沓木の家に到着して、手洗いうがいをしっかりとやらされてから材料と一緒に買った簡易エプロンを、ブラウスの上から身につける。
今日作るクリスマスケーキは、普通の苺ショートではなくブッシュドノエルと言うロールケーキらしい。
「たくさん食べられなくても。見た目も可愛いやつなら、このケーキね? 湖沼ちゃんならぺろっと食べられそうだけど」
「……はい」
デザイナーは通常のデスクワークで何時間もPCに張り付くので、飲み物のだが軽食も基本的に甘いものを選んでしまう。そのために、経費の一部でコーヒーメーカーの隣にワンコインおやつが常設されているくらいだ。
だから、美兎の軽食事情もバレバレ。ワンコインだから、ついつい買ってしまうのだ。だが、その分カロリーを消費している、はず。
それはさておき、甘過ぎる味が少し苦手な火坑にも食べやすいビターテイストにしてくれるそうだ。それなら、彼も少しは食べられるかもしれない。
「田城ちゃんも彼氏いないからって。ついてきたからには労働しなさいよ?」
「うぃっす! 何すればいいんです〜?」
「そうね。今日は練習だし、メインは湖沼ちゃんだから……チョコをひたすらキッチンハサミで刻みながら、ボウルに入れて」
「ハサミでいいんですー?」
「あなたの場合、チョコの破片でうちのキッチンを無様に汚しかねないわ。勝手な想像だけど……あなた、自炊は?」
「……全然っす」
「ほらね? なら、慣れない包丁をいきなり使って汚されちゃ困るもの」
「うぃ……」
「沓木先輩、私は?」
「先に聞くけど。あなたの調理経験は……?」
「えーと……彼氏……香取響也さんのお店に行くようになってから、ちょっとずつは」
「お菓子作りは?」
「……残念ながら、家庭科経験程度です」
「なるほどね? とりあえず覚えておいて? 卵は常温……冷蔵庫で冷やしたのをいきなり使っちゃダメよ? 生地の焼き上がりに影響が出るから」
「はい」
仕事ならメモ帳だが、ここはプライベートなのでスマホのメモ帳に書き込んだ。沓木も何も言わないので。次に計量だと田城がハサミで必死にチョコを切ってる下の扉を開けて、ボウルや測りを取り出した。
「粉類はザルとかで振るうのはわかるわね?」
「聞いたことは」
「だまのまま混ぜると、そのまま焼いちゃったら粉の塊が残っちゃうのよ。あとはいい生地にさせるために。ココアと薄力粉を測って振るって」
美兎には、買ってきたばかりの常温の卵に砂糖を加えて割りほぐすところから。軽く泡が立つくらいまで泡立て器で混ぜたら、沓木がハンドミキサーを取り出してきた。
「最初からそれを使わないのは?」
「泡立ちすぎるからよ。早く泡立つのが正解とも一概に言えなくてね? 今からは、これを使って混ぜるんだけど」
その前に、と製菓用の温度計をボウルに入れた沓木は目盛りを見て満足そうに頷いた。
「?」
「卵が冷たいと、生地に影響が出る話はしたわよね?」
「はい」
「この時点で冷たかったら、レンジで10秒ほど加熱した方がいいわ。人肌より少し温かいくらいが理想なの。今日のは、一応大丈夫だけど」
「なるほど!」
「先輩〜、終わりましたー」
「じゃ、あなたは次はチョコの湯煎ね?……湯煎はわかるかしら?」
「直茹で?」
「阿呆!」
と漫才チックなやりとりはさておき。美兎の次の仕事は生地をハンドミキサーで混ぜていくこと。低速で、二分立ちになるくらいらしいが、少しさらさらした生地になればいいそうだ。
田城に湯煎のやり方をレクチャーしている沓木の横で、とりあえず混ぜていくのだった。
「あんれぇ? 先輩、ぶくぶくにお湯沸かすんじゃ?」
「それも一概にいいとは言えないわ。チョコの湯煎わね、プロでも難しいとされているのよ? パティシエでも毎回緊張するのはザラではないわ」
「先輩の彼氏さんの受け売りですか〜?」
「そうね。あの人もよく言っているわ」
ちなみに、沓木の彼氏は火坑も気に入っているマカロン専門店のパティシエだとか。まだ挨拶したことはないが、もし紹介があればお礼を言いたい。時々だけれど、手土産にあそこのマカロンや最近出たプチフィナンシェも火坑が気に入っているから。
「あの、沓木先輩。こんな感じですか?」
だいたいもったりしたソースのようになったので、沓木に確認してもらうともう少し、と言われてから次に粉類を入れるのだが。
