名古屋錦町のあやかし料亭~元あの世の獄卒猫の○○ごはん~

 パーティーと言っても、火坑(かきょう)美兎(みう)が到着するタイミングに始めるらしく、時間はそこまで気にしなくていいようだ。

 けれど、パーティーと知ってしまった今。美兎は(にしき)に着くまでそわそわしてしまっていた。


「ふふ、気になってしまいますか?」


 (さかえ)の駅を降りた途端、火坑が小さく笑ったのだった。


「あ、すみません! その……恥ずかしながら、親しい人達とパーティーだなんて。学生時代もほとんどなかったので」
「おや。失礼ですが、大学もですけど、高校生とかでも?」
「その……夢に突っ走ってばかりで、あまり友人もいなかったんです」


 まったくいなかったわけでもなかったが、夢であった今就職した会社に行くために。様々な青春を犠牲にしていた。だから、合間に少しだけ付き合っていた彼氏ともうまくいくわけはなく。

 相手も悪かった部分もあったが、つまんない女だとレッテルを貼られてしまったくらいに。それを話せば、火坑が人混みの中なのに、ギュッと抱きしめてきた。


「き、響也(きょうや)さん!?」


 いったい何を、と思っていると。ちょうど美兎の耳元に彼の顔があったのかくぐもった声が聞こえてきた。


「……そんなわけがありません。美兎さんは、とても魅力的な女性です」
「……響也さん?」


 少しだけ腕の力が緩まったので、顔を覗き込めば彼は苦笑いでいた。


「僕と付き合って、よかったと思えるくらいに。これからもっと素敵な時間を過ごしましょう?」
「! はい!」


 たしかに。

 まだ新卒で大学を出てから一年も経っていないのに。妖達と関わり出したお陰で、美兎の色のなかった世界に少しずつ色が足されてきた。

 それは、猫人の火坑と付き合い出してからもっとずっと。

 改めて、彼の腕に抱きついてから界隈に行く道順を歩いて行ったが。彼の顔は、界隈に入ってもまだ人間のままだった。


「……戻さないんですか?」
「ふふ。とりあえず、今日ばかりは良いかと」
「?」
「少し、お久しぶりの方もいらっしゃいますからね? せっかくなので、変化の評価をしてもらおうかと」
「化けるのが、得意な人ですか?」
「美兎さん。人間だと化かされるで有名な妖、もとい妖怪はなんだと思いますか?」
「んー……狐、とか?」
「正解です。少々性格に難ありですが、バーテンダーの狐さんがいらっしゃるんです」
「バーテンダーですか!」


 まだ界隈もだが、栄周辺のお洒落なBARにも行ったことがない。どうやら、霊夢(れむ)の頼みで界隈の注目バーテンダーである狐狸(こり)の妖が出張してくれることになったそうだ。

 無論、火坑とも顔見知りなので、知り合いではあるそうだが。性格に難ありとはどう言うことか。

 それは、到着してからすぐにわかった。


「らっしゃい!」
「来たね!」
「お? らっしゃい!」
「あら〜ん? やっと来たのぉ〜?」


 霊夢に蘭霊(らんりょう)まではわかったが、今朝界隈で別れた座敷童子の真穂(まほ)まで居て。

 さらに、雪女で友達の花菜(はなな)がいない代わりなのか。和装の楽養(らくよう)には不似合いの黒と紺で統一された、バーテンダーの制服を着ているおそらく男性。

 と思うのは、口調がいわゆる『オネエ』だったからだ。今日出会った、烏天狗の翠雨(すいう)に負けないくらいの美貌と背丈なのに。口調ですべて台無しにしているような気がして、美兎にはもったいなく映った。

 とりあえず、彼が火坑の言っていた狐の妖らしい。


「こ、こんばんは。あの……バーテンダーさんははじめまして。私は、湖沼(こぬま)美兎と言います」


 美兎が挨拶をすれば、バーテンダーの彼はぱあっと顔を赤らめたのだった。


「やだやだ! 火坑(きょー)ちゃんの恋人の女の子、ちょー可愛いじゃなぁい!? それにあたしにも挨拶してくれるだなんて良い子ねん? こんな口調と也だけどぉ。あたしは狐狸……狐の宗睦(むねちか)よん? チカって呼んでもらってることが多いから、あんたもそう呼んでちょうだい?」
「え……と、じゃあ。チカさん?」
「んふふ〜〜! じゃあ、あたしは美兎ちゃんって呼んであげるん!……ちょっと、きょーちゃん? 化けは妖ならもっと華美になさいって言ったわよね? なんで、そんなフツメンちょい上くらいなの!?」
「ふふ。あまり目立つのは嫌なので」
「猫の顔ならイケメンなんだからん! 恋人出来たんだし、もっと素敵になさいな?」
「とは言え、この顔で目立つ場所に行き来しましたし」
「んもぉー!」


 あと、火坑の行きつけの仕入れ先でもその化け方らしいので、今更と言うのもあるらしい。

 それに、美兎も顔だけで火坑に惚れたわけでもないと告げれば、宗睦から熱い抱擁をされてしまった。


「わ!?」
「良い子過ぎるわ〜! 花菜の言ってた通りねん!?」
「ちょっと、宗睦さん? 僕の恋人に勝手に抱きつかないでください」
「チカとお呼び!」
「……チカさん」
「はいはい。出来立て熱々カップルの間に水刺す気はないわよん。とりあえず、ウェルカムドリンクだけ、ささっと作ってくるから」


