。焦りが出て当然。だが、大学の単位は落としたら意味がないのも知っているので適度に登校したが。


「……焦る」


 まだ就活生新人でも、早く安心したい気持ちがあるからだ。中学はともかく、高校や大学に関しては推薦入試ではなく筆記試験と面接で勝ち取ってきた。

 それを就活も同じだろうと踏んでいたら、実際はそうではない。説明会もだが、エントリーシートと言うのが厄介だ。

 桂那が自信を持って挑んでも、五社中二社の選考に通るかどうかくらい。就活氷河期は過ぎたと言うのに、選考基準がどんどん厳しくなっているのだ。

 誰だ、今なら就職しやすいと言った阿呆は。


「……あー……もう、焦る!……ん?」


 今、誰かの足につまずいたような。

 そう思って、下を見たら長い長い脚が。

 地面にその状態、まさか倒れたんじゃ。と、桂那は気持ちを切り替えて相手の顔を見れば。これまた憎らしいくらい、幸せな笑顔で寝ている男性がいたのだった。


「……もしもし、お兄さん?」


 桂那も一応成人はしているが、大の大人がビル街で寝こけているなど言語道断。

 けど、蹴ってそのままにするのは、桂那の良心には傷つくものでしかないので。とりあえず肩を揺すって起こしてみたのだが。

 男性がうめき声を上げただけで、桂那の背に独特の悪寒が生じたのだった。悪い意味ではなく、俗に言う性的欲求のような。

 そんな部分を刺激してくるような、官能的なかすれ声だったのだ。男と関係を持った時期など、就活の前に終わらせたので今はフリー。

 だから、久しく刺激された感覚に、街中なのに非常に驚いてしまう。


「……ん? あー……ふぁ、あれ? 俺寝てた?」


 素の声まで、桂那の好みにドストライクをかましてくるとは。

 ここで縁を切るのも、女の恥。

 と、訳の分からない文言が浮かんだが。とにかく、この男性ともっと話したい気持ちも湧いてきたので。桂那はしゃがんで男性と視線を合わせた。ちなみに、今日はパンツスーツなので下は問題ない。


「どうも。足がぶつかったんで、謝ろうとしたんですけど」
「けど、俺が寝てたからびっくりした?」
「はい。こんな道端ですし」
「あー、ごめんね? 驚かせて。……けど、よく俺が見えた(・・・)ね?」
「え?」


 どう言うことだ、と思うと周りが静かすぎるのに今更気づいた。

 今たしか、(さかえ)周辺で説明会の帰り道だったのに。人通りが常に多い路地には自分達以外に誰もいない。

 本当に、人っ子ひとりいない。これはなんだ、と初めて経験した桂那は流石に戸惑った。


「あー……あー、珍しいね? 人間なのにその年まで見鬼(けんき)が開花されてなかっただなんて」
「けん……き?」
「とりあえず、説明するよ。でも、お姉さん時間とか大丈夫?」
「えと……大学に寄ろうかどうか考えてたくらいなので。暇……です」
「そっか。リクルートスーツだけど、就活生だったんだね?」


 と、立ち上がった男性がにこやかな笑顔で声をかけてくれたお陰か。桂那の不安が少しやわらぎ、普通に会話が出来ていた。

 立ち話もなんだろうと、すぐ近くにあるらしい喫茶店に行こうと誘ってくれた男性だが。

 俯いていた顔がしっかり見えると、その異質だが妖しい雰囲気の男性に変わっていたのに驚く。他にも、さっきまでは黒髪短髪だったのが、真っ赤な艶髪になってたり角があったり。

 普通は絶叫物なのに、美しさに目を奪われて恐怖など持たなかった。


「お……に?」
「良かった。ちゃんと俺のことが見えてたんだ。一応人間界にいる時は、人化してるんだけど」
「え……じゃあ、ここは?」
「俺達妖が住う人間界との狭間。通称、界隈と呼ばれている世界だよ。お姉さんは、おそらく俺に触ったのがきっかけで見鬼……いわゆる妖怪が視えたんだろうね?」
「ど……して」
「とりあえず、落ち着くのに一旦喫茶店に行こう? あ、俺の姿怖い? なんならまた人化するけど」
「あ、いえ……」