「一気に入れずに、四、五回に分けてゴムベラで混ぜてね?」
「美味しい生地のためですよね?」
「そうよ。最初は切るように混ぜて……だいたい混ざったら今度はツヤが出るまで混ぜる」
その次に、レンジで温めたバターと牛乳に生地を少量加えて混ぜて。それをボウルに入れてからさらに混ぜてツヤなどを出すらしい。
スポンジケーキではないのに、難しいと思った。
「大変ですね!」
「これをあの人とか、他のパティシエは毎日やっているもの。有り難みを感じるわ」
「作れる先輩も凄いです!」
「ありがとう」
「先輩〜、チョコほとんど溶けてきましたー」
「じゃ、軽く冷ますついでにひと息つけましょう?」
美兎達の方も、あらかじめ用意しておいた底がある天板にクッキングシートを敷いたものに、生地を流し込んで。
これまた予熱しておいたオーブンで焼くのだった。ロールケーキなので、途中で前後は入れ替えるが。ひとまず、コーヒーブレイクをするのだった。
クリスマスイヴ当日。
怒涛のクリスマスイベントに幕を下ろすことが出来たのだった。
「お疲れ様」
「お疲れ様です〜」
「です……」
新人として、一年目のクリスマスイベント。
大手老舗のデパートの飾りつけもだが、終わってからの撤収作業までデザイナー陣も出向くので。
深夜十時から始めて、夜中の三時。
見事、美兎達クリエイティブチームはやり終えたのだ。作業が終わってから、沓木に言われた休憩所でやっと息を吐くことが出来。彼女や他の先輩から甘いカフェモカの差し入れを受けた。
作業は終わったが、帰宅準備もあるのでココアではなくコーヒーのアレンジメニューと言うわけだ。
「湖沼ちゃんは明日がある意味本番なんでしょ? 帰ったら、昼までゆっくりお休みなさいな?」
「はい……頑張ります」
つい先日、沓木と田城で作ったブッシュドノエルは大変美味しく出来た。実は昨日の夜中に、明日、いや今日のために用意はしたのだ。
沓木のアドバイス通り、素敵に美味しそうに出来上がったのだ。LIMEで今日の夕方に会えないか聞いておいたら、火坑の方からもお誘いがあったので嬉しかった。
きっと、もしや、簡易的なクリスマスパーティーはしたけど。もっと大勢で催すために。
そんな予感がしているので、美兎は撤収組全員が解散となってから経費でタクシーを使って帰宅した。これは毎年会社で経費として扱われるのでありがたいことだ。
そして、帰宅して簡単にシャワーを浴びてから就寝したのだが。
寝たはずなのに、美兎は真っ暗な空間にひとりで立っていた。
「……何これ?」
夢にしては不思議な感覚。手足の感覚もあるし、頭も冴えている。なのに、どうやって来たか、まるで覚えていない。
なんの冗談、などと考えていたら。遠くから、微かだが歌声が聞こえてきた。
「……小説とか映画だったら、お決まりの展開かなあ?」
そう言った映画関連も就職前後であまり見なくなってしまったが、美兎自身が映画になりそうな奇跡的な出会いをしている。
であれば、これはもしかして、その妖関連だろうか。守護である座敷童子の真穂もいないのに何故、と思うところはあるが。
行くしかない、と美兎は歩き出した。
【鳴り響きー
踊れー、や踊りゃんせー
はやせー、はやりゃんせー
鳴き唄よ、はや歌えー
我はー、主の祖じゃせー】
聞いたことのない、拍子に歌詞だ。
だが、不思議と耳には合っている気がする。
声の主は、男性だが今まで出会った彼らの誰とも違う。
火坑でもない。
では、誰だと思いながら歩いていると、歌声がどんどん大きくなり、楽器の音色まで聞こえてきた。
弦楽器らしいのは分かったが。
「あ……」
ようやく、到着した時に見えた人影は。
地獄の補佐官である、火坑の先輩でたしか亜条によく似た。
薄い緑色の髪が特徴的な、優しい面立ちの男性だった。
『……来たかい、仔よ』
「……あなたは?」
『ふふ。まさか、ここまで覚醒するとはね? 私に見覚えがあるようにしているのは、君がそう思っているからだよ』
「……どう言うことですか?」
『なに。期は熟した。私の正体も、君が何故今年になってから妖と関わり出したのかも、わかるだろう。起きてから、あの子にお聞き? きっと答えてくれるさ』
「あの子?」
守護についてくれている真穂のことだろうか、と聞けば、彼は首を縦に振ってくれた。
『これからも素敵な時をお過ごし? 私もすぐに会いに行こう』