 と、あっさりと美兎を解放してから、カウンターの中に入って用意してたらしいウェルカムドリンクとやらを作り始めたのだった。

 作る様子はもちろん見ていて楽しみになってきたが、美兎は気になっていたことを真穂に聞くことにした。


「真穂ちゃん、花菜ちゃんは?」
「んふふ〜! あいつにも春が来たのよ! 色々あったけど、ろくろ首の盧翔(ろしょう)と付き合うことになったみたいよ!」
「え、いつ!?」
「今日の夕方前?」
「ええ!?」
「とりあえず、盧翔と話すのに少し遅れるそうだ。ついでに、盧翔まで連れてくるかもしんねーが」
「お、おおお、遅れました!!」
「霊夢の大将、すまねぇ!」


 と、話が盛り上がってきたら本当に花菜と盧翔がやってきて。

 美兎はおめでとう、と火坑と一緒に二人にお祝いの言葉をかけるのだった。
「おめでとう!!」
「おめでと!」
「祝いよん! おめでとう!!」
「おめっとさん!」


 楽養で猫人の|火坑(かきょう)とお付き合いすること、兼彼自身の誕生日パーティーをすることになり。

 祝われる美兎(みう)と火坑は、狐狸(こり)宗睦(むねちか)が作ってくれたウェルカムドリンクの後に、持ち込みのシャンパンで祝杯をあげてもらった。


「あ、ありがとうございます」
「皆さんありがとうございます」
「なに、お前さん達の祝いだ。頼まれたからには、こっちは盛大に祝うぜ?」


 と言いながら、黒豹の霊夢(れむ)が大型冷蔵庫から取り出したのは。脂が凄い、肉の塊だった。


「おや、師匠。今日は牡丹鍋を披露してくださるんですか?」
「んー? お前さんらのリクエストを聞いても良かったが。任されたしな? 猟のシーズンだし、伊豆から仕入れたぜ?」
「伊豆……静岡からですか?」
「おう。別で角煮とかも作ったから、すぐに出してやるさ。蘭、頼んだ!」
「あいよ」
「大将! 俺も手伝う!」
「お前もある意味祝われる側だろ?」
「けど、花菜(はなな)も仕事してるし」
「んじゃぁ〜? あたしのとコラボしましょうよん? カクテルに合うピザとか」
「お、いいな?」


 と言うわけで、美兎と火坑以外てんやわんや状態になったのだが。不思議とゴタゴタしていない。妖ではあるけれど、ここにいるのは料理人に接客のプロ。

 客に違和感をもたせない心意気など、お手の物なのだろう。専門外ではあるが、美兎もその気遣いは見習わなくては、と思えた。


「ほいよ。まずは、あったかいもんの一つだ」


 狼頭の蘭霊(らんりょう)が出してくれたのは、霊夢が言っていた角煮だそうだ。しかも、今調理している牡丹鍋用のイノシシ肉とはまた違う部位らしい。

 贅沢、贅沢過ぎると思わず凝視してしまうくらいだった。

 照り、艶、湯気に肉の存在感。

 イノシシの肉で、角煮どころか肉自体を口にするのが初めてなので。思わずよだれが垂れてしまいそうになった。


「ふふ。美兎さん、冷めないうちにいただきましょう?」
「あ、はい!」


 見惚れ過ぎだろうと我に返ったところで、ひとつ気づいた。

 何故、真穂(・・)まで不格好な割烹着を着て手伝っているのだろうか。

 調理補助くらい出来るのは、半同居に近い美兎の自宅での生活でよく知ってはいるのだが。真穂に視線を気づかれると、彼女はくすりと笑ったのだ。


「真穂の気まぐれ、って言うのは聞こえが悪いけど。目でたいことじゃない? たまには、こう言うのをしてみたいと思ったわけよ」
「そうなの?」
「ま。思ってた以上に手際がいいし、うちじゃ大助かりだ。花菜も見習えよ?」
「は……はい」
「ほらほら、角煮冷めちゃうから食べなよ?」
「あ、うん!」


 箸で肉を割ると、圧力鍋を使ったかのようにすっと肉の繊維がほぐれて。まずは、辛子もつけずにひと口頬張れば。

 夢のような心地よい、脂と肉の層が口いっぱいに広がっていった。加えて、外の寒さを忘れるような暖かさ。


「さすがは、先輩に師匠です」
「おうよ。おめーに負けるつもりは毛頭ねぇしな?」
「これ、ご飯が欲しくなります……!」
「おう。白飯勧めたかったが、祝いってことで牡蠣の炊き込みご飯作ったんだ。キノコじゃないから、お嬢さん食えるだろ?」
「牡蠣!? カキフライとか大好きです!」
「おっと。焼き牡蠣もする予定だったが、そうくりゃフライにしてやんぜ?」
「きゃー!」


 火坑の誕生日なのに、火坑の誕生日なのに。

 美兎との交際のお祝いでもあるから、もう無礼講。

 なんでもありのパーティーとなってしまっていた。


「さて。角煮を堪能しているお嬢さんと紳士さん? ワインだけど、ボジョレーかピノノワール。どちらになさいます?」


 辛子で角煮を食べようとした時に、宗睦が見た目通りのバーテンダースタイルでオススメを並べてくれた。

 日本酒でも紹興酒とかではなく、ワインとは。とてもお洒落な組み合わせだと思った。


「甘めがお好きな美兎さんには、ピノノワールの方がオススメですが」
「ボジョレーって、毎年11月解禁とかで聞きますよね?」
「ふふーん。ヌーヴォじゃないけどぉ、中華料理に使うスパイスを製造の際に加えることがあるのよん。甘めではあるけど、ピノノワールよりはどっしりしてるわねん? 火坑(きょー)ちゃんはボジョレー?」
「そうします」
「じゃ、じゃあ、私はピノノワールで」
「かしこまりました」


 そして、どこからか出した専用のワイングラスに注がれていくワインを。

 宗睦がそれぞれ置いてくれてから、無礼講なので火坑と軽くグラスをかち合わせた。
 なかなかに、愛らしい笑顔の人間だと思った。

 まったくゼロではないが、宗睦(むねちか)もバーテンダーとなってそこそこ長い。身を置いているBAR『wish』でも魑魅魍魎の変化で、自分と同類である狐狸(こり)の幻影術は様々な美女を見てきたものだが。