 そこは変えないで欲しい、と何故か口にしてしまったら。鬼の男はすぐに、ぷっと笑い出した。


「鬼なのに、怖くないんだ? お姉さん面白いね? あ、俺。この姿の時は隆輝(りゅうき)だけど。人化の時も、人間界で仕事してるんだ。相楽(さがら)隆仁(たかひと)って言うんだけど」
「え……と、沓木(くつき)桂那と言います」
「じゃあ、ケイちゃんだ」
「え」


 鬼なのに、結構フレンドリーだなと思ったのが第一印象。

 そこから、彼が修行中のパティシエであることを知ってから交流を深め。その一年後に、恋人関係になるまでは予想しなかったが。

 けど、桂那は充実していた。就活も無事に終わり、今の会社で仕事が出来ているからだ。

 そして今日。疲れると変身が解けてしまう、隆仁こと隆輝を部屋に入れて。出来上がったばかりのブラウニーを早速食べてもらうことにした。


「200回目のお誕生日おめでとう」
「ありがと。お? 美味しそう」
「バター使ってないけど、いい出来でしょ?」
「え、使ってないの?」


 長い紅髪を縛ってから、切り分けたブラウニーをひと口食べてくれると。金の瞳が嬉しそうに垂れ下がったのだった。


「どう?」
「美味し! これ、甘さ控えめのホイップ添えたらもっと美味しいかも!」
「あ、ごめん。忘れてた」
「ううん。けど、充分美味しいよ。俺負けそう」
「本職に言われちゃうと、むず痒いわ」


 就活の合間に、彼がこの部屋にやってくるたびに作ってくれたお菓子の数々。今も現役で働いているのだから、敵うはずがないのに。


「あ、そうだ。ケイちゃん」
「なーに?」
(にしき)の界隈に。俺の友達がいるの覚えてる?」
「そうね? 私が就職してからは、ほとんど会ってないけど」
「あのね? あいつにも恋人が最近出来たんだって! お祝い兼ねて、あいつの店に食べにいかない?」
「へー?」


 妖怪だからって、人間と付き合う場合も度々あるらしい。桂那と隆輝はまずそうなのだから。

 きっと、あの猫人もそうかなと期待するのだった。
 大晦日間近。

 仕事納めも間近。

 そんな目まぐるしい日々を送ってる、あと少しで新人の名札が取れるデザイナーの湖沼(こぬま)美兎(みう)は。

 守護についてくれてる、座敷童子の真穂(まほ)と一緒に恋人が営む小料理屋、楽庵(らくあん)で久しぶりに日本酒を飲んでいた。

 いつもの自家製梅酒もいいが、流石に真冬だと冷え込んできたので、火坑(かきょう)にお願いして飲みやすい日本酒を選んでもらったのだ。

 淡麗甘口、と言う種類のせいか甘口が好みの美兎でも飲みやすくて、すいすいいくところだった。


「あったまる〜〜……」
「飲み過ぎても知らないわよ?」
「う……」
「まあ、今日くらい飲みたい気持ちはわかるよ?」
「……そうだね?」


 そして、客は美兎達だけでない。イタリアンシェフであるろくろ首の盧翔(ろしょう)に、火坑の妹弟子である料理人見習いな雪女の花菜(はなな)。二人はつい先月あたりに付き合うことになり、今日はたまたま一緒に席に着いているわけである。


「そう言うけどね? この子の場合、日本酒でぶっ倒れかけた前科があるのよ?」
「あららー?」
「あの時は……ほんとに、黒歴史!」
「けど。それがなかったら、兄さんにも会えな……かったし」
「ふふ。僕にはいい思い出ですよ?」
「火坑さん!?」


 あんな女にあるまじき行為をしたのに、それをいい思い出だなんて。妖であれ、やはりいい人だ。その涼しげな笑顔が眩しく映った。


「さて。花菜ちゃんは違いますが、皆さん体があったまってきたでしょう? 今日はいい猪肉が入ったので。牡丹鍋にしましょうか?」
「お、いいね!!」
「さすがです、兄さん!」
「牡丹鍋好き〜!」
楽養(らくよう)で食べたあのお鍋ですね!?」
「はい。それと、少し旬が過ぎていますがこれも」


 と、取り出してきたのは枝に見紛うくらい細い細い黄色の何か。

 なんだろうと首を傾げたら、花菜が手を叩いた。


「姫竹ですね!!」
「花菜ちゃん、ご名答」
「ひめ……たけ?」
「これ、筍なんだよ美兎ちゃん!」
「え、これが筍!?」


 たしかに、筍と同じ色合いはしているが。こんなにも細く、長い筍は見たことがない。年明けに予定している、名古屋駅周りを着物で歩くデートにと考えているらしい、柳橋の市場で手に入れたのだろうか。


