ここは、錦町(にしきまち)に接する妖との境界。

 ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。

 たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。

 元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵(らくあん)』に辿りつけれるかもしれない。









 中区、丸の内にあるビルの一つ。

 クリスマス間近、デパートのディスプレイなどもデザインは佳境を過ぎて、現場の手伝いもあるのだが。

 新人デザイナー見習いの肩書きがあと数ヶ月で外れる、湖沼(こぬま)美兎(みう)は。

 寒いが、気分的に屋上で落ち着こうと思い。屋上の休憩フロアへと、飲み物を途中で買ってから向かった。

 もちろん、室内にも休憩室やフリースペースはあるのだが、天気が良かったのでなんとなく向かう。

 飲み物も、甘い甘い自販機カップドリンクのカフェモカ。デザイナー問わず、デスクワークでは頭をかなり使うので糖分が欲しい。欲しくなるので、今日くらいはいいだろうと言い訳をする。

 屋上に到着すると、やはり外気は寒々としているが。頭をしゃっきりさせるにはいいだろうと、羽織ってきたダウンを着直す。

 そして、暖かいガラス張りのフロアに入ろうとしたら、既に先客がいた。


「おや、湖沼さん」
「こんにちは、三田(みた)さん」


 小柄で背も低い、けど優しい笑みが特徴で周囲を和ませてくれる。清掃スタッフである三田久郎(くろう)が、美兎と同じような紙コップを手に休んでいた。

 だいたい六十代に見えるが、誰も彼の正確な年齢を知らない。だが、誰も気にせずに彼と話す人間は多い。雰囲気と言うか、柔和な笑みにつられて挨拶だけでなく世間話までしてしまう。

 それくらい、何故か話し相手になりやすい人間だったのだ。今日は珍しく一人でいるが。


「お一人ですか?」
「三田さんも。お隣……いいですか?」
「ええ、僕は構いませんよ?」


 そのニコッと笑う感じも、相手を懐に入れるのがうまい証拠。美兎も見習いたいくらいだが、まだまだその老成には到底追いつかないだろう。ひとまず、三田の隣の席に腰掛けてから飲み物をひと口。


「は〜〜……美味しい」
「湖沼さん達は大変そうですねぇ?」
「いえいえ。現場の人達に比べたら、ずっとデスクワークですし」
「そんなことはないですよ? 立ち仕事や座り仕事関係なく、お仕事はお仕事ですから」
「うう。三田さんに言われると説得力があります……」
「ふふ。伊達に長生きしてませんからねぇ?」


 さすがは大人の余裕。

 少し、恋人である猫人の妖、火坑(かきょう)と似た雰囲気でもあるから尚話しやすいのだろう。ちなみに、火坑の現在年齢は120を優に越えているらしい。

 随分と歳の差ではあるが、気にしない。気にしたら負けだと思っているし。もし、火坑と結婚まで出来たら美兎にもメリットがあるから。

 それは、先日の彼の誕生日デートの時に教えられた。

 心身共に、妖と結ばれれば身体が創り変わり、同じ寿命を過ごせるのだと。

 だから、それまで美兎には人間の生活を十分に謳歌してほしいと言われた。なので、社会人生活はまだ一年目だから、少なくとも三十代までは彼と性交をするのも御法度だ。

 だけど、キスや簡単なスキンシップは大丈夫らしい。美兎はデートの時の蕩けるようなキスを思わず思い出してしまった。


「……はー」


 あの日以来、携帯でしかやり取りは出来ていないが元気にしているだろうか。錦もだが、界隈はここからだと目と鼻の先なのに、行けないのが少し悔しい。


「おや、湖沼さん? 今のため息はお相手さんを思ってですか?」
「!? え、なんで!?」
「いやいや。ここひと月くらい、湖沼さんの表情が疲れていても生き生きとされていらっしゃったので。もしかして……と」
「あ、はい。……そんなにも分かりやすかったですか?」
「ふふ。何人かは気づいているかもしれませんよ?」
「うう……」


 気を緩めていたつもりはないが、この人の前だと形無しだろう。

 思わず、しばらく会えていないことを告げれば、彼はコップの飲み物をひと口飲んだ。


「世間はクリスマスですからねぇ? キリスト教徒関係なしに、日本では恋人や家族のイベントですから」
「……はい。社会人になってはじめての彼氏ですし。ちょっとだけでも会えたらなって」
「けど、実際は?」
「高島屋のディスプレイの搬入と撤去に行かなくちゃいけなくて」
「お疲れ様です」
「はい……」


 新人の恒例行事であるので仕方がない。

 だから今は、束の間とは言え休息をしっかり取らなくてはいけないのだ。

 ゆっくり休憩したいところだが、三田とのおしゃべりは時間の経過を忘れてしまうので。残ってたカフェモカを煽ってから、仕事に戻ることにしたのだった。