「あの、あなたは」
『もう少し楽しみにしておくれ?』
そうして、彼が楽器の弦を弾いた途端。
美兎は夢から覚めて、枕元に置いていたスマホからはアラーム音が聞こえてきたのだった。
「おっそよー、美兎?」
起きたら、本当に真穂が部屋に居たので。美兎は包み隠さず夢の内容を彼女に話したのだった。
美兎のマンションから、少し離れたビルの一角。
雪も降りそうな寒空なのに、薄手の着物に羽織を着た男がにこやかな笑顔であぐらをかいていた。
その笑顔の向かう先には、美兎のマンション。彼の眼には、一生懸命夢で起きた出来事を話している美兎と。その守護についている座敷童子の真穂が映っているのだろう。
「ほっほ。楽しそうじゃのぉ?」
楽しんでいたら、知人に声をかけられた。こんな上層階に来られるのは人間ではない。だが、彼は人間どころか妖でもない。
「ふふ。御大に悟られてしまうほどですか?」
「悟りは、君の本分だろうに。儂ごときに悟られてどうするんじゃ?」
「ふふ。それほど、私も歳をとってしまったのでしょう」
「儂に比べたら、君はまだまだ若造じゃよ?」
「おや、御大に叱られてしまいましたね?」
とにかく、あの子が無事に結ばれた相手が。まさか、見鬼の才を開花させた時に出会った、あの元地獄の補佐官だったとは。彼と面識がないわけではないのだが、覚えてもらっているかも怪しい。
けれど、久しぶりに会うにはいい機会だろう。知己であるサンタクロースも乗り気でいるからだが。
「……会社で紛れていながら、あの子の仕事ぶりを見たが。……本当に良い子じゃ。君の能力はほとんど受け継いでいないようだが」
「ふふ。血筋と言っても、本当に微々たるものですからね?……しかし、覚醒遺伝しましたし。守護を得られる程の存在にまで……私の予想をはるかに超えてくれましたよ」
「なら、いずれは君に並ぶかもしれないのぉ?」
「だったら、面白いのですが」
だから、どうか今は。
少しの間でいいから、この時間を楽しんでいて欲しい。
いずれ、火坑と結ばれるのであれば。
己の正体も、己の出自も知らなくてはならない。その先に、どんな困難があろうとも。
今日の夕刻に、彼女と会えるかどうかは己にもわからないが。
彼女の心のわだかまりを解くのには、良い機会だ。
手にしてた琵琶を、バチで弦を弾きながら唄を紡ぐ。
【あえかなるわ、若子な
罪を犯せし、柊の葉
なればこそ、去ればこそ
我が糸口にたどり着こう】
「良き唄じゃの?」
「お耳を汚してすみません」
「良いと言ったじゃろ?」
「癖のようなものですよ」
謙遜と言うか、己の能力などを卑下するのはもはや癖に近い。
それはあの子もかもしれないが、今年のお陰でいい縁を得ることが出来た。
その幸せを祝うのに、知己であるサンタクロースにも頼んでいるのだから。
「その癖も、あの子に行き渡っておるぞ?」
「そのようですね? 遠い祖先のつもりではいましたが、あの子は私と似ているかもしれません」
いいところどころか、悪いところまで似るなど。妖だけでなく、人間の遺伝子も面白い。
であれば、己も包み隠さずあの子に伝えよう。
湖沼の云われを。
とりあえず、刻限は夕刻なので。それまでサンタクロースに唄を聞かせることにするのだった。
ここは、錦町に接する妖との境界。
ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。
たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。
元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵』に辿りつけれるかもしれない。
不思議な夢を見た美兎は、起きてすぐにいた座敷童子の真穂に話したのだが。
「夢占い? もしくは、真穂達妖の仕業だと思うの?」
「違うの?」
「ほら。夢って深層心理の現れとか、最近の人間も言うでしょ? 美兎や辰也のように、妖が守護につけれるくらいの霊力の持ち主だとー。霊力に流れている血の現れとかもあるんだー? だから、真穂が言うのが正解とも限らないわよ?」
「……そっか」
あれだけのリアルな夢。出てきた相手も相手だし、絶対何か美兎に関わりのある妖か何かだとは思っているのだが。一度目だし、何故今日なのかもわからない。