「狂い咲きならぬ、狂い生えと言いますか。少しだけ仕入れられたので……味噌仕立ての牡丹鍋には本当に最高ですよ?」
「わあ!?」
「アク抜きしてると、美味いんだよなあ?」
「もちろん。仕入れてすぐに済ませたので大丈夫です。お待ちいただいている間に、スッポンスープをどうぞ」


 頭はレディーファーストだと、真穂はいいからと美兎と花菜に譲られたが。一個しかないので、公平にじゃんけんで。美兎が勝ったので美味しくいただいた。


「さて。野菜には九条ネギを。豆腐は柳橋市場の行きつけの手製です」


 仕上がったタレと具材が煮込まれた小鍋がミニガスコンロに載せられ。

 ぐつぐつと煮込まれた、分厚い猪肉に木綿豆腐と九条ネギ。どれもが美味しそうで、よだれが出そうになったのだ。

 いただきます、と言う手前で引き戸が開いたのだが。


「あれ? 今日満員?」


 聞いたことがない、耳通りの良い男性の声。常連仲間の美作(みまさか)ではないので、知らない妖かと思ったのだが。


「満員なら、出直す?」


 だが、一緒だった女性の声に、美兎は思わず席を立ってしまった。


沓木(くつき)先輩!?」
「え、湖沼ちゃん!?」


 どうしてここに、とお互い思っただろうが。

 引き戸がしっかり開いてから見えた先にいたのは、たしかに会社の先輩である沓木桂那(けいな)だった。
 物凄くびっくりした、と言うのが口に出そうになったが。

 プライベートとは言え、会社の先輩が何故(にしき)の界隈にいるのだろうか。だが、一緒に来ている相手は誰だろうかと振り返れば。

 見覚えのある男性が立っていた。


「あ」
「あ」
「なに? (たか)君、湖沼(こぬま)ちゃんと顔見知り?」
「うちの店の常連さん」
「こ、こんばんは」


 人懐っこい笑顔が特徴的な、人間界にある(さかえ)のマカロン専門店のパティシエの一人。そこで、美兎(みう)はあることを思い出した。失礼だが、指を向けると隆君と呼ばれた男は『自分?』と首を傾げた。


「?」
「先輩の彼氏さんって、相楽(さがら)さんだったんですか!?」
「あれ? ケイちゃん言ってなかったの?」
「まあ。君が妖怪なのバレちゃうといけないかなって」
「え゛!?」


 相楽が妖怪、つまりは妖。全然そんな感じに見えなかったのもあるが、人間界で堂々と働くのがすごいと思った。

 しかし、恋人の火坑(かきょう)も猫人から人間に変身してまで仕入れに行くから、普通なのかもしれない。

 すると、相楽が軽く頭を撫でれば。姿は一変したのだった。


「あら、隆輝(りゅうき)じゃなあい?」


 守護についてくれている、座敷童子の真穂(まほ)が声を上げた。

 その間に、相楽の風貌はどんどん変わり。黒髪短髪が紅髪長髪に。黒い角が眉間から細長く二本伸びて、肌も少し青白くなった。目の色まで金髪に。


「……鬼、さんですか?」
「ここに来なれているんなら、俺が鬼になっても驚かないんだね?」


 ただし、人当たりの良さと笑顔だけは元の相楽のままだった。


「嬢ちゃん! 俺と花菜(はなな)が座敷に移動するからさ? そっちの嬢ちゃんと赤鬼はこっちに来なよ」
「お? いいの?」
「だ、大丈夫……です」


 と言うわけで、美兎も火坑を手伝って盧翔(ろしょう)達の卓上コンロを奥の座敷に移動させた。

 そして、カウンターの席に着いてから、相楽、ではなく隆輝が改めて自己紹介してくれたのだ。


「改めて。『rouge』のパティシエ、相楽隆仁(たかひと)でもあるけど。赤鬼の隆輝だよ? 今日は火坑君に恋人が出来たって聞いたから、俺の恋人の桂那(けいな)ちゃんと来たわけ」
「い、いつから……先輩と?」
「私が大学四年からね? 三年の就活の時に道端で偶然」
「だね?」