 まあまあ、彼女らのような妖艶さはなくとも、なかなか愛らしい人間。火坑(かきょう)の見立ては間違っていないと思うくらいに。

 酒はあまり強くないらしいが、甘めの味付けが好きらしく。宗睦が最初に出したウェルカムドリンクのカクテルもだが、今さっき出したピノノワールも実に美味しそうに飲んでくれている。

 酒を勧める側としては嬉しい限りだ。

 しかし、今日の楽養(らくよう)が出すメニューはどれも旨そうなものばかりだ。

 たしかに、祝いだから仕様がないもあるが。どれもこれも、宗睦の好みでもある。出張費とは別に、一部食べさせてやると、主人である黒豹の霊夢(れむ)が言ってくれたのだがいつになるのやら。


「牡蠣の炊き込みご飯も美味しいです!」


 しかしまあ。

 湖沼(こぬま)美兎(みう)と言う女は、見ていて飽きない。

 宗睦が勧めた酒もだが、霊夢達が出していく料理も本当に美味しそうに食べているのでこっちまで笑顔が伝染しそうになった。

 さすがに、飯ものの時には酒を勧めなうようにしたので、その間に一度店に戻って生地を取りに行ったろくろ首の盧翔(ろしょう)の様子を見ることにした。


「どうなのよん、今日のピザの出来」
「ピザじゃなくて、ピッツァな!」
「へーへー」


 自分の店のように、石窯はこの店にがないので。元狗神の蘭霊(らんりょう)に教わりながら、オーブン窯でなんとか焼いているようだ。


「肉っ気が多いって、大将や蘭さんに聞いたからね? ちょっと野菜多めにしよーかと」
「あの子の苦手な食べ物聞いてるのん?」
「ああ。俺も本人に直接聞いたのもあるけど。蘭さん、美兎さんってキノコとコンニャク以外ありましたっけ?」
「俺もその程度だ。花菜(はなな)は?」
「あ……あと、空豆やグリンピースもそんなに得意じゃないって」
「セーフセーフ! 空豆はともかく、ものによっちゃグリンピースは入れてたな?」


 とりあえず、ピザ組も大丈夫なようだ。それにしては、見えているピザのシルエットが丸ではなく四角いのが気になったが。


「盧翔ぉ〜? 急いで作った割には、なんか珍しそうなもん作っているじゃなぁい?」
「へへん。イタリアのローマじゃ、むしろ丸よか四角いのが普通なんだぜ? 地元じゃ、『アルターリオ』とか呼ばれてんだ」
「ほー?」
「ふーん?」
「この作り方だと、宅配にもある四分割の味変もやりやすい。今日はマルゲリータとアンチョビのにしてみた!」
「美味そう……」
「美味しそう……」
「ヨダレ出そう……」


 具材も聞けたので、宗睦は早速ピザに合うカクテル作りの準備に入った。

 ビール系なら、ジンジャエールと割ったシャンディガフ。トマトジュースと合わせたレッドアイ。

 ワインベースなら、白ワインと炭酸のスプリッツァーにカシスを混ぜたキールロワイヤル。

 スピリッツなら、ジントニック。ソルティドック。とか、まあまあ上げたら切りがないので。

 せっかくだから、本人達に選んでもらおう。腹の方はまだ満たされていないらしいが、これから出てくる盧翔のピザは少々重いですまないだろうから。


「ちょいと、美兎ちゃんに火坑(きょー)ちゃん?」
「はい?」
「なんでしょう?」


 ちょうど、牡蠣の炊き込みご飯を軽く一杯食べ終えたところだった。


「次くらいに、盧翔のピッツァが出来るそうよん? お供にするお酒はどうするん? ワインなら追加しちゃうけど、せっかくだからカクテルにしてみなぁい?」
「そうですね。せっかくのオススメですし」
「チカさん、どんなカクテルがあるんですか?」


 提案に乗ってくれたので、先程悩んだカクテルの一覧をすぐに伝えたら。美兎はキールロワイヤルに、火坑はソルティドックを選んだ。

 ソルティドックは、一応『wish』からグラスを持ち出しているので塩はレモン汁を使って、グラスの縁にスノースタイルと言う雪化粧のようにつけていく。

 次に、グラスに氷を入れてグレープフルーツジュースとウォッカを入れて、マドラーで軽くステアするだけ。仕上げにレモンの輪切りを添えて。

 美兎の方も、ビアカクテル用のグラスに材料を入れたらステアするだけ。

 カウンターテーブルの上が空になってから、それらをコースターもセットして置いたのだった。


「わ、綺麗! 私、カクテルって少し勘違いしてたんです」
「勘違いかい?」
「はい。テレビの演出とかドラマとかであるじゃないですか? シェイカーでしたっけ? カクテルってあれで全部作るものかと」
「あっはっは! たしかに、人間もだが妖でも知らない連中は勘違いするねー?」


 宗睦も酒の世界を知るまでは、美兎と似た疑問を持っていた。しかし、(にしき)の界隈に出入りするようになり、師匠の下で修行するようになってからそれは違うとわかった。

 その疑問を持つ存在は人間や妖問わずにまだまだ多いだろう。

 もっと酒を知りたいのなら、『wish』にも火坑とかとおいで、と一応名刺を渡しておいた。


「おっと! アルターリオの完成だぜ!」


 店中に広がる、ピザ独特のいい香り。

 祝いも兼ねているのでかなり大きかったため、霊夢の提案で全員で食べることになった。

 御相伴出来たので、宗睦も遠慮なくマルゲリータの部分を食べたのだが。さすがは、ピザ職人。美味過ぎだと絶賛した後に、奴の背中を強く叩いたのだった。
 楽しかった、美味しかった。