とりあえず、真穂からは気にするなと言われたので、美兎は身支度を整えるのに朝シャンならぬ昼シャンに入ろうとしたのだが。
鏡に映った変化に、勢いよく声を上げてしまった。
「ど、どどど、どしたの!?」
真穂が来てくれたら、思いっきり彼女に抱きついたのだった。
「目が……目が!?」
「ジ●リ?」
「違うの! 私の目が……! 鏡見たら、真っ青に!?」
「どれどれ?」
もう一度、鏡で見てみると。つい先程と同じく、両目とも瞳の色が真っ青。外国人顔負けくらいな、綺麗なオーシャンズ・アイだった。
真穂の目にもきちんと映ったようで、子供姿の彼女は髪をぽりぽりとかいていた。
「こ、これなんなの〜〜!?」
「考えられるのは三つ」
「三つも!?」
「うん。まずひとつ目」
鏡に向かったまま、真穂は指を一本立てた。
「ひとつめ?」
「真穂が守護についたことで、霊力がさらに覚醒したか」
「そうなの!?」
「まだ可能性よ。ふたつめは……火坑と恋人同士になったことで、霊力の質が変わった影響」
「火坑さんの?」
「キスくらい、あの日に済ませたでしょ?」
「な、ななな、なんで!?」
「なんでかは、この影響がその可能性大だからよ?」
「うう……」
よくも悪くも妖達には筒抜けなのは、今更ながら恥ずかしく思ってしまう。
正直にキスしたことを告げてから、真穂は最後の可能性を口にした。
「最後は。やっぱり、さっき美兎が見た夢を通じて、その妖が何かしたってことね?」
「それが一番可能性強くない!?」
火坑とキスをしたのも約二週間前なのに、今になって症状が出るのが不自然だ。が、真穂は首を横に振った。
「火坑との妖気が馴染んだ結果かもしれないわ。美兎の霊力は、前も言ったけど真穂達妖には美味しいんだもの。それくらい特別だから、時間がかかっても不思議じゃないでしょ? 真穂達が視えるようになったのも今年じゃない」
「……夢の人、ううん。妖さんは、すぐにわかるかもって言ってた」
「じゃあ、目以外の変化はないでしょ? しかも、鏡はなんであれ、真実を写す道具だもの。鏡を見るまでは反応がないようにさせてたかもだし」
時間も限られているから、急ごうと真穂に言われたので。
風呂場の鏡でも何度も見えた、自分の目の色は。
やはり、火坑とはまだ違う。綺麗なブルーアイになっていたのだった。
駅を乗り換えて、栄に到着した美兎と真穂。
表の錦を通ったら、裏通りに入って角の角を曲がり。
昼間だけども、妖達が賑わう界隈に到着した。ここまでは何もなくいつも通り。夢に出てきた妖が何かをするわけでもなかった。
楽庵に到着する前に、大学生姿に変身した真穂も何も言わなかった。
「さあさあ! 今日は遅れながらのクリスマスパーティーよ! 恋人同士のとこに漬け込むのはごめんだけどー?」
「あ、ううん。大丈夫、賑やかなの好きだし」
「まあ、最終的には二人にしてあげるわよ」
「そ、そう」
二人っきりになっても、あの甘い雰囲気になったらどうなるか。猫頭の場合だと、キスするのに不快感。主に猫の舌は痛いだからだろうと、人間の姿で対応してくれたのだが。
痛くても、猫の姿でもキスしてみたいと言うのは。美兎がマゾだからかと思わずにいられない。とりあえず、賑やかになるのなら絶対楽しいはず。
人間達もだが、社会人になって恵まれた環境に関われたのだから。感謝しか思い浮かばない。
そのためにも、抱えている手製のブッシュドノエルのケーキの箱を壊してはいけないのだ。
そして到着すれば、クリスマスイヴは終わっているのに。クリスマスの飾り付けが綺麗にしてある楽庵に到着した。
それと、昼間なのに引き戸に鍵がかかっていなかったので、素直に開ければ。
勢いよく、美兎の前に銀と金のテープが飛んできた。
「メリークリスマス、美兎さん。真穂さん」
「め、メリークリスマス! 火坑さん!」
「メリクリ〜」
「さあ、中に入ってください。外は冷えますからね?」
少し大きめのクラッカーを持っていた猫人は、クリスマスらしくサンタの赤帽をかぶっていた。料理をするためか、他はいつも通り服装ではあるが。
美兎は、入る前に彼にケーキの箱を差し出した。
「こ、これ。約束していたケーキです! 会社の先輩に教わって作ったブッシュドノエルのケーキですが」