 そんな長い期間、沓木(くつき)は隆輝とお付き合いをしていたのか。驚き過ぎて、美兎の口があんぐりと開きそうになってしまったが。


「で、湖沼ちゃん」
「は、はい!」


 美兎の右隣に座った沓木が、急に声をかけてきたのだった。


「湖沼ちゃんが……火坑さんの彼女?」
「う……はい」
「察しがいいですね、沓木さん」


 正直に言うと、沓木は何故か美兎の頭を撫でてきたのだった。


「せ、先輩?」
「うんうん。火坑さんが変身する姿は見たことなかったけど。こっちの姿を受け入れてまでお付き合いする仲になったのね? 私も安心出来たわ」
「はあ?」
「火坑君も言ってよ? ここんところ来れなかったにしても、ケイちゃんの後輩ちゃんが彼女だって」
「いえ。存じ上げていなかったので」
楽庵(ここ)来るの、相当久しぶりだったもの」


 さて、と。火坑は二人にも味噌仕立ての牡丹鍋を出したのだった。


「煮え過ぎると肉が固くなるのでご注意ください」
『いただきます』


 真穂も待っててくれたので、まずは姫竹を。

 ゴボウより少し太く見えるが、食べやすい大きさにカットされているので、美兎はひと口で頬張る。

 筍特有の、ザクザクした歯応えと味噌の味付けが絶妙だった。


『美味しい!』


 沓木と声が重なったので、二人で頷き合った。


「味噌仕立てなのが美味しいですよね!?」
「そうね? これ、こんにゃく入れても美味しそう」
「う゛!?」
「あ。湖沼ちゃんこんにゃく嫌いだったわね?」
「……ゼリーくらいしか無理ですぅ」
「美兎らしい!!」
「……ところで、そっちのお嬢さんは?」
「真穂は座敷童子! だから、本当は子供の見た目なんだけどー?」


 と、一瞬で大学生くらいに変身したのだった。


「あら? 湖沼ちゃんとの関係は?」
「あなたの場合は隆輝が担っているでしょうけど。この子が火坑と付き合う前から守護についたの」
「お? 真穂様、風の噂には聞いてたけど。この子に?」
「様付けするくらい凄いの?」
「ぬらりひょん様に次ぐ最強の妖だからだよ」


 と、話題が真穂に逸れそうだったが。全員美味しいうちに鍋の中身を食べようと箸を伸ばし。

 贅沢に姫竹を猪の肉で巻いたら。脂がしつこくなくて、筍にちょうどいい具合にまとまったのだった。
 まさか、友人である猫人の恋仲が。自分の恋仲と先輩後輩の関係であったのが、隆輝(りゅうき)にとっては驚きだった。

 火坑(かきょう)も人が悪いわけではないのだが、桂那(けいな)をこの店に連れてきたのも随分と前だ。二年前の、彼女の就職祝いに隆輝が連れてきて以来だから。

 まったく来れなかったわけではないが、隆輝自身が人間に化けて、相楽(さがら)隆仁(たかひと)と言うパティシエの一人としての仕事が忙しくなり。

 夜もなかなか桂那に合わせられなかった。今日は有給休暇が取れたので、平日なのにこの時間に来れたのだ。

 だが、不可思議に思うことがひとつあった。

 火坑の恋仲になった女性、湖沼(こぬま)美兎(みう)からは。隆輝が勤めてる店に来る時には感じなかった、霊力以上に妖力が膨れ上がっているように見えたのだ。

 座敷童子の真穂(まほ)が憑いているのにも気づかないくらい、隆輝も妖として決して短い生を送ってきたわけではないのに。

 何か、特別な加護を得たのだろうか。桂那と美兎が話に盛り上がっている最中、隆輝はこっそり火坑に話しかけた。


「ねえ、火坑君。うちの店に来る時はほとんど感じなかったけど、彼女何者? 真穂様や君の加護以上になんか凄い力を感じるんだけど?」
「ふふ。(さとり)御大(おんたい)はご存知ですか?」
「御大? うん、サンタんとこと同じようにうちの店に時々来るけど?」


 まさか、と思ったら、火坑は得意の涼しい笑顔になったのだった。


「先日、こちらにいらっしゃっいましてね? 年明けにまたお会い出来るんですが。美兎さんは彼の御方のご子孫なんですよ」
「御大の!?」
「ちょっと、(たか)君。声でかい」
「ど、どうかしたんですか?」
「いえ。美兎さんのご先祖様のお話を」
「湖沼ちゃんの、ご先祖?」
「え……と。だいぶ昔らしいんですが、私のご先祖様に妖……妖怪さんがいらっしゃったようで」
「あ。だからこんなにも可愛いの!?」
「可愛くないです!!?」