 美兎(みう)の、今日のデートでの正直な感想だった。


「いい笑顔ですね?」
火坑(かきょう)さんや皆さんのお陰です」


 初の妖の彼氏との、初デート。

 人間の彼氏達とも、こんなにも満たされた気持ちになった出来事はなかった。

 人間でなく、妖だからか。単純に楽しいことが好きな存在だからか。

 楽養(らくよう)を後にして、今度は楽庵(らくあん)に向かって腕を組みながら歩いているのは、美兎が少々飲み過ぎたから。

 狐狸(こり)宗睦(むねちか)が美味し過ぎるカクテルやワインを勧めてきたせいだ。火坑と初めて会った時ほどではないが、当然ほろ酔いは通り越している。なので、彼氏様に支えてもらっているわけだ。

 座敷童子の真穂(まほ)は二次会ついでの、雪女の花菜(はなな)とろくろ首の盧翔(ろしょう)が結ばれた祝賀会に参加するらしい。

 美兎も本音は参加したかったが、今日はまだ火坑とのデートだろうと追い出された。友人として祝うのは別日に催すと決定もしているので仕方ない。


「楽庵で何をしてくれるんですか?」
「ふふ。着いてからのお楽しみですよ?」


 ほろ酔い気分で問いかけても、同じ返答の繰り返し。

 仕方がないので、気分の良いまま彼について行き、楽庵に到着したら既に暖房がついていて不思議に思った。


「あったかいです」
「暖房に予約タイマーをつけていたので」
「なーんだ。よーじゅつじゃないんですね?」
「ふふ。そこまでハイテクには扱えませんよ? とりあえず座っててください」
「じゃー、お言葉に甘えてー」


 ほろ酔いから酔っ払ってきたのか、とにかくご機嫌さんだった。

 お腹はいっぱいだが、デザートくらいなら入る。ひょっとしてケーキでも用意したのだろうか。それは本来美兎の役目だったが、先に彼からケーキは大丈夫だとLIMEで言い渡されていたからだが。

 ヤカンのお湯が沸き、ドリップコーヒーのセットでコーヒーを淹れてくれて。

 冷蔵庫からは、ケーキの箱らしき大きな白い箱を取り出してきた。


「まだ少し早いですが。簡単なクリスマスパーティーと行きませんか?」
「クリスマスパーティー!」
「僕はともかく、美兎さんのお仕事はかき入れ時でしょう? たしか、夜空けられるかわかりませんって言っていらしたので、出来れば今日にと」
「それで、火坑さんのお部屋じゃなくて。楽庵(ここ)で?」
「おや、大胆発言ですね? 僕は構いませんが、美兎さん……初デートであなたを襲っても良いんですか?」
「お、おそ!?」


 そんな大胆発言をしたつもりではないのだが、美兎は彼にまだ言っていないことがある。いや、もしかしたらバレているかもしれないが。

 まだ二十代前半なのに、美兎は、美兎は純潔を守ったままだ。つまりは誰にも汚されていない。実は、キスもまだなのである。

 そのことを考え始めたら、酔いなんて一瞬で覚めてしまい、汗をだーだーに流していたら。まだ人間の頭のままの火坑には、くすりと笑われてしまった。


「ふふ。冗談ですよ? さすがにお付き合いしたばかりの女性に、そんなご無体をさせるわけにはいきませんから」


 さて、ケーキです。と、コーヒーと一緒にカウンターに置いてくれたのは生チョコケーキ。

 美兎の、一番好きなケーキだった。


「美味しそう……! けど、火坑さんは甘過ぎるのダメじゃなかったです?」
「ふふ。たまには食べますよ? チョコも少しだけなら平気ですし」
「じゃ、じゃあ! 次……作って、みてもいいですか?」


 火坑には敵わないけど、と伝えると。彼は顔を輝かせてくれた。


「美兎さんの手作りケーキですか! 嬉しいです!」
「その……クリスマス後になっちゃうんですけど。その週末までには」
「楽しみにしています!」


 また新たにクリスマスプレゼントを考えなくてはいけないが、不思議と苦ではない。

 やはり、妖などと関係なく、大切な人だからだろう。

 そして、コーヒーで乾杯する前に彼からちょっとだけ顔を上げて欲しいと頼まれて、素直に顔を上げたら。

 ふにっと、柔らかい何かが唇に触れてすぐに離されてしまった。


「か、かかか、かきょ!?」


 今の意味がわからないほど、美兎は子供でもない。

 目の前には、妖艶に微笑む火坑がまた顔を近づけてきた。


「つい好奇心で奪ってしまったんですが……もう一度しても?」


 凄いイケメンでないと思っていた気持ちを撤回したい。

 人間に化けた火坑の色気が、耐え切れないくらいに溢れ出ているのを誰が知っているだろうか。おそらく、今日だけは美兎のモノだろう。

 それに、今のキスは決して嫌じゃなかった。嫌な相手のキスは好きになっていてもあるって誰かから聞いた記憶があるが。火坑にはそんな思いは微塵も感じなかった。

 なので、何度も頷いてから彼に抱えられ。

 美兎は、改めて、ファーストキスを大好きな人と交わすことが出来たのだった。


 ここは、錦町(にしきまち)に接する妖との境界。

 ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。

 たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。

 元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵(らくあん)』に辿りつけれるかもしれない。









 中区、丸の内にあるビルの一つ。

 クリスマス間近、デパートのディスプレイなどもデザインは佳境を過ぎて、現場の手伝いもあるのだが。

 新人デザイナー見習いの肩書きがあと数ヶ月で外れる、湖沼(こぬま)美兎(みう)は。

 寒いが、気分的に屋上で落ち着こうと思い。屋上の休憩フロアへと、飲み物を途中で買ってから向かった。

 もちろん、室内にも休憩室やフリースペースはあるのだが、天気が良かったのでなんとなく向かう。

 飲み物も、甘い甘い自販機カップドリンクのカフェモカ。デザイナー問わず、デスクワークでは頭をかなり使うので糖分が欲しい。欲しくなるので、今日くらいはいいだろうと言い訳をする。