「! クリスマスのケーキですね! ありがとうございます! 後ほど、一緒に食べませんか?」
「は、はい!」
一緒に、と言うことは最後は二人っきりということ。初デート以来のイチャイチャを予想してしまったが、今は真穂がいるのでそこは深く考えない。
ただ、パーティーをするのにも人数が少々寂しいような。とは言え、火坑の師匠の店である楽養に比べたらかなり狭いので、この間の人数は無理だろうが。
「ふふ。美兎さんにせめてものサプライズです」
「はい?」
「真穂も詳しくは聞いてないよー?」
「今日は代わる代わる、色んな方がクリスマスを届けてくださいます」
「え!?」
誰だろう、と、少しワクワクしながらおしぼりで手を温めていたら。すぐに引き戸が開いたのだった。
「お久しぶりー!」
「で」
「やん」
「す!」
「美作さん!」
最初に来てくれたのは、本当に久しぶりに出会う美作辰也とその守護についてるかまいたち三兄弟。
手にはバスケットの花籠が。
「湖沼さん、ほんと久しぶり。火坑さんとお付き合い始まったって聞いたよ。けど全然会えなかったし」
「え、え。いつそれを?」
「俺が聞いたのは、ほんと三日前だけど。二人ともバレバレだったから、見てて面白かったよ?」
「あう……」
ますます恥ずかしくなってきたが、今日はクリスマスパーティー。
せっかくだから、と美兎と辰也に火坑が心の欠片を求めた。
代金と言うよりかはパーティー向けに。
出てきたのは、美兎が骨付きの鳥もも肉。辰也が豚バラブロック肉だった。
「こちらでフライドチキンと、時短の角煮でも作ってみましょうか?」
「わーい!」
『豪勢!』
「わー、昼間から飲めるなんてラッキー!」
「ですね!」
これから誰がやってくるかはわからないが、楽庵主催のクリスマスパーティーの開始となった。
フライドチキンに角煮。
どちらも味付けが濃いものばかりだけど、パーティーなら嬉しい品々だ。
どんな風に出来るのか、美兎は楽しみで仕方なかったが。火坑が次々と出してくる材料の多さに圧倒しそうになった。
「火坑さん、そんなにたくさんの材料が必要なんですか?」
美兎が聞くと、火坑は涼しい笑顔になった。
「ふふ。ファストフード店も驚きのフライドチキンを作るためです。材料が取り揃えれば意外にも簡単に出来てしまうんですよ?」
『おお!!』
『わあ!!』
入社した当初は、美兎も自炊が面倒になってファストフード店に頼りがちでいたが。火坑に出会い、手製の料理の優しさに触れてからは。真穂が守護についてからも、ほぼほぼ手料理を作るようにしている。
だから、こう言うジャンキーな食事は実に久しぶりだ。
パーティーだから、と、最初は生ビールで美作達と乾杯したが。全員が全員、火坑の調理に目を奪われていた。
大量のスパイスらしき缶に、二種類の粉。あと、塩胡椒に牛乳などなどなど。フライドチキンと、唐揚げの違いを明確にわかっていない美兎にとって、揚げ物と言うのは下味をつけたら粉にまぶして揚げる物だと思っていた。
「……俺。普段から自炊はあんまりやんないけど……ここに来るたびに驚くんだよね?」
美作辰也が、ジョッキのビールを半分くらい飲んでから、そう呟いた。
「私も、大袈裟なのはしないですけど……」
「えー? けど、俺よりはしてそうなイメージがあるなあ? それに、火坑さんと恋人になったんだったら尚更」
「はい?」
「将来的に、結婚したら……ここの若女将さんとかにならないの?」
「ハードル上げないでください!?」
素でさらっとそう言うことを言うのだから、時々辰也が天然かと思ってしまうのだが。このお人好しな先輩は、あくまで本心から言っているのだろう。余計に質が悪い。
「ふふ。その楽しみは当分先ですよ」
「火坑さん!?」
計量をしている火坑も乗るのだから、美兎に逃げ場はない。真穂は我関せずと、生ビールをごくごくと飲んでいるし。辰也の守護についているかまいたち三兄弟も同じく。
「ふふふ。とりあえずフライドチキンには、唐揚げで作るような衣を……水分が多いのとスパイスを調合したものと二種類用意します」
美兎から取り出した、骨付き鳥もも肉の心の欠片。とても大振りで、ここにいる人数分は取り出せたのだが。どんな仕上がりになるか楽しみだ。
計量したスパイスや粉の入ったバットと、牛乳で溶いた粉の液が入ったバット。火坑は先に液体の方に肉を漬け込んでいく。