 たしかに、人間に比べればいくらか美醜の差はあるかもしれないが。あの御人の子孫と言われば、霊力などは納得出来た。

 そう思っていたら、手土産を持ってきたことを思い出して火坑に紙袋を渡したのだった。


「これ、うちの店の新作。火坑君はきっと好きだと思うよ?」
「隆輝君の手製ですか。いつも美兎さん達と美味しくいただいています」
「湖沼さんが火坑君の恋人なら、もっと大体的にお祝いしたのに」


 時々でも、手製の焼き菓子を買う相手が火坑であるのなら、もっと気を遣ったのに。だが、二人が付き合い出したのはまだ一ヶ月くらいらしいし、それ以前に隆輝が赤鬼だと知られてもいけない。

 これまでの人間達とは違い、今の人間達は勘が鈍いのに線引きが早い。

 だから、隆輝も今の職場が気に入っているので辞めたくはないのだ。


「ふふ。開けても?」
「どうぞどうぞ」


 その間に、少し喉が渇いたので温くなった熱燗をひと口。だいぶ冷めたが、いい味わいで鍋に残ってた具材の合うこと。

 火坑が包みを開ければ、紙箱の中身は抹茶とホワイトチョコの特製フィナンシェのご登場だ。


「これは!」
「わぁ!? フィナンシェだったんですね!?」
「よかったら、湖沼さんや真穂様もどうぞ」
『わーい!』
「あら、甘過ぎなくて人気の……隆君、わざわざ取り置きしたの?」
「うん。作ったのは俺だし、火坑君甘過ぎるの得意じゃないからさ?」
「わざわざありがとうございます」


 では、と真穂や美兎にも個包装してあるフィナンシェを差し出して。

 その間に、わざわざ手製でコーヒーを淹れてくれたのだった。


「ほんと!! 抹茶の苦味とホワイトチョコで甘過ぎないです!?」
「バターもいい仕事してるわね? 美味しいわよ?」
「ふふ。俺が言うのもなんだけど、お粗末様」
「大将ー、俺と花菜(はなな)帰るよ!」
「おや、コーヒーが出来たんですが」
「また飲みに来る!」
「では、せっかくですし。こちらのお菓子を」


 席を譲ってくれた妖にまで配るとは、相変わらず律儀な性格だ。

 だからこそ、この店は居心地がいい。

 結局、隆輝もひとつ食べることになり、コーヒーと一緒に口に入れたら。酒と肴とはまた違うが、幸せの循環が訪れたのだった。


 ここは、錦町(にしきまち)に接する妖との境界。

 ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。

 たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。

 元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵(らくあん)』に辿りつけれるかもしれない。











 住みにくい世の中になったと、本日楽庵に来た可愛らしいお客がこぼしたのだった。


「……界隈が生じても。僕は必要とされていないのかもしれないです」


 青白いを通り越して緑の皮膚。髪はあるが頭頂にはない。代わりに、白い皿のようなものが載っている。手足は人と変わりないが、指と指の間には水掻きが異常に発達。

 故に、この妖は河童。

 山の神の使い、水神、日本で有名過ぎる妖怪の一種などなど。

 未確認生命体とも言われているらしいが、この妖は立派な妖だ。山の神の使いと言うのもあながち間違ってはいない。


「……信仰心が次第に薄れていくから。ですか?」
「!! そうなんです! 僕は山の神の使いをしているんですが、最近はアマビエアマビエって!? たしかに、彼は凄いですよ? けど、人間達に馴染みが深いのは僕ら河童だと思うんです!」