 屋上に到着すると、やはり外気は寒々としているが。頭をしゃっきりさせるにはいいだろうと、羽織ってきたダウンを着直す。

 そして、暖かいガラス張りのフロアに入ろうとしたら、既に先客がいた。


「おや、湖沼さん」
「こんにちは、三田(みた)さん」


 小柄で背も低い、けど優しい笑みが特徴で周囲を和ませてくれる。清掃スタッフである三田久郎(くろう)が、美兎と同じような紙コップを手に休んでいた。

 だいたい六十代に見えるが、誰も彼の正確な年齢を知らない。だが、誰も気にせずに彼と話す人間は多い。雰囲気と言うか、柔和な笑みにつられて挨拶だけでなく世間話までしてしまう。

 それくらい、何故か話し相手になりやすい人間だったのだ。今日は珍しく一人でいるが。


「お一人ですか?」
「三田さんも。お隣……いいですか?」
「ええ、僕は構いませんよ?」


 そのニコッと笑う感じも、相手を懐に入れるのがうまい証拠。美兎も見習いたいくらいだが、まだまだその老成には到底追いつかないだろう。ひとまず、三田の隣の席に腰掛けてから飲み物をひと口。


「は〜〜……美味しい」
「湖沼さん達は大変そうですねぇ?」
「いえいえ。現場の人達に比べたら、ずっとデスクワークですし」
「そんなことはないですよ? 立ち仕事や座り仕事関係なく、お仕事はお仕事ですから」
「うう。三田さんに言われると説得力があります……」
「ふふ。伊達に長生きしてませんからねぇ?」


 さすがは大人の余裕。

 少し、恋人である猫人の妖、火坑(かきょう)と似た雰囲気でもあるから尚話しやすいのだろう。ちなみに、火坑の現在年齢は120を優に越えているらしい。

 随分と歳の差ではあるが、気にしない。気にしたら負けだと思っているし。もし、火坑と結婚まで出来たら美兎にもメリットがあるから。

 それは、先日の彼の誕生日デートの時に教えられた。

 心身共に、妖と結ばれれば身体が創り変わり、同じ寿命を過ごせるのだと。

 だから、それまで美兎には人間の生活を十分に謳歌してほしいと言われた。なので、社会人生活はまだ一年目だから、少なくとも三十代までは彼と性交をするのも御法度だ。

 だけど、キスや簡単なスキンシップは大丈夫らしい。美兎はデートの時の蕩けるようなキスを思わず思い出してしまった。


「……はー」


 あの日以来、携帯でしかやり取りは出来ていないが元気にしているだろうか。錦もだが、界隈はここからだと目と鼻の先なのに、行けないのが少し悔しい。


「おや、湖沼さん? 今のため息はお相手さんを思ってですか?」
「!? え、なんで!?」
「いやいや。ここひと月くらい、湖沼さんの表情が疲れていても生き生きとされていらっしゃったので。もしかして……と」
「あ、はい。……そんなにも分かりやすかったですか?」
「ふふ。何人かは気づいているかもしれませんよ?」
「うう……」


 気を緩めていたつもりはないが、この人の前だと形無しだろう。

 思わず、しばらく会えていないことを告げれば、彼はコップの飲み物をひと口飲んだ。


「世間はクリスマスですからねぇ? キリスト教徒関係なしに、日本では恋人や家族のイベントですから」
「……はい。社会人になってはじめての彼氏ですし。ちょっとだけでも会えたらなって」
「けど、実際は?」
「高島屋のディスプレイの搬入と撤去に行かなくちゃいけなくて」
「お疲れ様です」
「はい……」


 新人の恒例行事であるので仕方がない。

 だから今は、束の間とは言え休息をしっかり取らなくてはいけないのだ。

 ゆっくり休憩したいところだが、三田とのおしゃべりは時間の経過を忘れてしまうので。残ってたカフェモカを煽ってから、仕事に戻ることにしたのだった。
 ビルが雑居したところにある屋上のひとつに。

 湖沼(こぬま)美兎(みう)の守護であり、最強の妖の一端を担う座敷童子の真穂(まほ)は。

 普段の子供の姿のまま、行儀悪く屋上の一角であぐらをかいていた。


「……気づかなかったわ」


 ぽつりと、呟いた言葉は人間は愚か誰の耳にも届かないであろう。

 ここには、妖はほとんど存在していない人間界なのだから。


「……なんで、人間界のこの時期だからって。美兎の側にいるのよ」


 真穂の目には映っていた。美兎が、初老の男と仲良く会話していたところを。

 恋仲の火坑(かきょう)がいるのに、他の人間との仲を疑うわけでもないし、相手の見た目はどう見ても老人。

 そこは、別にいい。

 問題は、その話していた老人の方だ。

 真穂も何度か見かけたことがある、妖とは一線を画している存在。


御大(おんたい)……」


 そう呟くと、美兎が去った後に。温室のような囲いの中にいるその老人が手招きしてきた。

 この距離なのに、真穂がいるのがわかっているようだ。隠れても無駄だとため息を吐き、風に乗って瞬時に彼のところへ移動した。


「久しぶりねぇ、御大?」
「その呼び名も、随分と久しぶりですねぇ?」


 真穂がすり抜けて入ってきても、大して驚かない。やはり、この老人は真穂が推測した通りの人物なのだろう。


「我の守護する人間と関わって、どうしたいの?」
「どうしたいも、特に……ではないですねぇ。旧い知人に頼まれていまして、彼女に贈り物を……と」
「贈り物?」
「……()も、たまには友との約束を果たすものじゃ」


