ほんの少し前。
常連だった、烏天狗の翠雨の恋仲だと紹介された栗栖紗凪に。恋人の湖沼美兎を連れて行かれてしまったが。
然程、遠くない距離を先に進む程度だったので。火坑は大きなため息を吐いている翠雨の肩を軽く叩いた。
「元気なお嬢さんですね?」
「……すまない。そちらの番を勝手に」
「まあ。妖を恋人に持つ人間の女性はいるようで少ないですからね? 僕は大丈夫ですよ?」
「……しかし。わずかだが、妖気を感じたな? 本人は知っているのでござるか?」
「……いえ。彼女の守護につかれている、座敷童子の真穂さんからもまだのようです」
「!? 真穂様が?……そうか。そちらの界隈に行くことが減ってしまったからか。わざわざあの方が守護につかれるとは」
紗凪達に置いていかれないように、歩きながらの会話だが結界は怠らない。今は人間に化けてはいるが、火坑は元地獄の獄卒であり補佐官だったのだ。現世に長い翠雨には劣るが、まあまあ出来る妖ではある。
だから、まだ真穂が守護につく前の美兎にも。心の欠片をもらう代価として、ほんの少しの呪いをかけてはいたのだ。好意を恋慕と自覚する前とは言え、随分とした高待遇。
今も、彼女の霊力に惹かれる妖がいないか気を張ってはいるが。
それを翠雨にも伝えれば、なるほどと頷いてくれた。
「と言うわけで。僕は随分と鈍いようでした」
「貴殿が、自身の気持ちに気づかれぬ以前から……か。たしかに、某も鈍かったでござる。紗凪が今の年頃になるまで、見守っていたのだから」
「……もしや。以前おっしゃっていた、巫の素質を持たれていらっしゃるお嬢さんが?」
「ああ、紗凪だ」
「……なるほど」
俗に、シャーマンなどとも呼ばれている、人間でも稀有中の稀有である存在の呼称だ。美兎もそれに近いくらいの霊力のはあるが、わずかに含まれている妖の血族のお陰か、それは表立ってはいない。
だが、紗凪は。
今はあれだけ明るい表情でいられるのも、翠雨との縁があったお陰だろう。
惚れたのか、と聞けば。彼は、是と答えてくれた。
「……最初はただの、幼い人間の赤子のように思っていたでござる。しかし……まあ、あれだ。あの性格だから、違う、本物だと言い張ってな? 押しに押されて……某も気づいたわけだ」
「ふふ。僕もいろんな方からお節介をいただきましたよ?」
「……火坑は、なんだか放っておけないからな?」
「そうですか?」
だが、閻魔大王に亜条。真穂に宝来、盧翔に辰也。師匠の霊夢達。さらには、ぬらりひょんの間半。
随分と、お節介をかけられたものだ。翠雨の言葉通りかもしれないと、火坑は軽く息を吐いた。
「しかし。偶然とは言え、同じ場所で逢引きでござるか。しかも、そちらは初めてなのだろう? やはり」
「構いませんよ? こちらだけのようですし……それに美兎さんも今はいい表情をなさっています。偶然でも、似た境遇のご友人が出来て良かったと思っていますから」
「……そうでござるか」
嘘ではない。
美兎は、気持ちを自覚する前から。社会人としてひとり立ちしたばかりを理由に、他の人間達との縁を薄めていた。
たしかに、常連仲間の美作辰也はいたが。同じ会社ではないし、そうしょっちゅうは会えていない。
だから、火坑は美兎がヒトとの縁を薄らいでいるのではと少し心配だった。
なので、今回の件は火坑よりも美兎にとって良いことだと思っている。
そうこう話しているうちに、美兎達がLIMEのIDを交換するのに立ち止まり。追いついたので、翠雨は紗凪に軽く拳骨をお見舞いしたのだった。
「さて、改めてエスコートさせていただきますよ?」
「はい!」
美兎に手を握り返されると、火坑も嬉しくなったがひとつ思い浮かんだことがあり、軽く美兎の手を離したが。
「失礼しますね?」
「……え?」
手を絡めるようにして握った、いわゆる恋人繋ぎ。
わざとにっこり微笑むと、美兎は盛大に顔を赤くしたので、計算通りだと火坑は嬉しくなったのだ。
口もあわあわし出した美兎にもう一度声をかけてから、彼女の手を引いた。
「さあ、翠雨さん達に置いていかれますよ?」
「は、は、はい!」
事前に、人間界のコンビニで購入したチケットを受付に渡してから二組は水族館に入り。
ダブルデートを、始めることになったのだった。