 座敷童子の真穂(まほ)くらいに幼い見た目だが、地獄で補佐官を務めていた火坑(かきょう)の年齢を合わせても同じくらいかそれ以上。

 楽庵に通い出してくれたのは、まだ最近だ。と言っても、恋人の美兎(みう)よりは長く、ここ十年くらいだが。それでも、ここまで酔い潰れるのは珍しい。

 余程、そのアマビエと言う妖に株を持ってかれたのだろうか。

 年の瀬も迫っているせいか、客足も少ない錦の界隈であれ、客が来るのは嬉しい。

 けれど、悪酔は良くないので、火坑は〆にと作っておいたスッポンの雑炊を彼に差し出した。


「年の瀬とは言え、あまり飲み過ぎはよくないですよ?」
「うう〜……うう……僕も大将さんみたいに恋人が欲しいです」
「ふふ。僕の場合は巡りに巡ってですから」


 美兎の名までは広まってはいないらしいが、火坑が美兎と付き合い出した事実は界隈でそこかしこ広まっているようだ。

 黒豹の霊夢(れむ)の二番弟子が、とかで。最近は落ち着いたが、馴染みの客達からはどんな彼女だと聞かれまくったものだ。


「……どんな彼女さんか聞いてもいいです?」
「ふふ。僕の場合盛大にのろけてしまいますよ?」
「大将さんが!?……じゃあ、それだけ大好きなんですね?」
「ええ。早いですが、この先のこともお伝えしてあります」
「人間?」
「ええ。……内緒ですが。(さとり)御大(おんたい)に縁が深い方なんですよ」
「半妖……じゃないけど、妖力があるんですね?」
「はい。けれど、真穂さんも守護につきたい程の霊力の持ち主でいらっしゃるんです」
「ほえー! それで、真穂様があんまり界隈にいないんですね?」
「それでも、彼女のお仕事以外はこの近辺にいらっしゃるようですよ?」


 年の瀬も近いので、美兎もだが真穂も忙しい。特に真穂は、座敷童子の一角なために界隈を中心に幸運を振りまく仕事があるそうな。

 だから、今日やってくる予定の美兎はひとりで来るらしい。界隈でも真穂と火坑の加護で悪さをしようとする妖は寄ってこないはずだが。

 どうにも、残業にしたって遅い。

 今の時刻はまだ夜の9時ではあるが、LIMEにも特に連絡が来ないのだ。

 と思っていたら、店の引き戸が開いたのだった。


「こんばんは! 遅くなりました!」
「! いらっしゃいませ、美兎さん」
「すみません、連絡出来ずで」
「いえいえ」
「……? あ、このお姉さんが大将さんの!」
「はい」
「え。私の話してたんですか?」


 恥ずかしい、と顔を赤らめるのが最高に可愛く。河童がいなければ抱きつきに行っただろう。

 それが出来ないので、彼の隣に腰掛けた美兎に熱いおしぼりを差し出した。


「ありがとうございます。えと、河童……さんですか?」
「そうです! 河童の水藻(みなも)と言います!」
湖沼(こぬま)美兎と言います。へえ? 本当にお皿が乗っているんですね?」
「外せますよ?」
「あ、いえ! 大丈夫です!」


 河童自ら皿を外すのは滅多にないらしいのに、少々惜しい機会を断ったものだ。が、禿頭かもしれない内側を見てもいいものではないかと普通は思うだろう。

 美兎の場合は、単純に痛そうだとか考えているかもしれないが。


「美兎さん、本日は梅酒がいい漬かり具合なのでお湯割りにしませんか?」
「お任せします! あと、ちょっとしっかり食べたいです……」
「ふふ。であれば、水藻さんにお出ししたカラスミが中途半端に余っているので。炒飯にしましょうか?」
「わあ!」
「た、大将さん! 僕もひと口!」
「構いませんよ?」


 パスタにアレンジすることが多いカラスミではあるが、炒飯は火坑が好んで作る。

 そこで、美兎には心の欠片を提供してもらい、烏骨鶏のような薄い紫色の卵に変換させたのだった。
 カラスミで炒飯。

 美兎(みう)は社会人に成り立てから今日まで、世界もだが日本の『三代珍味』をほとんど口にしたことがない。よくても、それまで知らなかった安いウニを回転寿司で口にした程度。

 だが、この店に通うようになってから、はじめて美味しいウニを食べさせてもらったりした。甘くて磯の香りは程よく、とても口溶けが良くて美兎の好物になった。

 炊き合わせや、焼きウニとかで火坑(かきょう)が作ってくれたりしたが、カラスミはまだ食べたことがなかった。

 取り出したのは、厚切りのタラコを乾燥させたようなものだったが。


「火坑さん、それがカラスミなんですか?」
「はい。美兎さんは、カラスミが何で出来ているかご存知でしょうか?」
「……お恥ずかしながら、全然」
「ふふ。では、水藻(みなも)さんはどうでしょうか?」
「はい! ボラやサワラ、サバの宮腹ですね!!」
「みや……ばら??」
「雌の子宮なんですよ。魚介類の内臓もですが、カラスミは卵も詰まっていますからね? 加工したタラコのようなものと、美兎さんは思うかもしれませんが」
「へー?」