 物言いが変わった途端、真穂の変化と同様に老人はさらに老人の風貌に変わった。

 大神(おおかみ)は銀に近い白だが、老人はさらに白く綿のように髪を生やし、髭も眉も同様に。

 服装は赤と白。黒のベルトが特徴的な、この時期人間界のディスプレイだとよく見かけるような格好に。


サンタ(・・・)が、個人の頼みを聞くの?」
「ほっほ。友のためじゃ、あの子にも深く関わっておるからのぉ?」


 フィンランド発祥の、子供達だけでなく人間の夢を叶えるとされていると聖なる老人。

 サンタクロースが、三田(みた)久郎(くろう)の本性だ。人間に溶け込むことも出来る、神のような存在なので実体化出来るわけだが。


「美兎とあなたの知り合いに? 人間……よりは、神か妖?」
「ほっほ。妖じゃよ。君も会ったことがある奴じゃ」
「我と?」


 いったい誰だろうと首を傾げていたら、サンタクロースは持っていた茶か何か入った紙コップの中身を飲み干した。


「茶飲み友達じゃからな? 時期が来れば、君もわかるじゃろ?」
「……それまで、美兎の近くにいるの?」
「ほっほ。恋人となかなか会えない彼女を癒す存在は多い。君もじゃし、儂も加わりたいだけじゃ」
「ふーん?」


 真穂以上に美兎と関わりの深い妖。

 もしや、と思って顔を上げれば。サンタクロースはその通りだと言わんばかりににっこりと笑っていたのだった。


「あれも、いずれ会いたいと言っていたからのぉ。儂も手助けしたいんじゃ」
「……最高のクリスマスプレゼントになるんじゃないかしら?」
「ほっほ。君も協力してくれるのかね?」
「むしろ、そのために我を手招きしたんじゃないかしら?」
「ほっほっほ」


 最高のプレゼントに最高のクリスマス。

 それを本来与えるのは、火坑の役目だろうが。

 親類縁者からとなれば、手伝わないわけにはいかないだろう。

 日にちも残り少ないので、真穂はサンタクロースと思い思いに計画していくのだった。
 どうやら、自分は思ってた以上に顔に出易いらしかった。


美兎(みう)っちに男が出来た話?」
「割と知られているわね?」
「先月でしたっけ〜?」
「中旬頃だったわね? 異様にニヤついてた」
「先輩ぁい、あれは幸せオーラですって」
「え、えーと」


 三田(みた)と話してから数時間後のおやつ休憩。

 美兎の会社は、体資本、特に頭を使うので15時くらいには数十分交代で休憩タイムを取ることになっている。

 今日は、同期の田城(たしろ)真衣(まい)に二年先輩の沓木(くつき)桂那(けいな)と一緒になったので、せっかくだから聞いてみたわけだが。

 見事、ど真ん中を突かれてしまったわけだ。


「で、で? マジでマジ?」
「う、うん。……お付き合いしてるよ」
「おーおー!! どこの誰? 写メは?」
「……田城ちゃん落ち着きなさい。湖沼(こぬま)ちゃんが答えにくいでしょう?」
「え、えーと……(さかえ)で料理人をしてる人です」
「ほう? 歳は?」
「…………28歳です」
「わぁお!」


 付き合っている以外、もし他人に聞かれた場合に使ってくれと火坑(かきょう)に用意してもらった偽情報だ。合っているのも料理人の部分だけである。写真も、この間のデートの時に証拠写真として残してあるのだが。

 保存アルバムから見せれば、二人とも何故かガッカリした表情に。


「……普通だ」
「悪くはないけど……普通ね? ブサメンじゃないけど、物凄くイケメンでもないわ」
「あ、あのー」
「ああ、ごめんなさいね? あなたの彼氏くんを貶すわけじゃないけど。……そうね、彼のどこに惹かれたのかしら?」
「! 顔……よりも、内面です」


 猫人と言うことは言えないが、美兎が好きなのは彼の表面よりも内面。優しく包み込んでくれる気遣いがとても好きなのだ。

 それをいかに凄いか伝えてみたら、二人が圧倒したような表情になってしまったが。


「わかったわかった!!」
「湖沼ちゃんが、彼氏くんをどれだけ好きかは分かったわ。けど……それじゃ、せっかくの初クリスマスなのに仕事で無理ね?」
「い、一応……初デートと彼……の誕生日の日に簡単にお祝いはしました」
「ほほう? デキた彼氏くんね?」
「歳上で料理上手の彼氏か〜? 美兎っち裏山〜! ね、ね、どっちが告ったの?」
「む、向こう……から」


 あれは思い出すだけで、顔から火が出てしまうと思うくらい。場所は場所だったが、きちんと想いを伝えてくれたのだ。


「おおおお!? 我が社のデザイナー花形がとうとう告られてしまったのか! しかも、相思相愛で漬け込む隙はナッシング! 先輩〜、これただでさえ落ち込んでる同期や先輩方に知られたら大変ですねー?」
「そうね、大変だわ」
「はい?」
「自覚ない美兎っちだ〜け〜どぉ〜? あんた、倍率高いんだよん?」
「真衣ちゃんじゃなくて?」
「嫌味ったらしくないのが、逆に憎いね〜?」
「こう言う素直さは、あなたも見習いなさい?」
「うぃっす」


 いまいち理解は出来ないが、どうやら美兎は自覚していないのだが社内で人気があるらしい。だが、彼氏が出来たと知られれば阿鼻叫喚図が出来上がるだろうと沓木は言った。

 けど、普段通りでいいからと言われてから、美兎は彼女の特技を思い出した。


「沓木先輩」
「うん?」
「その……お菓子作りを教えていただきたいんですが」
「あら、彼氏くんに?」
「はい。……本当はバレンタインまで練習しようかと思ったんですけど。大晦日前までには一度会いたいですし、クリスマスを過ぎてもいいんでお祝いしたいんです」
「健気だね〜? 美兎っち」
「……ほんとね? いいわ、それなら今日はまだ定時で上がれそうだから。田城ちゃんも一緒にうちに来なさい?」
「おお!」
「ありがとうございます!」