その後に、スパイスの方へ躊躇なく入れて、先に付けた衣が見えなくなるまでまとわせた。
「味付けは、後の粉が決めてなんですね!」
「それだけでなく、バッター液と呼ばれる先につけた衣にも塩味をつけています。肉にいくつか穴を開けてあるので、そこに塩が染み込んでいく寸法です。あとのシーズニングと呼ばれるスパイスは口に入れた時に感じるためですね?」
「わあ!」
そうして、すべて準備が整ったら油の鍋に入れて揚げていくと思いきや。
もう一つ、辰也から取り出した豚の厚切りの肉を使って角煮を作るらしい。しかも、炊飯器で。
「あら、時短は圧力鍋じゃなくて?」
「ふふ。家庭らしい料理に仕上げるのであれば。今日くらいは少し楽をさせていただきました」
先に作ってたらしいゆで卵。カットしたブロック肉は焼き目をフライパンに入れて。それと調味料に青ネギの太いところと生姜のスライス。
それらを、炊飯器に入れたらポンと押すだけ。だが、いくら早炊きでも30分以上かかるのでは、と美兎が思ったのだが。
火坑が、ストップウォッチをなぜか棚から取り出したのだった。
「それは……?」
「ふふ。人間の皆さんにはあまりお目にかからない、妖術を今回お見せ致しましょう」
「よーじゅつ?」
「火坑さんや、妖の皆さんが使える魔法みたいなものらしいです」
「へー? あ、俺と奈雲達が契約したのも?」
「そー」
「で」
「やんす!」
「契約の儀だけどねー?」
「では、スタート!」
と、火坑はストップウォッチを押しただけなのに。
一分もかからずに、炊飯器が炊き上がりの合図を鳴らしたのだった。
調理に妖術を使うのは、随分と久しぶりだ。
師である黒豹の霊夢に修行時代教わったのだが。幽世でもひょっとしたら獄卒だったり、職員だったりが使っていたかも。閻魔大王は流石にないだろうが、妖術は便利だ。
初デートの日に、美兎に言った通り。人間には扱えない魔法のような力なのだから。
時間短縮の場合、神経や妖力をかなり使うのだが。美兎や辰也から定期的に心の欠片を提供してもらっているので。火坑の妖力は満ち満ちているのだ。
店の経営状況も同じく。この二人以外にも来訪する人間達はいるが、老化のせいか最近は質が良くない。そこはまた、短命種である人間の体質もあるだろうが。
とにかく、美兎達のお陰で、今日の料理は随分と時短することが出来る。有り余る妖力を使って、存分に振る舞うつもりだ。
「お待たせ致しました。美作さんの心の欠片で作りました、出来立ての豚の角煮です」
『おお!?』
『わあ!!』
「すっご!? あの魔法みたいなのであっという間に出来たとか思えないや」
客達全員が驚くくらいの出来栄えなのは無理もない。
圧力鍋や時間をかけて作ったようにしか見えない、角煮の煮え具合に脂身の透明度。
しかも、作ったのは炊飯器だ。とても、時間短縮で作ったようには見えないだろう。器に盛って、白髪ネギと練り辛子を添えたら、美兎もだが全員の顔が綻んだ。
『いただきます!』
手を合わせてから、それぞれ箸を角煮や卵に伸ばした。ほろっと箸で切り分けられる柔らかな角煮。固茹でになっても、味が染みて食べるのが楽しみになるゆで卵。
口に入れれば、皆笑顔になったのだった。
「脂身がしつこくなくて、ふわふわです!」
「お粗末様です」
恋人に喜んでもらえて、火坑は心の底から嬉しくなった。
「いい味になっているじゃない?」
「う」
「ま」
「い!」
「うん。味付けも濃い目に見えるのにあっさりだし、フライドチキンの前に食べて正解かも」
「ふふ。今揚げますね?」
日本に洋食が持ち込まれて、約百年以上は経つが。戦争の傷痕が遠ざかって、これまた約五十年程度で。随分と日本の料理も多種多様になってきた。
角煮は江戸時代からあったらしいが、フライドチキンはまだごく最近だ。霊夢が人化してまで人間界に食べに行くので、火坑も覚えたのである。
が、自宅で作るほどではないので。今日のために、と、普通の鶏肉で練習したものだ。だから、自信がある。
低温でじっくりと揚げないと、カリカリ以前に中に火が通りにくいので。菜箸で油の中に衣を少々落としてから、温度の加減を見る。パチパチ、と爆ぜる音がしたら、大きめの鍋ではないので二本だけフライドチキンを投入した。
すると、低温なのに油と衣が接触する特有の、軽い爆発音が聞こえてきたのだった。