 タラコに似ているのなら、とても美味しそうだ。世界三大珍味のキャビアもまだ経験がないが、魚の卵だから似ているかも。

 とりあえず、梅酒のお湯割りでお腹を温めつつ、残して置いてくれていたスッポンのスープで少々腹を満たす。頭はなかったが、甲羅のコラーゲン部分があったので遠慮なくしゃぶった。

 そして火坑は、カラスミを小さなおろし金で細かくして。野菜はシンプルにネギだけ。

 あとは、美兎の心の欠片から取り出した、烏骨鶏に近い少し青紫色の卵。

 卵を割って菜箸でほぐしてから、一気に仕上げていくのだった。


「炒飯は高温で一気に仕上げるのが鍵です。中華鍋でなくとも、鉄鍋で油を多めに引いて強めに鍋を熱してから卵を入れます」


 卵を入れた時の、じゅわっと上がる音がたまらない。

 すぐに、何故か湯気が出てる温かいご飯を入れて木ベラで手早く混ぜたら、あら不思議。

 べちゃつくことがなく、パラパラの炒飯になっていったのだ。


「ふふ。不思議そうな顔をされていますね?」


 米をパラパラにさせながら、火坑が少しこちらを見たのだ。


「はい。もっとべちゃってするかと」
「逆なんですよ。冷やご飯の方がべちゃつく原因なんです」
「え」
「僕も初めて知りました」


 完全にパラパラになったら、ネギとカラスミを入れて手早く混ぜて。軽く塩胡椒して味を整えていくらしい。もっと、中華出汁を使うかと思ったら違うようだ。


「仕上げに、鍋肌に醤油を垂らして…………はい、お待たせ致しました。カラスミの炒飯です」


 そして、大きめの茶碗で盛り付けてくれた炒飯は。欲目抜きに、黄金色に輝いているように見えた。

 河童の水藻にも軽く茶碗一杯くらいの炒飯を差し出したのだった。


「美味しそう!!」
「ですよね!!」


 熱いうちに、とレンゲですくってから軽く息を吹きかけて。口に入れると、炒めたせいか卵のぷちぷち感がなんとも言えないくらい楽しい。


「美味しいです! ちょっとチーズのような香りもするんですけど、味付けがほとんどカラスミのせいか塩加減が絶妙です! いくらでも食べれそうです!!」
「気に入られましたか? でしたら、今度はもっとポピュラーなパスタがいいかもしれませんね?」
「う〜〜聞いただけでも美味しそう!!」
「おいひいでふ!」


 美味し過ぎて、水藻もぺろりと平らげてしまうくらい。美兎もゆっくり味わって食べている間、水藻の話を聞くのだった。


「アマビエ、ですか?」
「はい。実在する妖なんですけど、厄災を祓うとかなんとかで。……人間達は僕ら河童を遠ざけて、彼ばっかり崇めているんですよ? あ、美兎さん達人間を蔑ろにしているわけじゃないです!」
「ふふ。わかっていますよ? けど、アマビエですか」


 たしかに、ニュースやSNSで過去の文献などの紹介やイラストが多数上がっているのは事実。急激な暴風雨に水害などなど。それらを思うと、人間というものが何かにすがりたい気持ちが溢れてくる。

 かく言う美兎が所属するクリエイティブチームでも、アマビエはちょっとした話題になっていた。

 半魚人でも人魚とも違う、異形の姿。だが、愛くるしさを思わせるのだとか。全部、同僚の田城(たしろ)真衣(まい)の情報だけど。


「江戸後期に打ち上げたれたのを、絵師が残したとか文献は多々ありますが。彼らが幸運の象徴とも言われるのは真穂(まほ)さんとも違いますから」
「……火坑さん、お会いしたことがあるんですか?」
「ええ。ここにも度々来られますよ?」
「おお!」
「う。美兎さんも気になっちゃいますか?」
「あ、すみません。純粋に好奇心から」
「ふふ。意外と美兎さんは、ここの常連さん達と遭遇する機会が少ないですからね?」
「そうなんです!」