 そうして、おやつタイムを切り上げてから丸の内のデパートで少々買い込んでから、地下鉄で移動して沓木の家がある八事(やごと)に到着した。

 会社から適度に離れてはいるが、路線も名城線で来られるから便利と決めて住んでいるそうだ。
 猫人である火坑(かきょう)は久しぶりに驚いたのだった。


「やほー!」
「……随分と久しぶりですねぇ?」


 恋人、湖沼(こぬま)美兎(みう)の守護である座敷童子の真穂(まほ)が連れて来たのは、外見は小柄な人間の老人。

 だが、カウンターの席に着いてからその老人は座ったと同時に、空気を震わせて白、赤、黒が特徴のある人物に変化していった。


御大(おんたい)……サンタクロースさんがいらっしゃるとは、随分と久しぶりですねえ?」
「ほっほ。旧い友人に頼まれてのお……」
「ご友人ですか?」


 ホットおしぼりを出すと、サンタクロースは手を拭いた後に顔もゴシゴシと拭いたのだった。


「……君は気づいているかね? 君の恋人になった人間の女性……湖沼美兎さんには、普通の人間以外の血が流れていると」
「! もちろんです」


 だが、本人も気付いていないし、守護についている真穂からも特に告げていない。なので、火坑も無闇に知ろうとしなかった。

 けれど、この御大自ら動かれると言うことは。まだ現存している美兎の祖先である妖に何か頼まれたかもしれない。


「ほっほ。その祖先となった彼が……まさか、子孫までもが妖と結ばれたと知ったら、嬉しそうに儂に告げてきてね?」
「祖先……? 僕が伺っても」
「ふふ。本来なら君を含めて秘匿する予定でいたけれど。元冥府の役人だった君には最後まで隠せないじゃろうて。儂の判断で、君を引き込むことにしたんじゃ」
「御大のご判断で?」
「そうらしいわよ? あいつはあんた達揃ってサプライズにしたかったらしいけど、火坑には無理でしょ?」
「……祖先の妖についてお聞きしても?」
「ほっほ。まずは一杯いいかのお?」
「あ、申し訳ありません。ご注文はいかがなさいましょう?」
「儂は芋のお湯割り。料理は任せるかの?」
「真穂もー!」
「かしこまりました」


 焦り過ぎていた。

 恋人だから、美兎のことだからと。

 元は人間でもなかった猫畜産でしかなかったのに、人間と隣接した次元に輪廻転生してからか、どうも人間味を持ってしまっている。

 あれは、まだ妖として転生したばかりの、師匠だった霊夢(れむ)にも言われたのだった。


『火坑は、食べる相手のことも考えてーんだな?』


 拾われてまだ幾日も経っていない頃、黒豹の彼にそんなことを言われたのだ。


『食べる、相手のこと?』
『俺が料理してる間に、食器やらなんやら用意してくれただろ? 俺が教えたことだが、言わなくてもすぐに用意してくれてるって嬉しいもんだぜ? お前、料理人に興味あるっつってたな?』
『はい!』


 もうちょい身体が育つまでは、簡単な手伝い程度は教えてやる。霊夢のその提案があってから、身体が育つまで。本当に色々手伝った。

 その中で、彼からこうも言われたのだ。


『お前は……前の獄卒だった経験もあっから、人間達から『心の欠片』を受け取れる可能性が高いな?』
『師匠が……おっしゃってた、人間の魂の一部を賃金として受け取り……僕らの妖力とは違う、力の源。あと、価値によって売り上げに繋がるものだと』
『そう。だが、引き出せんのは妖でもごく一部。俺とか最近来た(らん)とかだな? あとは、ほんの一部』
『僕に、出来るんでしょうか?』
『俺の言葉を信じろ。出来るって』


 だからそれ以降。妖以外にも、時折人間の客も来訪してきたので、霊夢や転がり込んできた蘭霊(らんりょう)の秘術を見てきた。

 自分の店を持つまで、随分と時間はかかったが。(にしき)の一角に店を持てたのは幸いだった。でなければ、美兎とも出会えなかったから。

 思い出すのを中断させて、真穂とサンタクロースに注文の品を出してからスッポンの下処理をする。今日は残念ながら雄だが。


「ほっほ。日本に来るまで。珍味のスープや肉を食すことはなかったからのお。ここや、霊夢君の店で食すまで知らなかったのが、悔しいわい」
「とか言いつつ。御大の故郷とかでも変な珍味多いじゃない?」
「儂もあれは知らん。臭いもんを更に臭くするなど言語道断じゃ」


 たしかに、北欧では何故か愛好家もいると言われている、シュールストレミングがあるのは謎だが。興味本位で触れてはいけない食材だと、火坑は思っている。


「で、火坑も巻き込んで……なら。このお店でやっぱりパーティーしちゃう?」
「うむ。今日あの子に確認したんじゃが、クリスマスの本番もイブもてんやわんやじゃからのお。せめて、次の日が休みじゃから、その日の夕方にでもと思っとるんじゃが」
「まだ僕との予定も決まっていませんので大丈夫ですよ? はい。まずは、スッポン肉の生姜醤油和えです。今日は雄なので、卵はないですが」
「儂に胆汁の水割りを」
「かしこまりました」


 実は、美兎には日曜に予定がないと聞かれたのだが。その前日に、パーティーをするのならいいかもしれない。

 パーティーに縁の薄かった彼女は、先日の楽養(らくよう)でのパーティーもとても楽しんでくれていたから。

 が、その後にサンタクロースから聞かされた美兎の祖先については、さすがに驚きを隠せなかったが。
 沓木(くつき)の家に到着して、手洗いうがいをしっかりとやらされてから材料と一緒に買った簡易エプロンを、ブラウスの上から身につける。