「あ〜〜、ジャンクで時々食べたくなるけど。年のせいか、最近あんまり食べなくなったんだよなあ?」
「年って……美作さん、私より少し年上なだけじゃないですか?」
「いやいや、湖沼さん? 三十近くになると男女関わらず、味覚結構変わるよ? あ、でも。湖沼さんには火坑さんがいるから関係ない?」
「う……そ、うかもしれないですけど」
「ふふ」
本当なら、妖と結ばれるよりも美作くらいの人間と結ばれた方が人間としての幸せ送れたかもしれないが。
美兎もだが、火坑も無理だった。相手を想う心が強過ぎて。
だから、火坑も後悔はしていない。
それに、今日は美兎と関連がある例の妖が来るのだ。気合を入れて、料理を拵えるつもりである。
そうこうしているうちに、フライドチキンが良い具合に出来上がったのだった。
「お待たせ致しました。美兎さんの心の欠片で作らせていただいた、フライドチキンです」
出来上がりをカウンターに置けば、全員いい笑顔になってくれたのだった。
ファストフード店に負けないくらいの、カリカリとした表面に。まだ衣に残っている揚げ油と衣がぶつかって爆ぜる音。
持ち手の部分は、火坑が丁寧に巻いてくれた紙で持ちやすく、今にもかぶりつきたくなるような出来栄え。
衣が、まるで黄金のように光り輝いていて、食べるのがもったいないくらいだ。だが、せっかく火坑が手掛けてくれた逸品。食べなくてはもったいないだろうと、美兎は真穂とほぼ同時にフライドチキンにかぶりついた。
「んん!?」
「ん〜〜!!?」
あまり高い温度で揚げていないと言っていたのに、普通に唐揚げと比較にならないくらいに衣はサクサク。中の肉にもきちんと火が通っていて脂身も相まってとてもジューシー。
これには、ビール。と美兎はふた口くらい食べてから生ビールを煽り。幸せの循環に溶け込んでしまいそうになった。
「うっま!? 普通のジャンクショップの奴より断然美味しいですよ、火坑さん!」
「ふふ。お粗末様です」
「う」
「ま」
「い!」
「ほんと、美味し!」
「ねー?」
しかも、大振りの肉がひとりにつき一本。
贅沢な逸品である。
生ビールをおかわりしながら食べ進めていくと、また誰か来たのか引き戸が開いた。
「邪魔するぜぃ!」
「久しぶりでやんす!」
次は、夢喰いの宝来にかまいたちの水緒だった。小さい身体なのに、大きな発泡スチロールの箱を抱えていた。
「俺っち達は届けだけでぃ」
「な?」
「え? ご一緒出来ないんですか?」
会うのも随分と久しぶりなのに、と気落ちしていたら宝来がウィンクしてきたのだった。
「俺っち達がずっといたら、美兎の嬢ちゃんと大将がゆっくり出来ねーだろ? だもんで、今日はこれだけさ」
「お嬢さんとは知り合いからの品でやんす」
「知り合い?」
「どなたでしょうか?」
火坑がこっちに回ってきたので、蓋を開ければ中トロのような大きな魚のサクが入っていた。絶対刺身でも美味しそうだが、添えられていた手紙を火坑が見ると、くすりと笑ったのだった。
「誰からですか?」
「烏天狗の翠雨さんからですね? 所用が立て込み過ぎて、直接は来られないそうです。これが、例のマンボウの肉ですよ」
「これが!?」
「え、マンボウって食えるんですか!?」
辰也も食べる手を止めてこちらに振り返るくらい。一同、マンボウの肉に釘付けになってしまった。
「じゃ、届けたんで俺っち達はこれで」
「また来るでやんす」
「はい」
本当に届けるだけに来たようで、二人はさっさと帰ってしまったのだった。
とりあえず、マンボウの肉は日持ちがしにくいのと。今日は既に重めの品々ばかり食べているので。マンボウの肉の一部を、シンプルに串焼きにしようと火坑は決めたようだ。
「マンボウの肉って聞いたことないけど。食えるんだー?」
「私も……火坑さんとお出かけした時に。烏天狗さんに聞いたんです。三重県や和歌山では食べられるって」
「え、初デートなのに。街中で妖怪に出会ったの?」
「ふふ。偶然ですが、あちらもお相手がいらっしゃったんですよ」
「……俺が知らないだけで、妖怪と人間が付き合うのって。意外と多いんですか?」
「それでも。ここ数十年は随分と減ってしまいましたよ?」
「そうねー?」
紗凪と翠雨以外に、美兎も他に付き合っている人間と妖のカップルは知らない。ろくろ首の盧翔や雪女の花菜は同じ妖でも種族が違う。