 水藻も十年近く通い続けているそうなのに、今日まで出会うことはなかった。他の常連とも、美兎はほとんど出会っていない。人間も、美作(みまさか)辰也(たつや)だけだ。


「でしたら、僕がとっておきの友人をご紹介したいです!」
「水藻さんの?」
「人魚です」
「え!?」


 陸に上がれるのか、とすぐに疑問に思ったが。水藻の話だと、人化すれば問題ないし。海ではなく河の人魚だそうだ。

 年が明けてから、連れてくると日程も決めてから彼は帰っていき。

 美兎は、火坑と二人きりになれると思ったのだが。

 すぐに、狐狸(こり)宗睦(むねちか)やろくろ首の盧翔(ろしょう)がやってきて。どんちゃん騒ぎとなったわけである。
 興味深い人間だった。

 だが、ただの人間ではない。あの界隈をぬらりひょんの次に牛耳っていると言っても過言ではない、座敷童子の真穂(まほ)が加護についているだけでなく。

 名古屋より少し離れた界隈に属する、(さとり)御大(おんたい)の遠い血縁。

 実際に出会って、たしかに霊力の膨大さと質には圧倒されたのだが。笑顔が愛らしい、人間にしては美しい部類に入る女人。

 猫人であり、元地獄の補佐官だった火坑(かきょう)とも似合いだった。将来、もし子を成せばどんな容姿になるか楽しみではあるが。彼は人間にも化けられるので、そちらに寄るかもしれない。

 とりあえず、河童の水藻(みなも)は飲み過ぎたがいい気分で界隈を歩いていた。


「はぁ〜〜、楽しかった。いい人だったなあ?」


 友人の人魚を紹介したいと約束もしたから、また会える。水藻は山の神の使いでもあるので、常なら山の中にいるのだが。

 年の瀬になると、界隈を通じて神行脚することが増えてくる。だから、使いである水藻達のような妖が、その道しるべを作るのだ。

 毎年決まってこの時期、新しく新調させて。

 今日は夜半を過ぎてからの予定だったので、水藻はふらふらだが気合を入れて道しるべを張っていくのだった。


「おーい、水藻ー?」


 張り終えたら、タイミングを伺ってきたかのように。聞き覚えのある声が水藻に届いてきた。


「あ、千夜(せんや)
「あ。じゃないよ? ふらふらしてるって、通りの知り合いに聞いたぞ? 今日そんなに飲んだの?」


 薄水色のサラサラとした長い髪。

 水藻とは違い、人間のように透き通った白い肌。あの湖沼(こぬま)美兎(みう)以上に美しい(かんばせ)

 美兎に話していた、河の人魚だ。人化してこの界隈に降りてきたのかもしれない。


「どうしたのー?」
「お役目には僕も参加するだろう? 何勝手に始めてんのさ」
「あ、ごめん」


 アマビエの人気上昇に、ついつい前半は楽庵(らくあん)で自棄酒をしてしまったものだ。だが、同じ水の妖なのに、人魚の千夜には嫉妬心を抱かない。それだけ付き合いが長いからだろう。


「もういいよ。酔っ払ってても仕事が出来てるようだし。で、どこの店で飲んできたのさ?」
「楽庵ー」
「あ、いいな! 今度は僕も行く!」
「あのねー? 大将さんの恋仲の人に会えたんだー?」
「え、なにそれ。詳しく!?」


 そして、山へと帰る道中に、美兎のことを説明することにした。


「可愛かったよー?」
「覚の御大の御子孫……加えて、真穂様の守護。とんでもない人間に会ったんじゃん!?」
「あ、君を紹介したいって言っちゃった」
「僕を!? なんで!?」
「君が僕の友達だからー」
「……そーかい」


 何故か呆れられてしまったが、酔いも相まってとてもいい気分だった。

 年の瀬も間近。いい出会いがあった。

 山の神にも伝えようと二人で帰ったら。山の神も烏天狗の翠雨(すいう)から聞いたと言われ、先を越されたと悔しくなった。


「くくく。儂ら山の神の間でも、彼奴の(つがい)となる女子(おなご)のことは耳にする機会が多い。水藻、機会が合ったとは言え良かったの?」
「は、はい!」
「山の神の皆様方が興味を持つ人間……僕、今度お前が楽庵行く時についてく!」
「あ、そうそう。年明けに行くって言っといたよ?」
「よし、行く!」
「……儂も行きたいのぉ」
「御主神様はダメです! お土産買ってきますから!!」
「……あいわかった」


 たしかに、山は山でもここは濃尾平野に連なる山々だ。

 御神体が山そのものなので、化身である神が下手に動けば。地震災害どころでは済まなくなるくらいの、大災害になる恐れがある。

 なので、千夜が言ったように我慢させるしかないのだった。