 今日作るクリスマスケーキは、普通の苺ショートではなくブッシュドノエルと言うロールケーキらしい。


「たくさん食べられなくても。見た目も可愛いやつなら、このケーキね? 湖沼(こぬま)ちゃんならぺろっと食べられそうだけど」
「……はい」


 デザイナーは通常のデスクワークで何時間もPCに張り付くので、飲み物のだが軽食も基本的に甘いものを選んでしまう。そのために、経費の一部でコーヒーメーカーの隣にワンコインおやつが常設されているくらいだ。

 だから、美兎の軽食事情もバレバレ。ワンコインだから、ついつい買ってしまうのだ。だが、その分カロリーを消費している、はず。

 それはさておき、甘過ぎる味が少し苦手な火坑(かきょう)にも食べやすいビターテイストにしてくれるそうだ。それなら、彼も少しは食べられるかもしれない。


田城(たしろ)ちゃんも彼氏いないからって。ついてきたからには労働しなさいよ?」
「うぃっす! 何すればいいんです〜?」
「そうね。今日は練習だし、メインは湖沼ちゃんだから……チョコをひたすらキッチンハサミで刻みながら、ボウルに入れて」
「ハサミでいいんですー?」
「あなたの場合、チョコの破片でうちのキッチンを無様に汚しかねないわ。勝手な想像だけど……あなた、自炊は?」
「……全然っす」
「ほらね? なら、慣れない包丁をいきなり使って汚されちゃ困るもの」
「うぃ……」
「沓木先輩、私は?」
「先に聞くけど。あなたの調理経験は……?」
「えーと……彼氏……香取(かとり)響也(きょうや)さんのお店に行くようになってから、ちょっとずつは」
「お菓子作りは?」
「……残念ながら、家庭科経験程度です」
「なるほどね? とりあえず覚えておいて? 卵は常温……冷蔵庫で冷やしたのをいきなり使っちゃダメよ? 生地の焼き上がりに影響が出るから」
「はい」


 仕事ならメモ帳だが、ここはプライベートなのでスマホのメモ帳に書き込んだ。沓木も何も言わないので。次に計量だと田城がハサミで必死にチョコを切ってる下の扉を開けて、ボウルや測りを取り出した。


「粉類はザルとかで振るうのはわかるわね?」
「聞いたことは」
「だまのまま混ぜると、そのまま焼いちゃったら粉の塊が残っちゃうのよ。あとはいい生地にさせるために。ココアと薄力粉を測って振るって」


 美兎には、買ってきたばかりの常温の卵に砂糖を加えて割りほぐすところから。軽く泡が立つくらいまで泡立て器で混ぜたら、沓木がハンドミキサーを取り出してきた。


「最初からそれを使わないのは?」
「泡立ちすぎるからよ。早く泡立つのが正解とも一概に言えなくてね? 今からは、これを使って混ぜるんだけど」


 その前に、と製菓用の温度計をボウルに入れた沓木は目盛りを見て満足そうに頷いた。


「?」
「卵が冷たいと、生地に影響が出る話はしたわよね?」
「はい」
「この時点で冷たかったら、レンジで10秒ほど加熱した方がいいわ。人肌より少し温かいくらいが理想なの。今日のは、一応大丈夫だけど」
「なるほど!」
「先輩〜、終わりましたー」
「じゃ、あなたは次はチョコの湯煎ね?……湯煎はわかるかしら?」
「直茹で?」
「阿呆!」


 と漫才チックなやりとりはさておき。美兎の次の仕事は生地をハンドミキサーで混ぜていくこと。低速で、二分立ちになるくらいらしいが、少しさらさらした生地になればいいそうだ。

 田城に湯煎のやり方をレクチャーしている沓木の横で、とりあえず混ぜていくのだった。


「あんれぇ? 先輩、ぶくぶくにお湯沸かすんじゃ?」
「それも一概にいいとは言えないわ。チョコの湯煎わね、プロでも難しいとされているのよ? パティシエでも毎回緊張するのはザラではないわ」
「先輩の彼氏さんの受け売りですか〜?」
「そうね。あの人もよく言っているわ」


 ちなみに、沓木の彼氏は火坑も気に入っているマカロン専門店のパティシエだとか。まだ挨拶したことはないが、もし紹介があればお礼を言いたい。時々だけれど、手土産にあそこのマカロンや最近出たプチフィナンシェも火坑が気に入っているから。


「あの、沓木先輩。こんな感じですか?」


 だいたいもったりしたソースのようになったので、沓木に確認してもらうともう少し、と言われてから次に粉類を入れるのだが。


「一気に入れずに、四、五回に分けてゴムベラで混ぜてね?」
「美味しい生地のためですよね?」
「そうよ。最初は切るように混ぜて……だいたい混ざったら今度はツヤが出るまで混ぜる」


 その次に、レンジで温めたバターと牛乳に生地を少量加えて混ぜて。それをボウルに入れてからさらに混ぜてツヤなどを出すらしい。

 スポンジケーキではないのに、難しいと思った。


「大変ですね!」
「これをあの人とか、他のパティシエは毎日やっているもの。有り難みを感じるわ」
「作れる先輩も凄いです!」
「ありがとう」
「先輩〜、チョコほとんど溶けてきましたー」
「じゃ、軽く冷ますついでにひと息つけましょう?」


 美兎達の方も、あらかじめ用意しておいた底がある天板にクッキングシートを敷いたものに、生地を流し込んで。

 これまた予熱しておいたオーブンで焼くのだった。ロールケーキなので、途中で前後は入れ替えるが。ひとまず、コーヒーブレイクをするのだった。