彼らともしばらく会っていないが、元気にしているだろうかと思っている間に。
マンボウの串焼きがもう出来たのであった。
肉汁がしたたり、見た目にも美味しそうな逸品。皿に盛り付けられた串焼きを、真穂や辰也達は串を持ったが美兎は串から取り外して箸を使った。
息を軽く吹きかけて、ひと口。
ついさっき、フライドチキンを食べたばかりなのでわかるが。本当に魚類なのに鳥肉のような食感と味わいだった。
「お邪魔します」
美味しいと、声を上げそうになった時に。
何故、ここにと思った人物が来訪してきた。
会社の清掃員、三田久郎が。まるで、ここの常連だという感じに入ってきたのだった。
何故、どうして。
どうして、三田が錦に。
しかも、妖の界隈にいるのだろうか。おまけに、営業日でもないのに楽庵へ当たり前のように来ている。
美兎が目をパチパチさせていると、目の合った三田はいつものようにゆるゆると微笑んだ。
「ふふ、湖沼さん。こんにちは」
「こ……んにちは」
「あれ? 湖沼さんのお知り合い?」
「それだけじゃないのよね〜?」
「で」
「あり」
「んす!」
「え?」
どういうことだ、と真穂に振り返れば、前前と彼女に三田を見るように言われた。
三田はニコニコしているだけだったが、真穂の言葉を耳にした途端、自分の頭に手をかざした。
「……戻れ」
低い低い、少ししわがれたような音程。
それが耳に届くと、目の前にいた三田の姿がどんどん変わっていった。
ただでさえ、銀に近い白髪の量が増えてさらにモコモコに。
服装は赤と白。黒のベルトが特徴的な、昨日までの人間界のディスプレイだと、よく見かけるような格好に。
トナカイはいないが、手にはさっきまでなかった真っ白な袋を背負っていて。背も、小柄だった三田と比べようがないくらい長身になった。
「ほっほっほ、メーリークリスマース!」
そして、その姿通りの謳い文句を口にしたのだった。
「え、え!? マジすご!? マジで本当のサンタ!? 実在してたの!?」
美兎もポカーンとしてしてしまったが、辰也が年甲斐もなくはしゃぎまくった。スマホで写真を撮るのは、さすがに理性が勝ったのかやめてはいるけれど。
「御大」
「で」
「す!」
「遅かったじゃない?」
「ほっほ。少々手間取ってな?」
そして、妖達は当たり前のように出迎えている。彼らには、三田、いいや、本物のサンタクロースとは顔見知りなのだろう。
火坑に振り返れば、涼しい笑顔になっていた。
「今日のパーティー企画者は、御大ご本人なんですよ」
「おんたい……と言うのは?」
「ああ、深い意味はありません。神に属する種族でいらっしゃるのですが、いつのまにか我々妖の間では。サンタクロースさんのことを自然と『御大』と呼ぶようになったんです」
「本当に……本物のサンタクロースが?」
なら何故、美兎の会社の清掃員に扮していたのだろうか。
辰也達を相手にしていたサンタクロース本人は、美兎の視線に気がつくとこちらにやってきた。
「湖沼さん、すまんのお。儂はある者に頼まれて、日本に来たのじゃ」
「三田さん……に?」
「ほっほっほ。どちらでも構わぬよ。儂は今しばらく、日本にはおるからの」
「え?」
誰に、と首を傾げたらサンタクロースは入り口の方へと手招きした。
「ほれほれ。入って来い」
何回か手招きしたら、しゃらんと弦が弾くような音が聞こえてきた。
「……お邪魔します」
「あ」
その声は、と驚いているうちに姿が見えた。
大きな琵琶らしい弦楽器を抱えていて。亜条に似た優しい面立ち。薄く長い緑色の髪。人間以上に白過ぎる肌。
夢で見た、多分妖。
彼をそっくりそのまま現実にしたような人物だった。
「おや……覚の御大」
彼が出てきて、最初に口を開いたのは、火坑だった。
いったいどう言う人物か気になり、美兎は彼に振り返ったのだった。
「あの……この人は?」
「美兎さん、相当驚きますよ?」
「はい?」
「この方は……美兎さんの遠いご先祖様なんですよ」
「え」
「え!? 湖沼さんって、妖怪の子孫!?」
「そう言うあんたもよ、辰也?」
「え、マジ!?」
驚く辰也の声もだが、火坑の言葉もすぐに受け止められなかった。
たしかに、不思議な霊力の持ち主だと常日頃真穂達に言われ続けてはいたのだが。
まさか、先祖に妖が加わっているとは思わなかったのだ。